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アピーラー達の午後(7/14) ~アピーラーの「道」~ [哲学]

 そう、アピーラーはバカではなれないのだ。アピーラーは自分に実力がないということに気づく頭のよさがあり、どうしても出世したいという願望があり、その目的のため裏工作で生きてゆくという道を自ら選んだ者だ。まるで中国の宦官だ。汚い手口を使うアピーラーは、そういう意味では、中国の宦官の生まれ替わりかもしれない。だから、ライバルを蹴落とすことを真剣に考えて実行する覚悟が備わる。足を引っ張るという汚い手段、ここがアピーラーの土俵となり、ありとあらゆる裏手段を講じてゆくことになる。そう、頭がいい人間だからこそ、裏工作で結果が出てしまい周りから煙たがられる。だから、アピーラーの的にならないように気をつけたり、媚びたりする人間も現れる。しかし、アピーラーの特性として、義理人情は一切通用しない。アピーラーは自分の評価を上げることだけを考え、周りは全く見えていない。つまり、自分が邪魔だと思えばすぐに蹴落とすことだけを考える。まあ、小心者だから、情報収集のために信者を周りに置く奴もいるが、利用されているだけだと心得よ。
 アピーラーに対するゴマすりも通用しない。アピーラーには、「自分がやるから相手もやる」という行動理念がある。決して誉められる理念ではないが、頭がいいだけあって、自分がやる卑怯な行為は自分がやられる可能性があるということを常に警戒している。だから、抜け目ない。アピーラーが自分の直下を何年も潰していくことができるのは、この恐怖感のためである。自分は汚いことを平気でやるが、他人にやられると腹が立つのがアピーラーの特性だ。つまり、自分はゴマするが、他の奴がゴマするのは気に入らない。そこには当然アピーラーの潰しが入る。自分の評価には関係ないのだが、同じことをしている奴が気に入らないらしい。
 まあ、とにかく小さいのだ。本来はプラス側に使うべき頭のよさをマイナス面で開花させてしまったたわけだ。あまりにも卑怯な思考で固まっているために、彼らは口では語らないが、そこにはアピーラーとしての哲学も存在する。アピーラーもいわゆる日本人の精神の「道(どう)」がある。そう、アピーラー道だ。そこには、我々が理解できない独特の哲学や軸が存在する。それは、一般の道とは違ってねじ曲がっている。一方的な見方になるが、ねじ曲がって見えるのは正当な道(どう)の追求者の見え方であり、アピーラー側から見れば何もねじ曲がっておらず、真っ直ぐな道に見ている。これは、自分の側が常に正義であるというアニキ哲学の正義概念だ。そういう意味で、アニキ側からはアピーラーの道は邪道といえる。
 アニキ哲学では、道から外れた道はすべて邪道と言う。邪道の中で、道と正反対の理念は獣道である。つまり、アピーラー道は獣道であり、しかも片道切符だ。一度その獣道に足を踏み入れると戻れない怖さがある。そうとう人徳のある道(どう)を語る上司でもいない限り、人を獣道から戻すことはできない。単なる邪道と獣道との違いはここにある。邪道と獣道については、後日ブログで説明することにしよう。

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アピーラー達の午後(6/14) ~アピーラーになる要素~ [哲学]

 話が逸れてしまったから戻そう。人はなぜアピーラーへ変貌するのか。そして、なぜアピーラーに身を落として卑怯なことをするのか、なぜ正々堂々と戦わないのか。そこにはアピーラーという悪魔に魂を売ったその覚悟が存在する。
 アピーラーも元は入社試験を通ったごく普通の新人だ。社会人になりたての時は、嘘ついてでも就職試験を勝ち抜いた実力者である。就職試験は大概、ガチンコ勝負だろう。まあ、コネで入社する奴もいるだろうが、別にそれは汚い手段でない。コネという立派で正当な手段だ。決して裏口入社じゃなく、コネ採用という正攻法だ。よく、「あいつはコネ入社だから」と陰口をたたく奴がいるが、そういうことを言う奴こそが実力がない証でありアピーラーの卵だ。
 まあ、それは置いておいて、要するにアピーラーとなる要素は、まず、自分に実力がないことがわかってしまう分析力は備えている。分析力もないボンクラではアピーラーにすらなれない。アピーラーの卵達は、自分に実力がないそんな状態でライバルと競争できるはずがないと、まずは自己認識することから始まる。では、どうやって優秀なライバル達と戦うか?と考える。正当な競争では無理だから、周りを引きずり降ろそうとするわけだが、そういう意味ではアピーラーは頭がいいのだ。自分の実力がないことを認識して、正攻法の戦いでは実力のある同僚に勝ち目がないと悟る。そうだ、アニキ過去ブログ「自分の土俵で闘え」だ。まさに、この真理を実践している賢い奴らだ。正攻法での戦いがライバルの土俵であるとわかると、そこで努力しても成果は出ない。上司はその土俵での勝者を評価するからだ。だから、正攻法の戦いを避けて自分の土俵を探す。すると、実力がないことを生かす己の土俵はライバルの足を引っ張るしかないことに気づく。自分ではアピーラーを積極的に選んでいるわけじゃないから、自分がやっていることがアピーラーの所業だとは気がつかない。ただ、ライバルの足を引っ張るだけである。ここがアピーラーとしてのデビューであるが、本人にはアピーラーの自覚はない。というか、アピーラーを意識している奴なんかはこの世にいない。
 このブログを読んでいるアピーラーの多くは、他人のことを想像している。自分のことだとはつゆとも思ってない。自分の同僚や上司を想像して、「あいつはアピーラーだな」とほくそ笑んで読んでいるはずだ。アピーラーとは陰口だから自分で名乗る奴なんかいない。しかし、まずここで覚えておかないといけないことは、後ろ指さされるこのアピーラーには誰でもなれるわけではない。目指してアピーラーになる奴もいない。分析力に優れる小ずるい頭の良さがあり、用意周到で汚い手段で評価を確実にものにする。そんな奴だからこそ、周りから脅威的に見られ後ろ指をさされるわけだ。実力がなきゃ、だだバカにされて終わりだ。しかし、ずる賢くのし上がってゆき、いつ自分が的に掛けられるかわからないからアピーラーは怖い存在なのだ。アピーラーと後ろ指を指される理由は、それが脅威な存在であることと、出世や評価のためにそこまで汚いことをできないという嫉妬や羨望も含まれているからだ。

