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カラオケで歌うオススメ中国曲 後編 [哲学]

 デュエット曲もぜひ歌ってほしい。お客と来てるカラオケだが、その真の目的はカラオケお姉ちゃんとのコミュニーケーションだ。デュエットなら客にも誰にも邪魔されない。そこで、オススメは、ちょっと古いが、張信哲の「有一点动心」、ジャッキーチェン(成龍)の「明明白白我的心」あたり。歌詞が比較的簡単だ。年配の人なんかは、このあたりを覚えるのがいいかも。でも、やる気のある若い奴はこれを覚えろ。陶喆 & 蔡依林の「今天你要嫁给我」、周杰伦の「珊瑚海」だ。今天你要嫁给我は、ラップの部分をサラリとこなせば、即持ち帰りOKだ!そして、珊瑚海はサイコーにしぶい。このあたりをしっかり歌ってしまうと、日本人の客と一緒だと、接待にならない。お姉ちゃん人気独り占めだから、客がかわいそうだ。仲間内で歌うか、親しいメンバーで歌うのがいい。
 あんまりノリノリ曲はなぁ、という人には聴かせる歌だ。嫌みになるから、「濃い」のはやめたほうがよいので、「軽め」のバラードっぽいのを紹介しよう。基本はメロディが聴いていて心地よいもの。アニキの基準は、「また歌って!」とお姉ちゃん達からリクエストが出るもの。ここがポイントだ。拍手だけでこの言葉がなければ、「もう歌うな」ということだ。カラオケの時はよく覚えておけ。アニキが歌って、リクエストが多かった曲を紹介しよう。まず、光良の「童話」、周杰伦の「星晴」、張棟梁の「当你孤单你会想起谁」、梁静茹の「暖暖」、孫燕姿の「遇見」、陈慧琳(ケリーーチャン)の「記事本」だ。どれでもいい曲だ。しかし注意は、上記の星晴なんだけど、これはかなり声量が要るから注意だ。アニキもたまに歌うけど、サビの部分で声が続かない。歌に自信があるなら、チャレンジしてくれ。
 そして最後に、アニキの十八番を紹介しよう。これだ!梁静茹の「会呼吸的痛」だ。この曲はバラードだが、アニキはサイコーに好きだ。お客と行くときに歌ってもしらけてしまうが、案の定、お客がお姉ちゃんとしっぽりと会話に夢中なら、その隙を突いてアニキはこれを歌う。中国にこれ以上いい曲はない!と言いたい。
(アニキが知らないだけかもしれないから、アニキにも他のいい曲紹介してほしい)

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カラオケで歌うオススメ中国曲 前編 [音楽・歌手]

 「脳の謎」は硬い内容だから、ここでちょっと一休みしよう。今日は、カラオケで歌う中国曲を紹介しよう。申し訳ないが、あくまでアニキの視点だ。
 アニキは中国に5年半滞在していたということはご存知だろうか。その前に4年ほど出張でも中国行ってたから、通算9年中国文化に浸ってる。で、行ったからには楽しまなければならない。海外で行ったところを楽しめない奴はカスだと言いたい。が、今日はそんな哲学を語るためではない。アニキが中国で会得した中国曲カラオケのオススメを紹介したい。なぜなら、よくアニキに、「中国曲で歌いやすい歌を知りませんか」とか、「中国カラオケで、何を歌えばいいですか」という質問を受ける。自分で考えろと、突き放してもいいが、そんなことしたら「アニキ」という称号を剥奪されてしまうから、ノウハウを惜しみなく教えることにする。
 まず、中国と言えば日式カラオケだな。だれもがうなずく。これ目当てで出張する日本人はいまでも多い。会社の役員・部長クラスは、まず間違いなくカラオケ目的で中国出張する。アニキはそのことを知っている。中国へ行く必要のあるクラスは、そんなお飾り役職ではなく、技術者若しくは実力のある者だけでいいはずだ。日本がこれだけ厳しい状況だというのに、無駄な出張費を遣って中国まで行き、カラオケへ通いお姉ちゃんと逢い引きとは、なんたることだと言いたいとこだが、接待目的も多々あるという事も認識すべきである。アニキも何度となく、そんな連中とお付き合いさせていただいた。
 まあ、サラリーマンの仕事人生において、必要悪はありすぎる。それを非難してもしょうがない。どうせなら、楽しもうではないか、ということだな。
 で、その日式カラオケだが、例えば中国の駐在員になると、「中国語の歌でも1曲歌え!」となるシーンがかなり多い。そうなると、何か持ち歌を披露しなければならない。日本からお客さんを連れて来た役員が、そう命令するのだ。ここで、応えられなければ、自らがあとで説教されるのみならず、自分との間に挟まった上司達も説教されてしまう。一蓮托生だ。で、自分の上に「おおきなバツ」をつけられるのだ。これは極端な例だが、中国に限らず、海外に駐在しているならば、その現地の歌を1曲でも歌えるようにすべきだ。これが駐在員心得とでも言っていい。「サラリーマンカラオケ道」については、またそのうち話す。ここでは語らない。

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脳の謎(4) ~主従関係~ [哲学]

 昨日は、「脳が勝手に夢を見る」と話したが、これについてもう少し説明しよう。その前に、皆が気になっている、その「脳は別の生き物。」について説明しなくてはならない。これは、アニキが発見した脳の最大の秘密だ。
 ここから話は急に難しくなるので、わからなかったら何回も読んでほしい。
 実は、脳は自分の体に備わった臓器の一つであるが、自分のものでないのだ。自分というのは紛らわしいので(脳も自分だから)、今から「肉体」と言う言葉に置き換える。ここで重要なことは、脳と肉体の意思は別物だということを理解してほしい。じゃ、どっちが自分だと言うと、「肉体の意思が普段の自分」ということで認識してもらえればよい。二重人格者という言葉を聞いたことがないだろうか。二重人格者というのは、脳の意思が肉体をも支配した状態だ。これで、簡単に説明できる。
 ということで、脳は肉体の意思とはうらはらな行動をする。願いが叶わないのはこのためだ。肉体の意思(自分)が思ったことと、脳が思ったことが同じなら、願いが叶う。以前有名になった「引き寄せの法則」や「マーフィー理論」だ。この原理は「脳の意思と肉体の意思の一致」だ。しかし、これがなかなかできない。脳は肉体の意思に簡単に従わないのだ。
 昼間、人が普通に生活している時は、肉体の意思が行動している。脳は肉体の意思に従ってるのだ。主従関係は「肉体の意思が上司で、脳が部下だ。」しかし、寝たときに主従関係が逆転する。そう、主従関係は、「脳が上司で、肉体の意思が部下だ。」寝るという行為は、肉体が寝るのであって脳は起きている。だから、寝たときに脳は、肉体の意思から開放される。脳は脳の意思で好きなことができるのだ。サーバーにアクセスして膨大な過去の映像を見たり、脳自体が考えたり、それは好き放題だ。
 実は、脳は昼間の肉体の意思が溜めたストレスを、サーバーと言う映画を見て癒やしているのだ。脳は、「肉体のやつめ、こんなにストレス溜めやがって」と夢の中で愚痴っているのだ。夢を見る理由はここにある。夢遊病者はそれの重症だと言っておこう。ストレスの溜めすぎだ。脳が肉体まで動かさないとストレス発散できない状態だ。子どもが高熱出した時、無意識で寝床から抜け出すのも、これで説明できる。
 そうなのだ、脳は、肉体のことを自分の主人だとは思ってないのだ。脳は、肉体はただの乗り物としか思ってない。そう、脳は、自分の主人は創造者だと思ってるのである。肉体をコントロールするという役目で、この世に「魂」と一緒に修行にやってきた。脳の意思は、「魂」の修行の手助け、創造主への報告、修行の中止という使命と権限を持っている。
 ここで一度、頭を整理しよう。アニキ哲学の前提をもう一度復習する。肉体は親から生まれる。脳も肉体と一緒に親から生まれる。だがそれは、あくまで入れ物としての肉体と脳があるのみ。まだその時の脳には、脳の意思とサーバーデータの記録はまだ入ってない。肉体にも魂は入ってない。「魂」と「脳の意思」は一緒にどこからかやってくるのだ。「魂」はどこからかやってくるという考えを提唱している人は多いが、実は「脳の意思」も一緒にそこからやってくるという考え方がアニキ流だ。異論はあるかもしれないが、それが真実なのだ。
 そして必要なことは、脳は肉体の一部であって、肉体の一部ではないといことを知ることだ。そして脳は、肉体にとって味方にもなり、敵にもなる、いわば諸刃の剣な「意思を持った臓器」なのだと理解することだ。それを、脳は別の生き物であるという概念で考えるとよくわかるだろう。
 そして面白いことに、「脳が別の生き物だ。」と肉体の意思が認識することで、脳は「秘密のひとつがバレた。」と焦る。今まで肉体の一部としてその影に隠れ、昼間は肉体の意思に従い、寝たあとは自由時間を満喫し、創造主に対して密告をしていたその事実が、肉体にバレたことを意味する。これはどういうことかというと、脳に取っては今後いろいろとやりにくくなるのだ。

