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技能と能力(1/2) ~この言葉の差を理解しろ!~ [哲学]

 今日はアニキ哲学において重要な概念である「能力」について話そう。
 諸君は、普段なにげなく「能力、能力」と口にするが、実はこの使い方は間違いだ。皆が使う意味での「能力」とは、大概「技能」のことだ。「技能」とは、単なる技術力だ。そして「能力とは技能を使って結果を出す力」をいう。これが定義だ。で、この違いがわかるか?アニキは「技能」と「能力」という言葉に分けて、適切に使う必要があると考えてる。これを混同させて使ってはいけないのだ。
 一般的に人は、「能力を上げたい」と言って勉強したり学習したりする。実は自分の努力だけで向上させることができるものは、「技能」であって「能力」ではない。先にも述べたが、「能力とは技能を使って結果を出す力」だ。結果を出す力であるからには、実践で役に立ち、且つ結果を出すことが能力の条件である。結果が出ていないその力は能力ではなく、単なる技能にすぎない。わかるかな。だから、この社会の中で、目に見える能力のように語られている力はすべて技能である。能力とは当然目に見えない力であり、そのため客観的基準では測定できない。結果で評価するしかないのだ。
 どっちに価値があるかは、一目瞭然だな。人生で必要な力は、結果を出す力であって、技能に代表される見せびらかす力ではない。だから能力の方が上だ。「あいつはスゴイ」というのを普段使うだろうが、これは能力の高さの話であって、技能の高さの話ではない。言わば、個人のスペックの高さではないのだ。ここに、日本の社会の問題が隠されている。
 日本の社会は、スペックの高さが能力の高さと思われている。ここで言うスペックとは、資格や学歴など「公で自慢できる力=技能」だ。しかし、プロがしのぎを削るこの社会では、スペックの高さはあまり意味をなさない。一流大学を出た人や大学院を出た人すべてが、会社で実績を残しているかどうかを考えれば明らかだ。技能という個人スペックは、自分を社会に売り出すためだけに存在するただの値札だ。学生時代の「お勉強ができる」という技能は、社会に出るまでの値札。それ以降は全くいらないし、それを引きずってもいけない。学歴という値札は、社会に出た瞬間に捨てるべきなのだ。それは百害あって一利なしだ。そして、会社に入ってしまえば、学生時代に身につけたその技能を能力に高めることを考えなければならない。それをしないで、学歴にしがみついてると、「スペックの高い奴は会社で使えない」と言われる。これは、アニキのブログ記事でも紹介した「サラリーマンの謎『評価』」を思い出してくれ。そう、「評価とは期待値との差」だ。高学歴の高技能者は会社で期待されるわけだが、プロの世界ではそのまま通用しない。期待した割に結果が出ない分、評価は下がるのだ。これがマイナスギャップであり、「なんだ、期待した割にダメだな」ということになる。これを覆すためには、プライドを捨てる覚悟が要る。

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サラリーマンの謎「無礼講」(2/2) ~罠を見抜く~ [哲学]

 だから、上司が「今日は無礼講だ。」と宣言したときこそ、「ごまをすれ」が正しい対応だ。なぜなら、それを本音と受け取ってくれるからだ。ごますりという言葉に抵抗があるなら、部長のいいところを褒めればよいと理解してくれ。いいところは絶対あるはず。どうしょうもない人間なら、部長になってないのだから。ここでは褒め称えてあげるのが正解だ。そして、多少の演出も必要だ。
 例えば部の宴会の話だ。部長が「今日は無礼講」と宣言をするとしよう。キレモノ課長なら、「じゃ遠慮なく厳しいこと言わせてもらいますよ。」と釘を刺し、自分の部下達に向かって、「部長が無礼講と言ってるから、今日は日頃から思ってる好きなことを言え。」とはっぱ掛けるのだ。これで場の準備は整うのだ。何を言われるかと待ち構えていた部長に対し、「部長は俺たちに優しすぎる!もっと厳しくしてください!」とか、「部長は人が良すぎる!」とか言っていればいいのだ。
 そうすると、部長は家に帰り、先ほどの宴会を思い出してニンマリだ。「俺の船は安泰だ」「よい部下を持って幸せだ」となると、明日からもっと機嫌良くなるぞ。そっちの方が部下としてはメリットあるんじゃないか。無礼講は逆に利用してやれ!
 アニキは何が言いたいかというと、サラリーマン社会にはいろんな地雷が埋まっている。そう、この無礼講も地雷のひとつだ。上司が埋めた地雷だ。そういう地雷に気づくかどうかで、サラリーマン人生を謳歌できるかどうか決まってくる。地雷に気づかない未熟者は、気づくようにアンテナを張り巡らせといいたい。これが、アニキの言う「言葉は耳で聞くな、物事は目で見るな」だ。要するに裏読みだな。裏読みというときな臭い響きがあるが、それはしょうがない。なぜか!それは、相手は罠を仕掛けてるって事実がそこにあるからだ。わなを仕掛けられているのに、素直にそれに引っかかる馬鹿者はいないだろう。じゃあ、わなを見抜いて避けるのか?違う!正解は、罠を見抜き、わざと引っかかった振りをして、逆に利用してやるのだ。これが、サラリーマンのおもしろさだ。上司を下から手のひらでコロコロと転がすのだ。
 サラリーマンの醍醐味とは、「上司転がし」だと言い切る。諸君、この能力を自分のものにしてくれ。そのためにアニキはこのブログの中で、「サラリーマンの武器」を徐々に与えてゆく。

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サラリーマンの謎「無礼講」(1/2) ~無礼講の真実~ [哲学]

