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女性は何を求めるのか?(3/6) ~男の最重要機能とは~ [哲学]

 まず、男は女の派生種である。ホモサピエンスの時だ。原始時代の更に昔の話だ。女が子どもを生むことになった時、男はその女と生まれた子どもを守るという存在が必要であった。周りは猛獣だらけだし、動けない身重の女と子どものエサを与える下僕が必要だった。その為に創造主は、女の異種として男を誕生させた。染色体を少しいじることで、ボディガードのような屈強な異種ができる。しかし、そんな屈強な男という異種を野放しにしておくのは、あまりに厄介だ。
 大概の動物は群れると順位を付けたがる。これは本能で、群れは統制されていなければ群れの価値はない。ただの烏合の衆だ。天敵に対抗できないから、その種が生き抜くために群れで戦うことを本能として持っている。人間の男は、屈強なカラダと野蛮な性格だけでは猛獣と同じだ。さらに、大きな考える脳をも持つ無敵の猛獣だ。そんな危なっかしい動物を野放しにしておけば、女や子どもを守るという目的すらどうなるかわからない。そこでだ、男が身勝手に暴走しないように、女や子どもを守るという使命の他にもう一つの機能が与えられた。それは、「常に女を求めること」だった。「男は女を求める」これは男の原始機能のひとつだ。この機能がなければ、人類の歴史は原始時代で終わってしまっただろう。
 つまり、女に興味がなければ、守り切ることはできない。なぜなら、注意に不足が生じるからである。常に好きな女を意識するからこそ、そこに抜け目がなく、完璧に守り切ることができるのだ。一瞬の隙を突いてくる猛獣に対して守り抜くにはそれしかない。この「女を求める」原始機能こそが男にとって最も重要な機能であったのだ。
 ここではき違えちゃいけないのは、性欲の対象としてだけはないことだ。性欲の対象だけではそれは本能であり、他の動物と変わらない。人間の原紙機能としての「女を求める行動」は、癒やしや母性などの特別な感情だ。
 女好きであることは、男としての最重要要素であり、当然その好きな女を独り占めしたいという欲求にかられる。これは当たり前だ。人間はシャケじゃない。手当たり次第に精子をかける生き物とは違うのだ。自分の意中の女に、不特定多数の男と自分が等しく扱われるのは嫌なのだ。好きな女にとって、自分は特別な存在でなければ気が済まない。だから、男は好きな女の気を引く必要があり、その女が何を求めるのかが気になるは当然のことなのだ。そのことが、若い男の日常の優先事項の一番に来るのは当たり前の話なのだ。

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女性は何を求めるのか?(2/6) ~人間の起源まで遡れ~ [哲学]

  前置きはこのくらいにして本題に入っていこう。気になる美人をGETするために一番必要な心構えは何か?ナンパが得意な人や、狙った女性は必ずモノにするという自信家も聞いてほしい。アニキのこの話は、決して女性GETのためのノウハウ書ではない。ナンパには何の役にも立たないだろう。というのも、美人GETがお題ではなく、あくまでもGETされる側、つまり女性側の心理をよく捕まえて、追いかけるのではなく、あくまで引き寄せることを基本とするのだ。男は好きな女性がいると追いかけてしまう。それは生物学的にしかたない。獲物を見ると追いかける本能を持つからだ。欲しいモノは追いかけるのは本能だ。アニキ哲学では、欲しいモノはすべて引き寄せるということを基本とする。獲物は追いかけるから逃げるのだ。だったら、最初から追いかけることをやめればよい。相手側から近づいてこさせればよい。これがアニキ流だ。一見、地味な作戦なのだが、美人GETだけではなく、何にでも応用できる。気の弱い男こそ、この手が使えるのだ。
 じゃあ、具体的に何をすればよいのか?となる。勘のいい諸君はもうわかるな、ブログの題名そのものだ。「女性は何を求めるのか?」これを追求することで、引き寄せを完成させる。話は簡単だ。「相手が何を考えてるのかを考えること」で、普段誰でもやってることなのだ。しかし、結果が出てないという事実がそこにあるのなら、それはきちんと分析していないだけだと、はっきり言っておこう。つまりだ、女性とはどういう生き物なのか?というところまで踏み込む必要がある。そして、人間がどうして誕生したのかまでを探り、考えてゆく必要がある。
 例えば、なぜ人間は男と女の二種類だけなのか?とか、なぜ女はカラダが小さくて、筋肉も少ないのか?とか、男は野蛮なのか?などだ。これらのことについて詳しくは、アニキの過去ブログ「男は絶滅する」「アニキの進化論」を読んでくれ。そうすれば、グッと理解しやすくはるはずだ。要するに、男でも女でもそうなのだが、人間を分析する上で重要なことは、人間の起源まで遡らないと理解できない。それをやらずに人間の習性を説明しようとするからおかしくなる。例外が多く発覚し、実は違うんじゃないかと疑心暗鬼になる。統計や人間心理など、目に見える事象だけで追ってゆくから外れが多いのだ。
 だからアニキ哲学では、人間の起源からまず考察してゆくことになる。では、簡単にその辺りを説明してゆこう。

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女性は何を求めるのか?(1/6) ~美人GETのために~ [哲学]

 男はいつも美人を研究している。「俺は別に美人なんか研究してないぞ」というかもしれないが、無意識のうちに研究しているのだ。研究というと大げさだが、要するに美人に興味があり、それを追いかけたり自分好みを考察すること自体が研究しているといえるのだ。となると、世の男はすべて美人を研究していることになるというわけだ。今日の話はそこからスタートする。
 美人は好きだが、手に入れるとなると話は別だ。見てる分には何も起こらないが、手を出すとなると、複雑な事情がいろいろと出てくる。今までは自分の心と脳との間でのキャッチボールだったことが、カラダまで参加することになるからだ。人間は心・脳・カラダの3つから成る。今までカラダが参加してない状態だったものを、いきなり参加させることになる。現代社会は昔と違って、いろいろとうるさくなってきている。一歩間違えば手が後ろに回る(古いな、アニキは)。そうならないために、作戦を考えなければならない。武器も要るだろう。丸腰で闘ったって負けるだけだし、成功率を少しでも上げるためには、よく作戦を練ることが必要となるわけだ。
 じゃあ、何の作戦が要るのかということになるのだが、目的は「美人GET」だろう。すると、どんな美人をGETするのだ?という話になる。以前のアニキブログ「美人好きの哲学」でも話したが、「美人とは、自分が美人と思う人」のことを言う。これが美人の定義だ。芸能人やモデルなど、多くの男が美人だと思う女性を狙うのではない。そんなお飾り美人なんかに憧れてどうするよ?絶対に手に入らないんだから、時間のムダだ。それより、自分の周りにいる普通の人だ。いつも気になる女性が誰にでもいるだろう。その女性を想像しながら作戦を練ろうではないか!
 男はいつの時代でも美人好きだ。美人を好むのは男の原始機能だ。700万年前のホモサピエンスの頃より、自分好みの女性をGETするために、ライバル達と争ってきたのだ。だから、男はいつも「俺は美人しか興味がない」と豪語していなければならないのだ。既婚した男は、この言葉をいつも口にしろ!すると、段々と家の中が平和になるぞ。実はこの言葉、家庭が円満になる魔法の言葉なのだ。

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人間の原始機能「欲望」(6/6) ~創造主の知恵の輪~ [哲学]