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脳の謎(3) ~脳は別の生き物~ [哲学]

 今日は前世記憶サーバーを覗くという話をする。
 その全サーバーデータだが、一般に人は、生まれ変わる前、すなわちあの世にいる時だけしか見ることができないのだが、実は、現世でも見ることが可能なのだ。しかし、それを見ることはできるのだが、コントロールはできない。どういう事かと言えば、見たい記憶や経験を見ることができないということ。そしてそれは、人間であれば誰もに備わっている能力だ。もう、想像がつくだろう。そうだ、夢だ。寝たとき見るあの夢だ。夢は現在の科学者が束になってかかっても、その謎はまだ証明できてない。「情報整理の時間だ」ぐらいまでだろう。しかしアニキは違う、夢こそがサーバーのアクセスポイントであると言い切る。
 説明しよう。夢の中に出てくる人物は知っている人だけではないということを経験したことはないか?実は夢には、知らない人も多く出てくる。だが、知らない人だから朝目覚めても記憶に残らないだけ。行ったこと見たこともない知らない場所も多く出てくる。そう、夢を見るとは、人類の過去データにアクセスしている状態を言うのだ。自分の今世の経験や最近の経験も保管されていてアクセスしやすいから、夢にはそれらが出てきやすいだけだ。
 ここで問題なのが、夢は寝ているときに見るものだから、自分の意思が働かない。じゃ、だれの意思で夢を見るのだろうか。実はここが最大のポイントで、ここに気づいているのはアニキだけとは言わないが、ある意味少数だ。実は、脳が勝手に夢を見てるのだ。本人の意思が寝てるのをいいことに、脳が見たいものを見てるのである。脳が見たい物って、自分が見たいものじゃないのかと、疑問を持つだろうが、実はここに脳の謎が隠されている。脳は、「本人とは別の生き物である」事実を誰も知らない。
 なぜアニキはこのことを知っているのか。あくまで仮説の域だから、気楽に考えてくれ。このアニキの夢理論は、実はつじつまが合うと、いろんな人達から評価を受けている。退行催眠や生まれ変わり理論の文献を数多く読んでみるとよくわかる。そこに科学者の研究実績や人間の習性、カラダの構造、願望実現法則などを加味してみると、そのような結論に達する。
 では、なぜ人は夢を見る必要があるのか? これにも確かな理由がある。

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脳の謎(2) ~アクセス制限なしのクラウド~ [哲学]

 さあ、脳の謎2回目だ。昨日は、人間は生まれ変わるという概念から、その過去生の記憶が脳に保管されてるという話をした。今日はその保管機能の謎だ。
 そんな過去生の記憶サーバーだが、保存場所はどこにあるのかアニキもわからない。今のところ、それがどこにあるのかは、そんなに重要ではない。
 まず、過去の経験がすべてそこに保存されているという事実が重要で、それだけでも驚くのだが、実はもっとすごいのは、サーバー内に保管されたデータは、誰でも引き出しが可能だということだ。そうだ、あの世にいる全人類がこの情報を共有できる。これが人類の脳の秘密だ。残念ながら、脳がサーバーにデータを送ってる事実を考えると、実際に起こした行動だけでなく、心の中、すなわち頭で考えたことすべて記録されていると考えるのが妥当だ。そうだ、親切に振る舞っていても、見返りを期待してるとか、顔ではニコニコ笑っていても、心の中は憎んでるとか、全部筒抜けだ。脳に、サーバーへのデータを送信させる役目を与えるとは、さすが創造主だ。これじゃ隠しようがない。やることに隙がない。心が汚れた人間は、それは丸出しである。だから昔から、「神様はお見通しだ」というのは、そういうことだ。
 一般常識では、自分のデータは自分しか見れない。ところがこのサーバーでは、過去に何百回と生まれ変わった経験や記憶は、他の誰でもアクセス可能なのだ。それは、まるで映画やドラマを見るような感覚だろう。人はあの世で、他人の経験を通しても学ぶのだ。
 話は変わるが、実は、超能力の多くは、この人類の脳によるサーバーアクセス機能により説明可能だ。例えば、相手の心を読む能力なんかは、まさにサーバー利用しているのだ。実は、目の前にいる人の心を直接読んでいるのではなく、目の前の人がサーバーに送った情報を読んでいるにすぎない。心を読んでる本人も、目の前の人の心を直接読んでると思ってるが、そうではないんだな。千里眼や地獄耳もその類いの能力だ。超能力者とは何らかの原因で、サーバーに一部分だがアクセスできる能力を持ってしまった人。これで説明できる。この能力は、一般人には備わってないから、やはり超能力者なのだ。瞬間移動などはこの類いの能力ではない。おいおい説明してゆこう。
 難しい話だから、今日はここまでだ。

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脳の謎(1) ~脳とサーバー~ [哲学]

 世の科学者達は脳のしくみについて解明しようと、懸命に研究している。あれだけ真剣に研究しているのだから、いつかは解明されると思うが、それを待っていたら、我々の今世が終わってしまう。ならば、アニキの仮説に耳を傾けてもいいのではないだろうか。実は、アニキは脳の謎の一つを知っている。
 よく人間の脳は、その1,2割しか使っていないと言われてる。多くの科学者はそう言うのだが、それ以上のことはよくわかっていらない。では、残りの部分は何なの?あとはムダなの?いらない部分なの? 彼らは脳の8,9割を何かに使っているということを、証明したいのではないかと思う。しかし、それは現代では厳しい。
実は、科学者がその脳の謎を解明できないのは、非科学的な現象は考慮してはいけないからだ。科学で証明されてない基準は使ってはいけないからだ。じゃないと、論文に書けないし、学会でも発表できない。根拠を訊かれた時に説明不能だからだ。かわいそうだがしかたない。専門家とはそういう世界で生きているもの。だから、膨大な時間がかかり、他にも証明しなければならないことは無数にあるのだ。
 ならば、アニキは科学者じゃない、ただのサラリーマン。ただの外野だ。だから何でもアリなのだ。そう、非科学的、つまりはまだ科学で証明されてない多くの基準を取り入れることができる。今まで世に出ている不可思議。説明不可能だがありうるという多くの謎の数々。それらを考慮すれば、謎は比較的簡単に説明できるのだ。超常現象も科学的に説明しなければならないから行き詰まるのであって、非科学的な見解を織り交ぜて考えればよい。その結果、矛盾がなければとりあえず、それは正しいことになる。
 話を脳に戻そう。じゃ、脳の9割部分は何なのかといことだが、そこは人類が生まれてくる謎を含めて考えなければならない。「生まれ変わる」という概念を使う。人間は生まれ変わるという考えは、科学で証明できてないが、たぶんそうだ。その目的は現世での修行と言われてる。アニキもこの考えに同感だ。まず、この考えに同意できることが条件となる。(科学者なら、この時点で非科学的でアウトだ。) 
 そう、人は何十回何百回と生まれ変わる。なら、過去生での経験というデータは一体どこに行ってしまったのか。その場限りか。うそつけ、そんなはずはない。どこかに保存されていると考えるのが妥当であろう。この観点から考えると、答えはすぐだ。
 実は過去の経験データはすべて、宇宙かあの世かどこかのサーバーに保管されている。で、その一部のみ脳に保管されているのである。よく使う過去のデータや今世に必要なデータなどを生まれ変わる時に、人は自分で選んで脳に入れて持って生まれてくるのだ。特に直近の前世のデータが量としては多いはず。なぜなら、来世でそれらを生かしてスタートしたいからだ。昔、虫だった時の経験データなんかは、間違っても持って出てこないはず。
 ところがだ、その持ってきたはずのデータは顕在意識上では引き出すことはできない。つまり、自分の意思では閲覧することは不可能なのだ。そうだろう、現に今、前世を記憶している人ってほとんどいない。このデータだが、唯一、潜在意識下にて引き出すことは可能だが、人間は潜在意識を自由に操れない。悟りを開いた者のみ潜在意識にアプローチできる。そう、「悟りを開いた者とは、潜在意識を自由に操れる人のこと。」悟りを開くとはそういうことだ。一般人は、潜在意識にすり込むということすら難しいのが現状だろう。(悟り及び潜在意識の凄さの謎については、また後日説明しよう)
 難しい話だから、今日はここまでにしておこう。続きは明日だ。

