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人生とは「仕事」だ!(2/6) ~仕事と向き合え~ [哲学]

 「自分の天職とは何だろうか?」と考えることはないか?自分に合った天職というものが、この世に必ずあるはずだと心で思っている。そしてまだ、自分は天職に巡り会えてないのだと。天職は自分のやりたいことで、そこでは自分が一番輝いて生き生きと仕事ができるはずなのだと。そしてことある毎に、天職とはいつ巡り会えるのだろうかと心待ちにしている人も多いはず。しかし言っておくが、それはない。なぜなら、天職にはもう出会っている。そうだ、今の仕事が天職だからだ。夢を壊して申し訳ないが、それが事実であることを早めに理解しなければならない。じゃないと、「白馬の王子様を待ってる少女」と何ら変わりはない。
 「こんな人使いの荒い会社なんて」とか、「こんな給料の安い会社なんて」とか、仕事についていろいろ愚痴があるだろう。当たり前だ、自分が気に入らない仕事こそ、自分を成長させてくれる。天職とは、「自分を成長させてくる仕事」なのだ。天職とは天国とは違う。同じ「天」という文字を使っているから勘違いしやすいが、「天職の『天』」と「天国の『天』」とは別物だ。天職には、最初は心地よさのかけらもない。居心地の悪さ満点なのだ。居心地が良ければ、それは残念ながら天職ではない。だから人使いが荒いのは、そこで修行したいと自分で決めて生まれてきたからだ。給料安い会社で修行したいと自分で望んだからなのだ。そんなはずはないと思うだろうが、修行なんだから自分が苦手なことに決まってるじゃないか。学校の勉強と同じだろう。テストでいい点とろうと思ったら、できない所や苦手な科目をやるしかないだろう。それは嫌な事なんだよな。でも、それをやることで点数がよくなる。人生も同じだ。嫌な事することを決めて生まれてきている。それを忘れているのは、成長の過程で環境や他人の影響を受けてきたために、本来の目的を見失っているにすぎない。死んだらそのことを思い出すだけだ。
 だからまず考えなければならないことは、「今の仕事を好きになれ」ってことだ。それこそが今やるべきことであり、将来の夢を見続けて資格試験の勉強をしてみたりするのは努力の方向が違う。資格勉強なんてものは、人生で必要に迫られると強制的にやらされることになるから、自分から率先してやる必要はない。今やるべきことは、目の前の仕事を好きになること。まずそれだけでいい。そうするといろいろ見えてくるものがある。
 「人生は仕事」だと言った。だから、「仕事が人生」とも言えるのである。ということは、仕事の成功が人生の成功だ。で、サラリーマンの成功は出世だ。しかし、ここで誤解があるといけないから、少し説明しておこう。詳しくは後日ブログ「出世の極意」で説明するが、出世は目指すものではない。「出世」とは、あとから着いてくる結果であって、決して目標にしてはいけない。出世を目標にしている者のやってることは、上司のご機嫌とりだ。なぜ、上司の機嫌を取る必要があるのか?簡単だ、上司が評定者だからだ。愚か者は評定者に対し直接働きかけるから、出世しないのだ。機嫌を取ることもあるが、これはあくまで社交辞令の範囲だ。上司を出世のターゲットとしてはいけない。愚か者はそれが近道であると思うからそうするのだが、周りから見たらひどいものだろう。常に上司の機嫌ばかり取ってるそんな奴は尊敬に値しないだろう。仮にそれで出世させるような上司がいたら、そいつも愚か者だ。そんな連中の下で働かなければならない人は、かなり厳しい修行をすることを決めてきた強者だ。
 会社の中を見渡した時、上も下もどうしようもない人間ばかりなら、喜ばなくてはならない。くだらない人間の中に身を置き、自分を高めてゆくという修行を自ら選んで生まれてきたということだからだ。だから、自分の魂のレベルはかなり高いと確信すればよい。魂のレベルが高いほど、仕事環境は困難きわまりないのだ。