 話がシリアスになってきて申し訳ないが、もう少しつきあってくれ。
 欲の暴走による結果、戦争・殺人・誘拐などが起こる。これらは、進化がもたらした欲の二面性である影の部分だ。欲望を持たない人間が生まれてくるまで、この調子で世界は進化する。700万年前に突如現れた人類は、欲望という原始機能を使ってここまでやってきた。物質的にはかなり進化したが、そこで置いて行かれているものがある。それは、人間の心の進化だ。これはほとんど進化していない。心が進化してしまうと、物質的な進化にブレーキをかけてしまうが、そろそろ気付くべきではないのだろうか。物質的には豊かになっても、全然満たされていないという現実に。
 劇的な進化の影で泣いている人達も多いのだ。進化のために少数は犠牲になっても仕方ないという大義名分で、自分達を正当化する組織が多すぎる。これでは、心が全く進化しないではないか。ここに気付かないなら、創造主はまた天災を起こすんじゃないだろうか。創造主の意図とあまりにもかけ離れてしまうと、「リセット」という運命が待っている。そうなる前に人間は気づき、物質的な進化はもうあまり必要ないのではと、考え方を変える時期に来ているはずだ。
 欲の話から話がでかくなりすぎてしまったが、要するに欲は人間のやる気を支える大事な機能である。但し、欲が暴走しないようにコントロールする必要があるのだ。じゃあ、具体的にどうすればよいのか?それは、欲が出た時、「正しい心」と照らし合わせることで防げる。正しい心とは、正しい心だ。別に難しくない、だれが見ても正しいと思えることだ。その欲が正しい欲かどうかは、自分だけじゃなく、みんなハッピーかどうか考えればよい。みんなハッピーなら、それは正しいと言える。自分だけが得をして、だれかが損したり誰も得しない方法は、それは正しくないということだ。フェラーリ買って、みんな嬉しいのか?ということだ。そこんとこをよく考えて、欲を満たすことを考えればよい。
 アニキの尊敬する人に「バリ島の兄貴」っていう人がいる。実際に会ったことはないが、その人の本は何冊も読んだ。お金の使い方がすばらしい。考え方も身震いするくらいすばらしい。かなりの魂レベルの人じゃないかと想像できる。このバリ島の兄貴と比べると、ブログで偉そうなことを書いているこのアニキは、足下にも及ばない。恥ずかしい限りである。まあ、興味ある人はこの人の本を読んでみてくれ。なぜ、この人を引き合いに出したかというと、バリ島兄貴の生き方や考え方が正しい見本だ。同じような考えの人は多くいるが、若い諸君にはバリ島兄貴の方が合うだろう。この人はいろんなことを言ってるが、「自分の幸せより周りの幸せが先」とか、「見返りを期待せず、どんどん奢る」とか、「人をどうやって儲けさすか」とかを真剣に考えて、実践している。その姿はハンパじゃない。何が言いたいのかというと、このバリ島兄貴の中に、正しい心の答えがあるのだ。すべて「相手のため」という気持ちが最優先だというその心こそ、「正しい心」の答えである。運の鍵もそこに隠されているのではないかと、アニキは考えている。
 そうだ、創造主が人間に与えた「欲」という名の知恵の輪の、これが答えだとアニキは確信している。

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人間の原始機能「欲望」(5/6) ~欲望の役割~ [哲学]

 アニキは何が言いたいのかというと、自分の心が汚れていても、自分に必要な本に引かれる。心が汚れている時に引かれる本はよい本ではない。心が荒んでいると、悪い本に引かれてしまう。本ばかりではない、悪い広告や宣伝に自然と引き寄せられてしまう。欲望や願望を実現させたいのは皆同じだ。その目的が自分のためではなく、自分の周り人達をハッピーにしたり、豊かにする目的であるなら、引き寄せられる広告や宣伝は「天使のささやき」だ。本なり何なりを大いに参考にすればよい。
 かなり話が逸れたので戻そう。願望実現や欲望を満たすことにおいて再現性はないと言った。だから、自分で探っていくしかない。まさに、人の人生と同じだ。人生のコピーは存在しない。これは何を意味するかと言えば、どんなことに自分の欲望が出てくるのかということは、生まれた特にすべて決まっている。どんな人生を歩むのかは、生まれる前にすでに決めてくる。ということは、その人生を歩むために必要な欲望もセットされている。何度も言うが、欲望と人生はセットになってるのだ。これが真理だ。
 ならば考えてほしい。欲望が自分の人生の道しるべとなっていることを。今の自分の状況は、過去のそのときそのときにおける自分の欲望により選択した結果である。人生の分岐点、いわゆる、学校選択や就職、結婚などは、その時点での自分の欲望により選択してきた。今になって考えれば、「なんであのとき、あんな選択をしたのだろうか?」とよく考えるはずだ。アニキの家の中で、隣におわす方を見ながらよく思う。なんであのとき、その選択を選んだのか?と。大いなる謎であり、元々仕組まれていたとしか考えられない。だから、欲望は完全に独特であり、同じ欲望は存在しない。つまり、同じ欲望に見えながらも、人により少しずつ異なっている。ここで覚えておいてほしいのは、「欲望が人生の分岐点を作る」という役割を担うことだ。欲望が暴走することも想定内であり、その時の未熟な心が欲望の暴走に勝てないことは承知の上で人生を設計しているということだ。自分にとって想定外のできごとでも、人生設計段階、すなわち生まれる前の計画段階では、想定内のできごとであるのだ。
 欲望は人間を進化させる目的だと話したが、それ以前に、その要望を持った個人である自分を進化させることが元々の目的である。人間全体の進化は、個人の欲望から出ている。それが、結果的に形となったにすぎない。そして、「人生はリレーである。」先人の欲望の結果の跡を継ぎ、さらなる進化をもたらす人生を決めてくるものがいるというだけだ。この繰り返しで、人間は進化してきた。要望である原始機能には二面性があり、毒をももたらす。欲望を暴走させた人間がいても、それを修正する人間も出現する。つまりは、すべてバランスが取れていることになる。
 今の世の中を見てみるがいい。人間の欲望の集大成だ。自らの欲のために大勢の人間が死んでいる事実があり、自分達と少し違う考えの集団があると、それを潰そうと武力に訴える。朝のニュースを騒がせているのもすべて、人間に欲から出た悲惨な事件だ。本当にこれは進化と言えるのだろうか。
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人間の原始機能「欲望」(4/6) ~重要なポイント~ [哲学]

