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アニキの組織論(1/5) ~組織は生き物~ [哲学]

 組織は生き物である。この前提がわかってない人が多い。だから、会社や部署など組織に対する不満が生まれる。組織が固定の存在だと思っているから、愚痴が出るのだ。組織が生き物だと考えるなら、腹が立つことも少しは減るだろう。なぜなら、生き物は受け身の存在ではない。常に動きがある。相手側からの働きかけもあり、それに対応するこちら側の姿勢も必要だ。なら、会社や組織も同じだ。受け身の存在だと思うからこそ腹も立つ。会社が生き物と考えれば、こちら側の対応姿勢も変化させる必要があるからだ。そう、まずは会社や組織の対する見方を変えてみる必要がある。
 例えば、会社は法的にも人間とほぼ同じ権利が与えられている。だから、会社が生まれた当時はその理念や信念がしっかりとしており、安定している。それが年月を経るに従って、段々と方向が変わってくるし、理念もうやむやになっていく。そして、コントロールが効かなってくる。まさに会社という組織は人間と同じ。年齢と共にややこしくなってくるのに似ている。会社でも組合でもクラブでもなんでもそうだ。どんな組織でも、最初は創業者の意図を組んだ立派な目標や理念を唱え、その旗の下に集まった人間の集合体だ。
 集まるのは様々な人間だから、その意識を統一させる人間が必要だ。それを統率するのが社長であり、社長は自分の理念を具現化してくれる従業員を集める。創業当初は、創業社長自らがこれを行うため、組織には一体感がある。規模も小さいから、統率もしやすい。一体感があるから、生き物としてはなんの違和感もない。創業者の意思が手足に伝わる。まるで、ヒーロー戦隊物の合体ロボ状態だ。向かうところ敵無しだ。最初は利益は少ないが、理念がしっかりとしたこの「合体ロボ」状態は、ゲームで言えばまさに「コンボ」だ。必殺技炸裂で押し進む無敵状態だ。この無敵というのは、儲かってしょうがないという意味ではなく、儲かってなくても「今は儲かってないだけで、この方向で間違いない」と皆が確信しているということだ。組織みんなの心が無敵なのだ。
 ところが、組織が生き物であるということがわかってないと、悲惨なことになる。この無敵状態を創業者は早くも「成功」と勘違いしてしまい、まず贅沢をし出す。ちょっとばかり小銭ができたからといって、今まで苦労して質素な生活をしてきた反動もあり、高級車やゴルフ会員権などを購入する。この兆候が出てきた時点で要注意なのだが、成り上がりの創業者はまず間違いなくこの道に走る。ちょっと業績がよくなると、銀行なんかがチヤホヤするものだから、小者の創業者などは自分が「成功者」と勘違いしてしまう。
 ここから、会社という生き物の体調が悪くなってくるのであるが、創業者にはそれはわからない。小さな綻びだからだ。しかし、この小さな綻びこそ、会社を傾かせる大きな要因であると言いたい。

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「嫌われる褒め言葉」を使いこなせ!(第二弾) [コーヒーブレイク]

 この企画はあまりにも失礼かもしれないと思い、1回で終わりにしようと考えていたが、意外と好評なので、第二弾を出すことにした。コーヒーブレイクだと思って読んでくれ。
 アニキの前の会社の後輩にA君という人物がいた。彼はものすごく痩せていて、骨と皮だけに見える。顔は男前で歌もうまいのだが、女性に言わせれば貧弱だと言う。ケンカも弱そうだという。そんなことを言ってはダメだと、彼はただ痩せているわけではない。そういう体質なのである。そのカラダは天性のものだから、そのように身体的にけなしてはいけないと、注意する。ここは欠点ではなく、長所として褒める努力をしなければいけないということで、女性に話している。そうなのだ、彼は人類には珍しい「外骨格」なのだ。
 外骨格と言えば、カブトムシやカニを想像してもらったらよい。骨が外側で、身が中だ。そう、A君は骨の中に筋肉があるから、全然問題はないのだ。カブトムシがそうであるように、実は力も強いのだ。歌がうまいのも、スピーカーのように体内に反響するからだ。だから、「外骨格はうらやましい。」と皆で褒め称えるのである。
 同じくアニキの以前の会社の先輩に、Sさんという人物がいた。彼の癖は仕事中に鼻くそをほじることなのだが、仕事に集中すると必ず一心不乱にほじる。その様子を傍らで眺めていたのだが、あることに気がついた。その鼻くそをほじるその指が、第二関節まで鼻の中に入っているのだ。すごい深いところまで鼻くそをほじるものだと、感心したものだった。
 アニキの先輩にMさんという人がいた。Mさんは1年先輩で、性格も穏やかないい人だった。ある日、アニキがトイレで用を足していると、隣にMさんがやってきた。横に並んだMさんが、以前よりも小さくなった気がして、「Mさん、あれっ、ちょっと小さくなったんじゃないですか、何かあったんですか?」と訊いた。元々小柄な人なのだが、「そうか、最近忙しくてストレスが溜まって、縮んだのかな?」と答えた。身体的なことを言ってはいけないと「はっ」と気づき、とっさに、「違いますよ、『肉体的』にじゃなくて、『人間的』にですよ。」と言って、そこからすごすごと立ち去った。人間として、決して肉体的な欠陥を言ってはいけないからだ。
 これらの話は、一見「けなしてるのではないか?」と考えてしまうが、そうではない。褒めているのである。そう、真理はもっと深いところに存在する。

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酒の秘密(3/3) ~潜在意識への刷り込み~ [哲学]

 アニキは何が言いたいのかというと、酒飲んでる時は「何を考えても何を口に出してもいい」のだ。以前のブログ記事「脳の謎」で、脳は別人だと言った。そう、つねに自分を監視している脳は、酒が入るとその機能が麻痺してしまうため、脳は自分の仕事ができない。潜在意識への刷り込みもそうだ。脳の大事な仕事の一つだが、それができなくなってしまう。まさに、脳の働きを妨害する効果がある。人間、ひとりでいると悪い方へ悪い方へと考えてしまう生き物だと、以前のブログでも話したと思うが、そんな何事もすぐにマイナス側に考えてしまう人は、酒飲んだ方がよい。
 ということだから、逆に酒飲んでいる時に潜在意識にアプローチしてもダメだってこと。酒飲んでる時には、いくら脳波をα波にしたところで、潜在意識への刷り込みはできない。酒飲んだ時は、酔っ払ってクダ巻いてればいいのだ。日頃言ってはいけない悪口や愚痴などのマイナスの事を思いっきり言えるのはこの時しかないのだ。脳が麻痺しているこの時がチャンスだと言っておこう。
 しかし、飲み過ぎは禁物だ。ストレスが大きいと酒の量も増えてしまいがちだが、自分の適量を超えてはならない。酒に飲まれるという状態は避けなければならない。当たり前の話だな。これも創造主の二面性なのだが、酒というストレスへの特効薬を与えてはいるが、それに依存すると逆に「毒」となるように仕向けている。創造主が与えてくれてるものには、過ぎると毒になるものが非常に多い。これも創造主の考え方で、人間にすべて自分の意思で決めて行動させようとしている。ここでも人間は試されているのだ。
 酒は古くから存在し、人間とともにあった。アニキは子どもの頃、はじめ人間ギャートルズの中で、サル酒というのがあって、サルに果物なんかを食べさせてかみ砕いたものをはき出させて飲んでいたのを見たとき、これが酒かと目を疑った。このマンガ、あながちウソではない。米なんかを噛んで酒を造っていた時代もあったというから驚きだ。
 酒にちなんだ話は尽きない。古代より人間の嗜好品として親しまれてきた。今では酒の種類も多く、いろんな酒を楽しめる。アニキも酒好きだ。やはり、若い奴をお説教するときには欠かせないアイテムだ。酒の勢いっていう言い訳ができる。かなり厳しいことを言っても、「次の日は覚えてない」の一言で済んでしまう。しらふではこうはいかない。しらふで言ったことは、取り返しがつかないからだ。ホントに酒は便利なものだ。きついことを言われた方も、酒の席の話ではあまり傷つかない。でも注意しなければならないのは、以前ブログでの「無礼講」だ。こいつは要注意だと言っておこう。酒の席もなかなか難しいものだ。
 このように酒はまさに便利なアイテムで、人間が存在する以上、酒はついてまわる。酒飲めない人にはよくわからないかもしれないが、気にすることはない。今世は飲めないだけだからだ。前世あるいは来世で大酒飲み両親の元を選んで生まれてくればよい。きっと楽しい人生になること間違いないであろう。酒が飲めなければ、とりあえず今世ではストレスの緩和方法は別の方法を探すしかない。何がいいだろうか?まあ、アニキがアドバイスするならば、「女に走れ」と言っておこう。俗世は酒か女だ。これが人間の原始機能である。