 無礼講って言葉をよく聞くよな。アニキも、社内の宴会とかで「今日は無礼講だ」なんて、上司が言うのをよく聞いた。しかしこの無礼講、落とし穴があるから要注意だ。未熟者は、言葉をただ耳で聞くだろう。アニキはいつも言うが、「言葉は耳で聞くな、物事は目で見るな」だ。いいか、この無礼講も、実は耳で聞いてはならない。
 無礼講ということばが出ると、「何言っても許されますよ」的なニュアンスがあるが、とんでもない。いいか良く聴け、「無礼講とは、それを言った人だけが無礼講で、他は無礼講ではない!」のだ。「部下の自分に対する忠誠心を見たい」だけ。ここを間違えるととんでもないことになる。
 「おっ、今日は無礼講だから部長に一気させよう」とかは言語道断だ。恨みは根深いぞ。強要された部長は、その場の雰囲気を壊さないために一気を受けるが、その真意は「コノヤロー、覚えとけよ!」だ。「部長をそんな軽々しい存在として見ていたのか、コイツは!」だ。そんなことがあった数年後には、そいつはどっかに飛ばされてるはずだ。
 部長なんて小さい人間が多い。実力でのし上がった部長なんて、滅多にいるものじゃない。ラッキーだった者がほとんどだ。実力で上がったわけじゃないから、いつもビクビクしてるのだ。だからまず、無礼講などとのたまう上司は、部下からの自分の評価が気になる小物だ。そんな上司は、部下を信用してないのだ。自分が影でどう評価されてるか、それが知りたいのだ。部下が自分のことを日頃どう思ってるのか、自分が進めてきた方針にみんな心から同意してくれてるのか。それが知りたいだけだ。そして無礼講とは、自分の船に一緒に乗せてもいいメンバーかどうかを選別する踏み絵なのだ。
 そう、だからよく考えてくれ、「言いたいことを言う」「本音を言う」ということは、その部下が日頃から思ってることだ。それを知った上司はどうする?仮にも部長は、サラリーマンにおける成功者だ。憧れるべき存在であって、非難を受ける対象ではない。本人もそう自覚してるはず。正義感から部長の考えを否定しても、部長の人格にキズをつけるだけの結果にしかならない。世間でよい言われる「失言は本音」だからだ。

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人生に迷ったら、本を読め!(3/3) ~本は人生の舵を取る~ [哲学]

 本の重要性はわかってくれたと思う。現在、インターネットやテレビなどのメディアが主流となり、子どもの活字離れが進んでいる。これは危うい現象で、脳にカラダが支配されてる状態だ。脳は楽な方向を選ぶ。なぜかというと、脳は自分であって自分じゃない。脳は別人格であるというアニキ哲学「脳の謎」を思い出してくれ。脳は、カラダにストレスを溜めてくれなければ、それでいいのだ。ボーッとテレビを見ている状態が、脳にとっては心地よい。脳は仕事しないで済むからだ。しかし、それではこの世に生まれた課題を克服できない。脳は決して自分の味方じゃないからな。ここは注意しておけよ。(脳の謎参照方)
 話を戻そう。だから、無理してでも本を読む習慣をつけなければならない。雑誌でも何でもいいから、活字を読めということだ。人生の数は人間の数だけある。創造主はそういういう風に人間を作った。それなら、自分の人生は自分で進むしかない。高村光太郎の「道程」だな。で、自分の道は自分だけのもので、そのあとは誰も通ってこない。じゃ、手探り進むのか?それは漂流だ。
 本も読まずに人生を歩くことは、漂流と同じだ。漂流してたどり着いた場所がどんな場所かは運まかせ。人生は「運」も大事だが、今は「運」の話は置いておこう。漂流は不安だよな、目指すものはあったとしても、どんな方向に向っているのかどうかもわからないし、自分がどの地点にいるのかもわからない。その進むべき道の舵を取るのが本だ。何度も言う、「本は人生の舵を取る」のだ。本で舵を取るのが人生だから、読まないとジジイになっても漂流状態だ。人生には近道は必ずある。まあ、近道というと語弊があるが、最短コースといっておこう。舵さえあれば、台風も避けられるし、大波も避けられる。漂流だと、困難な経験は人一倍できるのだが、身体も心も疲弊するから、辛い割に結果が出ないのだ。本を読まないと辛い人生になるのだ。辛いから、人生の終わりには闘病生活を強いられて、はかなく終わる。こんなつまらない幕引きはゴメンだよな。
 ならばだ、「若いうちから本を読め」と言いたい。本には、著書が魂込めて書いた魔力が閉じ込められている。著者が何十年という人生を懸けて会得したものを、本で教えてくれるから、我々はその経験をしないで済む。何年も研究してきたことを、一瞬で知ることができる。だから読書は多ければ多いほどよい。年間最低50冊は読んでほしいものだな。1週間に1冊ぐらいのペースだ。まずはそれぐらい努力しないと、成功への最短コースは見つからないのだよ。本を読むのも、この世の修行だ。
なぜアニキが読書の数量のことを言うかといえば、読む本の数が増えると、物事の道理が見えてくる。世の中のいろんなことのしくみが見えてくる。そうすると、地雷の埋まってる場所がなんとなくわかってくるから、そこを避けて進むことができる。これが「最短コースが見える」ということなんだ。あとは、そこを歩いてゆけばよい。そうすると、「人生は簡単すぎ!」ということに気づいてしまうのだ。

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人生に迷ったら、本を読め!(2/3) ~本に引き寄せられろ!~ [哲学]

