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日本人の偉大さ(5/6) ~ひ弱さこそが武器~ [哲学]

 話を元に戻そう。前回までの内容を思い出してほしい。日本人の行動はすべて「道の精神」を発端としている。そして、相手の立場になり、自分で一番最良の方法を考え、行動することを身につけているのだ。日本人はその人生の最初から、他人を思いやる心を身につけている優秀な国民だ。だから、それをもっと海外へ広めてほしい。日本人の若者は自信を持って海外へ出て行ってほしいのだ。単なる海外旅行でいい。興味のわいた国へ行くだけでよい。日本人ほど海外で歓迎される民族はいない。日本人のパスポートほど海外に自由に行ける民族はいない。ひ弱な国民ゆえに、敵対する国はほとんどない。そして、先人達のおかげで多くの国が親日を掲げている。
 話はそれるが、ここからが真骨頂だから、よく聞いてくれ。
 ちょうど中国にいる時に、東日本大震災が起こった。そのとき、世界から絶賛される日本人を見て涙ができてきたぞ。「すごいな、日本人!」って感じで身震いした。日本人は、実はとてつもなく心が強いんだよ。「弱きを助け、強きには立ち向かわない」が日本人だ。世界ではひ弱な日本人かもしれない。平和ぼけかもしれない。でも、それでいいじゃないか。ひ弱な奴の方が争いを生まない。親しみもあるし、話しもしやすい。人間、ひ弱に映る方が争わないで済むケースが多いのだ。これからの世の中は、戦わずして逃げるのだ。ひ弱にに対し、全く卑屈になる必要はない。だからアニキはいつも、ひ弱な日本人の話題が出ても、平然としている。だって、ひ弱さが誇りだからだ。その方がいいのだ。だから、けんか売ってきた相手に対しては、ひ弱だから積極的に逃げる。「俺はひ弱だから、逃げることを信条としてる」と豪語してればよい。最初から逃げると決めて、その信条に従ってるだけだから、相手をみて逃げる訳じゃない。「誰に対しても逃げる」と決めてれば、そこに心の余裕さえ生まれるし、危険も未然に防げるからいいことだらけだ。
 そして、その逃げると決めてる理由についてはこう言え。自分が助かるだけじゃなく、相手も加害者にならないで済むのだと。相手を犯罪者になることから救ってやったのだと。相手をも思いやる、そんな心の強さが自慢になる!

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日本人の偉大さ(4/6) ~下積みと弱者哲学~ [哲学]

 そう、日本人は「道の精神」が重要だ。だから、いくら作業が完璧にできても、この「道の精神」が理解できないと応用が利かないので、いつまでも説教されて、大変つらい。日本人の場合、日々のあらゆる行動において、このような細かいことを子供の頃より毎日言われ続けるから、その考え方が段段と習慣づいてくる。すべての作業の手順と注意点を、全部覚えようとすると膨大な項目があるのだが、考え方が身につくと応用で対処できるようになり、簡単になってくる。これが日本人の「下積み重視の哲学」だ。
 よって、日本人が下積み経験をしてきたかどうかを重視するのは、「道の精神」を学んできたかどうかを見たいからなのだ。下積み経験がない人間は、「道の精神」の理解ができておらず、考え方のベースもできていないから、作業がうわべがちになり、何をさせてもそこに物足りなさを感じてしまう。そして他の作業にも応用が利かないのだから、ついつい小言を言いたくなってしまうのだ。
 だから、「道の精神」を学んできた者かどうかを見極める手段として、下積み経験の有無が重要になってくるのだ。これこそが、日本人にとってとても重要な精神哲学であり、時代は変わってもなお、下積み経験が重要視される。それが社会において、日本人の好む「ツーカーの概念」にも繋がる。相手の心の先読みだ。「道の精神」ができていると、相手の心の先読みできる。日本人は、「1を聞いて10を知る」や「あうんの呼吸」や「思いやりや配慮」という概念を重視する。これが、日本の会社の従業員においては必須の能力であり、日本企業が外人を雇わない大きな理由の一つはここにある。
 では、この「道の精神」はどこからやってきたのだろうか。日本古来の考え方なのであろうか。実は、一般的には武士道からの考え方といわれている。武士道は日本の宗教とも揶揄される行動哲学だ。恥の概念や誇りなどはここから来ている。いや、アニキが思うに、それ以前からの日本人の気質ではないかとも思う。あくまで武士道は、それまでの日本人のあるべき姿を体系だててまとめたものにすぎない。アニキはまだ、この起源についての調査はまだできていないが、ここでは古くより日本人の教育の中で、すでに折り込み済みの精神哲学であるということにしておく。
 話は変わるが、日本人はすぐ謝る。外人は決して謝らない国が多い。謝ったら負けだという考えの国は圧倒的に多い。ここでも、よく外人に「なぜ日本人はすぐ謝るのか?」と訊かれることが多かった。アニキはいつもこう答えていた。日本人が謝るのは、その問題で自分が間違っていたからではない。まず、相手に不快感を与えたことに対し詫びているのだと。そう、日本人は悪かったから謝るのではなく、気分を害したことに対して、申し訳ないと思ってるのだ。このことをよく、中国人の部下達に教え込んだが、あまり理解してもらえなかった。

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日本人の偉大さ(3/6) ~「道」の精神~ [哲学]