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「お寺参り」の秘密Ⓓ最終回 [哲学]

 今回でこのお寺参りシリーズは最終回になる。総集編ってことで、まとめと補足をしよう。
 まず、お参りに行くお寺や祠は、何を奉ってあるのかを見極めることが重要だ。お寺に行くと、金堂の周りにもいろんな仏様を奉ってある祠があるから、よく探してみるといい。天様なんか、境内の裏の隅の方にあったりする。その散策もなかなか面白いから趣味にしたらいいかもしれない。「なぜこの位置にこの天が奉られてるのか?」など考えるのも一興だ。実は、すべてに意味がある。わからなければ住職に訊いてみることだ。自分だけの情報が得られる。また、願い事増幅器の周りにはいい気が残ってるから、それを浴びるだけでもよい。
 そして繰り返しになるが、ご本尊に対して言う言葉は前述の通りだ。観音様へお願いし、少しでも願い事が叶ったら、すかさず社長である如来様への報告だけでなく、その影で力を貸してくれた明王様や、血を止めてもらった天様へもお礼を言いに行くのだ。この「正の連鎖」を繰り返すことにより、幸運が自動化する。洗面器の水を手でかき回すうちに、自然と渦の流れができるだろ。それと同じだ。幸運を自動化したいなら、コレしかない!
 毎年同じ願い事をお願いしている諸君、今年からこれを実行しよう。突然すごいことは起こらないが、確実に幸運体質になるぞ。
さて最後に「願い事の内容」と「お賽銭の意味」について話そう。
 実は、願い事を叶えてもらうということは、仏像で増幅された願い事を、より強力なエネルギー体に替えて、仏様本体へ送る必要がある。そうだ、天上に仏様の本体があり、願いごとがそこへ届かなければ意味がないのだ。世界各地の仏像からそのエネルギーが転送されてくる。ならば、より強力に増幅されたエネルギーの束にする必要があるのだ。それはどうしたらよいか?願い事の内容がその決め手となるのだ。願い事の内容によって、そのエネルギーの強弱が決まる。より強力なエネルギービームを天上の仏様本体へぶつけるのだ。仏様がひるむぐらいの強力ビームをお見舞するのだ。言わば、宇宙戦艦ヤマトの波動砲クラスのやつだ。(古いな、許してくれ)
 それはどうするのか?人々を幸せにすることが、仏様の真意である。ここに注目しなければならない。仏様にとっての幸せにする対象は、「人々」であって、「人」ではない。この意味はわかるな。そう、対象は個人ではないということだ。これがキーワードだ。ここに秘密がある。実は、その願い事が自分だけ幸福になる内容であるなら、それはなかなか叶わない。ビームが細くて弱いのだ。独善的な内容では仏様本体へ届かないかもしれないし、お日様の光ぐらいにしか感じないかもしれない。それはどんな願い事かというと、誰かが不幸になったり損したりする願い事だ。自分の願い事が叶うと誰かが不幸になる願い事は、なかなか叶わないと言っておこう。もし叶ったなら、それはあなたの実力だ。仏様の力ではない。だから、定員のある入学試験の合格なんかは本人の実力だと、アニキは思う。
 では、どのような願い事がいいのか。その願い事で誰も傷つかないことだ。例えば、「金持ちになりたい」「彼女が欲しい」っていうのはいい願いだ。しかし、もう少し具体的に言わないと、「1000円程度の小銭が入ってきたり」「美人じゃない彼女が現れる」かもしれない。ま、内容は各人で考えてくれ。もう一度言う。お願いの内容は、「そのお願い事が叶っても、誰も不幸にならない、又は損しない」ということだ。この点をよく考えてからお願いすることを薦める。
 あとはお賽銭の話だ。まず、お賽銭の意義は仏様にあげるものではないと理解すべきだ。仏様はお金で動くような安っぽい存在ではない。そう思って、いままでお賽銭箱にお金を入れていたなら、それは失礼にあたる。そう思っていなくても、誰にどのような目的であげるものかと、皆、疑問に感じていたのではないだろうか。一般的に言われてるのは、「修行のために差し出すお布施」みたいな言い方するが、アニキには「ん?」だ。なんか、お布施ってきな臭いよな。
 アニキの考えはこうだ。お寺参りのお賽銭というのは、その仏像やお寺を守っていただいているお寺さん自体にあげるもの。仏像だって維持するのに大変お金が要る。何百年何千年も維持するのは凄いことだ。この「願い増幅器」を長年守ってもらったお礼と、これからもお願いしますって意味で、お寺さんにあげる。だから、仏像に手を合わせる前にお金を入れるんじゃない。まず、仏像に願い事するために手を合わせてお参りを済ます。その後、お賽銭を入れてもう一度手を合わす。これはお寺さんに対しての感謝の気持ちだ。だから、2回手を合わすのが正当だ。お賽銭の金額は各人の感謝の気持ちだから、自分の良心と相談だ。くれぐれも言うが、「お賽銭は仏様にあげるのではない」ということだ。
 以上だ。それでは、みんな!がんばって願いを叶えてくれ。今後のいい人生を期待する。

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「お寺参り」の秘密Ⓒ [哲学]

 今日は明王様からだな。この人は熱血教師、いわば教育係だ。企業で言えば、厳しい先輩ってとこか。悟りを開こうとしている人や世の中を良くしようと思ってる人をビンタしてがんばらせる役目だ。だから、明王様へのお参りもお願いじゃダメだ。おっかない顔がさらに怖くなるぞ。熱血教師に点数あげてくれって頼んでも、ビンタされて「おまえがんばれ」だけだろ。そうだ、明王様は熱血教師だから、当然お礼の言葉だ。「おかげさまでうまくいってます。ありがとう。」これだけでいい。
 または、自分の努力が正しいのかどうかを訊きに行くのが最高にいい。今の自分が歩んでる道が、ちょっと違うんじゃないかと思う人も多いだろう。その場合、明王様に訊いてみるのは効果的だ。「私の努力は間違ってますか。」とか、「私の将来はこの方向で間違ってませんか。」と訊く。ここで注意だが、「今自分ががんばってることに対して訊いてみる」ことが大事だ。がんばってないのに訊くと、「がんばれ」と、ビンタが飛んでくるぞ。
 それで間違っていれば、近々夢か何かで教えてくれるはずだから、そのサインは見逃さないように。基本的に間違っているなら、そこからビンタして引きずり上げてくれる。ほっとけないのが明王様だ。
 そして天だが、天はガードマンだ。いろんな様々な天様がいるのだが、それは守る範囲が広いからだ。現代社会は複雑だ。健康、財産、商売、安全などいろいろ守らなきゃならないものがあるだろ。だから、それぞれ担当を決めてガードしているのだ。だから、ガードマンへお願いしてもダメなのだ。ガードマンへ言う言葉は、そう「お礼」。「守ってくれてありがとう。」だ。なぜなら、お願いを叶えてもらう前にまずやらなければならないのは、今のこの悪しき状態を止めること。キズができて血が吹き出してるのに、体質変えるより血を止めるのが先だ。そう、「お礼の言葉」が血を止める。
 そして、それぞれの天様には名前があるから、役割担当もすぐわかるだろう。お金が貯まらない人や散財ぐせの人は、弁財天様に、「財産守ってくれてありがとう。」商売がうまくいってない人や商売人は、大黒天様に、「商売がうまくいってありがとう。」よく事故に遭う人や悪い人間にだまされやすい人は、四天王様に、「安全に過ごせてありがとう。」だ。
 今、自分がそれでうまくいってなくても、そう言うべきなのだ。なぜなら、「各天が守ってくれてるから、今の状態でいられる」と思わなきゃだめだ。そうしなきゃ、「負は連鎖する」から、もっと悪い結果を引き起こすだろう。そう、「不幸は複利で膨らむ」と覚えておこう。だから、これ以上悪くならないように、「不幸はここで止める!」ことが大事だ。血が止まるだけで運が向く人の方が多いんじゃないかと、アニキは思うが、どうだろうか。
 お寺参りする奴は、「不幸を防御して、改善したい」はずだ。完成された仏様の防御システムをまず理解すべきだ。いまさら、2千年以上も前にできた仏様のしくみに文句言ってもしょうがないだろう。そうだ、とりあえず「天には感謝で血を止める!」と心に焼き付けろ。