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アピーラー達の午後(5/14) ~卑怯な土俵で闘え!~ [哲学]

 まあ、汚い。というか、相手を引きずり降ろすまでとにかく、あらゆる手を使って蹴落とす必要があるから、直接的なウソだけでではなく、ターゲットの評判を落として孤立させる。また、上司との連携にもひび割れを起こさせる為に、周りにも平然とウソ情報を吹き込んでゆく。一度、足を引っ張ると決めたなら、結果がでるまでやり続ける必要もある。そのため、性格も次第にゆがんでくる。顔も意地悪くなる。その笑顔には昔のような爽やかさはない。直接的な攻撃が利かないと、落とし穴を堀りそこへ導こうとさえするようになる。いわゆる、毒盛りだな。
 要するに、ライバルの周りに地雷を埋めてゆくような感じだ。それをばれないようやろうとする。スパイ顔負けの行動だが、アピーラーと言われる連中のやることは、大体の行動が浅はかで緻密じゃないから、行動がモロバレのケースが多い。「またやっているよ、あいつ」と干されてゆく輩も多い。しかし、アピーラーの地道な努力は、そのマメな工作活動によりライバル蹴落としにまんまと成功してしまう。この世界は意外に努力が報われる。マイナスの世界の努力は実を結びやすいのが世の常である。やることはえげつなくても努力は決してムダにはならない。そこが人生の不思議なところである。そして、そんなアピーラーが運良く部長にでもなろうものなら、今度は自分の地位を脅かす後輩達をも蹴落として、自分の地位を脅かさないように、自分に近づかないように罠を張る。諸君の周りをよく見てくれ。部長とその直下の年代が結構空いているなら、その部長は間違いなくアピーラーである。己の直下の部下を、何年も潰したり異動させたりして排除してきた証である。すごい奴になると5年以上も空けている。中小企業なら10年も空けているようなそんな輩も数多く存在する。
 アピーラーは自分に実力がないのはわかっているから、実力のある奴がとにかく怖い。常に自分が部下に抜かれるんじゃないかと恐れている。実力がないゆえに実力者に怯える。アピーラーとは要は小者なのだ。小者は所詮小者であり、それ故に戦い方も醜いのだが、それしか方法がないのだからそれを実践しているにすぎない。傍から見ると汚い手段を使うので卑怯に映るのだが、彼ら小者も実力のない中で何とか出世したいと努力する健気なサラリーマンである。そういう意味では、結果を出すために自分の得意な土俵で戦っているだけだ。外部が、「もっとフェアに戦え」とか、「姑息なことをするな!」とか批判するが、アピーラーからすれば、「はあ?」だ。フェアな戦いとは当然実力のある連中の土俵である。人の土俵で勝負してはいけないとアニキは、このブログでも過去ブログ「自分の土俵で闘え」でも警告している。アピーラーはやることが汚いから周りから見ればすべてが負に映るが、彼らにとってはアンフェアが自分の土俵であり、そこで勝った者が正義だと考えているだけである。
 まさにそれは歴史が証明している人間社会の真理なのだ。

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アピーラー達の午後(4/14) ~サラリーマン2つの道~  [哲学]

 そういう意味では、アピーラーは自然とできあがってしまう自然の産物だとも言える。ウソつきという技能を研ぎ澄まされた戦士「サラリーマン」は、その技能をどう使うかが重要になる。ウソつきだけなら、普通のサラリーマンだ。というか、前回の記事でも話したが、会社勤めする人間は全員ウソつきだ。ウソつきじゃないと仕事にならないのが現実じゃないか?まあ、この話は長くなるから、詳しくは後日ブログ「サラリーマンの謎『うそつき』」で話そう。ここでは、ただのウソつきサラリーマンがアピーラーに変貌する様を見てゆこう。サラリーマンがアピーラー化するには他の環境要因が必要だ。その要因を分析してゆこう。
 まず、サラリーマンとして社会の競争に身を投じたなら、その仕事上には2つの競争戦略しかない。意識してやっている奴もいるだろうが、大概は無意識にやる。それは何かというと、「手柄を取りに行くか、相手の足を引っ張るか」の2つのどちらかだ。平たく言えば、「自分が上を目指すか、相手を蹴落とすか」だ。言い換えれば、プラス評価を得るか、周りをマイナス評価に落とすかだ。性格にもよるのだろうが、前者は正常な競争だ。だれでもわかる普通の競争であり正当な競争だ。仕事の世界も同じだ。新規拡販や新規開発、売上アップに努力するなどして手柄を挙げて評価を得、出世する。そう、ライバルとの競争の中で自分の努力と実力で成り上がるのだ。スポーツ選手と同じだ。見ていて気持ちがいい。自分の真摯な姿勢での努力を突き詰めて高みを目指す。スポーツ選手の真剣な努力により、人に感動さえも与える場合がある。「サラリーマンシップにのっとって正々堂々と戦うことを誓います」って感じか。
 そして後者がアピーラーの取る戦略である。アピーラーは、ライバルの足を引っ張って引きずり降ろす。自分が上にあがるのではなく、周りを引きずり降ろして、自分が頭ひとつ出るという作戦だ。スポーツ選手でこれをやる奴はいないだろう。ライバル選手に毒を盛るような話だ。これは、卑怯なやり口だから正々堂々としていない。引ずり降ろす相手が強力であればあるほど、醜い作戦が必要となるからだ。誉められるもんじゃないが、まあ、引きずり降ろす手段もピンキリだ。その卑怯なやり口の中でもまだ許される範囲といえるのは、ライバルの裏情報を流して評判を落としたり、必要な情報を流さなかったりと、相手の仕事の質を落とす戦略だ。こんなのはまだかわいいレベルだが、強力なライバル達は心も強く実力もあるのでそんな程度のことでは全く動じずない。生半可なやり口じゃ足を引張れないから、更なる卑怯な作戦が必要だ。醜い作戦はいくらでもあるから想像してくれ、ここでは敢えて言わない。とにかく、引きずり降ろすまで醜い作戦は永遠と続くのだ。

