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サラリーマンの武器「ファン」(2/3) ~世の中、全員営業マン~ [哲学]

 では、どうするか?モノを売っているだけではダメなんだ。「ファン」を作らないと。そして、その「ファン」を増さないといけない。世に中で自分のやるべき仕事は実はこれしかない。おっと、俺は営業じゃないから関係ないっていうか。それは違う、いいかよく聞いてくれ。世の中には営業マンしかいないって事実はわかってるか。俺はエンジニアだから関係ないとか、大学で研究しているから自分には関係ないとか思ってないか?もしそうだとしたら、残念ながら世の中のしくみをわかってない。世の中がわかってないということは、仕事ができてないということにつながる。
 よく考えてみてほしい、世の中の社会人全員が何か売って仕事している。そして、その対価に給料をもらっている。わかるよな?例えば、学校の先生は教える技術を売っている、医者は病気を治す技術を売っている、エンジニアはモノを設計する力や製造する力を売っている。名刺に営業部って書いてないだけで、全員が営業マンなのだ。まずはこの事実をしっかりと飲み込んでほしい。その上で仕事のスキルを上げることを考える必要がある。このサラリーマンの武器「ファン」を身につけるためには、まずは、自分はモノ売りであるという認識がとても重要なのだ。ここがわからないと、「ファン」を獲得する意味が全くわからない。そして、だれをファンにするのかという問題が次だ。要するに、「ファン」とはお客さんだ。誰が自分のお客さんかを特定しなければならない。営業マンにとってのお客さんはわかりやすいだろう。当然売り先相手である。でも、社内の管理部門はだれがお客さんかな。いろいろなケースがあるから一概には言えないから、自分で考えていてくれ。だれが「ファン」だと自分が評価されるか、仕事がやりやすくなるかで考えればいいだろう。先生職なんかが一番わかりやすい。自分の技能を売っている相手をファンにすることだから。
 しかし、アニキはこの社会を見ても、ほとんど人はファン作りをやっていない。「ファン」にすることを自分の仕事の中心に置いていないのだ。

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サラリーマンの武器「ファン」(1/3) ~「ファン」からしか儲けさせてもらえない!~ [哲学]

 「信者からしか儲けさせてもらいえない」これが商売の真理だ。アニキは営業畑だから、この言葉は痛いほどよくわかる。この言葉の意味するところがわかってないと、人生は大変苦労することになる。
この言葉はアニキが商社で働いていた若い頃、取引先の中小企業の社長がよく言ってた言葉だ。アニキはこの社長が好きで、訪問する度にその社長の話を聞くのが好きだった。そして今、アニキはこの社長の言葉を借りて、「ファンからしか儲けさせてもらえない」と言い換えた。信者っていうと胡散臭い響きがあるよな。そう、洗脳されて無類やりっていう雰囲気があるから、アニキは「信者⇒ファン」と言い換えている。ファンって言えば、自の意思で決めたった感じがするでしょ。だからアニキは、ファンっていう表現が気に入っている。
 世の中のしくみは、自分の「ファン」からしか儲けさせてもらえないっていうのが不文律だ。いや、それは違うぞと反論する奴は世の中を何もわかってない。アニキが言っているのは、注文を取るとか、取引を始めるって話じゃない。「儲けさせてもらえるか」って話だ。注文は値段を安くして見積もればもらえるかもしれない。しかしどうだ、そこでしっかりと儲けがあるか?という話だ。初めての取引じゃ、かなり突っ込んだ安い価格を提示して商売を取るはずだ。新規では、参入価格とか名刺代わりだとか言って安値で受注するはずだ。商品に競争力があり、言い値で売れるぞと言う奴がいるかもしれないが、そういう人は読まなくていい。そんな簡単な話ではないからな。ターゲットは大して技術力の差がない商品で、同業他社と似たような商品を売っているという前提と考えてくれ。まあ、大概がそういう状況だろう。売る物にあまり差がなく、どれを選んでも大差がない。選ばれるために価格競争やサービス合戦となり、利益は削られてほとんどもうからない。ならば、利益を得るためには何が必要かを考えることが大事だ。そう、高い価格で選んでもらうには、お客に自分のファンになってもらう必要がある。自分のファンなら、多少の価格差は融通を利かせてくれるし、こちらの頼み事も引き受けてくれる。儲けが少ないなら、何とか色を付けてもらうこともできるし、貸し借りも可能だ。これが、「ファンからしか儲けさせてもらえない」という真理で、ここがわかってないから、営業成績が上がらないし、仕事もうまくいかない。
 結局、営業の仕事とはモノを売る仕事ではなく、ファン造りだ。アニキが好きなコンサルタントの小宮一慶も「営業の仕事とはモノを売ることではなく人のつながりをつくる仕事だ」と言っている。まさにその通りだ。モノを売ることに執着しているから、営業がうまくいかない。まず、この点を早く理解することからスタートだ。
 この話は何も営業マンだけの話ではない。サラリーマンとしてうまくやっていくには、すべて「ファン」が必要だ。営業以外のどの部門でも仕事をスムースに自分の希望通りに進めたいなら、ファンの獲得が先決だ。ここがわかってないと、サラリーマン人生で苦労することになる。そして、ファンこそがサラリーマンの強力な武器となる。

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アピーラー達の午後(14/14) ~サラリーマン最後の聖戦~ [哲学]

 この現象はどの企業でも起こっている。大企業になれば、部長クラスでの話でなく、本部長、役員クラスでこれが起こる。大企業では、大概部長までは実力で昇進する。部長までは熾烈な競争がつきまとうので、アピーラーだけでは到底部長になれない。大企業では、「アピーラー+実力」が必要だ。というより、実力競争を少しでも緩和するためのアピーラー作戦と言ってもいいだろう。だから、サラリーマンの暗黒面アピーラーは役員になってから発揮される。
 どこの会社でもそうだ、役員は実力で成るわけではない。役員はトップの好き嫌いで成る役職だ。役員が雲の上の役職だから、一般的にはあまり理解されていないが、役員に近い部長クラスはみんな知っている。だれに気に入られる必要があるかを。また、部長クラスから役員への昇進はまだ序の口で、役員同士で上に上がるにはさらに熾烈な足の引っ張りあいだ。仕事は多大な部下達が業績を作ってくれるから、役員の仕事は自分の管轄へのかけ声とトップへのアピールしかない。だから、どの企業も「おまえは誰の派閥だ?」という話になる。誰の弟子になる?誰の派閥に入る?おひいきになるためにどう取り入るか?これが最も大事な仕事であり、自分の管轄の業績コントロールどころじゃない。そんなものは部下に任せておけ!だ。役員は皆、今後常務になれるか、出向させられるかの問題で頭がいっぱいだ。そこで、部下から上がってきた報告の中からアピールできる内容を探して、社内競争のプラス点とするわけだ。また、ライバルは間違いなく実力者のため、自分が出世競争で選ばれるためには相手の足を引っ張るしかない。そう、大企業の部長クラスや役員は皆でこれをやっている。お互い足の引っ張りあいだ。常にライバルのミスを探して、見つけたらそれをすかさず攻撃する。自分のミスは極力隠す。ここまでくると、正直さは武器にはならない。フェアな考えなんかは相手につけ込まれる恰好のエサになるだけだ。
 そう、サラリーマンの最終競争は悲しいかなアピーラーの競争なのだ。今まで自分の中に眠っていたアピーラー技能がここで開花される。ウソの技能も情報収集もストーリー作りも演技力もすべてここで試される。そう、最大のアピーラー技能を備えて役員の座を勝ち取った者が正義である。そして、役員になったら、そこでも常務、専務、副社長、社長とアピーラーの戦いは熾烈となる。そこはすでに自分ひとりでの戦いでなく、チームで足を引っ張る戦いが繰り広げられる超汚い世界である。数千万円の給料をもらい、ベンツに乗って一等地に住み、2号さんもいるような勝ち組連中も、敷石を剥がせば更なる高みを目指して醜い争いを今日も繰り広げている。
 勝者が正しい世界でない。これが皆が憧れるポジションのサラリーマンの最終決戦であり、人生においての聖戦なのである。アピーラーとは、全サラリーマンの最高権力者達が駆使する能力なのだ。

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アピーラー達の午後(13/14) ~大事なお仕事「実力者の排除」~ [哲学]

 業務に自信のないアピーラー部長は常に自分がその地位を追われることになるとヒヤヒヤしている。そう、アピーラーは非常に小心者であり、自分の実力のなさという化けの皮が剥がれることをおそれ、保身のためにウソをつく。ただ、それが、若い頃のようなライバルを蹴落とすという個人レベルではなくなっている。部長という役職になってつくウソは、会社の信用すらも自分の保身と天秤にかける。そのため、ウソのレベルも桁違いであり、アピーラー上司はモンスター化するのだ。
 モンスター上司はウソをつくことには大胆だが、一般的には正攻法の議論にはめっぽう弱い。では、アピーラー上司を見抜く2つのポイントを教えよう。まず、交渉の場を避ける。実力がないために、交渉や議論にめっぽう弱い。相手の圧力に対してはすぐに黙ってしまい、仕事の軸がないので言い返せない。ウソで対抗する場合もあるが、相手が実力者なら簡単に論破されてしまう。なぜなら、大概のアピーラーの論理は裏付けデータがないので、根拠がないことが多い。そんな感じだから、アピーラー上司は絶対に部下を交渉の場に連れて行かない。ひとりで相手先を訪問して話をしようとする。部下に自分がやられる姿を見られたくないのだろう。だから、ひとつめのポイントは、取引先へは自分一人で訪問するという点だ。2点目は1点目と似たようなものだが、電話は隠れてする。現在、会社の電話を使うより携帯電話で会話する方が多いはず。携帯電話に電話がかかってきたら、そのままどこかへ歩いて行って電話する。また、自分から掛けるときは必ずだれもいないところで電話する。この習慣がある上司は必ずといってもいい。まず間違いなくアピーラー上司である。
 そんなアピーラー上司が一番恐れているのは、自分の実力のなさの暴露だから、それを見透かされないように用意周到に社内で立ち回る。自分に不都合な奴の排除が一番の仕事となる。それは長い年月、相手の足を引っ張ることや架空の手柄ストーリー作りに夢中だったために、本来の業務で鍛えられてないがための話であり、身から出た錆だが、一度歩んだアピーラーの道はもう戻れない。そのため、アピーラー上司となったこの先もアピーラーとして突き進むしかなく、ライバルを蹴落とすのではなく、ライバルになり得る実力者の排除が必要となる。だから、有望な実力のある部下を嫌う。いつ、自分のポジションに取って代わるかわからないからだ。そのため、アピーラーは最後の罠を張る。それが、「実力者の異動」である。自分の部下で実力があり、性格もよく年齢も近い人間がターゲットだ。周りからの人望がある奴はなおさら早めに排除だ。だれが見ても出世しそうな奴が一番のターゲットとなる。前のブログでも話したが、部長とその部下に5年以上の開きがあればまず間違えない。アピーラーは「使える奴はみんないなくなる」と残念そうに話すが、どの口がそれを言うと。全部自分で追い出したんじゃないか。ここでもアピーラーの演技力が全開だ。

タグ:アピーラー
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アピーラー達の午後(12/14) ~モンスター「アピーラー上司」~ [哲学]

