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傑作「私をスキーに連れてって」に酔え!(4/4) ~時代の産物か~ [映画・ドラマ]

 この映画を見終わった後、自分が原田知世ばりの彼女を連れてスキーに行く。又は、ゲレンデで原田知世似の娘と出会うはずだと、本気で考えていたから、すぐにでも出掛けたくなったものだ。健さんの任侠映画を見た後に、映画館から出てくる男達はみな、肩をいからせて歩くのと同じだ。自分が三上博史になったつもりでいるのだ。都会のOL達と週末にスキーに出掛ける。その言葉だけで、なんだか、楽しそうだよな。そう、「OL」や「女子高生」という言葉には言霊が宿る。「ありがとう」という言葉だけに言霊が宿るわけではない。この映画の中に登場する「OL」「スキー」「ロッジ」という単語にも魂は宿る。その言葉を聴くと心がウキウキして、最高にモチベーションが上がるという「パブロフの犬」となる。映画の中にちりばめられた言霊キーワードを駆使した戦略的映画ともいえる。
 繰り返すが、当時はアニキも大学生から社会人になる頃だった。夏は海、冬はスキーという浮ついた人間であったことは否定しない。アニキだけではない、当時の若者の男達の行動は皆似ていた。だから、嗜好も似ていた。現在のように各人の嗜好が細かく分かれていなかった。音楽の好みもしかりで、サザンが流行りユーミンが流行ったのも、それを聴かないと田舎者扱いされたからだ。今の時代のように、好みが多岐にわたって分かれてしまい行動ひとつひとつに個性があるから、音楽がなかなか流行らないのだ。
 今の若者の方がよっぽど思慮深いと感じる。物事の本質をよく見ている。意味ない行動はあまり取らない。はちゃめちゃな奴が少ない。これにはイイ面と悪い面がある。公共の場において、周りに迷惑かけるような輩が少ないのは、嫌な気分にならないからいい。逆に、後先顧みずに行動する型破れタイプが少ない。浮ついたばかげた行動で失敗することを恐れてしまうのだろうが、そこが若者のよさでもある。下手に物事の損得や成功率などを真剣に考えるものだから、失敗する確率の高いことを敬遠してしまう。とりあえず、ダメ元でもいいからやってやろうという輩が少ない。要は、何でも緻密に考える分析型が主流のようだ。これではなかなか心のストレッチも難しいだろう。
 ばかげた行動が心の可動範囲を広げる。心が伸びたり縮んだりするから、心に幅ができるのだ。それにより、簡単にはへこまない強靱な心ができあがる。実は、若い頃のばかげた行動というのは、人生においてはムダではない。逆に、思慮深さに欠けて失敗した方が、人間に厚みができる。失敗は人生に華を添える。やはり、アニキ哲学通り、人生には一切ムダなものはないということだ。
 この映画はだだの娯楽映画と思ってみてもよいのだが、当時のばかげた若者の姿も学べる映画でもあるのだ。だからまあ、今、リメイクしても流行らんだろうな。


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傑作「私をスキーに連れてって」に酔え!(3/4) ~心のストレッチ~ [映画・ドラマ]