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酒の秘密(2/3) ~負のスパイラルを断ち切る~ [哲学]

 酒は酔うために飲むもの。700万年前のホモサピエンスも酒を飲んでいたらしい。らしいというのは、そこには証拠は見つかってないからだが、人類誕生よりも、酒ははるか昔から存在していたと学者は言ってるのだから、当然飲んでいたということだろう。しかし、酒の起源などはどうでもよいのだ。人間は酒を飲むとストレスが緩和される。この事実こそが重要なのだ。このストレス緩和がどれだけカラダによいかということに、ホモサピエンスは気付いたのだ。そして、そこから人類は酒無しでは生きてゆけなくなった。
 「酒は百薬の長」という。この本当の意味を知ってるか?酒飲みが、病気の時でも飲みたいからという方便の話ではない。また、酒が何にでも効くといことでもない。酒は、万病の元であるストレスを緩和させるクスリである。。そういう意味なのだ。
 では、このストレス緩和がどれだけよいのか?一般論では、医者や学者がいろいろ研究して、アルコールが神経を緩和させるからよいのだと言う。そんなことは皆わかってる。それだけの話なら記事にしない。アニキ哲学で掘り下げると、重要な秘密があることがわかる。実は、プレッシャーや思い通りにいかないなどのストレスを受けると、人の心はマイナスになる。イライラしてくるのだ。そのイライラや欲求不満がカラダに蓄積されると、マイナスエネルギーが出てくる。このマイナスエネルギーのために人はいろんなことを考える。これが脳に蓄積されてゆく。脳は常にプラスの思考しか好まないから、マイナスの考えは迷惑な話であるのだ。すると、潜在意識にマイナスの考えがすり込まれる。マイナス感情だから、まさに本心である。本心は思っただけで簡単に潜在意識にすり込まれてしまう。潜在意識は願望実現のための黒板だから、ここにマイナス事項がすり込まれてしまうと、それが実現してしまう。どういうことかと言うと、悪いことばかり起きてしまうのだ。イライラしている時に、さらに悪いことが起きると、益々イライラする。最初は単純なツイテナイ程度の事が起こるのだが、それでイライラすると、またツイテナイことが起こる。「なんで俺だけに?」と腹を立てると、もう大変だ。次から次へと悪いことが重なる。しかも、最初は単純だったツイテナイことが、悪い事件を引き起こす可能性が大なのだ。これが負のスパイラルで、どこかでこの負のエネルギーを断ち切らないといけない。
 で、この負のスパイラルを断ち切ることができるのが「酒」だ。アルコールで酔うことにより、潜在意識への刷り込みを中止することができるのだ。潜在意識への刷り込みは、自分の意思ではどうにもならない。勝手にすり込まれてゆく。本当にすり込んでほしいことは他にあるにもかかわらず、すり込んでほしくないことばかりすり込んでゆく。このメカニズムを古の人類はなぜか知っていた。だから、酒を飲んで酔うのだ。酒を飲んで酔うと、潜在意識への刷り込みが中断されるだけでなく、酒飲んで酔ってる最中は、悪口言っても愚痴こぼしても潜在意識へすり込まれないのだ。ここが酒の最大の秘密である。だから、酒飲んで愚痴っていても運は悪くならない。しらふに戻った時、負のスパイラルは断ち切られているから、ストレスも緩和されて気分がいいのだ。まさに酒の効果はここにある。愚痴は人間の原紙機能で謎が多い。だから、愚痴については、サラリーマンの武器「愚痴」でまた語ろう。
 そうだ、人類がホモサピエンスの時代より酒を飲み続けてきたのは、まさにこの理由からだ。創造主は人間にストレスという毒を試練として与えると同時に、緩和剤の「酒」というワクチンも与えてきたのだ。創造主は常に同時に相反する二つのものを与えるという「二面性論」はここにも存在する。

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酒の秘密(1/3) ~なぜ人は酒を飲むのか?~ [哲学]

 アニキは酒が大好きだ。決して強くはないが、酒飲みながら後輩を説教したり、同僚にウンチクを語ったりするのが好きなのだ。酒に関しての意見は様々だが、実は酒にはものすごく重大な秘密が隠されている。今回は酒について、アニキ哲学の観点から酒の秘密を暴いてみたい。
 人はなぜ酒を飲むのであろうか?まずはここに最初の疑問がある。人はなにかあると常に酒を飲む。祝い事から悲しみ事まですべてだ。人が集まれば酒を飲む。サルも酒を飲むらしいが、天敵だらけの森の中で酔っ払うわけにはいかない。これは、「絶対天敵」が存在しない人類ならでは習慣だ。牛や馬が酒を飲んで管巻いていたという話は、聞いたことがない。そうだ、まずこの酒を飲むことは、地球上では人間だけが持っている習慣であることを認識しなければならない。ここが肝心だ。創造主はなぜ人間にだけ酒を飲む習慣を与えたのだろうか?人間が勝手に酒を発明又は発見し、飲みはじめたのであろうか?創造主は、人間に意図的に酒を与えた。と考えるならば、他の生き物にはない人間特有の力に対し、酒が何らかの目的を果たすと考えるのが妥当だ。
 では、人間特有の力とは何か?他の生き物にはない力だ。人間と他の生き物との違いを比較すればいい。まず大きな違いは、その存在意義だ。動物は「種の繁栄」が目的である。しかし、人間は違う。人間は「進歩」だ。種の繁栄のあるのかもしれないが、アニキはそうは思わない。この話は長くなるので、後日ブログ「人類の存在意義」で説明しよう。ここでは、他の生き物との存在目的の違いだけを挙げておく。そして、脳の構造も大きく違う。人間の脳をここまで大きくしておいて、考えて行動することをその行動理念としている。そして、考えて行動するがゆえに、社会を形成して、複雑な各種組織のなかで生活してゆかねばならない。だから、ストレスが溜まる。
 アニキは何が言いたいのかというと、人間だけにこのストレスが存在する。サルが食べ物を取ってくるのに、ノルマや予算なんかはない。並んでレジで待つ必要はないし、森の中にラッシュや交通渋滞もないのだ。しかし人間社会には多様なストレスが存在する。人間はこのストレスを何とかしなければ、心も体も病んでしまう。700万年前から人類は存在し、集団生活をしてきたくせに、未だに集団社会でのストレスをなくすことができてない。これは、創造主が意図的にストレスは進歩させないように人間を作っているからだ。なくすことはできないのだから、人間は「考える葦である」から、何とかストレス発散方法に知恵を絞ったのだ。これが、人類が酒を欲する理由である。酒がストレス発散目的だということは、誰でも確信できると思う。
 そう、このアルコールが入った飲み物である「酒」は、ストレス発散のため、脳を麻痺させることがその目的である。だから、「人はなぜ酒を飲むのか?」という答えは、「酔うために酒を飲む」のだ。「酔うために酒を飲む」というこの定義がまず大きな柱となる。ここをまず押さえておいてほしい。
 友達や家族に、「なんで酒を飲むの?」と訊かれたら、「酔うためだ!」が答えとして正解なのだ。

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サラリーマンの武器「指導される能力」(5/5) ~その真骨頂~ [哲学]

