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サラリーマンの謎「給料」(4/7) ~給料が上がらない理由と交渉力~ [哲学]

 では、一番問題となっているタイプ3のオーナー企業を例にとって、なぜ社長が給料を上げたくないかの理由を説明しよう。タイプ1もタイプ2も根底は同じだから、社長を上司と置き換えて、その真意をくみ取ってくれ。
 給料を上げたくない理由、それは簡単だ。その仕事を誰かが取って代わってもできると思ってるから、社長は給料を上げないのだ。だから、給料を上げてもらいたいなら、誰にも取って代われない仕事、言わば誰にも交代できないような仕事をする必要がある。その人しかできない仕事だ。例えば、ひとつは人間系で繋がっているような仕事だ。「この人だから注文を出す」という風な場合だ。人間系の場合は厄介で、担当者が変わった途端に商売がなくなるケースがよくあり、会社に対しては格好の抑止力となるため、こいつを目指さなければならない。大概仕事は、個人に付いてるのではなく、会社に付いてることが多い。だから、社長にとっては個人が辞めても痛くもかゆくもない。一般的にはやめ損だ。これは、個人の会社に対する一つの強力な「交渉力」となる。そう、人生において、交渉力は大事だ。この話を少ししておこう。
 アニキ哲学において「交渉力」とは、「相手の弱みを突くこと」だ。別にずるくない。世の中すべてがかけひきだ。みかけは穏やかでも、どこもかしこも駆け引きだらけだ。だから、すべてに気を抜くなといいたい。言葉には特に気をつけろ。いつもアニキが、「人の話は耳で聞くな、物事は目で見るな」と言い続ける理由のひとつがここにもある。人は弱みを隠す。弱い奴ほど口先だけだ。人は必ず弱みがあり、それを隠す。だから、人の弱みを見つけるには、「こいつは何を隠してるんだ?」と考えながら心を読む。すると、人の弱みはすぐに明るみに出てくる。そして弱みを掴んだら、そこをすかさず突く。これが交渉力だ。相手が「痛い」と思うところを突かないと、交渉にならない。交渉という言葉に抵抗があるなら、「マウントポジションを取る」ことと言っておこう。立場にアドバンテージがなければ、それはただのお願いだ。お願いは適当にかわされて終わりだ。誰しも経験があるだろう?とりあえずお願いしてみようでは、給料なんか上がるはずがない。
 交渉力については、後日の「サラリーマンの武器シリーズ」の中で説明するが、人との関わり合いはすべて交渉だ。常に自分が優位なポジションをキープできているかを、チェックしてなければならない。今回の場合、それが上記の「他人が取って代われない仕事」である。これは社長の弱みとなる。取引先がなくなると困るから、給料を出してでも引き留めておくという行動に出る。

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サラリーマンの謎「給料」(3/7) ~オーナー企業はよく見ろ!~ [哲学]

 さて、タイプ3の企業だが、ここが最も悲惨であろうと思う。オーナー企業の悲惨さは、後日ブログ「オーナー社長という生き物の生態」で詳しく説明しよう。今日はオーナー企業の給与面に特化して話そう。
 まず、オーナー企業と銘打ったが、元はオーナー企業である中小企業や零細企業もこの範疇となる。日本は中小企業がほとんどである。で、その大半はブラック企業だと想像できる。ブラック企業が取りざたされてる今日だが、中小企業のカテゴリーではアニキはブラックじゃない会社の方が珍しいんじゃないかとも思う。給料テーブルはおろか、社会保険等にもきちんと加入しているのかどうか怪しいところも少なくない。そんな劣悪な環境において、最悪なことに給料はオーナー社長の気分次第で決まる。まず、オーナー若しくは中小経営者は、従業員に給料を出したない。とにかく、出したくない。アニキはオーナー企業を何社も経験してきたからわかる。これが大前提で本音である。とにかく安く働かせたいのだ。余談だが、人間関係をうまく作れない人は、オーナー企業に行くもんじゃない。
 そしてまず給料を決める時だが、同業他社の給料水準を基本とする。業界・業態・規模などを照らし合わせて、一番安い所に水準を合わせる。最も「儲かってない」ということが根底にあれば、経営者にとってはまさに渡りに船。水戸黄門の印籠のように、従業員に「控えおろう」と掲げることができる。儲かってないのだから、社長は「給料が低くくてもしょうがないでしょう」となる。従業員にも経費節減を指示する。これは納得できる話なのだが、解せないのは社長だけ贅沢していることだ。会社の金でのゴルフ三昧や、会社所有の社長車はよく買い換えるなどだ。出張はビジネスクラスや新幹線のグリーン車使用だ。儲かってないのだから、社長も贅沢を控えるならわかるのだが、それは絶対にやらない経営者が実に多い。ここに従業員の不満は大ありで、社長と一緒に厳しい道を走ってるいう連帯感が全く感じられない。このような状況に給料の愚痴の源がある。
 理不尽極まりないのに、中小企業ではだれも経営者に釘を刺さない。というか、刺せないのだろう。経営者の機嫌を損ねると立場が悪くなるのがわかってるから、黙認せざるを得ないのだが、その小さなストレスは徐々にたまる。そして、会社が儲かりだしてくると、ここぞとばかりに「給料を上げてほしい」というお願いをするのだが、経営者はその話は聞かない。実は、儲かってないから給料を上げないというのはただの口実だ。上げたくないというのが本音だから、従業員が一番納得できる理由で、その場をしのいでるだけである。儲かってくると、別の上げない理由を考え出さねばならない。その時その時で、上げない理由は変わり、給料は上がらないしくみになっている。で、給料に問題があり、会社を辞めていっても全く差し支えがない。だから社長は、「気に入らないなら、すぐ辞めてもいいよ」と心の中で思っている。顔では、「君がいるから、我が社は儲かっている」とか、「君の実力で我が社は成り立っている」とか言うが、実態として給料が低いなら、口だけだ。口だけで済むなら何でも言う。それでモチベーションが上がるなら、安上がりで経営者はうれしいのだ。
 心当たりがあるだろう。これが真実だ。

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サラリーマンの謎「給料」(2/7) ~企業タイプによる愚痴の違い~ [哲学]

 では、このタイプ1企業はいま何を考えてるかといえば、飼い殺しだ。大企業、特に上場企業の社長は雇われだから、株主の評価のみが気になる。ということは、自分の任期中の利益だけである。これだけを真剣に追い求める。この「任期中」というのがくせ者だ。任期は会社によって異なるが、通常2年~4年だ。その間に利益が上がればよいのだ。以前が赤字なら、黒字にすること。以前が黒字なら、その黒字額を下回らないことが命題だ。ここをクリアすれば名経営者となる。そのため、最近では将来の事業のことなど気にせず、どんどん事業を切り売りしたりしている。経営者も自分のことでいっぱいいっぱいで余裕がない。
 社長はつねに株主という法律上の「社員」の満足度を意識するので、従業員という実際の「社員」のことなどは二の次だ。「給料が安い」という愚痴に対しては、「言わせておけ」で終わりだ。で、その声が大きいと、現場部署や人事方面に対し、「給料をいじらずに何とかしろ」という命令が出る。給料を上げると、人件費がぐんと増えて経営を圧迫するから、自分のクビが危なくなる。だから、そんなことは絶対にしないのだ。福利厚生の充実でお茶を濁す社長がほとんだろう。
 次にタイプ2の企業だ。タイプ2は外資系などの給料が歩合制の会社だ。このタイプでは自分の給料が上がるにはどうすればよいかが明確であるから、ただひたすらそれに向かって働けばよい。自分がそれを難しいと考えれば、辞めるだけであるから、特に給料が低いという言葉はあまり聞かない。しかし、このタイプ2型企業にも問題はある。このタイプ2での問題は、実績がすべてであるために、常に走り続けないといけないということだ。フルマラソンを全力疾走できる奴なんか、この世にいないのだが、このタイプの企業ではそれを強要される。給料を鼻にんじんで走らされる。しかし、自分の実績が認められれば、給料は格段に上がる。ついでに地位も上がる。若いのに高い役職を得られるのが魅力だが、地位が上がると今度は部下を育てなければならない。自分はすごい人が多いのだが、部下を育てる力がない人がほとんどだ。自分が第一線から退いたら売り上げが激減というもの珍しくない。そうなると、すぐに減俸や降格となり、優秀営業マンというプライドにキズか付く。だから、部下へのスパルタが自然ときつくなり、今話題の「クラッシャー上司」となるのだ。人を使うのと、自分でやるのとでは雲泥の差。このプレッシャーがハンパじゃない。出来の悪い部下のために、ノルマを手伝ったり、数字が悪いと営業会議でつるし上げられるから、言い訳考えて取り繕ったり、大変だ。そのため、心の病気になったり、無理するものだから体調をこわしたりする。
 だから、タイプ2の人は、高給をもらってるくせに、苦労の割に「給料が安い」という愚痴になるわけだ。だから、入れ替わりも激しいのがこのタイプの企業で、いつも人員を募集している。いつも人を募集している会社というのは、いくら給料が魅力的でも裏を読まなければならない。大概、厳しい現実が待っている。
 まあ、短期間がむしゃらに働きたいならいいかもしれない。長く居座るから、給料の愚痴が出るというものだ。