 日本人は、元来すべての仕事や作業を“道”(どう)にしてしまう。「道(どう)」じゃないことも「道(どう)」に変えてしまうのだ。つまり、一般的に武道や作法などの「〇〇道」という概念を、他すべての作業や行動にも当てはめて追求してゆく癖がある。そして、その作業の中のひとつひとつ動作にも、心構えや基本動作などを細かく決めて、極めたがる傾向がある。
 特に重要なのは「心構え」だ。たかが「お茶くみ」、たかが「コピー」だが、日本人にとっては、されど「お茶くみ」、されど「コピー」なのだ。その「あるべき姿」の究極を求めていく。その作業の「あるべき姿」を考え、意識的に「あるべき姿」を目指すのである。あるべき姿を高めると、そこには「心」が伴っていないとダメだという概念が芽生える。作業の完璧さだけではなく、そこに「心がないとダメ」という風になるのだ。それはまさに、あるべき理想の姿を求め、それに向けて精進してゆく姿勢がある。意識が高まると、心と行動の一致を重視し、「作業の乱れは心の乱れ」とまで言い切ってしまう。「あるべき姿=プロの仕事」と置き換え、哲学にする人さえもいる。その境地には、際限がない。
 例えば、具体的にコピーで説明してゆこう。新入社員が、上司より書類のコピーを頼まれたとする。「道の精神」でこの上司命令を遂行するなら、まず上司に呼ばれた時点から、行動開始となる。よって、その上司への返事からがコピー作業だ。そして、コピー原紙の受け取り方は両手でとか、その作法は細かい。次に受け取ったコピー原紙をまず見て、原紙が曲がって印刷されたものなら、コピーするときには真っ直ぐになるように置くとか、原紙の文字が薄ければ、濃くして印刷するとかだ。原紙にこのようなイレギュラーな問題があれば、自動送り装置は使用しないで、手作業に切り替える。で、要求の部数のコピーが完了したら、コピー機を元の状態に戻すことも重要だ。「次の人が使いやすいように」ということに気を遣う。そして、コピーをきちっと揃え、ホッチキスで左上1cmのところを、角とホッチキスの留め部分が正三角形になるように留める。最後に見直しし、上下逆さまじゃないか、ページが揃ってるかなどを確認し、全体をクリップで束ねてから、上司に渡す。上司が不在であれば、上司の机の上に机の向きと平行に書類を置かねばならない。  で、部数とコピー完了のメモをつけ、一目でそれとわかるように置く。しかも、書類の内容が外部秘なものであれば、裏にして置く。会社によって多少作法は異なるが、ここまでできればまずは及第点だろう。
 

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日本人の偉大さ(2/6) ~日本人特有の気質~ [哲学]

 その偉大さとは、つまりは「日本人特有の気質」だ。では、この日本人特有の気質とは何なのか?今日は、この日本人特有のすばらしい気質を分析してみたい。
 その日本人の気質としてまずあげられるのは、「律儀さ」だ。「時間厳守」「約束を守る」「怠けない」「上司命令の絶対」「協力の精神」などの「律儀すぎる気質」だ。諸外国では、ここまでの律儀さを一般人は持ってない。どの国を見ても、このような律儀さ実現している組織とは軍隊だけだ。軍隊意外にここまでの組織はない。軍隊はトップの命令が末端まで即座伝わらなければ、戦争に負けてしまう。ならば、トップ命令の伝達という目的から考えると、本来から言えば企業も同じであり、日本人はただそれを実行しているだけとも言えるのだ。しかし外人から見れば、軍隊と企業はどうも別物らしい。そう、日本企業は軍隊のそれと近いのだ。が、軍隊との大きな違いは、日本企業にはがんじがらめの規則は存在していない。日本人は、ひとりひとりの個人が、組織とはどうあるべきか、仕事とはどうあるべきかの重要性を認識しており、勝手にそれぞれの意識の中で判断して行動している。ここに日本人の特性のひとつの秘密がある。
 ちょっと話はそれるが、ルールという概念について触れておく。社会で生きていゆく上で、ルールが必要だ。複雑な社会になればなるほど、複雑なルールが必要だ。で、ルールが複雑になればなるほど、ルールを管理する者が必要となり、ルールを解釈して一般人を導く者も必要になってくる。現代はそんな複雑なルール社会である。
 では一体、ルールとはだれが複雑にし、厳しくしているのか?実は、社会の上層部(国や会社幹部)が厳しくしているわけではない。ルールとは、自分達で厳しくしているのだ。規則を守らないから、さらに規則は厳しくなるのがルールであり、ルールが守られるのであれば、規則は現状維持若しくは緩くなるのだ。極端に言えば、ルールとは守られないから存在するものである。
 実は、日本人はルールで縛らなくても、「なぜそこにルールができたのか」を自分で考えて、行動を起こすことができる。では、なぜ日本人はそんなことが簡単にできてしまうのだろうか!宗教信仰もあいまいな日本人は、別にそれが教義だとか、罰が当たるとか全く眼中にない。なぜ神様が見てないのにルールを守ってしまうのか。
それは、日本人の考え方に答えがある。
 

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日本人の偉大さ(1/6) ~日本人は異端~ [哲学]

 ソチオリンピックで盛り上がってる昨今、久しく考えていなかった日本人の特性、つまりは世界の人々の中における日本人の気質について、思い起こしてしまった。さらには、海外離れした若者が増えているという話も、最近よく聞く。今日からは、その日本人の偉大さというテーマについて 話そう。
アニキは以前の商社マン時代から、海外出張が多く、中国では6年近くも仕事していたこともあり、外から「日本人」というものを考える機会が多かった。外から日本人を見たとき、一言で言うなら、「世界標準では、日本人が異端だ」ということ。日本人が正常で常識的であり、外人が非常識だと思うのは、日本から出たことがない日本人の考えだ。現実はそれとは異なる。海外勤務の日本人と話していると、よくこの話題が出る。そう、外人から見れば、日本人が異常で異端なのだ。
 では、日本人のどこが異端なのか。その考え方が異端らしいなのだ。外国人から見れば、日本人は律儀すぎるというのだ。「なぜそこまで時間を厳守するのか」「なぜ約束を守ることに命までかけるのか」「なぜ誰も見てないのに怠けないのか」と、まだまだたくさんある。昔、知り合いの中国人から、「なぜ日本人はお金が返せなと、自殺するのか?逃げればいいじゃないか。なぜ逃げない?」と詰め寄られた。それが、海外お常識だ。日本人から見れば、借りた金は返すのが当たり前のことだが、外人から見ればそれが不思議らしい。逃げるのが当たりまえだと。日本人は、「約束」対してシビアで、それが日本人に対する信頼を生んでいる。
 がしかし、一方では日本人は信頼できるが、一緒に仕事をすると疲れるとの意見も多い。そしてまた、一番多い意見は、「なぜ昼と夜との性格が違いすぎるのか」と言う。世界で活躍する日本人ビジネスマンの夜は乱れている。これも、外人には不可解らしい。

