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「孫燕姿」を知ってるか  ~中華系美人歌手シリーズ(第一弾) ~ [美人]

 シンガポールの美人歌手である。英語名はステファニー・スンだ。アニキが一押しの歌手である。美人で歌がうまいアジアの歌手は多いが、大概はすぐに消えてゆく。台湾の歌手などは一瞬で終わる人も多いが、彼女は珍しく長く人気を保っているといえる。その秘密は、まず美人であることだ。日本人好みの顔である。そしてそれを長く保っている。いつ見てもよし。体型は非常に痩せていて華奢だ。でも彼女の魅力はそれだけであない。歌唱力もすばらしい。華奢なカラダから、どうしてそんなに声が続くのだろうかと、驚いた。そして曲も実にいい曲多い。日本人好みの曲は間違いなく多い。とてもメロディアスなのだ。歌詞は中国語だから、全く意味はわからない。まあ、そんなことはどうでもよい。洋楽聴いて、その意味を噛みしめて涙しながら聴いてる日本人をいまだかって見たことがない。だから、洋楽は間違いなく歌詞じゃないだろう。そのメロディのよさだ。ならば、総合力で「孫燕姿」は間違いなくナンバーワンである。
 アニキは、2004年頃から頻繁に上海へ行く機会が増えた。週末挟むと暇なので、よくDVD屋をぶらぶらしていた。夜のカラオケ練習のためもあり、CDやVCDをよく買った。当時、中国人歌手といえばテレサテンしか知らなかったアニキは、ジャケットが美人の歌手を選んで買った。何人か聴いたが、いまひとつと言う中で、「孫燕姿」が光った。中国で売ってるCDは偽物が多く、勝手に曲を集めてCDにしていたため、正式版なんか存在しないCDが多かった。CDも3枚組なんかで、曲数も50曲ぐらい詰め込まれており、お得感が高いのだ。
で、その「孫燕姿」だが、ほっそりと華奢な美人で、松本伊代が好きだったアニキには申し分なかった。その好みは今でも健在である。アニキも今はいい歳だから、基本的に美人ならだれでもよい。アニキの好みはおいといて、男なんてのはみんな、美人が好きだ。好みがそれぞれ少し違うだけだ。しかし、年齢が上がると若ければだれでも美人に見えてしまうのは不思議だ。若い頃、あんなに好みにこだわっていたのにだ。今日は哲学の話はやめておこう。アニキ過去ブログ「美人好きの哲学」でも読んでみてくれ。とにかく、美人はいい。以上だ。
 そして鑑賞の秘訣だが、ビデオで見ることを奨める。なぜなら、美人だからだ。美人歌手は顔を見ながら聴かなければならない。じゃないと、美人である意味がない。美人であることの優位性が生かせない。言っておくが、世の中すべてが戦いだ。戦いなら、かならず武器が要る。この世は丸腰で勝てるほど甘くないだろう。歌手において美人であることはひとつの強力な武器である。しかしこの武器は賞味期限があるから、使い方に気をつけなければならないが。今日は「人生の武器論」の話ではないから、後日ブログで詳しく説明しよう。歌手の場合、顔は強力な武器である。だから「孫燕姿」の場合、PVを見た方がいい。
 では、アニキがお気に入りの曲を紹介しよう。まずはデビュー曲の「天黒黒」だ。いまではもう古い曲になるが、何度聴いてもよい。スローなピアノの弾き語りだ。美人顔と上手なピアノで、2度おいしい。孫燕姿には、スローな曲とポップな曲があり、両方ともお気に入りがある。スローな曲の方が彼女に似合ってる感じがする。「风筝」「我要的幸福」「遇見」「我懐念了」。ポップなとこでは、「超快感」「緑光」「第一天」などだ。まあ、書き切れないから、とにかく一度聴いてみることをオススメしたい。大ファンになるぞ。だが、日本ではなかなかDVDが手に入らないから、中国の動画サイト「百度(baidu)」や「新波視頻(sina video)」などで探してみるといいかもしれない。
 孫燕孫は結婚して、今も歌手活動を続けているらしい。「らしい」というのは、アニキがAKB48に夢中になってる間に、今どうなってるのかわからなくなってしまったからだ。

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願望実現の謎(6/6) ~運を上げるのは「脳」~ [哲学]

 話が逸れてしまったので、元に戻そう。不安になるとマイナスエネルギーの連鎖が起こり、「運」が落ちる。それが最も恐ろしい状態だ。なんだ「運」か、と落胆したかもしれないが、世の中すべてが「運」だ。わかってない奴はガキだ。成功とは、運をどれだけ引き寄せられるかどうかの話だ。だから、運を自分に引き寄せることが願望実現の近道であり必須だ。世の成功者はみんな知っているから、願望実現には運を鍛えるとことが必要だと、いうことになる。では、運の鍛え方について説明しよう。
 一般的に「運」は、だれでも平等だと思っている。しかしこれは正しくない。平等なら、宝くじはみんな平等に当たるはずだ。しかし現実はそうじゃない。当たる人は当たる。当たらない人は当たらない。なぜだ?「運」は脳が決める。脳の潜在意識が決めるのだ。
 実は、多くの人が宝くじを買う場合、「当たらない」と思って買ってるから、当たらないのだ。ここに願望実現のトリックがある。当たって欲しいと願うのは、当たらないと思ってるから願うのであり、当たるのが当たり前だと思っていたら当たるのだ。禅問答のようだが、これが真理だ。すべての願望はこれが真理である。当たるのが当たり前であるという意識のパーセンテージを上げることが、「運」をあげることにつながる。風水、占い、方角など、すべては過去の統計学であり、根拠にある程度信頼性がある。この信頼性により、願望実現の確信のパーセンテージが上がる。このしくみで確信が上がり、「運が上がる」につながる。神頼みも同じ根拠だ。自分の信じる神様は絶対に自分の望みを聞いてくれると思っているから、元々確信のパーセンテージは高いのだ。そこに願いをのせてやるだけでいい。そこで願望が実現すれば、さらに確信のパーセンテージは上がる。まあ、ロールプレイングゲームのようなものだ。しかしその神様が願いを叶えてくれなければ、確信は下がる。確信が下がると疑心暗鬼になってくるから、不安になり運も下がる。先にも述べたが、不安はマイナスエネルギーを運んでくるから、願望実現から遠ざかるというしくみだ。
 もう気がついてると思うが、「運を上げる=願望を実現する」のは誰か?占い師でも風水師でも神様でもない、自分自身だ。もっと言うと「自分の脳」なのだ。占いや神様に頼るのは、自分の願いの確信を高めることだけの行為であり、実際に願望を実現させるのは「自分」だということだ。そして、自分というのは自分の脳であり、こいつをうまく使ってやることだ。脳が願望実現のカギを握り、脳をうまくコントロールすることなのだが、脳は別の生き物であり、自分であって自分ではない。そして、脳をうまくコントロールするのは心だ。最終的には心のあり方が願望実現を決める。このことがわかってないから、願望が実現しないのであり、来世まで引きずる結果となるのだ。
 ここからの話は、「脳の謎」と同じ話になってしまうから、アニキ過去ブログ「脳の謎」を読んでくれ。そこには、脳との付き合い方が書いてあるから。
 では諸君、がんばって願望を実現してくれよ。

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願望実現の謎(5/6) ~不安になるわけ~ [哲学]