 昨日は、人が本に引き寄せられるという話をした。本というのはそれほどエネルギーがあるということだ。ならば、困ってる時だけ本に頼るのはもったいないよな。そうだ、実は人生を豊かなものにしたいなら、常に本を読むという習慣を身につけたいものだ。何度でも言う、「本は人生の舵を取る」を覚えておいてくれ。
 人生を成功させたい。だれでもそう思うはず。アニキは、不成功な人生を望んでる奴に会ったことがない。アニキ哲学では、「『反証不可の原理』による原始機能」と呼ぶ。アニキもサラリーマン哲学者を名乗ってるからには、少しはホンモノチックなイメージを出したい。だから、ネーミングをかっこよくつけているだけで、話は単純だ。要するに、「それを望んでいる人間が見当たらなければ、元々人間に備わっていない機能」ということだ。前述の「成功」がそうであるように、子どもの頃から「不成功」を願っている人間はどこにもいない。小学生の作文で、「私は絶対に成功したくない」なんて書く子どもは皆無だ。つまり、皆、自動的に「成功」を望んでいるということになる。こういう人間に元々備わっている心の動きを「原始機能」と呼ぶ。話は逸れたが、「成功したいという感情」は人間の創造主によって元々与えられている機能だ。元々備わってるというのは、そういう意味だ。
 でも、成功ってなんだ?ものすごく抽象的な言葉だ。そして、その答えは人により異なる。成功の概念は人によって様々だから、他人は参考にならない。自分で探すしかない。さらに、自分が目指している夢自体が成功かどうかもわからない。自分が目指した夢と全く異なった人生を送り、成功している人は山ほどいる。今日は、その成功の第一歩について、「本」という観点から語ろう。
 本がなぜ、成功の第一歩なのか?実は、「自分に今、本当に必要な事は何か?」これを見つけることを、本にやってもらおうという話だ。本に書かれている著者の魂に、自分を引き寄せてもらうのだ。ダウジングという言葉を聞いたことがないだろうか。水脈なんかを探すあれだ。原理はこれと同じだ。本屋や図書館でこれをやるのだ。やり方は簡単だ。本屋をぶらぶら歩き回り、興味のある本を手にとってパラパラと立ち読みするだけだ。2,3時間はすぐに過ぎる。足も疲れてくるが、多少は我慢だ。日頃の運動不足を解消するいい機会だと思え。毎週でも毎日でも、気長にこれをやる。あせっちゃいけない。あせると、負のエネルギーが出るから、負の成功本を手にすることになる。これが「悪魔のささやき」だ。「簡単にもうかる〇〇の法則」のような本を手にとって見入ってしまうのは、負のエネルギーによる悪魔のささやきだから、要注意だ。
 だから重要なことは、心の中で「自分は良い本に引き寄せられる」とつぶやきながら、ぶらぶらと練り歩くのだ。帰りに気になった本を買って帰るのもよい。これが第一歩で、例えて言えば、「わらしべ長者」の藁だな。まず藁を持ち、それがいろんなものに変化してゆく。何が言いたいかというと、この本自体から学び取れるものは少ない。この本がまた別の本を引き寄せる。次は本ではないかもしれない。人が引き寄せられるかもしれない。
 そうやって進んでゆくと、成功へ近づいてゆくというメカニズムだ。だから、本の力を侮ってはいけない。
 本は人生の舵を取る!

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人生に迷ったら、本を読め!(1/3) ~本と出会う~ [哲学]

 毎日いろんなことが起こる。心を悩ませることがよく起こる。ま、それが人生の意味でもあるからしかたないが、できれば楽しく過ごしたいと誰もが思うはず。で、やる気がなくなった時、一番いい方法は本を読むことだ。アニキは言う、前向きな人生を目指すなら本を読め。人生の意味を見つけたいなら本を読め。「本は人生の舵を取る。」
 まずやることは、自分の家の本棚をずっと見渡してみることから始めろ。そこで、急に手に取りたくなる本があるかもしれない。人間はおもしろいもので、昔読みたいと思って手に入れた本でも、なぜかそのときは読む気がせず、本棚の肥やしになってしまった経験はないか?実は、本とは人と同じで「出会う」ものである。だから、買ってきた本というものは、いつか必要な時がくるはずで、読まなくても置いておけばいつか必要な時が来るというのが、アニキの考えだ。そして、本の方から引き寄せられてくる。ここが肝心だ。自分から必要な本を見つけに行ってるはずなのだが、実は本の方から近寄ってくる。これは事実であり、疑う必要はない。
 根拠はこうだ。なぜか、ボーッと本棚の前に立った時、目にとまった本はないか?本棚に目当ての本を探しに行った時、別の本に目がとまり、開いてしまったことはないか?インターネットでネットサーフィンしていると、なぜか興味を惹く本はないか?これらは実は偶然ではない。本が君たちを引き寄せているのだ。な、不思議だろう。
 しかし、手ごろな本が近くにない場合が多い。そういう時はすかさず本屋へ行け!悩んでる場合ではない。家でウジウジしてても辛いだけだろう。人生に悩んだり、人生に躓いたら本屋へ行け。それもできるだけ大きな本屋だ。必ずヒントになる本が目の前に現れる。なぜか不思議なことに、悩んでる時に偶然必要な本が目の前に現れる。まさか、悩んでる時に本屋に行って、エロ本コーナーへは行く奴はいないだろう。必要なら行ってもいいが、そこで真に癒やされることはないと言っておこう。
 言っておくが、本屋に行っても解決しない場合もある。まあそのときは、「今回の悩み解決の糸口は本ではなかった」とあきらめて、テレビとかインターネットとかを見てみればよい。しかし、大概の場合のヒントは本にあるとアニキは断言する。
 ではなぜ、ヒントは本にあるのか?なぜ、本に引き寄せられるのか?これについては、アニキの仮説だ。本来、本というものは、著者が誠心誠意書いたものだ。そして、それは何日も続く。読む人を意識しながら、魂を込めて書いたもの。これが本だ。それって、どういうことかわかるか?呪いと同じだ。呪いの一種ではあるが、良い呪いだな。読む人に感動してもらおうとか、良くなってもらおうとか考えながら書いてるから、その一文字一文字の活字には、著者の魂がこもっている。だから、本と人のエネルギーが合致すると、引き合うのだ。離れていても引き合う。呪いに距離が関係ないのと同じで、引き合う本のエネルギーにも距離は関係ない。見える人には見えるのかもしれないな、本から出ているエネルギ-が。そのエネルガーが自分と呼応するんだ。
 だから、本は人生の舵を取る!