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アピーラー達の午後(3/14) ~サラリーマン最大の仕事「うそつき」~ [哲学]

 そんなクズ野郎なアピーラーであるが、人は誰でもアピーラーになり得る要素がある。昔を思い出してほしい。諸君は就職の時、就職面接で嘘八百を並べ立て、面接をクリアしてきたではないか。懐かしい人生の一幕だっただろう。雀の涙ほどの小さな実力を、これぞとばかりに大きく見せてきたことは記憶にあるはずだ。そのテクニックこそが、アピーラーの技能のひとつであり、その片鱗は誰でも持っている。事情の知らない相手に対しては何でもありという自然法則がある。要は、「ウソそつき」である。ウソで塗り固めて武装する。これがまず、諸君がサラリーマンとして最初にやったことだ。もしかすると、相手の面接官も君らのウソのうまさを見ていたのかもしれない。この神妙な面接の場でそこまで平然とウソをつくかと、しらっとウソ嘘つくことができるクソやろうだが、その度胸と演技力を見て「こいつはつかえる」と面接管は考えるのかもしれない。なぜなら、サラリーマンにとってはウソつくことが最大の仕事であるからだ。ウソつき人生と言っても過言ではない。さて、面接をうまく切り抜けると、晴れてサラリーマンの一員となるのだが、部署に配属されると、上司や先輩は「ウソはダメだ、真実を伝えろ。ハートtoハートだ!」と声高々に指導するのだが、彼らの背中を見ると、日頃やってることは嘘八百だらけだ。その姿に、「な~んだ、指導自体がウソじゃないか」と新人は身を持って理解するわけだ。上司と飲んだ席で、「なんでウソなんかつくんですか?」と真面目に質問しても、上司はただ、「お前はまだ青いな。それが会社勤めってものだよ。」と、理屈にならない回答しか返ってこない。
 そう、社会においては、正論だけで物事は進まない。仕事をうまく前に進めようとすると、正しい真実は邪魔なことが多い。で、ウソをつくことになるのだが、下手なウソは相手に見破られるから、またそれを別のウソで塗り固めてゆく。ウソをウソでうわ塗りするので、エビデンスも改ざんすることになり、何が真実かわらなくなってゆく。そんなウソの毎日を何年も過ごしてゆくから、条件反射的にウソが口から出るように成長する。仕事で少しでも追い詰められると、ウソが自然と口からでてしまう。息するようにウソが出る。そこまでウソが磨かれてゆく。どんなダメ社員であっても、ウソつく技能は世の全サラリーマンが全員漏れなく成長する技能だ。
 しかし、上塗りされ続けたウソには必ず限界がある。そして、そのウソが身を滅ぼすことになる。取引先相手に被害が及び、もうこれ以上ウソつくことが不可能となると、いよいよ上司にまでそのウソの影響が及ぶ。上司はウソもここまでかと観念して、担当者を変えてリセットする。担当者が勝手にウソをついていたのではなく、上司がウソを指示していた場合でも、その上司は平然と、「前任者がウソついてましたので、新たな担当者に変えました。こんどの担当者は正直者なのでもう安心です。」と、ここでも大ウソをつくわけだ。まさに、企業の人事ローターションとは、定期的にウソのリセットが大きな目的でもある。
 そう、ウソつきは日常の仕事に欠かせない業務行為であり、毎日毎日朝から晩まで何年も取引先や社内にウソをつき続けるわけだから、自然とウソの技術が磨かれてゆく。繰り返すが、サラリーマンは自然とウソの技能が高まってしまうことになる。よって、アピーラーは、高まったウソという技能を、自分の出世やポジション安定、又は評価を上げるために用いているだけとも言える。


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アピーラー達の午後(2/14) ~その秀逸な技能~ [哲学]

 さて、サラリーマン社会におけるゲス野郎「アピーラー」とは、アピールすることがすべての輩達である。アニキは人の道に逸れた人種を輩(やから)と呼ぶ。美空ひばりの柔(やわら)ではない、輩(やから)である。最低な野郎達だが、会社勤めしている輩はまだ社会性はあるからそんなに敵視しなくてもいいのだが、自分に被害が及ぶなら話は別である。輩は実に迷惑な存在となる。
 そんな輩の日常の信念は、「手柄」を見つけることだ。トリュフを探す豚のようにアピールのネタを探している。何でもいい、自分の手柄と映るものすべてが、アピーラーのターゲットだ。タナボタの受注も、人事異動も、ラッキーな出来事もすべてアピーラーが自分のストーリーとしてしまう。ネタはボロでもかまわない。ひどい奴になれば、取引先人事も自分の根回しの成果だと主張し、すべて自分が陰で動いたからだと報告する。アニキのかっての上司も筋金入りのアピーラーだった。アピーラー選手権でもあれば、かなりよい順位を取れそうな最低な男だ。昔こんなことがあった。大きな問題が発覚し、上層幹部から解決の指示を受けたそのアピーラー上司は、「わかりました。私は陰で動きます。」と応えてあとは何もしなかった。アピーラーが板に付いたかなりのツワモノだ。その部下達が必死に問題を解決しようと動きまわり、最後には事なきを得たのだが、結果報告はその上司が幹部にするわけだから、いかようにも事実を曲げることができる。その報告の様子を他の部長から聞いたが、やはり、「自分が陰で動いた甲斐があった」と説明していたそうだ。な、かなりのアピーラーだろう。クソもいいとこだ。これが、祈祷やお百度参りでもして得た結果ならまだ許せるが、何もしないで結果だけ横取りする。部下が真剣に動いても結果が出なかった場合は、「もっと自分が動いていればこんな結果にはならなかった」と後悔の演出をして悔しがる。部下に任せた自分が悪いと、自分の上司である幹部にとことん詫びるのだ。その詫び方も迫真の演技であるため、幹部も許してしまう。頭を深く下げて詫びながら、その口元では舌を出しているわけである。幹部がアホなこともよく知っていて上手く利用する。そんな演技もまたアピーラーの技能である。
 これがアピーラーの生態であり、現在の目の曇った上層連中ではそれが真実かどうかを見抜けない。出た結果を「自分が仕組んだから」というストーリーに塗り替えて上司を納得させてしまう手腕がある。これだけでも相当なサラリーマンの武器となるのだが、アニキはこれをサラリーマンの武器とは絶対に認めない。