 では、願望が実現した者と実現しなかった者、その差は何なのだ。アニキは言う、「運」がかなり関係していると。ここでアニキが言う「運」とは、一般的に人がいう「運がいい悪いの運」ではない。一般ピープルが口にする運とは、単なる結果を表すだけのもので、その場限りのものだ。しかしアニキの言う「運」とは「運気」であり、その場限りの現象ではなく、気運として常に人に備わるものを指す。願望実現とは長期的な概念だ。その場限りの運では実現不可能だ。運の積み重ねにより現実化する。そうだ、だから運気を鍛えていくことがとても重要となる。それができないから、簡単に願望実現をあきらめてしまうことになる。これがいかに問題であるかを話そう。
 願望をあきらめるにあたって、人は自分や周囲を納得させるため、何かいい言い訳が必要となり、それを探すことをはじめてしまう。そのあきらめの境地が出たてきた瞬間に、マイナスエネルギーが出てくる。マイナスエネルギーが出ると、さらに何事もうまくいかなくなり、マイナスエネルギーが増幅される。いわゆる「負のスパイラル」だ。こうなるともう自分では手がつけられない。なぜなら、脳の潜在意識に「無理だ」という意識がすり込まれてしまうからだ。だから、脳の潜在意識にすり込まれないようにする必要があり、日頃から悪いイメージを持つことを避ける必要がある。
 だが、人は自然と悪い方に考える生き物であるという事実も認識しなければならない。これも「人間の原始機能」だが、このことをほとんどの人はわかってない。人間は何もしてないと不安になる生き物であることを。だから、人は趣味を持ち、自分が楽しいことに時間を使うのだ。それは、不安なことを極力考えないようにするための人間の防衛反応だ。趣味とは実は防衛反応なのだ。人間は無意識に不安な考えを持たないように防衛している。人は無意識のうちに楽しいことをしたがるのは、「不安になるという原始機能」に対する反対概念の「楽しみを欲するという原始機能」だ。創造主はすべての原始機能に問題と答えを与えているという概念、すなわちアニキ哲学の「二面性論」で説明できる。二面性論についても後日ブログで話すけど、ここで理解すべきことは、不安にならないようにするにことが重要だということ。
 繰り返すが、不安になってマイナスエネルギーを出さないようにする。そのために人は努力ということをする。努力の本当の狙いとは、努力するその物事の上達ではない。上達することにより、人は不安を解消することができる。このことが努力の真の目的だ。

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願望実現の謎(4/6) ~実現への格闘~ [哲学]

 この第4話で話を終わりにしようと思ったが、言いたいことが多すぎて、申し訳ないが第6話まで増やすことにした。
 人間は生まれながらにしてそのカラダに中に、欲望を持つという「ソフト」がインストールされているわけだが、その意味をよく考えるべきだ。欲だけ持たせて叶えることは不可能なんて、そんな「鼻にんじん」みたいなことにはなってないと考えるのが筋だ。しかし昨日も話したが、こうも願望が実現する人が少ない状況を見ると、かなり答えを見つけるのは困難だと言わざるを得ない。これは創造主の意図で、答えは簡単には見つからないように周到に隠されていると考えるべきだ。
 実は、願望実現の達成方法を考えること自体が人生である可能性も高い。今世の1代限りでは答えを見つけるのも無理かもしれない。というのも、人間に寿命が設定されていることから考えても説明できる。人間には寿命というタイマーがセットされている。生まれた時にそれぞれ全員にセットされている。タイマーをセットし忘れた人間がなどいない。長いか短いかの差だけだ。なぜなら、人間は人間が作ったものじゃないからだ。人間が作ったものには少なからず間違いがあるが、創造主が作ったものには間違いはないと考えるべきだ。「俺は寿命はないんだよ」なんていいながら、500年も生きてるなんて奴を見たことがない。余談だが、福井県に人魚の肉食って永遠の命を手にしたって話があるのだが、非常に興味深い。高橋留美子のマンガで読んだ時に、もしかするとあるんじゃないかと思い、アニキは調査を開始した。調査結果については後日ブログで話すつもりだが、なかなか面白い話ができると思う。
 話を戻そう。だから、願望実現の方法はなかなか探すことはできないと言いたい。寿命というタイマーがゼロになると、まず今世の第1ラウンド終わりのゴングが鳴る。来世である第2ラウンドでまた最初から探すことになる。そのときは、すべての情報はリセットされてるからまた振り出しだ。これが輪廻転生の意味だ。「何回も生まれ変わって、答えは自分で探せ」と言ってるのだ。そうじゃなきゃ創造主は、人間に最初から願望なんて備えさせず、実現させた状態でそれぞれ生まれてくるようなしくみにするだろう。
 人間は地球上で願望を持つことが許された唯一の生き物のだ。そして人は願望をどう実現させてゆくのか考える前に、まずはそれを実現するための近道として誰かの真似をする。もしくは、誰かに師事する。目指した事に一番近い形で、一生懸命に努力する。野球選手になりたければ、野球の練習を一生懸命にする。今日寒いから、家で鼻くそほじりながらテレビ見てるような奴は、野球選手になれるはずがないし、それは願望ではなくただの夢だ。
 だから、願望実現にはまずはそれ相応の努力が必要だということがわかる。しかし、努力している人全員が野球選手になれない事実がある。これはなぜか?現在では、才能ということで片付けられているが、本当にそれで片付けていいのだろうか。ほとんどの人は途中で願望を断念しているはずだ。なりたい者になれなかったり、欲しい物が手に入らなかったりと、その結末は様々だ。願望実現をあきらめる結果となる。

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願望実現の謎(3/6) ~問題と答え~ [哲学]

 ならば、人間は願望を持つことを最初から備えられた生き物で、願望実現に動こうとすることは自然のなりゆきなのだ。ということはだ、創造主は実現しないようなことを最初から人間に備え付けたであろうか?ということだ。元々、願望(欲望)というソフトをインストールしておいて実現させないというのは、どう考えても片手落ちであろう。そう考えるのが自然だ。創造主が遊びで付けたおまけ的な機能なら、そういうこともあるだろうが、ここで一言いっておくと、「創造主に遊びはない!」ということだ。すべてが計算された機能で、あらゆる機能が相互に影響し、うまく人間に自分の人生ロードを歩かせる。ま、この話も長くなるから後日ブログ「人間の原始機能」で説明するが、「原始機能には問題と答えが必ずセットで存在する」という概念だ。この世の現象すべてについて、答えがない問題は存在しないという理屈が正しいが、まあそれに近い概念だ。そして、答えが見つからないのは探す方法が間違ってるとか、簡単には見つからない難しい問題だからだとか言われてる。それとアニキの話は微妙に違う。アニキのそれは、人間の原始機能に限定される話で、その場合、問題と答えは最初から揃っているという概念だ。ただ、答えの存在はあるのだが、具体的にそれを探すのは困難だということだ。世の中の現象との微妙な違いの説明はここでは特に重要ではないから省く。
 何が言いたいかというと、創造主が願望を人間に与えたと同時に、その答えも与えていると考えるべきだ。だから、実現するための方法は必ず存在するのであり、多くの科学者は真剣にそれを探している。彼らは人生をかけて脳の研究をしたり、潜在意識や神頼みを科学的に証明しようとしてるのだ。現に「祈り」の力は、科学では証明されないが、実験データでは証明されてきつつある。今の科学者はすごいんだよ、目に見えないものを科学的に証明しようとしているから。でも、科学者の証明なんて実はどうでもよい。だって、証明されるのはいつになるかわからないし、たぶんアニキ達が生きてるうちには証明されないだろう。となると、あきらめるのか?ということだが、ここにもアニキ哲学の基本が存在する。そう、「自分が腑に落ちるかどうかが重要だ」ということ。ここがポイントだ。ただ、自分が納得すればよいのだ。
 つまり、願望は叶うために存在しているにもかかわらず、今まで願望が実現したって話をあまり聞かないのは、その方法は間違っていると言わざるを得ない。苦労しないと願望は実現しないっていうのも、過去のまやかしかもしれないのだ。昔の有名番組「プロジェクトX」だって、アメリカの大学では失敗例として学生に教えていると聞く。なぜ、この人はこんなに苦労しなければ成功しなかったのか?なぜ、こんなに時間がかかったのか?を学生に考えさせるということだ。