 その全編において、いろんな原田知世を見ることができる。周りのキャストは全員原田知世の引き立て役にすぎない。「美人は美人とつるまない」の鉄則通りだ。さすがに裸のシーンは出てこないが、そんなものを期待してはいけない。この映画にそんな卑猥なシーンは似つかわしくないからだ。原田知世は脱がしてはいけない女優で、そんなことは誰でも知っている常識だった。彼女は厚着でいいのだ。薄着が似合う美人は多いが、厚着が似合う美人は本当に少ない。「いいから服を着てろ」と言いたくなる女性、そこが彼女の最大の魅力だ。そんな原田知世をじっくりと堪能してほしいものだ。大げさかもしれないが、歩く芸術である。芸術といえば、そのバックに流れるユーミンの音楽もこの映画の価値を格段に上げた。
 当時の若者にとって、サザンとユーミンは音楽の象徴だった。時代は、レコードからCDに変わり、カラオケが世の中に出始めた頃だ。若者なら誰しも、サザンとユーミンの歌を気軽に口ずさむことができた時代だ。カーオーディオにはサザンとユーミンのカセットテープがないと、女性から見向きもされなかった。なぜか、夏はサザンで冬はユーミンだった。夏は、浮き足だって海へナンパしに行く男達の心を捉え、仲間と車でサザンを聴いて士気を高めたものだ。
 そんな浮ついた夏に捕まえた彼女は、本物ではなかった。「夏に絶対彼女を作る!」という目標を掲げ、かわいい彼女をゲットすべく燃える。うまくゲットする奴もいるが、夏も終わりに近づいても彼女ができず、焦りまくったあげくに残り物に手を出してしまう奴も多かった。そういうことを皆、経験してきた。いろいろあっていいのだ。楽しいひとときを過ごしたという充実感がある。冬には、夏につきあった相手とは、クリスマスを過ごす前に必ず別れてしまっている。クリスマスは大概一人である。ヤローでつるんで飲むのが定番なのだ。そして、家に帰ってひとりになると、別れてしまった彼女を思い出し、しんみりとユーミンを聴いたのだ。まるで心のストレッチだな。そして、それが毎年輪廻の如く繰り返された時代だ。絶頂期とどん底期でとにかく心が忙しい。心が伸びたり縮んだりさせられる。
 アニキ哲学でもよく話すが、実は心もストレッチが必要だ。ストレッチで心を伸ばしておかないと、心が簡単に折れたり切れたりする。逆切れとは、まさに心が切れる状態で、心の柔軟性が足りない奴に起こる現象だ。当時の若者は、遊びを通して無意識に心をストレッチしていたから、自然と心の可動範囲を広がっていった。だから、アニキ世代の男は、簡単に心が折れない。カラダは固くても心は柔らかいから、結構心がタフな奴が多い。彼らの根底には、「命までは取られない」という信念があったから、仕事でもナンパでもゴリゴリいけた。心もカラダと同じように柔軟性が必要なのだ。カラダのストレッチの重要性はよく言われており、本屋いけばよく目につくし、雑誌ターザンなんかでは重要なテーマにしている。なのになぜか、心のストレッチを教えてくれるところはない。心とカラダ、どっちも大事で似た性質なのに、おかしいよな。
 おっと、心のストレッチの話は長くなるから、別の機会にしよう。


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傑作「私をスキーに連れてって」に酔え!(2/4) ~最高の美女、 原田知世~ [映画・ドラマ]

 つかみの凄さがこの映画のよさだ。スキーなどやったことがない奴でさえ、行ってみたい気にさせる。当時のアニキは、哲学などとは無縁のミーハー野郎だったから、大学入学と同時にスキーを始めた。それは、バイブルであるホットドッグプレスやポパイなどでも、「スキーをしない奴は人にあらず」という勢いがあったからだ。そんなご時世だったからこそ、この映画も若者に崇められたのだった。
 で、次にこの映画のよさだが、それはロッジだ。ロッジに泊まるというシーンは何度も登場する。当時、ロッジに泊まるというのは、スキーヤーの憧れであった。格安スキーツアーを利用していた極貧学生は、混み混みした不衛生なスキー宿に泊まっていた。トイレはくみ取り式で、風呂は男女が時間を決めて交代で入る。布団は湿っており、部屋はどこからか隙間風が入ってくる。メシは冷たい揚げ物と乾いた野沢菜だ。ご飯だけはおかわり自由がよかったが、たまに芯があったりした。しかたない、普段メシなど作らない学生バイトが作るからだ。とりあえずお腹を満腹にすると、部屋に戻って乾き物で宴会だ。そんなスキーしかしたことがないアニキ達にとって、ロッジという言葉は黄金の響きがあった。映画の中に出てくるセレブな雰囲気を味わうことができる貸し切りロッジに陶酔した。「こんな環境でギャルとスキーに行きたい」という一般ピープルの欲望が、すべてここに集約していた。安宿では得られないアフタースキーも理想形であった。この映画には、当時の若者の想いがすべて詰まっていた。
 ストーリーは何の変哲もないアメリカン映画のような恋愛サクセス物だ。結果は最初からわかっている。じゃあ、この映画の何がいいのか?何と言っても、ヒロインの「原田知世」だ。この映画のよさは原田知世、これに尽きるといってもよい。この映画が好きな人は、まず間違いなく原田知世好きであると断言しよう。原田知世の魅力満載の映画だ。原田知世は地味なキャラクターなのだが、アニキの美人分類ではストライクゾーンのど真ん中だ。外角高めとか内角低め系のギリギリ美人ではない。当時、これほどのど真ん中美人はそういなかった。ぱっと見、かわいい系のアイドルは多い時代だったのだが、トータルバランスに優れた美人はいなかった。アニキの好みは小動物系で清楚な感じだ。性格も控え目がいい。最近は、男を引きずり回していじり倒す美人なんかが世にはびこるが、そんな色物系美人など言語道断である。映画の中での原田知世は、とにかく何をやってもかわいいのだ。愛くるしさ満載なのだ。この原田知世が愛くるしくてしかたないという感覚は、同性である女性にはわかるまい。という意味においては、女性はあまりこの映画を評価しないかもしれない。原田知世を愛でる感覚は、男だけが持ちうる。そして男だけがそれを楽しめる。で、月並みな話だが、原田知世が自分の彼女になったと錯覚させる。