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「座敷わらし」を見た!(下)  [謎の事件]

 昨日の続きだ、怖いけど話を続けてゆこう。
 まず我々は人数が5人だったので、部屋の4隅に一人ずつ配置し、最後の一人は部屋の真ん中で、電灯のスイッチ係だ。その部屋の電灯は、電灯の下に垂れている紐を引っ張ってオンオフする形式だった。何か起こったら、すかさず明かりをつけるという役割だ。そして、それぞれの立ち位置をじゃんけんで決めるのだが、この時ほど緊張したことはかってなかったと記憶する。最初に勝った奴は当然電灯係をゲット。皆が一番いやがった立ち位置は、第4走者だ。スタート地点にだれかいたなら、生きた心地がしないからだ。誰もがこの位置を避けたかった。アニキは運良く次に勝ったので、第3走者を選んだ。一番負けた者がやはり、第4走者になった。じゃんけんが終わってもなかなか皆開始の決心がつかず、時間が流れた。意を決して、始めようということになり、皆、それぞれの配置に着いた。電灯係の合図で明かりを消した。古い宿のため、雨戸がしっかり閉められていたので、案の定真っ暗だ。目が慣れてもなにも見えない。最初の第1走者が、「いくぞ!」という言葉とともの歩き始めた。壁伝いに歩き、第2走者にタッチしたのがわかった。そして、第2走者が歩き始めた直後、悲鳴が聞こえた。皆その声にびっくりしたが、電灯係がすぐに明かりをつけた。そして、その光景が明るみになった時、特に怪しい物はなかった。ただ、第1走者がスタート地点近くでうずくまって震えていたのだった。第1走者の震えはなかなか治まらなかったが、その時点でゲームを中断し、第1走者の回復を待った。平穏に戻った第1走者に、「どうしたのか」と、話を聞いた。
 実はこの第1走者は、第4走者をびっくりさせてやろうと思って、第2走者にタッチした直後に、スタート地点へ引き返したのだ。で、スタート地点で何者かにぶつかったというのだ。それは物体ではなく、人型の物であったと。そしてその者にギュッと体を捕まれたというのだ。体格は子供ではなく、大人ほどあったという。その第1走者の男は、すかさずその人型の何かを引き離した。スタート地点にいたのは、間違いなく我々の仲間ではない。明かりをつけた時、第2走者は壁伝いに歩いている途中で、アニキと第4走者はまだそれぞれの角にいたのだから。
 この話を聞いたあとは、我々はゲームを続ける気力もなく、酒もすっかり醒めてしまった。少し飲み直した後は、当然明かりをつけたまま寝たのである。
 姿は見ていないが、あれは一体何だったのか?今でも気になるし、夜にはあまり思い出したくない思い出である。アニキは、この事件以来、目に見えない物ってあるかもしれないという考えが強くなっていった。
 勇気がある諸君よ、一度このゲームを試みてほしい。座敷わらしの姿を確認することができるかもしれない。幸運を祈る。
 しかし、あのときはホントに怖かった。

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「座敷わらし」を見た!(上) [謎の事件]

 堅い話が続いたので、今日は息抜きをしよう。心地よい話題で和んでもらう。
 さて、「座敷わらし」って知ってるか。古い家に住む子供の妖怪だ。霊感の強い人には見えるらしいが、普通の人は見ることができない。その正体が何かはわからないが、どうも危害は加えないらしい。こんな話を子供の頃に聞いたことあがる。そしてアニキが大学生の時、座敷わらしを発見する方法という話を聞いた。どんな方法かというと、真っ暗にした部屋の四隅に一人ずつ立つ。最初の一人が、壁伝いに次の角まで歩き、そこにいる人にタッチする。タッチされた人は、壁伝いに同じように次の角まで歩いていき、その角にいる人にタッチする。で、タッチされた人は同じように歩いて、次の人にタッチするのだ。これが不思議な事に、永遠続くのである。これは不思議なのだが、部屋の中には4人しかいないのに、永遠に続くのはおかしいのだ。よく考えてくれ、最初の人が出発した場所には人はいないのだから、4人目の人が最初の人の場所にたどり着いた時、だれもいないのが自然である。にもかかわらずだ、だれかいるということなのだ。そして、そのだれかとは、「座敷わらし」であるということ。座敷わらしは子供の妖怪なので、遊ぶのが好きらしく、出没するのだという。
 こんな話をアニキは4人の仲間とスキーに行った時に聞いた。夜、部屋で飲んでいる時にこんな話になった。当時泊まっていた宿は、学生が泊まる格安部屋で、とくかくぼろい。すきま風も時々入ってくるし、暖房があまり効かない湿った部屋だ。いかにも…だ。話の流れから、試してみようという流れになった。やるかやらないかでもめたが、やる派がじゃんけんで勝ったので、やることにした。当然アニキは臆病者なので反対したが、酒が入って気が大きくなった連中の勢いを止めることはできなかった。
 古いスキー宿って、ホントにやばいぞ。
(明日に続く)

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プレッシャーだけが人を育てる(5/5) ~まとめ~ [哲学]