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願望実現の謎(2/6) ~願望は叶うために存在する~ [哲学]

 話が脱線し始めたので戻そう。そう、今日は「願望実現の是非」の話だ。猫も杓子も願望実現が夢だ。それを望んでない奴は人間失格だ。せっかく人間の創造主が、人間に「願望を達成したい」という欲望を与えてくれてるのに、それを要らないとか抜かす奴はどうかしてる。だから、まずは願望を持つことからスタートだ。それは大きくても小さくてもいい。できれば大きな願望がいいな。小さい願望しか持たない奴は、大きな願望は実現不可能だと、すでに自分で決めてる小者だ。そんな奴は鼻で笑ってやれ。
 ここでひとつ注意することがある。願望とはどのレベルを考えるのか?という問題だ。願望とは、自分に人生において、それが叶うと人生が豊かになるであろうこと。それが叶ったのなら、満足するのかどうかだ。ここに願望の基準の一つがある。試験合格や出世などだ。そして、ある程度現実的な願望であること。世界征服や宇宙ヒーローになるなんていうのは現実的ではない。この2点が重要だ。まず、自分が豊かにならないような願望などは、それを願う意味がない。それが叶った時の自分を思い浮かべた時を思い起こしてほしい。それで現実的というのは、今までだれも達成した者がいないような願いは夢でしかない。夢はあくまで夢で、実現しようという気持ちがない架空だ。例えば、「空を飛びたい」なんて夢は、意味がない。人類史上だれも飛んだことがないのに、一般ピープルの君が飛べることはないと言っておこう。ということは、このようなマンガや映画上の非現実的な願望として持ち続けることは極めてナンセンスだ。子どもならまだしも、いい大人は口にするのはやめておいた方がよい。確実に女にもてなくなる。あくまで、現実的な願望にしてもらいたい。叶わない願望をいくら持っても意味ないのだ。
 アニキは何が言いたいのかというと、願望は叶うために存在する。創造主はそういう風なしくみにしてるという事実に気がつけということだ。これも人間の「原始機能」だ。

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願望実現の謎(1/6) ~つかみ~ [哲学]

 アニキの生涯の研究テーマのひとつが願望実現だ。願望はなぜ実現しないのか?という概念から掘り起こしを行っている。アニキが気づいたのは、脳がかなり関係しているということで、そのことの一部は「脳の謎」のブログで紹介した。そして、願望実現に関して、もっと話してほしいというリクエストが多いので、アニキ哲学の派生とはなるものの、今回から願望実現のシリーズを開始したい。
 「願望実現」、それは人類にとっての最大のテーマである。そしてこのテーマ、人間だれしも無視することはできないし、「その方法はあるんじゃないか」と心の中では思ってるはずだ。だから、この研究に一生を費やしている学者や一般ピープルはひじょうに多い。でもあまりのめり込んじゃダメだ。その研究だけで人生が終わってしまう。現代科学では、謎は絶対に解き明かせない。一部分は解明されてはいるが、ほとんど何もわかってない。よって、世の中には各種の願望実現方法を記した本が多く存在する。本屋に行けば、すぐにそのコーナーが目に入り、英語上達法、痩身術、お金持ちになる方法と並ぶ一大テーマとなっている人々の関心事だ。こんなに多くの願望実現本が出ているわけだが、よく売れているらしい。しかも、不景気のなるとその売れ行きも伸びるという。しかしよく考えてくれ、その本の著者は果たして願望実現しているのであろうか。また、本を買って願望が実現しましたって話もアニキは聞いたことがない。宝くじといっしょで、そんな幻想を日々考えながらも、人は日常の生活のため、現実を見据えて黙々と仕事にいそしむの毎日だ。
 願望がある奴はまだいいが、願望の前に自分は何がしたいのかわからない人もやたら多い。願望すら定まらない始末だ。願望を決めるまでに爺さんになった人を何人も見てきた。夜の飲み屋で、「俺はこんなことするために生まれて来たんじゃない」と、くだを巻くオヤジ達も、昼間は仕事で一生懸命に働いてんだよな。だから、年齢とともにある程度は偉くなっていくんだけど、彼らにしてみれば、たぶん物足りないんだろうな。俺の人生はこんなはずじゃない!なんて思ってるのだ。しかし、「心を奪われるようなものは今後も出てこない」と、きっぱり言おう。「人生は柳の枝、押しても引いても思い通りにはならない」ものだ。

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アニキの「強者論」(4/4) ~営業力を磨け~ [哲学]

 暗い話になってきたので、本論に戻してゆく。アニキは何が言いたいのかと言うと、まずは男女の本能を知れということだ。そして理解したなら、よく考えろと言いたい。
 実は、もうすでに就職して結婚している人には申し訳ないが、いまからやり直すのはかなり困難だろう。ホンネを知ったとところで、やり直し時間があればよいが、あまり無理しない方がよい。心もカラダも準備ができてないから、いまからでは危険すぎることもある。かえって状況を悪化させる可能性の方が大きいからだ。だから、現実的に言えば、今のままでなんとかしのげという他ない。この話を聞いて納得なら、来世でやり直してくれ。来世ならまだ充分間に合うからな。
 では、未来のある若者を対象に話そう。これから就職しようと考えてる若者は、できるだけ給料の多い仕事を探せ!と言いたい。今の世の中、多くの給料を取れる仕事はほとんどない。特殊な技能や資格があってもワーキングプアって話をよく聞く。ならばだ、きつい営業の仕事に就けといいたい。歩合制の営業の仕事だ。以前、飛び込み営業マンの話をしたが、そういった類いの修行もいい。休みもほとんどないブラック企業でもよい。まだ独身の時なら、休みもいらないはず。そこでがんばって結果を出せれば上出来だが、挫折する人も多いのも事実。ただ、数年でもそこできつい営業を経験すれば、次の仕事はとんでもなく楽になる。
 人生で最も必要な能力は「営業力」だ。これを徹底的に身につければ、人生なんでもできる。弁護士だって、公認会計士だって失業する時代だ。それは営業力がないからだ。営業力なんて能力は国家資格にない。営業力とは実地でしか身につかない。それを磨かないで難しい法律ばかり勉強しているから、失業するのだ。何でもそうだが、技術力に営業が備わってはじめて、金を稼ぐ力となる。そこが欠落しているのだ。ところがそんな世の中で、億単位の年収をもらってる人もいるのだ。それは大企業で働く人ではない。大企業ではそんな給料まずもらえない。大企業では社長だってサラリーマンだ。
 実は、近所のオヤジがそんな給料もらってる。その事実に気づけということだ。毎朝、出勤時に外で挨拶する行きつけの魚屋のオヤジだったりするのだ。彼らは学歴もない、国家資格もない。しかし、収入だけは億単位だ。な、要はやりようだってことで、どんな業界でも儲けてる奴と儲けてない奴がいるってこと。儲かってる業界でも儲けてない奴がいる。儲かってない業界でも儲けてる奴がいるっていうのが世の中だ。これは、まさに営業力の差だ。だから、嫌でも若いうちに身につけるべき技能であり、それが晩年必ず生きてくるのだ。リストラで会社を放り出されても全然怖くないから、会社や上司に対しても言いたいことが言える強さがある。実力がないと、嫌な奴にぺこぺこ頭下げなきゃならないのがサラリーマンだが、そんな卑屈なことをしないでも済む。それには、若い時にとてつもなく厳しいところで営業を学べばよい。そんな営業をしてると心が折れるのだが、心構えとしては、いくら厳しくても「命までは取られない」だ。それさえあれば、現代の強い男、つまり金を稼げる男になることができる。
 繰り返すが、現代の強者とは戦争やケンカに強いことではない。お金という獲物を大漁に捕ってくる男なのだ。そこが間違ってるからもてないのだ。