 よし、話を戻すぞ。要するに、上司にゴマすって素直に接して自分をまず信用させておいて、ウソ情報を上司に流すのだ。ここでのウソ情報は事実の側面解説が主な話となる。歴史小説家の手腕だ。歴史に描かれてない部分を脚色して語る手法だ。司馬遼太郎の小説のように、すべてが事実であるがごとく語るわけだ。誰も見ていない部分に嘘を盛る。このブログで何度も話したように、棚ぼたの新規受注は自分の影の動きであるとか、そういう類いの盛った解説だ。
で、ライバルを蹴落とすための情報工作だ。上司にライバルの悪口を吹き込むのは、上司が完全に自分の親派となったこの段階から始まる。ライバルが上司に報告しないで勝手に動いているとか、飲み会で上司の悪口を言っていたなどだ。ライバルの悪口は上司がまだ自分を信用していない段階で使うと逆効果となりうるからだ。
 そしてついにはアピーラーは棚ぼたとウソストーリーで出世してしまい、アピーラー上司が誕生する。アピールのみで成り上がったアピーラー上司は実務能力はゼロだ。そして、上司になった勢いを借りてそのまま上に上がり、かなり上層のポジションについた場合、それによる被害は甚大だ。つまり、その地位は自分の地位を実力で勝ち取ったわけではない。嘘つきまくって成り上がったからプロモーションは実力かもしれない。実務ではなく、人の足を引っ張るという実力については講演できるレベルだが、そういうエセ実力はこの場は置いておく。要するに、業務の実力が全くないわけだから、統括という管理職務においては、その仕事に対する知見も判断能力も全くない。前線で身体を張って戦った経験がないため、判断センスがゼロなのだ。「上司とは判断センス」とアニキは定義付ける。センスは磨き続けないと衰えるというのがアニキ哲学だ。実務の中に身を置いて切磋琢磨していても、自らが直接実務に触れていなければ衰えてゆく。管理職になった途端に実務から離れと、突然第六感が働かなくなり判断が鈍るという事態はここからくる。だから、実務を経験してきてない上司などに判断力があるわけもなく、アニキは、ポケットのないどらえもん、魔法の使えないハリー・ポッターと呼ぶ。コンペの馬名に付けたいくらいだ。
 そう、アピーラー上司は間違った判断を下しミスをおかす。しかも、自分が判断するために腹心の部下は全員つぶしてきているから、相談相手もいない。だから、アピーラー上司は自分が事態の前面に出ていかず部下に対処を任せ、うまく処理できれば自分の手柄とし、事態が悪化すれば部下のせいにする。そして、問題が業績や会社信用不安まで発展した時に伝家の宝刀を発揮する。それはアピーラーとしての技能「うそつきVer.2」がまたもや発動される。自分の出世のためではなく、自分の保身という目的のためのうそVer.2の発動となる。部下が適切な報告をしなかったために事態が悪化したというストーリーに作りかえ、その部下を異動させてしまう。しかも、異動させられる部下には、「私は必死に止めた」と訴えて、よい上司を演出することも怠らない。今まで攻めに使った数々のアピーラーといての技能を、今度は自分の保身のために使うことになる。その時のアピーラーの肩書きは、たぶんアピーラー部長であり、モンスターだ。なぜそうなるのか?

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アピーラー達の午後(11/14) ~ゴマもすれよ~ [哲学]

 そんな重要な技能「演技力」を、ウソをもっともらしく見せるための道具として、アピーラーも使いこなす。サラリーマンの武器である「演技力」は間違った使い方をしてはいけないのだが、一流のアピーラーはそれを自分の武器としてしまう。ウソのストーリーを迫真の演技で演じるわけだからたまったもんじゃない。しかし、一流のアピーラーはそれがいかに大事かが分かっているのだから手強い。アニキもかってはアピーラーの罠に何度もはまって苦労したのでアピーラーを賞賛する気はないが、一流のアピーラーは演技力も半端じゃなく、嘘泣きで涙を流したりウソの土下座をしたりと、敵ながらあっぱれなのだ。
 そして、アピーラーの最も恐ろしい点は、上司をすでに洗脳している点だ。上司に真実を直訴したとしても、すでにアピーラーに洗脳された上司は真実を訴える部下に対して、「他人を嫉むな」と一蹴してしまう。そして、「他人のことはいい、おまえは自分のことをやれ」と上司は続けるのである。この壁があるがゆえに、上司に真実が届かない。それはアピーラーの最後の技能である「根回し」である。仕事の9割が根回しであると言われている。ここでも根回しという一般技能をアピーラーは暗黒面で駆使してしまう。ただ、アピーラーの根回しの目的は前向きな業務の遂行ではなく、自分の評価アップのための裏工作だ。己の欲望のためのみであり、上司に対する評価を上げることと、ライバルの評価を落とすという2つの目的である。曲がった行動軸での根回しだからたちが悪い。
 上司に対する評価を上げる目的のためにアピーラーがやることは3つある。ひとつはゴマすり、そして、素直さ演出、そして、この2つで上司の信用を勝ち取っての情報工作だ。ゴマすりと聞くと、「ああ、アピーラーって上司にゴマする奴か」と短絡的に考える奴がいるが、混同してはいけないのは、ゴマすりは別にアピーラーだけの所業じゃない。上司へのゴマすりは立派な出世の戦術だ。上司にゴマすらないと出世できないぞと、アニキは言う。正攻法の実績を挙げても出世しない奴がいるだろ、そいつは上司にゴマすらないからだ。ゴマすりについては、後日アニキブログ「サラリーマンの武器『ゴマすり』」で詳しく話すから、ここではアピーラーとゴマするとの関係だけにしておく。ゴマすりが疎ましく見えるのは、ゴマすりだけで仕事している奴がいて、彼らはゴマすりしかやらないからだ。そして、バカ上司はそういう奴を可愛がるから勘違いするのだ。ゴマすりだけじゃダメだ!という話で、「少しはゴマもすれよ」ということだ。ゴマすりだけでは出世できないが、ゴマもすれなきゃ出世はしない。必要条件と十分条件の話だ。

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アピーラー達の午後(10/14) ~アピーラーの技能「演技力」~ [哲学]

 そして、最大技能である第四の技能、「演技力」を駆使する。演技力は欠かせないサラリーマン技能である。棚ぼた成果をさも苦労したように演出するために必要な技だ。大概の成果は棚ぼたが多いはず。それでのし上がった輩も多いはず。それが現実の大半だろう。運の良さももちろんあるが、それを我が事にする技能、それが演技力だ。君らの上司の大半はそれで上がった連中だ。演技力は、アニキ後日ブログ「サラリーマンの武器『演技力』」で詳しく話すが、アピーラーはまさにこの技能を使う。演技力だけでもサラリーマンの仕事が成り立つくらいの大技である。
 アニキは過去の商社マン時代に、会社のリクルーターとして新人面接にかり出されたことがある。実際の現場で仕事している先輩社員に学生の質問に答えるという役目だった。人事部じゃ実際の営業現場の様子を語れないからだろう。学生を選ぶ就職面接では、学生も会社を選ぶという一面もあるからだ。そこで、学生が質問してきた。「商社マンにとって一番必要な技能は何ですか?」と。俺たちを値踏みするような質問だ。「ほれ、言ってみろ」といわんばかりの質問だ。こういう時の答えは、誠実さや、情報収集力などと言ってはいけない。しかも、「一番」と言っているから2つを答えてはいけない。これは、商社で働いている人間を値踏みしようとしている質問であり、社会人に対してケンカを売ってきた状態だ。なめられちゃいけないから、ここでの答えは即答で、しかも一言で言い切らなければならい。営業マンとしてのレベルを見ようとしているような質問だ。この質問では何が重要かと言うと、一言で言い切ることと即答だ。それ以外は何でもいい。相手の質問の本質は答えの内容を訊いているのではなく、アニキの答え方を見たいのだ。アニキ哲学ではいつも、「言葉は定義付けろ!一言で言い切れ!」だ。すべて、一言で定義付け、迫力を持って言い切る。間違っててもいい、一言で相手を言葉で刺すわけだ。この話も長くなるからやめておこう。ここで大事なのは、アニキのその答え方だ。だからアニキは「演技力だ!」と一言で言った。そして、その理由もすかさず言う。「いいか、一流の俳優はその演技力で感動させてお金を稼ぐが、商社マンは演技力で感動させたあとに注文をとらなければならない。迫真の演技で怒ったり泣いたりした後に注文を取らねばならない。だから、商社マンは俳優よりも厳しい仕事だ」と。学生はまさか演技力なんて言葉が出てくるとは思わなかっただろう。またそれを一言で言い切って、その理由も長々としゃべらずに一言だ。学生は一瞬、目を丸くしたが、すぐにお礼を言った。俺はさらに、「どうだ、商社マンになりたいか?」と訊いたら、「はい、すごく成りたいと思います」と、目が輝いていた。
 アニキは何が言いたいかというと、要するに「演技力が大事」ってことだ。

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アピーラー達の午後(9/14) ~アピーラーの特殊技能~ [哲学]

 話が逸れたから元に戻そう。要するに、アピーラーは暗黒面に心を奪われたことにより、周りを蹴落として自分が頭一つ出るために工作する連中だ。実力があれば、アピーラーなどという卑怯な道は選ばない。実力がないために、出世するために別の道を探すと、そこに見えてくる道が周りを蹴落とす道が見えただけだ。それがアピーラーの土俵となり、自分はただひたすら邪魔になりそうな奴の足を引っ張る。気がついたら、周りからアピーラーというレッテルが貼られている。本人はそのことはわからない。他のアピーラーのうわさを聞いても、自分は違うと思っている。
 だから、とにかく周りの足を引っ張る。そこまでするのか?と思うが、仕事においてのマウントポジションを築くには、とことんやるのがアピーラーだ。中国の宦官なみだ。昔の中国の宦官は欲望のすべてを出世にかけていたために、まわりを貶める策を練り、ライバルを謀殺し、皇帝にこびを売った。さらには、次の皇帝の卵にも目を付けて、自身の権力の継続を計る。アピーラーとは涼しげな言葉だが、やることは超汚いのだ。
 では、アピーラーの技能を紹介しよう。主なる技能は前述の「うそつき」だ。アピーラーの技能の軸はうそつきしかないと言い切る。息するように平然と嘘をつき、顔色ひとつ変えない度胸もある。最初は人を貶めるやめのウソに抵抗を覚えるのだが、その嘘でライバルが挫折し、自分が浮き上がる。そんな成功体験をすると、次第にエスカレートする。しかも、嘘をつきなれてくると、うそがばれることに怯えなくなる。少し事情を知ってる周りはそれはウソだろと思うが、日頃からアピーラーのウソで洗脳されてるアピーラーの上司達は簡単に信じてしまう。だから、超ウソっぽい話でも、口笛吹いて軽やかに乗り切ってしまう。
 そして、次のアピーラーの技能は情報収集である。アピーラーはある程度頭がいいので、何が自分のネタとなるかを考える。つまらない日常の出来事をネタとする。冒頭の取引先の人事異動なんかもそうだ。たかが人事異動だが、その取引先の相手が自分の上司と合わなかった場合、その相手先が他に転勤になれば、「私が陰で動きました」と報告する。バカ上司は、「そうか、すごいな」と評価点に響く。
 第三の技能、それはストーリー作りだ。アピーラーはある程度頭がよい小ずるい奴なので、いろいろストーリーを考える。自分にとって都合のよい最高の小説を頭で描く。頭が悪い奴はアピーラーにはなれないのはこういうところにも出る。そう、小ずるい奴がアピーラーには向いている。アピーラーは常に成果のネタをさがしている。自分を主人公とした物語を作るためだ。題材は何でもいいが、望むネタはプラスの業績ネタである。新規受注、売上増、業績改善などだ。ここをまず中心に探す。自分に部下がいれば、報告内容からネタを選び、自分が全く関わっていないにもかかわらず、どう関わったかのストーリーを考える。結果に結びつかなかった場合は努力の背中を盛り込む。マイナスネタの場合、素直に報告すると上司からの評価が下がるので、「交渉して何とかここまでマイナスを食い止めました」と話を盛るのである。話は山盛りで上司へ報告することになり、事情を知らない上司からの評価は絶大となり、「君の働きに感謝」となる。