 アニキはこのブログの中で何度も言ってるが、「科学で証明されてないことは信じない」ということは、今生を棒に振るぞと。非科学的でも、自分の腑に落ちるなら信じた方がよい。世の中うまくいってる奴は、科学で証明されてないことでも、「たぶん、そうだろう」と思ってやってる奴らだ。だから、世の中にはうまくいってない奴の数の方が断然多いのだ。これが、世の中のしくみ。だから、早く気がついた方が得なのだ。
 そう考えると、プレッシャー克服なんて簡単だろう。簡単ではないプレッシャーを簡単にして、ぴょんぴょんと乗り越えてゆくのだ。考え方ひとつで、脳が味方についてくれて、一緒に乗り越えてくれる。途中でプレッシャーに潰されて出世できなくなったサラリーマンは数え切れない程いる。つぶれた人には悪いが、彼らは自分の実力だけで闘った立派な人達だ。これはこれで、本人も本望かもしれないのだが、せっかくなら、結果もだしたいよな。世の中のすべての事にはコツがあるのだ。
 皮肉にも、現在の社会では自分の実力以上のものを出さないと、この激しい競争には勝てないことになってる厳しい時代なのだ。胃潰瘍になったとか、鬱になったとかよく聞くが、なってしまったものはどうしようもない。だから、そうなる前に考え方を変えて、プレッシャーを乗り越えてゆく。しかも、ひとつのプレッシャーを乗り越えたあと、ゾンビ状態では困る。ぴんぴんしていなければダメだ。だって、すぐに次にさらに大きなプレッシャーがやってくるから。次々とプレッシャーを乗り越えられるのは、プレッシャーを軽減しながら進んでいった無傷の者だけだ。
 そうやってプレッシャーを克服してゆくうちに、顔が変わる。目つきが変わる。しゃべり方が変わる。精悍な顔になってくる。どんなにブ男でも、女にもてる顔になる。「ぼくちん」から「ホンモノの男」に変貌を遂げる。要するに、修羅場をくぐってきた男の顔だ。そんなオマケも洩れなくついてくる。
 だから、日頃から「成長するにはプレッシャー」と口ずさんで仕事をして、問題が起これば、「よし、来た!」とチャンスだと思うことだ。で、目の前に起きた問題をがんばって解決してゆくうちに、いつの間にか階段の頂上に立っている。いつ、ジャンプ台に乗って飛び上がったのか、自分ではわからない。実はこのジャンプ台、ジャンプした本人はそれに気づかない。しかし、周りはみんな気づいている。あいつはジャンプしたと。なぜかというと、プレッシャーの中に身を置くと、その眼前の解決に全身全霊を注ぐから、冷静に自分を見る余裕がない。自分を見る余裕があるなら、それはプレッシャーとは呼ばない。そこに余裕がないから、人間は成長するのだ。目の前の事件が自分を成長させるプレッシャーかどうかを見極めるのは、そのあたりも感覚も重要だ。
 ではみんな、サンタさんがプレゼントを持ってくるように、プレッシャーを心待ちにして、仕事してくれ。
 おっとそれと、アニキの「脳の謎シリーズ」も読んでな。今日の話がもっと深く理解できるから。
 では、みんなの成功を祈る。
 
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プレッシャーだけが人を育てる(4/5) ~乗り切る方法~ [哲学]

では、話を戻そう。今日が話の天王山と言っておこう。
 「積極的にプレッシャーを求めろ」と言ったが、プレッシャーにつぶされてしまっては、元も子もない。今日はそのプレッシャーをいかに軽減するかという話をしよう。
プレッシャーが成長を促すが、できれば少ないプレッシャーで世の中を渡っていきたいものだ。というのは、多大なプレッシャーに立ち向かうということは、荒行に近い。カラダと心がボロボロとなり、プレッシャーを克服したものの、次のプレッシャーには到底立ち向かえないという状態では、サラリーマン人生はそこで終わりだ。会社というところは、福利厚生などとうたっているが、カラダを壊した人間には非常に冷たいし、次のチャンスは来ない。現在、トップまで上り詰めた人間は、うまくプレッシャーをクリアしながら出世したと言っておこう。偉い人はその方法を知ってる。実は、重たいプレッシャーを軽くする術は存在するのである。そう、プレッシャーは、決して荒行とすべきではなく、ぴょんぴょんと楽に乗り越えてゆかねばならない。ここに、アニキの哲学が存在する。
まず、プレッシャー解決に必要なことは、その「考え方」が重要だ。考え方とは何か?それは、自分の脳を味方につけろということ。「考え方」とは、「脳を味方につける」ことだ。うまく乗り切りたいなら、絶対に脳を味方につける必要がある。それには、プレッシャーを喜びに変えるということが必要だ。プレッシャーで決して落ち込んではいけない。
アニキは以前、脳の謎で語ったように、プレッシャーの中にいるその状況を、まず楽しむという「考え方」にするのだ。落ち込んでいては、確実にその問題の解決は失敗に終わると言いたい。脳を味方にするとどうなるのか。ひらめきを得ることができる。ひらめきは自分の力ではない。脳の力だ。みんな、ここがわかってない。「ある日突然ひらめいた」と、よく成功者は語っているが、その陰でひらめかない人は世に中にごまんといる。ひらめいた人は、それで成功したから、社長になって本が書けたのであり、我々がそのことを知ることができるのだ。じゃ、ひらめく人とひらめかない人との差は何か!これが、脳を味方にしたか否かだ。それなら、ひらめきを得たいと思うよな。難しいと思いがちなひらめきだが、それを得るのはそんなに難しくない。がんばれば誰でもできるのだ。
 

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プレッシャーだけが人を育てる(3/5) ~できる上司~ [哲学]

 ちょっと話がそれるが、怒り癖のある上司の見極め方を伝授しよう。すぐ怒る上司ってどこでもいるよな。で、怒られるとかなりのプレッシャーを受けてしまう。怒ってもいいのだが、ねちねち怒るのだけはやめてほしいものだと、常々アニキも思う。「怒る上司」については、またいずれ「アニキの上司論」の中で話してゆこうと思うので、ここではプレッシャーに関係ある必要なところだけを簡単に説明する。
 まず、怒る上司は2種類いる。怒り方はさておき、怒る原因別で分けてみよう。
 タイプ1は自分に自信がない上司で、事なかれ主義を軸としている。イレギュラーが嫌いで、想定内の仕事のみを好む傾向がある。よって、問題や事件など起こして、余計な仕事を増やしたくないのだ。このタイプは前任者が敷いたレールを歩いてきて昇格した上司で、上の機嫌をとることを一義に見据えて仕事してきた。「出世するため上司の機嫌を取る」という戦略事態は悪くないのだが、仕事の中心がそればかりになっていたため、イレギュラーを処理してきた経験値が少ない。ドラクエなら、スライムしか倒してこなかった連中だ。だから、強敵が出てくると途端に歯が立たない。そう、業務上では部下のケツを拭く自信がないというか、拭けないのだ。だから、ちょっとしたミスでも怒りまくる。上司にとってそのミスは、自分を出世の道からはずそうとする行為にほかならない。その裏には、自分の解決能力のなさと、それにより化けの皮がはがれ、出世が遠のくのを怖がっているのだ。
 タイプ2は、部下にわざわざプレッシャーを与えるタイプ。本人もプレッシャーによって上がってきた自負があるから、部下へも負荷を与えるのだ。この人が怒る原因は、くだらないミスで無駄な時間を浪費することへの怒りだ。くだらないミスは能力アップにつながらないから、そんなことに貴重な時間を翻弄されるのは、無駄以外のなにものでもないからだ。だからミスをしかり、部下にプレッシャーを与えることで注意を促す。愛の鞭という意味合いだ。つねに部下に大きなプレッシャーを与える機会を待っているのである。だから一見、冷たい印象を与える。問題が起きた時、「おまえはどう考える?」と、部下に答えを探させるので、部下は、「困ってるのに助けてくれない」ように映る。ここで、その表面に惑わされるようでは、まだおまえはそのレベルってことだ。この上司の特徴は、小さなミスでは怒るが、大きな問題の解決で失敗してもあまり怒らないのだ。そしてすかさずフォローしてくれる。しかも、問題に対する取り組み姿勢を重視しているため、真剣に解決に取り組んでいれば評価も下げない男気もある。