 ドラマや映画の主人公は「言うこと聞かない」キャラがかっこいいが、それは映画だからだ。真似してもいいが、ひとつ注意点がある。言うこと聞かないで勝手やっててもいいが、そのかわり「必ず、結果出せ!」だ。「言うこと聞かない」という性格の部分だけを真似して結果出せなければ、ただの「生意気な奴」で終わりだ。陰ではバカ者扱いだ。スポーツ選手でも、生意気でも人気がある選手は、「結果を出す」ことをきちんとやる。結果出す自信がないなら、悪いが「反抗的な態度」はやめておけ。さらに、サラリーマンの世界はスポーツとは違う。個人の成績は一人で出した結果ではなく、関わった人達のお陰でもある。常にチームで取り組むサラリーマンは、常に勝ち負けの繰り返しだ。仕事という常に変化し続ける対象物に、常勝するなど名経営者ですら難しい。そして、サラリーマンの頂点である社長には腰が低く、心穏やかで素直な人が多い。そうじゃない人もいるが、ここで少数派をアニキは相手にしない。
 だから、サラリーマンの世界では、「素直さ」で行く方が理にかなってる。例えば同じスポーツ選手でも、「生意気」よりも「素直」な選手の方が、見ていて気持ちいいだろう。実は、「素直さ」の正体は、「見ていて気持ちがいい」ということ。周りの空気がプラスに作用し、雰囲気が明るくなる。反抗キャラの周りの空気はなぜか重い。昨日も書いたが、生意気には嫌悪感オーラが出る。こんなんでいい成績が残せるわけがない。
 後にブログで話すが、「結果=実力+運」という法則がある。ここでの「運」とは、奇跡を起こす頻度を言う。実力以上を出さねば勝てない部分では、周りのパワーをもらう必要がある。周りのパワーをもらうには、自分がプラスエネルギーを出さないとパワーは引き寄せられないという法則がある。オリンピックなんか、実力で勝ってる奴はひとりもいない。頂点の世界では、実力は均衡している。ここで結果を勝ち取るには、周りからの一押しが要るのだ。周りからのエネルギーを吸収し、実力以上のものを出すことができる。一流選手は、周りからのエネルギーを感じることができる。だから、勝てた時「皆様の応援のお陰」と必ず答える。これは、ファンに対してこびを売ってるわけではない。本当にその「お陰」があるからなのだ。サッカーがアウェイで勝ちにくいというのはこの理由が大きいのは知ってるはずだ。目に見えない部分だが、祈りの効果同様に、「応援の効力」は必ずある。
 では、この応援のエネルギーはどのように引き寄せるのか?一流選手はみんな知っている。アニキがいつも提唱する「感謝」だ。感謝することにより、感謝トルネードが起こるからだ。この感謝トルネードこそ、「勝ちの鎧」だ。この鎧をまとい、敵に挑むのだ。丸腰の敵はたまったもんじゃない。ドラゴンボールの元気玉じゃないが、このようなエネルギーは実在する。
 話をまとめよう。まずは「教わる能力」は素直さのベースがないと成り立たない。「素直さ」は周りを味方につける能力である。人の話を素直に聞く人間は、なぜかアドバイスしたくなるものだ。まずはそういうベースを作っておけということだ。
 そうだ、性格は素直で、嘘つかず誠実で、陰の努力をいとわない向上心があり、目の前の物事に真剣に取り組む人。その人こそが教わる能力がある人だ。こんな部下や弟子を見ると、なぜか人は教えてたくなるものなのだ。そう、「師匠がなぜか自然に教えたくなる!」これが教わる能力最終形だ。「弟子を持たないと決めた師匠や誰にもノウハウを語らない名経営者が無意識のうちに教えている自分に気がつく」という究極の形だ。「なぜ俺はコイツに教えてしまっているのか?」と我に返る。それは決してまやかしでも催眠術でもない。
 これが、「教わる能力」すなわち「指導される能力」の真骨頂。まさにこれが教えたくなる人物なのであり、こいつを目指すのだ。

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サラリーマンの武器「指導される能力」(4/5) ~教えたくなる要素~ [哲学]

 では次に行こう。次に必要なことは、「真剣さ」だ。簡単な作業だからといってヘラヘラ笑っているようじゃ、教える気もなくなる。その理由は、真剣さは相手の心を動かすからだ。応援したくなるという気持ちを引き起こす作用がある。何でもそうだろう、例えば運動会などで、遅くても真剣に走ってる子どもなんかは、なんか応援したくなるよな。この気持ちを利用するのが「真剣さ」だ。注意されたら、相手の目を見て真剣に詫びるとか、任された仕事に対しては先読みするとかだ。以前のブログ記事「仕事と作業」で話したように、仕事の先読みは特に重要だ。任された仕事の目的を掴み、それに沿った形で結果を出す。こんなことは当たり前で、上司から仕事を命令されたら、言われたことだけで仕事に取りかかる奴はバカだ。仕事の指示を受けたら、まず指示主に対して質問攻めにする。自分が納得するまで訊き倒す。指示主の頭の中のは、出来映えの青写真がすでにある。その形に沿った結果である必要がある。そこには奇抜な独創性などは必要ない。任された仕事の細部にこだわることが大事である。昔から言われる、「細部には神が宿る」とはこのことだ。
 ここでアニキが言いたいことは、この「質問攻め」の姿勢だ。この姿勢に命令者は真剣さを見るのだ。但し、同じ命令が出た場合、同じように質問攻めにしたのでは、呆れられる。上司の口癖「この前、言っただろう」「何度同じことを言わせるのだ」が飛び出す。これが出た瞬間に評価はがた落ちで、「あいつは大丈夫か?」というダメ社員のレッテルを貼られしまう。このレッテルは強力だから、なかなかはがせない。ダメ社員レッテルをはがすには、上司が替わるまでチャンスはない。だから、絶対にこのレッテルは貼られないようにしなければならない。
 で、一番重要なポイントは、その性格である。教えたくなる人物になるために欠かせないことは、その「素直さ」だ。実は、サラリーマンの武器第一弾「素直さ」がここでどうしても必要となる。サラリーマンの武器の一番に「素直さ」を持って来た理由はここにある。すべての武器に必要な能力、それが「素直さ」だ。人間は変な性格の奴じゃ教えたくないもの。
 教えたくなる性格とは、素直であることなのだ。素直に「はい」と言える奴は皆好きなのだ。天の邪鬼な奴はいくら仕事ができようと、頭が良かろうと、誰も好意を抱かないものだ。この心理が重要で、クールで世間を斜に構える奴はドラマや映画ではかっこよく見えるのだが、教わる能力という観点からは歓迎しない。なぜなら、素直じゃない奴の身体からは嫌悪感というオーラが出ている。嫌悪感を感じる奴に何かを教えると思うか?思わないよな。
 だから、相手にこの嫌悪感を感じさせないこと、ここが最重要だ。そういう意味では「嘘つき」もだめだ。

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サラリーマンの武器「指導される能力」(3/5) ~教えたくなる人物を目指せ!~ [哲学]

  技能と能力は別物であると、アニキブログで話したことを覚えているか?「教わる」という「技術」なのだが、それは先人の技能を盗む力であり、即「能力」になる。だからアニキはこの言い方をする。
 じゃあ、その「教わる」「指導される」という能力は、どうすれば会得できるのであろうか?
 だんだんわかってきただろう。実は教わる能力というのは、「相手が教えたくなる自分を作る」ということだ。決して、「お願いします」と言って、へりくだって相手に頭を下げる能力ではない。では、どんな人間なら人は教えたくなるのだろうか?ここを研究することが大事だ。はっきり言って答えが一つではない。だから、アニキは共通部分だけを話す。なぜかというと、教わる相手は様々だ。昔から言われてるように、「我以外皆、我が師」である。大学教授からホームレスまで幅広い。教える人が気に入るキャラクターがそれぞれ異なるからだ。どうしたらその人に好かれるか、そこからの応用は自分で考えて行動してほしい。
 では、教えたくなる人とはどんな人であろうか。職人が教えたくなる奴とはどんな奴だ?昨日の話を思い出してくれ。まずは、向上心のある奴かどうかだ。これは、口でいくら言ってもダメで、行動で示さなければならない。いつも言ってるように、「人は言葉では動かない、行動で動く」だ。職人の世界では、影の努力で「人に教わる前に、自分でまず努力する人間かどうか」というところを見る。これは、厳しい修行について来れるかどうか見ているのだ。職人の教えとは厳しい。このハラスメント満載のこのご時世にあって、体育会系丸出しで短気な師匠の体罰や罵りに耐えられなければならない。サラリーマンではここまで極端なオヤジはいないが、気持ちは職人修行のそれに近い覚悟は持つべきだ。
 この向上心があるかないかを見ることは、教える側としてはとても重要な要素だ。これが光ってないと教えようとは思わない。「俺は向上心あります」と口で言っても、師匠や先輩が「あいつは確かにやる気がある」と思わなければ話にならない。常に日頃から、その姿勢を行動で見せる必要がある。口ではない、行動だ。では、どうすればいいのか?という部分は自分で考えてほしい。個々でアニキに頼るようでは、到底その上司や先輩からは「やる気ない」と見抜かれる手合いのはずだ。ヒントは、人の嫌がる業務や単純作業を嬉しそうに生き生きやるとか、間違えた事は陰で克服する努力を怠らず、同じ間違えは二度としないとかだな。そこに「呑み込みのよさ」が加われば言うことなしだ。学校や塾の先生が教えてたくなる生徒とは、向上心があって呑み込みの早い生徒だ。先生とは教えるマシーンだから、こういう生徒にはのめり込んでしまうのだ。
 教えたくなる自分になるためには、この辺も大いに参考になるはずだ。とにかく、「人が教えてたくなる自分とは?」と常に考えながら仕事に励むことだろう。

