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「美人」好きの哲学(2/6) ~「美人は顔」の真の意味~ [哲学]

 昨日は、美人とは「自分が美人と思った女性」で、好みもいろいろだという話だった。
 今日はまず、美人についての観念の話からいこう。美人というと、テレビや映画、もしくは雑誌をかざる女性達のような、だれが見ても美人と感じる女性が美人の定義のように考えられている。特に世の女性達の方がそう思ってる。男はみんな、雑誌に出てるような女性が好きなのだと。しかし、これは女性の勝ってな解釈で、現実は違う。あくまで女性が思う美人とは、男にとっては鑑賞用にすぎない。カテゴリーで言うと、「超美人」という美人の頂点だ。テレビに映る「超美人」も美人の集合体の中のひとつだ。しかし、男が求めてる美人ではない。男の美人好きとは、「手の届く美人」のことだ。男は、現実に触れない美人には興味はない。一時期は鑑賞用美人に浸る時期はあるかもしれないが、触れないからすぐ飽きる。美人と超美人とは全く別ものである。なので女性はそれほど気にする必要はない。その男の習性に目を付けた最近の芸能界は、AKB48やハロプロなど握手会なるものを用いて、「手が届く超美人」というマジックで、男を釣るのだ。そして男は、そのエサに飛びつく悲しい性だ。
 男達は、ただ自分の好みの女性を求めているだけで、「好みの女性=美人」という数式が成り立つ。美人とは、ただこれだけだ。ややこしいことはひとつもない。
 だから、女性は皆、男は美人ばかり気にすると嘆いているが、全く心配しなくてもいい。女性が気にする美人とは、男にとっては鑑賞用の超美人であり、架空の人であり、「観音様」に等しいのだ。女性が「花」をきれいだと感動するように、男は「女性」にのみ同じ「きれいだ!」という感情がわき起こる。きっぱり言おう、男は女性意外に「きれい」だと思って感動するものは、世の中に存在しないのだ。「きれい」の感動要素として最重要なのは「顔」である。男は女性の顔の美しさに以外に感動するものはない。男が言う美人とは、まずその美人顔だ。だから、女性に「化粧するな」と文句を言う男は存在しないし、女性のきれいな顔がいつも見たいのだ。そう言うとがっかりする女性もいるかもしれないが、気にすることはない。
 昨日も書いたが、男の美人好きとは手の届く場所にいる女性達の中で、自分の好みの顔の女性のことを指す。男の好みはほんとに様々なのと、コロコロとその好みも変わるのだ。
 だから、男が好きな美人若しくは好きな顔は、それは「先天的なものではなく、後天的に作られた美人」というのが、アニキ哲学だ。そして、男女ともに美人を追求することを生まれながらにインプットされてきたのが人類だ。男は「美人」を求め、女は「美人」になることを求める。創造主はたくみに「美人」追求を男女に課してきたのだ。そして重要なことは、「美人はあとから作られる」ってことだ。おっと、間違えないでほしいのは、整形美人の話をしてるのではないから、はき違えないように。
 美人とは、生まれながらに完成されたものではなく、生まれてから完成してゆくものだ。前述の通り、美人の要素として最重要なのは「顔」なのだが、最終的に美人と言わしめるのは、「スタイル」「性格」「考え方」などを含めた総合評価である。これらの付随要素のできにより、なぜか「顔」が変わってゆく。その男の好みの顔に変わってゆくのだ。そうだ、だから美人はなろうと思えばなれるのだ。これがどういう意味なのかを説明してゆこう。

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