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「オーナー社長」という生き物の生態(3/11) ~お坊ちゃん~  [哲学]

 次のタイプは二代目のお坊ちゃんだ。社会人になっていきなり親の会社に入る人はいない。大概、どこかの大企業で修行する。親の会社では「お坊ちゃん、お坊ちゃん」と周りが気を遣うから、本人が社長を引き継いだ時には、裸の王様やバカ殿になってしまう。そこで、初めは別社会で下積みを経験しに行くわけだ。社会人としてのイロハもそうだが、酒の席のマナーや礼儀なども勉強してこいということになる。しかし、お預かりの大企業としては、大事な取引先の御曹司だ。何かあったら大変だ。そして、5年ほどでお帰りになるということだから、大事に扱う。そうなると、大した仕事はさせないのが本音だろう。やっぱり周りも気を遣うしな、当たり前と言えば当たり前だ。配属先の上司も、お預かりのお坊ちゃんの教育係には気を配る。間違っても、体育会系の指導員は付けない。それに、厳しい教育を禁止させたり、怒っちゃいけないとか、とにかく小うるさいのだ。「先輩の酒が呑めないのか!」的なノリは特に御法度だ。お預かりの箱入りお坊ちゃまが社長の関係者だったりしたらもっと大変だ。へたなことをして、お預かり先の会社の耳に入りでもすれば、自分の人事考課にも響く。だから、通り一遍のことしかやらせない。上司はハラハラドキドキだ。
 特に、企業理念や会社文化たるものを骨身に染みつかせるという指導はしない。なぜなら、それはやってもムダだからだ。しばらくするといなくなる奴に、真剣にスパルタで教える上司や先輩はいない。徹底的に教えたり鍛えたりする仕事は、本当に骨が折れる作業なのだ。生半可な根性では教える方も学ぶ方も立ちゆかない。人一人を一人前に育て上げる難しさは並大抵のものではない。お預かりのハナタレ小僧はそのままお帰りいただくのが世の常だ。だから、本気で教えることはしない。結局のところ、本当の下積みを経験しないままお帰りいただくとなる。で、親の会社に帰りしばらくすると、いきなり常務とか専務となってしまう。「会社は人」という理念がわからないまま戻ったハナタレ小僧は、従業員の価値なんかわからない。だから、やはりバカ殿になる確立は高い。そういう人ばかりじゃないが、まあ、そういう人が「多い」という話だ。人の価値の重要性は、やっぱり自分で経験してものにしてゆくしかないのだ。
 従業員がいかに大事かという概念は、人に教えてもらうんじゃなく、自分が壁にぶつかって初めてわかることになる。従業員が財産だということに気づかないバカ社長じゃ、その会社の将来の発展などありえない。そんな初歩的なことは、歴史上の名経営者は皆気づいていることだ。気づかなきゃ会社を潰すか小さくしてしまう。だから、二代目はそういう機知に富んだ頭の良さが必要だということになる。

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「オーナー社長」という生き物の生態(2/11) ~はみ出し者~ [哲学]

 オーナー社長と雇われ社長との違いを話そう。だれでも知っていると思うが、アニキ哲学における違いもあるから聞いてくれ。雇われ社長とは、いわゆるサラリーマン社長のことだ。オーナーから社長を任命されて、会社を指揮することが使命だ。王様と首相のようなもんだ。国は王様のものだが、王様には政治がよくわからないから、有能な政治家に任せる。それの会社版だ。大手企業のほとんどはこのタイプで、サラリーマン社長として会社から給料をもらっている。
 そして、オーナー社長はオーナーだ。会社の持ち主で、自分で金払ったり、銀行から借りたりして会社を興した者だ。そのほとんどがはみ出し者だ。はみ出し者が会社の頂点に立っているのだから、当然人間も出来てない。だから、大概威張った奴が多い。それがオーナーだ。オーナーというだけでスゴそうだと、呑まれてはいけない。
 まずオーナーにはいろんなパターンがあるのだが、サラリーマンができないから独立した者がほとんどだ。会社を飛び出すようなこのタイプは、仕事はできるのだが、バカな上司にはついて行けないというタイプだ。頭の回転が速く、機転も利く。型破りな発想とバイタリティが旺盛で、上司の能力を上回る。まるで暴れ馬のようだから、生半可な上司では手綱さばきに苦戦させられる。ここで上司を立てられるような人は、そのままサラリーマンで出世してゆく。立てられない人は、能力のない上司をバカにし、そんなバカ上司を飼っている会社をバカにする。挙げ句の果てに、そこで働く自分をバカにするようになり、最終的には会社を飛び出すという形だ。頭が切れるだけに、相手の能力がわかってしまう。だから、上司や会社にアイデアを潰されるより、自分でやった方がましだという考えになる。商売に対する信念もあり、筋も通っているのだが、元々、クラッシャー上司タイプのため、独立してオーナーになっても人使いが荒く、なかなか従業員が定着しない。独善的で自分がすべて正しいと思っていることと、自分が一番優秀だと思っている。だから、自分で会社を興したあとも、何でも自分一人で決める。基本的に人の意見を聞かない性格で、人に意見されるとカチンとくるからだ。自分を神だとでも言いたげな雰囲気を醸しだし、すり寄って崇めてくれる部下が大好きなのだ。
 しかも、独立事業がうまく軌道に乗ってお金が自由になってくると、成金的な遊び方をするようになる。本当に金持ちはそんなことをしないのだが、派手な衣服を身に纏い、高級車を乗り回し、高級志向を目指す。その姿は、成金そのものだ。で、必ず女を囲うのだ。わからないでもないが、例外なく成金は女を囲うよな。
 お金を持ったらやってみたいと思っていたのだろうが、それで自滅する人も多い。ホント、男はダメな生き物だと思う。


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「オーナー社長」という生き物の生態(1/11) ~オーナーとは?~ [哲学]