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サラリーマンの謎「給料」(1/7) ~給料が低い~ [哲学]

 給料が低い。」会社で働くと、必ずこの言葉を聞く。高い給料の会社でもこの言葉を聞く。どんなに給料をもらおうが、人間は満足しない。この感情は人間の原始機能かもしれない。新たに加えてもいい。
 当たり前だが、サラリーマンの世界では給料が高い人と低い人がいる。年収が3千万円の人と3百万円の人がいて、一緒に同じ会社で働く現実もある。3百万円の人が給料に不満をこぼすのはわかるのだが、3千万円の人も給料に不満があったりする。その際限のない給料への欲望や給料の多い少ないという現実をどう考えるのか?今回は、サラリーマンの大きな謎である「給料」にスポット当てたい。
 まずは、給料の多寡について触れてみたい。「給料の多寡」、この差は何を意味するのであろうか。給料の高さは、単に「仕事ができるかできないかの差」であるのだろうか。日本の企業における給料のタイプがだいたい3タイプに当てはまる。1つは、大企業型給料で、年功序列を軸とした給料テーブルがあるタイプ。2つめは外資系や営業強化型企業で、成功報酬型歩合制タイプ。そして、3つめはオーナー社長の中小企業によくある、給料テーブルなし、完全オーナー気分管理タイプだ。日本のサラリーマンの給料は、ほぼこの3タイプにあてはまる。アニキは3つとも経験している。では、「給料」というテーマから少しはずれるが、給料は会社のタイプとも密接な関係があるから、これらの基本をまず説明しておかねばならない。
 タイプ1の大企業型だが、このタイプは完全に自分の給料は時給と同じだ。1時間いくらで雇われているのだ。役職や勤続年数によりその単価が異なるだけだ。だからまず、時給で雇われていると気づくべきだ。その面から言えば、アルバイトとなんら変わらない。どんなに困難な仕事でも、時給だから関係ない。プレッシャーが高くてもこなさなければならない。管理職なんかは残業代も出ないから、理不尽きわまりないが、まあ、ひまな時もあるから、バランスは取れてはいる。本来は役職により、責任というプレッシャーが重くのしかかってくるが、それを少しの役職給の上乗せで済まされている。これは会社側の罠なのだ。実は労働対価のほとんどは会社に搾取されている。まあ、責任自体も一身で背負う事も少ない。上には分厚い管理者層や役員軍団が殿上人にように君臨しているから、そこへ早く丸投げすればよい。だから、「自分のせいではないですよ」という証明さえ付ければ、責任とって減俸や異動などはない。がんばって身の潔白を証明することが仕事の要となる。保身がその仕事の中心となるが、それさえできれば、そこそこの給料で「人生双六」を上がることが可能だ。給料には多少の不満はあるかもしれないが、福利厚生などが充実しており、贅沢はできないが一生食いっぱぐれはない。ここがタイプ1企業の居心地の良さでもある。しかし会社側にとっては不良社員も飼っておくことになるため、最近はここにメスを入れてくる企業が増えてきている。
 今後の日本ではこのタイプ1企業は成り立たなくなってくる。なぜなら、欧米ではすでにこのタイプの企業は破綻しているからだ。

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若者のバイブル「ホットドッグプレス」を知ってるか!(後編) [コーヒーブレイク]

 とにかく、ホットドッグプレスには振り回された。メモを取ったその場所に、合コンで知り合った女性を連れていっても、反応はイマイチだったことを今でも覚えている。ホットドッグプレスを神様のように信じていたアニキにとっては、「なぜだ?」という疑問符で一杯だ。今でこそその理由はわかるのだが、当時のアニキはいっぱいいっぱいだ。全く余裕がない。六本木なんて写真でしか見たことがないのに、いきなり「カフェバー」だ。どこかおどおどしてて、自信がなかったのは見抜かれていたのだろう。七五三のように、どこかサイズが合ってない服を着て、馴れてないのはすぐバレてたはずだ。それだけじゃない。なぜか、同じ境遇の同輩をかなり多く見かけた。飲みながらキョロキョロ周りをみると、七五三だらけだ。こんなシチュエーションでは、女性も気恥ずかしいはずだ。その後すぐに別れた女性は多かった。何もかもがダメダメの連続であった。要は、同輩は皆、ホットドッグプレスを見て、同じ服を着て、同じ場所を目指していたのだ。アニキはホントにこれを何度か経験した。真鶴のレストラン、伊東のペンション、葉山マリーナなんかで経験した。違う場所で同じ奴を見かけたこともあった。そう、まさにアニキはホットドッグプレスのカモだったのだ。デートマニュアルがボロボロになるまで見倒した男も数少ないだろうが、アニキはその一人だ。まるで英語の辞書のように使い倒した跡があった。当時、どの店が何ページに出ているかを答えることができたぐらいだ。今となっては恥ずかしさ全開だな。
 でも今アニキは、「こんな経験をしたから今の自分がある」と言い聞かせて、その時代の自分を正当化しているが、本心は本当に必要だったのかどうか疑わしいと思ってる。まあ、それはどうでもいいのだが、ホットドッグプレスはその後なくなってしまった。それは誰もが、ホッドッグプレスに載ってる物を買わなくなり、紹介されてるスポットには行かなくなったからだ。アニキもそうで、ホッドックプレスに載ってる場所を避けるようになってからは、デートが成功する確率が高くなった。なんと、皮肉な話だろうか。売れてる雑誌の効果は恐ろしいと、そのとき初めて感じた。
 何度でも言うが、ホットドッグプレスがアニキに与えた影響は多大だ。デートスポットなんかはどうでもいいのだが、他にもいろんな影響を受けた。彼女とドライブに行く時にかける曲なんかも指定がある。行きはサザンで、帰りはユーミンだとかだ。今から思えばバカらしいのだが、当時は真剣にテープにCDをダビングした。いまだにその頃のカセットテープが山ほどあり、かみさんから「邪魔だ」と嫌がられている。
 アニキは何が言いたいのかというと、くだらない経験も血になり骨になる。若い頃のバカな行動が多ければ多いほど、人生に厚みができると考える。女のケツを追いかけていた若かりし頃の経験があるから、「なぜ男は、いくつになっても女が好きなのか?」という研究テーマに繋がってくる。
 人生、無駄なことはひとつもない、と言われるのは本当だということがわかる瞬間でもあるのだ。しかし、現代の若者はそんなものに引っかからないのは寂しい限りである。まあ、そんなことよりも自分の人生だ。今日は哲学の話はどうでもよい。一人の中年男として話したい。
 アニキが期待するのは、「50代男の20代女性をゲットする方法」だ。そんなテーマで、ホットドッグプレスが再開したのなら、アニキはまた真剣な読者となるはずだ。アニキだけではない、多くの50代男連中は、20代30代の男共に20代女性は任せられないと思ってる。50歳を超えた熟した男が一番だと自負している。最高に脂がのった(特にお腹周りに)50代男だ!20代男などはただのボクチンだ。何をとっても我々にかなうはずはないのだ。
 そんなはかない夢を見て、ホットドッグプレスの「50代のデートマニュアル」が出るのを待ちたい。