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アピーラー達の午後(8/14) ~「道」の暗黒面「獣道」~ [哲学]

 また本題から逸れるが、せっかくだから道(どう)についてもう少し説明しておこう。アニキ哲学では、日本人の行動の源である「道(どう)」を哲学の柱としている。過去ブログでは何度も日本人の行動の本質は「道の精神」だと書いてきた。そして、アニキ哲学の考え方のひとつに、「すべての概念には相反する2つの事象が引き合ってバランスを取っている」というものがある。道にもいい面だけということはない。その意味では、道(どう)の対極が「獣道」である。アニキ哲学において、獣道は「けものみち」ではなく、「けものどう」と読む。道(どう)の精神をマイナス側に使うという意味である。日本人の生き方の精神を象徴するプラスの概念が道(どう)であるが、マイナス側にそれを生かすことも可能であり、負に向かって極めてゆくこともできてしまう。残念なことだが、マイナス側にも磨けてしまうのだ。世に中のよいと言われる物や考え方にはすべて裏も存在するというのがアニキ哲学だ。だから、始末が悪い。人間の創造主はよく考えて作ったものだと思う。良い物を手に入れようとすると、そのすぐ隣には負の意識があり、簡単には手に入らないようにできている。道の精神も武器だと考えればしっくりくるだろう。アニキがブログで提唱するサラリーマンに武器は考え方の武器が多い。何か、伝説の剣でも与えてくれるのかと期待しても、そんなものはどこにもない。自分の心とそのしもべである脳の使い方が武器なのだ。心が行動軸を作り、脳に行動指示を与えるだけだ。だから、考え方に間違いがあると裏目に出る。誰もが簡単に持つことができる技能だが、考え方次第ではマイナスに作用する。稲盛さんも言っているあのかけ算だ。最後に考え方というマイナスのかけ算をすると、いままで努力で増やしてきた莫大な数字は一気に莫大なマイナスの数字に化けるのだ。人生を象徴する方程式であり、肝が冷える。要するに、武器にいい物も悪い物もない。武器を使う者次第ってことがこの世の真理だ。考え方次第で武器にも凶器にもなる。獣道とは言わば、スターウォーズのフォースの暗黒面と言うのが一番しっくりくるだろう。
 アピーラーに話を戻すと、出世の暗黒面に心を奪われたサラリーマンこそがアピーラーであり、自分の評価や出世のためには何でもありという覚悟を決めた人種だ。人間の欲望は常に暗黒面に支配されている。ダースベイダーだって若い頃はいい奴だったんだ。それが考え方で変わってゆく。サラリーマンなんかもっと心が未熟だから、簡単に暗黒面に落ちるのはわかるだろう。
 そんな狭い会社の中にあって、正当な競争で出世を期待しているのは世の中のごくわずかなサラリーマンだ。ほとんどのサラリーマンは自分の実力のなさに落ち込む。実力では無理だと悟り、ライバルに嫉妬する。しかし、何とか出世はしたい。だから、禁断の果実に手を出し、ライバルの足を引っ張ることを平然とやる暗黒面へと落ちるのだ。それがアピーラーだ。
 悲しいその素性を聞くと同情もするが、そのアコギな手口は決して誉めらるものじゃないが、サラリーマンという性質上、命まで取られることはない。

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アピーラー達の午後(7/14) ~アピーラーの「道」~ [哲学]

 そう、アピーラーはバカではなれないのだ。アピーラーは自分に実力がないということに気づく頭のよさがあり、どうしても出世したいという願望があり、その目的のため裏工作で生きてゆくという道を自ら選んだ者だ。まるで中国の宦官だ。汚い手口を使うアピーラーは、そういう意味では、中国の宦官の生まれ替わりかもしれない。だから、ライバルを蹴落とすことを真剣に考えて実行する覚悟が備わる。足を引っ張るという汚い手段、ここがアピーラーの土俵となり、ありとあらゆる裏手段を講じてゆくことになる。そう、頭がいい人間だからこそ、裏工作で結果が出てしまい周りから煙たがられる。だから、アピーラーの的にならないように気をつけたり、媚びたりする人間も現れる。しかし、アピーラーの特性として、義理人情は一切通用しない。アピーラーは自分の評価を上げることだけを考え、周りは全く見えていない。つまり、自分が邪魔だと思えばすぐに蹴落とすことだけを考える。まあ、小心者だから、情報収集のために信者を周りに置く奴もいるが、利用されているだけだと心得よ。
 アピーラーに対するゴマすりも通用しない。アピーラーには、「自分がやるから相手もやる」という行動理念がある。決して誉められる理念ではないが、頭がいいだけあって、自分がやる卑怯な行為は自分がやられる可能性があるということを常に警戒している。だから、抜け目ない。アピーラーが自分の直下を何年も潰していくことができるのは、この恐怖感のためである。自分は汚いことを平気でやるが、他人にやられると腹が立つのがアピーラーの特性だ。つまり、自分はゴマするが、他の奴がゴマするのは気に入らない。そこには当然アピーラーの潰しが入る。自分の評価には関係ないのだが、同じことをしている奴が気に入らないらしい。
 まあ、とにかく小さいのだ。本来はプラス側に使うべき頭のよさをマイナス面で開花させてしまったたわけだ。あまりにも卑怯な思考で固まっているために、彼らは口では語らないが、そこにはアピーラーとしての哲学も存在する。アピーラーもいわゆる日本人の精神の「道(どう)」がある。そう、アピーラー道だ。そこには、我々が理解できない独特の哲学や軸が存在する。それは、一般の道とは違ってねじ曲がっている。一方的な見方になるが、ねじ曲がって見えるのは正当な道(どう)の追求者の見え方であり、アピーラー側から見れば何もねじ曲がっておらず、真っ直ぐな道に見ている。これは、自分の側が常に正義であるというアニキ哲学の正義概念だ。そういう意味で、アニキ側からはアピーラーの道は邪道といえる。
 アニキ哲学では、道から外れた道はすべて邪道と言う。邪道の中で、道と正反対の理念は獣道である。つまり、アピーラー道は獣道であり、しかも片道切符だ。一度その獣道に足を踏み入れると戻れない怖さがある。そうとう人徳のある道(どう)を語る上司でもいない限り、人を獣道から戻すことはできない。単なる邪道と獣道との違いはここにある。邪道と獣道については、後日ブログで説明することにしよう。

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アピーラー達の午後(6/14) ~アピーラーになる要素~ [哲学]

 話が逸れてしまったから戻そう。人はなぜアピーラーへ変貌するのか。そして、なぜアピーラーに身を落として卑怯なことをするのか、なぜ正々堂々と戦わないのか。そこにはアピーラーという悪魔に魂を売ったその覚悟が存在する。
 アピーラーも元は入社試験を通ったごく普通の新人だ。社会人になりたての時は、嘘ついてでも就職試験を勝ち抜いた実力者である。就職試験は大概、ガチンコ勝負だろう。まあ、コネで入社する奴もいるだろうが、別にそれは汚い手段でない。コネという立派で正当な手段だ。決して裏口入社じゃなく、コネ採用という正攻法だ。よく、「あいつはコネ入社だから」と陰口をたたく奴がいるが、そういうことを言う奴こそが実力がない証でありアピーラーの卵だ。
 まあ、それは置いておいて、要するにアピーラーとなる要素は、まず、自分に実力がないことがわかってしまう分析力は備えている。分析力もないボンクラではアピーラーにすらなれない。アピーラーの卵達は、自分に実力がないそんな状態でライバルと競争できるはずがないと、まずは自己認識することから始まる。では、どうやって優秀なライバル達と戦うか?と考える。正当な競争では無理だから、周りを引きずり降ろそうとするわけだが、そういう意味ではアピーラーは頭がいいのだ。自分の実力がないことを認識して、正攻法の戦いでは実力のある同僚に勝ち目がないと悟る。そうだ、アニキ過去ブログ「自分の土俵で闘え」だ。まさに、この真理を実践している賢い奴らだ。正攻法での戦いがライバルの土俵であるとわかると、そこで努力しても成果は出ない。上司はその土俵での勝者を評価するからだ。だから、正攻法の戦いを避けて自分の土俵を探す。すると、実力がないことを生かす己の土俵はライバルの足を引っ張るしかないことに気づく。自分ではアピーラーを積極的に選んでいるわけじゃないから、自分がやっていることがアピーラーの所業だとは気がつかない。ただ、ライバルの足を引っ張るだけである。ここがアピーラーとしてのデビューであるが、本人にはアピーラーの自覚はない。というか、アピーラーを意識している奴なんかはこの世にいない。
 このブログを読んでいるアピーラーの多くは、他人のことを想像している。自分のことだとはつゆとも思ってない。自分の同僚や上司を想像して、「あいつはアピーラーだな」とほくそ笑んで読んでいるはずだ。アピーラーとは陰口だから自分で名乗る奴なんかいない。しかし、まずここで覚えておかないといけないことは、後ろ指さされるこのアピーラーには誰でもなれるわけではない。目指してアピーラーになる奴もいない。分析力に優れる小ずるい頭の良さがあり、用意周到で汚い手段で評価を確実にものにする。そんな奴だからこそ、周りから脅威的に見られ後ろ指をさされるわけだ。実力がなきゃ、だだバカにされて終わりだ。しかし、ずる賢くのし上がってゆき、いつ自分が的に掛けられるかわからないからアピーラーは怖い存在なのだ。アピーラーと後ろ指を指される理由は、それが脅威な存在であることと、出世や評価のためにそこまで汚いことをできないという嫉妬や羨望も含まれているからだ。

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アピーラー達の午後(5/14) ~卑怯な土俵で闘え!~ [哲学]