 話は逸れるが、重要なポイントだから少し説明しておこう。
 先人の経験談を参考にする場合の注意すべき点がある。それは、本に書かれている内容ではない。その本を書いた著者の考え方や生き様である。つまり、著者の考え方が「自分だけハッピーになる」、又は「自分だけ成功する」ということを信念としている場合、注意すべきなのだ。読んでいて共感が持てて、気持ちが熱くなるから、なんだか一瞬、尊敬できてしまう。しかし、こいつはただの成り上がりである。さらに、その著者の生き様を見ることだ。その著者が成功した後に、フェラーリ買ったり、億ション買ったりと、自分のために金を遣っているはずだ。儲けた金や獲得した地位を元にして、自分のために金を遣っているような著者は、必ず晩年不幸になっている。一時の願望は実現したとしても、長続きはしない。落ちぶれてゆく芸能人やスポーツ選手を見れば明らかだ。一瞬華やかだが、心が貧しい者は、晩年落ちぶれてゆく。そんな彼らの本は、大概落ちぶれた後に書かれていて、過去の栄光とその後の苦労話が中心だ。落ちぶれた後に初めて何が必要か気付く人がほとんだ。だから、彼らの本は反面教師として読むべきで、なぜ落ちぶれるに至ったか?何が足りなかったのか?について、疑問を持ちながら読むのが正しい形だ。付き合ってる人脈はどういうタイプが多いのか?など、本ではなく、著者の背景を探ることが重要で、アニキがいつも主張する「人の話は耳で聞くな、物事は目で見るな」という哲学は、ここでも有効だ。本に書いてあることは、大して参考にならない。要するに、見るべき視点を変えろということなのだ。
 芸能人だって、スポーツ選手だって、息の長い人は多い。その人達は考え方が違っているのだ。本当にすばらしい人に囲まれている。エラそうじゃなく礼儀正しい。そういう人の本からは、派手でないが地道な考え方を主軸とした自分の願望実現の経験談が書かれている。こういう本を読まなければならない。著者のその考え方の軸が、「皆ハッピーになる」や「周りの人達を豊かにする」という類いのもので、「自分の願望実現は皆のおかげ」という歯が浮く言葉を堂々と言ってのける。そして、本から離れて、その著書の行動を見て判断する。うわべだけの言葉なのか、心からそう思っているのか。私生活で絶対に威張ってないはずだ。
 私生活では威張り散らして、自分の能力に自信があり、そんなスーパーな自分のようになれ!みたいな論調の著者は、傲慢な野心家だ。アニキは断言する、「自慢する奴に心がきれいな人はいない。」そんな、心が伴っていない著者の本に引き寄せられて手にした時、立ち止まって考えてほしいことがある。その本は決して成功への導きではなく、悪魔のささやきであることを。そして、その悪魔のささやきに引き寄せられた自分が問題なのだ。ここが肝心であり、冷静に見てほしい部分だ。そのことを理解し、はっと我に返ってもらいたい。要するに自分も同じ穴の狢だってことだ。かわいそうに、同じ波動だったんだな。
 「類友の法則」があるだろう。これも、世の中の引き寄せ法則を端的に表した言葉だ。波動を変えなきゃ、人生はうまくいかない。

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人間の原始機能「欲望」(3/6) ~原始機能に再現性はない~ [哲学]

 要するに、まずは「欲」を肯定することが大事だ。欲がなければ人生は始まらない。そのことをしっかりと心に刻み込む必要がある。すると、パッと見えてくることがある。欲望を願望に置き換えて話を進めよう。「欲望を満たすこと」と「願望が叶う」ことは、願望(願い)は欲望の一部であることから考えて、ほぼ同じ概念だ。厳密には違うのだろうが、そんな細部にこだわってもしかたないだろう。
 世の中には、願いが叶う人と叶わない人がいる。なぜ分かれるのか?この違いはなんで生まれるのか?誰でも願いが叶ってもいいじゃないか。長くなるから、今回はそこは議論しない。で、願いが叶ったとしよう。願いが叶った人も偶然なのか意図的なのか、わからない場合が多い。ほとんどの人はそうだろう、宝くじが当たった人は、なぜ当たったのかわからない。理由がわからないから、偶然と考える。「運が良かった」で済ませてしまう。実は、宝くじに当たった人には、それなりの必然的な理由が存在しているのだが、本人には全くわからない。知恵の輪と一緒で、願望実現のために試行錯誤しながらグチャグチャやっていくうちに、突然実現してしまっているのだ。で、実現してもその理由がわからないから、再現性がない。そのために、人にその秘訣を伝えることができない。常に願望実現とはこの繰り返しで、答えが得られないまま人生が終わってしまう。
 なぜ、自分の願望が実現した時、人にその方法を教えることができないのか?世の中の法則、つまり、人間が作ったものにはすべて再現性を持たせることができる。しかし、創造主が作ったもの、例えば人間そのものや原始機能などは再現できない。がんばって再現性を持たせようとしても、同じ人間が二人と存在しないのと同時に、欲望やその実現方法について再現性はない。探しても無理だ。コピーできる方法など元々存在しないのだ。成功本なるもが世に中に多く出回っているが、同じ方法を試しても絶対成功しない。じゃあ、成功本なるものは意味がないのか?というと、そうではない。先人のやってきた経験談などを参考にして、自分の採るべき行動を検証しながら進むことができるからだ。人生は一度きりだ。回り道している時間はない。本当に有益な経験論から学ぶことは近道である。アニキの過去ブログ「人生に迷ったら、本を読め!」でも話したが、自分に有益な本には引き寄せられるのが人生だ。

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人間の原始機能「欲望」(2/6) ~問題と答え~ [哲学]

 なぜなら、せっかく創造主が必要だと思って与えてくれた機能を、みすみす捨てていいのだろうかということだ。欲というじゃじゃ馬をうまく使うことの方が、どう見たって重要だろう。欲があるから、それを達成しようと人は頑張る。それで人間は進化してきたんじゃないのか!欲があったから、人間の脳から創造性を働かせ工夫した。欲があるから、脳を使って脳を発達させてきたはずだ。これが、欲の本来の目的だ。
 だってよく考えてくれ、商売人は売り物を買ってほしいがために、欲しくなるような工夫を一生懸命にする。一生懸命に知恵を絞り頭を使うのだ。また、不便が嫌で便利な社会にしたいから、科学が発達して便利な物がいっぱい生まれた。そのおかげで、今の人間の生活は原始時代よりよくなってきてるじゃないか。どう考えたって原始時代より今の方が、快適で幸せだと思うだろ。昔の皇帝よりいい暮らしをしてるんじゃないのか、俺たちは。それを、無欲こそが人の道みたいなこと言っても、それは趣味の世界だ。勝手にやってもらったらいい。いい汗かいてもらえばいいのだ。キリストだって「全人類を幸せにしたい」という欲があり、お釈迦様だって、「極楽浄土を目指せ」みたいな壮大な欲があったよね。教祖だって欲だらけだ。だから、欲を否定するんじゃなくて、「欲を持て」というのが正しい形じゃないの、ということだ。ただ、欲の使い道は気にする必要はある。
 そこから導き出されるアニキの哲学はこうだ。創造主は人間に「欲」を与えたが、「実現する方法は自分で考えな」という形にした。だから、「欲」に対する答えである「実現方法」も、同時に与えられていると考える。ただ、その答えを見つけるのは簡単ではないように仕組まれている。さらにその答えが見つかった時、誰もが平等に行動に移すことができることも重要なヒントだ。特殊な行者だけが答えを実現できるとか、一部の高尚な人間にしか手に入らない方法では決してない。ならば答えは日常にあるべきと考えるのが筋だ。人生はクイズ番組のようなものなのだ。答えはわかった人にしか手に入らない。だから願望や欲望が存在するのであれば、それが実現するのは当たり前で、「その実現方法は必ず存在する」だ。
 そうだ、原始機能には必ず答えがセットで存在する。この話は、後日ブログ「原始機能の問題と答え」で詳しく話そう。

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人間の原始機能「欲望」(1/6) ~欲は悪か?~ [哲学]