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若者のバイブル「ホットドッグプレス」を知ってるか!(前編) [コーヒーブレイク]

 アニキが若い頃のバイブルだった。カテゴリーはよくわからないが、ファッション雑誌に近い。この名前で検索すると、賛否両論あるが、あまりいい評判はない。しかしあの頃、アニキは真剣に読んでいた。なんで、こんなに真剣に読んでいたのだろうかと、今考えればちょっと恥ずかしい。当時、ポパイと双璧であった。両方とも好きな雑誌ではあったが、なぜかホットドッグプレスの印象が今でも強烈だ。先日、同年代の女性と飲んでる時に、昔話で「ホットドッグプレス」を愛読していたと話したら、「気持ち悪い」とか、「いやらしい」と言われた。とても心外なのだが、そういう評価の雑誌だったのかと、今更ながらに驚いた。
 創刊は1975年というから、アニキがまだ小学生の頃だ。そんなに古いのかと、この雑誌の重みを感じさせる。なぜ、この雑誌の評判がなぜ悪かったのか不思議だ。でも、アニキ達ティーンエイジャーの男共には人気だった。高校の教室では、だれかが持って来ていたし、電車の網棚によく捨ててあったのを拾い読みしたものだ。
 この雑誌にのめり込んだ理由を思い出したい。かなり古い記憶だから正確には覚えてないが、他の雑誌とは異なり、デートマニュアルに特化していたところが気に入っていた。とにかくこの雑誌、「おんな、オンナ、女」だ。ナンパやデートといった特集が毎回組まれていて、アニキ達は目を輝かせていた。アニキは千葉の高校生だったから、特に憧れは強かった。渋谷や青山とはいかなるところか?と。桃源郷にも匹敵する眩しい輝きがあり憧れだった。地方の若者はたぶん、アニキと同じ感覚ではなかったのか?
 そんなホットドッグプレスだが、最大のメリットは「デートマニュアル」だ。最終的には単行本で出版されたが、コピー機もまだ出回ってない時代だ。重要な部分は必死にメモした。店はどこ、服はこれ、プレゼントはそれなど、いちいち納得がいく説明つきなもんだから、とにかく真似た。高校時代は、早く大学生になりたいと思っていたから、アニキの受験勉強のモチベーションが保てたのは、ホットドッグプレスのお陰だとも言える。
 で、晴れて大学生になったはいいが、車も持っていないと始まらないということもあり、大学生になってからは、授業もそっちのけでバイトをしまくった。千葉県民のくせに、三浦半島にあこがれた。今は房総半島の方が、すべてにおいてレベルが上だと思っているが、当時は「女子大生が三浦半島」と言うものだから、「そうなのだ」と真剣に思っていた。
 今は偉そうに話しているアニキも、当時はただのバカ者だ。

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願望実現の落とし穴(5/5) ~デメリットの克服~ [哲学]

  α波状態は不安定な脳の状態で無防備だと言った。この状態を使って行者が修行するのだが、山にこもって座禅を組んでると、いろんな霊が寄ってきて悪さをするという。それに耐えるのがこの修行だ。お釈迦様もそんなことを言っていたから、あながち嘘でもないのだろう。α波の存在がまだわかってなかった頃でも、その状態の存在は認識しており、修行に使っていたのだ。そして、α波というものを科学者が見つけたのはいいのだが、その悪い面を検証せずに世に出してしまった。この罪は大きい。あと数十年もすれば、だれかがこのことに警鐘を鳴らすことになるだろう。人間は、大きな被害が出てからでないとわからない生き物だ。被害が出ないと対策しない。だからアニキは、被害が出る前に警告したいのだ。
 アニキの哲学は、このブログを読んで少しでも気持ちが楽になってほしいと思ってる。決して脅かして終わりではない。何が言いたいかというと、物事の二面性を知って、それを克服する方法を探れと言っているのだ。
 では、このα波状態での克服方法はあるのか!実はある。要するに、ストレスに攻撃されないように工夫すればよい。前述の通り、α波状態の時に心配事を考えるからいけないのであって、いやなことを考えないようにするのだ。そんなことできるのか?できる!じゃあ、どうするのかというと、α波状態になる前、つまりは瞑想に入る前にすべての困りごとや心配事を考えて、ある程度の答えを出し、安心して瞑想に入れる状態にしておくことだ。要するに、瞑想に入る前の準備だ。ほとんどの本では、身体をリラックスすることしか書いてないが、一番重要なのは、「瞑想に入ったあとに困りごとを思い出さない」ということなのだ。
 でも、「今抱えている困りごとについて、ある程度の答えなんか出せないよ」というかもしれないが、そういう時には瞑想に入らないことを薦める。何でもそうだ、気乗りしないときは、やらないことだ。瞑想中に、運よく悩み事を思い出さないかもしれないが、それは心のやることだから、わからないだろう。仮に、瞑想中に悩み事や困りごとを思い出したら、即刻中止するべきだ。これが正しい判断だ。森の中で気持ちよく昼寝してる時に熊が出てきても、そのまま寝てる奴はいないよな。ま、そういうことだ。
 結論から言えば、願望実現のために脳をα波にしたいなら、事前準備が重要だということだ。運動するときには準備運動を十分にするのと同じだ。願望を実現させるという野望があるのなら、それ相応の準備が大切だ。このことがわかってないから、願望が実現しないのであり、逆に傷を背負ってしまい、不幸になり願望から遠く離れてしまうのだ。
 アニキは、このα波を例に話したが、一番言いたいことは物事の本質を見極めろということだ。この世は必ず二面性がある。よい面と悪い面だ。良い面だけ、悪い面だけという一面しかないものって、世の中には絶対に存在しない。もし片面しか見えていないなら、反対面は自分で探すしかない。じっくり見ていれば必ず見えるから、そこで判断すべきである。
 「作用、反作用」は、理科の授業だけの話ではない。やはり学校は役に立つことを教えてくれるありがたい場所なのだ。
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願望実現の落とし穴(4/5) ~物事の反対面を見よ~ [哲学]

 そのために脳は一応、自己防衛機能も備えているのだが、突然襲ってくるストレス攻撃から守ることはできない。こんなメカニズムだ。α波状態でストレスが進入してくると、脳は慌てて脳波を通常の状態に戻そうとする。通常の脳波は、潜在意識という黒板を守るから、ストレスはそこを攻撃できないからだ。だが、ストレスの攻撃とは一瞬だ。脳がα波から通常の脳波に戻すその間隙をぬって、一瞬の隙間に攻撃するのだ。まるで映画だ。動物の中でも人間は、危険に反応するスピードが遅い動物だから、それも影響して脳の反応も遅い。これは具体的にどんなことかと言えば、例えばこういうことだ。
 のんびりとリラックスした状態で脳波をα波にして願望を具体的に想像しているとしよう。そのある一瞬、困り事が頭をよぎるというシチュエーションだ。この困り事がストレス攻撃だと考えてくれ。困り事が頭をよぎるのと、脳波をα波から通常に戻すのと、どちらが速いと思う。言わないでもわかるだろう。のんびりと脳が休息している状態がα波である。何の準備もできてないのだから、瞬間攻撃に間に合うわけがない。せっかく願望を潜在意識の上にすり込みしかけていた時、突如困り事が上書きされてしまう。しかも、筆ではなく刃物のような道具で刻み込まれてしまうのだ。この意味がわかるだろうか?つまり、潜在意識に刻まれたことが叶ってしまうということだ。困り事が現実となってしまうことになる。だから、人の願望がなかなか叶わないというのは、こういう理屈だ。
 じゃ、なぜアニキはこのことを知っているのか。物事の真理について、常に考えていると矛盾に気がつく。アニキの物事の判断軸は、いつも話しての通り「二面性」又は「両面性」だ。すべて事象には両面性があるとの理念から、反対面を見つめる。すると浮かび上がる事実や語られない事実を見つけ出す。たとえばこの願望実現におけるα波だ。最初は脳波をα波にすること自体が難しいから、そこに危険性は見えてこない。でもよく考えてくれ、α波状態を簡単に作り出すことができるようになった人でも、願望実現した人をあまり見たことがない。逆に、願望からはさらに遠ざかり、なぜか体調を悪くした人もいるはずだが、彼らはα波がよいものだと信じているから、α波のせいだと思っていない。現在の科学ではこれを証明することすら困難だからだ。だから、もっと慎重にこのα波状態を見つめる必要があるのだ。さらにだ、これを考えるなら、α波を生み出すための行為としての瞑想も考え直さなければならない。
 瞑想状態も実は、脳が無防備状態である危険な時間だ。瞑想状態では常に脳からα波が出て、脳が無防備状態である。最近の本でも紹介されてる通り、α波は宇宙との交信にも使われる技術ということがわかってきている。このことからもわかるように、目に見えない霊体も近づいてくる可能性が高い。
 α波状態では何が起こってもおかしくないのだ。
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願望実現の落とし穴(3/5) ~α波の危険~ [哲学]