 まあ、汚い。というか、相手を引きずり降ろすまでとにかく、あらゆる手を使って蹴落とす必要があるから、直接的なウソだけでではなく、ターゲットの評判を落として孤立させる。また、上司との連携にもひび割れを起こさせる為に、周りにも平然とウソ情報を吹き込んでゆく。一度、足を引っ張ると決めたなら、結果がでるまでやり続ける必要もある。そのため、性格も次第にゆがんでくる。顔も意地悪くなる。その笑顔には昔のような爽やかさはない。直接的な攻撃が利かないと、落とし穴を堀りそこへ導こうとさえするようになる。いわゆる、毒盛りだな。
 要するに、ライバルの周りに地雷を埋めてゆくような感じだ。それをばれないようやろうとする。スパイ顔負けの行動だが、アピーラーと言われる連中のやることは、大体の行動が浅はかで緻密じゃないから、行動がモロバレのケースが多い。「またやっているよ、あいつ」と干されてゆく輩も多い。しかし、アピーラーの地道な努力は、そのマメな工作活動によりライバル蹴落としにまんまと成功してしまう。この世界は意外に努力が報われる。マイナスの世界の努力は実を結びやすいのが世の常である。やることはえげつなくても努力は決してムダにはならない。そこが人生の不思議なところである。そして、そんなアピーラーが運良く部長にでもなろうものなら、今度は自分の地位を脅かす後輩達をも蹴落として、自分の地位を脅かさないように、自分に近づかないように罠を張る。諸君の周りをよく見てくれ。部長とその直下の年代が結構空いているなら、その部長は間違いなくアピーラーである。己の直下の部下を、何年も潰したり異動させたりして排除してきた証である。すごい奴になると5年以上も空けている。中小企業なら10年も空けているようなそんな輩も数多く存在する。
 アピーラーは自分に実力がないのはわかっているから、実力のある奴がとにかく怖い。常に自分が部下に抜かれるんじゃないかと恐れている。実力がないゆえに実力者に怯える。アピーラーとは要は小者なのだ。小者は所詮小者であり、それ故に戦い方も醜いのだが、それしか方法がないのだからそれを実践しているにすぎない。傍から見ると汚い手段を使うので卑怯に映るのだが、彼ら小者も実力のない中で何とか出世したいと努力する健気なサラリーマンである。そういう意味では、結果を出すために自分の得意な土俵で戦っているだけだ。外部が、「もっとフェアに戦え」とか、「姑息なことをするな!」とか批判するが、アピーラーからすれば、「はあ?」だ。フェアな戦いとは当然実力のある連中の土俵である。人の土俵で勝負してはいけないとアニキは、このブログでも過去ブログ「自分の土俵で闘え」でも警告している。アピーラーはやることが汚いから周りから見ればすべてが負に映るが、彼らにとってはアンフェアが自分の土俵であり、そこで勝った者が正義だと考えているだけである。
 まさにそれは歴史が証明している人間社会の真理なのだ。

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アピーラー達の午後(4/14) ~サラリーマン2つの道~  [哲学]

 そういう意味では、アピーラーは自然とできあがってしまう自然の産物だとも言える。ウソつきという技能を研ぎ澄まされた戦士「サラリーマン」は、その技能をどう使うかが重要になる。ウソつきだけなら、普通のサラリーマンだ。というか、前回の記事でも話したが、会社勤めする人間は全員ウソつきだ。ウソつきじゃないと仕事にならないのが現実じゃないか?まあ、この話は長くなるから、詳しくは後日ブログ「サラリーマンの謎『うそつき』」で話そう。ここでは、ただのウソつきサラリーマンがアピーラーに変貌する様を見てゆこう。サラリーマンがアピーラー化するには他の環境要因が必要だ。その要因を分析してゆこう。
 まず、サラリーマンとして社会の競争に身を投じたなら、その仕事上には2つの競争戦略しかない。意識してやっている奴もいるだろうが、大概は無意識にやる。それは何かというと、「手柄を取りに行くか、相手の足を引っ張るか」の2つのどちらかだ。平たく言えば、「自分が上を目指すか、相手を蹴落とすか」だ。言い換えれば、プラス評価を得るか、周りをマイナス評価に落とすかだ。性格にもよるのだろうが、前者は正常な競争だ。だれでもわかる普通の競争であり正当な競争だ。仕事の世界も同じだ。新規拡販や新規開発、売上アップに努力するなどして手柄を挙げて評価を得、出世する。そう、ライバルとの競争の中で自分の努力と実力で成り上がるのだ。スポーツ選手と同じだ。見ていて気持ちがいい。自分の真摯な姿勢での努力を突き詰めて高みを目指す。スポーツ選手の真剣な努力により、人に感動さえも与える場合がある。「サラリーマンシップにのっとって正々堂々と戦うことを誓います」って感じか。
 そして後者がアピーラーの取る戦略である。アピーラーは、ライバルの足を引っ張って引きずり降ろす。自分が上にあがるのではなく、周りを引きずり降ろして、自分が頭ひとつ出るという作戦だ。スポーツ選手でこれをやる奴はいないだろう。ライバル選手に毒を盛るような話だ。これは、卑怯なやり口だから正々堂々としていない。引ずり降ろす相手が強力であればあるほど、醜い作戦が必要となるからだ。誉められるもんじゃないが、まあ、引きずり降ろす手段もピンキリだ。その卑怯なやり口の中でもまだ許される範囲といえるのは、ライバルの裏情報を流して評判を落としたり、必要な情報を流さなかったりと、相手の仕事の質を落とす戦略だ。こんなのはまだかわいいレベルだが、強力なライバル達は心も強く実力もあるのでそんな程度のことでは全く動じずない。生半可なやり口じゃ足を引張れないから、更なる卑怯な作戦が必要だ。醜い作戦はいくらでもあるから想像してくれ、ここでは敢えて言わない。とにかく、引きずり降ろすまで醜い作戦は永遠と続くのだ。

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アピーラー達の午後(3/14) ~サラリーマン最大の仕事「うそつき」~ [哲学]

 そんなクズ野郎なアピーラーであるが、人は誰でもアピーラーになり得る要素がある。昔を思い出してほしい。諸君は就職の時、就職面接で嘘八百を並べ立て、面接をクリアしてきたではないか。懐かしい人生の一幕だっただろう。雀の涙ほどの小さな実力を、これぞとばかりに大きく見せてきたことは記憶にあるはずだ。そのテクニックこそが、アピーラーの技能のひとつであり、その片鱗は誰でも持っている。事情の知らない相手に対しては何でもありという自然法則がある。要は、「ウソそつき」である。ウソで塗り固めて武装する。これがまず、諸君がサラリーマンとして最初にやったことだ。もしかすると、相手の面接官も君らのウソのうまさを見ていたのかもしれない。この神妙な面接の場でそこまで平然とウソをつくかと、しらっとウソ嘘つくことができるクソやろうだが、その度胸と演技力を見て「こいつはつかえる」と面接管は考えるのかもしれない。なぜなら、サラリーマンにとってはウソつくことが最大の仕事であるからだ。ウソつき人生と言っても過言ではない。さて、面接をうまく切り抜けると、晴れてサラリーマンの一員となるのだが、部署に配属されると、上司や先輩は「ウソはダメだ、真実を伝えろ。ハートtoハートだ!」と声高々に指導するのだが、彼らの背中を見ると、日頃やってることは嘘八百だらけだ。その姿に、「な~んだ、指導自体がウソじゃないか」と新人は身を持って理解するわけだ。上司と飲んだ席で、「なんでウソなんかつくんですか?」と真面目に質問しても、上司はただ、「お前はまだ青いな。それが会社勤めってものだよ。」と、理屈にならない回答しか返ってこない。
 そう、社会においては、正論だけで物事は進まない。仕事をうまく前に進めようとすると、正しい真実は邪魔なことが多い。で、ウソをつくことになるのだが、下手なウソは相手に見破られるから、またそれを別のウソで塗り固めてゆく。ウソをウソでうわ塗りするので、エビデンスも改ざんすることになり、何が真実かわらなくなってゆく。そんなウソの毎日を何年も過ごしてゆくから、条件反射的にウソが口から出るように成長する。仕事で少しでも追い詰められると、ウソが自然と口からでてしまう。息するようにウソが出る。そこまでウソが磨かれてゆく。どんなダメ社員であっても、ウソつく技能は世の全サラリーマンが全員漏れなく成長する技能だ。
 しかし、上塗りされ続けたウソには必ず限界がある。そして、そのウソが身を滅ぼすことになる。取引先相手に被害が及び、もうこれ以上ウソつくことが不可能となると、いよいよ上司にまでそのウソの影響が及ぶ。上司はウソもここまでかと観念して、担当者を変えてリセットする。担当者が勝手にウソをついていたのではなく、上司がウソを指示していた場合でも、その上司は平然と、「前任者がウソついてましたので、新たな担当者に変えました。こんどの担当者は正直者なのでもう安心です。」と、ここでも大ウソをつくわけだ。まさに、企業の人事ローターションとは、定期的にウソのリセットが大きな目的でもある。
 そう、ウソつきは日常の仕事に欠かせない業務行為であり、毎日毎日朝から晩まで何年も取引先や社内にウソをつき続けるわけだから、自然とウソの技術が磨かれてゆく。繰り返すが、サラリーマンは自然とウソの技能が高まってしまうことになる。よって、アピーラーは、高まったウソという技能を、自分の出世やポジション安定、又は評価を上げるために用いているだけとも言える。


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アピーラー達の午後(2/14) ~その秀逸な技能~ [哲学]

 さて、サラリーマン社会におけるゲス野郎「アピーラー」とは、アピールすることがすべての輩達である。アニキは人の道に逸れた人種を輩(やから)と呼ぶ。美空ひばりの柔(やわら)ではない、輩(やから)である。最低な野郎達だが、会社勤めしている輩はまだ社会性はあるからそんなに敵視しなくてもいいのだが、自分に被害が及ぶなら話は別である。輩は実に迷惑な存在となる。
 そんな輩の日常の信念は、「手柄」を見つけることだ。トリュフを探す豚のようにアピールのネタを探している。何でもいい、自分の手柄と映るものすべてが、アピーラーのターゲットだ。タナボタの受注も、人事異動も、ラッキーな出来事もすべてアピーラーが自分のストーリーとしてしまう。ネタはボロでもかまわない。ひどい奴になれば、取引先人事も自分の根回しの成果だと主張し、すべて自分が陰で動いたからだと報告する。アニキのかっての上司も筋金入りのアピーラーだった。アピーラー選手権でもあれば、かなりよい順位を取れそうな最低な男だ。昔こんなことがあった。大きな問題が発覚し、上層幹部から解決の指示を受けたそのアピーラー上司は、「わかりました。私は陰で動きます。」と応えてあとは何もしなかった。アピーラーが板に付いたかなりのツワモノだ。その部下達が必死に問題を解決しようと動きまわり、最後には事なきを得たのだが、結果報告はその上司が幹部にするわけだから、いかようにも事実を曲げることができる。その報告の様子を他の部長から聞いたが、やはり、「自分が陰で動いた甲斐があった」と説明していたそうだ。な、かなりのアピーラーだろう。クソもいいとこだ。これが、祈祷やお百度参りでもして得た結果ならまだ許せるが、何もしないで結果だけ横取りする。部下が真剣に動いても結果が出なかった場合は、「もっと自分が動いていればこんな結果にはならなかった」と後悔の演出をして悔しがる。部下に任せた自分が悪いと、自分の上司である幹部にとことん詫びるのだ。その詫び方も迫真の演技であるため、幹部も許してしまう。頭を深く下げて詫びながら、その口元では舌を出しているわけである。幹部がアホなこともよく知っていて上手く利用する。そんな演技もまたアピーラーの技能である。
 これがアピーラーの生態であり、現在の目の曇った上層連中ではそれが真実かどうかを見抜けない。出た結果を「自分が仕組んだから」というストーリーに塗り替えて上司を納得させてしまう手腕がある。これだけでも相当なサラリーマンの武器となるのだが、アニキはこれをサラリーマンの武器とは絶対に認めない。


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アピーラー達の午後(1/14) ~その真実と生態~ [哲学]