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プレッシャーだけが人を育てる(2/5) [哲学]

 人間の成長に一番効果があるのは、「プレッシャー」だ。要は、八方ふさがりや緊急事態などの状況のプレッシャーが人を育てるのだと、アニキは言う。つまり、大きく早く成長したければ、できるだけプレッシャーの中に身を置くことである。
 ここで、アニキの言う「プレッシャー」を定義付けておこう。厳密な意味でのプレッシャーはいろいろ解釈があろうが、簡単に定義付けさせてもらう。ここで言うプレッシャーとは、まずそのままでは逃げられない状態であること。じっと我慢して耐えてる状態ではプレッシャーは弱らない状態と理解してもらいたい。各種の行動のみがプレッシャー状態を脱出する唯一の出口であること。
そんなプレッシャーを克服したその時、以前の自分より一段階成長しているのだ。次に同じプレッシャーを迎えても、それはもうプレッシャーとは感じなくなる。筋肉で言うところの超回復と同じ。だから、プレッシャーは自分で解決しなければならない。すぐに上司に頼るようではダメだ。まず自分で考えて行動する。会社を危機に陥れる可能性がるなら、自分の行動方針を上司に報告してからでもよい。
 一方、上司もプレッシャーという観点から、その能力を測ることができる。上司の仕事の一つは部下を成長させることである。よって、上司は部下にプレッシャーを与えなければならない。しかし、プレッシャーは与えすぎてもダメ、少なすぎてもダメである。ここで、できる上司とダメ上司に別れる。ダメ上司は、おっそうか、プレッシャーを与えればいいのかと、自分でも耐えられないようなプレッシャーを部下に与えても、部下を壊すだけである。大きすぎるプレッシャーは人格・精神も破壊してしまうほどのエネルギーがある。そして、忠実な部下ほど壊れるのだ。
 

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プレッシャーだけが人を育てる(1/5) [哲学]

 人は成長するために勉強する。学校の勉強が終了すれば、もう勉強しなくて済むと思ってる勉強嫌いも多いが、学校の勉強はしないでもいいが、社会に出たら仕事上での勉強は一生しなければならない。この「仕事上での勉強」というと抵抗があるなら、アニキは人間の成長または能力アップと言い換えてもよい。そう、人間の成長や能力アップすることが、社会においては最重要課題だ。
ところがだ、社会においては、独自の勉強だけではとうてい及ばないことに皆気づくことになる。コツコツ勉強しても間に合わないのだ。階段を一歩一歩上がることはできても、一気に飛び上がることはできない。一気に飛び上がるために、学校に通ったり、講演会に出席したりと、お金を使って他力を求める。しかし、その効果はあまり期待できないのではないだろうか。そんなことをするより、もっと効率よく一気に飛び上がる方法が、実は存在する。
 周りを見てみるといい、短期間で格段に能力がアップしている人間がいないだろうか。コツコツと階段を上がっている自分の隣を、いきなり飛び上がって抜いていゆくやつがいるのだ。うらやましい限りの話だが、事実だ。これは日常よく起こっていることに気がつかねばならない。実は、彼らは自分だけの努力で能力がアップしたのではない。ジャンプ台を利用して飛び上がったのだ。
 では、このジャンプ台とはいかなるものか。それは、「プレッシャー」だ。そう、プレッシャーだけが人を育てるのである。人間が成長するに必要なのは、勉強や経験で学ぶことも大事だが、さらに上のレベルへ一気に上がるには大きな他力が必要だということだ。勉強だけでは小さな成長はあるけども、大きな成長は望めない。コツコツ努力では、いつかは目的地に到着できるとは思うが、ジジイになって到着しても意味ないだろう。早く目的地に到着し、その能力を使って成功を手に入れたいだろう。それには、できるだけ早くレベルアップだ。そう、そのレベルアップを手助けするジャンプ台こそが「プレッシャー」だ。

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人生の流れを知れ!(下) [哲学]