 このいいことずくめのα波の一体どこに危険があるのだろうか。α波の危険な側面についてスポットを当てたい。α波だけではない、実はα波への導入方法である瞑想も危ないのだ。解せないのはわかる。アルファ波(以下α波)の危険性について書かれた本はない。せいぜい、車の運転中の注意程度だ。また、瞑想についての危険性について書かれた本もない。だから、誰も知らない。その知らないことを今から話す。
 脳波をα波にすることは、訓練すると簡単にできるようになる。リラックス脳という意味では、アニキもα波はすごいと思う。メリットだらけだ。非の打ち所がない。どの本にもそう書かれているのだが、果たしてそうなのか!「この世のすべての事には両面性がある」というのが、アニキ論だ。「物事はまず両面を必ず押さえる」という哲学から検証しなければ気が済まない。だからこのα波にも「メリットとデメリット」が必ずある。この観点から考えれば、脳がアルファ波になることはすばらしいことのように言われるが、その反対面も同時に考慮する必要があるのだ。
 まず、そのα波自体には害はない。脳がα波になると、いいホルモンが出て、身体にも良い。アニキも「脳の謎」、脳が喜んでいる状態と書いた。ここには何の問題もない。α波が出ると、ついでに悪いホルモンが出てるんじゃないかと、想像したかもしれないが、そうじゃない。α波には何の罪もない。じゃあ、α波が出ている時の危険性とは何なのか?α波自体に問題があるのではなく、α波が出ているその状態に問題があるのだ。
 α波が出ているという状態は、すべてにおいて「無防備」である。特に脳が無防備状態なのである。動物は常に天敵が存在するから、無防備状態を極力少なくする必要がある。人間にはそういう天敵はいないが、日常のストレスという天敵が存在している。天敵の話は置いといて、要は脳が無防備であることは、生き物にとって致命的であるということが言いたいのだ。
 実はα波が出ている状態では、脳は直接ストレスに晒されるのだ。一般的には、α波状態ではよいホルモンが出ているから、ストレスが軽減されると考えられている。これは正しいのだが、それにはひとつ条件がある。α波状態では、心地よい心の状態を保たなければならないということだ。α波状態の時に、心配事やいやなことなどを思い出した瞬間に、そのストレスが容赦なく無防備な脳を攻撃するのだ。どういうことかと言うと、願望ではなくこの心配事が、しっかりと潜在意識に刻み込まれてしまうということだ。潜在意識にすり込むという行為は、意図的に行う行動だが、α波で無防備の脳の状態においては、潜在意識にチョークではなく、太い爪で刻み込まれるといった感じだ。言い換えると、潜在意識という黒板の上に、彫刻刀で刻み込まれるような感じだ。そう、防御するものが何もない状態では、ストレスは容赦なく身体や心に傷をつける。これが、α波状態での危険性である。
 本来はこのことを理解した上で、α波状態に導入していかなければならないのだが、誰もその危険性を指摘しないから、願望実現しないどころか不幸になる人が出てくるのだ。しかし、そうなっても公にはならない。なぜなら、加害者も被害者も自分だから、すべて自己責任であり、しかもなぜ不幸になったのか本人も気付いてない。ここに願望実現の大きな落とし穴があるのだ。

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願望実現の落とし穴(2/5) ~願望実現のしくみ~ [哲学]

 ず、願望実現の一般的な方法をおさらいしておこう。もっと多く本などで紹介されてることだから、今更ということになるが、我慢して聞いてくれ。
 願望実現するためにはまず何をすべきか。だれでも知って通り「そのことを願う」ことだな。まずは、自分の願いを「願う」ことから始まる。そうだよな、まず願わないと始まらないから、願望実現はここからスタートするのだが、願い方はいろいろある。神社やお寺へ行って「お願いする」のもひとつ。「祈り」もひとつだ。そして一番オーソドックスなのは、「潜在意識へのすり込み」であろう。これが一番効きそうだと考え、それをやってみようと思って、皆、本を買うのだ。「脳の潜在意識に願望をすり込め」とは最近よく言われてることで、広く知られていることだろう。で、潜在意識にすり込むためには、具体的に願いが叶った状態をよく意識して、それを喜んでいる自分の姿をビジュアルに想像しながら願う。または、過去形で願えとか言う。著者によって考え方は様々だが、共通していることは「潜在意識へのすり込み」だ。その刷り込みは簡単じゃないから、ビジュアルにとか、過去形でとか、になる。
 では、「すり込む」とはなんだ?「すり込む」を定義すると、100%思い込むということだ。100%の思い込みとは、潜在意識にそのことが印刷され、言わば永久保存となる状態で、何をしても消えないすごい現象だ。しかしこの「100%の思い込み」、これが難しい。人間の思いは100%にならない。100%になった時には本当に奇跡が起きるとされているが、悟りの境地にある人以外で100%になることはまずない。人間は通常、100%思い込めないように作られているからだ。だから、生半可な努力ではそうはならない。願望実現とは、要は極力100%に近づけようってだけの話だ。100%へ近づけるために、潜在意識へのすり込みを強制的に行うのだ。潜在意識は自分の脳の奥にある黒板みたいなものだ。そこへ願望をすり込みやすくするために、いろいろ学者は研究している。
 そして、潜在意識にすり込みやすくするために、脳波をコントロールする方法が考え出された。脳波をアルファ波(以下α波)にして、潜在意識に願望をすり込めと。アニキブログ「脳の謎」でも話したが、人の脳はいろんな脳波を出してしるのだが、その中で、潜在意識への働きかけにはα波が有効だということがわかってきた。α波は落ち着いている時、リラックスしている時の脳波である。じゃあ、α波にするにはどうしたらよいのか?巷には、α波を出す音楽を聴いたり、ヨガや瞑想がよいということが言われている。これは、科学的に証明されているから疑う余地もないのだが、猫も杓子もα波だ、瞑想だとなる。だが、ちょっと待ってくれと、アニキはそこに警鐘を鳴らしたい。
 実は、脳がアルファ波になることはひとつの危険性をはらんでいる。

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願望実現の落とし穴(1/5) ~前置き~ [哲学]