 アニキの行動哲学のひとつに、人に分け与えるというものがある。何でもかんでも与えていいってもんじゃない。そこにはアニキなりの基準がある。それは、「人に分け与えて自分の物が減るなら有償にするが、減るもんじゃなければ、ただであげてもいい。特に、「願望実現のしくみ」や「脳の謎」などは、いくら話しても減るもんじゃないから、遠慮なく教えてもよい。アニキはサラリーマンの給料で生計を立てているから、これをお金儲けにしようとは思わない。アニキ哲学に同意できると思った人だけ実行すればいいから、できるだけ人に教えてゆきたい。
 では、原始機能の各論に入ろう。世の中、欲しい物ややりたいことはいっぱいあるよな。テレビを見れば、欲しい物の広告が流れ、街に出ればきれいな服や電機製品などであふれている。世の中、欲しい物だらけだ。それを我慢しようとすれば、一切の情報を絶って、山にこもるしかない。それほど、いろんな情報にあふれている。実は、人間にだけそういった欲望が与えられている。他の動物の欲望は本能だけだから、決まった願望しかない。生きることと種の繁栄だけだ。でも人間だけには様々な欲があり、それぞれ欲しい物は違う。なぜ人間だけが多くの欲を持つのか?欲というものは、生まれる時にすでに備わっていた。欲というものの種を備えて生まれてきたから。元々、そう仕組まれてるのだ。太古の昔より、欲は備わっている。創造主はそういう風に人間を作ったからだ。欲は原始機能であり、原始機能は進化を目的として備えられている。そうだ、創造主は人間に進化してもらいたいから、予め欲という機能を備えさせたのだ。じゃなければ、創造主は人間の脳の大きさはお猿程度で作ったはずだし、いまだに裸で生活してるはずだ。人間にとっての欲は、最初から意味があって与えられた機能であると考えなければならず、否定すべき次元のものではない。
 では、「欲」は悪なのか!という議論がある。「欲」を悪だと考えて、「無欲」こそが人間の生きる道であり、人のあり方だと唱える一部の人がいる。この考え方は、「欲」の反対概念を「理性」と置いているのだが、欲を我慢することが良いことだととらえている。理性で欲を押さえつけることが人生であると。しかし、アニキは、「人間が欲を殺して生きる」のは、人生の本筋とは思えない。しかも、「欲望を抑えたい」と願うこと自体も欲であることに気付いてない。だから、欲を悪としている人こそ矛盾している。俗世の欲望を捨てて修行するのもいい。欲を捨てるのはつらいからな。
 欲に抗うことで、強靱な精神力を鍛えているのだろうが、果たしてそれは必要なことか?アニキは疑問だ。

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人間の原始機能「総論」(3/3) ~原始機能の芸術~ [哲学]

 まあ、原始機能とはこんな感じだ。要するにアニキが言いたいことは、創造主がわざわざバリューセットとして付けてくれた原始機能を否定するのではなく、うまくつきあってゆくことが大事なのだ。人生において失敗する時、自分の性格を否定してしまうことが多々ある。しかし、性格というものは、「原始機能の芸術」だ。原始機能と経験がミックスされてできあがった芸術なのだ。経験は考え方でその価値も変わる。まず原始機能があり、いろんな経験を通して考え方ができあがる。それが何度もミックスされてできあがったのが、今の自分だ。こいつを否定しては身も蓋もないではないか!だからまず、原始機能が何かをしっかりと認識し、それを受け入れた後に、そいつをどうコントロールしてゆくかを考える。原始機能の存在がわからないと、人生経験の中で暴走してしまい、人格形成に影響が出る。自分の性格はその人格形成の中で固まるから、固まる前に原始機能をコントロールできれば考え方も良い方向へと動く。それが、性格に磨きをかけるということだ。
 さらに、原始機能は脳と友達だ。やつらはよくタッグを組んでコンビになる。だから、やつらコンビと自分(魂)の駆け引きが人生だ。うまくやろうと努力すれば必ずできる。まさに営業と同じだ。原始機能を知り、それをよく観察し、暴走しないようにコントロールする。以前のブログ「脳の謎」でも話したことは、実はここでも有効だ。原始機能は脳の命令で暴走する。やつらがタッグを組むとはそういうことだ。暴走すると手が付けられないから、暴走させないようにうまくやる。人間には理性というブレーキはあるもの、脳がタッグを組んで裏で原始機能を操り始めたら厄介なのだ。
 なぜ厄介かと言うと、実はこの原始機能には、表裏一体の二面性を持つ。原始機能の二面性については、後日ブログ「二面性論」で詳しく話すが、簡単に言うとバリューパックとしての原始機能には良い面だけではないといことだ。人間を進化させるために与えられた原始機能は、うまくつかえば武器になるが、使い方を誤ると自分に危害が加わるようにできている。これが二面性論の趣旨だ。だから、原始機能はうまくコントロールしなければならない。そのためには、友達である脳と仲良くする必要があるのだ。駆け引きと言ってしまったが、目指すは脳との協調路線で、親友関係だ。この流れが楽しい人生をおくる秘訣ではないかと、アニキは考える。がしかし、若いうちはそううまくはいかないものだ。まあ、若い時は多少の暴走はかまわないが、途中で「おかしいぞ」と気付けばいい。そこから反省すればいいだけだからだ。
 だから若い頃、女のケツを追い回していた懐かしい日々も、アニキは否定しない。その反省があり、現在があるからだ。しかし、あの頃のアニキはまだ、原始機能などという存在には気付いていなかったから、暴走するその欲求に身を任せていただけだった。そして、欲望のなすがまま進んでいたなら、今の自分はない。途中でうまくいかなくなり、「おかしいぞ?」と気付いたお陰で今があるのだ。
 繰り返しになるが、アニキがここで言いたいのは、何が原始機能で、何が本能かということを知るのが重要だということだ。知ってるのと知らないのでは大違いだからだ。知っていれば、冷静にそれを受け止めることができるから、物事がうまくいかなかった時、客観的にとらえることができる。そこから、対策も立てやすいのだ。
 ということで、アニキの「人間の原始機能」シリーズがこれから始まる。

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人間の原始機能「総論」(2/3) ~原始機能と本能~ [哲学]

 原始機能は人間だけの機能である。他の生き物には存在しない。ここにもうひとつの原始機能の謎がある。一見、原始機能はすべての生き物に備わっているように見える。しかし、他の生き物のそれは「本能」である。本能と原始機能は別物である。少しややこしいのだが、ここがしっくりこないと腑に落ちないだろうから、ここを説明しておこう。
 実は最近ある後輩からも、アニキ哲学の「原始機能」は、結局「本能」と同じじゃないかといわれた。確かに似ているように見えるのだが、全く異なる概念だと言っておこう。よく考えてほしい、本能と原始機能は同じじゃないことがわかる。どこが違うのかというと、備わっているその目的が異なっているのだ。本能の目的は「生きるため」、原始機能の目的は「成長・進化するため」に備わっている。ここを混同させてはならない。
 本能はあらゆる生き物に備わっていて、もちろん人間にも備わっている。しかし、原始機能は人間だけにしか備わっていない。人類と他の生き物とは、存在する意味が異なっているのだ。創造主は生き物すべてを作ったと考えられる。しかし、人間以外の生き物には「種の繁栄」のみが目的だ。創造主はサルに向かって、「成長しろ」なんて言ってない。生き抜くこと、すなわち「種の繁栄」のみだ。だから、そのために必要な機能のみ備えている。それが本能だ。一方、人間には「成長・進化しろ」と命令されている。そのために、成長・進化に必要な最低限の機能が備えられている。700万年前のホモサピエンスには、原始機能がセットされて地球という野に放たれたのだ。その結果が、今の世の中だ。創造主がこの進化を良しとしているのかどうかは別にして、人間以外の生き物がここまで進化していないことを考えると、人間にだけに備わっている機能と解すべきなのだ。生きるだけの機能である本能は、誰でも知っての通りお腹が減ると食べ物を探したり、交尾のやり方などだ。これは人間にも当然備わる。赤ちゃんは泣いて欲求を表現するのもそのひとつだ。
 では、人間にしかない原始機能とは、どんな機能なのだろうか。興味を持ってくれただろうか?詳しくは、この後の原始機能シリーズで様々な人間の原始機能を紹介してゆくつもりだが、代表的な原始機能をちょっとだけ紹介しておこう。アニキの過去ブログでもチョコチョコ登場したから、覚えてる人もいるかもしれないが、何と言っても「美人崇拝」だろう。男は美人が好きだ。これは男の原始機能で、「俺はそうじゃない」なんて、嘘ついてもダメだ。これは一見、本能に見えるのだが、人間以外の生き物で、美人崇拝を持ってる動物なんか存在しない。だから、これは本能ではなく、れっきとした原始機能だ。太古の昔から、男は美人が好きなのである。それと「欲」だ。食欲や性欲という生きるために必要な欲、すなわち本能のことではなく、もう少しレベルの高い欲だ。マズローの5段階欲求のうち、2段目以降が人間の原始機能であると考える。欲は原始機能であり、創造主がバリューセットに含めてくれているのだから、それを否定するのはナンセンスなのだ。無欲を目指したり、欲を捨てるなどというのは、アニキから見れば不可解なのだ。つまり、元々備わっている機能である欲を捨てるという考えこそが、欲なのだ。「無欲を目指したい」という欲であり、「欲を捨てたい」という欲だから、そんな修行は矛盾しているのである。