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傑作「私をスキーに連れてって」に酔え!(1/4) ~つかみの凄さ~ [映画・ドラマ]

 毎年冬になる前に必ず見る映画がある。アニキのバイブルでもある映画だ。この映画こそが、過ぎ去りし日の自分の心に戻れるスイッチだ。そんなスイッチは誰しも持っているはずだが、過去にいい想い出のない人にはこの感覚はないかもしれないが、このスイッチを見つけるために、人生の棚卸しをしてみるのもいい。面白い事実が見つかるかもしれないからだ。おっと、今日は哲学の話は抜きだ。過ぎ去りし日の郷愁というか、想い出というか。
 余談だが、アニキはくだらないものが大好きだ。くだらないとは、それに価値を見いださない人の批判なのだが、そんなことは世の中にいくらでもあるのだから、人の意見など気にしなければよい。まずは、くだらなさの中に自分なりの意味を見つけて、楽しみを見いだすのがこだわりだ。それがアニキの趣味哲学である。だからこの映画も、くだらないと思う人にはあまり価値はない。この映画がサイコーだと言う人と分かち合えばよい。この映画、まさに芸術であると言っても過言ではない。では、アニキが芸術であると確信するシーンを紹介してゆこう。これらがあるから何度でも見てしまう。
 まず、スキーに行こうとする主人公が、タイヤをスタッドレスに交換するシーンから始まるのだが、ここでグッと映画に引き寄せられる。かなりのつかみである。ワクワク感を重要視したつかみであり、当時の若者の心をわしづかみにしている。家の場所は、世田谷区当たりの住宅地だろう。若いくせに屋根付きガレージを持っているという贅沢な身分だ。親父が金持ちなんだろうということで、視聴者は許したのではないかと思う。サラリーマンの現実がよくわかってなかったあの頃、その程度は努力すれば手の届く範囲であると考えていたから許せたのだと思う。アニキ世代は、車やバイク、オーディオなどのメカニカルなものが大好きで、ガレージとは当時、その趣味の最高峰に位置する憧れだった。今でいう羨望の「ガレージライフ」である。そこで、ひとり黙々と出発の準備をする姿に、自分をラップさせたのだ。そして爆音と共に出発するのだが、ガレージのシャッターもリモコン操作により、電動で閉まる。20代のサラリーマンの生活ではない!その憧れに陶酔した。だがここで、車をトヨタのFF車としているところに、少し庶民的な部分を残しているのだろう。車がアウディクアトロやベンツのゲレンデファーレンだったら、この映画は流行らなかっただろう。ここでのキーワードは「手が届く憧れ」だ。憧れは手の届く範囲でなければならない。という意味では、主役の三上博史も手が届く男として映っていた。今のご時世でいうところのイケメンではない。イケメンを起用していたら、間違いなくダメだったであろう。ブ男じゃ原田知世と釣り合わないから全く話にならないが、三上はまあそこそこという感じで許されるイイ男系だ。そして極めつけは、出発した直後から流れるユーミンの歌のタイミングが絶妙さだ。つかみとはこうあってほしいという典型である。
 このつかみを超える映画を、アニキはまだ見たことがない。


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「LUCYルーシー」という映画をどう見るか?(後編) [映画・ドラマ]