人生とは「仕事」だ!(1/6) ~今の仕事が天職~ [哲学]

 学校を出たら、仕事に就かなければならない。法律で決まってるわけではないが、人間として生まれてきたなら、そうなるような人生になっている。全世界が同じだ。協定で決めたわけじゃないのに、人間は皆、年頃になると仕事を探し、そして仕事に就く。これは本当に不思議なのだが、諸君はそう思わないか?ここに仕事の謎が隠されているのだが、今日はその話ではない。
 まあ、働かないと食べ物が手に入らなくなるのだから、生きるために仕事をするのは当然と言えば当然だ。そして仕事は、睡眠の次に時間を費やす。家族や友人と過ごす時間よりはるかに多い。仕事で携わる人間は、人生において一番一緒に時間を過ごす同士である。嫌な上司ですら、家族と過ごす以上の時間を一緒に過ごしているのだ。つまり、人生とは仕事であると言わざるを得ない。であるならばだ、もっと真剣に仕事というものを考えるべきではないのだろうか。
 人生において、一番時間を使うのが睡眠だ。よく言われてることだが、人生の3分の1を使う。睡眠が人生だ!という奴はいない。すると、あとの3分の2が人生ということになる。その3分の2の中で時間を使うものは何だろうか?学校、仕事、家族や友人と過ごす時間、趣味や旅行に使う時間(ダラダラと過ごす時間も含む)などある。冒頭にも話したが、この中で最も時間を使うのが仕事だ。まあ、学校は長く行ったとしても、人生に含まないとアニキは考える。「学校は人生の準備期間」と定義する。
 前置きが長くなってしまったが、今日の話は、「人生が仕事である」ってことを理解すべきなのだ。だから、仕事を甘く見てはいけない。「仕事=人生」であるならば、そこには人間の成長という修行が待っている。人間が輪廻転生を繰り返す理由は、「仕事で学べ」ということなのだ。人が生まれてくるとき、どういう人生にするのか予め決めてくるという。このことを主張する学者は多い。アニキも同感だ。人が生まれ変わる理由として、この考えが一番腑に落ちるからだ。この考えを幹に置くと人生が見えてくる。つまりだ、仕事で何かを学ばなければならない運命にあるってことになる。
 だから、人は生まれる前にすでに自分の仕事を決めてきている。人生において何を学ぶのかを決めているのだ。1箇所で学べなければ2箇所で学ぶ。そこでの師匠も現れる。以前のアニキブログ「人生の流れを知れ」でも話したと思うが、壁にぶつかったり、苦手な嫌な上司が出てきたりするのは、生まれる前にすでにプログラム済みということなのだ。そのために、わざと嫌みな上司や鬼のような奥さんが現れるのは、すべて生まれる前に自分で決めてきたことだ。それらをクリアして人生を充実させるという壮大なシナリオだ。鬼妻なんかをクリアすることを人生の修行としている人は地獄に近いところまで自分を追い込んだすばらしい人だ。さすがにアニキもまだそれはクリアできないと思うから、今世では目の前に現れてなくてホッとしている。鬼妻は仕事とは関係ないが、仕事だけでなく家でも修行することを課題として生まれてきた強靱な魂の持ち主であろう。
 話が逸れたので戻そう。人生が仕事であり、生まれる前に決めてきているから、思わぬ仕事に就いたりするのだ。学生の頃から憧れていた仕事に就くため一生懸命勉強してきたが、それになれず全く畑違いの仕事に就いてたりするのもそういうことだ。
 何が言いたいのかというと、「今の仕事が天職」と考えろということなのだ。

「嫌われるホメ言葉」を使いこなせ!(第一弾) [コーヒーブレイク]