 「オーナー社長」、この言葉は日常よく耳にするはずだ。聞こえはものすごくいい。成功者という匂いがプンプンする。社長はやり手で金持ちだという雰囲気も伝わる。年齢が若ければなおかっこいい。頭も切れるというイメージのオマケ付きだ。だれもが憧れる存在だ。な、マスコミにはかっこうの餌食だ。創業者である本人もまんざらじゃない。いっぱしの成功した経営者だ。成金だろうが何だろうがそんなことはこの時代には関係ない。成功者として名を売ることができる。しかし、それはあくまでも表向きの話である。世の中すべて、表舞台と舞台裏が存在する。オーナー社長がかっこよく見えるのはあくまで表舞台から見た場合の話であり、裏舞台では悲惨なケースが多い。従業員がいる側が舞台裏で、お客や外部が表舞台だ。それは、オーナー社長も創業段階ではただの未熟者であり、この時はまだ人間という生き物の領域にかろうじて残っている。それが、時が経つにつれ、人間から別の生き物へと変貌を遂げることになる。姿形は変わらないのだが、中身は完全に変わってしまう。自分がサラリーマンだったときのことを忘れ、傍若無人に振る舞う様を、アニキ哲学では満身創痍にあやかって、「慢心相異」と呼ぶ。
 このオーナー社長とは、ルールでガチガチに縛られたサラリーマン社会において、唯一何でも許される存在だ。自分に会社においては、万能の神であるが、こいつは人間であって人間じゃない。人と同じ形をしているが、別の生き物である。頭の中身の構造が全く違うのだ。アニキの人類分類において、オーナー社長は一般の人間と区別する。特にこの日本においては、この違いは大きい。
 人間は本来、脳と心を自由に使うことを許された生き物だ。しかし、それを野放ししておくと、一人一人が身勝手な行動を取ってしまう。そんな身勝手連中ばかりでは社会の統制が取れないと考え、羊の群れを作ることを始めた。それが効を成して、現在の日本が存在するのだが、どんな組織においてもこれは都合がよかった。
 過去ブログ「サラリーマンの謎『評価』」の中でも少し触れたが、オーナーほど勝手な人間はいない。世の中、会社の創業者のほとんどはオーナーだ。それだけでかっこよく聞こえてしまうのだが、実はサラリーマンに適合できないために、自分で会社を飛び出して会社を興した連中がほとんどだ。やりたいことがあり、会社に居てはできないからとか、夢があるからとか耳障りのいいことを言ってはいるが、その正体はただのはみ出し者だ。しかし、侮ってはいけない。ただのはみ出し者じゃ、会社は興せない。はみ出し方がハンパじゃないのだ。つまり、はみ出すエネルギーの大きさが、常人のそれを超えている。その異常さのエネルギーが尋常でなく、身勝手さもサラリーマンの域をはるかに超えてしまう。ゆえに、サラリーマンという羊の群れに全くなじまない。
 与えられた牧草だけでは満足しない連中なのだ。

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女は武装する「番外編」(2/2) ~機転の利く脳~ [哲学]

 女は、未知の物事や敵の力がわからずに突っ込んで行った場合、強靱な肉体を持たないためにイチコロでやられる可能性が高い。命の危険を感じたとしても、機転の利く脳も日頃から訓練していないため、うまくそこから逃げることも困難だ。だから女は、未知の物事や敵の力が分からなかった場合、絶対にそこへは行かない。そこへ行きたいという好奇心でさえ持ち合わせていない。どうしてもそこへ行かなければならないとしたら、できる限りの情報を入手した上で、武装してゆくことになる。
 ここで勘違いしてもらいたくないのは、女の脳が男より「機転が利かない」と言っているわけではない。女の脳も元は男と同じだ。女の脳も機転が利く要素はある。ただそれが、成長の過程で発達してないだけだ。機転の利く脳とは、先天的なものではない。肉体は先天的なものだが、脳をどう発達させるかどうかは、後天的な要素だ。発達する方向が違うだけだ。これは男女の性格に起因する。幼児の頃を思い出してほしい。男の子は好奇心が旺盛だから、興味があればすぐにそれに向かって突進してゆく。親がどこにいようがお構いなしだ。女の子は、興味があったものでも親の目の届く範囲にしか行かない、という習性がある。まあ、これは一般論だから、個体差のよりぴったり当てはまる話ではないが、こういう傾向がある。生まれた時点から、発達の方向は違うのだ。
 だから、機転の利く脳を作りたいと思ったら、危機的状況を数多く経験すればいいだけのことだ。よい知恵はそういった切羽詰まった状況の積み重ねから生み出される。アニキ過去ブログ「プレッシャーだけが人を育てる」でも話したはずだ。女は男より、そういった場面に出くわしていないだけのことで、脳の優劣の問題ではない。現代でも、海外の大企業の幹部など、男と競り合ってきた経験の女は世界中にいる。彼女達は皆、機転の利く脳を持っている。日本以外の国は、「女は優秀」という思いが強い。だから、全く卑下する必要はないし、機転の利く脳がほしいのであれば、好奇心を旺盛に行動し、積極的に鍛えてゆけばいいだけの話だ。まあ、リスクも大きいというハードルはある。
 これはしょうがない。人間の創造主がそういう風に人間を作ったからだ。好奇心旺盛な性格は、強靱な肉体があって初めて機能する。例えば、ライオンという動物を知らなかったとしても、男はまずそれに挑んでいく。挑んでいかなければ、ライオンがどんな生き物でどんな性質のものかがわからないからだ。最初の何人かはライオンに食われるかもしれないが、頑丈なカラダのお陰で逃げ帰ってくる男が必ずいる。そいつが他の男達と対策を練ることでできる。この、危機に直面して逃げ帰るという機能こそが、機転の利く脳を育てる。元々、家族を守るボディガードとして女の派生種として誕生した男と、それに守られて生活してきた上位種の女とでは、当然に脳の発達方向が異なるのは当たり前である。女の脳の方が優れている部分の方が断然多いのだが、それは「女は武装する(本編)」で説明しているから割愛させてもらう。
 アニキは何が言いたいのかと言うと、この現代では、女も社会という外界へ狩りに出なければならない時代になったということだ。ただ、現段階では日本は男社会であるために、男の脳の方が有利だよと言うだけのこと。そんな男と女の原始機能の性質さえ理解しておけば、機転の利く脳を作ればいいだけだ。
 なら、どうするのか?そうだ、女は武装すればよい。