 このルーシーという映画、何を伝えたかったのだろうか?脳を100%活用できたらどうなるのか?ということか。その疑問は、子どもの頃からアニキにもあった。15%も使えると超能力が使えるようになるという話も、いろんな本にも書かれていた。それが本当ならすごいなと思っていたから、子ども頃に超能力開発の本を買ってきて、よく練習してみたものだ。同じように、脳の機能に憧れた人が映画化したのだと思うが、もしかしたら、どこかの国で、もう脳を2~30%ぐらい使える人間を人工的に作り出してしまったのかもしれない。それは、人道的に良しとされない方法で作り出されたために、おおっぴらにはできないのかもしれない。それが本当だとしたら、この映画は真実を伝えている可能性もある。
 人間の壁を越えた人間だ。人工的にそれが可能であるなら、アニキ哲学の修正が必要となってくる。アニキ哲学の観点から考えると、人間の創造主は「人間の脳は10%で良し」としてこの世に誕生させた。これが、人間の進化により手を加えることができるなら、人間の脳を10%で作った意図がまたわからなくなってくるからだ。創造主は最初から、「脳の残り90%は人間が自分達で開発しろ」という含みを残していることになるからだ。
 映画は真実の予言である。サプライズ的なことを世の中に出そうとする場合、いきなりだとパニックになるから、映画という手段を使って評判を見る。この考えからすると、しばらくすると、「脳の15%使える人間が出現」という、そんなニュースが流れてくるかもしれない。で、それが創造主の望んでいたことかどうかがわかるのは、その後の人間の使い方次第であろう。神の導きか悪魔の罠かは、おのずとわかる。戦争や営利目的で使われてしまい、世の中が乱れるとするなら、それは悪魔の罠ということである。創造主は、天災を引き起こして、人類の歴史が幕引きとなる。人類を滅ぼして、最初からやり直しだ。つまり、脳を10%以上使うということに対して、人間の創造主は賛成ではなかったということになる。但し、もし人間の心がもっと成長していて、みんなハッピーになる使い方をしていたのなら、それは創造主が望むところかもしれない。
 結局は、物質の進化だけなく、人間の心も一緒に進化していたかどうかということだ。現在の人間の進化は物質的な進化だけであり、心はまだまだ進化していない。ならば、脳を10%以上に進化させることは、悪魔の所業と言わざるを得ない。裏社会での利用が手に取るように予想できてしまうからだ。いくら物質的に進化しても、それを使う側の心が未熟であったなら、使いこなすことはできない。幼児に拳銃を与えるようなものだろう。進化とは心のあり方だ。心がすべてにおいて重要なのだ。原発にしても何にしても、ここがわかってないから、人間は愚かな歴史を繰り返すのだ。
 そんなことを考えてしまった「LUCYルーシー」という映画であった。

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「LUCYルーシー」という映画をどう見るか?(前編) [映画・ドラマ]

 先週、ルーシーという映画を見に行った。この映画、SFアクション映画かと思いきや、まったくの別物。人間の脳の謎に迫った映画だ。脳の謎を解明しようとしているアニキには、とても興味深いテーマだ。アニキ哲学は、「スピリチュアルと哲学の融合」だ。証明されていない現象を、人間の考え方の歴史である哲学を使って解釈する。わからないことは、過去を使って仮説を立てるわけだ。で、仮説に矛盾がなく、自分の腑に落ちれば、それは信じることにする。あまりにも哲学的なテーマを扱っているために、気楽に楽しもうと考えていたのだが、気楽には楽しめず、いちいち考えを巡らしながら、難しい視点で見てしまった。おかげで、美人のヒロインを楽しむことができなかった。
 通常、人間の脳は10%しか使ってないという。アニキもここに興味があり、自分なりの仮説を立てている。過去ブログ「脳の謎」でも話している。アニキは、10%の現実を受け入れて、なぜそうなっているのか?にスポットを当てているが、この映画は100%になった場合の仮説を題材としている点が興味深い。人間が脳を100%使った場合にどうなるか?という仮説を立てている。万能人間になるというのが結論で、しかも自分も破壊されてなくなるという哲学的な仮説を残している。この仮説を理解するのには、何度も見る必要がある。まだ、1回しか見てないので何とも言えないが、スピードを上げてゆくと、物は見えなくなるという概念。そこで、物を定義付けるのは「時」という。一瞬の時間の断片が、そこに物があるという裏付けになるということだ。とても哲学的で、引き込まれるテーマを残している映画だ。
 こんな哲学的なテーマを残したSFアクション映画といえば、「マトリックス」を思い出す。よく似ているのだ。マトリックスは現実と夢との定義付けだ。どっちが現実で、どっちが夢だかわからなくなる。ルーシーとマトリックスの哲学の中で、共通点はコンピュータだ。最終的に、いつもコンピュータがそのカギを握っている。科学の象徴でもあるようなコンピュータだが、どうもアニキは嫌いだ。アナログ人間ってものあるんだろうが、脳の謎や現実の謎の行き着くところはコンピュータであってはならないと思ってる。確かに、コンピュータでほとんどのことを計算で導き出せる世の中ではあるが、未だに生き物一つ作り出せない現実から考えると、どうもそうではないような気がする。
 外国映画でSF哲学にぶつかると、必ず登場するのがコンピュータである。そこで行き詰まった結論のお茶を濁す感は否めない。過去の映画でも、哲学的な壁に当たった映画は多い。古くは2001年宇宙の旅から始まり、ターミネーターもそうだ。物語の行く着くところはすべてコンピュータである。映画自体がコンピュータの賜物であるから、コンピュータ崇拝観念があるのかもしれないが、コンピュータに行き着かない仮説をアニキは期待したい。