 褒め言葉はその人を褒め称えるために存在する。今は褒めて人を動かす時代だ。褒め殺しという言葉まである。まさに褒めのダメだしである。しかしその一方で、世の中には嫌われる褒め言葉というものが存在する。では、その存在意義は何か。
 アニキは言う。人を褒めることが人生をよくするというのが現在の精神論だ。世の精神論者はこれを提言している。言い換えれば、人を褒めなければ人生は良くならないのだ。アニキもこの考えには同感である。ならば、とにかく褒めなければならない。しかし、本当は褒めたくない人もいるのだ。本音は「けなしたい」のにだ。そんなシチュエーションで活躍する概念として、嫌われる褒め言葉が存在する。これは人生を豊かにすると同時に、とても重要なコミュニケーション能力にひとつであると考えていただきたい。
 ということで、今日は嫌われる褒め言葉というものを勉強しよう。いくつか具体的な例を紹介するので、自分でもオリジナルを開発してほしい。
 アニキの友人にH君という人物がいる。彼は名古屋に住んでいる。彼は美食家であり、普段から不摂生のため糖尿病なのだが、それが彼の自慢だ。糖尿病は一般的にはいいとこなしの病気だが、一つだけメリットがあるらしい。H君はそう言うのだ。彼の趣味は風俗へ行くことなのだが、彼はそこですごくもてるのだ。年齢もアニキと変わらない年だし、小太りで男前でもない。ではなぜ? 実は、糖尿病の影響で、おちんちんの汁が甘いらしいのだ。それで、風俗のおネエちゃん達は喜ぶというのだ。おおかた練乳というとこか。そこはものすごくニッチな世界ではあるが、男にとって「もてる」とは最上の喜びだ。だからアニキもH君を褒めるのだ。「おちんちんの汁が甘くていいね。うらやましいよ。」「俺も、甘い汁になりたい」と。
 さて、アニキの会社の先輩にドラえもんに似た愛らしい人がいる。仮にTさんとしておこう。どこがドラえもんなのかというと、ただ丸々と太ってるだけなのだが。本人はドラえもんという愛称が気に入っており、OL達にドラえもんと言われるのが好きだった。しかしどうもアニキは腑に落ちなかった。体型が似てるだけでドラえもんというあだ名を付けてもらっていいものかと。というのは、ドラえもんのドラえもんたるところは、便利な未来の道具を何でもそのポケットから出してくれるところだ。しかし、Tさんにはそんなポケットはない。飲み会の時には、きっちりと割り勘にするぐらい、そのポケットからはお金すら出てこないのだ。まさに、「ポケットのないドラえもん」なのだ。そんな話を後輩にしたところ、彼曰く「それは役立たずってことじゃないですか。」とはっきり言ってしまった。それはけなし言葉だからよくない。人は褒めなければならないのだ。だからアニキは、「ポケットのないドラえもん」と事実をそのまま伝えてる。本人はそれでも上機嫌である。
 アニキの会社の女性で、年齢を詐称している人がいる。特に気にしなければいいのが、詐称の範囲が公差を大幅に外れているため、ちょっと注意した方がいいんじゃないかと思っていた。ゆうに40才を過ぎているのだが、本人は20才だと言ってる。周りはウソだと思ってるが、やはりウソは良くない。アニキはそう思う。なら、それを真実に変えてやればよいだけのこと。簡単なことだと思い、彼女が20才と言った時には必ず、「犬の年齢で!」と親切に付け加えてあげることにしている。
 以上3つの話を紹介したが、勉強になったであろうか。ここに紹介したのは、他愛もない話だが、ぜひ、みんなもオリジナルを開発してバンバン使ってほしいと思う。
 あまり歓迎されないネタだから、評価を見てから次回を考えたい。

「かっこよさ」の定義(8/8) ~最後の調味料~ [哲学]