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女は武装する「番外編」(1/2) ~動物チックな男~ [哲学]

 「女は武装する」本編でも触れたが、男と女の歴然とした考え方の違いについて補足しておきたい。本来、男と女にはそれぞれの役割があって、人類の歴史の中でそれぞれの性格が作られてきた。しかし、何の危険もない現代では男女の性質の差は必要なくなってきていることに問題がある。
 男の性質のひとつに注目したい。男は常に丸腰で物事に望む者が多い。行き当たりばったりで何でも挑戦してみる。そこでボコボコにされて初めて、「これじゃダメだ」と気づき、前向きな意識が芽生えはじめる。まあ、人間の派生種だからしかたないのだが、そんな行き当たりばったりの性質がある。一方女は、絶対にそんなことはしない。慎重に物事を進める性質がある。元々男に守られていた立場だから、未知のことに丸腰で挑戦するという好奇心など持ち合わせていない。これらは、「女は武装する」本編(1/14~14/14)に詳しく書いてあるから、ぜひ読んでもらいたい。この番外編では、その性質の違いにスポットを当てたい。
 例えば、素人参加OKの長距離マラソンなんか、男はノリで参加するが、女はノリでは絶対参加しない。未経験者を無理矢理誘ったところで、参加をOKするのは男だけだ。男は未知のことに対して、簡単に「やってみようかな」と思う。反対に女は、未経験であれば絶対に出場しない。仮に、無理矢理誘って何とか参加する女がいたとしよう。それは、過去になにがしかの経験があり、全く未知の物事ではなく、少し理解もあり自信もあるからだ。そして、恥をかかないように直前まで練習もするはずだ。しかし男は、自信がなくても練習する奴の方が少ない。何とかなると思っているから、行き当たりばったりでいいのだ。女は芸能人ではない限り、決してノリだけで参加することはない。このことは、別にマラソンに限ったことではない。新しい物事へ挑戦する場合における男と女の考え方の違いであり、大概当てはまる。
 これはどういうことかというと、男はまず行動して物事を判断するのだが、女はそれができない。男はまず物事や敵にぶつかっていって、それでコテンパンにやられたら、次に考えて対策を練る生き物だ。この当たりはサルやなんかと同じだ。有史以前から持つ狩人としての本能であろう。これは、強靱な肉体と好戦的な性格と機転の利く脳があってできる技だ。相手がどれほどの力があるのかわらずに挑戦してボコボコにされたとしても、強靱な肉体で防御できる。そして、危機的状況に陥ったとしても、機転の利く脳があるため、すばやく逃げる道を考える。そして、自分の体験により物事や敵の強大さを思い知るが、そのために具体的な対応策も充分に練ることが可能だ。要は、やってみなければわからないという発想が根底にある。しかもそこには、好奇心と強靱な肉体とはセットで備わっている必要があるのだ。そこはさすがに人間の創造主だ。男を木の枝から作った割には、うまくできていると言える。
 さらに、男は素直さに欠けている。人の話を鵜呑みにしない。命からがら逃げ帰ってきた男を見ても、それを聞いた他の男は「俺なら倒せた」と思ってしまうところがある。要は、自分ならぶざまな負け方はしないというのだ。ここでも好戦的な性格を反映している。変な自信があるために、素直さという大切な性格が欠如している。さらに、天の邪鬼という性格も持ち合わせている。これらはプラスに働けばいいのだが、なかなか厄介だ。
 アメリカ映画などで、人の言うことを聞かない自分勝手なヒーローに人気があるのは、この現在社会では粗野でいたいがそれができない日常のストレスに対して、画面で自分勝っ手に振る舞う姿に心地よさを感じ、それに憧れるためだ。「いいね、あの態度」ってもんだろ。
 男とは、全く野蛮きわまりない性質を持つ動物チックな種なのだ。

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女は武装する(14/14) ~物事の本質を見ろ!~ [哲学]

 完成種である女は、有史以来随分回り道をしてきた。派生種である男に実権をずっと握られてきたからだ。カラダが大きくて好戦的な性格の恩恵によって、男は世の中を支配してきた。あたかも、男の方が優秀であるかのごとく振る舞えた。それはまやかしだ。過去ブログ「男は絶滅する」にも書いたが、そんな男の能力が必要な時代も確かにあった。だが、そんな時代はずっと前に終わっている。それなのに、男はその優位な状態を維持したいものだから、「男が優秀だ」という幻想とその固定観念を世の中に植え続けてきた。
 世界を見てみろ。この21世紀に入っても世界は戦争ばかりで、全然平和になってないじゃないか。このことに早く気づくべきなのだ。これは男が実権を握り続けた結果であり、それが正しくなかったということだ。争いのない世に中になるのに、何年かかってるんだ?ということだ。いつも言っているが、アニキ哲学の理念のひとつ「物事の本質を見ろ!」を思い出してくれ。有史以来うまくいってないんだから、「本質が間違ってんじゃないですか?」ということだ。男が仕切ってきたことが間違えだったんじゃないのかと。
 ここではっきりと生き物の本質を言っておこう。守る方が下位で、守られる方が上位なのだ。このことには何の説明も要らないだろう。どっちが主人でどっちがしもべかは明らかだ。この原点に返れば、人間という種としては男と女のどっちが上なのかははっきりしている。つまり、今の社会はそれがねじ曲げられているにすぎない。時が経ち、いつの間にかしもべに使われている社会になってしまったってことだ。うまい具合に男に使われているだけであり、そろそろ目を覚まさなくてはならない。戦争・環境汚染・貧富の差など、男が古代より実権を握ってきた結果がこれだ。これじゃ、地球滅亡にまっしぐらだ。人間が万物の霊長だなんて笑わせるよな。今後も引き続きこの地球を人間が統治してもいいんですか?という質問を、人間以外の生き物全部に問い正してみたいものだ。たぶん、ダメだと言われるだろうな。このままでは、人間の創造主は間違いなく人間を一旦滅ぼしかねない。
 アニキが注目しているのは、出生における男女比だ。女の比率が上回っている時は、人類が平和へ向かっている証拠だ。男の出生率が高くなる時、何かが起こる前触れだ。男の比率が下がっているのを危惧しているが、これは人類にとっていいことなのだ。先にも話したが、ボディーガードとしての役割の男を増やさなくてはならない理由って何だ?そう、危機が襲ってくるということだ。世界的にその兆候があるなら、まさに天変地異か人間の天敵の出現となる。
 そうさせないためにも、そろそろ人間という種の真価を発揮しなければならない。男が作ってきた中途半端な社会から、女性が実権を取り戻す時期だろう。母親は、どろんこ遊びしていた男の子に、それをやめさせる時期に来ている。今から世界的に女性への実権交代が始まる。世界のトップが徐々に女性に変わってくるはずだ。アメリカの大統領も女性になるだろう。日本はかなり遅れているが、日本の女性も男社会をひっくり返して日本を導く時代が来る。そのために、それぞれの人生において男社会をひっくり返す必要がある。女性達は個々において武器を磨き、武装して次の時代に臨まなくてはならない。
 もう、世の中を男になんか任せてられないはずだ。人間の完全体の出番だ、女性諸君、是非がんばってくれ! 悩んでる場合じゃない。