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アニキの進化論(5/5) ~これから人間はどうなる?~ [哲学]

 まず、よく考えてくれ。創造主はなぜ、人間という1種類のみを送り込んだのかだ。もし創造主が、知的生命体を2種類、地球に送り込んだとしたら、どうなると思う?人間だけでも、やれ民族が違うとか、やれ宗教が違うとかで争いや戦争を起こす。そこへ、もう1種類の進化動物が存在することを考えてくれ。間違いなく、地球の破滅だ。猿の惑星って映画を見たことあるか。あんな感じだ。人間とサルとの戦争が絶えない。人間はなぜか異種を受け付けない。これは、創造主が最初から装着させた感情なのか、あとから芽生えたものなのかはわからないが、当然人間とほぼ同等の知的生物が存在するなら、それとは闘うことになる。
 だから創造主は、知的生命を一つの星に1種類しか置かないのだ。それを、人間が「強欲」のまま生き散らかしていたら、送り込んでくるんだよな、もう1種類の知的生物を。送り込まれる生物のレベルは、創造主が人間にどれだけのお灸を据えるかによる。人間と同レベルならまだかわいい。人間バクバク食う種族なんかを送り込んできたことを想像してみてくれ。「進撃の巨人」みたいな感じかもな。脅かすのはアニキの趣味じゃないから、このくらいにしておくが、悲惨だよな。まあ、そういうことにならないようにするために、早く「心の時代」しなければならない。心の時代になれば、創造主は天敵でお灸を据えたりしないだろう。
 要するに、他の星にいる宇宙人も同じはずだが、知的生命体は絶対に「1つの星に1種類」だ。これが原則だとアニキは考える。但し、これは今の人間のレベルでは、という話だ。
 もし人間をさらに進化させたいと創造主が思うなら、平和な心の時代となり、戦争や争いがなくなった時に、創造主は別の種類の知的生命体を地球に送り込んでくるかもしれない。映画とかでよく描かれる、人間を滅ぼそうとする目的の厄介な奴だ。つまり、人間にとっての真の「天敵」だ。その天敵が現れた時、それに対抗するために人間は新たな進化が始まり、新たな能力に目覚めるはずだ。天敵なければ進化なし!
 そうだ、アニキ哲学「プレッシャーだけが人を育てる!」

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アニキの進化論(4/5) ~人間の天敵~ [哲学]

 進化の話に戻る。実は創造主がどの段階で人間を地球にお送り込んだかはよくわからない。700万年前のホモサピエンスの時代よりももっと後かもしれない。どの時代からかは、ここでは特に重要ではない。
 重要なのは、人間はサルから進化はしてないってことだ。サルから進化したなら、他のサルだって進化してもいいはずなのに、なぜ人間だけが進化したのだ。ここに進化論の矛盾がある。人間がサルから進化したなら、今も進化途上のサルがいてもおかしくない。例えば、チンパンジーが近年、初めて飛行機を飛ばしましたとか、最近ニホンザルが石で道具を作りはじめましたとか、あるサルの種類が、50年ぐらい前から2本足歩行を開始しましたっていうニュースを、アニキは聞いたことがない。
 これって、どういう意味かわかるか。人間の祖先って言われるホモサピエンスって700万年前に出現してるんだよ。しかし、その後に続いて進化してきたサルは1種類もいないなんだぞ。これですべて説明できる。要するに、人間はサルから進化したのではなく、創造主によって、ある時代に地球に送り込まれたのだ。このあとの話をするには、この前提が必要だ。人間は地球に「意図的に送り込まれている」って事実を認識する必要がある。
 すると、いろいろ見えてくる。人間の脳だけ特殊な訳は、「いろいろ考えて適応しろ」ということだ。脳に「知恵」「欲望」「理性」「人に褒められるとうれしい」「困ってる人を助ける心」などという装置を付けられて、地球に降り立ったのだ。700年前なら、周りは敵だらけだ。周りの猛獣に素手で立ち向かうには弱すぎる。「知恵」を使って、集団行動を取るようになり、道具を考案した。最初は猛獣から身を守り、食料を得る必要があった。人間は知恵を使ってどんどん進化した。そのうち、地球上のあらゆる生き物よりも強くなってしまい、周りに敵はいなくなった。そこで、体の進化は止まった。しかし、欲望は際限がなく、次第に争いの時代に突入するのだ。戦争で同種を殺し侵略する。大量破壊兵器まで作り、環境も破壊する。地球古来の生き物には迷惑きわまりない。これは果たして創造主が意図したところだったのか。

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アニキの進化論(3/5) ~人間は今が最終形~ [哲学]