 「アピーラー」って言葉を聞いたことはないか?サラリーマンを長くやっていると、その言葉をあちこちでよく耳にするはず。一般用語じゃないけど、どこの会社にもそれらしき言葉があり、表ではなく陰で使われる。響きはかっこいいが、それは決して褒め言葉ではない。かっこ悪い象徴だから、映画にもならない。どちらかと言えば、けなし言葉だ。語源は、読んで字の如し「アピール」から来ている。アピールする人という意味で、アピーラーだ。
 では、何をアピールするのか?サラリーマンである以上、当然、仕事でのアピールである。サラリーマンにとってアピールは大切だ。アピールしなければ給料も上がらないし出世もしない。大きな企業ではなおさらだ。こんなことは誰でも知っている。なら、なぜアピーラーと罵る必要があるのか。アピール?いいじゃないか、当然だろ。アピールはサラリーマンとしては必然の話であり、それは仕事が評価されるためには必要なことだ。しかしなぜ、アピーラーは陰で言われるのか。アピーラーとゲス呼ばわりして、アピールすることをバカにする必要はあるのか。
 アニキはアピーラーをゲス野郎と罵る。それは、アピーラーには罵られるだけゲスな奴らであり、その存在には大きな問題があるのだが社会問題とはなってない。それは、アピーラーはただゲスなだけで、法律を犯しているわけでもなく、違法者でもない一般人だからだ。だから、法をもかいくぐることもできるその体質が、アニキには許せない。
 ではなぜ、アピーラーはゲスなのか?アピーラーをあえて定義しないが、指さすとすれば、彼らは日々アピールすることに忙しく、本業は無視又は手を抜いて、アピールのみで出世や昇給を手に入れている。それの何が悪いの?と言われるが、それは運よく周りにアピーラーいない世界で仕事をしているだけで、彼らの踏み台にされてないから平然としていられるのだ。彼らに引きずりおろされた経験がないから、悠長にしていられるだけだ。しかし、長いサラリーマン人生の中には必ず現れると言っておこう。付け加えるならば、会社の上層部に参入すれば、周りはみなアピーラーだらけだ。だから、出世したら必ず会えるから、まあ心配するな。
 というか、企業の上層幹部の競争では、サラリーマンシップのような正々堂々とした競争は存在しない。そこには、手柄を取りに行くんじゃなく、誰かを蹴落として自分がのし上がる競争しかない。今まで人情派で親分肌だった上司が、役員候補になった瞬間、突然悪魔の手先のようなことをするようになる。自分の今までの実績と能力だけではそこから上に上がれない。頭一つ飛び出るため、その出世のために背に腹を変えられないから、悪魔に魂を売るようなアピーラーの技能が必要となり、出世のために禁断の果実に手を出してしまう。言わば、出世という果実を取るために、アピーラーという禁断の能力に手を出してしまうことになる。それまで築いてきた行動軸も理念も捨てさせていまうその魔力「役員就任」。この話は長くなるから、後日ブログのサラリーマンの謎「出世」で詳しく話すとしよう。

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「嫌われる褒め言葉」を使いこなせ!(第三弾) [コーヒーブレイク]

 アニキの前の会社にTさんという先輩がいた。なかなかよい人で、アニキは自転車が趣味の時期があり、一緒に休日にはサイクリングに出掛けた。ある日、一緒に自転車ショップに行った時のことである。自転車用のヘルメットを購入しようと、Tさんはいろいろと試着していたのだが、どれもサイズが合わない。そんなことはないということで、店員さんが手伝ってくれたのだが、確かに合わないのだ。その原因を分析したところ、頭の大きさではなく、形が普通の人と少し異なっていた。頭の奥が長いのだ。上に長いのではなく、斜め後ろに長く伸びているという特徴がある。ちょうど、映画のエイリアンのような感じで、エイリアンにヘルメットをかぶせるような雰囲気だ。そこですかさず、「かっこいい頭の形ですね、エイリアンみたいですよ」とTさんを褒めた。結局そこに置いてあるヘルメットはどれもダメで、外人用を取り寄せるという結果になった。
 頭の形と言えば、こういう話もあった。アニキが新人営業マンの頃、取引先にK部長という人がいて、この人の頭の形が気になった。頭のてっぺんがとがっているのだ。こんな人は初めて見るのだが、いつもK部長と会うと頭に視線がいってしまい、あまり見ないようにはしていたが、気になった。なぜなら、その部分を手で持てそうな感じにとがっていたからだ。ちょうど、ちびまる子に登場する長沢くんのようなイメージだ。ホントにそんな人がいるんだなと、マンガであるちびまる子の登場人物は、だれもが現実離れしたキャラであるが、実は現実に存在していたに違いない。
 昔、アニキの以前の部署にKさんという女性がいた。彼女はいい歳なのだが、なかなか結婚しない。結婚するのが嫌なわけではないらしい。男の理想が高くなかなかお目当ての男が目の前に現れないという。好みを訊いてみたが、「白馬に乗った王子様」が迎えにきてくれるはずだから待っているという。占いでそう言われたようなのだ。この現代、白馬の王子とはどんな奴だ?と。いかがわしさ満点である。白いタイツでもはいているのか?本当にそうなら、それは王子でなくただの変態だろう。その夢を律儀に信じている姿が健気なので、あまりチャチャ入れるのは止めていた。しかし、月日は過ぎて10年以上も経過したが、白馬の王子は一向に現れないようだった。会社の飲み会の時に状況を聞いてみた。彼女は占いが当たらなかったんじゃないかと落ち込んでいた。アニキはかわいそうに思い、「待ってもダメなら、そろそろ自分からアタックしなきゃ」とアドバイスし、「今更王子様は無理だから、王子はやめて乗っている白馬を狙いな」と。何事も理想を追うのではなく、身の丈を考えないといけない。白馬なら何とか手が届くはずだ。


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自分の土俵で闘え!「続編」(5/5) ~「お願い」という交渉~ [哲学]

 この話、長くなりすぎたからそろそろ終わりにしたい。交渉とは、サラリーマンの闘いである。しかし、仕事において交渉を軽んじている人がとても多い。お客が有利だというのも幻想だ。最初からそう見せているだけだ。彼らは普段から自分が客だということを前面に押し出し、立場の違いをこちらに植え付ける。そうこちら側を洗脳しているにすぎない。しかし、これはれっきとしたお客側の交渉戦略であり、実際の交渉になった場合、すぐに自分らの土俵に「気」を引きずりこめるように周到な準備をしているのだ。だから、そういう状態も想定内にしておかねばならない。お客という立場で攻められると、すべての交渉が「お願い化」してしまう。そういう状態のお願いは、すでに相手の土俵でお願いしているわけであり、お願いを聞いてもらえるはずもない。お願いを聞くかわりに、もっと大きな宿題を背負わされたりする。相手の土俵でお願いするということは、ケツの毛まで抜かれてもおかしくないのだ。このような状況でのお願いを「単なるお願い」と呼び、交渉戦術である「お願い」と区別したい。
アニキは最初、お願いも交渉戦略のひとつと言った。お願いは交渉にも使える高等戦術だ。要は使い方次第だ。上記のようにお客にただお願いする「単なるお願い」は、交渉でもなんでもない。玉砕覚悟の「お願いしたけどダメでした」という結果を最初から想定している話で、その時点ですでに「気」が抜かれているのだ。お願いはれっきとした戦術であるが、お客などに使う場合は必ず、自分の土俵で使わなければならない。マウントポジションを取った上で発動する攻撃である。こちらが有利な状態でしか使ってはいけない武器なのだ。
 そう、自分の土俵に持ち込めば、「お願い」という交渉術でお客をこちらの有利な方向に誘導できる。簡単に言えば、こちらの土俵でする「お願い」とは、「こちらの要求を呑まないとひどいことになるよ」という相手の弱みを突いた話を、単に下から目線で要求することにある。なんせ、相手はお客さんなんだから、遺恨が残らないように丁寧に圧力をかけるわけだ。だから、ここでの「お願い」とは、実際は脅迫である。上から目線の「脅迫」の話を、下から目線の「お願い」という形に変えて相手に伝えているにすぎない。「お願い」はそのようなシチュエーションにおいて最大の効果を発揮する。そういう状況で発動する「お願いという戦法」は、相手の気持ちも考慮したすばらしい作戦なのである。
 何度も言うが、この人間社会において単なる「お願い」は存在しない。すべては交渉である。単なるお願いでは、奥さんにお小遣いの値上げなんてできないだろ。


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自分の土俵で闘え!「続編」(4/5) ~交渉はツーマンセル~ [哲学]

 先日も話したが、交渉とは「気」のやりとりだ。「気」を奪ったり気を取られたりと、交渉中ずっとそれが行われる。最後の「気」を完全に奪った方が交渉に勝つことになる。相手の「気」を容易に奪うことができるそのシチュエーションが土俵である。自分の土俵に持ち込んで相手の「気」を完全に抜き取る。「気」を抜き取られた相手は完全喪失の状態となり、交渉においては相手の思うツボだ。白旗を揚げることになる。
 じゃあ、どうするか?運良く相手から「気」を取り戻せたなら反撃開始だ。そうだ、相手の土俵が何であるかを見極める。こちらの弱みの追求を早く止めさせて他の土俵にすり替える。一見難しそうだが、冷静になれば穴が見えてくる。今度はそこで相手を突くのだ。それができた時、そこがこちらの土俵になったということだ。交渉である以上必ず穴はお互いにあるもの。自分の穴を攻められたくないものだから、相手はこちらの穴を攻めてくことになる。だから、議論の内容のすり替えが必ず必要となる。
 そして何度も言うが、「気」は一瞬にして抜かれる。「気」が持っていかれると取り戻すのに苦労する。そう、「気」を持っていかれると、エネルギーが失われた状態で闘わなければならないから、大変苦労する。あせりがあり、意識がもうろうとする中で何とか土俵をすり替えなければならない。経験値が大いに重要だが、こうならないための簡単な対策はある。
 それは、交渉事は2人以上で臨めということだ。交渉は必ず2人かそれ以上で臨まなければならない。これで「気」が取られっぱなしにはならない。自分の「気」を相手に取られたら、もう一人が冷静にそれを取り戻せばいい。交渉時はメインスピーカーがいてやりとりする場面がほとんどだ。相棒はその様子を冷静に観察し、こちらが相手の土俵で闘っていると察したらすかさず横から口を挟む。そこで「気」の抜き取りが中断されるから、今度は「気」を抜き取られていたメインスピーカーが、深呼吸でもして冷静さを取り戻し相手の隙を狙えばいい。自分に代わって交渉している相棒が今後は「気」を取られたら、また自分が助け船を出す。この繰り返しで相手を弱らせる。ツーマンセルとはそういう交代作戦であり、人数は別に3人でもいい。それ以上は統制が取れないのでやめた方がいいもしれない。交渉については、後日ブログサラリーマンの謎「交渉」で詳しく話すとしよう。
 だから、アニキは「交渉は絶対に2人以上でやれ」という。バカな奴は、膝を交えて相手じっくりサシで話し合うなんて悠長ことを言っているから、逆にやられるのだ。いくら気心が知れていても、所詮はサラリーマンだ。それぞれの立場があり、会社の利益で動くもんだ。彼らも自分の上司から命令を与えられているわけで、いくら気心が知れているからといっても友達ではないのだ。友達感覚だと思って乗り込んでいくその「気の状態」は、逆に無防備。単純な一言で一気に「気」を持っているかれるほどの無防備な状態なのだ。だから、一人で交渉に行きそこで一気に「気」を絡め取られたなら、誰もそこから救い出せない。「気」を吸い取られた状態で、一人で相手の土俵から抜け出るのは至難の業だと言いたい。そう、一人でいる時に流砂に飲み込まれたらまず助からない。それと同じだ。だからアニキは、交渉は一人で行くな!と言うのだ。絶対にツーマンセルで行くべきで、それが交渉のセオリーだ。
日本人は誰かに自分の交渉の弱腰を見せたくないものだから、一人で交渉に臨んだりする。そして、大概、交渉は失敗に終わるのだが、帰りの道すがら上司への言い訳を考える。相手に押し切られ不利な結果に終わった交渉に対して、正当性のあるストーリーに無理矢理書き換えているだけだ。商売を守るためにしかたなかったと。
 能力がないサラリーマンほど、交渉中の状況を誰かに見られたくないものだ。例えば、自分の上司部長がひとりで取引先に行くような輩だったら、大概実力ゼロの人間だ。部下を連れた交渉で滅多打ちにされた姿の方がかっこいいということに気がつかないバカ者だ。上司のかっこよさがわかってない。アニキ過去ブログ「かっこよさの定義」を読んで勉強してくれと言いたくなる。