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女は武装する(13/14) ~人間の完成種「女性」~ [哲学]

 女性は自分が世の中に出ることを早くから考えるなら、技能を早くから開発することができる。今、自分が何に向いているからないと思うなら、無理して決めずに、男と同様に大学まで進学することを意識すればよい。大学がすべてではないが、目指すものがない場合は無理して探してはいけない。仕事は選ぶものじゃない、仕事に自分が引き寄せられるものだからだ。いずれ仕事の方から自分の方へやってくる。天職も同じ、自分から探すものではなく、天職が自分の方にやってくる。それを待つ場所が大学だ。大学とはそんな場所なのだ。これが、アニキ過去ブログ「人生とは仕事だ」の考え方だ。
 本当に目的を持って大学に進学している人がどれだけ存在しているか?そんな奴はほとんどいないはずだ。進学者のほとんどは人生を考える時間的猶予を求めて行く場所なのだ。だから、この日本においては大学行くのに目的は必要ない。大学で学ぶと、世の中が見えてくる。周りの影響もあるだろうが、視野が広くなり世界にも向いてくる。「上に登れば遠くが見える」という概念だ。自分の道がよくわからないのなら、まずは世の中の流れに乗り、大学まで行って考えることをアニキは奨める。しかも、世界の中で日本ほど大学進学している女性が存在している国もないのだから、「大卒」だけでも立派な武装となる。また、それ以上のものも得られる。
 大卒女性の考えの深さには驚くものがある。今の時代、キャンパスにはお気楽女子大生もまだ多いのだが、今後は減っていくだろう。女性は現実志向が強い。母親のような苦しい生活に自分の姿を照らし合わせることで、「これじゃいかん!」と心に思っている。だから、女性の方が考え方が深くなってくる。そして、何より勤勉だ。現在でも、女子大生の方が成績がよいはずだ。ここにも女性の優位性がある。指示されたことに素直に従うという能力、すなわち「素直さ」だ。アニキ過去ブログ「サラリーマンの武器『素直さ』」でも話したが、「素直さ」は立派な武器であり、女性はこれを元々持っている。男のような天の邪鬼さはない。
 先見のある女性も多い。やはり、武装するにしても女性は自分に有利なフィールドを選ぶ。これがいかにすごいかは、後日ブログ「アニキ哲学『自分の土俵で闘え』」で詳しく話すが、女性は元々自分のフィールドで勝負しようとする。決して、相手の土俵で勝負しない生き物だ。男はバカだから、相手の挑発に乗せられて、まんまと相手の土俵で勝負したがるが、女性はあくまで自分の土俵に引き込んで闘おうとする。ここが女という種の賢さのひとつである。
 さらに女性は自分達が有利な武器をよく知っている。言っておくが、色香のことではない。例えば美的感覚だ。美しいものを愛でる才能においては男の非でない。また、母性本能だ。ここについては男であるアニキにもよくわからないが、神秘的な感性だ。看護師や介護関連で働く女性の能力が優れているのがこの母性ではないかと考える。また、素直さゆえにコツコツと努力する。だから、資格試験や語学などの世界においても女性が台頭してきた。さらに、物覚えがよく生真面目だ。物事がキチンとしてないと気が済まないという性格もある。例えば政治家とかは、現在でまだ本当にその能力が認められているわけではなく、人気取りか政党というバックにある裏組織が単に操りやすいだけの存在が多い。が、将来は変わるはずだ。私利私欲に走らなければ、生真面目な性格によりかなりの高い能力を発揮できるはずである。
 人間の完成形である女性種とはここまですごい生き物なのだ。

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女は武装する(12/14) ~武装する意義~ [哲学]