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アピーラー達の午後(1/14) ~その真実と生態~ [哲学]

 「アピーラー」って言葉を聞いたことはないか?サラリーマンを長くやっていると、その言葉をあちこちでよく耳にするはず。一般用語じゃないけど、どこの会社にもそれらしき言葉があり、表ではなく陰で使われる。響きはかっこいいが、それは決して褒め言葉ではない。かっこ悪い象徴だから、映画にもならない。どちらかと言えば、けなし言葉だ。語源は、読んで字の如し「アピール」から来ている。アピールする人という意味で、アピーラーだ。
 では、何をアピールするのか?サラリーマンである以上、当然、仕事でのアピールである。サラリーマンにとってアピールは大切だ。アピールしなければ給料も上がらないし出世もしない。大きな企業ではなおさらだ。こんなことは誰でも知っている。なら、なぜアピーラーと罵る必要があるのか。アピール?いいじゃないか、当然だろ。アピールはサラリーマンとしては必然の話であり、それは仕事が評価されるためには必要なことだ。しかしなぜ、アピーラーは陰で言われるのか。アピーラーとゲス呼ばわりして、アピールすることをバカにする必要はあるのか。
 アニキはアピーラーをゲス野郎と罵る。それは、アピーラーには罵られるだけゲスな奴らであり、その存在には大きな問題があるのだが社会問題とはなってない。それは、アピーラーはただゲスなだけで、法律を犯しているわけでもなく、違法者でもない一般人だからだ。だから、法をもかいくぐることもできるその体質が、アニキには許せない。
 ではなぜ、アピーラーはゲスなのか?アピーラーをあえて定義しないが、指さすとすれば、彼らは日々アピールすることに忙しく、本業は無視又は手を抜いて、アピールのみで出世や昇給を手に入れている。それの何が悪いの?と言われるが、それは運よく周りにアピーラーいない世界で仕事をしているだけで、彼らの踏み台にされてないから平然としていられるのだ。彼らに引きずりおろされた経験がないから、悠長にしていられるだけだ。しかし、長いサラリーマン人生の中には必ず現れると言っておこう。付け加えるならば、会社の上層部に参入すれば、周りはみなアピーラーだらけだ。だから、出世したら必ず会えるから、まあ心配するな。
 というか、企業の上層幹部の競争では、サラリーマンシップのような正々堂々とした競争は存在しない。そこには、手柄を取りに行くんじゃなく、誰かを蹴落として自分がのし上がる競争しかない。今まで人情派で親分肌だった上司が、役員候補になった瞬間、突然悪魔の手先のようなことをするようになる。自分の今までの実績と能力だけではそこから上に上がれない。頭一つ飛び出るため、その出世のために背に腹を変えられないから、悪魔に魂を売るようなアピーラーの技能が必要となり、出世のために禁断の果実に手を出してしまう。言わば、出世という果実を取るために、アピーラーという禁断の能力に手を出してしまうことになる。それまで築いてきた行動軸も理念も捨てさせていまうその魔力「役員就任」。この話は長くなるから、後日ブログのサラリーマンの謎「出世」で詳しく話すとしよう。

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「嫌われる褒め言葉」を使いこなせ!(第三弾) [コーヒーブレイク]

 アニキの前の会社にTさんという先輩がいた。なかなかよい人で、アニキは自転車が趣味の時期があり、一緒に休日にはサイクリングに出掛けた。ある日、一緒に自転車ショップに行った時のことである。自転車用のヘルメットを購入しようと、Tさんはいろいろと試着していたのだが、どれもサイズが合わない。そんなことはないということで、店員さんが手伝ってくれたのだが、確かに合わないのだ。その原因を分析したところ、頭の大きさではなく、形が普通の人と少し異なっていた。頭の奥が長いのだ。上に長いのではなく、斜め後ろに長く伸びているという特徴がある。ちょうど、映画のエイリアンのような感じで、エイリアンにヘルメットをかぶせるような雰囲気だ。そこですかさず、「かっこいい頭の形ですね、エイリアンみたいですよ」とTさんを褒めた。結局そこに置いてあるヘルメットはどれもダメで、外人用を取り寄せるという結果になった。
 頭の形と言えば、こういう話もあった。アニキが新人営業マンの頃、取引先にK部長という人がいて、この人の頭の形が気になった。頭のてっぺんがとがっているのだ。こんな人は初めて見るのだが、いつもK部長と会うと頭に視線がいってしまい、あまり見ないようにはしていたが、気になった。なぜなら、その部分を手で持てそうな感じにとがっていたからだ。ちょうど、ちびまる子に登場する長沢くんのようなイメージだ。ホントにそんな人がいるんだなと、マンガであるちびまる子の登場人物は、だれもが現実離れしたキャラであるが、実は現実に存在していたに違いない。
 昔、アニキの以前の部署にKさんという女性がいた。彼女はいい歳なのだが、なかなか結婚しない。結婚するのが嫌なわけではないらしい。男の理想が高くなかなかお目当ての男が目の前に現れないという。好みを訊いてみたが、「白馬に乗った王子様」が迎えにきてくれるはずだから待っているという。占いでそう言われたようなのだ。この現代、白馬の王子とはどんな奴だ?と。いかがわしさ満点である。白いタイツでもはいているのか?本当にそうなら、それは王子でなくただの変態だろう。その夢を律儀に信じている姿が健気なので、あまりチャチャ入れるのは止めていた。しかし、月日は過ぎて10年以上も経過したが、白馬の王子は一向に現れないようだった。会社の飲み会の時に状況を聞いてみた。彼女は占いが当たらなかったんじゃないかと落ち込んでいた。アニキはかわいそうに思い、「待ってもダメなら、そろそろ自分からアタックしなきゃ」とアドバイスし、「今更王子様は無理だから、王子はやめて乗っている白馬を狙いな」と。何事も理想を追うのではなく、身の丈を考えないといけない。白馬なら何とか手が届くはずだ。