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自分の土俵で闘え!「続編」(3/5) ~「かまし」をかわせ~ [哲学]

 交渉という場面において相手はこちらの弱みを突いてくるのだが、弱みがどこにあるのかわからない場合がある。そう、相手の弱みがわからないと、「気」を自分の土俵に引きずりこめないから、どこに弱みがあるのかを確認する作業が必要になる。それがかましである。かましは探りだ。かましで弱みを探り、かましでひるんだことが確認できたのなら、そこから徹底的に追い込まれる。かましでひるんだ瞬間に、自分の「気」は相手の土俵の中だ。まるで、ナルトに出てくるサスケの瞳術の中にいるようなものだ。この表現がわかりやすいかな?だから、かましにひるまないように適当に受け流す胆力の磨きも大事だ。かましにひるまないということは、自分の「気」が相手の土俵へ引きずりこまれるのをまずは防いだということだ。言葉で返すから「気」を持っていかれるんじゃないか?という質問をよく受けるが、口に出さなくても、相手はかましにひるんだかどうかをこちらの目を見て判断する。目が泳いだり、目がひるんだ瞬間を見逃さないものだ。目は口ほどに物を言う。だから、昔の帝は常に帳の向こうにいたのだ。
 まあ、その話はおいといて、とりあえず相手のかましにひるまなかったら、第一ステップはクリアだ。まだ、相手との交渉は五分五分だ。こちらの弱みを相手はまだ掴んでないわけだ。すると、次に相手は交渉する中身に入ってきて弱みを探ろうとする。話をいろいろな方向へ振ってこちらの状況を探る。そのときに相手は自分の立場を利用する。売る立場ならそのことを盾に取る。買う側はそれだけで負けてしまう。とにかく、相手は弱みを探りマウントポジションを取ろうとする。格闘技と同じで常に隙を突かれないように気をつけなければならない。
 で、相手はこちらの弱みを掴んで攻めてきたなら、もう自分の「気」は相手の土俵上である。交渉において相手が有利なポジションで話す時、すでに相手の土俵にいるわけだからすぐにそこから出ることを考えなければならない。いつまでも相手の土俵にいたのではこちらはやられてしまう。ではどうするか?
 まずは、相手の土俵に入ったなと冷静に感じることが大事だ。相手が有利にガンガン攻められる状況では、案外頭が真っ白な状態、いわばパニックを起こしている状態だ。それは相手の罠であり、相手が自分に馬乗りになりボコボコにしているマウントポジション状態だ。そう、まずは冷静に状況を見ることだ。「俺は相手の土俵に入ったな」と分析できたなら、頭は冷静だ。その状態の心にする。すると相手は、こちらの目を見る。マウントポジションを取って、ガンガン弱みを突いてくるが、冷静な目でそれを見ているこちら側がいれば、完全にこちらが土俵にいないことを感じる。それを相手が感じた瞬間、相手の気が緩む。完全にマウントポジションを取り、相手の「気」を奪ったと思っていたのにそうなってない現実を受け止めた瞬間に、自分の持っていかれた「気」の数%がこちらに戻る。これが重要だ。もどった「気」は自分の本体にかろうじて残った気にプラスされ、少し冷静な判断ができるようになる。
 ただ、数%の「気」の力では到底相手には勝てない。せいぜい五分五分に持ち込むのが精一杯だ。だから、一般人は「今日は不利だから」と次回へと交渉を繋ぐことを考えてしまう。「再度検討します」や「一旦持ち帰ります」などの対応を見たことあるだろ。これが交渉の出直しである。この不利な状態を何とか抜け出して、自分の上司の力を借りたりアイデアを相談する時間が必要となるわけだ。家庭の奥さんとの交渉に対しては「わかったよ」「もういい」などの逃げ腰撤退だな。「何がわかったの?」「『もういい』とはなによ?」と追いかけられるが、ダンナは早々にベッドに退散して策を練るのだ。


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自分の土俵で闘え!「続編」(2/5) ~気は一瞬で移動する~ [哲学]

 そう、交渉とは相手と面と向かってやり取りする潜在的な「気の勝負」なのだ。自分は交渉で負けてないと思っていても、実はすでにエネルギーが吸い取られている状態であれば、相手の土俵に立っていることになる。ヤクザや関西人のかましは、交渉を始める前の段階で、最初から「気」を自分の土俵に引きずりこむ手口である。
 これらをエネルギーと呼ぶ人もいるが、エネルギーとはすなわち「気」だ。同じ話である。交渉や人との会話でも常に「気」のやり取りが行われている。アニキは「気」やエネルギーを目で見ることはできないが、世の中にはこれが見える人がいるらしい。しかし、アニキは人との会話や交渉においては、「気」の流れをなんとなく感じることができる。現在、どっちに「気」の流れがあるのかは、「気」の流れを見なくても、交渉の状況を見てどっちが今有利なのかを見ればいい。有利な方に「気」が流れているに決まっているからだ。交渉だけじゃなく、サラリーマンにおいてはいろんなところで「気」のやり取りは起こっている。
 例えば、部下を怒っている上司は、上司が自分の土俵に部下の「気」を引きずり込んでいる。自分の土俵に部下の「気」を拉致して、ボコボコにしている状態なのだ。逆に、上司に反抗して上司がひるんでいる状態は、部下の土俵に上司の「気」を拉致してボコボコにしている状態だ。要するに、表面に現れている言い合いの裏では、常に自分の土俵に相手の気を引きずり込もうと綱引きしている状態だ。交渉だけではなく、一般的な言い合いにおいても、常に自分の土俵に相手の「気」を引きずり込むということをやっているだけである。
 そして面白いのは、土俵というからには、相撲のそれを想像してしまいがちだが、そうではない。「気」は一瞬で移動する。「気」を取られたと思っても、相手の弱みを突いて、相手がひるんだ瞬間に「気」はこっちに戻ってきている。そう、「気」とはエネルギーであるため、一瞬の移動が可能であり、その距離も関係ない。電話でも一瞬で交渉の状況が変わるのはそのためである。100kgを超えるお相撲さんが移動するような印象があるが、アニキ哲学の土俵とは心の中の土俵であり、現実の土俵ではない。
 そう、だから、相手の弱みを突くことで、自分の土俵に一気に相手の「気」を引きずり込むことができる。次はここをもう少し細かく説明しよう。


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自分の土俵で闘え!「続編」(1/5) ~交渉とは気のやり取り~ [哲学]

 自分の土俵というテーマでは、サラリーマンにおける重要な闘いがある。それはすなわち「交渉」である。自分は対外的な部門じゃないから、交渉なんか関係ないと言う奴がいたら、そいつは何もわかってない。人間関係において、そこに利害が絡む場合は利害の決着のための話合い、それが交渉だと一般的に理解されているはずだが、現実はそうじゃない。社会におけるすべての活動は交渉であり、世の中には交渉しか存在しないのだ。サラリーマンだけじゃない、親子だって夫婦だって常に交渉の中に身を置いている。奥さんへのお小遣い値上げのお願いや子どものおねだりも親への交渉の方法の一種だろ、違うか?人と人とが何かを行う時、知らず知らずのうちに交渉になっている。
 まあ、個人間における交渉の話はここでは長くなるから置いておいて、ここではサラリーマンにおける交渉の話だ。サラリーマンの交渉というシチュエーションでは、相手から有利な条件を引き出したり、値切ったり、注文をもらったりしなければならない。そして、そんな交渉で勝つためには、常に相手を自分の土俵引きずりこまなくてはならない。ここにも土俵という概念が重要となってくる。というか、この土俵の概念がアニキ哲学における「自分の土俵」という考え方に最も近い。それはどういうことか?
 大体、交渉に負ける奴はみんな、相手の土俵で戦っている。知らず知らずに相手の土俵に入ってしまっている。だから負けるのだ。交渉に負ける理由はそこにある。勝つ奴はいつも、自分の土俵に相手を引きずり込んでいる。だから、相手の土俵に引きずられないようにしなければならないが、いつの間にか相手の土俵にいる。なぜか?
 要するに、交渉という話合いの中で不利なのは、エネルギーを吸い取られてしまっているからだ。アニキ哲学での交渉とは、「相手の弱みを突くこと」である。これが交渉の定義であり、他には何もない。だから、相手の弱みを突くことを徹底的に考える。相手は間違いなくそうしてくる。相手はこちらの弱みを巧みに突いて有利なポジションを取ることを狙ってくる。そして得た有利なポジション、これが交渉におけるマウントポジションだ。マウントポジションは重要な概念だから、それについては後日ブログで詳しく話すことにする。要は、相手に弱みを突かれて、「それは困った」とこちらが思った瞬間に、自分のエネルギーは一気に相手に持っていかれ、その時はすでに相手の土俵の中にいることになる。そうなるともう、相手の思うツボである。要するに、どっちの土俵で勝負しているかは、自分の気がどっちにあるか?なのだ。「気」がこちら側にあれば自分の土俵、「気」を持って行かれたら相手の土俵で闘っているということだ。
 つまりは、何気ない言い合いの中では常に「気」の奪い合いをしているわけで、どっちに「気」が行っているのかを常に気にしなければならない。「気」というエネルギーのやりとりが交渉の勝敗のカギを握っていることに気づくべきなのだ。


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自分の土俵で闘え!(5/5) ~土俵とは何か~ [哲学]

