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「美人」好きの哲学(3/6) ~美人の敵「老化」~ [哲学]

 その前に、まず言っておくことがある。女性の美人コンプレックスについてだ。美人に憧れるのはいい。だけどテレビの超美人と自分を比較して美人じゃないと卑屈になってはいけない。これは罠だ。神が仕掛けた罠なのだ。罠にだまされてはいけない。なぜテレビに出てるのか、なぜ雑誌に載ってるのかを考えればよい。希にしか存在しない珍獣だからだ。超美人とは珍獣だ。だから希少価値がある。美貌が商売道具だ。一般人には美貌は商売道具でない。超美人は大勢の男共からちやほやされるが、それが人生でどんな価値があるのか!超美人は、自分の周りには「超」だらけだ。だから、その「超」を保つことだけでなく、さらに磨きをかけることに命を懸けるが、そこにはものすぎプレッシャーがかかる。「超」がはがれてしまうとその途端に価値がなくなるという恐怖がある。だからお金をかけ、労力をかける。
 しかし、本当の強敵はライバルではない、自分の中にある。悔しいかな「老化」には勝てないのだ。そういう風に人間は作られている。その葛藤の中に、若い新たな超美人が現れる。若い超美人には、いくら年季の入った超美人でも太刀打ちできないのだ。人間の創造主は、なぜ人間の細胞のピークを20才ぐらいに設定したのだろうか。50才がピークでもいいはずだろう。そこには何かの意味があるのだ。創造主の意図を理解しなければならない。だから結局、そんな世界の美人に嫉妬しても意味はない。テレビの中でやらせておけばいいのだ。男なんて、超美人にはすぐ飽きるのだ。

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