 地球上の生き物の中で人間だけが強欲だ。他の生き物は全部謙虚なのだ。なわばり争いとかはあるが、これはすべてその生物が生きていくために必要だからで、エサを確保するために必要だからだ。それに対して人間はどうだ?侵略戦争は本当に必要なのか?そんなことしてるから、何年経っても地震ひとつ予測できないのだ。地球の自然に向き合わず、科学的に予測しようとするから、全くわからないのだ。他の地球上の生き物を見てみろ。大地と共に暮らしてるから、簡単に予測できるのだ。
 強欲は争いしか生まないだろう。それは歴史が証明している。
 人類の進化の過程を研究してきた学者達はエラいと思うが、その目的は未来の人間の進化を予想することではないかと思うのだ。しかし、未来を予想するとなると、コンピュータとか使って計算するものだから、人間が変な形になってしまうのだ。過去、サルから進化の過程を計算し、その延長で未来を見るからだ。しかしアニキは、それはありえないと思う。
 

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アニキの進化論(2/5) ~人間はどこから来たか?~ [哲学]

 何がいいたいのかというと、人間はサルから進化したものではなく、どこかよそからやってきたのはないかと、いうことだ。人間宇宙人説である。アニキはこの説を採る。
 つまり、宇宙からの飛来説だ。人間は宇宙からやってきたと考える方がはるかに理にかなってる。
 根拠を説明しよう。まず、地球に生存する生き物を見てくれ。その姿は、人間と大きく異なる。体毛がほとんどないから、服を着なければならない。本来、地球で発生した生き物であれば、裸のままでその環境に適しているはず。これが第1点。そして、人間は地球の自然現象を全く予知できない。他の動物のほとんどは、地震や天変地異を予知することができる。雨も予測できる。人間は全くそれをできない。この事実は、人間が地球古来の生き物ではないという裏付けだ。どうやってやってきたのかわからない。だがそのことは、ここでは大して重要ではない。そして、人間はだれかに意図的に作られた存在だということだ。どこかに人間を作った者がいる。そう、人間には創造主がいるのだ。創造主の手によって、地球へ送り込まれた。これはあくまで仮説だが、そう考えるとすべての現象が腑に落ちる。

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アニキの進化論(1/5) ~人間は別の生き物~ [哲学]

 人間はサルから進化してきたと説明されているが、果たしてそうだろうか。アニキはずっとそこに疑問を感じていた。元々、人間の祖先といわれるホモサピエンスは、その姿は確かにサルに近い。そのホモサピエンスが、本当に現代人まで進化したのであろうか?そのことは定説となっているが、アニキには実に信じ難いのだ。
 それは、骨格とか道具を使うとかいった目に見える判断材料の話ではない。アニキの疑問は、地球上の生物の中において、人間だけが他の動物と違いすぎるということが、何とも解せないのだ。そして、人間だけがなぜここまで進化したのかということだ。なぜ、人間に一番近いチンパンジーには、人間のような劇的な進化は起こらなかったのか。チンパンジーと人間は99%が同じ遺伝子だという。遺伝子上では1%の違いしかないのに、人間とは全然違う。森に住んでるし、ドングリなどの木の実を通貨として売買しているなんて聞いたことがない。チンパンジーも進化してもいいはずなのに、なぜ人間のみ進化したのかだ。ここに人間進化の大きな謎があり、進化論は間違ってるのではないかと、アニキは疑っているのだ。
 地球上には、魚類・は虫類・鳥類・ほ乳類など様々だ。人間はほ乳類に属すると決められているのだが、それはただ単に卵から生まれてなくて、母乳で育つということだけで分類されているのではないかと思う。しかし、人間はほ乳類の中において別格だ。霊長類などという言葉もあるが、サルもこの中に含まれるから、人間だけを別格とした分類はない。まあ、分類などはどうでもよい。重要なのは、「人間だけは別の生き物」だという点だ。

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「ミスDJリクエストパレード」を知ってるか! [ラジオ]

 ちょうどアニキが学生の頃、夜中の娯楽と言えば、ラジオだった。親から、テレビの時間を制限されていたから、早々に自分に部屋へ引き上げて、ラジオをひらすら聴いた。そして、その最高峰が、「ミスDJリクエストパレード」だろう。番組の名前から連想できる、美人満載って匂いがプンプンする。その通りだ。
 「ミスDJリクエストパレード」は文化放送の深夜ラジオ番組だ。ニッポン放送の「オールナイトニッポン」の対抗で、オールナイトニッポンより30分早く、0時半からスタートしていた。元々、アニキはオールナイトニッポン派で、午前1時から始まるのを楽しみに待つのだが、0時~1時の間の番組があまりしっくりくるものがなかった。そんな時に、たまたま0時半からやっていたミスDJリクエストパレードを30分だけ聴こうとするのだが、ナマの女子大生のDJは心地よく、そのまま1時過ぎても聴き続けてしまうのだ。まさに女子大生の魔力である。
 そうなのだ、ミスDJリクエストパレードとは、現役女子大生がDJを務めるという画期的な番組だ。オーディションで厳選された女子大生がDJを務めるのだが、その素人っぽさが非常によかった。まあ、番組の大半は曲であり、その合間にはリクエストハガキを読むという内容であったため、そんなに特殊な能力は要らなかったのだろう。
 「オールナイトフジ」やこの番組の力もあり、時代は「女子大生」というブランド時代に突入していた。当時は「女子大生」というだけで、神にも近い響きがあったのだ。世の中の順位は、「神⇒女子大生⇒一般ピープル」という形であった。原宿や渋谷などでは、女子大生が道の中央を歩き、一般人は端を歩いていた。あまりにも女子大生が輝いていて、一般の貧相な男では、目がつぶれてしまう。アニキは、遠くに女子大生らしき集団がいると、よく匂いをかぎに近づいたものだ。時代は女子高生には全く価値はなく、女子大生が時代の王道であった。
 アニキはその当時浪人生であったため、「大学=女子大生の群れ」と理解して、何としても大学へ入るのだ!と息巻いていた。
 そんな時代を象徴する番組がミスDJリクエストパレードであった。夜中の0:30~3:00であっため、受験勉強を理由に深夜まで起きていた。最初、月~金まで毎日聴いていたのだが、さすが毎日だと辛すぎて、予備校で居眠りしてしまうという事態となり、「これは、習慣を変えねば女子大生の群れに出会えなくなるぞ。」と、聴く日を削ることにした。
 果たして大学生になった暁には、現物のケツを追っかける日々となり、ラジオを聴かなくなってしまった。やはり現物にはかなわない。そして時代は女子高生ブームとなり、その後おニャン子クラブが台頭してくるのであった。