 以前、「願望は実現できる」というテーマで話をしたが、夢物語だけ話してもよくない。物事のいい面だけでは片手落ちだ。実は、近道を使っての願望実現方法には、とんでもない落とし穴があるということを理解しなければならない。これを語らずに、いい話ばかりを書いてある本が目立つ。アニキに言わせれば、願望実現の一番難しい部分を説明している本がない。著者はわかっていて書かないのか、それとも知らないのか、その辺りは不透明だが、それを書かないとダメだろうと思う。だって、ここがわかってないと、決して願望は実現しないばかりか、不幸が実現してしまうという結果になる。本当に大事な部分であり、これがわかってくると途端に、願望実現は難しいということになる。全然近道じゃないじゃないか!ということになってしまう。
 というのは、アニキも「脳の謎」や「願望実現の謎」で、願望は叶うものだと散々言ってきた。煽ってきた責任は感じている。今回は願望実現の落とし穴について話そうと思う。これが分かれば、気をつけることができる。本当は知っておかなければならない事実だ。脳をα波にする時の危険性だ。アニキは随分前にこれに気付いていた。
 元々アニキは、物事を疑ってかかる性格であり、すべてアニキ哲学が判断基準だ。ここで使う哲学は、「原始機能に対する二面性」だ。願望を叶えるという原始機能に対して、どんな二面性を持つのかをじっくり研究した。まず、世の中に願望が叶ってる人が極端に少ないこと、そして逆に不幸になってゆく人の多いことだ。これは不思議な事実であり、なんでそんなことになるのか?という視点で研究した。すると、やはり願望実現には大きなデメリットがあることがわかった。これは非常に危険な事実が判明したのだ。世の中、だれもそんなことを言ってないという不思議。本当に誰も知らないのだろうか?もし、知っていて伏せているなら、本当にやばい世の中だ。自分がしっかりしなければならない。アニキがこの事実を発見した時、生半可な願望実現の試みはやめるべきだと感じた。反対面の危険性も知った上で試みるべきである。
 願望実現の本が本屋にずらりと並ぶご時世である。確かに、願望は実現しないというテーマの本があっても売れないだろう。だが、危険性を知らないと現時点での幸せをも手放すことになる可能性をはらむ。いいことばかりを主張する本は疑った方がいい。本題に入る前に、この点を強調しておきたい。
 だから、願望実現は楽じゃないといっておこう。常に危険と背中合わせだ。このことを理解して、願望実現を極めていってほしいと思う。悪いが今日は前置きだけだ。

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アニキの「創造主論」(5/5) ~真理は単純~ [哲学]

そうだ、人間は原始機能という入力コマンドと脳という巨大コンピュータを備えて地球に降り立った。サルから進化したのでは、脳が大きくなったことの説明が付かない。なぜなら、人間以外のサルは何百万年経っても、バナナの皮をむいたり、芋を洗うことしかできないのだから。
 人間は地球生活という試練を与えられるのだが、その目的は何だったのだろうか。とりあえず今のところ、このままでいいのだろう。なぜなら、人類が地球に配置されてから、大きな天変地異が起きてない。創造主は、映画のような巨大隕石を地球にぶつけてないし、太陽を爆発させたりはしていない。その気になれば、創造主は何でもできる。気に入らなければ人類を滅ぼすことなど簡単で、時間は無限にあるから、また1からやり直せばいいことだ。そう、創造主は好きな時に「リセット」できるのだ。しかし歴史を見ると、適度な負荷として局部的な地震を起こしたり、病気を流行らせたりしている程度だ。これは何を意味するのだろうか。
 やはり人間は創造主の意図する通りに進んでいる、もしくは進歩していると理解すべきだ。人間社会では、戦争したり虐殺したりとかなり無茶なことをしているが、それでも今のところ許されている。これは、創造主が寛大だからではない。寛大だと思うからこそ、「創造主=神」という図式が浮かぶのある。そうではない、創造主はただ見てるだけだ。全体が間違っていれば局部的な天災を起こし、人間に「間違ってる」ということを暗に伝え、個人の場合は、脳からの報告を受けて、病気や怪我などで「間違ってる」ことを伝える。但し、何が間違っているのかは、「自分で考えろ」というスタンスだ。すべて「経験することから学べ」という意図がある。だから、多少の流れのずれは誤差の範疇である。物事の流れはすべて、折れ線グラフだ。為替にしても会社の売り上げにしても技能にしても何でもそうだ。それが右肩上がりにジグザグ進んでいるなら、創造主は手を下さない。ただそれだけなのだ。だから、大虐殺が起ころうと、それはジグザグの下方向に一時的に進んでいるにすぎないと見ている。このことは、創造主が人間をわざと不完全に作ったというところでうかがい知ることができる。人間を皆同じに作っていないのはそういうところである。足りないところは補完しあうことを期待しているのだ。
 社会形成を営み、そのなかで自分を高めて魂のレベルを上げてゆくことがこの世に生まれた目的だ。方向が完全に間違っていて、修正不能であると判断したなら、脳が勝手に自爆スイッチを押す。そして、「次の乗り物に乗ってもう一度出直せ」ということになり、後日別の乗り物に乗って赤ん坊として登場するのだ。どこの赤ん坊かはわからない。地球じゃなく、他の星かもしれない。人間を狙う「絶対天敵」がいる星に生まれたなら、生まれた瞬間に食われて終わりかもしれない。
 創造主は、別に「死」という概念を重視してはいない。「死」とはカラダの死であって、魂は死なないから、何度でもやり直せるからだ。学者が何百年と研究してきたそんな生死のカラクリも創造主論では説明できてしまう。創造主論は単純なのである。「物事の真理は単純である」というのが世界の共通認識なら、まさに創造主論を採ることでスッキリするのだ。
 だからアニキは、創造主が人間を作ったと考えるのがもっともリーズナブルとみる。矛盾がほとんどないからだ。人間に関する謎が、この「創造主論」ですべて説明できてしまうからだ。サルから進化したと考えるのでは、矛盾が多すぎるのだ。
 

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アニキの「創造主論」(4/5) ~原始機能というコマンド~ [哲学]

 人類を2種類地球に配置した。それもサルのような風貌で原野に放置した。体毛も少し有り、イケメンや美人じゃないから、裸で生活してても恥ずかしくない。毛深い方が男前だったかもしれない。そんなことはどうでもいいことだが、問題は配置された当時は地球で一番弱かったってことだ。何の特別な武器は与えられない。与えられたのは大きな脳と弱くて小さなカラダだけ。そのままの状態でそこで生き抜くこと難しい。周りは猛獣だらけで、しかも素手では人間よりも強い。それらの獲物を捕って食べなければならない。草ばかり食べていたのでは力が出ないし、心も萎える。だから、「大きな脳」で考えなければならないのだが、その為にはもう一つ足りないものがある。それは、脳に考えさせるための動機付けだ。脳はひとりでは考えない。脳に考えさせる何かが要る。それが「感情」や「意思」だ。「腹減ったな、あの動物食べたいな」とか、「あの女かわいいな、口説きたいな」とかという感情だ。これが大事だ。ただ単に大きな脳を持っていても、それに働きかけなければ意味がない。そこで与えられたもう一つの力が、アニキのいうところの「原始機能」である。
 風貌はサルに近い類人猿だが、今の我々と同じような原始機能をすでに備えているのだ。これがあるから人類は最強であるといえる。大きな脳だけでは、巨大コンピューターを目の前にして、コマンドを入力しないのと同じなのである。では、アニキブログ読者にはくどいかもしれないが、原始機能について知らない人に簡単に説明しておこう。
 「原始機能」とは、創造主が予め人間に備え付けた機能である。特に「感情」や「欲望」などだが、他の生き物にはなく、人間にのみ備わっている力だ。こいつを使うことで、脳が動き出す。脳は人間からの感情や欲望により考え始める。人間はこれで進化してきたのだが、いいことばかりではない。創造主は常に考えて機能を持たせる。実は、その機能にはよい面と悪い面とが必ずある。要するに表と裏だな。薬で言えば、作用と副作用だ。良く効く薬ほど副作用も大きいものだ。原始機能もそれと同じで、良い機能ほどその反対面である裏の作用も大きい。要するにその機能の使い方次第なのだが、人間にはかなりの原始機能が最初から備わっている。言わば人間の本能だ。その原始機能を「うまく使って」進化しろということだ。そうだ、「うまく」がキーワードだ。この原始機能だが、ほとんど原始機能は「過ぎると毒」になる機能がほとんどだ。例えば「欲」なんかはいい例だ。欲深いといいことないよな。舌切り雀の話や瘤取りじいさんの話なんかよく知ってる内容だな。これと同じように、原始機能は言わば両刃の剣で、それを何の説明もなしに持たされていることになる。これは、武器であり凶器でもある。「脳」ですら味方であり敵である。このことがわかってないと人生が辛いことになるが、創造主は、まずわからないままそこからやれということなのだ。創造主は酷なことをしてくれるが、まずはカラダで覚えろということだろう。
 当時、サルに近いホモサピエンスだが、原始機能においてサルとは大きな差があるのだ。その結果が700万年経った現在、サルと人間の差は大きく開いている。サルは、未だに温泉に浸かるか、芋を洗って食うぐらいにしか進化していないのだ。