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アニキの「強者論」(3/4) ~女のホンネを見抜け~ [哲学]

 脱線しすぎたので話を戻そう。今日は「金持ちを探せ」っていうテーマじゃないから、この辺りにしておこう。要は、もっと物事の裏を見ろということだ。女は何に惹かれるのか。もっと観察しろってことだ。若いうちは恋だとか恋愛だとかっていうのは確かにある。これも創造主が人間に与えた「原始機能」だから当然だ。しかし、恋が上位概念であるというのは、若い時だけだと言っておこう。女は若いうちは恋愛が上位概念だが、いろいろ経験するうちに次第にそこから目が覚めてくる。すると、お金が上位概念となってくる。恋愛では食えん!ということがわかってしまうのだ。お金が上位だなんて口が裂けても言わないが、本音はここだ。
 一方、男もだんだん歳と共に恋愛から目が覚める。男も上位概念が変わる。男の場合は女と違うことが上位に現れる。それは、「若い美人が気になる」ということだ。間違いなく美人を追うようになる。「美人好き」が男の上位に取って変わる。しかも、若くてきれいならだれでもいいのだ。節操がなくなるのだが、これが年齢を追う毎にひどくなる。これが人間の本性で、汚らわしいと言って目を背ける話ではない。しっかり見据えて対処すべき話だ。何が言いたいかというと、男女ともにそういう生き物なのだということを理解すべきということ。そうするといろいろ冷静に観察することができる。ここがわかってないと、「女とは勝手なもの」「理解しがたい思考」だと、腹も立つしイライラする。アニキ哲学の基本は「原始機能の理解」で、ここでも同じことなのだ。
 どういうことかというと、本当は「奥さん達は皆、浪費家だ」ってことを理解しろということだ。「うちの嫁は倹約家良妻だ」などと言ってる男はアホだ。それはすごいストレスを溜めていると理解すべきなのだ。お金が山ほどあれば、本当はパーッと使いたいのだ。倹約家にならざるを得ないのは、ダンナがふがいないからなのだ。この真理を知ってるだけで、男女間の衝突は間違いなく減る。家で「お金がない、お金がない」と毎日愚痴ってる奥さんは多いはず。しかたないからパートにでも出るしかない。女は本当は外で働きたくない生き物だ。しかしそれは自分の責任でもあるからしかたなくパートに行くのだ。つまりお金持ち、すなわち現代の強い男をダンナにできなかった自分も悪いってことなのだ。若い頃、恋愛にうつつを抜かしてしたばかりに、「現代の強者=本当の男」を見抜く目が麻痺していたことに後悔しているのだが、後の祭りだ。実は女のホンネはここにある。今更の話になってしまうからだ。アニキの家も例外ではないと付け加えておく。

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アニキの「強者論」(2/4) ~近所のオヤジが最強だ!~ [哲学]

 勘違いしないでくれ、ここで言ってるのは大金持ちや大富豪のことではない。一般人レベルでの話だ。ふつうの女はお金持ちを夢見るが、あくまで夢の話で、現実にはそこまで求めない。大富豪を目指すというの単なる野心だ。昔で言えば、将軍になるとか、天下統一と同じ類いの話だ。だから、まずは家族を養えるだけのお金を稼げるかどうかというレベルで、そこに少しのぜいたくがほしいのだ。だから男はとにかく仕事しなければならない。しかし男なら、一般人レベルで仕事して満足するだけじゃ、なんか物足りないよな。人生を有意義に生きたいのであれば、やっぱり、女にもてたいよな。
 じゃあ、仕事だけしていればもてるのかと言えば、残念ながらそれは無理だ。それだけなら、奥さんに逃げられない程度の話だ。若い人なら、彼女に逃げられないだけの話。もてるにはそれ以上のお金が必要だ。逆に言えば、周りで金持ちと言われているオーナー社長など見てみるがいい。大抵女遊びが好きである。「英雄色を好む」なんて言葉もあるが、現代の英雄とは「金を稼げる人」という意味だ。金を稼げる人が、女を自由にできるって解釈でもよい。要するに価値観だ。今はお金にある。
 最近、お金に関しての解釈も変わってきた。昔は「お金を稼ぐ」ことに意識が集中してきた。そして、次に貯めることだ。で、最近言われ出したのが、「使い方」だ。使い方次第でお金が残るっていう考え方になってきた。これは、給料が増えないんだから、使い方を考えろ的な論法なのだが、現代の英雄である大金持ちには関係ない。みんな知らないだろうが、この英雄である大金持ちは、大企業のオーナーとかいう人達じゃない。実は、近所にごろごろいるんだよ。近所の会社で、従業員が10人以下ぐらいのオーナー社長は、実はかなり儲けている人が多い。近所の流行ってる八百屋の店主や、汚い店構えだがけっこう長いこと営業している不動産屋の社長なんかはまず間違いなく大金持ちだ。儲けてることを決して人に言わないだけだ。これが儲けてる人の鉄則だ。儲かってないように見せるのが一流だ。会社の外観がみすぼらしいから儲かってないとかの話じゃない。外観から判断してはいけない。外観はボロボロでも、中でしっかり儲けているのだ。さっきも話したように、大金持ちは金の使い方を知っているから、見栄を張らない。無駄なことをしないのだ。本当の金持ちはベンツになんか乗ったりしない。奥さんにはベンツに乗らせているが、自分は中古の軽自動車だ。
 じゃあ、溜めた金(※1)はどうするのかって?決まってるだろう、女に使うんだよ。これがモチベーションになるから、さらに儲けようとするのだ。これがいいか悪いかは、道徳観念だからとやかく言わないが、事実はそういうことだ。儲けた金はお墓に持ってゆけないのも知ってるし、子どもに金を残してもろくな事にならないのも知っているから、自分で使おうとしているのだ。生活のお金はケチケチしてても、遊びは豪快だ。うん百万って金額もいとも簡単に使ってしまう。彼らにとって、それは趣味だからいいのだ。そんな世界が実は近所にあるのだ。
 近所の店のオヤジは最強なのだ。

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アニキの「強者論」(1/4) ~現代の男の強さとは~ [哲学]

