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サラリーマンの謎「無礼講」(1/2) ~無礼講の真実~ [哲学]

 無礼講って言葉をよく聞くよな。アニキも、社内の宴会とかで「今日は無礼講だ」なんて、上司が言うのをよく聞いた。しかしこの無礼講、落とし穴があるから要注意だ。未熟者は、言葉をただ耳で聞くだろう。アニキはいつも言うが、「言葉は耳で聞くな、物事は目で見るな」だ。いいか、この無礼講も、実は耳で聞いてはならない。
 無礼講ということばが出ると、「何言っても許されますよ」的なニュアンスがあるが、とんでもない。いいか良く聴け、「無礼講とは、それを言った人だけが無礼講で、他は無礼講ではない!」のだ。「部下の自分に対する忠誠心を見たい」だけ。ここを間違えるととんでもないことになる。
 「おっ、今日は無礼講だから部長に一気させよう」とかは言語道断だ。恨みは根深いぞ。強要された部長は、その場の雰囲気を壊さないために一気を受けるが、その真意は「コノヤロー、覚えとけよ!」だ。「部長をそんな軽々しい存在として見ていたのか、コイツは!」だ。そんなことがあった数年後には、そいつはどっかに飛ばされてるはずだ。
 部長なんて小さい人間が多い。実力でのし上がった部長なんて、滅多にいるものじゃない。ラッキーだった者がほとんどだ。実力で上がったわけじゃないから、いつもビクビクしてるのだ。だからまず、無礼講などとのたまう上司は、部下からの自分の評価が気になる小物だ。そんな上司は、部下を信用してないのだ。自分が影でどう評価されてるか、それが知りたいのだ。部下が自分のことを日頃どう思ってるのか、自分が進めてきた方針にみんな心から同意してくれてるのか。それが知りたいだけだ。そして無礼講とは、自分の船に一緒に乗せてもいいメンバーかどうかを選別する踏み絵なのだ。
 そう、だからよく考えてくれ、「言いたいことを言う」「本音を言う」ということは、その部下が日頃から思ってることだ。それを知った上司はどうする?仮にも部長は、サラリーマンにおける成功者だ。憧れるべき存在であって、非難を受ける対象ではない。本人もそう自覚してるはず。正義感から部長の考えを否定しても、部長の人格にキズをつけるだけの結果にしかならない。世間でよい言われる「失言は本音」だからだ。

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