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自分の土俵で闘え!「続編」(5/5) ~「お願い」という交渉~ [哲学]

 この話、長くなりすぎたからそろそろ終わりにしたい。交渉とは、サラリーマンの闘いである。しかし、仕事において交渉を軽んじている人がとても多い。お客が有利だというのも幻想だ。最初からそう見せているだけだ。彼らは普段から自分が客だということを前面に押し出し、立場の違いをこちらに植え付ける。そうこちら側を洗脳しているにすぎない。しかし、これはれっきとしたお客側の交渉戦略であり、実際の交渉になった場合、すぐに自分らの土俵に「気」を引きずりこめるように周到な準備をしているのだ。だから、そういう状態も想定内にしておかねばならない。お客という立場で攻められると、すべての交渉が「お願い化」してしまう。そういう状態のお願いは、すでに相手の土俵でお願いしているわけであり、お願いを聞いてもらえるはずもない。お願いを聞くかわりに、もっと大きな宿題を背負わされたりする。相手の土俵でお願いするということは、ケツの毛まで抜かれてもおかしくないのだ。このような状況でのお願いを「単なるお願い」と呼び、交渉戦術である「お願い」と区別したい。
アニキは最初、お願いも交渉戦略のひとつと言った。お願いは交渉にも使える高等戦術だ。要は使い方次第だ。上記のようにお客にただお願いする「単なるお願い」は、交渉でもなんでもない。玉砕覚悟の「お願いしたけどダメでした」という結果を最初から想定している話で、その時点ですでに「気」が抜かれているのだ。お願いはれっきとした戦術であるが、お客などに使う場合は必ず、自分の土俵で使わなければならない。マウントポジションを取った上で発動する攻撃である。こちらが有利な状態でしか使ってはいけない武器なのだ。
 そう、自分の土俵に持ち込めば、「お願い」という交渉術でお客をこちらの有利な方向に誘導できる。簡単に言えば、こちらの土俵でする「お願い」とは、「こちらの要求を呑まないとひどいことになるよ」という相手の弱みを突いた話を、単に下から目線で要求することにある。なんせ、相手はお客さんなんだから、遺恨が残らないように丁寧に圧力をかけるわけだ。だから、ここでの「お願い」とは、実際は脅迫である。上から目線の「脅迫」の話を、下から目線の「お願い」という形に変えて相手に伝えているにすぎない。「お願い」はそのようなシチュエーションにおいて最大の効果を発揮する。そういう状況で発動する「お願いという戦法」は、相手の気持ちも考慮したすばらしい作戦なのである。
 何度も言うが、この人間社会において単なる「お願い」は存在しない。すべては交渉である。単なるお願いでは、奥さんにお小遣いの値上げなんてできないだろ。


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自分の土俵で闘え!「続編」(4/5) ~交渉はツーマンセル~ [哲学]

 先日も話したが、交渉とは「気」のやりとりだ。「気」を奪ったり気を取られたりと、交渉中ずっとそれが行われる。最後の「気」を完全に奪った方が交渉に勝つことになる。相手の「気」を容易に奪うことができるそのシチュエーションが土俵である。自分の土俵に持ち込んで相手の「気」を完全に抜き取る。「気」を抜き取られた相手は完全喪失の状態となり、交渉においては相手の思うツボだ。白旗を揚げることになる。
 じゃあ、どうするか?運良く相手から「気」を取り戻せたなら反撃開始だ。そうだ、相手の土俵が何であるかを見極める。こちらの弱みの追求を早く止めさせて他の土俵にすり替える。一見難しそうだが、冷静になれば穴が見えてくる。今度はそこで相手を突くのだ。それができた時、そこがこちらの土俵になったということだ。交渉である以上必ず穴はお互いにあるもの。自分の穴を攻められたくないものだから、相手はこちらの穴を攻めてくことになる。だから、議論の内容のすり替えが必ず必要となる。
 そして何度も言うが、「気」は一瞬にして抜かれる。「気」が持っていかれると取り戻すのに苦労する。そう、「気」を持っていかれると、エネルギーが失われた状態で闘わなければならないから、大変苦労する。あせりがあり、意識がもうろうとする中で何とか土俵をすり替えなければならない。経験値が大いに重要だが、こうならないための簡単な対策はある。
 それは、交渉事は2人以上で臨めということだ。交渉は必ず2人かそれ以上で臨まなければならない。これで「気」が取られっぱなしにはならない。自分の「気」を相手に取られたら、もう一人が冷静にそれを取り戻せばいい。交渉時はメインスピーカーがいてやりとりする場面がほとんどだ。相棒はその様子を冷静に観察し、こちらが相手の土俵で闘っていると察したらすかさず横から口を挟む。そこで「気」の抜き取りが中断されるから、今度は「気」を抜き取られていたメインスピーカーが、深呼吸でもして冷静さを取り戻し相手の隙を狙えばいい。自分に代わって交渉している相棒が今後は「気」を取られたら、また自分が助け船を出す。この繰り返しで相手を弱らせる。ツーマンセルとはそういう交代作戦であり、人数は別に3人でもいい。それ以上は統制が取れないのでやめた方がいいもしれない。交渉については、後日ブログサラリーマンの謎「交渉」で詳しく話すとしよう。
 だから、アニキは「交渉は絶対に2人以上でやれ」という。バカな奴は、膝を交えて相手じっくりサシで話し合うなんて悠長ことを言っているから、逆にやられるのだ。いくら気心が知れていても、所詮はサラリーマンだ。それぞれの立場があり、会社の利益で動くもんだ。彼らも自分の上司から命令を与えられているわけで、いくら気心が知れているからといっても友達ではないのだ。友達感覚だと思って乗り込んでいくその「気の状態」は、逆に無防備。単純な一言で一気に「気」を持っているかれるほどの無防備な状態なのだ。だから、一人で交渉に行きそこで一気に「気」を絡め取られたなら、誰もそこから救い出せない。「気」を吸い取られた状態で、一人で相手の土俵から抜け出るのは至難の業だと言いたい。そう、一人でいる時に流砂に飲み込まれたらまず助からない。それと同じだ。だからアニキは、交渉は一人で行くな!と言うのだ。絶対にツーマンセルで行くべきで、それが交渉のセオリーだ。
日本人は誰かに自分の交渉の弱腰を見せたくないものだから、一人で交渉に臨んだりする。そして、大概、交渉は失敗に終わるのだが、帰りの道すがら上司への言い訳を考える。相手に押し切られ不利な結果に終わった交渉に対して、正当性のあるストーリーに無理矢理書き換えているだけだ。商売を守るためにしかたなかったと。
 能力がないサラリーマンほど、交渉中の状況を誰かに見られたくないものだ。例えば、自分の上司部長がひとりで取引先に行くような輩だったら、大概実力ゼロの人間だ。部下を連れた交渉で滅多打ちにされた姿の方がかっこいいということに気がつかないバカ者だ。上司のかっこよさがわかってない。アニキ過去ブログ「かっこよさの定義」を読んで勉強してくれと言いたくなる。