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「どっこい大作」を知ってるか。 [映画・ドラマ]

 アニキが小学校3年生頃に放映された根性者のドラマだ。この年代の人間ならだれでも知っている人気ドラマだった。ちょうどアニキの家にカラーテレビが登場した、うれしい時期の番組だった。このドラマ、とにかくすごい。主人公の青年「大作」は、田舎から出てきた若者で、学歴なし、特技なし、小太りで根性だけが取り柄だった。とりあえず仕事をするのだが、下積みから地道に努力して、日本一を目指す。確か仕事は3箇所を舞台とし、「ラーメン屋⇒そうじ屋⇒パン屋」の順にその店を日本一にしてゆくのだ。そのそれぞれの店で最初、とにかく鍛えられる。挫折と小さな成功を繰り返しながらガンバルのだ。アニキは子どもの頃、「世の中は何て厳しいのだ。」とか、「この若者は何でこんなにすごいのだ。」と、興奮しながら見たものだ。
 印象的なのは、まず毎回の主題歌の場面だ。汽笛を鳴らし、ものすごい黒煙をまき散らして爆走するSL(機関車)の横で、「どっこい、どっこい」と裸でつっぱりするシーンが毎回出てくるのだが、これが息をのむ。SLって演出がすばらしい。がんばって走ってる感じがするからな。これは激しいツカミである。このつかみにより、視聴者はすでに大作の世界へ引きずり込まれる。
 そしてもう一つ印象に残ったシーンは、パン屋での修行のシーンだった。いきなり親方が大作の一生懸命に作ったフランスパンを取りあげて、「おまえのパンなんかこの程度の価値しかない。」みたいなセリフで、パン粉にしていたのが印象的だった。
 とにかく毎回すごいのだ。大作はそのたびに奮起し、改良を重ねる。ここには一途な努力と工夫だ。当時はこのような時代であったと思うが、今でも必要なことは山ほどある。こんなのは時代遅れだとか、努力なんてくだらないとか言う若者が多いが、時代なんて関係ない。努力をおこたった怠け者の末路はいつの時代も同じではないか。じゃ、君たちは何をするのだ、一体?自分に合う仕事が見つからないとか、興味のある事が見つからないとか、天職に巡り会えてないから燃えないのだとか、考えてるんじゃないか。
 言っておくが、天職なんて存在しない。大人は皆知っている。今、目の前の事を一生懸命できない奴の前に、天職など現れない。天職は探すものではない。なくした物を見つける時と同じだ。探している時は見つからないものだ。天職とは、死ぬ時に自分のやってきた事、それが天職であったと気がつくだけだ。
 話を戻すと、この「どっこい大作」から学べることは、仕事への姿勢だ。目前の事をとくかく一途に取り組む。そこには結果を意識し、くふうする。努力する奴は多いが、特にこの大作のすごいのは「考え、工夫する」ことを怠らないのだ。ここが学ぶべきポイントである。ぜひ見てほしいが、どうなんだろう、このDVDは出てるのかな?再放送はしないのか?アニキも状況はよくわからないが、機会を得たら逃さず見てくれ。
 仕事で楽することは実は悪くない。楽することは大事なことなのだ。しかし、気をつけなければならないのは、自分だけ楽するのではなく、みんなが楽できることを考えなければならない。自分だけ楽することを考えるから、非難されるのだ。みんなが楽できれば合理化だ。これが仕事の極意である。大作から学べることではないが、重要なので付け加えておく。