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人間の原始機能「総論」(1/3) ~プロローグ~ [哲学]

  アニキ哲学の中に数多く出てくる言葉のひとつが、「人間の原始機能」という単語だ。その都度、簡単に説明を加えているので、何となく理解してもらえている思う。そう、「原始機能」とは、人間に元々備わっている力だ。感性や感情、行動面においてもさまざまな機能が備わっている。誰にも教えてもらってないはずなのに、なぜかそうなっている。まるで、パソコンを買うとパッケージでついてくるソフトのようなものなのだが、人間の場合「いらない」ということにはならない。創造主は、人間をカラダとパッケージで世に出す。人間は、原始機能とセットで生まれてくる。これは、マクドのようなちんけなセットではない。数々の原始機能がフルセットでついていて、本当にお得なバリューセットだ。アニキ哲学を語るにあたり、この人間の本来のバリューセットである原始機能を無視してはならない。
 少し話は逸れるが、アニキ哲学を理解してもらうために、アニキ哲学の骨子について少し説明しておこう。アニキ哲学は、人間はサルからの進化ではなく、創造主によって意図的に作られた存在であることを柱とし、そこに与えられた原始機能を最大限に活用して、人生の意味やあるべき姿を探す。さらに、現在の科学では証明できない様々なスピリチュアルな現象についても、創造主論・原始機能論から導き出した仮説により、矛盾なき論理を構成する。当然だが、例外は無視する。
 つまり、現代科学で証明できない現象は、だれかの意図により証明されては困るから厳重に隠されていると見るのだ。ではその隠す目的は何か?とか、隠す理由は何か?と、紐解いていくと、腑に落ちる領域に達する。ここに、アニキ哲学の基礎が生まれるのだ。人間や世の中のしくみとスピリチュアルの融合がアニキ哲学である。で、それはシンプルであることが重要だ。真理はシンプルであれば、それは正しいと考える。なんか、言葉にするとすごくかっこいいが、人生を語れるほどアニキは偉くない。俗人的な人間だ。そして、ただのサラリーマンだから、さらに、一流企業で働くサラリーマンではなく、「上場企業⇒外資企業⇒中小オーナー企業x2⇒一瞬、自営業⇒外資企業」と、様々な会社を体験した根無し草的な人間だ。そんなサラリーマン人生において、この哲学が有効なのかどうかを試してみているだけだ。
 というわけで、アニキ哲学において重要な要素である「原始機能」抜きでは、世の中のしくみや人間という生き物の性質を検証できない。そして、この原始機能がわかってくると、人間という生き物が少しわかってくるはずだから、こいつを無視することはできないということだ。
 話を戻そう。人間に備わるバリューセット「原始機能」は、人類誕生より備わっている。そこに間違いはないし、変化も進化もない。人類創世より変わらないのが原始機能だ。変わってしまった機能は原始機能とは言わない。原始機能を語る上で、これはひとつ重要なポイントでもある。創造主が与えた機能であるなら、その機能は変化してはいけない。変化があるとしても、それは個体差の範囲であり、ベースは皆同じである。ではなぜ人間の創造主は、そんな原始機能なんかを人間に与えたのだろうか?
 これから、それを一つずつ語ってゆくことになる。

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「ハートカクテル」で男を磨け!(後編) [アニメ]

  アニキは数年前にカミさんのせかされて家を建てたのだが、やはりハートカクテルの要素を取り入れている。かなりの部分においては、かみさんに却下されてしまったが、唯一ここだけはということで許してもらったのがベランダだ。ウッドデッキのベランダで、そこで夜、カクテルを飲まなければならない。このスタイルだけはどうしても譲れずに、他はすべてかみさんの意見に従い、ベランダだけにこだわりを持った。
 ハートカクテルに出てくる音楽も勉強した。当時の仲間うちでは誰も聴かないようなジャズ系の音楽が紹介されていたから、無理矢理勉強しなければならなかった。コニーフランシスやエディハリスといった一般的ではないアーティストだ。マンガに出てくる音楽をメモして、CDレンタル屋で借りてダビングする。そして何度も聴いて自分のものとする。その甲斐があって、今ではジャズ通となってしまい、一般ピープルよりは少し知識がある。お陰で、仕事でもジャズ好きのお客さんとの会話で話がはずむ。これはハートカクテルのひとつのメリットといえた。
 ファッションも参考になった。主人公のファッションスタイルはアメカジやアイビーだ。これは、アニキの趣味と同じだった。紺ブレ、ボタンダウン、チノパン、ローファーなどのこだわり具合はよかった。アニキのワードローブと同じであったことがうれしかった。白いヘインズのTシャツにリーバイスのジーンズも出てくる。ベタな感じだが、これも好きだった。
 で、ストーリーは男女の恋物語だから、ホッドッグプレス並みに活用した。ホットドッグプレスと異なるのは、店は架空の場所だから、同じような雰囲気の店を探さなければならなかった。これが結構よかった。自分で店を探すから、同じような人種とかぶらないで済んだ。自分だけのスポットというものを持てるようになったのだ。
 話せば切りがないからこの辺でやめておくが、アニキのこのハートカクテルのように、自分のスタイルの原点となるものが、人には必ず存在する。これをおろそかにすると、理念がなく筋が通ってない大人に見られてしまう。だから、人に受け入れられなくても、堂々と自分の感性の原点は自慢すればよい。
 アニキにとっては、そんな想い出のハートカクテルである。今見ても古さは感じられない。元々レトロな感じのスタイルだからだ。今更、学ぶところはないが、自分のスタイルの原点に帰る意味では大いに参考となる。それと、ハートカクテルにはまっていた頃を思い出し、懐かしさがこみ上げてくる。まあ、これもアニキ哲学で言えば必然だ。ハートカクテルにはまったのも、人生に必要なことだったのだ。確かに、ハートカクテルにおいては、そう言われても納得できる部分は多い。
 若者よ、恋愛なんていうものは、時代を超えてもその感性は同じはず。太古の男女も現在の男女も、人を好きになるその感性はなにも変わってないのだ。感性を磨かなければ、ゲットした女性に振られるだけである。ならば、感性を磨くのは当たり前だ。振られながら、実践で感性を学んでいってもよい。それがいやだから、人は映画や本、又は人の経験談から学び、感性を磨いてゆくものだ。その感性を磨く意味でも、ぜひハートカクテルを見る価値はある。磨くべき感性にはいろいろあるが、ここで磨かれる感性とは、これだ。
 「女性は何を求めるのか?」という疑問だ。ハートカクテルはこの感性に答えてくれるだろう。アニキは言う、男にとってこれが最大の疑問であり、一生かけて探求するのにこれだけふさわしい命題はないと。その答えが、おぼろげながらにハートカクテルにちりばめられている。まさに宝の山だ。同じことをしろと言っているのではない。考え方を学べということだ。贈り物に対する考え方とか、待ち合わせの心得とか、相手との距離感とかとかだな。TPOを意識して見ればよく理解できる。その後、いろいろなメディアを見たが、これほどの教科書は出てきてない。
 機会を得たなら、ぜひ見てほしいと願う。
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「ハートカクテル」で男を磨け!(前編) [アニメ]