 余談になるが、なぜみんな、かっこよくなりたいのか考えたことがあるか?かっこいい奴が周りにいないからだよな。かっこいい奴がいないから、かっこいいと目立つんだよな。人間には周りからチヤホヤされたいという「原始機能」がある。特に男は、女にチヤホヤされたいものだ。だから、オヤジ連中は連日クラブに通い、ラウンジで飲むのだ。若い女にチヤホヤされるからで、ここでのオヤジのかっこよさはお金持ちだ。アニキブログ「強者論」でも話したが、オヤジ連中はお金持ちということでチヤホヤされ原始機能を満たす。オヤジ連中の話はまあいい。言いたいことは、「かっこいい」ということで、女にもてるという男の原始機能が満たされるわけだ。
 話をもどそう。人は「何をしたいのか」ではなく、「どう思われたいのか」だ。人間関係とはすべて相手が決める。ここがわかってないから空回りする。「俺はこんなに努力してるのに」とか、「こんなにセンスがいいのに」とか、「こんなに後輩に慕われてるのに」とか言う。ここでよく考えてほしい。自分がいいと思ってる部分を、他人は同じように良いと思っているのだろうか?うわべだけで「かっこいい」って言ってないか?人は大概、相手を傷つけたくないから適当なことを言ってごまかす。そういうことをわかってるか?相手の気持ちを理解せず、人間関係を自分で決めようとするから、悩みそして苦労する。人に喜ばれたいと、独りよがりな親切を施して、お礼がないと「俺の気持ちを理解してもらえない」となる。人に喜ばれたいという気持ちは立派だが、見返りを求めると不幸になる。
 また仕事においても同じで、自分一人では出世もできないし、目標数字も達成できない。そこにはすべて向かうべき相手又は評価する相手がいて、彼らとの関わりの中で成り立っている。ここを無視して人生は思うようにいかないのだ。人間関係をそつなくこなしてこそ、ホンモノのかっこよさが生まれる。
 アニキは何が言いたいのかと言うと、関係する相手がすべてを決めるのなら、理念や行動軸も相手の立場で「良いと思うかどうか」という基準でなければならないということ。それは全く難しいことではない。すごく単純で簡単なことなのだが、これを人は意外とできない。それは「感謝」だ。相手の行為に対足し感謝する気持ちを持つということ。そして、自分がやった行為が感謝されるかどうかだ。このエッセンスを必ず行動軸に折り込まなければならない。さらにそこに、「誰も損しない」という考えもプラスする。そうなると、牧師さんの説教と同じようになってしまうのが難点だ。若い人は恥ずかしいと思うかもしれないが、これが世の中の真理だから早くから理解しておいた方がよい。結局人間の目指すところは同じ場所であり、似てしまうのだ。だから、どの宗教でも「感謝」はその教義の柱となって何世紀も続いているのだ。
 つまり、人間誰しも望む境地は同じであるということだから、しっかりした理念を持っていると、周りから共感を受ける。ほとんどの人は信念や理念までのレベルとまではいかなくても、それに近い概念は頭の中で描いている。しかし、日々いろんな問題が目の前に現れるため、それを実現できてない。思っていてもなかなかできないのだ。
 だから、そんな信念を実行している人を見ると、「かっこいい」となるわけだ。これがかっこよさの秘密である。後は外見だが、それはファッション雑誌でも見て自分で勉強してくれ。

「かっこよさ」の定義(7/8) ~役割をこなせ!~ [哲学]