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「美人」好きの哲学(6/6) ~二面性論とその克服~ [哲学]

 では、どう対処すればよいのか。前回でも触れたが、「考え方」がそのカギを握る。アニキブログの読者はもう気づいてると思うが、プラスの思考だ。この場合のプラス思考は、前向きな考えという意味ではない。いつも言ってるが「感謝」だ。アニキ哲学はいつも感謝で終わると言われてしまうが、ここでも同じだ。創造主は「感謝」という万能薬を人間に与えている。実はこのクスリは何にでも効く。美人継続にもこのクスリが特効薬だ、というよりは、このクスリしか効かない。では具体的な「感謝」というクスリの使い方を説明しよう。
 美人に生まれた女性は、まず美人であることが自慢かもしれないが、そこはグッとこらえて、美人に生まれてきたことに常に感謝しろ。なによりもまず、親に感謝だな。タイなんかは、美人の子どもが生まれると大喜びするそうだ。大人になったら、一家の稼ぎ頭になるからな。アニキもタイではそのような方にかなりお世話になった。まあ、それは置いておいて。そして美人は何をしてても様になる。そこでも、そのことに感謝だ。これを続けると、何の美容を行わなくても美人が持続する。人生の途中では、自分より美人が出てきて嫉妬したり、ちやほやするくだらない男が出てきて傲りが出てしまったりと、美人ならではの人生のトラップが用意されている。そのトラップにはまらないように、次々にクリアしてゆくのだ。そうすると、いい歳の取り方をする。美人のまま死ねるのだ。

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「美人」好きの哲学(5/6) ~男の優しさと二面性論~ [哲学]

 では次に、女性を美人に仕立ててしまう男の心構えについてだ。男は、女を傷つけてはいけない。当たり前の話だな。じゃあ、どうすればこの信念を貫けるか。それは次のこれをやればいい。
 男にとって一番重要な理念は、「俺は美人が好きだ!美人にしか興味がない!」と常に言い続けることだ。女性に向かって常にそう言え。この意味はわかるか。女性は皆、自分は美人じゃないと卑下しているから、「美人ではない自分には興味がないな」と思う。それなのに、なぜ自分にいろいろお節介を焼くのだろうか?と不思議なはず。そして女性は次第に、この男は自分のことが好きなんだと思ってくる。すると、その女性は、「美人が好きだと言っていた男が、自分のことが好きだ」という。この意味は、「あなた=美人」ということを意味する。これを言われた女性は、「私なんか」と思うだろうが、そこで男は堂々と、「俺にとって君は美人だ」とさりげなく主張することだ。それ以外の言葉はいらない。だから、日頃から「俺は美人にしか興味ない」と言い続けることだ。「俺は面食いだ」でもいい。要は、女性を自然に喜ばせろということだ。これが男の女性に対する「優しさ」でもある。
 最後に「美人」について重要な話をしたい。「美人」についての「二面性論」だ。「創造主が人類に与えた力には、常に二面性がある」というアニキ哲学だ。二面性論とは、創造主の意図だ。なぜすべての人類に、「美人崇拝」の心を備え付けたのかということを考えなければならない。人間以外の生物には美人崇拝の概念は与えられてないのだから。さらに、美人と美人じゃないという差別意識を持たせ、美人に生まれてくることの意図とは何か?だ。この点を見つめて、創造主の目的を考えなければ、人生がうまくいかないのだ。

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「美人」好きの哲学(4/6) ~美人継続のカギ~ [哲学]

 話を戻そう。嫉妬やうらやみ、これはアニキ哲学「負のスパイラル」に通ずる。このことに早く自分で気づくことが重要だ。女性にとって「もてたい」というのはわかる。だからきれいになりたいという心理もわかる。しかし、いくら外見をきれいにしても、内面をきれいにしない限り、真のきれいさは現れないし持続もしない。メッキはすぐに剥げるのだ。心がきれいなら、歳を取ってもきれいさ続く。女性の本当の勝負は歳を取ってからだ。若い時にきれいな人はいくらでもいる。歳を取ってからが女性の本領だ。そしてそれは、これまでの生き方で決まる。歳を取ってからなら、芸能人級の超美人とも互角に張り合える。だから、若い時から心を磨けと言いたい。
 つまりこういうことだ。人間の創造主は、人生のあちこちに嫉妬させる罠を仕掛けている。そこで負のエネルギーを出させ、老化をあおる巧みな罠だ。これにひっかかった女性は皆、美人から遠ざかってしまう。実は、「自分は美人じゃない」と思う心は、自分で作った心だ。そのことに早く気づき、プラスエネルギーを循環させるように持って行かねば、さらに「負のスパイラル」に巻き込まれ、美人から遠ざかる。それは、創造主の罠であることに気づき、「そうはさせない」という強い気持ちを持つことが大事だ。
 嫉妬やうらやみ、自分への卑下が負のエネルギーなら、何がプラスのエネルギーか!アニキ哲学の読者はもう分かってるはずだ。そう、「考え方」だ。これについては、明日まとめて話そう。