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「24(トゥエンティーフォー)」の魔法の言葉 [映画・ドラマ]

 アニキは以前「24」にはまった。シリーズ物で、「シーズン8」まであるアメリカのドラマだ。日本でも話題になったと思われるが、その「24」が流行った当時、アニキは中国に駐在していた。会社の命だから、サラリーマンのアニキは表向きには喜んで行ったよ。中国では単身赴任のため週末がひまで、ニセモノDVDを買ってきては、徹底的に見倒した。中国の良いところは、安いニセDVDがあることだ。しかも、シリーズ物はBOXで売っており、いきなり全ストーリーを通しで見れることができるのだ。映画・ドラマ好きにはすばらしい国である。
 で、この「24」だが、どっぷりはまった。ボックスで買ったのだが、ゾンビのように飯も食わずに見たね。それぐらいストーリーが面白い。だが、ストーリーが面白いドラマは世の中いくらでもある。それだけならアニキは薦めない。この「24」からも学べるものがあるのだ。何が学べるのか。実際、学べるところは少ないが、人生で重要な男の価値観を学ことができる。
 それは、「大丈夫、よくやった。」というセリフだ。このセリフは、「24」の中によく登場する。主役のジャックバウワーがよく口にするのだ。このセリフが出る時は必ず、むちゃな仕事をして瀕死の状態になった仲間に対し、ジャックバウワーがそいつを抱きかかえながら、このねぎらいの言葉を言う。そのねぎらいの言葉を聞いた後、そいつは死ぬか意識を失う。そんな感じだの場面だ。
 じゃ、この言葉に何の価値があるのだろうか。もてる男はもうわかってるはずだ。実はこの言葉、男が女性に対して使う魔法の言葉なのだ。この言葉を言われた女性は、まずその男に惚れてしまうのだ。その男の外見がどんなにブサイクでも、その女性には男前に見えてしまうのだ。そして、この言葉を使う場面は、日常生活の中には死ぬほどある。
 その前に、なぜこの言葉が女性に対して惚れさせる魔法の言葉なのかを解説しよう。女性という生き物は現実的で常に余裕がない。だから、男の魅力の一つに「余裕」というのがあるのだが、女性はいつもあれこれ現実的なことを考えたり悩んだりしていて、その頭の中は常に満杯状態だ。だから、いきなり想定してないことが起こるとすぐ焦るのだ。そして女性はいつも、「どうしよう」と口走る。これが口癖の女性は多い。そこに男の余裕が登場だ。笑顔で「大丈夫、よくやった。」を出す。女性って生き物は、自分を優先して助けてくれる男に惚れるものなのだ。男は、何の根拠もないのだが、笑顔で「大丈夫、なんとかなる。気にするな。」とか、「大丈夫、君はよくやった。後は俺に任せろ。」を連発して、一緒に問題をひもといてあげればよい。大概の問題は、女性がパニックを起こしているだけで、実はたわいもないことが多いから、横で冷静でにこやかにしてる男には簡単にアドバイスができるはず。無言で率先して行動してあげればなおいい。笑顔で「大丈夫」と余裕を持って口にする男に、徐々に頼りがいを感じてくる。この言葉にはそんな魔法が隠されている。間違っても、女性と一緒になって慌てちゃダメだ。男は常に笑顔で余裕を持って、何でも「大したことない。」だ。あと気をつけることは、問題が解決したあとに女性をなじったらダメだぞ。一気に男の価値をマイナス側に持って行ってしまうから、気をつけるように。笑顔を添えて「よかったね。」の一言だけだ。
 「24」で学べることはこれぐらいなのだが、さすが精神論の国アメリカである。ドラマの中にさりげなくこのような魔法の言葉をちりばめている。皆も探してみるといい。必要な言葉があるかもしれない。
 さあ、若者よ。この魔法の言葉を使って、意中の女をGETしよう。これで今夜は帰れそうにないな!