じゃあ、この行動軸だけですべて網羅できるかというとそうじゃない。だからアニキには他の信念もある。「何もしないと何も変わらない」という信念もその一つだ。「後で後悔するのが嫌だから、そのことに最大の努力をする」という信念もある。他にも「人が嫌がることはしない」というものもある。アニキの理念もいくつもある。自分が関わる社会はひとつでない。立場により多くの役割を持つ。人はいろんな顔を持っているのだ。プライベートでは、父親であり、夫であり、兄貴であり、息子であり、友人であり、愛人などである。仕事関係では、上司であり、先輩であり、後輩であり、営業マンである。関わる社会によりその役割が存在し、それをこなさなくてはならない。そこにひとつの理念だけでは物足りないのだ。役割をこなす上での行動基準がそれぞれ必要となる。
 ここで気づいてもらえたと思うが、役割とは常に両方をこなしている。例えば、自分が子ども父親であると同時に、年老いた父親の息子でもある。ここに実は人生の秘密のひとつが存在する。アニキ哲学の「二面性論」を思い出してくれ。相反する両方の役割をこなすことで、「相手の立場が理解できる」ということだ。どういうことかと言えば、理念・行動軸を決める上で必要なことを実際に学ことができるということ。そして、本当にその理念が納得できるかどうかを検証できるのだ。だからよく、父親の気持ちは父親にならないとわからないと言われる。人間は物事を頭の中で考えていても、実際にその立場にならないと理解できない生き物だ。考えと実際は全く違うのだ。なぜなら、相手はロボットではなく、自分で考えて行動する生き物だからだ。
行動軸が決まれば、あとは実行するのみだ。淡々とそれを突き詰めてゆく、と言っても大したことではない。日常、様々な問題が自分に降りかかってくる。それらを自分の決めた信念・理念に基づき裁いてゆけばよい。大したことなのは、決めた信念を貫くことだ。言葉ではかっこいい事を言っても、結局は尻込みしてやらないということは避けなければならない。例えば、「弱い者を助ける」という信念を持っていた場合、たまたま弱い者いじめしている現場に自分が居合わせたとしよう。自分より弱そうな相手に対してはこの信念を貫けるが、自分より強そうな相手には適用しないなんてのは、ダメ人間のレッテルを貼られる。ここが信念の困難なところだ。だから、信念初心者は「簡単なこと」を信念にすることを奨める。例えば、「困ってる人を見捨てない」とかのレベルからはじめてみることだ。これならできそうな気がするだろう。どんな小さな信念でもいい。信念の難しさは、信念を持つことではなく、信念を実行し続けることだ。かっこよくなりたいなら、がんばって貫けということだ。面白いことに、信念を貫きはじめると、顔つきが変わる。男の顔になる。「ぼくちん」のお顔からはおさらばだ。そして、発言も変わってくる。なぜなら、周りの一般ピープルが段々情けない存在に映ってくるからで、これは1ランク上の人間になるからだ。そうなると、大抵のことには腹が立たなくなる。これは、人間の本来の人生の軌道に乗ったことを示す。
 そして、一つの信念を貫くことが習慣となると、徐々に困難な信念に自然とシフトしてゆく。そんな流れになるはずだ。

「かっこよさ」の定義(6/8) ~5つのポイントまとめ~ [哲学]