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「お寺参り」の秘密Ⓑ [哲学]

 さて今日から、仏像のカラクリに入る。仏像を知ってこそ、その御利益があるってもの。少し、その仏像について勉強してもらう。知識なくして理解なしだ。
 まず、お寺に供えられてる仏像は大きく分けて4つに区分される。偉い順に行こう。まず如来、そして菩薩、そして明王、最後は天だ。我々人間から見れば、全員天上世界の仏様だ。
 如来様はお釈迦様だから一番偉いんだけど、実はこの如来様、願い事を聞いてくれないのだ。皆、一番偉いから一番願い事が叶うと思ってるが、そうじゃないんだな。如来様ってのは悟り後の人だから、報告を聞くだけなのだ。いきなり、社長にお願いに行っても一蹴されるだろ。それと一緒。だから、如来様へのお参りは「報告」だ。どんな報告かと言うと、耳障りのいいことだけを言いに行くのだ。社長への報告と一緒だよ。怒られるようなことを言いに行く奴はいないだろう。じゃ、如来様への報告とは何か。「おかげさまで、今幸せです。」だ。「だから、大変感謝してます。」だ。このごますりこそ、如来様への最大の言葉だ。「ごますりなくして出世なし。」だ。勘違いするな、程度の話を言ってる。ごますりだけじゃダメだ。でも、少しはごますりもしろということ。
 あと、心の中では他のことを考えていてもいいが、敬いの気持ちだけは忘れるな。社長と話す時だって敬語使ってへりくだるだろ。そして、注意しなければならないのは、必ず口に出して言うこと。仏像は「願い事増幅器だ」ということを忘れてはならない。そう、小さい声でもよいから。
 で、次に菩薩様というのがいる。菩薩様はまだ悟ってない修行の身。会社で言えば役員とか部長クラスだな。実はこの菩薩様が願い事を聞いてくれるのだ。菩薩様は如来様より、世の中をよくしろって命令が出てる。いわゆる社長命令だな。悟りを開くのをやりながら、社長命令もこなさなくてはならない。そのノルマを達成するために、いろいろ幹部連中みんなで役割分担している。菩薩様の担当分けにおいて、いわゆる観音菩薩様が個人の悩み解決担当係だ。個人の悩み相談窓口だ。菩薩様達はいろいろ担当分けをして、どうしたら社長のノルマを達成できるかの政策を考え実行しているのだ。で、お地蔵さんというのも菩薩様の一つで、地域密着型相談係だから、お願いを聞いてくれる。今まで見向きもしなかった道ばたのお地蔵さんにお願いするのだ。その効果は高いぞ。
 ということで、菩薩様へ個人のややこしい話を聞かせるのだ。自分の悩みをぶつけるのだ。そう、願い事として。「観音様をお参りして」って話をよく聞くだろ。ここでも、言葉で言うのを忘れずに。敬意も払えよ、相手は会社の役員だ。

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「お寺参り」の秘密Ⓐ [哲学]

 人は何か願い事があったらお寺へ参りに行き願い事をする。“神様仏様”の仏様の方だ。昔から日本人の習慣になっている。多くの日本人は、仏様へお願いして叶えてもらおうと考えている。でも、願い事叶った奴はそういないはずだ。なぜなら、お寺参りの方法が間違ってるからだ。お坊さんは皆それを知っているが、事実を公表してしまうといろいろ問題あるから、皆黙っている。しかしそれでは誰も願いが叶わないから、本当のお寺参りの方法ってやつを、今からアニキが教えてやる。「ウソだろ-。」と思うなら、別に信じなくてもいい。アニキが勝手に言ってることだ。まあそんな考えもあるのかな程度で思ってくれればいい。アニキはいろんな世の中のカラクリに気づいてるのだが、これもその一つだ。まあ、実行する奴は願いが叶うかもよ。
 さて皆、毎年年初にお寺へ行って同じ事をお願いしてないか。「いい人見つかりますように。」とか、「お金持ちになりたい。」とか、毎年お願いしてないか。でも、叶ってないから毎年同じ事をお願いするんだよね。願い事自体にも問題があるけど、それはまた話が長くなるので、次回以降に話そう。とにかく、毎年同じ願い事してるなら、ちょっとアニキに耳貸してくれ。よろしく。さあ、いい話するぞ。
 まず、がっかりすることを教える。そもそもお釈迦様の仏教は、人の願いを叶えてくれるためのものではない。願いを叶えることが本意ではなく、人々を幸せにすることが目的だ。それを勝手に人は、「幸せ=願いが叶う」と結びつけただけなのだ。それがわかると、次第に仏教の人気が落ちてきたため、今度は密教という願を叶えてくれる宗派が出てきた。だから、密教は願いを叶えてくれるというから流行った。ここで矛盾が生じる。密教も仏教だ。お釈迦様の教義の派生なのに、どういう根拠で人の願いを叶えるのかということだ。ここに実はひとつのカラクリがある。実は密教は知っていたのである。仏教は本来、人々の願いを叶えることができると。お釈迦様もそれはわかっていたが、安易に願いだけを叶えてしまうことは人々の人生には良くないと考え、「幸せに生きる」ということにすり替えて、人々に説いたのだ。実は仏教とは、願い事を叶える強力な魔法なのである。それを表に出してきたのが密教だ。そして、密教の仏像崇拝こそ、願いを叶えるための手段で、いわば仏像は、仏様に願いを届かせるための「願い増幅器」なのだ。別に信じない人は信じなくてもいい。仏様にしてみれば、願いを聞く競争が減るだけだから。では、次回はその仏像のカラクリについて教えよう。

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③まがい者の見分け方 [哲学]