 女ってどういう基準で男を選ぶのか。男達は皆知りたいよな。実はこれには法則がある。ならば、それを知らずして自分を磨くことができないはずだ。そうすれば、もてる男になれるのだから。
男は女にもてたい。これは太古の昔からの男の「原始機能」だ。創造主はそういう風に男を作った。で、女はかっこいい男が好きだ。これは、女の「原始機能」だ。このかっこよさだが、詳しい話は「かっこよさの定義」で話そう。
 で、かっこいいというのは、いつの時代もそれは外見よりも実は中身だ。「外見だよ」っていう女性がいるかもしれないが、それはあくまで趣味の話しで、人間の「原始機能」の話でしではない。何をかっこいいと思うかは、人によってもさまざまだ。
 以前のブログ「男は絶滅する」で話したが、太古の昔は女を守るのが役割だった。だから男は女よりも骨が太くカラダも大きい。これで、外敵から女と家族を守るのだ。じゃないと、自分も女も猛獣に食われてしまう。だからその当時のかっこよさとは、文句なしに強いことだった。肉体的に強いことはもちろんのこと、精神的にもタフなことだ。だから映画にもよく登場するだろう、根性比べみたいな競争が。女を賭けた決闘も、当時では一般的であったのは、時代の風潮だ。そんな時代だから、殺し合いも見世物としては申し分なく、強ければそれで英雄になれた。女はそんな強い男に憧れていたから、男達は皆、強くなろうと必死に努力した。そんな風潮も20世紀までで充分なのだが、今だに血の気の多い男は戦闘的な強さがかっこいいと思ってる。
 なら現在、どんなかっこよさを女は求めているのだろうか。間違いなくそれはお金持ちだ。女性はお金持ちが大好きだ。これは女性の原始機能だ。男もお金は好きなのだが、女のそれとは違う。男の場合、信念や理念がお金よりも上位だ。女の上位概念と異なる。男は「お金はわるいもの」という考え方の人間が多いが、女はそんなことは全然思ってない。たとえ口にしてても、それは口先だけのこと。
 だからこの現代、お金を持ってる男が「男のかっこよさ」なのだが、勘違いしてもらったら困る。本当に女が見ているのは、「お金を作る力がある」かどうかということだ。お金持ちは好きなのだが、ただお金を持ってる男と、お金を自由自在に生み出す男を区別している。前者の男に対しては、ただの財布代わりだ。後者にこそ、女は価値を見いだしている。お金を生み出すその能力が魅力的なのであって、単にお金を持ってることにはあまり価値はない。お金を生み出すことができる男とは、昔で言えば強い男だ。前述の通り、女は強い男に憧れる。この強さとは、時代によって変わるのだ。今はお金を生み出す力こそが強さの象徴であって、腕力の強い男はべつに何の意味もない。腕力を自慢する男に対し、「そう、すごいね」と口先では言うものの、心の中では「バカじゃない」だ。しかし、腕力があってお金を生み出す力もあるなら話は別で、女はすり寄ってべた褒めするはずだ。だから、お金を生み出せない男は、女にとって全く価値がない。
 つらい現実ではあるが、ましてや金のない男なんて、女にとってなんの魅力もない。男はここに気づかねばならない。
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最高の修行「人間関係」(2/2) ~最高の荒行とは~ [哲学]

  そしてアニキは言う、この世で最も過酷な修行は人間関係の中で生きることだ。一人で何年も山にこもることじゃない。自らを人間関係という逆境に追い込むその姿こそが、修行なのだ。人間関係にもいろいろある。分類すると、知ってる人との人間関係と知らない人だ。知ってる人との関係とは、家族、親兄弟、親戚、友人、など。知らない人とは他人だ。知ってる人との関係はまあ、仕方ない。なんとかしないといけないし、うまくやらないといけない。これも修行だが、克服しても世界観が変わるほどのものではない。その中において、他人との関係を修行とする人達がいる。他人なんだからほっとけばよいのだが、そこに無理矢理関係作りを迫る狂気な修行がある。狂気と言ったら失礼なので、荒行と呼ぼう。
 そう、諸君も一度は見たことあるだろう。訪問販売など個人宅を訪問する飛び込み営業マン達だ。彼らこそが、現代の真の行者だ。昔の托鉢なんてもんじゃない。いきなり個人宅をアポなしで飛び込み訪問するものだから、相手もたまったもんじゃない。不審者というレッテルをはられ、インターホンで断られ、相手の姿を拝むことすらままならない現代の行者だ。無理強いすれば即警察行きだ。これほどの修行が果たしてこの世にあるだろうか。飛び込み営業かけてくる商品は、そうしなければ売れない物だ。普通じゃ売れない物を売る過酷な修行なのだ。熟練の営業マンはトークも一流だから、話を聞いたら終わりだという印象を持たれるから、いきなり断るのが最善策であるというのが世の習わしだ。そんなことは百も承知で、おかまいなしにロボットのように次から次とローラー作戦を行う。
 アニキはそんな荒行の男達に興味があったので、我が家にやって来た時、根掘り葉掘り話を聞いたことがある。本人達は修行だと思ってないので、長年やる人はあまりいないらしく、毎日心が折れるという。成果を持って事務所に帰らなければ、格闘技経験者の上司にどつかれるという話だ。まさに生き地獄。「なぜ、そうまでしてこの仕事をするのか?」と尋ねたら、成功報酬はいいらしい。しかし、それを拝める者はほとんど皆無であるとのこと。ならば、やはり荒行以外のなにものでもない。
 アニキは思う。この荒行を達成したのなら、どんな高貴な人間になれるのであろうか。世の煩悩も超越し、仏様の心境か。いずれにせよ、荒行を成就させた人の話を聞いてみたいものだ。しかし、それは望めないだろう。なぜなら、荒行を達成した者達は、莫大な成功報酬が入るからだ。人間はお金で心も曇るようにできている。成功報酬がない状態が一番の修行なのだが。だから、この荒行を達成しても、悟りを開いた人はいないのだろう。
 アニキは何が言いたいのかというと、ここまでの荒行はいらないが、人間関係を避けることはダメだということだ。常にいろんな関係の人達の中で、それを克服してゆくことが現代の修行だ。一人でいることは、ただの休息である。まずは知ってる人の人間関係の中でうまくやってゆく。これが我々人間に与えられた修行であり、どの方面の人間関係もうまく築けた時、何らかの成長があるのだ。
 人間の創造主は、一部の特別な人しか成長できないようなしくみには作ってないはずだ。それを考えれば、だれでもどこでもできることが修行のはずなのだ。それは、一番ストレスが溜まることだと考えれば、答えは出てくる。だから、修行とは決して山にこもったり、火の上を歩いたりすることではない。それはただの趣味なのだ。


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最高の修行「人間関係」(1/2) ~サラリーマンは行者だ~ [哲学]

 人間は成長するために生まれてきた。では、どう成長するのがいいのだろうか。これが今世最大の謎である。人間的な成長であることには変わりはないが、やはり成長には「修行」という言葉が頭に浮かぶ。そうだ、人間生まれたからには修行しなければならないのだ。
 人間の成長において、皆それぞれ「どう生きようか」という信念を持って生きている。「俺はそんな信念なんてない、好きにやるのがいい」って、それも立派な信念だ。そう、だから信念のない人なんて、この世にはいない。人は皆、何らかの信念を持っている。そして、人はそれぞれの信念を持ってサラリーマンになり働くことを強いられている。信念があるから働いている。本来人間は、己の信念の元に人間的な成長を試みようと考えるのだが、サラリーマンの修行とは、信念を捨てさせられるという修行だ。サラリーマンの修行とは、信念をブレさせられてもなお、己を保ち続けるということを黙黙とこなしてゆくことにある。
 サラリーマンの信念がなぜブレさせられるのかというと、上司がよく替わるからだ。サラリーマンを人生の選択とすると、会社というジャングルからいろんな上司という猛獣が出てくる。自分が苦手とする上司に限って自分の上に就くものだ。ほんとにいろんな上司が出てくるのだが、サラリーマンは上司に好かれないといけないから、好かれるために己を犠牲にする。自分の信念すら担保にする。そんなむなしい毎日が皆嫌なのだが、家族を養うためにはしかたがない。
 だからサラリーマンって、全員一本筋が通ってる。一見筋が通ってないように見えるが、実は皆筋が通ってる。家族を養うために「己の信念を捨てて、相手に迎合する」という筋が通っているのだ。これがサラリーマンのすばらしさだ。だから、いつもへらへら笑っている事なかれ主義の男も、相当な筋者なのだ。こどもたちはそれを見て、「あんな風になりたくない」というが、親父達は好きこのんでそうしているわけではない。そうやって日々闘っているのだ。そこで得た日銭で育ててもらっていることに、本来なら子どもは感謝しなければならないのだが、修行である以上親父連中はそんなことを口にしない。してもムダだからだ。子どもが大人になり、サラリーマンになるまでこのことはわからないのを知っているからなのだ。
 そして、親父がすごいのは、子どもにそう思われていても、まったく堪えないところだ。会社で怒られ、家でも「給料が少ない」「家のことはちっともやらない」と嫁さんに罵倒され、「汗くさい」「不潔」と子どもに罵られても耐えるというものすごい修行をしているのだ。それほどの重圧に耐えながら、病気にならないように気をつけて日銭を稼ぎに行く。その姿はまさに現代の行者だよ。山に修行へ行く奴なんかよりはるかに修行になる。
 人間関係という重圧を相手にするわけだから。