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自分の土俵で闘え!「続編」(3/5) ~「かまし」をかわせ~ [哲学]

 交渉という場面において相手はこちらの弱みを突いてくるのだが、弱みがどこにあるのかわからない場合がある。そう、相手の弱みがわからないと、「気」を自分の土俵に引きずりこめないから、どこに弱みがあるのかを確認する作業が必要になる。それがかましである。かましは探りだ。かましで弱みを探り、かましでひるんだことが確認できたのなら、そこから徹底的に追い込まれる。かましでひるんだ瞬間に、自分の「気」は相手の土俵の中だ。まるで、ナルトに出てくるサスケの瞳術の中にいるようなものだ。この表現がわかりやすいかな?だから、かましにひるまないように適当に受け流す胆力の磨きも大事だ。かましにひるまないということは、自分の「気」が相手の土俵へ引きずりこまれるのをまずは防いだということだ。言葉で返すから「気」を持っていかれるんじゃないか?という質問をよく受けるが、口に出さなくても、相手はかましにひるんだかどうかをこちらの目を見て判断する。目が泳いだり、目がひるんだ瞬間を見逃さないものだ。目は口ほどに物を言う。だから、昔の帝は常に帳の向こうにいたのだ。
 まあ、その話はおいといて、とりあえず相手のかましにひるまなかったら、第一ステップはクリアだ。まだ、相手との交渉は五分五分だ。こちらの弱みを相手はまだ掴んでないわけだ。すると、次に相手は交渉する中身に入ってきて弱みを探ろうとする。話をいろいろな方向へ振ってこちらの状況を探る。そのときに相手は自分の立場を利用する。売る立場ならそのことを盾に取る。買う側はそれだけで負けてしまう。とにかく、相手は弱みを探りマウントポジションを取ろうとする。格闘技と同じで常に隙を突かれないように気をつけなければならない。
 で、相手はこちらの弱みを掴んで攻めてきたなら、もう自分の「気」は相手の土俵上である。交渉において相手が有利なポジションで話す時、すでに相手の土俵にいるわけだからすぐにそこから出ることを考えなければならない。いつまでも相手の土俵にいたのではこちらはやられてしまう。ではどうするか?
 まずは、相手の土俵に入ったなと冷静に感じることが大事だ。相手が有利にガンガン攻められる状況では、案外頭が真っ白な状態、いわばパニックを起こしている状態だ。それは相手の罠であり、相手が自分に馬乗りになりボコボコにしているマウントポジション状態だ。そう、まずは冷静に状況を見ることだ。「俺は相手の土俵に入ったな」と分析できたなら、頭は冷静だ。その状態の心にする。すると相手は、こちらの目を見る。マウントポジションを取って、ガンガン弱みを突いてくるが、冷静な目でそれを見ているこちら側がいれば、完全にこちらが土俵にいないことを感じる。それを相手が感じた瞬間、相手の気が緩む。完全にマウントポジションを取り、相手の「気」を奪ったと思っていたのにそうなってない現実を受け止めた瞬間に、自分の持っていかれた「気」の数%がこちらに戻る。これが重要だ。もどった「気」は自分の本体にかろうじて残った気にプラスされ、少し冷静な判断ができるようになる。
 ただ、数%の「気」の力では到底相手には勝てない。せいぜい五分五分に持ち込むのが精一杯だ。だから、一般人は「今日は不利だから」と次回へと交渉を繋ぐことを考えてしまう。「再度検討します」や「一旦持ち帰ります」などの対応を見たことあるだろ。これが交渉の出直しである。この不利な状態を何とか抜け出して、自分の上司の力を借りたりアイデアを相談する時間が必要となるわけだ。家庭の奥さんとの交渉に対しては「わかったよ」「もういい」などの逃げ腰撤退だな。「何がわかったの?」「『もういい』とはなによ?」と追いかけられるが、ダンナは早々にベッドに退散して策を練るのだ。


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自分の土俵で闘え!「続編」(2/5) ~気は一瞬で移動する~ [哲学]