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「オブリビオン」からも学べる! [映画・ドラマ]

 「オブリビオン」とは、トムクルーズのSF映画である。アニキは監督が誰だとか、脚本が誰だとかはあまり興味ない。有名な俳優か、美人が出てるか、SFか、アクションかが、最初の選定基準だ。で、トムクルーズでSFだからは、見てみることにした。この映画のストーリーのおもしろさは、鑑賞者のパラダイムシフトが起こることだろうと思う。舞台は未来の地球だ。異星人との戦争で破壊された地球という設定だ。ストーリー展開は各人で見てくれ。この映画、娯楽として見るならよいが、人生の役に立つのかという視点で見た場合、あまり役に立たない。
 しかし、ひとつだけ見どころがあるのだ。それは、プロポーズの仕方だ。さすがアメリカ映画である。SF映画なのだが、プロポーズシーンはレトロタッチで一流だ。日本人はプロポーズなんてと軽く考えるが、グローバル視点では決して軽んじてはいけない儀式なのだ。女性は人生の一つのイベントであると憧れてるから、それはサプライズでなくてはならない。外人との結婚を考えてるなら、なおさら、絶対はずせない儀式であろう。
実はアニキには過去に苦い過ちを犯している。こともあろうに、プロポーズを軽んじてしまったのだ。軽んじてしまったというよりは、プロポーズ自体に全く意識は向いてなかったと言った方がいいだろう。実はプロポーズを軽んじると、結婚してから以降ずっとそのことを言われるのである。最初は笑って聞き流しているが、何度も言われるため、指摘される度にその罪悪感は募ってゆき、ついにはトラウマとなる。夫婦げんかの時も、これが相手の武器となる。もしかしたら一生言われるのではないかと思うと、ひどい仕打ちである。一事が万事とはまさにこのことだ。同じことを実感されたご同輩も多いはず。
 だから、プロポーズを工夫するのは重要で、その演出は思いっきりくさくていいのだ。すべっても想い出に残るから、気にしないでいい。お笑い芸人が美女と結婚できるのも、ここぞという人生の場面で思いっきりくさい演出ができるからではないかと思う。
 アニキは人生の先輩として忠告する。独身諸君よ、プロポーズを軽んじるな!と。そして早くから自分のスタイルを考案すべきだと。この映画ではそのサプライズが学べる。照れくさいとか、恥ずかしいとか思うが、気にするな。ここを誤ると、人生の歯車が狂う。そして、相手に武器を与えるな。
で、肝心のプロポーズシーンだが、トムクルーズがビルの屋上の望遠鏡を彼女に覗かせて、「ここから未来が見える。」という。半信半疑で望遠鏡を覗いた彼女がぼやけた物体をそこに見るのだが、それはトムクルーズが手に持っていたエンゲージリングだった。SF映画らしからぬシーンだろ。外国映画には、他にもプロポーズシーンがすばらしい映画はたくさんあるが、アニキはこの映画のプロポーズシーンが特に気に入ってる。しかし、こんなものを今またカミさんに見せようものなら、また過去のことを言われてしまう。だから、プロポーズで失敗した経験がおありのご同輩は、奥さんとは見ないことを忠告しておく。
 ということだ。求婚間近の諸君はぜひ参考にしてほしい。このシーンを真似しても一興。自分で考えた方がなおよろしい。すべってもいいから、思いっきり演出しろ。アニキも、もう一度チャンスがあれば、思いっきりくさい演出でプロポーズするのだが、それは来生までに研究しておくか。

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「離婚弁護士Ⅱ」を見て、生き方を学べ! [映画・ドラマ]