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仕事と作業(後編) ~プロとは意識の差~ [哲学]

 では、皆が日々やってるのは「仕事」なのか「作業」なのか、果たしてどっちだ?「こんな忙しい時に頼みやがって」なんて愚痴っている奴は、間違いなくやっているのは作業だと言える。以前のブログでも言ったが、コピーひとつとっても、曲がっていたり薄かったりなんていうのは作業だ。サラリーマンは仕事で給料をもらっているという意識を忘れてはならない。そして、給料をもらって仕事をすれば、それはプロだ。「プロ」って言葉が付いてないが、サラリーマンだって立派なプロだ。プロゴルファーだけがプロじゃないんだぞ。曲がったコピーを取って、プロといえるか!「俺の仕事はコピーじゃないから適当でいいんだ」という言い訳が返ってきそうだが、会社は「コピーひとつまともにできない奴が、仕事ができるとは思わない」ものだ。管理者の目線とはそういうものなのだ。いずれ自分が管理者になればわかる。
 昨日も言ったが、仕事ができるとは、作業を仕事に変えればよいだけのこと。この微々たる差をやるかやらないかにかかってる。そうだ、こんな些細なことだからやるべきだ。
 だから常に一つ一つの業務について、「俺が今やってることは仕事なのか、作業なのか」と自問自答しなければならない。そして、自分はプロなのだという自覚も持たねばならない。作業なんかしてて、俺はプロだなんて恥ずかしいぞ。
 重要なことは、仕事ができる奴は作業をしていないということだ。そして、意識を変えることだけで、誰でもすぐに仕事ができるようになる。ここにサラリーマンのマジックがある。これを習慣にすれば、いつの間にか「一流」になれる。一流とは、プロの中のプロだ。な、だからいつも「俺はプロだ」という意識を持ち、自分の仕事のアウトプットに対し、「これがプロの仕事か?」と反証することを癖つければよい。
 一流のプロになると、なぜか時間的余裕ができるもの。いつもバタバタしているのはプロではない。プロは余裕があるから、落ち着いていて実にかっこいいのだ。この余裕については、「かっこよさの定義」で詳しく話そう。
 そう、プロとは「仕事に対する意識の違いだけ」なのだ。

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仕事と作業(前編) ~その明確な違い~ [哲学]

「仕事」と「作業」とは当然違うということは、誰でも知っている。会社は「仕事」に給料を払っているのであって、「作業」に払っているのではない。では聞くが、皆が会社で行っていることは、本当に「仕事」であろうか。アニキは言う、皆が仕事であると思っているそのほとんどは「仕事」ではなく、実は「作業」であると。やってることは作業であるにもかかわらず、「こんなに忙しいのに給料が低い」だとか、「もっと給料を上げろ」とか叫ぶのは言語道断なのだ。ここに、仕事と作業には明確な違いがあり、雇う側はそれがわかっているが、雇われる側はそこがわかってない。だから、まずは仕事と作業の違いを正確に把握することが必要である。
 「仕事」とは期待された結果を出すことである。「作業」とはただ命令を実行することである。言葉で書けばただこれだけなのだが、その差は大きい。もう少し説明を加えよう。人は命令されると、命令されたことだけやるのが「作業」だ。要するに言われたことだけやる。しかし、これが仕事となると話は別だ。同じ命令でも仕事としてやる場合、命令者の意図を理解することから始まる。ここが重要だ。なぜ、この命令が下されたのかを理解しないと、命令者の意図はくみ取れない。だから仕事の場合、命令された直後に質問しなければならない。命令された瞬間から疑問が出てこないとだめだ。命令者がしっかりと命令内容の目的を告げてくれればよいが、そんなケースはめったにない。
 仕事とは、命令者の意図をくみ取ることから始まる。じゃないと、できあがったその結果が、命令者の意図と遠くかけ離れたものになってしまう。そうなると評価は低い。ま、アニキ哲学でいう期待値と差だな。がっかりした命令者から「やり直してくれ」の一言がでると、命令された者は「なんだよ、そんなこと聞いてないぞ」となってしまう。これは、命令者が悪いんじゃない。命令を受けた者が悪い。サラリーマンをわかってない「ひよっこ」だ。もし何も訊かないで命令を遂行しようとしたとき、命令者は、「こいつ、本当にわかってんのかな?」と疑問に思ってるはずだ。でも、命令者も忙しいから、「わかるならまあいいや」となってるだけの話だ。それで、命令者の期待から外れたなら、「なんで最初に訊かないんだ!」と怒られる。どこにでもあるダメ社員の陳腐なストーリーだ。また、やり直しをさせられると、上司からの評価は下がるし、いろいろ忙しいのに他の仕事もできないから、自分もストレスがたまる。踏んだり蹴ったりで、カラダも悪くなる。こうならないために、命令を受けたら、一発回答できるように、最初に根掘り葉掘り聞くのだ。仕事とはそうするものだと思った方がいい。資料だったら、「何に使うんですか?」とか、「だれに提出する資料ですか?」など目的を明確にすることだ。そして、目的と提出先がわかれば、「こんなフォームで、こんなデータを入れましょうか」など、その場で枠組みのイメージを命令者に伝える。そう、元々命令者の頭の中には実はできあがりのイメージがあり、それとリンクさせることが重要だ。そうすれば、できあがった資料は少しの修正ぐらいで済むし、運が良ければ、上司から「ありがとう」の言葉ももらえるかもしれない。あとは気分良く自分の仕事に専念すればよい。
 これは、社内だけではない。営業だったら、客先に対してこれをやれば、仕事ができるという評価ももらえる。実は、仕事ができるできないなんていうのは微々たる差なのだ。

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サラリーマンの武器「スピード」(番外編) ~「早さ」について~ [哲学]