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アニキの「創造主論」(3/5) ~人類配置の意図~ [哲学]

 前置きが長すぎたけれど、ここで押さえておいてほしいのは、人間は地球人ではないということだ。では、本題に入ろう。
 創造主はどこにいて、なぜ人間を作り、地球に放置したのかということは大きな疑問であるが、ここでは特に問題にはしない。その理由などは今の人間の進むべき方法を見れば明らかになってくるからだ。どこにいるのかも、特定できるはずがない。魂の存在すら証明できない科学レベルでは到底創造主の居場所などわかるはずもないのだから。だから今ここで問題にしなければならないのは、700万年前にホモサピエンスを地球に連れてきたと仮定した場合の話だ。考古学者が人類の骨から時代を特定しているが、これは信じてもいい。しかし、学者はホモサピエンスからの進化の過程は説明できても、「サル⇒ホモサピエンス」の課程は説明できない。なぜなら、その間の課程である骨は見つかってないからだ。ここに進化の矛盾が存在する。証拠が残ってない事実からわかることは一つだ。「突然現れた」ということ以外にない。それを認めると、今までの調査すべてが水の泡になるから、「なにか痕跡があるはずだ」と、賢明に調査を進めてるわけだが、残念ながらそれは無理だ。学者もうすうすは感じているはず。人類進化の仮説は違うのではないかと。どんなテレビ番組を見ても、人類の誕生はアフリカのホモサピエンスからだ。アフリカって場所にもアニキは謎めいたものを感じるのであるが、人類の祖先はアフリカからアジアにやってきたらしい。この話で紙面を割くのは時間の無駄だから、この辺でやめておくが、人類の進化論はまずここが腑に落ちないのだ。
 だからアニキは創造主が連れて来たと考える。でもなぜ、創造主はサルに近い人類を連れてきたのだろうか。もっと現代風のイケメンと美女を連れてきたもよかったのにと思うが、みんなはどうであろうか?それなら、歴史の勉強にも力が入るのではないだろうか。類人猿なんて呼ぶ必要もなく、頭蓋骨から復元したその顔に想いを寄せてもいいのではないかと思う。だが、創造主はそうしなかった。アニキの仮説はこうだ。
 イケメンではその時代を生き抜くことは難しい。アフリカの原野にいきなりポンと放置されたのなら、すっ裸だ。服もない。道具もない。だから、皮膚は強くなければならず、体温を維持するための体毛も必要だ。その時代に適した形というのは、まさにおサル体型だったと考える。当時の地球に最も適した形だったのだ。というのも、創造主はムダなことは絶対しない。人間にムダな機能はひとつもない。だから、そのおサル体型には意図があるのだ。そして、進化を促すために、少し不足をわざと与えているのだ。また、意図的に操作している部分は多い。自然とは考えにくい仕掛けは数多くある。これらはいずれ、アニキブログ「人類の仕掛け」で少しずつ紹介してゆくが、少し紹介しよう。
 例えば人間の種類だ。男と女という二種類しか作らなかったのも納得がいく。3種類以上だと必ずもめる。もう1種がいたと仮定する。想像してみてほしい。女側が2種類なのか、男側が2種類なのかによるが、どっちが多くても争いが起きて滅びる。アニキは女側が2種類いたら楽しいなと思うが、まあこんな映画でも誰か作ってくれないかと望む。知的生命体でなければ滅びるまでの争いは起きないが、知的生命体は種類が多いと必ず滅びる。これは、人間の歴史を見れば明らかだ。同じ人類でも、宗教や民族の違いで争う人類だから、男が2種類もいたらどうなるか想像つくよな。間違いなくイケメンの方が生きのこるだろうな。そんなことも想像できる。創造主はそれもお見通しだったから、知的生命体は最低限しか配置しないのだ。
 だから、すべて用意周到に考えられて人類は放置されたと考えるべきなのだ。

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アニキの「創造主論」(2/5) ~宇宙にばらまかれた人間~ [哲学]

 アニキは別にダーウインを否定してるわけではない。ダーウィンは学者だから検証が必要なだけで、検証できないこと、つまり証明できないことは発表できなかっただけだ。本当は、宇宙人飛来説を採りたかったのかもしれない。でも、目を輝かせて研究する弟子達の前で、そのことを言えなかったのだとアニキは思う。
 さて昨日の続きだ。何者かによっていろんな星にばらまかれた人類の元は、それぞれどうなったのであろうか?地球に似た環境の星なら生き残れるかって、それはわからない。過去ブログ「人間の天敵」でも話している通り、知的生命体が他に1種類でもいたらダメだろう。悲しいかな、滅んでしまう。絶対天敵がいる星も当然だめだ。人間の創造主はいろんな星に人間をばらまいて、どうなるかを試していると推測できる。なぜかって?それは、創造主によって我々が地球に放置した事実があるからだ。宇宙は広い。地球という星だけに人間を置いていったと考える方がおかしいだろう。呼吸ができて食べ物が手に入る環境の星にはすべて、人間をばらまいたと考える方が自然だろう。
 創造主の目的は、人間の進化を見届けることだ。人間がどう進化してゆくのかだ。放置された人間は、その星の環境に適した形に変わってゆく。まさか、マンガに出てくるタコ型の火星人みたいにはならないと思うが、確証がないから否定はできない。でも、あまり想像したくないな。タコ型星人の美人なんてどうだろうか。果たしてそそる存在であろうか。冗談はさておき、人間が大きな脳を使って進化してゆく。そしてまた輪廻転生する。アニキは思う。この宇宙に創造主が人間をばらまいているなら、考えたくないが来世は別の星の人間かもしれない。そこで、化け物に食われてまた別の星に生まれる。こんな輪廻転生が想像できる。しかし、これはまだ魂のレベルが低いうちだろう。魂レベルが高くなれば、高度な社会を形成している星に生まれるはずなのだから。だから、今世の修行をがんばらないといけない。エイリアンのエサになる星には生まれたくないからな。おっと、魂の輪廻転生の話は長くなるから、また後日だ。
 要はアニキは何が言いたいのかというと、創造主が人間を作っていろんな星にばらまいたのだ。その一つが地球であり、700万年も続いている希有な星だということだ。続くということは、その星の環境に順応して進化してゆかねばならない。社会を形成して文明も築くことも必要だ。この流れが創造主の意図であることは間違いない。でなければ、創造主はずっと以前に天変地異でも起こして人間を滅ぼしていたであろう。
 人間がサルから進化したという説を採ると進化の話はそこで終わりだが、創造主が人間を作ったということになると、「なぜ?なぜ?」が広がり、分析のしがいがある。だからアニキは「創造主論」だ。これは、アニキ哲学の柱となる概念で、この考えなくしては成り立たない。人間存在における様々な疑問や、機能などはすべてこの「創造主論」から出ている。サルから進化したのでは、ここまでの考察は出てこない。

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アニキの「創造主論」(1/5) ~人間の起源~ [哲学]