 「離婚弁護士Ⅱ」は、街の弁護士の心温まる奮闘記の続編だ。このドラマは前作からとても好きだった。「離婚弁護士Ⅰ」よりも数段レベルアップしている。主題は、「信念を貫く、あきらめない、ひるまない、徹底的な努力。」と、アニキはこのてのテーマのドラマや漫画が大好きだ。だからこのドラマはアニキのど真ん中である。
 人間関係が希薄で、多少妥協してもそこそこの生き方はできてしまうぬるま湯ニッポン。そんな世の中にこのようなテーマのドラマは重要である。テレビ局はさすが優秀な人が揃ってるんだなと感心する。キャストも最高だ。特に天海佑希にとってこんなはまり役はない。前作では超人的な個性と頭の良さを発揮していたが、今作では恋愛という人間っぽい部分もアピールしていた。天海祐希の超人的な頭脳も爽快ではあるが、その超人的な行動力もすばらしい。それぞれの場面で、「おい君たち、人の批判ばかりしてないか、すぐに行動を起こしてるか。」と、自分の人生に問いかけられること数多し。
 ドラマだからと斜めに見ているようでは、人生は何からもヒントは得られないとアニキは言い切る。「何もしなければ何も変わらない。」それが真理であろう。漫画でもアニメでもドラマでも、あらゆるものが先生である。そこから何かを盗め。まずはここが理解できないとつらい。自分の周りには人生のヒントだらけだ。アニキは言う、「人生は鼻毛を抜くようなもの」。意味はわかるね、「思いっきり抜かないと、ただ痛いだけの結果となる。」ということ。後悔しないために全力を尽くす。このドラマはそんなことも教えてくれる。天海のこの姿勢がかっこいいのだ。
 弁護士はエリートで、俺たち一般ピープルとは縁がないなんて思う奴は、そのままくだらない人生を送れ。いいか、「将来何になりたいかではなく、どんな人間になりたいか。」だ。ただ弁護士という形を取ってるだけで、そこで伝えたいことは別だ。ドラマを見て弁護士に憧れるのではなく、登場人物が何を考え何をしているのか、なぜそうするのか。を読み取ることだ。
熱くなってしまったが、このドラマ、熱い法律上の戦いの中に細かい心の動きがすばらしい。ケリーノーブルの曲が流れるシーンは涙ものである。アニキは、第4話「夫の土下座」や第7話「絶対別れない女」では号泣してしまった。「夫の土下座」の中で、「頭を下げて闘ってるのよ。」という天海のセリフにしびれたね。また、「絶対別れない女」では、死に直面したダンナの横で妻が、「生きなさい、それがあなたの義務よ。」というセリフ。その場面を見てない人にはイメージわかないと思う。だからぜひ見て欲しい。
人生にやる気を失った人はぜひこれを見てくれ。また、人生やる気出したいなら、アニメのワンピースも見てみろ!いいぞ、ヒントはどこにでもある。

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「真夏の方程式」で、人の心を学べ! [映画・ドラマ]

 ガリレオは、うちのかみさんが福山好きという理由で見始めたのがキッカケだ。天才的な頭脳で、謎を解明し事件を解決してゆく展開が毎度で、福山の頭の良さを前面に押し出したドラマという設定だった。しかし、この作品は違う。犯罪に関係した人間の心の物語である。いつものガリレオドラマのような事件解決の痛快感やすっきり感はない。ストーリーはかなり重たい。見終わった後には自分の中の道徳観と闘うことになる。
 そうなのだ、犯罪者側に大きな事情があり、その人達の心の温かさが身にしみるのだ。犯罪者の正義が理解できすぎてしまい、犯罪という法律違反と正義を掲げる警察とぶつかる。正義は立場によって変わるものだ。ガリレオも謎を解くのだが、本当に解いてよかったのかという結果になり、我々も考えさせられてしまうのだ。
 俺は、ホスピスのベッドでのシーンと前田吟の取り調べシーンでは号泣してしまった。いいか、この映画から学べるものは親の心の暖かさだ。大切にする者の心だ。親子関係が希薄になっている日本人に、すごく重要なことを教えてくれる。いいか若者よ良く聞け、これ見たなら親の心を学べよ。そして、子どもがいる奴は、子に対する親の心を学べよ。次のシーンが出てきて心に刺さるぞ。そう、「恋愛関係の上をいく人間の心とは、親が子を想う心」だ。これが愛の中でも人間の最上級の心だと思う。みごとに心洗われた。まさにこれは親子愛の映画である。
 ならばまだ間に合う、これ見た後はみんな、親を大切にしろよ。自分が勝手に大きくなったなんて思ったら大間違いだ。
今日の格言:「正義は立場よって異なる」
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