 そう、交渉とは相手と面と向かってやり取りする潜在的な「気の勝負」なのだ。自分は交渉で負けてないと思っていても、実はすでにエネルギーが吸い取られている状態であれば、相手の土俵に立っていることになる。ヤクザや関西人のかましは、交渉を始める前の段階で、最初から「気」を自分の土俵に引きずりこむ手口である。
 これらをエネルギーと呼ぶ人もいるが、エネルギーとはすなわち「気」だ。同じ話である。交渉や人との会話でも常に「気」のやり取りが行われている。アニキは「気」やエネルギーを目で見ることはできないが、世の中にはこれが見える人がいるらしい。しかし、アニキは人との会話や交渉においては、「気」の流れをなんとなく感じることができる。現在、どっちに「気」の流れがあるのかは、「気」の流れを見なくても、交渉の状況を見てどっちが今有利なのかを見ればいい。有利な方に「気」が流れているに決まっているからだ。交渉だけじゃなく、サラリーマンにおいてはいろんなところで「気」のやり取りは起こっている。
 例えば、部下を怒っている上司は、上司が自分の土俵に部下の「気」を引きずり込んでいる。自分の土俵に部下の「気」を拉致して、ボコボコにしている状態なのだ。逆に、上司に反抗して上司がひるんでいる状態は、部下の土俵に上司の「気」を拉致してボコボコにしている状態だ。要するに、表面に現れている言い合いの裏では、常に自分の土俵に相手の気を引きずり込もうと綱引きしている状態だ。交渉だけではなく、一般的な言い合いにおいても、常に自分の土俵に相手の「気」を引きずり込むということをやっているだけである。
 そして面白いのは、土俵というからには、相撲のそれを想像してしまいがちだが、そうではない。「気」は一瞬で移動する。「気」を取られたと思っても、相手の弱みを突いて、相手がひるんだ瞬間に「気」はこっちに戻ってきている。そう、「気」とはエネルギーであるため、一瞬の移動が可能であり、その距離も関係ない。電話でも一瞬で交渉の状況が変わるのはそのためである。100kgを超えるお相撲さんが移動するような印象があるが、アニキ哲学の土俵とは心の中の土俵であり、現実の土俵ではない。
 そう、だから、相手の弱みを突くことで、自分の土俵に一気に相手の「気」を引きずり込むことができる。次はここをもう少し細かく説明しよう。


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自分の土俵で闘え!「続編」(1/5) ~交渉とは気のやり取り~ [哲学]

 自分の土俵というテーマでは、サラリーマンにおける重要な闘いがある。それはすなわち「交渉」である。自分は対外的な部門じゃないから、交渉なんか関係ないと言う奴がいたら、そいつは何もわかってない。人間関係において、そこに利害が絡む場合は利害の決着のための話合い、それが交渉だと一般的に理解されているはずだが、現実はそうじゃない。社会におけるすべての活動は交渉であり、世の中には交渉しか存在しないのだ。サラリーマンだけじゃない、親子だって夫婦だって常に交渉の中に身を置いている。奥さんへのお小遣い値上げのお願いや子どものおねだりも親への交渉の方法の一種だろ、違うか?人と人とが何かを行う時、知らず知らずのうちに交渉になっている。
 まあ、個人間における交渉の話はここでは長くなるから置いておいて、ここではサラリーマンにおける交渉の話だ。サラリーマンの交渉というシチュエーションでは、相手から有利な条件を引き出したり、値切ったり、注文をもらったりしなければならない。そして、そんな交渉で勝つためには、常に相手を自分の土俵引きずりこまなくてはならない。ここにも土俵という概念が重要となってくる。というか、この土俵の概念がアニキ哲学における「自分の土俵」という考え方に最も近い。それはどういうことか?
 大体、交渉に負ける奴はみんな、相手の土俵で戦っている。知らず知らずに相手の土俵に入ってしまっている。だから負けるのだ。交渉に負ける理由はそこにある。勝つ奴はいつも、自分の土俵に相手を引きずり込んでいる。だから、相手の土俵に引きずられないようにしなければならないが、いつの間にか相手の土俵にいる。なぜか?
 要するに、交渉という話合いの中で不利なのは、エネルギーを吸い取られてしまっているからだ。アニキ哲学での交渉とは、「相手の弱みを突くこと」である。これが交渉の定義であり、他には何もない。だから、相手の弱みを突くことを徹底的に考える。相手は間違いなくそうしてくる。相手はこちらの弱みを巧みに突いて有利なポジションを取ることを狙ってくる。そして得た有利なポジション、これが交渉におけるマウントポジションだ。マウントポジションは重要な概念だから、それについては後日ブログで詳しく話すことにする。要は、相手に弱みを突かれて、「それは困った」とこちらが思った瞬間に、自分のエネルギーは一気に相手に持っていかれ、その時はすでに相手の土俵の中にいることになる。そうなるともう、相手の思うツボである。要するに、どっちの土俵で勝負しているかは、自分の気がどっちにあるか?なのだ。「気」がこちら側にあれば自分の土俵、「気」を持って行かれたら相手の土俵で闘っているということだ。
 つまりは、何気ない言い合いの中では常に「気」の奪い合いをしているわけで、どっちに「気」が行っているのかを常に気にしなければならない。「気」というエネルギーのやりとりが交渉の勝敗のカギを握っていることに気づくべきなのだ。


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自分の土俵で闘え!(5/5) ~土俵とは何か~ [哲学]