 では、その「まがい者」とはいかなる者なのか。それについて話そう。
 まず、まがい者とは、害のある人間だ。何種類か生息していることと、本人も気がついていないパターンもあるから、注意してほしい。見つけた時には、すぐに避けることだ。距離を置かねばならないが、注意点が一つある。にこにこしながら避けることだ。相手に自分が避けていることを悟られたらいけない。相手が友達や親しい人間の場合、相手の心にキズを付けてしまうから。生きる上で大切なことは、人の心にキズをつけないことだ。良くても悪くても、誰でもだ。
 だが、まず1番目はうさんくさい奴だ。こいつは避けろ。直感を信じろ。うさんくさいなと思ったら、近づかず距離を置け。実は、うさんくささをかぎ取る力は、生まれたときにすでに備わってる本能の力だが、ストレス社会の中で生きてまがい者に囲まれて生活していると、だんだん麻痺してくる。だが、心配するな。ホンモノを見ていくうちに、いずれまた元に戻るし、うさんくさい奴はホンモノが苦手だから、自分から近づいてこない。
 そして2番目は自分に危害を加える人だ。これは当然だ、言うまでもない。3番目は自分を利用しようとしている奴。前述のうさんくささも臭うから、比較的わかりやすいのではないかと思う。こいつも厄介だな。身近な先輩やクラスメイトだと、避けるのに苦労するはず。このような境遇に現在いるのなら、早く抜け出せと言いたいが、まずは避ける前にホンモノを早く見つけ出し、ホンモノの仲間を多く作ることだ。そのうち、利用しようとしてた奴らは近づいてこなくなる。
 そして最も厄介なのは不機嫌な人だ。これは一見して害はなさそうだが、じつはものすごく危険なのだ。なぜか、それは自分の潜在意識に危害を加えるからである。潜在意識は、生きる上で最も重要な概念で、願いや願望が叶うと言われる今でも謎の部分だ。実はアニキは潜在意識の研究を早くから始めており、謎を解き明かした(仮説のレベルだが)。そう、人生を決めるのは潜在意識だ。「潜在意識を制す者が人生を制す!」と。そんなナイーブで重要な部分にキズをつけてしまう。不機嫌な人間は気になるもの。それが身近な人であればなおさらだ。機嫌をとろうとしてしまい、自分が不機嫌に巻き込まれて、気分が悪くなる。この状態が潜在意識にキズをつけるのである。アニキが解き明かした潜在意識の謎について語れば長くなるので後日にするが、言いたいことは、不機嫌な人には近づかないこと。不機嫌ならその人に近寄らないこと。機嫌が直ったのを見計らって近づくことだ。
 5番目としては、「言うこととやることが一致してない奴」だ。要は、「あいつは口だけ。」と言われてるような奴。こいつには振り回されるので要注意だ。話半分で聞いておけ。口だけの奴は行動力がないのだ。頭では分かってるのだが、それを行動に移すだけの心の軸がない。信念が不足してるから、行動してもすぐ挫けてしまい、持続しないのだ。害自体は少ないから心を許してしまうが、近くにいると自分の成長を妨げてしまうのだ。無気力のエネルギーが出ているので、それを浴びると自分まで無気力・無行動となる恐れがある。こんなこてで、人生の時間を無駄にしてはいけいない。距離を置いた方がよい。
 とにかくだ、まがい者は避けなければいい人生はないということだ。なんとかしようなんて思っちゃダメだ。人の心なんて簡単に変えることはできないのだから。本人が気づくまで待つしかない。だから、周りをよく観察して人付き合いをし、できるだけホンモノの中で生活することだ。世知辛い世の中だが、がんばってくれ。幸運を祈る。

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アニキの友達M君の悲劇 その2 [哲学]

 「考え方により人生の『幸・不幸』が決まる」というのが、最近の精神論の定説である。皆も一度は聞いたことがあると思う。「今が幸せだ」と考えられない人は、将来も幸せになれないという。アニキもこの考え方には同意できる。そう、幸せとは心の持ち方の問題だ。しかし、ここにアニキの一人の友達がいる。彼が経験したこの体験を通して、幸せという概念を一緒に考えたいと思う。そこで今日は、M君三大悲劇のその2つめを紹介しよう。
 時代は今から32年前。アニキがまだ高校生の頃だ。ある日M君と一緒に帰るため、電車に乗った。アニキは千葉県人だ。当時の千葉はとにかくガラが悪かった。高校生の下校時間の午後4時台の駅のホームは、ヤンキーの巣窟だ。リーゼント、長ラン、ボンタンが流行った時代で、その時間のホームには一般人の姿はあまりない。しかもなぜか、ヤーさんもやたら多かった。海に潜ってる時に、頭上にサメがいて、足下にウツボがいるような感じを想像してくれ。そんな危険な時間のできごとだ。
 M君とつり革につかまり会話していた時、M君が急に「痛いっ」と声を上げた。何と、となりのオッサンがM君の足を踏んでいたのだ。しかも、足を踏んだまま動かないのだ。M君は文句を言おうとして、そのオッサンの方を振り返ったが、その瞬間動きが止まった。不思議に思い、アニキもそのオッサンの方を見ると、オッサンは見るからにヤーさん筋の人だった。逆にオッサンは、M君をギロッと睨むとこう言った。「俺が足を降ろそうとした場所に、足を差し込んでくんじゃねー。」「ころんだらどうするんだ!」と。踏まれたのはM君だが、とっさに「すみませんでした。」と丁寧に謝っていた。オッサンは機嫌が悪そうに足をどかすと、「気分が悪い!」と言い捨てて、電車から降りていった。M君が踏まれた足を見ると、学生靴の革靴にくっきりとオッサンの足形がついていた。そうなのだ、オッサンは容赦なく全体重をかけて踏んでいたのである。
 M君に大丈夫かと尋ねたら、「カラダが無事だったからよい。」と言った。この気持ちはわかんないでもない。その当時、腕っ節に自信のない学生がガラの悪い連中から身を守る手段としては、できるだけ目を大きく見開いて、真っ直ぐ前を見て歩くこと。それと丁寧な言葉遣いと礼儀しかなかった。これが身を守ってくれる。しかめっ面なんかとんでもない。ガン飛ばしただろうと、即ヤンキーに囲まれる。だから、普段M君はとても礼儀正しく対応するしかなかった。言わば、生きる為の処世術だ。
 何が言いたいかというと、M君のこの言葉は、決してプラス思考からの発言ではない。本当に、「その程度で助かった。」という心からの感謝なのだ。時はまだ1980年代だ。心の時代でも何でもない。危険を避けられた喜びをM君は心から感じていただけなのだ。
 そんな実直で礼儀正しいM君だが、実はこんな闇もある。M君は常に持病の胃潰瘍に悩まされていた。しかし、本人は胃潰瘍は友達だと言っていた。おかげで体育の授業がマラソンの時はよく休んでたし、授業中に眠くなると、突然お腹が痛いといって保健室で寝てマンガ読んでいた。ヤンキーに囲まれてもよく、胃潰瘍と言って助かっていた。しかし普段の姿は、自転車置き場の自転車の空気を抜いたり、子どもが食べてるアイスキャンディーを取り上げて舐めるなど、実に極悪非道な男なのだ。M君はそんなずるい性格の人間でもあったので、その身に不幸がよく起きていたのは当然と、皆思っていたのだった。その正体は偽善者である。実は同情には価しない。間違った見方はいけないので、M君の闇も付け加えさせてもらった。
 この裏話を聞くと、「悲劇というよりはバチ当りでは?」と思うかもしれないが、次回は「M君三大悲劇」の最後になるので、楽しみにしてほしい。彼をどう評価するかは、君たち次第である。

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日本人のバイブル、「ワンピース」 [マンガ]

 なぜこれが出てこない?と思った人は多いはず。なぜアニキがワンピースを紹介しないのかと、首をかしげている方は大勢いると思う。そう、何を隠そう、ワンピースこそがアニキの原点。自身の軸を求めはじめたキッカケだ。だからこそ、思い入れがあり軽々しく書けないのだ。ワンピースが良いのはすでに皆知ってるからである。知らない人がいるなら早く知るべきで、パソコンで「ワンピース」と検索してほしい。洋服のワンピースのことじゃない、マンガのワンピースのことだ。間違えないように。
 アニキの考え・哲学を読み解くのに、ワンピース抜きでは語れないから、やっぱり書くことにした。 「ワンピース」のどこがいいのかと尋ねられたら、すべてがよくて答えきれない。「まず、だまされたと思って読んでみてくれ。」と、言ってしまうのではないだろうか。それだけ出来がよい。ワンピースを読んで悪く言う奴に会ったことがない。作者は本当の天才だとアニキは思ってる。
 現在、単行本も72巻まで進んでいる。ストーリーとしては後半になるのだろうか。それもよくわからない。このマンガの良さは、ストーリーよりもエピソードだ。登場人物それぞれに重い過去のエピソードがあり、現在に繋がっている。その場限りのちょい役にさえもきちんとしたエピソードがある。それらのエピソードには泣けるものが多く、大変心が温まる。本当に人の心のあり方の勉強になる。レギュラーメンバーのエピソードなど、どれをとっても一級品の話だ。
 アニキは全国の学校長に言いたい、学校の図書室に置け!と。そして借りた者には必ずレポートを提出させるのだ。マンガも貴重な日本の文化であり、本と遜色ない作品も日本には数多い。そう、ワンピースはマンガという日本の文化を通り越し、日本人の生き様、考え方、心のあり方を網羅した哲学書である。だから、外人が日本人の考え方を理解するには、ワンピースを読むことである。「日本にはワンピースがある!」と外人に言いたい。
 そのレギュラー登場人物の個性にはそれぞれ生き方の軸があり、決してぶれない。それぞれの哲学と置き換えてもいいだろう。ルフィの哲学、ゾロの哲学、サンジの哲学、ウソップの哲学など、どの人物に憧れても人生は間違わないだろう。1つの物語において複数の哲学が学べる経典なのだ。まさに生きた図解教科書である。それが我々大人や女性にも人気がある秘密だ。その個々の登場人物の哲学についてもアニキには思い入れがあり、それらはおいおい解説してゆくつもりなので楽しみにしてほしい。