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サラリーマンの武器「指導される能力」(2/5) ~職人の世界~ [哲学]

  現代の義務教育の一つの弊害が、教わる能力の欠如であるが、社会人になってから身につければよいという考えが日本にはあるのだろう。ある程度のプレッシャーにも耐えられるほどに心身ともに強くなった頃でよいということなのだろう。それはそれでよいのだが、社会という「嵐の海」に武器も与えずに「会社という小舟」に乗せられるものだから、最低限のことしかできない。教えられる事のみを武器として闘う。強敵には立ち向かえない。それでもなんとか堪え忍んで、自ら教わる能力を身につけてプロと肩を並べる人もいる。短期間で駆け上がるには、やはり教わる能力、すなわち指導される能力は要る。
 日本の社会において、教わる能力を無理矢理引き出させようとする世界がある。それは、「職人の世界」だ。ここでは、だれも教えてくれない。技術を盗むのだ。この盗むという習慣を身につけるかどうかが上達のカギだ。大工さんや板前さんが現代でもその気質だ。だから、その世界に飛び込んでも、厳しすぎてついて行けない若者が多い。外側から見れば、とにかく理不尽なのだが、内側では当たり前ということだ。ある日突然親方から「これ、やってみろ」と言われる。そこでできないと、「お前、何やってんだ」と叱られる。「教わってません」とは言えないのだ。大工さんなら、家を建てた時に余った端材で研究する。板前さんだったら、客の残り物を食べて味付けを覚える。しかもすべて時間外だ。営業時間終了後、そうじや後片付けしたあとに残って研究するのだ。残業代なんか出ない。一切見返りなし、そう、陰の努力だ。定時で帰る奴にその先はない。そんな場面はドラマでもよくやってるよな。皆、見て知ってるよな、それは現実の世界だ。実は、親方からの「これ、やってみろ」とは、まさにチャンスを与えられているのであり、影の努力の度合いを測ろうという試験だ。ここで、親方の及第点をクリアすると、一段上に上がれる。これは何かというと、「教えてやるに価する」と評価されたわけだ。親方はまず、指導するに価する人間かどうかを計るのだ。昔の日本には義務教育なんてないから、仕事はすべてこんな様子だ。丁稚奉公なんていうのは、すべてこれだ。住み込みでこれをやられるから、根性なしはすぐに辞める。残った人間だけが仕事の技術を身につけてゆく。
 これは職人の世界だが、サラリーマンも同じだ。ここまであからさまに厳しくはないが、厳しくない反面、冷たい。教えるに価しない人間であれば、最後までだれも教えない。最低限のことは教えてはもらえるが、それだけでは仕事はできないし出世なんてしない。「俺は毎日夜遅くまで残業して頑張ってるのに、なんで評価されないんだ」と愚痴こぼす奴は、この「指導される能力」が欠如したまま毎日を過ごしているのだ。
 だからこれは、「教わる技能」ではなく、「教わる能力」なのである。

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サラリーマンの武器「指導される能力」(1/5) ~指導される能力欠如の原因~ [哲学]

 前振りが長くなってしまったので、本題に入る。第三の武器、「教わる能力」だ。「な~んだ、そんなことか」と思うなかれ。これがどれほど強力な武器になるのか、分かってない奴が山ほどいる。最近、このことを提唱している人が増えているが、アニキも間違いなくそう思う。教わる能力とは、「人が教えたくなる能力」である。これがどれほどの武器かわかるか!第三の武器にして、第一・第二の武器をも凌ぐと言おう。一見、受動的な待ちの能力に見えがちだが、これはれっきとした能動的な能力であり、これを手に入れた者は成功への道をたどる。
 まず一言いっておくが、「教えてください」の一言で済むような話ではない。今の世の中、最低限のことは教えてくれる。しかし、それは万人に共通の事柄であり、みんなと同じことを教えてもらって、それだけでいいわけがない。人が義務で教える事柄は表面的な事だけで、そこには何の価値もない。教えてもらった事に価値を付けるのは自分の仕事となる。しかし、教えてもらったことに価値を付けるには、膨大な経験と苦労が必要となる。しかも、価値を付ける前に定年なんて人はザラだ。価値を得る前に人生は終了してしまうのだ。だから、ほとんどの人は成功しないまま人生が終了することになる。
 そんなに重要なら、なんでもったい付けて教えないのか?と思うだろう。世の中、一歩踏み込んでまで教える義務はない。教える側も忙しいし手間もかかるから、余計なことまで教えたくないのだ。この一歩踏み込んだ「余計なこと」の教えこそ、経験と苦労から会得したエッセンスであり、とてつもない価値がある。実は、先人のこの苦労や余計なことをいただければ、彼らの長い年月の苦労と同じ道のりを歩まないで済むのだ。それを教えてもらいたいものだが、人はそんな苦労の賜物をおいそれと教えたいとは思わないもの。しかも、教える側にもかなりの労力が要る。それでも教えてもいいかもと思う奇特な人もたまにいるが、教わる側の態度の悪さや呑み込みの悪さにガッカリだ。日本人は「道」の精神により教え好きな民族だが、教わる側の態度が悪すぎるのだ。
 そう、師匠、上司や先輩からそれらを引き出させる力が、「教わる能力」である。だから、人生の成功を目指すなら、その業務のエッセンス又はノウハウを、なんとしても教えてもらわねばならない。
 教えてもらうことがそんなに重要なのか?と疑問視する声が聞こえるが、それは無理もない。今の日本では、そのことの重要性が麻痺してしまっている。それは、ほとんどの人は、教えてもらうのは「当たり前」と思っているところがあるからだ。そのために、教わる能力が極端に落ちている。これはなぜかというと、日本が義務教育だからだ。義務教育の良さは認めるが、実はよさだけではない。すべてのものには二面性があるという、アニキ哲学「二面性論」はここにも見ることができる。実は、義務教育の弊害のひとつがここにある。人は物心が付くとすぐに小学校へ強制的に入れられる。そこでは、否応なしに勉強を教わるのだ。毎日、5~6時間みっちりと教わる。これが12年続くわけだが、現代ではさらに高校生の3年が加わる。まさに強制的「教わり漬け」である。ここに、「教わる能力」欠如の問題がある。強制だから、教えてもらうのが当たり前という感覚になる。教師は教えるのが仕事であるから、一生懸命に教える。しかも、教育とは「教えて育つ」わけだから、子どもが理解するまで徹底的にやる。家では親が子どもに勉強を教える。子どもにしてみれば、自分から働きかけなくても先生が教えてくれるから、それをただ機械的に覚えていけばよいということになる。すると、「自分から教えてください」と頭を下げることはおろか、教えてくれない先生に、「どうしたら教えてくれるだろうか?」と知恵を絞って考えることもない。子どもの時からこの「教わる力」が全く付かない。
 別にそんな力は付かなくてもよいというかもしれないが、アニキはそうは思わない。社会に出たら前述のように必ず必要になってくる。にもかかわらず、そのことにすら気付かないようになってしまうのだ。
 これが、「教わる能力」欠如の原因である。