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「美人」好きの哲学(3/6) ~美人の敵「老化」~ [哲学]

 その前に、まず言っておくことがある。女性の美人コンプレックスについてだ。美人に憧れるのはいい。だけどテレビの超美人と自分を比較して美人じゃないと卑屈になってはいけない。これは罠だ。神が仕掛けた罠なのだ。罠にだまされてはいけない。なぜテレビに出てるのか、なぜ雑誌に載ってるのかを考えればよい。希にしか存在しない珍獣だからだ。超美人とは珍獣だ。だから希少価値がある。美貌が商売道具だ。一般人には美貌は商売道具でない。超美人は大勢の男共からちやほやされるが、それが人生でどんな価値があるのか!超美人は、自分の周りには「超」だらけだ。だから、その「超」を保つことだけでなく、さらに磨きをかけることに命を懸けるが、そこにはものすぎプレッシャーがかかる。「超」がはがれてしまうとその途端に価値がなくなるという恐怖がある。だからお金をかけ、労力をかける。
 しかし、本当の強敵はライバルではない、自分の中にある。悔しいかな「老化」には勝てないのだ。そういう風に人間は作られている。その葛藤の中に、若い新たな超美人が現れる。若い超美人には、いくら年季の入った超美人でも太刀打ちできないのだ。人間の創造主は、なぜ人間の細胞のピークを20才ぐらいに設定したのだろうか。50才がピークでもいいはずだろう。そこには何かの意味があるのだ。創造主の意図を理解しなければならない。だから結局、そんな世界の美人に嫉妬しても意味はない。テレビの中でやらせておけばいいのだ。男なんて、超美人にはすぐ飽きるのだ。

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「美人」好きの哲学(2/6) ~「美人は顔」の真の意味~ [哲学]

 昨日は、美人とは「自分が美人と思った女性」で、好みもいろいろだという話だった。
 今日はまず、美人についての観念の話からいこう。美人というと、テレビや映画、もしくは雑誌をかざる女性達のような、だれが見ても美人と感じる女性が美人の定義のように考えられている。特に世の女性達の方がそう思ってる。男はみんな、雑誌に出てるような女性が好きなのだと。しかし、これは女性の勝ってな解釈で、現実は違う。あくまで女性が思う美人とは、男にとっては鑑賞用にすぎない。カテゴリーで言うと、「超美人」という美人の頂点だ。テレビに映る「超美人」も美人の集合体の中のひとつだ。しかし、男が求めてる美人ではない。男の美人好きとは、「手の届く美人」のことだ。男は、現実に触れない美人には興味はない。一時期は鑑賞用美人に浸る時期はあるかもしれないが、触れないからすぐ飽きる。美人と超美人とは全く別ものである。なので女性はそれほど気にする必要はない。その男の習性に目を付けた最近の芸能界は、AKB48やハロプロなど握手会なるものを用いて、「手が届く超美人」というマジックで、男を釣るのだ。そして男は、そのエサに飛びつく悲しい性だ。
 男達は、ただ自分の好みの女性を求めているだけで、「好みの女性=美人」という数式が成り立つ。美人とは、ただこれだけだ。ややこしいことはひとつもない。
 だから、女性は皆、男は美人ばかり気にすると嘆いているが、全く心配しなくてもいい。女性が気にする美人とは、男にとっては鑑賞用の超美人であり、架空の人であり、「観音様」に等しいのだ。女性が「花」をきれいだと感動するように、男は「女性」にのみ同じ「きれいだ!」という感情がわき起こる。きっぱり言おう、男は女性意外に「きれい」だと思って感動するものは、世の中に存在しないのだ。「きれい」の感動要素として最重要なのは「顔」である。男は女性の顔の美しさに以外に感動するものはない。男が言う美人とは、まずその美人顔だ。だから、女性に「化粧するな」と文句を言う男は存在しないし、女性のきれいな顔がいつも見たいのだ。そう言うとがっかりする女性もいるかもしれないが、気にすることはない。
 昨日も書いたが、男の美人好きとは手の届く場所にいる女性達の中で、自分の好みの顔の女性のことを指す。男の好みはほんとに様々なのと、コロコロとその好みも変わるのだ。

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「美人」好きの哲学(1/6) ~美人とは~ [哲学]