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「どっこい大作」を知ってるか。 [映画・ドラマ]

 アニキが小学校3年生頃に放映された根性者のドラマだ。この年代の人間ならだれでも知っている人気ドラマだった。ちょうどアニキの家にカラーテレビが登場した、うれしい時期の番組だった。このドラマ、とにかくすごい。主人公の青年「大作」は、田舎から出てきた若者で、学歴なし、特技なし、小太りで根性だけが取り柄だった。とりあえず仕事をするのだが、下積みから地道に努力して、日本一を目指す。確か仕事は3箇所を舞台とし、「ラーメン屋⇒そうじ屋⇒パン屋」の順にその店を日本一にしてゆくのだ。そのそれぞれの店で最初、とにかく鍛えられる。挫折と小さな成功を繰り返しながらガンバルのだ。アニキは子どもの頃、「世の中は何て厳しいのだ。」とか、「この若者は何でこんなにすごいのだ。」と、興奮しながら見たものだ。
 印象的なのは、まず毎回の主題歌の場面だ。汽笛を鳴らし、ものすごい黒煙をまき散らして爆走するSL(機関車)の横で、「どっこい、どっこい」と裸でつっぱりするシーンが毎回出てくるのだが、これが息をのむ。SLって演出がすばらしい。がんばって走ってる感じがするからな。これは激しいツカミである。このつかみにより、視聴者はすでに大作の世界へ引きずり込まれる。
 そしてもう一つ印象に残ったシーンは、パン屋での修行のシーンだった。いきなり親方が大作の一生懸命に作ったフランスパンを取りあげて、「おまえのパンなんかこの程度の価値しかない。」みたいなセリフで、パン粉にしていたのが印象的だった。
 とにかく毎回すごいのだ。大作はそのたびに奮起し、改良を重ねる。ここには一途な努力と工夫だ。当時はこのような時代であったと思うが、今でも必要なことは山ほどある。こんなのは時代遅れだとか、努力なんてくだらないとか言う若者が多いが、時代なんて関係ない。努力をおこたった怠け者の末路はいつの時代も同じではないか。じゃ、君たちは何をするのだ、一体?自分に合う仕事が見つからないとか、興味のある事が見つからないとか、天職に巡り会えてないから燃えないのだとか、考えてるんじゃないか。
 言っておくが、天職なんて存在しない。大人は皆知っている。今、目の前の事を一生懸命できない奴の前に、天職など現れない。天職は探すものではない。なくした物を見つける時と同じだ。探している時は見つからないものだ。天職とは、死ぬ時に自分のやってきた事、それが天職であったと気がつくだけだ。
 話を戻すと、この「どっこい大作」から学べることは、仕事への姿勢だ。目前の事をとくかく一途に取り組む。そこには結果を意識し、くふうする。努力する奴は多いが、特にこの大作のすごいのは「考え、工夫する」ことを怠らないのだ。ここが学ぶべきポイントである。ぜひ見てほしいが、どうなんだろう、このDVDは出てるのかな?再放送はしないのか?アニキも状況はよくわからないが、機会を得たら逃さず見てくれ。
 仕事で楽することは実は悪くない。楽することは大事なことなのだ。しかし、気をつけなければならないのは、自分だけ楽するのではなく、みんなが楽できることを考えなければならない。自分だけ楽することを考えるから、非難されるのだ。みんなが楽できれば合理化だ。これが仕事の極意である。大作から学べることではないが、重要なので付け加えておく。

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②「まがい者」に気をつけろ! [哲学]

前回、人生に必要な能力として「ホンモノを見抜くことが重要」と話した。だから極力まがい物には出会わないようにすることが必要とも言った。今日は、ホンモノの反対概念を勉強しよう。
 ホンモノの反対、それはまがい物だ。まがい物には2種類ある。その内、人生を左右するようなまがい物とは、実は「物」ではなく「者」、そう人なのだ。大概、「まがい『物』」を掴んでも「損した!」で済んでしまうが、まがい者に出くわすと人生がひどい目に遭う。出会わないように避けなければならない。まがい者は外見からは判別できない。特に若い未熟者には、まがい者とホンモノの区別がつかない。実際、既知の友人や知人の中にもかなりの数のまがい者がすでに潜り込んでいるのだ。こいつらをと極力距離を置き、近づいてこないようにしなければならない。そして、新しく出会う人達はホンモノであるべきで、まがい者と出会わないようにしなければならない。そのためには、まがい者を遠ざける虫除けが必要なのだ。こいつを纏って、まがい者との遭遇率を格段に減らし、周りがホンモノだらけになることが人生成功の鍵である。
 じゃあ、どうすれば虫除けを纏えることができるのか。それは、「軸」又は「信念」と呼ばれるもの。そう、「自分の行動軸を持つこと」だ。まがい者は信念・理念などを持った奴が嫌いだ。そして、信念から生み出された行動軸がまがい者を寄せ付けない。吸血鬼に対する十字架みたいなもの。では、その行動軸はどうやって作るか。ここにホンモノを見抜く目を養い、ホンモノから必要な事を学び、自分の信念・理念を完成させる。そこから自分の行動軸が生まれてくる。行動軸など一朝一夕には手に入らないから、大量にホンモノを見て、ホンモノと付き合い、己を磨くのである。すべては繋がっているのだ。
 そうだ、それで得た能力は「ホンモノを嗅ぎ分けられる力」。人生に必要な能力で、一度身につけたらなくなることはない、死ぬまで持って行ける力だ。こいつをぜひ身につけてほしい。そして、自分がホンモノとなってほしい。
 自分の周囲には多くのまがい者が潜んでいる。こいつらに出くわすと、人生を翻弄させられるし、誤った道を進むことにもなりかねないのだ。道が間違ったことに気づいた時は、すでにジジイじゃ悲しすぎるだろ。ならば、若いうちにホンモノを嗅ぎ分ける能力を身につけるしかないのだ。
 周りにウヨウヨいるまがい者は、一般的にはまがい者とつるんでる。そう、近くにうさんくさい奴がいるとしたら、悲しいが自分もまがい者だということだ。そこに気づいたら、すぐにホンモノを目指せ!自分にホンモノを見抜く力が備われば、周りのまがい者達は自然と離れてゆく。まがい者はホンモノが嫌いなのである。すると、付き合う人が変わってくる。ここが人生の変化点となり、プラスの方向へ向かうことになる。
 偉そうなことを言ってしまったが、家にはいつもアニキを罵倒し、言葉で危害を加えアニキの潜在意識にキズを付けるお方がいる。アニキが自分で選んだお方でもあり、間違っても「まがい者」と呼ぶことはできないが、このお方を避ける術は今のところない。

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マンガ「キャンパスクロッキー」を紹介しよう。  [マンガ]