 かっこよさの定義と言えば、人によってまだまだあると思うが、アニキが重要と言うポイントはこれら5つになる。
 実はこの5つのポイントだが、女にもてようという動機付けからこれらを磨こうと思っても、どれも難しい。なぜなら、そんな付け焼き刃的な発想ではじめても、すぐに底が見えてしまう。しかも、どれをとっても自分一人で確立することは難しいものばかかりであることは、理解できるであろうか?かっこよさとは一朝一夕にはならない。そのことをまず認識する必要がある。今日決めて、明日からもてるようになるかといったらそれは無理である。演じることはできるが、あくまでも演技である。本来の自分ではないから、すぐにボロが出る。ボロが出たら万事休すとも言っておこう。メッキの剥げた状態を意中の女性に見られた時、どう対処できる?いくら取り繕ったところで、「メッキだった」って事実だけでどん引きだろう。だから、まやかしは最初からやめておいた方がよい。素で勝負するというのが基本的姿勢だ。間違ったところは素直に詫びて、少しずつ直してゆけばよい。この素直さだが、とても重要な概念で、アニキ哲学「サラリーマンの武器」でも以前述べた。まずここが出発地点だ。で、じっくりいくことを覚悟すべきだ。なぜかというと、かっこよさというものはPRするものでなく、カラダの芯からにじみ出るものだからだ。では、素で行くことをまず最初に決意したなら、次に何をするのかだ。
 次に決めるのは、「どういう人間になりたいか」だ。決して「何になりたいか」ではない。ここが大事で、目的地を決めないで山に登るが如しだ。どういう人間になりたいかにじっくり時間をかけるべきだ。ドラマでも会社の上司でも飲み屋のオヤジでも何でもいい。その人のいいところをかい摘まんで自分の理想を作り上げる作業だ。完璧な人間はいないから、いろんな人のいいところを少しずつもらうのだ。そして自分の将来像を作り上げる。そこには共感できる考え方や自分だったらこうするのに、なんて考えも出てくる。そういった事をまとめてゆく。するとそこから、自分の理想像が生まれ、それを目指すための理念や信念が出てくる。「真に人生に必要なものは教科書からは手に入らない」のだ。
 ここまでくればしめたもので、それを日々の生活で極めていくための行動軸が生まれる。行動軸が決まれば、あとはそれに従って行動することだ。ただここで注意がある。理念や信念は一つではない、いくつあってもよい。だから行動軸も一つではない。例えばアニキの信念に、「皆ハッピーな絵を描く」というのがある。日々いろんな問題が起こり、これの対応を考える。そのときに、自分のやろうとしていることが正しいのかどうか、やるべきか否かの判断は、関係者が全員損しないかという判断基準で決める。例えば、盗んだお金でアフリカの難民に寄付しても意味はないことになる。難民は喜び自分も褒められるが、お金を盗まれた人は不幸であるからだ。そうなると、「盗んだお金で寄付してもダメだな」という結論なるわけだ。
 だから、それを進めていいかどうかは、だれも損しないということになるのだ。

「かっこよさ」の定義(5/8) ~第4第5の定義「余裕」「優しさ」~ [哲学]

 そして第4のポイントとして、「余裕」だ。男のかっこよさとは余裕だ。大人が落ち着いていてかっこよく見えるのは、堂々としていてすべてに余裕を感じるからだ。いつもテンパってる男がかっこいいわけがない。喜怒哀楽が激しいのも人間の魅力かもしれないが、瞬間湯沸かしでいいわけがない。「俺は短気な奴が好きだ」なんて口では言ってるが、それはホンネじゃないはずだ。そんな奴といつもいっしょにいると、どうだ?疲れるだろう。
 余裕という意味をもっと深く落とし込んでいくと、いろんな経験から動じない度量や器量などが感じられる。物事の判断基準が大きい問題に対して有効に機能するということだ。心情的には「なんでも想定内」という心境だ。たとえ想定外でも、経験値の幅が広いから、応用が利く。パニック状態には陥らない。女に与える効果は、人間の大きさを一回り大きく見せることができる。これは、無理矢理余裕を見せて演じろということじゃない。いくら背伸びしても、化けの皮はすぐはがれるから、やめた方がいい。こいつを磨くには、やはりいろんな経験がいる。仕事の中で特に磨かれるから、やはり仕事をおろそかにせず、積極的に困難な問題を対処していくことだ。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」というのは、人間の懐を大きくし、余裕を作ることなのだ。
 そして「余裕」とは「優しさ」を生む。これが第5のポイントだ。おとこのかっこよさの最大ポイントと言っておこう。言わば、「男らしさ」といった方がよいかもしれない。男とは、余裕があって優しいのだ。女に、どんな男がいいか?と訊くと必ず、「優しい人」と答える。しかし、その優しさの意味を男ははき違えている。当の女も、自分が言った優しさのその意味がわかってない。男も女も優しさの意味が、「マナーとしてよくある紳士の優しさ」だと思ってる。レディファーストだとか、気配りだとか、暴力を振るわないとかの紳士的な振る舞いだ。しかし、「優しい人が好き」の本当に意味は、「余裕」だ。何が起こっても慌てずに、冷静に判断し処置するその行動力。さらに、余裕があると物事の予知することも可能となり、先回りして対応策を練ることができる。これを駆使し、未然に問題を防いでくれるその力こそ、女性の言うところの優しさで、プラスして「笑顔」と「穏やかな口調」でこれをこなせば完璧だ。
 実はこの余裕は女にない技能なのだ。前にも話したが、女性とは常にあれこれといろんなことを考えている生き物だ。だからいつも頭の中は一杯で、そこへ予期しないことが起こるとパニックになる。「どうしよう」の連発だ。そういう生き物だということが理解できれば、対処は簡単だ。女とは常に余裕のない動物だから、「余裕」がある男がすごくかっこよく見えるのだ。女がテンパった緊急の場面で余裕を見せるのは、真剣じゃないと見られるかもしれないが、ア二キの言う余裕とは、常に「大丈夫」という落ち着いた心を言う。そして男はこの魔法の言葉を笑顔で言えばよいのだ。「大丈夫だ」「俺にまかせて」と。
 これができた男は、女から見ればどんなブ男でもイケメンに映る。