 昨日は人生の2段階目まで話した。今日は学びの第2段階目の次だ。
 そして、いままで学んだことを伝える時期が第3段階だ。人生において何か極めた後には必ず弟子ができる、必ずだ。社会の中で生きていると、段段と仕事や課題が大きくなってゆき、個人一人の力では不可能という状況になる。どうしてもチームでやってゆかねばならなくなるのだ。すると、いつの間にか自分の下に弟子がいる状態となる。もう自分の年齢もそこそことなり、力のある弟子に抜かれるのだ。自分のノウハウすべてを後進に託す、これで第3段階だ。
 一方、師匠を抜いた弟子は、まだ第1段階の者もいれば、第2段階の者もいるだろう。第1段階の者は、師匠を飛び出して自分を磨きに出掛けるが、どこかで頭を叩かれる。第2段階の者は人生を悟り、次に教える者としての心の準備ができる。これが順々に繰り返されてゆく。
 そう、これが人生のおおきな仕組みである。皆よ、過去を思い起こしてほしい。スポーツでも勉強でも仕事でも、過去にやってきた経験の中に、それぞれに師匠がいたのではないか。鼻息も荒く、天狗になっていた時代があり、それをへし折られた経験があるのではないか、よく思い出してほしい。あと補足すると、第2段階には、その中には更に何段階も経た経験を持ってる人もいるはず。2人目の師匠では極められず、何人も師匠を変えてきた人もいるだろう。これは、師匠が何人変わってもその人にとっては第2段階なのである。極めるまで2段階から抜け出していないのだ。転職を繰り返す人などはまだ、第2段階途上にいると考えた方がいいだろう。
 そう、結論はとにかく人生は3段階で構成されているといこと。そして自分が今、何段階にいるのかとよく考えてほしい。各段階は人間の成長という言葉に置き換えることもできる。考え方の変化がキーワードである。悟りとは「物事のしくみの理解」だ。自分が極めなければならない道は、考え方を見つける道であるから。偉人伝なんか読めば、その共通項として納得するはず。
 そして最後に注意してほしいのは、3段階が終わった人はその人生での役割を終えたわけだから、いつでも今生での役割を終えたわけだから、いつ神様からの呼び戻しがあってもおかしくない。要注意である。

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人生の流れを知れ!(上) [哲学]

 人生とは何か?と突き詰めてゆくと、あたまが混乱してくる。それが何かとわかる時は、死ぬ時なのかなとも思う。しかし、そんな人生であるが、いろいろ研究していくと面白い法則が見つかる。明確な段階があることに気づくのだ。そう、人生のステップは最低3段階と、アニキは考える。勘違いするなよ、3段階は最低だからもっと多い奴もいる。
 人は生まれ、幼稚園へ行き、学校へ通う。中学までは義務教育だから、だいたいの日本人はその道を進む。そこでまず、学校という枠の中で社会を知ることになるのだが、うまく好きな事や得意な事を見つければラッキーだ。だが、ほとんど人は何が得意で何が好きなのかわからずに、ずるずると大きくなってゆく。錯誤の日々をおくる
 分岐点はまず、社会人になった時。ここをまず人生の出発点として考えたい。アニキはこの「学校」という準備期間を人生のしくみには入れない。なぜなら、一生学生という人間はいないのだから。必ず、ある年齢にて社会に放り出されるのである。
 そこでまず、人は就職するか職人になるかの道を選ぶことになるのだ。そこでは人は赤子同然だ。流れとしては、師匠(上司)を得て、とにかく何でも1から教えてもらう。そして、まず目の前の仕事を一生懸命に学び、自分のものにすべく努力するのではないだろうか。これが第1段階だ。この第1段階において、大きな能力を得て飛躍的に伸びる人や、大して伸びない人などに分かれる。大きく伸びた人は、「俺はすごい」「俺にかなうやつはいない」と錯覚し、脚光を浴びバリバリやってゆく。そして、評価も得るものだ。そして「俺が一番。」と錯覚する。そんなとき、都合良くライバルが現れる。そいつにこてんぱんにやられるのだ。そのときにどん底に突き落とされるのだ。
 で、落ち込み悩む。しかし、答えはない。抜け出すための答えは、次の師匠だ。新たな師匠が現れる。これが人か本か夢かは別として、ある日、師匠の言葉が腑に落ち、気づきが起こる。気づいた後に、その気づきに沿ってバリバリやり始めるのだ。それが人生の第2段階。この段階でほぼその物事を極めることになる。がむしゃらにやって、なんとかなるものではないことがわかる。または悟りの境地を得るのである。悟りとは、アニキ流に言えば、「物事の仕組みを理解した。」ということになる。この第2段階までが学びである。

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「おみやげの極意」を教えよう!(3/3)  ~まとめ~ [哲学]

 「まずい土産」に及び腰な諸君に、アニキの成功例をここに一つ紹介しよう。アニキが昔タイへ出張に行った時の話だ。その時、お土産に「ドリアンキャンディー」を買った。いかにもまずそうだろう。街中のスーパーでいろいろ探していたら、これが目についた。「これはかなりまずそうだ」と、自信を持って買って帰ったのだ。案の定、不評の嵐だ。口にした皆、「最後まで舐められない!」と弱音を吐いていた。アニキは、「人がせっかく買ったお土産を粗末にするなんて、最低の人間ですよね。」なんてよく言ったものだ。
 で、最も面白かったのが、部長だ。配った後で余ったアメは当時、アメ缶と名付けられた缶に入れておいて、誰でも好きなときに食べてもいいようにしてあるのだが、たまたま部長がその缶を開け、なにげなしにドリアンキャンディーをポンと口に入れた。あまりにものまずさに、その瞬間ゴミ箱まで突然走り出し、ゴミ箱に吐き出した。勢いよく口に入れた反動と走っていたこともあり、ゴミ箱に吐いたというよりは、むしろゴミ箱へ向かって唾液と共に一気に吐き飛ばしたといった方がよいだろうか。机の横のゴミ箱に覆い被さるように屈み込み、しばらくそのままの状態で動きが止まり、肩で息をしていた。本人も何が起こったのかわからなかったのだろう。体内にいきなり侵入してきた異物、「これは食べるものではない!」と体が反射的に拒絶した、言わば無条件反射である。その後部長は気を取り直すまでしばらく時間がかかった。アニキもその様子を遠くから見ていたが、ここまでのインパクトがあるとは、正直思わなかった。しかし、この事件は末永く語られることになり、飲み会の席では必ず話題に上がり、部長も「あれはまずかった!」とご機嫌であった。
 これは土産の極意であるが、ここで重要なのは、相手にはインパクトを与えられることだ。何でもそうだ、日常にインパクトを与えることを常に意識する必要があることを言いたい。それと、効果を狙うためにはギャップを利用すること。(ギャップの話は、これだけで長文になってしまうので、また今後改めてさせてもらう)例えば、このまずい土産をお笑い芸人がやってもインパクトはない。想定できるからだ。常にウケを狙ってる人がやってもつまらない。ウケを狙えないお堅いサラリーマンがやるから面白いのだ。そんなことも、人生学んでもらいたい。
 その後、他の同僚も同じことをやるものだから、出張土産そのものが会社で禁止となってしまったので残念だった。しかし、これは部長にもいい経験になったようだ。それからいうもの、部長はアメ缶からアメを取り出す時、必ずにおいをかいでから口に入れるという習慣に変わった。