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サラリーマンの武器「指導される能力」 ~前振り~ [哲学]

 なかなか世の中の景気がよくならない状況であるが、なにも悲観することはない。いつの時代も、その中でも儲けているやつと儲けてないやつが存在する。その違いはなんなのであろうか。儲からない業界だからか?違う!業界とかは実は関係ない。儲かってる業界でも、その中にも勝ち組と負け組が存在する。そして儲かってる会社の中でも、勝ち組と負け組に分かれる。さらに言うと、勝ち組の会社の中でも、勝っている奴と負けてる奴がいるものだ。どんな業界、組織であっても、この原理は成り立つ。儲かっている業界は儲かってない業界より、儲かっている会社の数が少し多いだけである。ここに社会のまやかしがある。ちなみに、会社の勝ち負けの基準は、儲かっているかいないかだ。
 普通、儲かってる業界の儲かってる会社にいる奴は、自分は「勝ち組」だと喜んでいるが、実はそんな楽観的状況ではないと知るべきなのだ。会社は勝ち組でも、「おまえはどうなのだ」ということだ。つまり、勝ち組企業の中でも、さらにその中には勝ち組部署と負け組部署がある。さらに個人においては、会社の役に立ってるのか、お荷物なのかだ。自分はどっちであるかと、冷静に観察する必要がある。
 勝ち組企業の社員を分析してゆこう。まず勝ち組企業とは、学生の人気企業に当たる。勝ち組企業は、この就職難の時代において、優秀人材のさらにそのうわずみ人材を採用できる。人気企業とはそういう状況だ。寿司でいえば、トロ中のトロだ。そんな会社で働いているサラリーマン諸君は、会社側から見れば、いつでも取替え自由な状態だ。要は、「代わりがいくらでもいる」ということ。上司から、「使えない」とレッテルを貼られれば、即とりかえだ。勝ち組企業では、毎年、これでもかというぐらい優秀な若手が入社してくる。彼らが新人の頃は、よちよち歩きだから抜かれることはないが、2年ぐらい経つと、できる先輩とできない先輩を見抜く眼を持つ。勝ち組企業は、色とりどりの人材から将来優秀な人材を選びぬくことができる。儲かっている会社の社内は殺伐とした空気はないので、働いている社員側は気を抜いている雰囲気があるが、会社側は常に優秀人材のみを生かし、使えない社員は閑職へ追いやる準備に余念がない。そう、勝ち組企業は、その勝っている状況のうちに筋肉質にすべく、厳しい眼で社員一人一人を評価しているのだ。勝ち組企業だからといって、油断できないのだ。
 一方、儲かってない業界や勝ち組業界でも、業界内順位が下位である場合、負け組企業となるわけだが、こちらは勝ち組企業ほど生き馬の目を抜くような戦々恐々とした状況ではない。儲かってないのだから、あまり優秀な人材は採用できない台所事情があり、優秀な人材はほかへ行かないようにケアしている。優秀じゃない人も、他に人材がいないため取替えもきかず、そのままの環境に置かれる。しかし、会社の中は儲かってないので空気が殺伐としており、部長課長の顔色も悪い。「掃除なんかも自分たちでやれ」みたいな投げやりな雰囲気があり、事務所内も薄汚れた感じだ。
 商売の話にも通用するのかもしれないが、アニキはサラリーマンなので、サラリーマン視点での勝ち組に入るコツを伝授しよう。負け組業界にあって業界順位も下位の負け会社のお荷物部門にいる奴にこそ、この話をしたい。個人で勝ち組に入れる方法がある。毎日くさって会社行ってる場合じゃない。居酒屋で同僚と会社のあるべき論を語ってる場合じゃない。その前に自分を変えて、自分だけでも「勝ちに行け!」と言いたい。
 いままで2つの武器を紹介した。「素直さ」と「スピード」だ。そして、第三の武器だ。こいつはさらに強力だ。アニキは最強の武器だとも思う。それは「教わる能力」だ。まずは、こいつを何としても手に入れろと言いたい。
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人間の天敵(4/4) ~絶対天敵~ [哲学]

 天災についてひとつ言えることは、地球上の人間すべてに打撃を与えてないということに注目だ。それは必ず、地球上の1箇所で起こる。全地球が巻き込まれるような天災は、過去に一度も起きてない。何億年も前には、地球上に巨大な隕石が落ちてきて、当時の地球の生き物すべてを巻き込んだという調査結果があるが、その時人間はいなかった。地球上の全人類がすべて巻き込まれるような天災を、まだ一度もその経験をしていない。それは、どういう意味であろうか?ここに天災の目的がある。
 天災の目的とは、天災に巻き込まれなかった人に対しての提言であるのだ。天災の影響を受けなかった人達は、それについて考えることが必要なのだ。また、そこで考えて人間的成長ができるように、創造主は人間を作っているからだ。ここが一番のポイントだ。天災という災害が天敵にならないように、人間は自分達で考えて答えを出してゆく。過去から少なからずそれができているから、人間は天災によって絶滅していないのだ。地球上の生き物ですでに絶滅した種は多い。その中において、人間が絶滅種でなかったのは、その賢さ故であると理解している。
 地球上の他の生き物にはすべて、「これ」と名指しできる天敵が存在している。これをアニキは、「絶対天敵」と呼ぶ。例えば、カエルにとってのヘビだ。しかし現在、人間の天敵として「これだ!」というものはまだない。それはなぜなのかを考える必要がある。実は、創造主はわざと天敵を作ってない。「人間の天敵とは何か?」という命題から考えさせるという狙いだからだ。だから人間の場合、先に挙げたすべてを天敵と考えて、それが天敵にならないようにどうしたらよいかを考えて生きるのだ。ここが人間に与えられた課題なのだ。天敵の存在を自らが作り、それに対する心構えを学び、そして克服してゆくという「天敵道」なるものが導き出されなければならない。今がまさにその時であるのだ。奇っ怪な病気が蔓延し、異常気象が起き、戦争や紛争が各地で起きている現在、そろそろ人間は気がつかないといけない。創造主が出してくるカードに気付かなければならないのだ。
 そうしなければ、更なる恐ろしいことが起こる。それは、地球上の他の生き物のように、「絶対天敵」が現れることになる。人間にとっての絶対天敵とはまさに、SF映画の世界だ。エイリアンのような宇宙からやってくる人間の天敵である。これだけは嫌だよな。夜の道なんか、怖くて歩けないよな。ましてや、アニキはいつも夜中はベロベロに酔っ払ってるから、すぐに食い殺されてしまう。そんな世の中だけにはしたくないよな。

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人間の天敵(3/4) ~次なる天敵とは?~ [哲学]

 ストレスを何とか耐えしのいでいる人間達に対し、創造主はやはり次のトラップを用意している。それが「戦争」だ。一見戦争は、人間が自分達で起こしていると思ってるが、よく考えてみてほしい。戦争はすべて人間の強欲さが原因だ。欲がなければ、戦争なんて起こらない。ここに創造主は巧みな罠を仕掛けている。欲望という感情を人間に与えているのだ。アニキ哲学では何度も登場するが、「人間の原始機能」のひとつであり、欲望は味方にもなるし敵にもなる。要するに創造主は、欲望という感情を与え、その使い方を人間に任せているのだ。人間が滅びの道を進むのか、又は繁栄の道をたどるのかだ。欲望の使い方が間違った時、「戦争」を自ら引き起こしてしまう。戦争を仕掛ける側が悪いのだが、守る方も戦争に突入してしまう。最後には、悲惨な結果となって幕を閉じる。これが有史以来20世紀まで続いているし、現在もくすぶっている国は多い。スイッチ一つで何万人の命を奪ってしまう戦争は、まさに天敵と言っても過言ではない。戦争が天敵?なんで、自分達の意思で起こしているのに天敵なんだ?と思うかもしれないが、ここに人間の問題がある。ではこの場合の天敵の正体とは何であろうか?
 戦争が天敵とするなら、それは心の暴走が原因だ。自分達を守るためという大義名分は、戦争相手のことや戦争にかり出される人達のことなど全く考えてはいない。つまり、悪魔に心を奪われた状態で、何者かに心を乗っ取られているということだ。創造主は、心の暴走スイッチを人間に備え付けている。それは簡単にはスイッチは入らないが、一旦入ってしまうと元には戻らないという仕掛けだ。こんな心の闇のトラップを創造主が人間にくっつけている。心のスイッチを押すのは自分であるのに、人間という生き物は実に愚かであり、押してしまう。しかし、21世紀となった現在では、戦争がどれほどバカらしいことかと唱える賢い人間も出てきており、なかなか戦争は起こりにくい世の中ではある。となると、天敵は戦争ではなく、もっと他にいるのではないかということになる。人間の心が賢くなれさえすれば、戦争は天敵ではなくなるといううれしい面もある。
 では、次なる天敵とはどんなものなのであろうか?病原菌は克服する。戦争は人が賢くなることで防げる。すると次は、どうしても防ぎようがない決定的なものだ。それも、準備できず突然数万人が死んでしまうものだ。こう考えると「天災」が天敵として浮上する。天災はいろいろあるが、大規模に壊滅的な打撃を与えるとしたら、地震だろう。それに異論はないかと思う。天災はまさに人間にとっての究極の天敵である。
 天災は、「地球のプレートがどうのこうの…」と、いろいろ原因を調べているが、そんなことはどうでもよい。要は、なんで地球をそういう状態にしてあるのか?又は、なぜ、そういう状態の星である地球に人間を送り込んできたのか?が重要なのだ。つまり、天災は創造主が勝手に起こす。これだけだ。しかも、時間・場所・規模などすべて創造主の思い通りであろう。では、その目的はなんであろうか?創造主の気まぐれか?そんなことは決してない。創造主のやることにムダはない。