 自分の母親が生活に苦労している状況が反面教師となる。文句言いながらの家事、ぐうたら親父への愚痴、金銭的な余裕がないなど、真似たくなる要素はゼロに近い。
 だから女性は、現代社会を生き抜くために、武装する必要があることをまず悟ることになる。女性は元々、人間としての能力は上なのだ。当然、男を見下して行動しているのだが、古来日本から男尊女卑の風習にどっぷりと浸かっており、「男が優秀だよ」と洗脳されているために、それができない。有名な「杭を抜けない象」の逸話と同じだ。わかっていても、潜在意識にすり込まれている観念が大きすぎて、無意識に「男よりも能力がない」と思い込んでしまっている。自分達よりカラダが大きく、好戦的な性格の前には、どうしても太刀打ちできないと感じてしまう。確かに現代の日本の状況ではまだ、女性はまだ丸腰では男と対等に渡り歩けない。だから、女性は早く武装して男に対峙しなければならない。
 先にも述べたように、男の狩りの獲物だけでは生活できなくなってきているのが現代だ。だから女も狩りに出なければならない。現代は昔と違い、猛獣に果敢に挑む時代ではないから、獲物を捕ってくる仕事は男女どちらでもよいのだ。ただ、この男尊女卑の日本では、まだまだ獲物を捕るというおいしい部分を女に譲らないようにしているだけの話だ。なぜなら、女の方が優秀だということがなんとなくわかっているからだ。現代では、強靱な肉体など不必要な代物なのだが、男社会ではこれが必要だというハードルをわざわざ設けている。要するに、女に狩り場をいじられたくないだけだ。これが男社会の秘密だ。何度も言うが、そこへ女が食い込んでいくためには、モビルスーツを着て大きくみせる必要がある。男と対等もしくはそれ以上だというアピールが必要となり、武装しなければならないということになる。
 「女の武装」という意味は、モビルスーツを着て男と同じ体格に見せるということだが、それはジムで肉体を鍛えて筋肉を付けろという意味じゃない。ソフト面の鎧であり、男の肉体に匹敵する技能を身につけろということだ。それがモビルスーツであり、技能という鎧のことだ。だから、最近の女性は皆、資格や技能を取得しようと必死なのだ。男は大学4年間ちゃらんぽらんに過ごして、就職面接の時にはちゃらんぽらん生活の意味をもっともらしく説明する。そこには何の価値もなければ資格の一つもない。ただ企業の人事担当者は、その男の自社との相性を見るだけだ。そうだ、男は好奇心旺盛だから、野山に放てば勝手に走り出して獲物を捕ってくるだろうと思っている。女性の場合は違う。例えば男と並んで総合職での就職活動では、訊かれることが違う。持っている技能と性格を中心に訊かれる。それを磨いておくことが、「武装する」意義である。
 女性はちゃんとわかっている、何を鍛えればいいかを。人間の派生種である男とは違い、人間の完成種である女がいかに優秀かという秘密はここにある。


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女は武装する(11/14) ~技能強化への道~ [哲学]

 昭和の頃の母親の話に戻そう。昔は母親の家事をこなす姿が美しかった。それは、自分が幼少の時代に見た母親の姿だ。家ではぐうたらなオヤジを立てて、自分は家の中と子どものことに一生懸命な姿だ。母親自身もそれに全く疑問を感じておらず、家事と子どもの世話に自信とプライドを持っていた。戦争を経験している世代はなおさらその意識は濃い。悲惨な日本の状態を目の当たりにしているため、贅沢なんか考えたことはない。食べることや子どもを育てることで必死だった時代だ。子ども達が活躍する時代に子どもが不自由しないように、母親はしっかりと子どもを育てようとした。親父も家庭守ることと、将来の家族のためにしっかりと外で働いた。その時代は親父一人の給料で一家を支えることができた。アニキを含め昭和後半期に子ども時代を経験している世代は、それが当たり前に映っていた。
 しかし、この平成の現代、状況は変化している。元々自分の母親が家事に専念していた光景を見ていたから、娘は自分もそのようになるのだと潜在意識にすり込まれてきた。だから一応、大学は出たものの、その後結婚して家庭に入ってしまうと、社会の第一線から遠退いてしまう。ところが今は、親父一人の給料ではやっていけない時代となり、奥さんも共稼ぎとして家計を支える。しかし、できる就職先がほとんどない現状にぶつかる。かろうじてパートでもと、雀の涙ほどの給料を稼ぐのだが、生活は楽にならない。休みの日に親父は相変わらず家でぐうたらな時を過ごすのだが、奥さんは休みの日でも家事を休めない。
 この光景は、彼らが子どもの頃、自分の両親を見て、潜在意識に焼き付いた姿だ。それを繰り返してしまうのだが、男は給料が親父の世代よりも少なくなっているのにかかわらず、親父と同じぐうたらを繰り返す。しかし、家の家計を切り盛りして家事をこなす奥さんの姿は、不安な将来と厳しい現実を意識して、心が穏やかではない。すると、ぐうたらな自分のダンナに腹が立ち、だんだん家の中が殺伐としてくる。その有様を現代の子どもは見ている。特に娘はよく見ている。家事をこなす母親の姿が美しくないからだ。昭和世代の女性には、「家事、それが私の使命」的な意識の高さがあり、それが子どもには美しく映った。だが、この現代において家事をこなす母親の姿は全く美しくない。この状況は娘の潜在意識にすり込まれてゆく。そこで娘は、「これじゃいかん」という気持ちになってくるのだ。どうしても母親を意識してしまう娘は、「男はダメだな」と思うようになる。
 そうして、男に頼らずに生きてゆく方法、自分が将来自立するにはどうするのかを考えるようになる。しかしこの日本の現実社会は男社会だから、結局、専門職への道を歩むことになる。女性は男社会に立ち向かうために、自分の技能に磨きをかけ、それを強化する方向へと進む。

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女は武装する(10/14) ~ゲーム理論~ [哲学]