 このマンガは知る人ぞ知る名作だ。1983年頃にヤンジャンに連載されていたマンガだ。けっこう長く連載されていたのを記憶してる。賛否両論の激しいマンガであるが、当時アニキは大好きなマンガだった。その頃アニキは大学浪人中で、受験勉強の合間に心安まるマンガを探して読んでいた。そんな時見つけたのが、この「キャンクロ」だ。当時は、「めぞん一刻」と併読していたが、内容とそのできはエラく違っていた。
 知らない人の為に少し内容を紹介したい。舞台は大学のキャンパス生活を描写したものだが、キャンパスクロッキーから連想されるさわやかさは皆無だ。主人公の寮生活がメインではあるが、白石定男というその主人公が、本当にだらしない性格で、嘘つき・やる気なし・流されやすい・金は当然ないと、いいところが一つもない。金はないくせに、親の仕送りに頼りバイトはしないし、しても続かない、当然授業はサボる。今のアニキが最も嫌う無気力型若者の典型であったが、実はアニキも当時は似たようなだらしない人間であったから、すごく白石定男に共感を持って読んでいた。そんな白石にも天野めぐみという美人で性格もよい彼女がいた。これは想定外の演出で、この部分において白石はアニキより数段優れていた。若い男にとって美人の彼女とは、神から与えられた最高の贈り物である。そんな天野めぐみを読者は皆大好きであり、天野を見たくて読んでいたという人も多かったと聞く。そうなのだ、アニキも天野めぐみのファンであり、彼女にするなら天野めぐみのような女性だと憧れていた。しかし、そんな美人の彼女に目もくれず、他の女を追っかけ回す白石の姿に、アニキはいつも憤慨していた。
 がしかし、このマンガの最も良くない部分、小陳恋次郎という変人が寮生活を荒らしにくるシーンだ。読んでみるとわかるのだが、こいつが出てくる場面は全くつまらない。小陳が出てくるとがっかりする。実はアニキは単行本全巻持ってるのだが、小陳が出てくる巻を定価で売るとは何事かと言いたい程、その金額の価値は全くないと断言する。特に、これから読もうとしている諸君は、小陳の出てくるシーンは読み飛ばしても全くストーリー展開に支障はない。多分、当時ネタに困って〆切に追われた時、小陳を出して逃げ切ったのではないだろうか。大学の寮生活なんて、元々ネタが少ないテーマだから。
 そんな感じだから、アニキは大学入学と共に読まなくなってしまったが、天野めぐみとその後どうなるのかということのみが気になり、単行本は買い続けた。
 じゃあ、このマンガのどこがいいのか。アニキが気に入ってたところは、やはり天野めぐみとの恋愛が進んでいくところだろう。白石がどんなに失敗しても、その影に天野めぐみがいるのだ。なんて幸せな奴だと、思いながらも心が温まった。それと、白石やその両仲間がたまに繰り広げる人情ドラマもよい。そこは読む価値があるだろう。アニキはその当時、ただホッとしたかったので、ハッピーな温かいストーリーを好んだ。
 そんなキャンクロだが、これを今の学生が評価できるかどうかは疑問である。アニキはホンモノしか紹介してゆかないというのが信条だが、正直これはホンモノとはいいにくい。ではなぜアニキがホンモノじゃないものを紹介するのか。それは、まがい物も知らなければホンモノの価値も理解できないということ。
 とりあえず、今回紹介するものはマンガなので、人生に害は与えないので安心してくれ。しかし、下品さはあくまで青年向けであり、ガキデカのような少年向けの下品さではないから、少年には害があるかもしれない。親は注意して与えるべきである。

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アニキの友達M君の悲劇 その1 [哲学]

 「考え方により人生の『幸・不幸』が決まる」というのが、最近の精神論の定説である。皆も一度は聞いたことがあると思う。今が「幸せだ」と考えられない人は、将来も幸せになれないという。アニキもこの考え方には同意できる。そう、幸せとは心の持ち方の問題だ。しかし、ここにアニキの一人の友達がいる。彼が経験したこの体験を通して、幸せというものを一緒に考えたいと思う。
 アニキが高校生の時の話だ。M君という友達がいた。M君はいつも周りから不幸だとよく言われており、本人もツイてないと日頃から口走っていた。ある日、M君がお昼を食べようと近くの食堂へ行った。そこで、カツ丼を食べていたら、1枚の紙が風に乗ってM君のテーブルに飛んできた。何だろうと思ってその紙を見ると、伝票であった。あっ、他のテーブルから飛んできたのかと思ったM君は、辺りを見渡し、伝票が置いてないテーブルを探した。そして、伝票のないテーブルを見つけたM君は、そのテーブルの人に、「伝票が飛んできましたよ。」と、親切に伝票を渡そうとした。そのとき、テーブルの男は、「何いってんだ、伝票がおまえを選んだから、おまえのだ。」と言いい、伝票を押しつけられた。理不尽なことを言われたM君ではあったが、テーブルの男が怖そうなおっさんであったため、しかたなくその伝票を払って帰ったという。
 ここからが問題だ。幸、不幸は考え方で決まると冒頭でも説明したが、この場合のM君は果たして幸せだったのか、不幸であったのだろうか。いいテーマであるから、皆で考えてもらいたい。どう考えても理不尽な話ではあるが、本人は「悲劇」とは言いながら、当時のネタとして喜んで友達に話していたのが印象的であった。ということは、彼は不幸とは考えていなかったのだ。お金まで支払ったが、自らが悲劇に巻き込まれたことに幸せを感じていた。しかしどうだろうか、一般の人は不幸と考えてしまうだろう。「なんで、俺が?」というのが正直なところだろう。
 M君にはこのような話があと2つあり、合わせて「M君三大悲劇」と呼ばれていた。シェークスピアの話より自分の方が悲劇だというのが、彼の自慢でもあったのだ。悲劇を幸せと受け止めるM君であったが、悲劇はその後何度も続くのである。精神論としては、「考え方で不幸の連鎖は止まる。」というのが定説であるが。何が言いたいかというと、アニキとしては、幸せになるには考え方の他にもまだ何か足りない事があるのではないか、ということだ。それは今後の話題として残しておこう。
 それと気になるM君のあと二つの悲劇についても、また次回紹介してゆきたい。

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「24(トゥエンティーフォー)」の魔法の言葉 [映画・ドラマ]

 アニキは以前「24」にはまった。シリーズ物で、「シーズン8」まであるアメリカのドラマだ。日本でも話題になったと思われるが、その「24」が流行った当時、アニキは中国に駐在していた。会社の命だから、サラリーマンのアニキは表向きには喜んで行ったよ。中国では単身赴任のため週末がひまで、ニセモノDVDを買ってきては、徹底的に見倒した。中国の良いところは、安いニセDVDがあることだ。しかも、シリーズ物はBOXで売っており、いきなり全ストーリーを通しで見れることができるのだ。映画・ドラマ好きにはすばらしい国である。
 で、この「24」だが、どっぷりはまった。ボックスで買ったのだが、ゾンビのように飯も食わずに見たね。それぐらいストーリーが面白い。だが、ストーリーが面白いドラマは世の中いくらでもある。それだけならアニキは薦めない。この「24」からも学べるものがあるのだ。何が学べるのか。実際、学べるところは少ないが、人生で重要な男の価値観を学ことができる。
 それは、「大丈夫、よくやった。」というセリフだ。このセリフは、「24」の中によく登場する。主役のジャックバウワーがよく口にするのだ。このセリフが出る時は必ず、むちゃな仕事をして瀕死の状態になった仲間に対し、ジャックバウワーがそいつを抱きかかえながら、このねぎらいの言葉を言う。そのねぎらいの言葉を聞いた後、そいつは死ぬか意識を失う。そんな感じだの場面だ。
 じゃ、この言葉に何の価値があるのだろうか。もてる男はもうわかってるはずだ。実はこの言葉、男が女性に対して使う魔法の言葉なのだ。この言葉を言われた女性は、まずその男に惚れてしまうのだ。その男の外見がどんなにブサイクでも、その女性には男前に見えてしまうのだ。そして、この言葉を使う場面は、日常生活の中には死ぬほどある。
 その前に、なぜこの言葉が女性に対して惚れさせる魔法の言葉なのかを解説しよう。女性という生き物は現実的で常に余裕がない。だから、男の魅力の一つに「余裕」というのがあるのだが、女性はいつもあれこれ現実的なことを考えたり悩んだりしていて、その頭の中は常に満杯状態だ。だから、いきなり想定してないことが起こるとすぐ焦るのだ。そして女性はいつも、「どうしよう」と口走る。これが口癖の女性は多い。そこに男の余裕が登場だ。笑顔で「大丈夫、よくやった。」を出す。女性って生き物は、自分を優先して助けてくれる男に惚れるものなのだ。男は、何の根拠もないのだが、笑顔で「大丈夫、なんとかなる。気にするな。」とか、「大丈夫、君はよくやった。後は俺に任せろ。」を連発して、一緒に問題をひもといてあげればよい。大概の問題は、女性がパニックを起こしているだけで、実はたわいもないことが多いから、横で冷静でにこやかにしてる男には簡単にアドバイスができるはず。無言で率先して行動してあげればなおいい。笑顔で「大丈夫」と余裕を持って口にする男に、徐々に頼りがいを感じてくる。この言葉にはそんな魔法が隠されている。間違っても、女性と一緒になって慌てちゃダメだ。男は常に笑顔で余裕を持って、何でも「大したことない。」だ。あと気をつけることは、問題が解決したあとに女性をなじったらダメだぞ。一気に男の価値をマイナス側に持って行ってしまうから、気をつけるように。笑顔を添えて「よかったね。」の一言だけだ。
 「24」で学べることはこれぐらいなのだが、さすが精神論の国アメリカである。ドラマの中にさりげなくこのような魔法の言葉をちりばめている。皆も探してみるといい。必要な言葉があるかもしれない。
 さあ、若者よ。この魔法の言葉を使って、意中の女をGETしよう。これで今夜は帰れそうにないな!