 結局、人生は闘いの連続だから、勝たなきゃダメだってことだ。人生の闘いに全部勝つのは不可能だから、勝つ確率を上げなきゃってことだ。そこで勝つ確率を上げる一番の方法が自分の土俵で戦うことだ。自分の土俵に引きずり込んで戦うってことが重要になる。これがどれほど重要か。
 人は皆、得意がある。得意な場所がある。で、常に自分の得意な場所で勝負しようとする。自分の得意分野へ引きずりこむ。そう、自分の土俵に相手を導き、そこで勝負する。子どもなら、走るのが得意な奴は競走で、勉強が得意な奴は定期テストで戦う。走るのが遅い奴は競走で挑まない。勉強や絵など、自分が得意なもので勝負する。これが公平なのだ。子どもは皆知っている。これが自分の土俵ということだ。しかし、いざ仕事となると場所だけの話ではなくなる。
 サラリーマンの場合の土俵は、戦う場所としての土俵とは意味が異なる。サラリーマンは戦う場所は選べない。戦う場所は会社側から与えられる。サラリーマンにおいては、売上やら経費削減やら企画やら、会社の中の部署によって様々なノルマがあり、様々な戦いの場所がある。会社から与えられたその場所で戦いに勝つしかないのだ。そう、戦う土俵は変えられないのだから、自分が別の土俵で戦いたいと思っても、部署を異動するか辞めるかしなければそこから逃れることはできない。上司に売上上げろと数字ノルマを作られて、それに向かって無理矢理走らされている状況では、そこで何とかするしかない。そこは自分の土俵じゃないと思っても許してくれない。
 じゃあ、どうするか。白旗揚げるかやるしかないか。そう、やるしかないのだ。サラリーマンの場合は与えられ場所の中で勝たなければならない。子どもやスポーツ選手のように、自分の得意な分野や種目で戦うことじゃない。その与えられた場所の中でどう結果を出すかだ。例えば、競走という種目の中での得意なやり方を見つけるのと似ている。先行逃げ切りタイプなのか、ラストスパートタイプなのか。他にもあるだろうが、そういった話だ。要は得意なやり方を見つける話だ。
 営業での売上数字を上げるにはいろんなやり方がある。山登りと一緒だ。ルートは無限だ。登山ルートを開拓する奴もいる。それとも似ている。要するに、サラリーマンにおける土俵とは、場所のことではなく、結果を出すための方法論を指す。自分が得意な方法を見つけて、それを使って結果を出す。土俵とはそのためのやり方のことを意味する。そして、やり方を見つけ出し自分の得意パターンを作った時、それが「自分の土俵」である。繰り返すが、自分の土俵とは場所を指すのではない、やり方の形だ。この自分パターンが見つかれば、流れをその形に持ってゆく。営業なら売上アップのためには得意なお客で伸ばすのか、得意な商品で伸ばすのか、又は新しい顧客開拓を得意とするのか、又はライバルから横取りするのか、やり方は無尽蔵だ。
 そんなことは言われなくてもわかってるよ、と言うかもしれないが、ここからが重要だ。要するに、自分の土俵ができたら、その後はすべて自分の勝ち土俵に持ち込む。上司に提案して自分の土俵で勝負させてもらうように誘導する。結果が出る確率が高いなら、上司はそのアイデアに乗るはずだ。つまり、なんでも自分の土俵へ導いていくのだ。このことがわかってないから、高学歴者や高資格者でも会社の中で埋もれてる奴は多いのだ。
 アニキは何が言いたいかというと、戦いはすべて自分の勝ちパターンに持ち込め!ということだ。そう、これが自分の土俵で闘うということである。だからアニキは土俵という単語を使うのだ。


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自分の土俵で闘え!(4/5) ~欧米の罠にはまるな~ [哲学]

 過去ブログ人生の準備期間「学校」でも話したが、ゆとり教育は何の意味もなかった。子どもの心を弱くするだけの政策で、どう考えても、これは未来を背負って立つ日本人を芽のうちから潰しておこうという策略だろ。歴史を研究すればいい。現在の中国のやり方もそうだ。国や組織を壊滅させるためには、直接手を下すのではなく、じわじわと裏から壊してゆく。そんなことは人間の常套手段であったはず。日本人の発展を疎ましく思う勢力が、次世代の日本人の芽を潰しておこうと考えた者の仕業だろう。このバカなアニキでもこのくらいはわかる。頼むよ、日本の政治家よ。女と戯れたり私腹肥やしてもいいから、次世代の日本を蝕む策略だけは許さないでよな。
 また話が脱線した。本題に戻そう。要するに、競争からは逃げられないってこと。人間として生まれ、社会の中で生きてゆこうと思ったら、競争に立ち向かわなきゃダメなんだよ。競争に背中を見せちゃダメだ。ワンピースのゾロも言ってるだろ、「背中の傷は剣士の恥」だと。おれたちゃ剣士じゃないけど、日本人という軸を持った剣士なんだよ。あんまり、日本人って意識しないと思うけど、一度海外で仕事してみな。必ず日本人を意識するから。日本人であることに誇りを持てるから。この思いって大事なんだ。日本人は自分達のことを卑下するけど、それはそれで日本人の「謙譲の美徳」という本質であり、本音ではない。ホント、日本人ってかっこいいんだよ。奥さんは自分のダンナのことを全くそう思ってないと思うけどね。日本人の卑下は単なる愛想だ。本心はそこにはない。威張ることを美徳としない日本人の本質だけの話だ。奥ゆかしさにこそ凄みがある。これはグローバルでは価値があるんだよ。欧米人が自己アピールしない奴は頭が悪い証拠などと言ってるが、これらはまさに欧米人が自分の土俵に相手を引きずり込もうとしている誘導だ。さあ、やっとここからが土俵の話だ。欧米人の土俵では、相手を論破し自分を上位に位置させることだ。ディベート術なるものがもてはやされているが、そんなものは日本人にはいらいない。ディベートも欧米人の土俵であり、ここで戦ってはいけない。どれもこれも欧米の罠であるが、この話はまたの機会だ。
 アニキが言いたいことは、常に相手は自分の土俵に引きずりこんで戦おうとすることを見抜けってことだ。ワニは得意な水の中に引きずり込んで獲物をものにするだろ。人間以外の動物はみんな、自分の土俵に引きずりこんで戦うんだよ。
 やっと、今回の本題の「自分の土俵で戦え」に入れそうだ。

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自分の土俵で闘え!(3/5) ~ゆとり教育~ [哲学]

 話をもとに戻そう。競争は、「それは実は意味のないことである」と理解することのために与えられている人間の原始機能なのだ。しかし、人間はこの競争という原始機能をコントロールできない。欲望と並んでそれだけ難しい原始機能であり、坊さんのような修行を積んだ人間でもコントロールできないかもしれない。それほどコントロールが難しい競争という原始機能だが、逆にそれを利用するのも人間の機能である。
 どういうことかと言うと、競争の最大点の問題点は「負ける」という結果があることだ。競争して常に勝つのであれば、だれもがハッピーであり、問題視することではない。しかし、この競争の問題点は勝者がいて敗者がいることだ。勝ったらうれしいが負けると悔しくなり嫌な気持ちになるように人間は作られている。そう、競争というシチュエーションでは、常に人間のいろんな原始機能にスイッチが入るしくみになっている。だから、競争が好きな奴と嫌いな奴がでてくる。
 じゃあどうするか。人間社会において競争は避けられない。どこもかしこも競争だ。自分は競争を避けて生きているのだろうが、いつのまにか競争の中に巻き込まれている。競争は自分がいくら逃げて、向こうからやってくる嫌な自然現象だ。雨雲のように自分の上に雨を降らす。これは大人の社会だけの現象ではなく、子ども社会にも蔓延する。負けた子どもが鬱になったり思い込んだりする。それを見ていた大人達が作ったのが「ゆとり教育」だ。
 ゆとり教育で競争がなくなった。学校の中のことまでは知らないが、運動会とかは楽しめなくなった。運動会では徒競走で順位なし。リレーは選抜ではなく全員で走る。見ている親は楽しくない。徒競走は1位になる奴とビリになる奴がいるから見る価値がある。リレーはクラスでトップの奴が走るから盛り上がる。1位になりたいとか、リレーの選手に選ばれたいとか言う気持ちが努力を生むのに、それすらしなくなる。焦点を負け側に合わせて基準を作ろうとするから変になる。
 結局、子ども時代に競争を取りあげても、大人になれば競争にどっぷり浸かるのだから、免疫ができずにそれこそヤバイだろ。社会人になったら、いきなり競争の世界に放り込まれるんだから、それこそ精神的なダメージはひどいんじゃないか。結果、ゆとり教育はなくなったよな。みんな気づいたんだよ、これ、アメリカの罠だって。

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自分の土俵で闘え!(2/5) ~帰ってこいよ~ [哲学]

 話は逸れるが、人間の最大の競争である戦争について触れておこう。戦争では多くの人が死ぬ。人間の創造主や神様がその事実を見てどう思うのであろうか?映画などで戦地へ赴いた兵士が、窮地に貧したら神を拝む光景はよくあるだろ。なんか解せないよな。自分が生きのこるためには相手を殺さなければならない。その生きのこるために神に祈る光景は、アニキとしては「ん?」である。自分が生きのこるために相手は死んでもいいのか?それを神に頼んでもよいのか?不思議だらけである。しかし、アニキはこの理屈はなんとなくわかる。神、アニキは創造主と呼ぶが、創造主は人間同士の争いには無関心だと考えている。だから、助けもしなければ殺しもしない。勝手にさせているだけである。
 実は人間の創造主は、人間がいくら死んでもかまわないのだ。なぜなら、人間の死はただの肉体の死であって、魂の死ではないからだ。肉体が死んでも魂は死なずに創造主の元に戻るだけだからだ。創造主や神様にとっては、魂こそが人の本体であり、肉体はただの魂の入れ物、言わば乗り物だ。だから、たまに創造主は天変地異を引き起こして大量の人名を奪うが、そのことも説明できる。ノアの箱船は神の所業として人類をほぼ全滅に追い込んだが、その理由は簡単に説明できる。創造主にとって、自分の思惑と違った方に進んだので、ただのやり直しである。欲と競争で行き過ぎた大量の人間に、「ま、一辺、帰ってこいや」というのだ。これでが地震などの天災の理由だ。
 創造主は何者かはわからないが、アニキは高貴な芸術家の一種とみている。芸術家って自分の作品に不満があると、作品をたたき割ったりするだろ。それと同じ行為が天災だよ。自分の作品の作り直しのために、魂を戻す行為だよ。それが天災だ。迷惑な話だが、創造主は人間を作った芸術家なんだから。創造主が芸術家というわけなら理解しやすいだろ。
 作品をぶん投げて、「みんな、一度、帰ってこいよ!」だ。

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自分の土俵で闘え!(1/5) ~競争という劇薬~ [哲学]

 この世は競争だ。特に人間社会は競争で成り立っている。すべての物事において、常に誰かと競争している。誰かと競争しなくては気が済まない。人間は地球上の動物の中で唯一、競争しなければ生きてゆけない生き物なのだ。人間にだけ備わる性質である以上、本能とは呼ばない。これは人間の原始機能である。アニキ哲学において、本能と原始機能は区別しなければならない。その詳しい話は、アニキ過去ブログ「人間の原始機能『総論』」を読んでくれ。

 競争が原始機能であるならば、人間の創造主は何の目的でこの機能を人間に備えたのであろうか。当然、人類の成長促進の目的であることはわかるのだが、闇雲にそれを与えていないはずだ。どう考えても、競争は人間にとって劇薬だ。人類が誕生してからどのくらい経つ?700万年前のホモサピエンスの時代は別にして、少なくとも数千年は経ている。その間、この競争という劇薬は人類に大きな文明の発展という産物をもたらしたが、その反面代償も大きい。差し引きどうだろうか?プラスか、マイナスか?便利な世の中になったからプラスだと考えている人が大半だろう。しかし、本当はマイナスの要素の方が大きい。競争という劇薬の意味するところは人間には未だにそれがわかっていない。人間の文明は競争することで発達してきたため、競争しなければ磨かれないという負の連鎖に心を囚われている。競争という機能を全く使いこなしていないのだ。