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人間の天敵(2/4) ~ストレス~ [哲学]

 まずはバクテリアのような微生物を考えよう。たとえば病原菌やウィルスなどだ。病気のウイルスなんかは、人間を苦しめる。過去には何万人もの死者を出したスペイン風邪や天然痘だ。エイズなんかもそうだし、最近ではエボラ出血熱なんかもある。なんで、こんなもんが流行するのかは不明だ。生物兵器などとの噂も絶えない。これらの病気が流行るのは偶然ではなく、必然だ。実は天災なんかも偶然ではなく、必然である。誰かの意図でそうなっているのだ。誰の仕業かは、話が逸れてしまうので今日は問題にしない。
 今の話は不治の病だ。よくわからない名前の病気も最近多い。なんか、「これでもか!」って感じで次から次へと難病が出てくる。そうだ、これが人間の天敵と考えてもおかしくない。但し、人間は未知の病気が出ると、科学や医学の力を結集してあっという間に克服してしまう。最初発見された段階では手の施しようがない病原菌も、すぐに対処法を発見してしまう。だから人間の創造主は、次から次へと厄介な病気を出現させてくるのだ。エイズだって、一時期は人類滅亡を匂わせる報道もあったが、現在では死ぬことはない病気となっている。まるでイタチごっこだ。こうなると、微生物やウイルスは人間の天敵ではないかもしれないといえる。なぜなら、恐怖がなくなるからだ。「天敵とは恐怖の対象」であるはずだから、恐怖の対象でなければ天敵とは言わない。じゃあ、天敵は誰なんだ?そう、だから次に考えられるのが「ストレス」だ。
 ストレスが天敵であるなら、納得がいく。この天敵は大きくもなり小さくもなる、自由自在だ。で、確かにストレスは厄介だ。人間が生きる上で必ず発生する。その扱いには、これといった処方箋はない。人類が誕生して以来ストレスはあった。そして、ストレスの犠牲になり、命を落としてきた。そんなストレスの完全克服方法は、何万年も経った今でも特効薬はない。この敵の特徴は、すべての人類のひとりひとりの心の中にいるということだ。そして、人によりストレスの内容は異なる。内容が違っても、ストレスはその人にとっては重大な問題であるため、病原菌ではないが、心の病を引き起こす元である。そして、対処法もひとりひとり違うのだ。ストレスは普段はそんなに害はない。しかし、その人の考え方次第でストレスが自分のカラダを攻撃してくるのだ。つまり人は、ストレスという爆弾を抱えてることになる。その爆弾は、社会が複雑になるに従い一触即発の起爆装置を備えるようになる。また、大きくなったり小さくなったりと、その人次第である。例えば、野望や願望が大きければ大きいほど、爆弾も大きくなって、人間を苦しめる。まさに、目に見えない分、ウィルス以上にやっかいな存在だ。
 どう厄介かというと、ストレス自体は直接攻撃してこない。ストレスが免疫力を下げて病気を誘発させる。ありとあらゆる病気を引き起こす可能性がある。ストレスが人間の治癒力を低下させる。身体への物理攻撃型の病気もあれば、心の病気もある。人間の数だけ、その攻撃方も存在するのだ。では、対抗する手段はないのだろうか。
 ここにいつものアニキ哲学「物事すべては二面性を持つ」だ。この世に対抗できない問題はない。対抗する手段は何かしらあるが、それが天敵であるなら対抗する手段は少ないといえる。先にも書いたが、「天敵とはその種の増殖抑制が目的で存在する」のだから。もし、人間がストレスを克服するとしたら、次に創造主はどんな天敵を送り込んでくるのだろうか。

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人間の天敵(1/4) ~天敵概論~ [哲学]

 以前のブログ記事「アニキの進化論」の中で書いた「人間の天敵」の反響が大きかった。アニキ進化論のなかでは、現代の人間の天敵は簡単に微生物だと言った。しかし実は、人間の天敵は微生物だけではないのである。あのブログ記事の主題は進化論であったため、微生物を例に上げてサラッと流しただけだ。人間の天敵論は奥が深い。よって今回、あらためて「人間の天敵」そのものを主題として、記事を書くことにした。では、はじめよう。
 そもそも地球上の生物の中で唯一、天敵が存在しないのが人類だ。この「存在しない」という意味は少しニュアンスが異なる。直接的に人間を攻撃する「種」という意味だ。つまりは、人間を攻撃する「動物」だな。これは地球上には存在しない。少なくとも現代までは、という話だ。宇宙には存在するのかもしれないが、現れていない以上、少なくとも今は存在しないといことだ。だから、万物の霊長などとのたまっている。しかし、そんな悠長なことを言ってていいのだろうか?人類にとっての天敵は、本当に存在しないのだろうか。
 アニキ哲学「二面性論」において、天敵がいない生き物なんて存在しない。どこかに必ず存在するのだ。実は、人間は万物の霊長であるから、天敵も直接的にはいない。昔、宇宙戦争という映画があったのを知ってるだろうか。宇宙人が地球侵略してくる話だ。強大な力を持つ宇宙人に対し、なす術のない地球人は、とうとうあきらめていた。しかし、宇宙人はいきなり死んでしまった。地球のバクテリアにやられたのだ。人間はバクテリアなんか、なんでもない。そこら中にウジャウジャいるのだから、気にもしていない。手にもたくさん着いているし、洗っても落ちないバクテリアも多い。食べ物といっしょに飲み込んでも、人間は平気だ。しかし、この映画の宇宙人は、そんな微生物に簡単に殺されてしまったのだ。
 で、アニキは何がいいたいのか。まず、アニキ哲学「二面性論」の観点からから、「人間には天敵はいる」のだ。ただ、それは生物とは限らない。天敵について考えてほしい。「天敵とは、その種の増殖抑制が目的で存在する」という定義がある。ここから考えると、人間を死に至らしめる存在だ。人が大量に死ぬ原因であるといえる。この観点から考えると動物だけではなく、様々な生物が対象となる。さらに、生物という枠を超えて考えることも可能だ。天災や戦争だ。「大勢の命を奪う」という点からすれば、これらも天敵となりうる。

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「神様はお見通しだ」の正体 [哲学]