 結局、人生は闘いの連続だから、勝たなきゃダメだってことだ。人生の闘いに全部勝つのは不可能だから、勝つ確率を上げなきゃってことだ。そこで勝つ確率を上げる一番の方法が自分の土俵で戦うことだ。自分の土俵に引きずり込んで戦うってことが重要になる。これがどれほど重要か。
 人は皆、得意がある。得意な場所がある。で、常に自分の得意な場所で勝負しようとする。自分の得意分野へ引きずりこむ。そう、自分の土俵に相手を導き、そこで勝負する。子どもなら、走るのが得意な奴は競走で、勉強が得意な奴は定期テストで戦う。走るのが遅い奴は競走で挑まない。勉強や絵など、自分が得意なもので勝負する。これが公平なのだ。子どもは皆知っている。これが自分の土俵ということだ。しかし、いざ仕事となると場所だけの話ではなくなる。
 サラリーマンの場合の土俵は、戦う場所としての土俵とは意味が異なる。サラリーマンは戦う場所は選べない。戦う場所は会社側から与えられる。サラリーマンにおいては、売上やら経費削減やら企画やら、会社の中の部署によって様々なノルマがあり、様々な戦いの場所がある。会社から与えられたその場所で戦いに勝つしかないのだ。そう、戦う土俵は変えられないのだから、自分が別の土俵で戦いたいと思っても、部署を異動するか辞めるかしなければそこから逃れることはできない。上司に売上上げろと数字ノルマを作られて、それに向かって無理矢理走らされている状況では、そこで何とかするしかない。そこは自分の土俵じゃないと思っても許してくれない。
 じゃあ、どうするか。白旗揚げるかやるしかないか。そう、やるしかないのだ。サラリーマンの場合は与えられ場所の中で勝たなければならない。子どもやスポーツ選手のように、自分の得意な分野や種目で戦うことじゃない。その与えられた場所の中でどう結果を出すかだ。例えば、競走という種目の中での得意なやり方を見つけるのと似ている。先行逃げ切りタイプなのか、ラストスパートタイプなのか。他にもあるだろうが、そういった話だ。要は得意なやり方を見つける話だ。
 営業での売上数字を上げるにはいろんなやり方がある。山登りと一緒だ。ルートは無限だ。登山ルートを開拓する奴もいる。それとも似ている。要するに、サラリーマンにおける土俵とは、場所のことではなく、結果を出すための方法論を指す。自分が得意な方法を見つけて、それを使って結果を出す。土俵とはそのためのやり方のことを意味する。そして、やり方を見つけ出し自分の得意パターンを作った時、それが「自分の土俵」である。繰り返すが、自分の土俵とは場所を指すのではない、やり方の形だ。この自分パターンが見つかれば、流れをその形に持ってゆく。営業なら売上アップのためには得意なお客で伸ばすのか、得意な商品で伸ばすのか、又は新しい顧客開拓を得意とするのか、又はライバルから横取りするのか、やり方は無尽蔵だ。
 そんなことは言われなくてもわかってるよ、と言うかもしれないが、ここからが重要だ。要するに、自分の土俵ができたら、その後はすべて自分の勝ち土俵に持ち込む。上司に提案して自分の土俵で勝負させてもらうように誘導する。結果が出る確率が高いなら、上司はそのアイデアに乗るはずだ。つまり、なんでも自分の土俵へ導いていくのだ。このことがわかってないから、高学歴者や高資格者でも会社の中で埋もれてる奴は多いのだ。
 アニキは何が言いたいかというと、戦いはすべて自分の勝ちパターンに持ち込め!ということだ。そう、これが自分の土俵で闘うということである。だからアニキは土俵という単語を使うのだ。


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自分の土俵で闘え!(4/5) ~欧米の罠にはまるな~ [哲学]

 過去ブログ人生の準備期間「学校」でも話したが、ゆとり教育は何の意味もなかった。子どもの心を弱くするだけの政策で、どう考えても、これは未来を背負って立つ日本人を芽のうちから潰しておこうという策略だろ。歴史を研究すればいい。現在の中国のやり方もそうだ。国や組織を壊滅させるためには、直接手を下すのではなく、じわじわと裏から壊してゆく。そんなことは人間の常套手段であったはず。日本人の発展を疎ましく思う勢力が、次世代の日本人の芽を潰しておこうと考えた者の仕業だろう。このバカなアニキでもこのくらいはわかる。頼むよ、日本の政治家よ。女と戯れたり私腹肥やしてもいいから、次世代の日本を蝕む策略だけは許さないでよな。
 また話が脱線した。本題に戻そう。要するに、競争からは逃げられないってこと。人間として生まれ、社会の中で生きてゆこうと思ったら、競争に立ち向かわなきゃダメなんだよ。競争に背中を見せちゃダメだ。ワンピースのゾロも言ってるだろ、「背中の傷は剣士の恥」だと。おれたちゃ剣士じゃないけど、日本人という軸を持った剣士なんだよ。あんまり、日本人って意識しないと思うけど、一度海外で仕事してみな。必ず日本人を意識するから。日本人であることに誇りを持てるから。この思いって大事なんだ。日本人は自分達のことを卑下するけど、それはそれで日本人の「謙譲の美徳」という本質であり、本音ではない。ホント、日本人ってかっこいいんだよ。奥さんは自分のダンナのことを全くそう思ってないと思うけどね。日本人の卑下は単なる愛想だ。本心はそこにはない。威張ることを美徳としない日本人の本質だけの話だ。奥ゆかしさにこそ凄みがある。これはグローバルでは価値があるんだよ。欧米人が自己アピールしない奴は頭が悪い証拠などと言ってるが、これらはまさに欧米人が自分の土俵に相手を引きずり込もうとしている誘導だ。さあ、やっとここからが土俵の話だ。欧米人の土俵では、相手を論破し自分を上位に位置させることだ。ディベート術なるものがもてはやされているが、そんなものは日本人にはいらいない。ディベートも欧米人の土俵であり、ここで戦ってはいけない。どれもこれも欧米の罠であるが、この話はまたの機会だ。
 アニキが言いたいことは、常に相手は自分の土俵に引きずりこんで戦おうとすることを見抜けってことだ。ワニは得意な水の中に引きずり込んで獲物をものにするだろ。人間以外の動物はみんな、自分の土俵に引きずりこんで戦うんだよ。
 やっと、今回の本題の「自分の土俵で戦え」に入れそうだ。

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