競争の源は欲望だ。欲望もまた人間の原始機能である。その欲望が行動に移った時、それを競争という。競争は欲の具体的行動なのだ。欲は「コントロールしろ」という目的で、人間に備わっている。そうしなければ、欲は暴走するからだ。暴走した欲の具体的行動である競争がどのようなものかは想像がつくだろう。

 そうなると、競争はとどまることを知らない。人類の歴史を見れば明らかだ。競争とは争いだ。人類の歴史は争いの歴史であるところから学ばなければならない。なぜなら、人類が過去の栄光とする古代文明があった場所は、人の血が多く流れた場所であり、栄華を極めた後にすべて滅びている。世界4大文明の発祥地が現在世界一になっていないという事実が、人間の愚かさを物語る。遺跡をチマチマ発掘している場合じゃない。当時の経済や政治などを分析するのもいいが、滅びたという事実から何を学ぶのかを全然見ようとしない。だから、21世紀に入っても同じことを繰り返している。数千年経っても、人間は競争を続けている。そのお陰で快適な生活ができているかもしれないが、そもそも競争しなければ大量の人間は死なないで済んだはずだ。

 競争がいかに人間にとって劇薬であるか。精神的レベルが高い現代人がもう一度競争の可否を研究する必要がある。人間の原始機能は伊達ではない。必ず深い意味があって備わっている。毒も薬であり、物事はすべて相反する二面性を持つ。ということでは、「競争という原始機能は何のクスリであるのか」を今一度考える時期である。それを怠って反対方向へ向かおうとすると、また創造主による天災が降りかかることになる。

 最近の日本の火山はちょっとおかしいよな。実はこれ、何かの警告なんだよ。今、それをアニキは調べてる。

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「モー娘。」は2008年物に限る! [音楽・歌手]

 アニキは以前、かなりモーニング娘が好きだった。いまや過去形だ。残念ながら今のモーニング娘はアニキのストライクゾーンから外れてきたのである。アニキの好きな「田中れいな」ももういない。今は今で悪くないのだが、アニキの魂は響かなくなってしまった。まあ、アニキのような年齢のファンは対象外であろうから、運営には影響がない。
 モーニング娘が最も人気があったのは、創業当時であろう、LOVEマシーンの頃だ。でもアニキは気にとめなかった。メンバーにアニキ好みの美人がいなかったからである。また、踊りの好みからもイマイチ。アニキはコミカルな踊りがどうも好きになれなかった。あれがよいという人も多いが、好みは人それぞれだろう。アニキは真面目な踊りが好きなのだ。
 そんな状況で「モー娘。」はそれまで大して気していなかったのだが、ある日飲み屋のTVで、2008年ハロプロコンサートを流していた。何気なく見ていたら、なんと美人だらけではないか!びっくりした。2008年の「モー娘。」ってこれなのかと。早速、DVDを購入し研究した。全員がすごい美人だったことを再度確認。踊りも真剣な踊りに変わっており、アニキのど真ん中となった。当時のメンバーは9人。中国からの留学生2人を含んで、全員が美人。世間では「モー娘。」不遇の時代と言われていた頃だが、アニキにとってはこれほどのグループがかってあったであろうかと、小躍りして喜んだ。そして、目を細めこの時代に感謝し、遠く天を仰いだものだ。
 アニキにとって2008年時の「モー娘。」最高のグループであった。2008年~2011年までは「モー娘。」マイブームであった。楽しみの一つとして、時々メンバー内のお気に入り順位を見直すのだが、その都度順位が変わるのが悩ましかった。特に、「久住小春」「亀井絵里」「新垣里沙」は常に順位が入れ替わる。アニキは小動物系美人がど真ん中で、たぬき・りす・ビーバー系の顔が好みだ。だからその頃のど本命は「ほしのあき」なのだが、ここでは関係ないので話題としない。「モー娘。」での小動物系顔と言えば、「田中れいな」だ。よって、常に1位をキープだ。そして、久住小春と新垣里沙の美しさは、PVの「愛しき悪友へ」を見てみるといい。久住はかまぼこ型のおめめの形がきれいだ。目じゃない、おめめだ。目とおめめでは定義が異なる。いいか、生き物に単に付属しているのが目だ。その目は物を見るという機能のみのパーツを差す。そして、美人に装着しているのがおめめだ。おめめは見るという機能だけではない、そこに美しさが伴うものを言う、わかったか。
 そして新垣は、頬から首のラインが完璧な造形美を作っている。その造形は決して人工物ではない、神の領域である。親から生まれてきたかもしれないが、そこには確かに神の意志が存在しているとしか考えられない。人工的には作り得ない造形美。肌も修正してるのかもしれないが、きめ細かく美しい。とにかく、お顔がすばらしいのだ。そして亀井絵里には、その笑顔には癒やされる。
 アニキは何が言いたいのか。ただ、メンバーの美人評定をしているのではない。ワインは年代物が評価の基準だ。毎年同じ地域で作られるワインは、年代が評価だ。ならば、「モー娘。」も年代が大事だ。「モー娘。」は2008年物がグランヴァンだ。大いなる年である!

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人生の準備期間「学校」(番外編)下 ~日本人の武器「運」~ [哲学]

 もうこれでわかったであろう。与えられる学校で過ごす子どもと、自ら貪欲に盗んでゆこうとする子どもが、将来グローバルで戦ったらどうなるか、答えは出ている。日本人にはまず勝ち目がないだろう。勉強する覚悟が違うんだよな。

 自分から勉強を求めてゆく子どもがいる国、これが将来伸びる国だ。国自身は将来も貧しいかもしれないが、個人は違う。国の貧しさに左右されない状態に自分を置くことができる。アグレッシブで優秀な海外の子どもは、貧しい自国ではなく、就職先を海外に求めてゆけるからだ。これからの日本人の子どもはそんな人材と争うことになる。今はまだいい。ギリギリ日本国内を舞台にして仕事ができるからだ。しかし、どう考えても、これからは海外が舞台だろう。そうなると、今の日本人の体質では簡単にやっつけられてしまうのが目に見えている。背負っているものが違いすぎるのだ。他国の子どもは常に危機感を覚えているので、子ども時代から将来の武器となる技能を磨いている。

 だからアニキは、いつも武器を磨け鍛えろというのだが、サラリーマンになってから武器を磨いても、本当は遅いのだ。日本人はサラリーマンになって初めて、自分の武器を磨き始める。気づきが遅すぎるのだ。今はまだいい、日本人には戦後の高度成長を支えた貯金がある。しかし、それももう役に立たなくなっていることに気がついている人も多いだろう。それに、アニキ達の年代はうまく行けば逃げ切れるだろう。野球で言えば、今、三塁にいるようなものだ。あとはバックホームすればいいだけだ。ところが、これから打席に入る連中はそうはいかない。強力な魔球を持つ投手が相手チームに交代で入ってきたからだ。それがグローバルライバル達だ。将来のグローバルなライバル達は、すでに必要な能力を子どもの頃から着々と身につけている。数カ国の言葉を操るが、語学なんか自転車に乗るぐらいの技術であり、武器だとは全然思ってない連中だ。英語を身につけるだけでヒイヒイ言っている日本人とはレベルが違う。

 本当のグローバル社会になった時、ほとんどの大卒者が日本の外で就職活動する時代が来る。そこでは、世界中の優秀な人材と採用試験で戦うことになる。そのときには、前述の発展途上国の学生とも競争することになるのだ。そんな奴らに勝てる気がするか?

 人生は大海へこぎ出すことだと、アニキは言った。これからの海は最初から荒れている。漁師でも出て行かないような荒れた海に、いきなり出て行かねばならない。穏やかな海はほとんどない時代がやってくる。そのために、学生時代から武器を磨かねばならない時代になる。そうなると、海に出てから悠長に武器を磨き始めても遅いのだ。

 じゃあまず、子ども時代に磨かなければならない武器とは何か?「感謝する力」だ。これをおいて他にはない。なぜ感謝する力を磨かなければならないのか?本編でも何度も話したが、「運」を味方につけるためだ。だから、武器として一番ほしいのは、「運」の力なのだ。それには、感謝する力を磨くしかない。運が味方につけば、何をやってもうまくいく。ミスしても、万事塞翁が馬だ。他の技能はその後でもよい。日本って国は、太古の昔からそのことを知っている国のはずだ。外国の罠にはまって、運を磨くことを忘れてしまっただけだ。もう一度、昔の日本に戻り、やり直せばよい。

 じゃあ、どうやって「感謝する力」を磨けばいいのか?って。それは簡単だ、今の自分の状況すべてに感謝すればいいだけだ。そうすりゃ、運が向いてくる。そしてアニキは言う、そんな運を味方につける基本の力「感謝する力」は小学校から身につけることができると。
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人生の準備期間「学校」(番外編)上 ~足りないものを数えるな!~ [哲学]

 チョット付け加えたい話があるので聞いてほしい。アニキ達日本人は、当然のごとく学校へ行くが、海外へ目を向けるとその常識は通用しない。先進国じゃなく、発展途上国の話だ。そこでは、ほとんどの子どもは学校へ行けていない。学校に行くのではなく、家で仕事をさせられる。明日食べるために、今日働かなければならないからだ。だが、そんな彼らでも、その親は何とか学校行かせたいと思っている。できるなら、学校で勉強してもらい、家の手伝いで小銭を稼ぐのではなく、もっと稼いでほしいと思っている。自分達のような貧素な暮らしをできればさせたくないからだ。親のその希望は別にしても、子どもも当然に学校へ行きたいのだが、日本のようにタダじゃない。タダじゃなく金がかかるから、学校へ行くか行かないかはそれぞれの家庭の事情による。

 少し前まで一緒に遊んでいた隣に住んでいる友達は、学校へ通うことができるのに、自分できない。お隣さんと自分の家では、経済状態が違うからだ。だから、隣は学校へ行けるが、自分は行けないという不平等が普通に起こる。学校に行けない子どもは、学校に通う隣のお友達から、学校生活の話を聞いて羨ましく思う。この現在の地球においても、そんな現実はそこら中にあるのだ。日本人は知らないだけだ。日本人であるなら100%学校に行ける。行けることが基準だから、勉強が嫌いだとかの愚痴が出る。嫌々学ぶことになるから、吸収がメチャクチャ悪い。

 学校へ行くことが当たり前じゃない国の子どもが学校へ行けたなら、どんなに勉強するだろうか?宿題なんて絶対に忘れないよな。先生の話す言葉の一言も聞き漏らさないようにするよな。勉強だけじゃない、学校で過ごすすべての時間を無駄にはしない。さらに、学校で使う備品であるノートや鉛筆もムダにしない。石に字を書いているぐらいだから、ノートなんかもらったりしたら感謝しまくるだろう。学校に行けるだけで幸せだと思っているはずだ。

 な、そう考えると日本はおかしいんだよな。学校へ行くのが当たり前だと思っているから、日常感謝することなんかないだろう。感謝するどころか、手に入らないことに対して不満を抱く。「友達が持っているから自分も買ってほしい」という類いのないものねだりだ。それで、足りないものばかりを数える性格が子どもの頃から構築されてゆく。それが現代の日本の子どもの姿だ。

 足りないものを数えるんじゃない。あるものを数えろ!やってもらったことを数えろ!欲しいものを数えても切りがないぞ。感謝が足りないと運が悪くなることもわかってない。本当はこんなことは学校で教わることじゃないんだよな。

 ひとつ良い事を教えよう。”人生はないものを数えた奴が負けだ。”

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