 一方、美人に生まれた人はそれほど魂レベルが高くない。最初から魂が低レベルのため、ハンディをもらっての出生だ。修業は同じ魂を磨くことだ。元々美人なのだから、劣等感と闘う必要ないため、魂磨きの修業に没頭すればいいのだが、それも難しい。劣等感はないものの、優越感というものが出始めて、魂磨きを忘れてしまう。自分の容姿に傲りが出てしまう。そうなると、天女の羽衣など永遠に手に入らない。逆に、ペナルティが与えられる。美人というアドバンテージを持つものには、ペナルティも同時にある。出たな、アニキ哲学「二面性論」だ。「人間に与えられいるすべて原始機能には二面性がある」という真理だ。
 で、この場合の二面性、つまりは美人へのペナルティとは、「美の没収」だ。これはむごいペナルティだ。傲りの大小によってペナルティの大きさが決まる。傲慢であればあるほどペナルティは大きくなる。これには大きく分けて二つある。一つは、前回も話したが、美の期間の減少だ。美人でいられる期間が短くなる。「花の命は短くて…」ってやつだ。しかし、このペナルティは真のペナルティではない。気づきがあれば、それを食い止めることは可能だ。どういう意味かというと、美の期間の減少分は天女の羽衣で補えばよいという話なのだ。美人は誰でも、老化と闘わなくてはならない宿命がある。美しくいられる期間が短いか長いかの差なのだが、美を若さでカバーできているうちに、その秘密に気がつきなさいよと、猶予が設けられている。美人だろうが不美人だろうが、若さという猶予期間の間に、美を長く保つ秘密を見つけることがひとつの修業である。それが、「心を磨きなさい」ということだ。もう一つは、完全なる美の没収だ。これは、人間の創造主がその人に美を与えておくことをやめたことを意味する。傲慢さに際限がなくなり、美人であることに何の感謝もない。さらに、不美人をけなす行動などすると、天の裁きが下る。具体的には言わないが、想像できるだろう。事故や病気などだ。美人はアドバンテージはあるものの、ペナルティもそれなりに大きい。超美人であればあるほど、時限爆弾のように大きなペナルティを背負っているのだ。美人の人よ、よく周りを見てみてはいかがなものか。あなたの存在のおかげで苦しんでいる人はいないかな?美を失うということは、そのことに気づかせてくれるという目的がある。創造主はいつでも、不幸なんか与えない。いつも、傲り高ぶった人に対し、その自慢の種を奪い、気づきのチャンスを与えてくれているだけである。
 美人はその優越感による傲りという甘い罠を乗り越えて、天女の羽衣をゲットするか。不美人は劣等感と嫉みというハードルをどう克服して天女の羽衣を手に入れるか。それが今世のゲームだ。天女の羽衣獲得ゲームなのだ。だから、ホント世の中はよくできている。美人と不美人、そこに不公平はない。きっちりとバランスは取れている。あとは、お互いに持って生まれたカード使い、必勝のコツを掴みゲームで勝つことを考えればよい。コツとは、世の中のそのしくみに気づくかどうかだけである。で、敵はどこにもいない、敵は自分自身なのだから。
 これが、アニキ哲学「ゲーム理論」だ。

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女は武装する(9/14) ~「天女の羽衣」を纏え!~  [哲学]

 アニキはいつも言っているのだが、「かっこよさとはギャップ」だ(過去ブログ「かっこよさの定義」より)。容姿を磨いても限界があるが、心を磨くことにおいて限界はない。心はだれでも磨ける。美人じゃない人は、心を磨き倒せばそこにギャップが生まれる。それは、見た目はイマイチだが、心がキレイだというギャップだ。それがいかにかっこいいことなのか、皆はわかっていない。その効果はいきなりやって来ない。最初はまあ自覚症状もないくらいの感覚だが、実は霊感の強い人が見れば、それは違うらしい。暖かい光に包まれているらしいのだ。一般人にはそれが見えないのだが、実物をゆがめる効果がある。容姿全体が心のオーラで包まれることにより、実物の姿をゆがめ美人に見せてしまうというマジックが生まれる。この詳しいメカニズムについては、後日ブログ「物事は目で見るな、人の話は耳で聞くな」で話すことにするが、ここで覚えておいてもらいたいことは、見た目は心でゆがめることができるっていう事実だ。それは、人間は物事を目で見ているわけじゃなく、脳と心で見ているからだ。
 「なんであんな美人に、あんなブ男の彼氏がいるのか!」と憤りを感じたことはないか?そのほとんどはお金なのだが、それはここでは省く。それ以外の理由がある。その美人にとって、そのブ男が本当にかっこよく見えているという事実があるのだ。さらにそこには、一時的なものと恒常的なものが存在するのだが、間違いなくその美人にはイケメンに見えている。たで食う虫も好き好きと言った表現でお茶を濁してもよいが、心というオーラに包まれて現物の像をもゆがめてしまうマジックを否定してはならない。
 つまり、前回も話した通り、美人じゃなく生まれてきたと思うなら「心を磨け」と言いたいだけだ。今世の修業のひとつが心を磨くことだから、一石二鳥なのだ。美人じゃない人が心を磨いて内面美人となることと、美人が心を磨いて両面美人を目指すことは意味が違う。前者は元々魂レベルが高い。美人じゃなく生まれてくることを自分で決めてきたわけだから、美人の段階は前世まででクリアしている。今世は不美人の修業だ。不美人でいながら心を磨く修業を選んだわけだから、ハードルは高い。美人への嫉妬もあるだろう。だが、それも想定内の話だ。で、この世はうまくできている。ご褒美がきちんとある。心を磨いた者には、オーラを纏うことを許されるわけだ。心が綺麗な者だけが纏うことができる天女の羽衣だ。話は逸れるが、天女の羽衣っていうのは、綺麗な心が産み出すオーラのことだ。天女が美人なんじゃなく、心のオーラを纏ったために、現物の姿がゆがめられて、見る人が美人だと勘違いしてしまうことにある。な、目指すべき価値は存分にあるだろ。
 美人じゃない方がいろんな面で自由度が高く有利なのだ。

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女は武装する(8/14) ~美人の「美しさ」~ [哲学]