 実は、なにを隠そうこれがアニキの生活スタイルの原点だ。アニキのスタイルの源は、以前もブログで紹介した「ホットドックプレス」で生き恥をさらし、その反省を行ったあと、「POPEYE」でアイビーとアメカジにどっぷりとはまり、そしてこの「ハートカクテル」で生活スタイルをがっちりと作った。いまだにアメカジスタイルとハートカクテルの世界観の生活は健在だ。
 「ハートカクテル」とは、わたせせいぞうのマンガだ。ショートストーリーの寄せ集めなのだが、ちょうどアニキが大学生の頃に全盛期だった。絵がきれいなのと、マンガのコンセプトが好きだった。さらにマンガだけでなく、テレビアニメにもなった。どこの局かは忘れたが、真夜中に、「たばこ1本のストーリー」ということで放映していた。アニキはアニメの方がマンガよりも好きだった。流れる曲がサイコーだった。アニキはその頃からフュージョン系のインストゥルメンタルにはまってて、松岡直也やカシオペア、高中正義をよく聴いていた。だから、ハートカクテルに流れる曲が松岡直也だったので、申し分なかった。曲とストーリーがよくマッチしており、なんとも言えないほのぼのとした世界観を生み出していた。
 この世界観は、当時、皆好きなのかと思っていたが、意外に評判が分かれていた。アンチ派の友人に話を聞くと、男女の別れを美化しすぎてる部分があり、且つ別れた後にまた再開するシチュエーションが多く、現実的ではないという意見だ。だが、アニキはそんなことよりも、いろんなパターンの恋愛を取りあげていて、大人だなあと感心して見ていた。生活スタイル・ファッション・置いてある小物や調度品など、どれも参考となった。生活スタイルに、親と同居なんか出てこない。すべて一人暮らしが基本となってるから、アニキも一人暮らしに憧れた。しかし、社会人になった途端、いきなり会社の寮へ入れられたものだから、おしゃれな暮らしもクソもない。プライベートもへったくれもない。毎日、先輩の襲来におびえる日々だった。とにかくまずは寮をを出なければということで、金を貯めてから一人暮らしを始めた。
 このハートカクテルの生活感は、まさにアメリカ的だ。アメリカンなグッズが部屋には置かれ、飲み物は外国のビールやウイスキーだ。国産のビールや日本酒なんかは出てこない。バーはよく出てくるのだが、居酒屋は出てこない。絵にならないというのもあったのだろうが、外国風な暮らしの雰囲気もかっこよさのひとつだった。だからアニキも外国のビールを好んで飲んだ。ハートカクテルのマンガ本では、外国の缶ビールの空き缶を窓辺に積み上げてるシーンがあった。アニキも真似したのだが、缶の中にゴキブリが入っているのを発見して以来やめた。また、バドワイザーの鏡が飾ってあるシーンを見て、アニキもそれを見つけて手に入れたのだが、鏡にでかでかとバドワイザーと書かれてあるため、鏡が見にくく使いにくかった。さらに、近所で外人か二世のマスターがやってるバーを探さなくてはと、近所を歩き回ったが、変人マスターのバーしか見つからず、しかたないからそこに出入りすることにした。しかし、さすがマスターが変人だけあって、客も変人が多く集まってくる。せっかく行きつけにしたのだが、泣く泣くそこに行くのをやめてしまった。車も同じで、ビートルがよく登場するのでアニキも憧れた。ぜひ手に入れたいなと思っていたら、たまたまビートルを持ってる先輩がいたので、それに乗せてもらったことがある。うるさいし遅いしひどい車だった。マンガでは涼しげに音楽を聴いているのだが、実際の車内では音楽なんて聴けたものではなかった。
 マンガの世界と現実がなかなかイコールにならないものだなと、いろいろ悟った時期でもあった。

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「今世の乗り物」を乗りこなせ!(6/6) ~機能美の追求~ [哲学]

いつも言ってることだが、ここでも脳が出てくる。実は、脳が乗り物の調子を決める。マイナスな感情を抱いていると、乗り物の調子を悪くする。反対に、よいことを考えていると乗り物の調子はよくなる。プラス思考プラス思考と世間でうるさく言うのは、このことだ。プラス思考が乗り物の調子を良くするからだ。当然食事のバランスや適度な運動は考えた上の話だ。車だって、粗悪なガソリン入れ続けるとエンジンがダメになるのが早いよな。そんなことは当たり前だ。やはり、80年ほど乗らないといけないから、できるだけ長い年月を新車のように保ちたいよな。普通に使っていても、大体60年くらい経つとどこかにガタが来る。大事に使おうという意識が重要だ。年とっても、ある程度普通に生活できる状態でいたいよな。それなら、考え方を変えて、プラス思考で脳の機嫌を取っておくのだ。
 で、女の人なんかは、乗り物の外観ばかりを徹底的に磨くけど、中まで磨いてる人は少ない。車に例えるなら、魂が運転手席に座ってると考えればよい。外側はワックスが効いててピカピカだが、座席周りはゴミだらけだ。脳は後部座席に座ってそれを見ているから、「どうしようもないな、こいつめ。シートでもカビさせてやるか。」なんて思ってる。そうすると、内蔵に問題を出したり、血液が濁ったりするから、肌が荒れたり、吹き出物が出たりする。これは脳からの注意なのだが、それに気付かないから長患いとなるのだ。だから、外よりも中なんだよな。中を掃除してないから、助手席にかっこいい彼氏の魂は乗ってこないんだよ。これが道理だ。だから、中を磨け!言いそびれたが、「中を磨け」とは考え方を変えろということである。感謝なんかは、特に脳の機嫌を取ることができる。脳は機嫌がいいと、β-エンドルフィンなんかのいいホルモンを出すから、カラダの中が丈夫になる。この状態を保てば、間違いなく80歳までぴんぴんしてるぞ。
 「乗りこなせ」というのはこういうことだ。寝たきりで80歳迎えても意味ないだろう。息子とはガブガブと酒を飲み、孫とはサッカーできるくらいピンピンしていたよな。それが人生の最終章の楽しみ方じゃないのか。年寄りはヨボヨボじゃなきゃならないなんて決まりはない。学者は言ってるが、人間は本来200歳まで生きることができるらしい。不老不死は無理だ。創造主がそういう風に作ったから。でも創造主は、年を取る状態は指定していない。好きに年を取ればよいと考えている。
 フェラーリやポルシェなど、最初からのスーパーカーに憧れることに何の価値もない。イケメンだって美人だって、美を保てるのはせいぜい20年ぐらいだろう。あとはメンテナンス技術で何とか劣化を食い止めるだけだ。そんなことに力を使う前に、80年乗り続けるためには、どうしたらよいのかを考えるべきだろう。
 乗り物は機能美だ。人生80年をしっかりと乗り切れる機能美を備えた乗り物に、「自分で仕上げてゆく」ことが大事なのだ。そして、そのヒントは脳にある。

「今世の乗り物」を乗りこなせ!(5/6) ~魂レベル菩薩級~ [哲学]