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「おみやげの極意」を教えよう!(2/3)  ~インパクト~ [哲学]

 昨日の話では、お土産とは「印象づけ」であると語った。印象づけができるお土産を選べということだ。常識から言えば、確かにその通りだ。
 しかし、そうなると大変だ。お土産選びに労力がかかりすぎる。旅先では、お世話になった人や親しい友人への土産選びで時間を使い切り、疲れ切った後さらに、会社への土産じゃ身が持たない。で、ここにアニキの「みやげの極意」がある。
 いいか、目的が「印象づけ」であるなら、いいものを選ぶ必要はない!とアニキは言い切る。いいものを選ぶとなると大変なんだよ。会社なんて人数の多いところでは、食べ物の好みも様々だ。万人に喜ばれそうなお菓子などは更に高額だ。しかし、予算は割けない、選ぶ時間も割けないとなると八方ふさがりだ。そこでだ、アニキがやるのは、「まずい物選び」。そう、極力まずそうなお菓子を選ぶ。究極のまずさを求め探すのだ。言わば、「マイナス側のインパクト」だ。プラス側にインパクトを与えるのはすごく難しいが、マイナス側のそれは簡単だ。また、やってみるとわかると思うが、これがすごく楽しい。食べた時の皆のまずそうな顔を思い浮かべながら選ぶのである。イタズラ好きにはたまらない。思わず微笑んでしまう。世の中、こんな楽しいことがあったのかさえ思う。あの部長が食べた時どんな顔するのだろうか、あの先輩OLはどんな驚きの顔をするだろうかと。
 ただし、それを持って帰れば間違えなく罵られる。でも、それは想定内であるから全く気にならない。冷静に受け止め、自分に浴びせられる罵詈雑言の激しさが自分への評価のバロメーターと思え。罵られ方でまずさのレベルを計り、「少し、まずさがイマイチかな」とか、「まずくなかったのか、残念」と、次回からの励みになる。後々まで尾を引いて罵られてこそ価値があるのだ。「まずさ不足」じゃ、すぐに話題から消えてしまうので、それは反省に価する。
 が、まずいもの探すのもちょっと大変ではある。お店はおいしい物を並べるのが仕事だから、店のアドバイスは聞けない。自分の五感だけが頼りなのだ。五感を研ぎ澄ませ、どれが一番まずいか考える。レベルが上がれば、何となくまずそうな物がわかってくるので、それも訓練だ。ま、何でも楽しみに変えるというのがアニキの哲学だ。義理土産選びもただの作業にせず楽しみに変える。

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「おみやげの極意」を教えよう!(1/3)  ~その真の目的~ [哲学]

 個人あてのおみやげ話ではない。サラリーマンとしての「おみやげ」の極意だ。それは、会社など自分が所属するグループへのお土産に限定した話として理解してくれ。つまりは「義理みやげ」の話だ。そんなもの買う必要ないじゃないかと言われるかもしれないが、サラリーマン哲学の中ではそんなムダなことでも必要なのだ。
 じゃ、この会社への「義理みやげ」だが、なかなか厄介なもので、みんなが迷う土産なのだ。シチュエーションとしては、出張や休暇で旅行など行った時に、会社へも何かということで買うものだ。「義理みやげ」と定義づけられたこの土産は、受け取る相手のことを真剣に考えないであげる土産だから、その選びに全く力が入らない。しかたなく選ぶことになるから、この場合予算と数から検討するのではないだろうか。相手の事を考えて買う真のお土産は、品物が先で買うか買わないかはお財布と相談っていう順序だろう。皆もこれは何の目的のみやげかと考えた時、予算からみやげを検討するなら、それはすべて「義理みやげ」ということになる。言わば、バレンタインの義理チョコだな。買って帰ることにその意義がある。中身はある意味どうでもよいのだ。
 午後3時頃に、事務所内でどこからともなく配られる煎餅や饅頭。モノはキヨスクなどで数だけやたら多い1000円程度のものだ。サラリーマンやってれば、よく目にする光景だ。で配られた時、「だれのみやげ?」と何気なく尋ねて、近くにその人がいれば「いただきます。」ぐらい言うだろう。いなければそのまま食べて終わり。その後、何の記憶にも残らない。たまにOLなんかで、真剣にみやげ買ってくる人いるけど、喜んでるのは親しい先輩後輩OLのみ。これは、お局さんが怖いからというのもあるだろう。なんせ、忙しいのに有給休暇を取って旅行へ行くわけだから、ご機嫌取りや罪滅ぼしをしなければ、築いてきた人間関係にひびが入る。
 で、アニキが言いたいのは、要するに会社への土産は「気にされない」ということ。これじゃ、何の意味もない。お土産の意味をもっと深く考えなければならない。もらった人が喜んでくれるとか、びっくりさせるとか。まあ、本来の目的はそんなところだろう。しかし、会社への土産のように、ほとんどが喜んでくれない環境では、お土産選びもただの作業だ。本当は1000円も払っているなら、それ相応に印象づけたいよな。そうなのだ、「印象づけ」これができればお土産の目的は果たせる。

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脳の謎(番外編) ~脳波の話~ [哲学]