 平和な現代では、強靱な肉体も機転の利く頭の良さもあまり必要ない。それらは強者のしるしとはならない。それに変わる強者のしるしはお金だ。女はお金という現代の強者のしるしに惚れているだけなのだ。それが男尊女卑社会で生きてゆくのに一番楽で確実な方法だからだ。
 だが、これでいいわけがない。女性は皆、そう思っている。自分の母親の姿を見て、これではいけないと思う。なぜなら、昭和の頃の日本と現在では、その状況が大きく変わっているからだ。昭和の頃、家事を一生懸命にこなす姿には美しさがあった。
 アニキ哲学における美の概念は、姿形の美しさも当然だが、中身の美しさが伴ってなければならない。「中身の美しさ」、それは「魂」がこもっているかどうかだ。魂とは、簡単に言い換えれば「気持ち」だ。外側の美にふさわしい気持ち(魂)を持っているかどうかということだ。アニキはいつも口癖にように「物事を目で見るな、人の話は耳で聞くな。」と言うが、この意味は美人を見る時にも有効だ。目だけで見ると、容姿にごまかされて中身が見えない。物事は心で見て心で聞くのだ。心で見聞きするとはすなわち、行動で見ろということだ。人の気持ちや魂の善し悪しを見抜くには、その人の行動をじっと見つめていればよい。表裏のある人間には必ず心のバックヤードが存在する。表ヅラがいい人間には必ずバックヤードが存在する。バックヤードとはすなわち、自分の本音をさらけ出す場所だ。それは、家族なのか友人なのかネットなのか、人によって異なる。バックヤードなどない方がよい。この話は長くなるので、またブログで改めて紹介するが、ここで言いたいことは、「美とは、表と中身で作られる。」
 美人にしてもそうだ。ただ容姿が整っているというだけで美しいのはもちろんある。多くの人が見て「美人」だと言われる人は以下の話をよく覚えておいた方がよい。
 アニキは美人哲学にうるさい。アニキ哲学において、「美人とは才能」だ。美人は天賦の才だ。そんな才能を持つ人は、容姿だけで人を魅了するわけだから、その使い方を間違っていけない。その容姿に甘んじて人の心をもてあそんだり、人の心をキズ付けたりすると、天賦の才であるその美の期間は短いものとなる。さらに、その美が奪われた時のマイナスギャップに心が耐えられない。芸能人なんかも、容姿で勝負できる期間は短いだろう。それは、容姿ばかりに気を取られ、自分の心を磨くことを忘れているからだ。美人が枯れたときはじめて、そのことに気づくのだが、それではもう手遅れだ。女ばかりじゃない、男だって人ごとではない。「自分の顔は自分で作れ」と言われるのはそういうことなのだ。
そうならないためにも、美人こそ自分の行動に気を配らなくてはならない。自分の容姿に合った心の行動を取らねばならないからだ。美人であればあるほど、心のキレイさを求められる。それも「裏表なしに」という注文がつく。そう、バックヤードなしに行動する必要がある。そうしないと周りから、「顔は美人なのにね、性格がちょっとね」と言われる。美人は容姿を保つことに必死になるが、中身も磨かなければならない宿命を持って生まれてきている。出生前、そういう約束にて自分で美人を選んだ。美人ほどとても忙しいのだ。
 逆に美人じゃない人は、そんなに心を磨かなくてもよいから、気は楽だ。鼻くそでもほじりながら美人を眺めて、自分のペースでゆっくりと心を磨いてゆけば良い。

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女は武装する(7/14) ~女性の賢い生き方~ [哲学]

 女は男と違って、スイッチを意図的に入れる必要はない。朝、お化粧という戦闘マスクをかぶると、スイッチが自動的に入ることになっている。そういう風にできている。化粧したその瞬間から、フルスロットルでお昼まで動き続けることができ、そこには全く動きにムラがない。お昼まで一気に高次元の動きを続けることができる。そして、女性はお昼休みが唯一の休息となる。このお昼休みは女性とってはすごく大事だ。体の休息だけではない、心の休息も行うストレス解消の場となる。だから男は、その時間を邪魔してはならない。言葉は悪いが、犬はその食事時間を邪魔するとすごく機嫌が悪いだろう。それと同じ感じだ。女性にとってお昼休みとは、エネルギー補充の重要な時間だといっていい。
 さて、話を戻そう。そうして女性は一日仕事をし、家に帰ってお化粧を落とすときが、スイッチを切る時なのだが、家事が残っている場合はスイッチを入れたまま家事に突入する。この一連の高レベルの意識は、男には真似できない。女という人間の完全体の能力がここにある。派生種である男は、高レベルの活動を行ったあとには、いちいち休息が必要となる不完全な生き物なのだ。
そんな完全体である女性という種ではあるが、男社会の中ではどうあがいても男よりも優位には立てないと決めつけてしまう女性も多い。自分の母親を見て育ち、学校でも男が有利になっている現実がある。さらに、大人になるにつれて、男よりも数段上の努力をしないと、それなりに評価されないということがわかってくる。その時点ではすでに、女は男よりも能力が劣るということを、潜在意識にすり込んでしまっている女性も多い。言わば、男の方が女より優秀だと決めつけてしまい、それを受け入れていまっている。そうなると、女の武器を使って生きる道を探し出す。優秀な男を見つけて、そこに自分の人生を委ねるという生き方だ。日本の男尊女卑の風習からは、こちらを選んだ方が有利だということになる。非情に残念な生き方なのだが、自分の潜在意識の中に男に対する劣等感をすり込んでしまった以上、それを打破するのは容易ではない。
 太古の昔より、「女は褒美の一つであった」という事実がある。戦争や決闘なんかで、勝利した者は好きな女を選ぶことができた。しかし、この事実は男側から見た時の表現である。実際女達は、男に選ばれようとしているのだが、自分達も選んでいる。しかも、強い男に選ばれようとする。これは、身の安心を買うだけの話であり、強い男が好きなわけではない。強い男についてゆけば、身の安全と生活が保障されるからだけの話である。マッチョが好きだったり、東大出の男が好きなわけではない。その男が持っている技能が自分を楽にさせてくれると考えるだけだ。だから、夜のクラブでモテるのは、金のある男だけだ。男気があるだとか、イケメンだとかは二の次だ。金持ちのブサイクな男がモテる。男自身の性格だとか魅力だとかは後の話である。
 金がない奴は、無理してクラブなんかに行くな!と言いたい。ムダだから。

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女は武装する(6/14) ~女性の登用~ [哲学]