 昨日まで硬い話が続いたから、今日は少し柔らかい哲学でいこう。みんなが好きな美人の話だ。勉強になるぞ、よく聞いとけよ。
 ところでみんな、美人が好きだよな。これは揺るぎない事実である。そしてそれは、人間の創造主がそういう風に男を作ったのだ。これが真理だ。よく考えてみろ、好きな女性の好みについて、親から教育されたか?子どもの頃、美人の写真を何枚も見せられて、「このような女性を好きになりなさい」なんて、親から言われたことがあるか?そんな話は聞いた事がない。でも男は年頃になると、自分の好みの女性って、なぜかいるよな。これ、不思議だろう。好みもそれぞれだ。ロリな感じから、ツンデレに、お姉さん、熟女など、さまざまだな。ひどい奴になると、なんでもいいというのもいる。で、その好みの女性って、みんな美人なんだよ。美人とは魔法の言葉であり、神秘な響きがある。女性は「美人」と言われると悪い気はせず、恐縮する。男にはなぜか惹きつけられる言葉であり、街中で、「美人だ!」と叫べば、大概の人間は振り向くのだ。
 でも、その美人の定義はなんだ!美人って、ものすごくあいまいな言葉だな。だから、アニキが定義してやる。美人とは、「自分が美人だと思った女性だ!」これが定義だ。これ以外にない。一般的な基準などもない。今の世の中、これがわかってないから、もめるのだ。人によって、美人から想像するものはそれぞれに違う。
 まず女性達に訊こう。人の好みはなぜ様々なのだろうか?なぜ人間の創造主は、そのように男を作ったのだろうか?創造主は、わざと各人の好きな女性の好みを分けて生まれさせているのだ。そのことを考えれば、答えはおのずと出てくる。そうだ、自分を「美人」とみてくれる男が必ず存在するということだ。プラトンがいう、男と女が元はひとつの球体であったという考えはこういうことで、その片割れをお互いに探すのが人生だという。
 一人の女性がいるとしよう、その女性が存在するということは、必ずその女性を好みとする男が存在するということだ。人は嫌われるために存在するのではなく、好かれるために存在する。この定理から、どんな人間にも存在意義はあり、その意義とは、その人を必要としている人がこの世には必ずいるということだ。ただその人を探せばよいのだが、70億からの人間と会っていたのでは埒があかない。そう、だから引き寄せればよいのだ。引き寄せるにはどうしたらよいかは、アニキ哲学「脳の謎」を読んでくれ。

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サラリーマン最大の謎「評価」(4/4) ~常勝スクラム~ [哲学]

 では、心得をまとめよう。まず、サラリーマン評価だが、「評価とは期待値との差」と考えることが前提だ。その見方で上司の自分に対する期待値を測れ!といいたい。それと、ついでに上司からの嫌われ度も測れ。そして、良くても悪くても、その評価などあまり気にしないことだ。35年もあるサラリーマン生活は長い。マラソンのようなものだ。スタート直後の順位を気にする奴はいないだろう。それと同じだ。現に、評価を気にするなんて時期は、入社からせいぜい15年目ぐらいまでだ。サラリーマン人生はマラソンだ、ただひたすらに走りきればいいのだ。順位を気にしていると、途中で息が上がってしまう。順位を気にする奴は、自分から脱落してくれる。だから、自分のコンディションだけを考えながら走り、周りの景色などを楽しむのだ。
 そこで大事なことは、上司に嫌われないように努めるべきだ。でも、どうしても合わない上司がいて、その人に消えてもらいたいならば、自分を変えろ!そうだ、アニキ哲学「周りへの感謝」「人に与える」「みんなハッピーな絵を描く」の理念で黙々と目の前の仕事していると、合わない上司や同僚はいつのまにか消えてくれている。気がついたら周りには自分を評価する人間しかいないことに気づく。
 これを「常勝スクラム状態」と呼ぶ。この状態では、足を引っ張るような悪いことは起こらなくなるから不思議だ。この「常勝」とは、悪いことが起こらないから、毎日の仕事が楽になる。その常勝フォーメーションで周りががっちりと固められたスクラムを組んだ状態をこう呼ぶのだ。気のバリアに覆われている状態となる。この常勝スクラムは、意識して作るのではない。類が友を呼ぶから、自然とできる成功へ導くスクラムだ。これは、同じ「プラスのエネルギー」が引き合って自然と組んだ仲間のスクラムなのだ。だから早くこの、「常勝スクラム」を組まなければならない。そしてこのスクラムの中心でボールをコントロールするのは、まさに自分。常勝スクラムは負の連中には眩しすぎるオーラが出ているから、足を引っ張る奴は近づけない。評価など気にならないで進める道が目の前に現れるはずだ。ただ、その道をひたすら進めばよい。そのとき、評価を気にするマイナス連中は、居酒屋で会社や上司に対する愚痴で盛り上がっているはずだ。

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サラリーマンの謎「評価」(3/4) ~相性~ [哲学]

 人には必ず「好き嫌い」がある。「嫌いな人はいない」なんて坊さんのようなことを言う奴は会社にはいない。サラリーマンである以上、仕事上の評価すべては「上司の好き嫌い」で決まるのだ。ということは、上司も人間であり、悟ってもいないただのオヤジだから、そこでやってゆくなら、「好かれるしか道はない」と言いたい。
 「今、働いてる会社の上司と合わないのだけど、どうしたらいいか?」と悩んでいる人に言いたい。あまり心配しなくてもいいと。どうしても合わない上司がいたとする。運良く今働いているのが大企業の場合、救いはある。大企業の場合、異動という習慣が存在する。「反発の法則」により、合わない者同士の場合、最大3年我慢すればどちらかが異動だ。合わない者同士が同じ場所にいると、負のエネルギーが職場に溜まり、不幸の連鎖が起こるからだ。人間にはエネルギーを感じ取る力があるから、状態の改善には離れるしかない。大企業ではそれが自然に起こる。
 そして、自分が勤めるそこがオーナー企業であるなら、なおさら重要だ。悲しいかな、「オーナーに嫌われたら未来はない」のだ。仮にオーナーと仲が悪く、それが修復する見込みがないのであれば、早めにその会社を辞めた方がよい。いや、すぐ辞めるべきだ。オーナー企業でオーナーに嫌われては、全くいいことなしだ。また、オーナー社長という生き物は、コロコロと自分の考えを変える。そういうものだと思っておけ。しかし、好き嫌いは別だ。一度嫌われると、その気が変わることは絶対にないと付け加えておこう。オーナー社長の悪口を言うつもりはないが、変わったほ乳類だなと思って見た方がいい。人として見るとエラい目に遭う。この「オーナー社長という生き物の生態」については、現在ブログを準備中だ、近いうちに公開する。

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