 脳の謎でひとつ言い忘れたことがあるので、付け加えたい。脳波の話だ。
 みんな知ってると思うが、脳は脳波というものを出す。そんなの当たり前じゃないかと思うだろう。でも、これって不思議じゃないか。現代ではその脳波にはいくつかの種類があるともわかってる。脳波とホルモンの関係や、感情と脳波の関係など、いろいろわかってきてる。これはすばらしい実績だ。
 では、人は何のために脳は脳波を出すのだ?なんで、こんなもの出す必要がある?脳の状態に応じて脳波を出すということはわかっていても、「何のためか?」を説明している文献はない。アニキは思う、自分の肉体をコントロールするだけなら、脳波なんか使わなくてもいいと。自律神経などの神経経路があるのだから、それを使えばいい。わざわざ電波のような手の込んだ手法が必要な意味はない。インターネットだって、LAN回線で充分な環境において、無線LANにする意味はあるのか、ということだ。そうだ、脳波は無線LANなのだ。インターネット環境において、無線LANにする意味とは何か?端末が多く存在する場合や、受信端末が遠くにある場合などだ。どう考えても、有線接続の方がデータを大量に正確に送れる。
 何が言いたいかというと、脳波も無線LANであるということ。そして、これらの通信を必要としている何者かが存在しているということに気づくべきなのだ。遠くからの脳の通信を受ける受信機が、どこかに多数存在しているのではないか。そうなると、「脳波を出して、だれと交信する必要があるのだ。」という疑問が出てくる。ここにも、脳のもう一つの謎が隠されているのだ。
 そう、実はこの脳波こそ、創造主への報告だとアニキは考えてる。脳波のような波動は、特定の波長を持っている。波長は微弱電流であるから、電波と同じと考える。そして、電波は通信手段だ。異なる波長の電波を巧みに使い、相手と通信する。脳はこの電波を使い、肉体の状況を外部に報告している。そうだ、脳は肉体が知らないうちに、どこのだれかと通信しているのだ。

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脳の謎(12) ~最終回~ [哲学]

 今回で、脳の謎は最終回となる。長い間、戯れ言につきあってもあって、ありがとう。では、まとめてゆこう。
 人生において、「運をよくする」「チャンスを掴む」とは、脳と仲良くすること。そう、脳と仲良くして、脳からのヒントを覗けということ。で、脳と仲良くするとは、脳への気配りだ。これができれば、脳は味方だ。仲良くするとは、脳への気配りだよ。
 ここまでアニキが書いておいて、「俺は脳と仲良くなんかしねー」って奴はいないと思う。たまにへそ曲がりな奴がいて、「俺はだれにも従わねーよ」って粋がっていてもいいが、よく考えろ。敵が自分の中に居てテメーの命握ってんだから、どうしょうもないよな。敵対するということは、脳が自分の首に手を廻した状態でいつでもいるということだ。わかるな、敵対したって、百害あって一利無し。いいこと無しだと言っておこう。つまんないことは考えないことだ。早めに降伏した方がいい。味方に付ける工夫をしな。じゃないと、それまでの年月は人生無駄に終わる。人生無駄にするな。
 人生の本当のスタートは、脳との二人三脚が始まったとこからだ。足がバラバラの状態じゃ、まだ人生は始まってないと思え。そんな不安定な状態では、いつ転ぶかわからない。運が悪い奴は、そんな状態の人だ。二人三脚では、お互いが「お前が悪い」と言い合ってる状況では、ゴールに向かって進まないし、進んだとしてもスピードが極端に遅い。
 何が言いたいかというと、まずきちんと足並みを揃えてから、スタートしろということ。その方が安定感がグッと増し、スピードも上がるから、早く欲しい物が手に入る。だから、スタートする前に「脳との信頼関係をどう築くか」をじっくり考えた上で、前に進むことを薦める。遠回りのように見えて、結局これが、一番の近道なのだから。
 ここまで、脳の謎の話は終わりだ。お付き合いに感謝する。

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脳の謎(11) ~ヒントに気づけ!~ [哲学]

 アニキは、この世に生まれてくるのは修行だと思ってる。この考えがアニキ哲学のベースである。なぜなら、前にも書いたが、「人は何度も生まれ変わる」ことの説明が、とても腑に落ちるからだ。この観点から、人が生まれてくる時に、修行や課題があり、脳もその使命を知ってるはずと考える。でも脳はそのことを、肉体に知らせてはいけないのだ。だから、脳は一緒に修行するパートナーであはるが、脳は自ら手助けしてはいけない。人はその生人生中でいろんな問題が起こるが、それは生まれてくるときに自分で決めてきた課題であり、その解決策は自分で見つけ出さなければならない。脳はその答えを知っているし、その乗り越え方も知っている。なぜなら、解決できない問題は持って生まれてこないのだから。脳は、解決方法を教えては修行にならないから黙ってるだけなのだ。
 とは言いつつも、仲良しには教えたくなるのが人情だ。「脳と仲良くなる」とは、この心理を利用するのだ。脳は能動的には教えることはできないが、教えてあげたい衝動にかられる。そう、教えられないが、ヒントを見せることは可能だ。肉体の意思(心)に覗かれるようにして、わざとヒントを見せるのだ。仲良しの肉体に、脳はわざと隙を見せる、ガードを下げるのだ。そして、肉体は脳が見せたがってるヒントを覗くことができるのだ。それは、脳にとっての親友が困っているなら、創造主の命令も破る。命令を守るのも脳だが、破るのも脳なのだ。脳は義理堅いのだ。好きな者にはヒントを出すし、それを覗いてほしいとも願うのだ。若い女性が、好きな彼氏だったらパンチラOKだが、その辺のエロジジイはノーだろ。その心理と同じだ。な、だったら脳と仲良くすべきだろう。困った時や悩んだ時、脳のヒントに気づけ!だ。
 ヒントはいろんなところに出てくる。夢に出たり、ひらめきで出たり、突然本を手に取ったりだ。気づくまで脳は何度でも出してくる。キーワードは「突然」だ。これは、脳が起こしてると気づけ!人生をプラス側に持って行きたかったら、脳からヒントもらえるようなつきあい方をしろと、いうことだ。
 まず、脳と仲良くして、ヒントを引き出せ。そして、その後に脳が覗かせたヒントを絶対に聞き逃すな。チャンスの神様の話とは、まさにこれだ。「チャンスは前髪で掴め!」とはこのことを言う。脳が出すサインに気づくことがチャンスをものにする。「チャンス=脳のヒント」とアニキは言い切る。これが成功への近道だ。チャンスが来る来ないの話とは、脳の謎に繋がるのだ。
 脳からヒントを得て、賢く生きろよ。そして、我々は、ただ欲しい物を手に入れて楽しく生きればよいのだ。

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