 だから、大方の女子学生は心に熱き思いを持ったまま事務職の道を選び、一旦は就職する。しかし、そこで目の当たりにする光景に、自分の心の中にある熱き思いが再燃焼することになる。
 賢い女性は男を品定めする能力に長けている。男の目利きだ。魚や野菜の目利きじゃない、男の目利きだ。太古の昔より女は、男に守ってもらわなければならなかったから、この目利きが鋭い。平穏な日常の中で、その目を光らせているのだが、そこで見えてくるものはくだらない実態だ。毎日が出来の悪いハナタレ男のサブを務め、上司はアホにしか見えない。しかも、常に怖いお局様に一挙手一投足を見張られている。結局、心に熱いものを持った女性達は、こんな男社会ではなく能力重視の公平な場所を求めることになる。それをいろいろ探ってみても、なかなか日本には本当の男女平等な世界はない。
 だから、その新天地こそ、海外となるわけだ。海外は本当に平等だ。欧米だけではなく、アジア諸国も平等だ、いや女性の方が上かもしれない。中国にしろ、タイにしろ、インドネシアにしろ、女性の方が優秀だ。しかも、大学なんか出ていない。持って生まれたその力だけで社会で勝負して、管理職に就いている。大卒である日本人女性は、海外現地の女性の能力をはるかに上回ることになり、管理職どころか経営レベルまで一気に駆け上がることが可能だ。ここに多くのチャンスが転がっている。
 最近の日本でも、大臣に女性を登用したり、管理職でも女性登用が増えているが、それはまだまだコマーシャルレベルだ。女性の優秀さを見直してはいるものの、きちんと取り入れているのは外資系企業やアパレル、介護など新規分野ぐらいなもので、古い業界の純日本企業はまだまだと言っていい。確かに女性の管理職者はみごとに仕事できる。女性特有の能力である「手を抜かない」を駆使できるため、高レベルの仕事を長丁場で続けることが可能だからだ。男なら、「ちょっと休憩」という場面でも、女性は休みなど要らない。彼女達には休みなど必要ない。そんな自分達のペースを会社に導入されると、男はたまらない。息が続かないからだ。ちょっとしたミスも逃さない高レベルの集中力を駆使して、自分達の仕事の成果をくまなくチェックされる。だから正直、優秀な女性ほど煙たいのが本音だろう。特に仕事に自信のない男の上司は、積極的には起用したがらない。上から言われない限り、優秀な女性を引っ張り上げることはしないのだ。朝から晩までハイテンションに動き回る女性にとって、自分のような上司はだらけた社員にしか映らないだろうと考えるからだ。
 男は、朝出勤すると、新聞を読みながらコーヒーをすすり、一息ついてから仕事モードへのスイッチを入れる。人によっては、ラッシュの中の出勤で、一日のエネルギーの半分を費やしてしまう愚か者も多数存在している。昨晩の酒が残っている奴も相当数いる。二日酔いの奴なんかは、午前中は全く使いものにならない。席には座っているが、その業務内容ははっきり言って「流し」だ。メールを見たり、書類整理でお茶を濁して仕事を流しているだけだ。ひどい奴は、仲良しの取引先へ行って回復を待つ。そして、お昼からやっとスイッチが入る。それを正当化するのが男だが、女性には理解できない代物だ。


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女は武装する(5/14) ~張り子の虎~ [哲学]

 それだけじゃない、さらに致命的なのは、男が獲物を捕ってくることができなくなっている現状がある。元々太古の昔、男は獲物を捕ってきた。自慢の強靱な肉体を駆使して、大きな獲物を捕ってきた。大きな獲物ほど価値があり、大きな獲物を捕ってくる男こそがエラいわけで、女から見れば、自分達ができないことをやってのける男を尊敬していた。逆に獲物を捕ってこられない男は家族を養うことができないから、尊敬されない。これを現代に置き変えて見ればよい。獲物とはいわば給料だ。多額の給料を家に入れる男は、家でぐうたらしていようが何していようが、それは許された。なぜなら、高度成長期から今までは、男の給料一本で家族を養えることができたという事実がある。男が捕ってきた獲物(給料)で家族が充分食えていたからだ。しかし、ここに来て状況は変化している。男の給料一本では家族を食わせることができなくなってきている。終身雇用制度は破綻寸前であり、企業は従業員の待遇よりも企業価値を上げることに必死だ。リストラされたサラリーマンの再雇用は安月給先しかない。「今までもらいすぎ」だという話なのだが、もらってしまったらそれが基準となる。それを基準として生活レベルを組み立てるのが普通だ。いきなり生活水準を下げて貧乏しろといわれても、家族は納得できない。奥さんや子どもにとって、生活水準は絶対譲れない線なのだ。稼げないダンナに不満があるものの、背に腹は替えられないから、奥さんも働かざるを得ない。それが、現在の共稼ぎ事情の大半である。
 アニキはこんな社会現象を述べたいのではない。何が言いたいのかというと、獲物を捕ってくることができなくなった男に「価値はない」ということを、女は感じているってことを理解すべきなのだ。まさに男の存在意義が希薄な現代である。女は、「これなら男よりもできる気がする」と思うし、「男に頼ってちゃダメだ」と心に決める。そう、ぐうたらな男しか見ていない為、今まで「すごい」と思って見ていた男社会を冷静に観察すると、「大したことないじゃない」と感じてしまうのだ。この現代日本の男社会とは、「張り子の虎」であることがすでにばれてしまった。強靱な肉体が要らなくて、瞬発力が必要な脳の力も要らないとなると、女は男社会に切り込んでいく自信が生まれる。そして、男を見下せる存在であることに気づく。男尊女卑のカラクリが段々とわかってきたからである。
 で、何とか努力して男と渡り合える環境を目指すわけだが、この日本ではどこを見渡しても男社会であることに気づく。男と対等に渡り合いたいからと、がんばって4年制大学まで卒業するわけだが、就職活動で奈落の底に着き落とされる。採用枠が総合職と事務職という道に分かれているからだ。事務職を選択すると、安月給の道で昇格・昇給もない。せっかく大学まで出たのに事務なのかと、トホホな状況だ。ならば総合職かと、一念発起して挑むわけだが、ここで男社会の壁にぶち当たる。非常に狭き門である。一緒に面接を受けたハナタレ小僧のような男子学生が採用されても、女子学生はかなりの技能がないと採用されない。
 ここにも理不尽な世界がある。

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