 以前のアニキブログ脳の謎(2)の中で、「神様はお見通しだ」という話をした。これについて説明不足があるので、もう少し詳しく話をしてみたい。
 子どもの頃、よく親に言われたことがあるだろう。何か悪いことをしたとき、「神様が見てるよ」「嘘ついたらバチが当たる」と。そう、あの言葉だ。実はこの言葉は、親が子どもをしつけるために、適当に考えた言葉でない。古い昔より言われ続けてきた言葉だ。子どもはそのことを親から言われるが、親はおじいさんおばあさんよから言われてきたのだ。そして、爺さん婆さんはその親より言われた。このしつけ言葉は神様信仰時代までさかのぼるのだ。
 この際、神様の概念は横に置いておいてくれ。アニキが言いたいことは、そこじゃない。いつも言ってるが、宗教としての神様はアニキにとってどうでもよい。アニキの興味は「神様が見ている」「バチが当たる」という言葉だ。神様はどこで見てて、バチを当てにくるのか、真剣に考えたことはないだろう。ここを、アニキは子どもの頃から考えていた。
 子どもの頃のアニキは、「神様ってひとりのはずだから、一度に全員のことを見れるはずがない」と考えていた。というのは、そんなことができるなら、目が人の数だけないと不可能だと。ならば、神様の指示を受けた何者かが、いつも物陰から自分を見てるんじゃないかと思っていた。子どもの頃だから、それは「霊」だと思っていた。だれでも霊がついていて、それが神様に伝えてるのだと。しかし、そうなると、霊っていうのは自分の外側から見てるはずだから、頭の中で考えたことまでわかるはずはない。実際の悪い行動は見ることはできても、悪い考えまでは見えるはずがない。しかし、神様はそれもお見通しなのだ。ここがずっとわからずに大人になってしまった。
 しかし、やっとその謎が解けた。それは、自分を監視しているのが「脳」であるなら可能だ。そう、監視役は内側にいたのだ。常に監視役は外部にいるのとの先入観から、考えもしなかった。お見通しの正体が「自分の脳」であるなら、話は簡単だ。心の中を覗くことも容易なわけだ。なぜなら、心で思ったことを脳が考えるからだ。それが良い事であろうが悪いことであろうが、神様へ報告されてしまうということだ。創造主はムダなものは何ひとつ作ってないのだ。その監視システムも完璧だ。だから、どこにも逃げることができないのである。「脳の謎」でも何度も言ってるが、「自分の脳は自分のものであって、自分のものじゃない」のだ。だから、脳との関係を人生の最初によくしなければならない。社会人になったのなら、関係をよくするのは上司じゃない。取引先でもない、家族でもない。まずは、自分の脳との関係をよくすることから始まる。皆、これができてないから、スタート時点からすでに不幸が続く。そのことが全くわかってない。
 アニキは何が言いたいかというと、心がすさんでると自分の脳はいうことをきかない。だから、人生がよくならないのだ。当然、顔つきも嫌な顔になる。意地悪そうな顔だよな。顔は心を写す鏡だから、人相が悪くなるようにできている。脳からも悪いホルモンが出るから、カラダも不調になる。いいことなしだ。これは、創造主は人が間違った行動を取ると、「それは違う」というサインを出しているのだ。大概の人は全くそれを理解しようとしない。だから、顔はひどくカラダはボロボロになるのだ。「早く気付けよ」ということなのだ。
 これが、「神様はお見通しだ」「バチが当たる」の正体である。

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人生とは「仕事」だ!(6/6) ~正しい苦労~ [哲学]

 ところが、前述の感謝トルネードが発生すると、その原理は逆転する。信用が自分にくっついてくるようになった時に起こる現象だ。ここに仕事の境地がある。自分の思い通りにまわりが動くようになるから、仕事が楽しくてしょうがない。すると顔が急に優しい顔になり、若返る。脳からそういうホルモンも出るらしい。ここに、自分の「仕事道」が完成する。一種の仕事上での悟りだ。こうなると手が付けられない。第六感が動き出すから、失敗はしない。たとえ失敗しても、周りが助けてくれるから、失敗とは無縁となる。結果は常にセーフだ。
 だが一方で、仕事が人生で修行なら、思いっきり苦労している人もいる。苦労の末出世したものの、カラダはボロボロ、顔は皺だらけ、髪も抜け落ち、まさに苦労人丸出しだ。鬼瓦みたいに苦虫をかみつぶしたような顔をしている上司は、間違いなく努力と苦労でのし上がったといえる。そんな上司は部下に同じような苦労をさせようとするが、これは間違えだ。実は、これはこれで立派なのだが、カラダに変調をきたすまでの努力は、それは努力の方向が違っていると言えるのだ。創造主から、努力の方向が間違ってるよというサインにも目もくれず頑張るから、カラダがボロボロになるのだ。自分の今世の乗り物(自分のカラダ)をもっと大事にしなければならない。すぐに乗り物を壊す奴が多すぎるのだ。自分の乗り物壊したら、今世はそれで終わりなんだぞ!と。
 だからアニキが言いたいことは、努力の方向が違っている場合、カラダに何らかの不調が起こったり、悪いことが起きたりする。その時、少し立ち止まって考えてほしいのだ。「待てよ、この状況は何か間違ってるのか?」と。ここが現代人の一番足りないところであって、立ち止まらないでそのまま突き進むから人生がおかしくなったり、カラダを壊して退場ということになってしまうのだ。そして、一番大事なことは、不調や不幸の原因は周りのせいではないということだ。関係する相手のせいではないということ。すべて自分に原因があると考えることで、立ち止まり考えることができる。人のせいにしていると、必ずカラダに変調が起こる。
 そう、何度も言うが、「問題はすべて自分のせいだと考える」ことが、仕事を面白くする秘訣であり、人生を楽しむための考え方である。仕事でラク(楽)したり、間違った苦労したりせず、正しい苦労をしながら、感謝トルネードを 起こし信頼を勝ち取ってほしい。これが「人生を楽しむ」の極意だ。
 するといつか、見返りブーメラン現象が起こり、そいつを捕まえれば飛躍的に人生が常勝(上昇)することだろう。

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人生とは「仕事」だ!(5/6) ~人生を楽しめ~ [哲学]

 昨日は「人生なぜなぜ」で脱線してしまったので、話を元に戻そう。
 今日はまとめていきたい。仕事が人生であり、今の仕事は自分で決めてきた。そして、くだらない上司や業務内容も自分で決めてきたということだ。愚痴りたくなるのは、それを克服するのが人生の目的としているからで、避けて通ってはいけない。だから、周りは悪くない。自分のために周りがわざと悪役を演じてくれてるだけである。相手の成長する修行のために、「わざわざ」演じることを約束して生まれてきたから、そうしてるだけなのだ。
 ここまで言えばわかるだろう。この修行の相手とは、仕事上でのライバルである同僚や上司、後輩ではない。自分の心だ。己の心が修行相手だ。ここがわかってないから、周りを批判し愚痴ってしまい、うまくいかないのだ。周りの問題ではなく、自分自身の修行だと、自分に言い聞かせて、これからどう対処しようかを考えればよいのだ。
 じゃあ、どうすればよいのか?ここからが本題だ。原点に戻ろう。人生は楽しい方がいい。というか、楽しまなければならない。この点には異論はないはず。なら、「人生は仕事」だ。仕事を楽しまなければならない。楽しくなくては何事も長続きしない。会社を辞める若者のほとんどはこれだ。辛くて楽しくないからやめるのだ。楽しければ誰も辞めない。辞める理由はいろいろあるだろうが、すべてこれだ。気付いていようがいまいが、辞める理由はこれだ。
 では、仕事を楽しむとはどういうことだろうか。楽な仕事がいいのだろうか?ヒマな仕事がいいのだろうか?それとも簡単な仕事か?ストレスの少ない仕事?実はどれも考えが間違ってる。よく考えてほしい。上記のような仕事は、仕事を楽にして仕事以外の事に楽しみを見いだそうとする話だ。趣味は趣味でよい。仕事のストレスを忘れさせてくれる。これも人生では重要だが、あくまでメインディッシュを引き立てる付け合わせだ。ここをはき違えてはいけない。付け合わせがあって初めて料理は引き立つ。人生も同じだ。だが、趣味はあくまでメインではない。
 話がまた逸れてしまった。要は、仕事を楽しむとは、仕事の能力を上げることにつきるということだ。仕事を突き詰めてゆくと見えてくる境地がある。つまり、前回までの話の中にある「周りへの配慮」と「見返りのない感謝」だ。自分の業務能力を高めながらこれをやる。感謝トルネードで一気に出世するし、取引先からは信頼を得られる。この時の信頼は、個人にくっついてくる信頼であり、会社についてくるものではない。
 また話が逸れるが、ここは重要だから少し説明しておこう。一般的な信頼は会社についてくるもので、個人についてくるものではない。若い連中は、自分が信頼されてると勘違いしてしまうのがこれだ。ここが理解できてないと、会社の力と自分の力量をはき違える。お客さんに信頼されているのは、個人ではない。「〇〇会社の××くん」を信頼しているのであって、この「〇〇会社」が抜けると、だれも相手にしない。若者だけの話ではない。定年退職したあと、以前の部下を同じように扱うだが、だんだん離れていってしうまうのはこの原理だ。だから、あくまで会社あっての自分だという謙虚な姿勢が必要だ。