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「オブリビオン」からも学べる! [映画・ドラマ]

 「オブリビオン」とは、トムクルーズのSF映画である。アニキは監督が誰だとか、脚本が誰だとかはあまり興味ない。有名な俳優か、美人が出てるか、SFか、アクションかが、最初の選定基準だ。で、トムクルーズでSFだからは、見てみることにした。この映画のストーリーのおもしろさは、鑑賞者のパラダイムシフトが起こることだろうと思う。舞台は未来の地球だ。異星人との戦争で破壊された地球という設定だ。ストーリー展開は各人で見てくれ。この映画、娯楽として見るならよいが、人生の役に立つのかという視点で見た場合、あまり役に立たない。
 しかし、ひとつだけ見どころがあるのだ。それは、プロポーズの仕方だ。さすがアメリカ映画である。SF映画なのだが、プロポーズシーンはレトロタッチで一流だ。日本人はプロポーズなんてと軽く考えるが、グローバル視点では決して軽んじてはいけない儀式なのだ。女性は人生の一つのイベントであると憧れてるから、それはサプライズでなくてはならない。外人との結婚を考えてるなら、なおさら、絶対はずせない儀式であろう。
実はアニキには過去に苦い過ちを犯している。こともあろうに、プロポーズを軽んじてしまったのだ。軽んじてしまったというよりは、プロポーズ自体に全く意識は向いてなかったと言った方がいいだろう。実はプロポーズを軽んじると、結婚してから以降ずっとそのことを言われるのである。最初は笑って聞き流しているが、何度も言われるため、指摘される度にその罪悪感は募ってゆき、ついにはトラウマとなる。夫婦げんかの時も、これが相手の武器となる。もしかしたら一生言われるのではないかと思うと、ひどい仕打ちである。一事が万事とはまさにこのことだ。同じことを実感されたご同輩も多いはず。
 だから、プロポーズを工夫するのは重要で、その演出は思いっきりくさくていいのだ。すべっても想い出に残るから、気にしないでいい。お笑い芸人が美女と結婚できるのも、ここぞという人生の場面で思いっきりくさい演出ができるからではないかと思う。
 アニキは人生の先輩として忠告する。独身諸君よ、プロポーズを軽んじるな!と。そして早くから自分のスタイルを考案すべきだと。この映画ではそのサプライズが学べる。照れくさいとか、恥ずかしいとか思うが、気にするな。ここを誤ると、人生の歯車が狂う。そして、相手に武器を与えるな。
で、肝心のプロポーズシーンだが、トムクルーズがビルの屋上の望遠鏡を彼女に覗かせて、「ここから未来が見える。」という。半信半疑で望遠鏡を覗いた彼女がぼやけた物体をそこに見るのだが、それはトムクルーズが手に持っていたエンゲージリングだった。SF映画らしからぬシーンだろ。外国映画には、他にもプロポーズシーンがすばらしい映画はたくさんあるが、アニキはこの映画のプロポーズシーンが特に気に入ってる。しかし、こんなものを今またカミさんに見せようものなら、また過去のことを言われてしまう。だから、プロポーズで失敗した経験がおありのご同輩は、奥さんとは見ないことを忠告しておく。
 ということだ。求婚間近の諸君はぜひ参考にしてほしい。このシーンを真似しても一興。自分で考えた方がなおよろしい。すべってもいいから、思いっきり演出しろ。アニキも、もう一度チャンスがあれば、思いっきりくさい演出でプロポーズするのだが、それは来生までに研究しておくか。

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「AKB48」よ、これからのヒントだ。 [音楽・歌手]

 アニキは今年50才になる。いい大人がAKBかよと、笑われるかもしれないが、そんなことはどうでもよい。好きなものは好き。だが、最近ちょっとその人気に違和感を感じる。規模が大きくなりすぎて、その運営に問題が起きてるのか。膨張したこの体制の方向に行き詰まりがあるのか。少し、AKB人気も減速しているような気がする。何とかしたいものだと思う。
 AKBが気になりだしたのは、巷がAKBブームで騒いでいたからではない。たまたま、カチューシャのPVを見たのがキッカケだ。美女が集団で水着で踊ってる。これだけでまず、アニキ達オヤジ連中のスイッチはONだろう。オヤジを釣るのは簡単だ。そのPVの中に、アニキの琴線に触れる娘が3人いた。場面を覚えておいて、パソコンで検索し名前をGETした。「横山由依」「山本彩」「松井珠理奈」が、ストライクゾーンの狭いアニキのど真ん中であった。そこからアニキのAKBとの旅が始まった。AKBだけではなく、SKEやNMBという存在も知った。でも、投票権を購入したり、グッズを集めたりというレベルのファンではない。鑑賞というジャンルのファン層である。潜在的な鑑賞ファンに行動を起こさせる何かが必要だ。
 古来より男達は、常に「美女が集団で踊る」という余興を見て楽しんできた。ローマ帝国でもそうだ、古代文明においてもそうである。戦争に勝利し、その祝いの席では必ず美女の踊りが花を添えた。そうなのだ、男達の心を癒やすのはまさに美女の踊りである。そしてそれを無意識に欲してしまうのは必然であり、男には生まれながらにして、それが見ると心が癒やされるという機能が自動的にセットされている。だから、そこにいちいち理由などいらないのである。過去の戦時中の男達はその踊り子の中にお気に入りがいたなら、嫁にしていたのである。強い男、生きのこった男だけが未来に子孫を残すことが許された時代なのだ。だから、男のDNAにはそのことが初めからインプットされているのである。
 何が言いたいのかというと、美女の踊りを楽しむのに遠慮は要らないということだ。ジジイでも楽しんでいいのである。ジジイは遠慮せずAKBに陶酔しろ!美女を求めるそのDNAはまだ健在であろう。
 そして、AKB諸君よ、人気を得たいのなら、ジジイを集中的に狙えだ。キーワードは「ジジイ集中」だ。日本の資産のほとんどを60才以上が押さえてるニッポンという国。投票権購入やブロマイドぐらい屁でもない。ガキの100倍はすぐ出せる。どうせお墓へは持って行けないんだから、自分達に遣ってもらえ。劇場にはシルバーシートやシルバー割引だ。介護施設や老人ホームでのコンサートだ。人気を得るため、1日ホームヘルパーなどやってみぃ。今もやってるのかもしれないが、中途半端じゃなにも結果は出ない。さらにだ、握手会では目が見えない老人に、おっぱいさわらせてやれ。歯のないジジイには、お煎餅をカミカミしてやれ。するとジジイはAKBに感謝し、今世に感謝するから間違いなく天国行けるぞ。人を天国へ導くと、感謝された奴も天国行けるから一石二鳥だ。
 ということで、そんな時代になればうれしいな。そして、アニキがジジイになるまでAKBが続いていてほしいものである。その時は、アニキは間違いなく、目が見えない振りをする!

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