 サラリーマンの武器「スピード」において、付け加えておきたいことがある。速さには「早さ」という概念もあることだ。実はこれも武器になる。
 例えば早起き。昔から早起きは三文の得と言われてきた。確かにサラリーマンにとって早起きは、必然だ。出世する人は間違いなく早起きだ。特に大企業の社長クラスで朝遅いなんて聞いたことがない。早起きは確実に出世する人の特徴である。しかし、早起きすれば、全員出世するのかと言われれば、そうではない。早起きでも出世してない人は山ほどいる。早起き自体は出世の条件ではない。その理由は次にあげる。まず、出世している人は、「無理して早起きしているのではない!」ということだ。自然と早起きが身についている点が、早起きして出世している人と出世しない人の差だ。目覚まし時計なんか使わない。目覚まし時計を使って起きている人は、その習慣を改めなければエグゼクティブにはなれないと言っておこう。若い時は夜遅いからなかなか早起きできないのはしかたないが、40歳を過ぎてもまだ朝寝しているような人をどう思うかね?人生を捨てているとしか考えられない。
 次は時間の使い方だ。せっかく早起きしたのに、ダラダラと過ごしているようでは失格だ。前回までの「スピード短縮」を思い出してくれ。自分で作った時間を有意義に使うことが重要だ。新聞読んでもよい、早朝出勤してもよい。自分で好きなように使えばよい。つまりだ、早起きは、生活の時間の中でも簡単にまとまった時間を作ることができる。サラリーマンの武器であるスピードは、時間を作ることが目的のひとつだが、早起きはそんな苦労しなくても時間を作ることができる魔法なのだ。
 そうなると、早起きすべきことが必要だとわかるのだが、そのためには「早寝」しなければならない。夜型人間にとって夜更かしは最高のストレス解消だ。睡眠時間を削ってでも、夜中までいろいろとやりたがる。確かにサラリーマンにとっては、夜しかまとまった時間はない。昼間のストレスという垢を落とすことは重要だが、趣味の世界でストレス発散できると思ったら大間違いだ。溜まったストレスを落とすのではなく、ストレスを攻撃に変えることが重要だ。この話は長くなるので、また後日ブログ「ストレスは栄養」で話そう。早寝して早起きをする。そして歩く時は早歩きだ。当たり前のことだが、夜型を朝型に変えてゆく作業が必要だ。ほとんどの動物は昼型だ。人間も昼型の生物だ。
 人間は昼に行動して夜は寝ることになっている。これは人間の「原始機能」だ。太古の昔からその習慣は変わってない。だから、夜に寝ないといろんな病気を引き起こす。メラトニン欠乏って聞いたことあるか。夜型人間の典型的症状だ。メラトニン欠乏により、癌を引き起こしたりする。これはすでに常識となっているのだが、あまり意識されてない。これからは色々と解明されてくるだろうが、世の中自体が変わらないとそんな弊害もなかなか意識されないであろう。今の世の中が便利を追求した結果、24時間体制なんてひどいことになってるのだが、元々人間は夜型ではないのだから、無理がある。
 アニキは何が言いたいのかというと、「『早さ』も『速さ』で武器である」ということだ。人間の原始機能に注目すれば、自ずと何が大切かが見えてくる。「スピード」が武器であるということの真の意味を理解してほしい。スピード自体も武器となりうるのだが、アニキの意図としてはそれだけではない。スピードを追求することによって生み出される時間の余裕だ。そしてその生み出された時間を有意義に使うことが、スピードという武器の本質である。そこを人生に生かせばよい。

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サラリーマンの武器「スピード」(4/4) ~スピードが必要な訳~ [哲学]

 だから、サラリーマンにとっての武器「スピード」とは、仕事における速さはもちろんのこと、生活でのスピード感を磨けということだ。若いうちに身につけたそのスピード感は、衰えることはない。世の成功者がすごいと思ってしまうのは、成功者の速さについてゆけないからだ。止まってる人には、新幹線の中の人が見えないのと同じようなものだ。しかし、自分が特急電車に乗って、横を追い抜いていく新幹線の中の人を見れば、その姿を見ることができる。これと同じだ。で、自分が新幹線と同じスピードであれば、横を走る新幹線の中の人は止まって見える。成功者と同じスピード感になれば、成功者などただの人にしか見えないものだ。
 ここまできたら、なぜ「スピード」がサラリーマンの武器なのか理解できるだろう。仕事上のスピードなんかは意識しなくてもいい。人生そのもののスピードが上がれば、自動的に仕事のスピードは上がるからだ。同僚なんかをライバル視して仕事をする必要はない。自分はただひたすら、生活の個々の行動スピードを上げることだけを意識していれば良い。いつのまにかすべてのスピードが上がっていることに気づき、気がついたら同僚をはるかに抜いている自分がそこにいる。繰り返しになるが、人生においてスピードがいかに重要で、スピードを意識しないで生きることは、人間の本来の姿と逆を進んでいることになる。それを考えるには、人間という生き物の「原始機能」を見れば良い。
 人間の創造主はなぜ、人間に「寿命」「老化」を与えているのか。これは原始機能で説明可能だ。いつかは訪れる死というものがあり、人間は老化する。老化とともにあらゆる部分が衰えてくる。これはなんでだ?創造主は何のために人間をこんな風に作ったのか?そうだ、「人生には限りがあり、速くしないとすべての機能は衰えていくよ」ということなのだ。そうじゃなければ創造主は、500歳まで生きれるように人間を作っていただろうし、老化なんかしないように作っていたはずだ。それなのに人間は創造主の意図とは異なる行動を取る。限られた寿命をもっと長くしようとか、カラダが衰えないようにする方法ばかりを考える。実はポイントがずれているのだ。それよりも前述の通り、短い人生を効率的に生きるため、スピードを上げることを考えるべきである。
 常にスピードを意識し、毎日の細かい行動において、どうしたら1秒でも短くできるだろうか考える。これは決して手を抜くことではない。手を抜くと、本来のその行動の目的を達成できない。例えば歯磨きでも何でもそうだ、歯磨きにおいて手を抜いて虫歯になったら意味がない。アニキに言うスピードとは、そんなことを言ってるわけではない。本来の目的達成のために重要な部分の時間は充分に費やすが、その前後の付随行動の中での時間短縮を考えてゆくわけだ。歯磨きなら、歯ブラシの置き方やコップの置き方を工夫して1秒でも時間を短くする。
 とりあえず時間を短くするテクニックの一つを教えよう。「ワンハンド、ワンアクション」だ。ワンハンドとは片手でできるようにすること。ワンアクションとは、1回の動作でできるようにすることだ。この詳しい説明はまた後日ブログでしよう。要するに、この「ワンハンド、ワンアクション」を意識して工夫すると、格段に時間が短くなる。ワンハンドワンアクションとは、アニキ哲学における重要概念で、その本当の効果はスピードアップではないが、スピードにおいても大きな効果を発揮する。
 くどくなるのでこれ以上は言わないが、スピード上げて効率よく生きる。スピードを制する者が人生を制するのだ。

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サラリーマンの武器「スピード」(3/4) ~人生のスピードを上げろ~ [哲学]