 やっと、このテーマについて話す時が来た。アニキブログのあちこちにこの概念が出てくるから、早めに話しておかなくてはならない。これはアニキ哲学の根幹と言っても過言ではない。これが最重要概念とも付け加える。では、はじめよう。
 人間はどうやって生まれたか?本当にサルから進化したのだろうか?それが定説となっているが、アニキは違うと考える。サルが進化したなら、他の種類のサルだって進化しているはずなのだが、進化したサルは人間だけだ。以前のアニキブログ「アニキ進化論」の中でも話しているが、他のサルは今もただのサルだ。人間の元のサルであるホモサピエンスが出現たのが700年前だ。それから一種類のサルも進化していない。遅れてあとから何種類かは進化してもよさそうだろう。例えばアフリカの奥地のあるサルは、文明を築き始めたとかニュースは聞いたことがない。それってどうも腑に落ちない。なんか、おかしいじゃないか。だからアニキは、人間はサルから進化したんじゃないという説を採る。
 では、人間はどのように出現したのか?前述の通り、700万年前に2本足歩行するホモサピエンスという人間の元が出現した。これはアニキも同意する。では、ホモサピエンスとサルをどう結びつけるのか?ホモサピエンスはサルに似てるが、サルとは違う。文献にはいろんな仮説がるが、どれもこじつけだ。だからアニキはサルからの進化は信じない。アニキはこう考えてる。宇宙から飛来したのだと。要は、人間は地球の外部からやってきた生命体だ。始祖鳥から進化してきた種とは異なると。そう考えるのがリーズナブルで、地球古来の生命と異なる部分があまりにも多い。例えば、脳がでかい。体毛がない。女がかわいい。これは関係ないか。さらに、地震など地球で起こる自然現象を感知できない。そして、進化してゆくプログラムになっている。これらのことを説明できる説は一つしかない。ある日、地球外からやってきたのだ。だから、人間は宇宙人であり、自分がやってきたくせに、宇宙人が存在するとかしないとか言うのはおかしいのだ。
 で、宇宙からやってきたことは別にどうでもいいのだが、問題は地球によこしたのは誰だ?ということなのだ。何の目的もないのにやってくるはずがない。自分の意思でやってきたなら、700万年前すぐに文明を築いたはず。ところが、当時の知能はサル並みだから、道具すら作れない程度だ。そんな稚拙な脳しか持ち合わせていなのに、使命感を持って自ら地球にやって来たとは考えにくい。そうだ、誰かに送り込まれたと考えるのが普通だろう。無理矢理地球に連れて来られて、そこに放置されたのだ。「あとは適当にやれ」ということで。なら、誰にそんなことされたのか?知らない星に放置するなんて、普通の神経じゃない。脳がでかいということだけで、サル並みの人類を放置することができる存在だ。すべては計算しつくされており、地球という星を選んでいる。ここなら大丈夫だと。自分で乗り越えるだけの適度な困難があり、脳を進化させやすい環境であると。もしなにも考えずに、やみくみもに星へ送り込んでいたならどうなるか?結果は様々だ。すでに知的生命体がいる星や、人間をバクバク食う生物がいる星なんかだったら悲惨だ。あっという間に淘汰されるだろう。
 実は、ここはアニキも考えがまとまっていない。何かというと、地球に無理矢理連れて来た何者かは、いろんな星に試験的に人間を送り込んでいたのかもしれない。で、経過をみているのかもしれないということだ。この話は、後日アニキブログ「宇宙人の謎」で話すから、ここでは深くは触れない。
 ここで重要なことは、いろんな星に人間がばらまかれていて、その中の一つが地球であること。そして、その連れて来られた時期も不明だが、地球での700万年後の経過結果が今現在であるということである。

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魂の謎(6/6) ~脳への感謝~ [哲学]

 なぜ創造主は、暴れ馬ではなく、桃太郎のように従順なお供を付けてくれないのだろうか?ここにも疑問はあるのだが、そう思うこと自体がおかしい。創造主は、自分で乗り物から探せとは言ってない。すでに乗り物は与えてくれている。そこに温情はある。厳しい中にも、創造主の優しさがあるのだ。確かに、乗り物から探すとなると、まず人生自体が始まらないぞ。乗り物が見つからない奴であふれかえるから、修行どころではない。たくさんの魂が肉体を求めて浮遊しているような状態だ。想像しただけで気味が悪いよな。だから、暴れ馬でもいいから、事前に与えてくれるだけありがたいことなのだ。
 そろそろまとめようか。だから、暴れ馬を手馴づけて、課題をクリアして次のステップへ行こうぜということだ。魂の謎が解けたのだから、今世は楽に乗り切らないとダメだろう。つまりだ、脳にもカラダにもいいことをすることで、暴れ馬の主人となり、乗りこなすことができる。乗りこなした時、その今世の乗り物はゲームでいうところのコンボ状態だ。まさに無敵であり、今世の課題へ向かって進むことができる。
 これが魂の修行なのである。人生はちょっとしたことに気付くか気付かないかだ。だから、魂の謎が解けてしまえば、実に簡単なのだ。脳と仲良くすることを考えることで暴れ馬を乗りこなすことができる。そうなれば、馬は決して主人を裏切らない。主人をかばう存在となる。この状態で人生をスタートさせる。あとは脳のシグナルに注意しながら進めばよい。脳は創造主への報告役なのだが、実はもっとも忠実なしもべであることを忘れてはならない。魂の参謀であり、うまく人生を乗り切るヒントをくれる。しかも、この参謀ぶりはハンパじゃない。脳は見返りなどを求めないから、自分の手柄をアピールしない。あたかも魂が自分自身で考えて行動したかのように振る舞うから、魂も勘違いしてしまう。陰ですべて脳がヒントを与えているのだが、そのことには気がつかず、愚かにも魂自身が優秀であるかのような錯覚に陥る。最終的に成功を手にした魂は、自分が優秀だからだと思い、それを誇ることになってしまう。本当は、すべては脳の導きで成功しているのに、そのことを無視してしまう。自分、つまり魂だけの力ではないことに気付くことが必要なのだ。自分自身が成功を手にしたとき、「俺ってやっぱりすごいな」と勘違いしてしまう。そうじゃない、脳の手柄だ。脳がすごいのであって、おまえは別にすごくないのだ。
 だから、脳に感謝しなければならない。これが足りないから、また病気になったり、精神に異常をきたしたりするのだ。人生の最後まで運が良く、成功したままで終わりたいなら、脳への感謝を忘れるなということなのだ。脳に感謝してみろ、すごいことが起こるぞ。逆に、「ツイてねー」なんて言うと、脳はカチンときて悪いことを起こさせようとするからな、気をつけろよ。そういう愚痴は魂が脳に対して吐いている悪口だと気づくべきである。
 ここは大事だから、もう一度いう。なにかちょっとした良いできごとが起こった場合や、偶然にツイてるできごとが起こった場合、これは脳が起こしてくれてるわけで、それに感謝しなければならない。奇跡は自分の脳が起こす、神様じゃない。この事実を忘れず日々行動するだけで、ツキが今までとぐんとちがってくるはずだ。いいことがあったら、常に「脳に感謝」だ。これを覚えておいてくれ。アニキはいつも感謝が大事だって言ってるその意味はここでも同じだ。他人に感謝すると、「感謝トルネード」が起こると過去ブログ「脳の謎」や他でも何度も話している。ところが、一番感謝すべきなのは実は自分の脳である。自分の脳に対して感謝すると、魂自体の中に「感謝トルネード」が起こる。だから、魂が脳に対して感謝の気持ちを持つことこそが、人生のカギである。
 アニキが言いたかった「魂の謎」とは、まさにこのことである。

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魂の謎(5/6) ~魂のしもべ達~ [哲学]