 これらは目で見てレベルが高いということがわからない人達だが、見てすぐレベルが高いとわかる人もいる。例えば、障害者の親だ。これはレベルがかなり高い。障害者自身もレベルは高いと言われているが、それよりもその親の方が圧倒的にレベルが高い。障害者を受け入れて献身的に育てる姿は、それだけで一般人のレベルをはるかに超えている。しかも、その人の一言一言に愚痴はないし、かなり大変なはずなのに、笑顔がこぼれている。普通に考えれば、一般の人より苦労しているわけだから、愚痴だらけのはずだ。それなのに、その人の口からは感謝の言葉がよく出てくる。なんだか、くだらないことで愚痴ってる自分が情けなくなる。そんな障害者を持つ親と話してみるといい。不思議なんだけど、話すだけでなぜか心地よい気分になるのだ。その人の言葉のひとつひとつが心に浸み渡る。そして、何か自分の魂が軽くなるような感覚を覚える。会話だけでそんな感覚にさせるような人はまさに、魂レベルは菩薩級だとアニキは思う。飯田史彦先生も、そういう人は生まれる前にそんな境遇の人生を自分で決めて生まれてくると言ってる。そして、乗り越えられない試練は背負わないと考えるなら、障害者の親をこなすことが最初からできる魂レベルであると言えるのだ。なら間違いない、魂レベルはとてつもなく高いことがわかる。
 そういう風に周りの人を観察する習慣を作ると面白いぞ。常に周りの人に興味を覚えて、観察する。魂レベルはどこくらいだろうかと考えながら見るのだ。特にイケメンや美人は大概魂レベルが低い。彼らの中には、動物から初めて人間になった者もいる。そうなると、満員電車でも信号待ちでも退屈はしない。人を観察するのが面白くなるのだ。では、まとめていこうか。
 カラダは乗り物で、生まれる前に自分で選んできた。だから、ブ男だとか、頭が悪いなどと愚痴るのはおかしい。親を恨むなんてのは、もってのほかだ。言っておくが、親はカラダの製造メーカーであり、「あなたが注文した通りの乗り物を製造しただけ」だ。注文者であるあんたが文句を言うのは、筋が通らない。だから、親も責任を感じて同情する必要はない。親は、共同生活者としての子どものカラダという乗り物に対し、一緒に修理方法や改善方法を考えてやればいいのだ。
 とにかくだ、今世はこのカラダで乗り切るしかない。取り変えることができない。この世にドラえもんはいないのだ。すでに生まれてきてしまったものを変えることは不可能だ。その乗り物をいかにうまく乗りこなすことだけを考える。そして、80年乗り続けなければならに乗り物を大事にすることだ。自分が選んだ乗り物を愚痴を言っちゃダメだ。な、カードゲームでもでもなんでそうだけど、配られたカードに愚痴ってる勝負師っているか?一流は配られたモノに文句を言わず、それで勝負するんだよ。アニキが尊敬する雀鬼の桜井章一だって、配牌に愚痴ってる話なんか聞いたことがない。そう、与えられたモノで勝負するのが人生だ。だから、与えられた乗り物、いや、自分が選んだカラダで勝負するのが今世だ。自分で選んだカラダなのに、それに文句言ってるから運が悪くなるのだ。
 だかから、常に乗り物の定期点検を行い、調子をよくすることで人生は上を向く。戦場では、馬が倒れたら乗ってる奴は死ぬんだぞ。だから、与えられた乗り物についてごちゃごちゃ言ってないで、乗り物の調子を良くすることが、生まれたあとにやるべきことなのだ。じゃあ、乗り物の調子を良くするにはどうすれのか?
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「今世の乗り物」を乗りこなせ!(4/6) ~魂レベルの高い人々~ [哲学]

 昨日、大そうな前置きをしたのだが、実は魂のレベルの高さはその行動や考え方から見抜くしかない。だから、魂のレベルを見る時は、その人をよく観察し、話してみなければわからない。
 で、その判断基準はいくつかあるのだが、その一つは前述の通り「小さな幸せで満足してるか」だ。小さなことで幸せだと満足している人の魂レベルは高い。ただ、見極めなければならないのは、口先だけでそう言ってる奴もいるから、要注意だ。巷に出回る願望実現本なんかの多くに、「現状で満足する」という教えが書いてあるから、それをただ口にしているだけという奴だ。「私は考え方がすばらしいんだよ」と言い振る舞ってるだけで、実態のない満足だ。中身が空っぽな満足だ。こいつに惑わされてはいけない。まあ、そういう皮を被った輩は、その行動見てればわかるから、よく行動に注意することだ。「人は言葉でなく、行動で判断する!」とはアニキ哲学における行動基準でもあるから、きな臭いと思ったらじっと観察してみるといい。言ってることとやってることに矛盾があるから、すぐばれる。ということで、「今が幸せ」と本気で言ってる人はホンモノだ。たぶん、その言葉を発した時の顔が違う。内面からにじみ出てくる笑顔が添えられているはずだ。いつも笑顔で歩いているお婆さんなんかは、まさにそれだろう。
 次にレベルを見るコツとしては、威張らない人だ。自分には何の力もなく、すべては周りのお陰で今の自分があると考えてる人だ。うまくいったら周りのお陰、うまくいかなかったら自分のせいということを徹底している人だ。こいつもニセモノがいるから要注意だが、行動を見ればすぐわかるから心配しないでもいい。まあ、謙虚な人はレベルが高いと見ていい。
 わかりにくい高レベル者がいる。がらっぱちの雰囲気で風貌や言動は粗野なのだが、なぜか人望がある人がいるだろう。がさつな性格で言葉も荒っぽい。ヤンキー風でぱっと見はとっつきにくく、この人は一見うざったく見えるのだが、外見だけで判断してはダメだ。その種の人に中に、高レベル魂の人がいる。性格の特徴としては、お節介焼きで義理堅い。人情味もある。喜怒哀楽も激しいが、それはすべて相手のことを自分事と受け止めるから、感情が盛り上がってしまうだけだ。そのあとは決して突き放さない。評論だけではなく、一緒に解決策を練り、悩んでる本人より率先して問題解決に奔走する。仲間から兄貴や親分と呼ばれるような存在だ。このブログの著者はエセ兄貴で、その域に達していないので恥ずかしい限りであるが、できればそうありたいと思っている。
 まあ、カラダという殻の中に隠れている魂のレベルの判断基準をいくつか紹介したが、他にもいろいろある。ただ注意しなければいけないのは、説教が上手なお坊さんが全員レベルが高いとか、滝修行や火の上を歩くような修行を行った行者すべてがレベルが高いと思ってはダメだということだ。結局は、自分の目で見て判断してくれということになってしまう。
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「今世の乗り物」を乗りこなせ!(3/6) ~乗り物を選ぶ~ [哲学]

 今世の乗り物は、生まれる前に自分で選んでくるのだが、ラクしたいからイケメンでいきたいなと思って、「どうしてもイケメンに乗りたい」と駄々こねたとしよう。そいつは、イケメンに乗ったとしても何の修行にもならないのだが、希望が叶ってイケメンに乗ることが許される。しかし、人生の途中で大事故や病気などで、イケメン人生の挫折を条件化されることになるのだ。最初からブ男にするのか、最初はイケメンだが後に何らかの原因でイケメン人生を曲げることになるのか、自分で選ぶことになる。要は、この世は修行であるから、修行にふさわしい試練を自分で決めるのだ。新車のフェラーリを最初は味わっても、途中で大事故で故障して修理しながら乗ことになるという感じだ。人間の創造主は、ムダにこの世に出さないのだ。
 な、だからキムタクや嵐なんかに乗ってる魂はどうなんだろうな。正直、アニキも興味があるとこだ。よく芸能人なんかの占いで、前世は「豊臣秀吉」だったとか、「聖徳太子」だったとか出てきて、テレビ番組が盛り上がるが、そんなことはどうでもよい。豊臣秀吉だってただの乗り物だ。聖徳太子だってただの乗り物だ。当時の世の中をまとめなければならないという大きな使命の修行をするために生まれてきただけだ。魂レベルはそんなに高くないのだ。苦労はしたかもしれないが、天下取ったという大きな満足を与えられているから、そこでチャラだ。しかも歴史の教科書にも載るというオマケ付きだから、文句もあるまい。それより、安い給料の飲んだくれのダンナと結婚して、5人の子どもを何とかギリギリ育てあげた女性の方がよっぽど魂は上かもしれない。その代償は、家族が全員病気もなく、子どもは無事に大人になったという程度ものだ。小さな代償で満足できるかどうかが、魂のレベルを計るバロメーターだ。これは魂のレベルが高い人を見抜く方法のひとつだ。そうだな、この魂レベルを見抜くって話をしておこう。
 魂のレベルって、普段よくわからいよな。魂のレベルバッジを付けてるならわかりやすいが、そんなものは存在しない。だから、誰がレベルが高くて誰が低いのか、見た目では全く見当もつかない。しかし、実は魂には色が付いてるらしくて、その色でレベルがわかるという。見える人もいるらしいのだが、普通はカラダという乗り物の中に埋もれてるから、外からじゃわからない。ま、それをわからなくしているのは創造主の意図だからよいのだが、皆、気になるよな。だから、魂のレベルが高い人を見つける方法を教えよう。