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人生とは「仕事」だ!(4/6) ~人生なぜなぜ~ [哲学]

 愚痴をこぼすと不幸を招くということがわかったか。だから、まず愚痴をこぼさないようにする。前述の通り、愚痴をこぼすようなことを生まれる前に自分で設定してきたくせに、愚痴をこぼすなんて。何やってんだ?と人間の創造主はあきれて見ている。また、人の愚痴を聞いてもよいが、注意点がある。その他人の愚痴に触発されないようにすることだ。他人の愚痴で興奮してはいけない。どこか冷めた目で冷静に感情を保てばよい。軽く相づちを打ち、「そうだね、その通りだね」とあしらっておけばよい。まあ、愚痴は人間の原始機能のひとつだから、愚痴を味方にするのが正しい対処法だが、それは話が長くなるから、別の機会だ。
 なんか冷たいようだが、種明かしをするとこういうことだ。今の仕事の愚痴は、前世では逆のことをやっていた証拠だ。前述の例でみると、「人使いが荒い」という愚痴は、前世では自分が人を手荒に使っていたということだ。その逆を今世で学んでいるのだ。これもアニキ哲学「二面性論」のひとつだが、これは前世と今世での二面性となる。だから、やる側とやられる側のどちらかしか経験していないってことはない。必ず両側の立場を経験することになる。これを前世と今世のセットで学ぶ。人間は何回も生まれ変わるのだから、いつでもバランスは取れる。もしかしたら、来世でバランスを取るのかもしれない。それは、死んでみればわかる。
 実はこれ、「人生の謎」のひとつなのだが、仕事だけではなく、生活すべてにおいて両側の立場を経験することになっている。今世で「嫌な奴」は、前世では「おまえが嫌な奴」だったんだ。これが繰り返されるしくみになっている。ウソだと思うなら信じなくてもいいが、この考えが今は主流だ。
 なら、あきらめて今の目の前の仕事をするしかない。愚痴るぐらい厳しい修行だってことだ。ここでよく考えてほしいのは、「なぜ、今の仕事をすることになったのだろうか?」だ。元々、この仕事をしようと思っていたのだろうか?多分、大方の人達は「違う」というだろう。なんかの因果で今の仕事をしているのが普通だ。仕事を選ぶ時、思い通りの仕事に就けた人ってあまり聞いたことがない。子どもの頃から憧れた仕事に就いたラッキーな人でも、いきなり方向転換して辞めるはめになったりする。この因果の話は、いずれアニキブログ「因果の棚卸し」で説明するが、簡単に話そう。またこれも後々話す「人生なぜなぜ分析」という手法を使う。今の仕事に就いたいきさつを、「なぜなぜ」と追い込んで行くんだ。
 例えば、まずスタートは、「なぜ今の仕事に就いたのか?」からだ。そうして過去のその当時を思い出す。すると、「ある人の影響で」ということになる。では、「なぜその人と出会ったのか?」ということになる。すると、「大学のあのサークルに入ったからだ」となる。でまた、「じゃ、なぜあのサークルに入ったのだろうか?」と考える。「たまたま仲の良い友人がそのサークルに興味を持っていて、一緒に誘われたからだ」といくことがわかる。こんな具合に子どもの頃までさかのぼると、みえてくるものがある。それは、「なんだ、最初からそういう風にできていたんだ」と。これが、「人生なぜなぜ」だ。品質クレームの分析に使う手法だが、アニキは人生に使う。やってみると面白い。自分の奥さんを嘆く人には最適で、「自分が決めていたのか」という結論に達する。逃げられないとわかったら、受け入れるしかないのだ。
 「人生なぜなぜ」のすごいところは、過去の分岐点における自分の決断が、今に至るのだということが思い知らされることだ。それが目から鱗なのである。

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人生とは「仕事」だ!(3/6) ~大事なのは配慮~ [哲学]

 出世の話に戻ろう。アニキは出世に関して、実務の話はしない。世の中には無数の仕事があり、そのそれぞれにおいて業務内容は異なる。実務をどうこなすかなんてことは、いちいち説明してもしかたない。仕事して給料もらうのだから、そんなことはビジネスのノウハウ本でも読んで自分で磨いてくれ。アニキが話すことは、いくら業務ができてもそれだけじゃダメだって話だ。「いくら業務ができても仕事ができる」とは言えない。皆、小手先の業務ばかりに目が行くが、出世している人で業務に秀でている人がどのくらいいる?実は出世している人は、業務ができるだけではない。業務なんて別に秀でてなくてもいい。そこそこできればいいだけだ。それよりも大事なのは、業務を中心としてその周りの付帯作業までできる人、これが仕事ができる人だ。で、そういう人が出世してゆくのである。若い連中は業務の技能ばかりを上げようと考えるが、もっと重要な事を忘れている。
 では、業務周辺の付帯作業とは何か?これは全方向の関係者への配慮だ。ま、気配りと言ってもよい。これにつきる。他にも様々な付帯作業はあるが、まずは配慮だ。ただそれをひたすら突き詰めればよい。特に、社内においては部下と後輩、そして女性社員だ。社外においては、仕入れ先や外注業者だ。彼らにただひたすら配慮するだけだ。彼らに共通することは、自分の立場から見ての弱者だ。そう、弱者に対しどれだけ配慮できるかだ。自分より立場が上の者に対しての配慮は業務だから、言わずもがなだ。そして、ここでの配慮とは、どのレベルまで必要かと言えば、「感謝されるまで」だ。アニキ哲学の柱のひとつである「感謝」だ。人生において「感謝」は常につきまとう概念だ。人との関わりの中において、この感謝が関係のバロメーターとなる。さらに、「見返りなし」だ。この場合の見返りとは、相手からの「感謝の意もなし」だ。「せっかく親切にしてるのにお礼も感謝の意もないのか!」と嘆いてはダメだ。元から、「見返りなし」を信条として行動することを心がければ腹も立たない。これを心がければ、自然と出世してしまう。アニキ哲学の「感謝トルネード」だな。感謝トルネードが知りたいなら、アニキブログ「脳の謎」を読んでくれ。
 話を戻すぞ。そして、人生の目的はこの世での修行である。ということは、仕事は辛くて当たり前ということだ。だから、仕事はいやいややっているとつらいもの。そして、そういう時に限って必ず悪いことが起きるもの。この理由は明かだ。嫌々やるということは、マイナスエネルギーがそこから出ている。マイナスエネルギーは悪いことを引き寄せてしまう。引き寄せの法則だ。マイナスの引き寄せは強力だから、すぐに悪いことが起きてしまう。悪いことが起こるとさらに嫌な気分になるから、もっと悪いことを引き寄せる。これが「負のスパイラル」だ。な、世の中うまくできてるだろう。仕事はまさに修行にうってつけの環境なのだ。
 悪いことが連鎖して起こると人は、「なんで俺だけ?」という言葉が出る。そうなのだ、ここに修行の秘密がある。考え方をプラスに変えるまで、しつこいくらいに悪いことを引き起こさせるという原理が人間に備わっている。「これでもかって」いうくらいに不幸のダメだしがある。人生経験の長い人はそんな場面を何度も見てきたはずだ。「あんないい人なのに、なんで不幸が続くのだろうか」と。
 それは、言わばすべてその人の心が引き寄せていることで、外面がよくても心の中では別も事を考えているという証拠なのだ。人間の創造主は、不幸を起こして、「そのやり方じゃないぞ」「やり方変えろよ」と本人に気付かせようとしているのだ。しかし、またそのまま継続するから、不幸が連鎖的に起こるのだ。

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