 で、これが永遠に続くのかと思うが、そんなことはない。要は、脳の忠告を無視し続けるということはすなわち、魂の暴走だと脳は判断する。脳はそんなに気が長い方じゃないから、ある時点で決断を下す。創造主と相談して最後の手段に出る。ここで前述の脳の機能である「自爆スイッチ」が登場する。アメリカ大統領が押す核ミサイルのスイッチと同じだ。アメリカのボタンは「いつでも押せる」ということが脅威であり、本当に押してはいけない。しかし、脳は別だ。自爆スイッチはその気になればいつでも押せるし、よく自爆スイッチが作動した人を見かける。
 ここが重要で、魂が暴走した時に脳はカラダの自爆スイッチを押す。そうするとどうなるかは、想像がつくだろう。人生はそこで終わる。修行も終了で、「またやり直し」ということだ。だから、そうならないためにも、病気は脳が起こしているという事実に、魂は早く気がつかなければならないのだ。なぜ世の中に病気がなくならないのか?また、次から次へと恐ろしい病気が出てくるのはなぜか?考えたことはあるか。世界的に、患者の数は年々増えているんだぞ。だから、アニキが言うこれはたぶん事実であり、目を背けてはいけない。科学的に証明はされてないが、残念だがこれは真実だと確信している。
 くどい!と言われそうだが、アニキのいつもの話をさせてくれ。世の中、証明された事と証明されてない事とどっちが多い?証明されてないことだよな。証明されるまで待つか?証明されるまで待っていたら、今世が終わっちゃうんだよな。人生を有意義に過ごしたいなら、「自分が腑に落ちて、そこに矛盾がなければ、素直に信じてみる」ことが大事であり、それを人生に生かせばいいんじゃないかということだ。これは、アニキ哲学の一つの柱でもある。何度もブログで言っているが、ホントに重要な考え方だと思っているから何度でも強調してやる。な、そういうことだ。
 では話を戻そう。ここまで話せばわかるよな。脳・カラダ・魂の中で、どれが一番エラいのかということなのだが、そう、魂だよな。だから、魂を鍛えなければならない。魂を鍛えるとは、心を鍛えるということだ。心を鍛えるには、よく考えて行動することだ。別に心を強くすることだけが魂の鍛錬ではない。優しさや感謝など、「剛」ではなく「柔」の部分の方が魂にとっては重要だ。脳が喜ぶのは「柔」の鍛錬の方だ。そして、脳が喜べばカラダも喜ぶという順番だ。これが人生のヒントだ。
 要するに魂の謎とは、魂がリーダーで、脳とカラダという「しもべ」を自由自在に操り、生まれる前に決めてきた課題をクリアするという、そのことが隠されていることにある。創造主は自分で答えを探せと言いたいのかもしれない。しかしその前に、厄介な「しもべ」を手なずけなければならない。桃太郎は犬・猿・キジが自分からお供にしてくれと言ってきたのを連れて、鬼退治に出掛けた。しかし、人間の場合はそうじゃない。この「しもべ」が素直じゃない。最初はまるで暴れ馬に近い。脳が支配するカラダという暴れ馬に乗れるかどうかということなのだ。だからまずは、脳とカラダを魂に服従させるところから人生は始まるのだが、ほとんどの人はそれができてない。だから、人生がうまくいかない。暴れ馬に乗れずに人生が終わるから、結局は課題自体もクリアできない。人生が始まる前に終わる人がほとんだ。
 でも心配する必要はない。何度でも生まれ変わることになるだけだからだ。

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魂の謎(4/6) ~魂と脳のケンカ~ [哲学]

 アニキが言いたいのは、乗り物が壊れると修行どころじゃないよということだ。不幸にも、この乗り物は自家用車と違って乗り換えられないことになっている。人間はそういう風にできてる、当たり前だな。カラダだけじゃない。脳もまた乗り物の一部だ。もっと優秀な脳がほしいから取り替えたいなと思っても、それも無理だ。しかも脳は、創造主への通信機能を持っているだけでなく、カラダの自爆スイッチまで持たされている。かなり厄介なパーツなのだ。では、脳の自爆スイッチの話を少ししておこう。
 これもアニキブログ「脳の謎」でも説明しているのだが、この脳の機能は怖い。魂と脳の相性がよくないと、脳はカラダを悪くさせる。カラダの調子を良くするのも悪くするのも脳のさじ加減ひとつだ。魂のやってることや考えてることがおかしいぞと思ったら、脳はすかさず、カラダに不調を出してそのことをやめさせようとする。例えば腰痛や頭痛、または高血圧なんかで軽いサインを送る。脳はこのシグナルを出して、魂の考え方を改めさせようとする。その時点で気付けばよいのだが、魂はそのことに気付かずに、医者へ行ってしまう。医者は西洋医学だから、対処療法しか施さない。鎮痛剤などの薬でもくれて終わりだ。痛み止めは、痛みが止まるだけで何の解決にもならない。ここから、魂と脳とのケンカが始まるのだ。魂は治ったつもりでいるから、何も気にしない。脳は考え方を改めさせようと腰痛を起こしたにもかかわらず、それを意にも介さないその行動に腹を立て、さらなる手段に出る。
 内臓疾患や精神疾患だ。脳はその人の弱い部分を突くのだ。心が弱ければ精神疾患で、カラダが弱ければ内臓疾患を起こさせる。そうだ、脳を怒らせるとエラいことが起こる。だからアニキはいつも、「脳とは親友でいろ」と言い続けるのだ。魂に対して脳が親切に出してくれてるサインを見逃すと、脳は魂に対してカチンとくる。魂もよくカチンとくるのだが、魂の場合、カチンとくる相手は常に他人に対してだ。その対象は自分以外の「人」だ。しかし、脳がカチンとくる対象は、常に「魂(自分)」に対してだけだ。そう、脳は魂にカチンとくるから、「そういうつもりなら、どうなっても知らないぞ」となる。ここで、脳は内臓に命令して悪いホルモンを出させる。内臓には意思はない。カラダはすべて脳に支配されてるから、内臓はただそれに従うのみ。脳はカラダを攻撃するホルモンをたっぷりと出させ、病気にさせてしまう。これでもか!的な感じでいく。魂はそこで、「ちょっとおかしいぞ」と気づけばよいが、これもまた手術して薬飲んで治してしまう。
 こうなると、脳と魂の戦いは激化するだけだ。脳は次の手段を考えることになる。さらに重たい別の病気にさせるのだ。次に弱そうな部分を病気にする。まるで、イタチごっこなのだ。

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魂の謎(3/6) ~魂は死なない~  [哲学]

 人間、歳を取って寿命で死ぬよな。死んだら魂はどうなる?創造主のところへ帰るんだけど、よく考えてくれ。ん、じゃあ、死ぬってなんだ?魂が死ぬのか?そんなことはないよな。死ぬのはカラダで、魂は帰るんだよな。ということは、魂は死なないということなんだよ、永遠に。というか、死ねないんだ。魂は永遠に生き続けることになる。何度も言うが、脳もカラダも自分じゃない。自分とはその中にいる「魂」だ。魂とは、物体なのか想念なのかはわからない。まあ、アニキにはそんなことはどうでもよい。そんなことを証明するなんてくだらないことをするより、魂の目的について考える方が大事だろう。カラダが死んで、魂は帰る。そして、転生してまた「親から生まれて」次のカラダで修行する。となると、ここでもう一つの疑問が出てくる。
 そうだ、親とはなんだ?ということだ。魂はカラダを選んで入ってくるのだが、カラダは親から生まれてくる。これってなんか不思議じゃないか。つまりは、親とはカラダの親であって、魂の親ではないということになる。そうなのだ、がっかりするだろうがよく考えてくれ。つまり親とは、乗り物の製造機である。そう考えると、親とは味気ない存在に映ってしまうのだが、親に対しては思い入れが深いよな。これは、「飯田史彦先生」なんかはソウルメイトという言い方をして説明しているのだが、それだけじゃなくやはりそこに絆として大きく存在しているのは、「恩義」だ。魂は恩義がエサだ。恩義を感じるとそれに報いようとする。この「人は恩義を受けると、その人に頭があがらない」とう機能が人間には最初から備わっている。これはアニキ哲学の柱である「原始機能」ということになるのだが、「恩義」があるからこそ親に対する孝行が生まれる。感謝の気持ちが湧く。大事な乗り物を作ってくれたエンジニアだから、思い入れもあるのは当たり前なのだ。また、長く一緒にいると情も湧く。そんな原始機能も人間に備わっているのは、まさにカラダの親に配慮して付けてくれた機能に違いないのだ。
 親の話は長くなるので、この辺でやめておこう。ここでは、親はカラダの親であって魂の親ではない。つまり、自分の本当の親ではないということになる。魂を作った者こそが親であるから、本当の親とは人間の創造主であることになる。な、太古の昔より、不老不死の薬を求めてきた歴史はあるが、そんなことしなくても魂は不死だ。乗り物維持のための薬を探していたことになる。が、それは無理だ。乗り物は劣化するように作られているのだから。
 だから、今世の乗り物も大事にしないとな。壊れたら終わりだから、しっかりメンテナンスしようぜ。脳も含めてな。今世の乗り物は、魂がどう使うかによって、駄馬にもスーパーカーにもなり得る。スーパーカーにするためにカラダを鍛えるのは、理にかなっている。栄養バランスのよい食事と運動でかなり鍛えられるだろう。そして、ストレスを減らさないと、脳が反乱起こしてカラダをいじめにかかるから、考え方も鍛えないとな。ここも重要だ。
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