 しかしながら、「遅いことでいいこともある」という場合があるかもしれないが、それはない!とアニキは言う。「遅くていいこと」というのは、自然体ではなく、「わざとそうしてる」ということだ。意図的に時間を操作して「遅くしてる」だけだ。遅いことで心理的な効果を狙うという目的のみだ。これは作戦であり、遅いことでその価値を上げることを目的としている。
 世の中はすべて競争である。いやだといってもこの流れは変わらない。社会という大海に出たなら、常につきまとう宿命だ。そして競争のほとんどはスピードが重要になる。速い者が勝ちとなる。こんなことはだれでも知っていることだが、ここを磨かない人は多い。人生におけるすべての行動の時間をいかに速くしてゆくかを突き詰めることを、皆しない。生活の中のそれぞれの行動の時間だ。着替える時間、歯を磨く時間、食事の時間などだ。これらを1秒でも短くして、自分の時間を作る。これが大事なのだ。余暇を有意義に過ごすというのは、そういうことだ。この余暇の時間を作り出す力こそが、サラリーマンにおいて重要なファクターとなる。すべての人に平等に与えられた24時間だが、人によって使い方はさまざまだ。この時間の使い方こそが人生を決める。無駄な時間の行動は短くし、自分の好きなことをする時間は多く確保する。決して睡眠を削ってはいけない。充分な睡眠の確保は、脳の活動や老化や病気などに影響することはすでに発表されている。ならば、毎日のルーティーン作業の時間を短くする工夫をする。例えば、何かを探す時間をなくすとかでもいい。人間は必ず、1日に何度か「物を探す」という習性がある。ここに置いたはずのもがないとか、どこに置いたっけ?とかで、探す時間だ。これは物の「定位置化」を行い、置き場を決め表示する。「見える化」も大事だ。会社や工場では、当たり前の基準なのだが、自分の家ではやらない。仕事ならやるのだが、個人のことではやらない。これは間違ってる。会社は利益を追求するために、ムダやミスを減らす努力をする。ならば、個人も同じではないか。自分の利益の追求だ。人生においては、こっちの方がはるかに重要ではないか。これを追求しないから、「時間がない」ということになり、結果として、いつまで経っても自分がやりたいことができないのだ。そしてジジイになってこの世からさよならだ。これはすべて「スピード」の重要性が理解できてないからだ。
 アニキは言う、相手との競争におけるスピードなんかはそんなに重要ではない。重要なのは、自分の人生にけるスピードを上げることだ。人生のすべてのスピードを上げるためには、まず日常の細かい行動の時間を短縮することからはじめる。そこで作られた時間を自分のやりたいことに使う。この繰り返しにより、スピード感覚が身につく。スピードが上がると、さらに加速する。重い荷物を積んだ台車なんかを動かす時に、最初は力が要るが動き出せば小さな力で済む。そしてそこに少し力を加えると加速してゆく。これと同じだ。で、加速した物体にブレーキをかけるのは難しい。今度はなかなか減速しないのだ。だから、一旦身につけたスピードは一生物だ。成功者と一般人の違いは、スピードの重要性の認識の違いだけである。最初は大した差はない。

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サラリーマンの武器「スピード」(2/4) ~速さを磨け~ [哲学]

 昨日は、速さは価値があり武器になると話した。じゃあ、果たして何でも速ければいいのかと言う疑問がある。確かにすべてが速ければいいわけではないことは百も承知だ。中身が伴っていなければ意味がないし、間違いだらけではプロとはいえない。速くて正確というのが理想だが、どっちが「上位概念」かといえば、「速さ」が上だ。場面によるだろうが、大概の仕事は「速さ」上位の考えで問題ない。ここで注意しなければならないのは、ある程度のレベルでの完成は必要だということだ。中途半端で答えを出して、「速いでしょ」では、プロとしてどうかということだ。小学校の授業での絵の提出ではないのだ。仮にも仕事の成果でお金をもらっている立場である。相応の出来映えは当たり前と思ってくれ。そこでアニキがもう一つ言いたいのは、「完璧は目指すな」ということだ。そのために、重要なポイントは「時間でまとめる」ということだ。時間でまとめるというのは、期限を切るということだ。それも、凡人が出す期限ではない。相手にしてみれば、想定外の時間の短さだ。これを目指す!ならば、何が必要だ?
 そうだ、準備だ。準備こそが、「速さ」の結果を出す。ありきたりだが、仕事のできる人は間違いなく持ってる技能だ。例えばルーティーン業務では、定型の形を作って備える。電話やメールの往復回数を減らす為に「相手の心の先読み」だ。アニキ哲学でいつも言う「耳で聞くな、目で見るな」はまさに、「速さ」という結果を追求するための技能なのである。また、突然の上司からの資料作りの命令には、普段から数字蓄積の下資料を準備しておけば済む。これらができないから、上司の命令に対しても、「すぐには無理です」という返事になってしまうし、客先からの依頼でも、「調べますので、少し時間ください」になってしまう。これはプロの姿ではない。想定外の問い合わせだろうが、その内の何割かは想定内の準備でまかなえるようにしておくのが賢さだ。実はこれは訓練でしか得られない。
 アニキが以前働いていた中国の会社では、客先からの依頼に対し回答は、「24時間以内」というルールがあった。社長がそう決めていたのだ。だから、皆必死になって対応した。で、その社長の真意とは、アニキが先にも話したように、「客先との距離感」だった。中国という海外に位置する会社が、日本からの問い合わせにおいて距離感を感じさせないというポリシーを持っていたのだ。そのため、日本の業者よりも近い感じがするといって褒められた時には、とてもうれしかった。「客先との距離とは物理的な距離ではなく、心理的な距離である」という哲学をこの時に学んだ。
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サラリーマンの武器「スピード」(1/4) ~速さの価値~ [哲学]

 今日は陳腐な武器の話で恐縮だが、少しつきあってくれ。重要な概念だから説明しておきたい。「スピード」の重要性についてだ。
 「スピード」が重要であることは、サラリーマン諸君ならもう説明する必要はないな。入社した時から、時間に関する概念は徹底的に教育されるからだ。時間厳守はあたりまえのこと、もう少しレベルが上がると時間の間の取り方も学ぶ。そして、タイミングなども経験から学んでいく。そう、サラリーマンにとって時間の概念はすごく重要だ。時間をおろそかにする奴は、サラリーマン失格だ。
 しかし、海外などへ行くと、時間の概念も違う。中国なんかでは、アポイント時間に遅れてもおおらかだ。道が渋滞してたとか、昼飯を食べてたなんて言い訳も、普通に許容される。日本では、「時間に遅れる奴は人間じゃない」ような感覚だよな。日本が一番時間にシビアだなと、アニキは感じる。これはいいことで、欧米のビジネスマンも実はそんなにシビアじゃない。アポイント時間があっても、急なキャンセルも連絡さえ入れておけば平気だみたいなところがある。本来、時間の概念は欧米から入ってきたものだが、これを日本人は、日本人独特の哲学である「道(どう)の精神」、つまりは「時間道(どう)」まで高めてしまった結果なのだ。道の精神については、以前のアニキブログ「日本人の偉大さ」を読んでくれ。
 この「時間道」だが、ここでは詳しく話さないが、時間厳守なんてのは当然で、「5分前精神」だとか、「相手の時間を読む」なんてのもある。返事する時間のタイミングについてもプロはうるさい。プロは時間の効果がわかっていて、それを自由に操るのだ。そんな時間という観念だが、その時間において一番重要な概念は「スピード」だ。
 このスピードだが、冒頭でも話したが、「速いことがいいこと」だと言うだけではない。これは当然で、何でも速いがいいに決まってる。新幹線でも飛行機でも、世の中は速いものに需要があり、付加価値があるということになってる。吉野家の牛丼だって、昔は速さを売りにしていたし、ファーストフードは読んで字のごとしだ。実は「速さ」はビジネスチャンスのひとつと言われている。速さはお金になるのだ。遅くて価値があるものは、趣味の世界だけだ。現代の世の流れの中では遅さに価値はない。
 そうだ、だからこれをサラリーマンに置き換えると武器になる。返事が速い!見積もりが速い!回答が速い!だ。そして、速さは近さだ。相手との距離が近いという印象を与える。隣の奴より、地球の裏側の奴の方が返事が速ければ、地球の裏側の方が近いのだ。これがプロの世界だ。歩くのも速い方がよい。動きも機敏な方がよい。だから、自分の仕事や身のこなしにおいて、「速さ」を追求してゆくことで、サラリーマンの武器となる。
 付け加えると、「どれだけ速く結果を出せるか」が頭の良さの基準でもある。

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