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「今世の乗り物」を乗りこなせ!(2/6) ~乗り物の決め方~ [哲学]

 生まれる前に、次はどんな乗り物に乗ろうかと考えるのは、あの世での楽しみの一つだろう。普段、フェラーリのカタログや海外旅行のパンフレットを眺めるように、次はマッチョだ、いやイケメンがいいなとか、巨乳なんかも楽しいかもなんていいながら、人間カタログを広げて悩んでいる自分がいるのだ。
 しかし、ここでひとつ覚えておいてほしいのは、完成された乗り物ほど魂のレベルが低い人が乗る。魂のレベルが高くなればなるほど、ポンコツや中古車に乗ることになる。以前「魂の謎」でも話したが、モテる奴が乗ってる「イケメン」という乗り物はかなり魂のレベルが低い奴が乗る乗り物だ。なぜかというと、前世が虫で、いきなり今世人間に昇格した奴が、ブ男という乗り物に乗ることを想像してみろ。腐るだろう、必ず。生きることに耐えきれないだろう。人間なんてならなきゃよかったということになるのは目に見えている。そう、感情なんて使ったことのない生き物が、いきなりブ男としてデビューしてみろ。即、犯罪者だ。その理屈から言えば、イケメンであればあるほど、魂のレベル低い。その事実を知っていれば、ブ男がイケメンをうらやましがる理由がない。魂の世界では自分の方が上だからだ。世の中そうだろう、フェラーリがいくらかっこよくても、乗っている奴がダメダメなら、羨ましくもなんともないだろう。それと同じだ。だから、冷ややかに見ていればそれでよいのだ。そして、魂のレベルは高いのだと自分に言い聞かせればそれでよい。ブ男だからじゃない。頭が悪かったり、ケンカが弱かったりと、マイナス要素が多ければ多いほど、すごい奴だ。この世ではそれはわからないようになっているだけだ。前にも言ったが、魂レベルが見てわかるなら、そこでの差別が始まるのが人間だ。だから、見た目にはわからなくしているのだが、実はどんな乗り物に乗ってるかでその魂レベルはわかってしまうことになる。
 だからアニキは言う。頭が悪く、弱っちくてブ男だが、それを受け入れて腐ってない奴は周りにいないか。人間的にかなりいい奴だったりする。そんな奴がいたら、そいつの魂レベルは究極に高い。いたら仲良くしろよ。そいつはホンモノだ。菩薩級とまではいかないが、なかなかのものだ。実は、魂レベルの高い人というのは、大体どんな乗り物も乗りこなしている。ものすごいハンディキャップを背負ったりしてる人は、いきなり今世にその乗り物を選んでいるわけではなく、前世では少し軽いハンディを背負っていて、それをみごとに乗りこなしているわけだ。だから、今世のハンディもその延長上にあるから、さっさとその事実を受け入れて、乗りこなしてしまうのだ。そう考えると、アニキもイケメンだから大した魂ではないと言える。(笑)
 菩薩さま知ってるか?そう、お釈迦様の一歩手前の悟り前だ。魂レベルもトップクラスだ。その菩薩さまが転生したならば、絶対にイケメンなんかに乗せてもらえない。そんなもんに乗ったって、全く修行にならないからな。だから、ものすごいハンデを背負って出てくるはずだと考える。でもたぶん、それをも乗りこなすぞ。で、最終的に乗りこなせない乗り物がなくなったら、あがりだ。生まれてくることはなくなるというしくみだ。
 そう考えると、俺たちはまだまだなんだよな、ひよっこもいいとこだ。

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「今世の乗り物」を乗りこなせ!(1/6) ~カラダという乗り物~ [哲学]

アニキ哲学の柱として、人間は「魂」「脳」「カラダ」という三つのパーツで構成されているということを提唱している。以前のブログで話してきたが、覚えているだろうか。「魂」は「魂の謎」で、「脳」は「脳の謎」でそれぞれ説明してきた。残るは「カラダ」だな。今回は三部作の最終である「カラダ」について話そう。
 表題を見ての通り、「カラダ」は「カラダの謎」ではなく、「乗り物を乗りこなせ」になっている。これには意味がある。実は、「カラダ」には謎はない。「カラダはただの身体」で、解剖やなんかしてすべて謎は科学的にかなり証明されている。だから、カラダには謎はなく、謎があるのはカラダを支配している「脳」の方だ。だから、「カラダ」は単に「魂の入れ物」であり、アニキ哲学ではただの乗り物と言っている。だから、いかにこいつを乗りこなすかが問題となるわけだ。前振りはこのくらいにして、本題に入ろう。
 「自分とは何か?」これは古より哲学の命題だが、その答えは人により様々だ。それを考えさせるのも人生の目的のひとつだからだ。鏡に自分の姿を写して、よく見てほしい。「自分とは何か」がわかる。一見、自分とはその姿そのものと思うかもしれないが、そこに映ってるのは殻だ。ただの入れ物だ。自分とはその中身である。ここには異論はないな。当たり前だという声も聞こえそうだ。そう、中身が考えて行動を起こす。姿というカラが考えるわけではない。この乗り物の奥で、操縦している奴がいる。感覚的には、まあ、そんなところだ。
 では、どのようなしくみでこの乗り物に自分は乗っているのだろうか?これを考えたことはあるだろうか?できれば、イケメンや美人で天才的な頭脳やスポーツ万能な乗り物がいいよな。でも、現実はそうじゃない。最初から不具合のある乗り物に乗ってる人だっている。動き始めてすぐに、故障する乗り物もある。これが車だったら大変だ。ディーラーに連絡したら、クレームで即、取り替えてくれる。しかし、俺たちの場合、そうはいかない。クレームが全くきかないから、与えられた乗り物で一生過ごすことになる。製造元である「親」に言ってもはじまらない。親だって、製造マニュアルなんてないから、クレームに取り合ってもらえないし、なぜそうなったのかもわからない。自動車なら、メーカーが二度と同じ不具合を起こさないように、なぜなぜ分析などで徹底的に原因分析するからよいが、人間の場合は何も施しようがないのだ。トヨタなどの一流自動車メーカーなんか、不具合対応について偉そうなこと言ってるが、「じゃあ、人間に応用してみろよ」と言ってみたくなる。そう、人間には何もできないのだ。
 まあ余談はこのくらいにしておいて、要するに人間はどうやって自分のカラダという乗り物を選んだのかということだ。大阪風に言えば、それなんなん?だ。

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