「かっこよさ」の定義(4/8) ~第3の定義「仕事を誇れ!」~ [哲学]

 そして第3は、仕事を誇れるかだ。自分の仕事に誇りを持てるかということだ。「人生は仕事だ」というアニキ哲学の基本論があるのだが、この話はまた後日のブログで話そう。言いたいのは、仕事が人生なのだから、仕事を誇れない男は人生を誇れてない。どういうことかと言うと、人生に愚痴ってる男がかっこいいのかということだ。だから、女の前では絶対に仕事を誇れ。このことを女はよく見てる。女は本能的に男を選ぶのだが、「仕事=女」とみる。これは何かと言えば、女は「仕事と自分をリンクさせる」ということを頭でやる。仕事に対して愚痴る男は、女に対しても不平不満を抱きやすく、友人や同僚に自分のことを愚痴るだろうと考えている。女はここを本能的に察知するのだ。仕事を誇れる男は、女も大切にすると考える。ここに、かっこよさがある。
 太古の昔から、女は男の選び方を間違えると、人生がとんでもないことになることを知っている。強い男しか生き残れなかった時代が何万年と続いてきたのだから当然だ。間違って弱い男を掴んでしまったら、自分はおろか、生まれてくる子ども弱い可能性が高い。強い子孫を残し、一族を繁栄させたいという願いが人の歴史だ。だから女のDNAの中には、強い男を見抜く目が備わっていし、争いが続いた20世紀までは、強い男だけが自由に女を選ぶことができた時代でもあった。だから、きちんと仕事と向き合い、自分の仕事を誇ることが大事なのだ。そのためには行動軸も持てということになる。
 そう、繰り返しになるが、女性にもてたければ行動軸を持つことだ。それは信念や哲学を持っていることに等しい。まわりに何が起ころうと信念はブレてはいけない。これは、頑固で頭が固いということとは異なる。変化に対して柔軟に対応できないということではない。信念という行動軸を1本持ち、その上で変化に対応する方法を考えてゆく。柔軟に対応するとか、指示がコロコロ変わるとかいうのは、この激動の時代においては常に変化して構える必要がる。例えば、「行動アメーバ論」で説明しよう。アメーバは、環境に合わせて形を変える。これが柔軟な発想で、どんな形になろうがアメーバはアメーバだ。これが石になろうと考えたり、他の動物に変化しようと考えることは、アメーバにとっての信念がないということになる。この違いは理解してもらえたかな。信念を持ってぶれないことと、柔軟な対応ができないということとの違いだ。
 そう、だから常に自分の考えを信念に照らし合わせ、ブレていないかどうかを考える。信念という軸は決してブレてはいけないのだ。なぜなら、信念や哲学が物事の判断基準だ。この判断基準がブレていると、言ってることとやってることが違うと周りから言われ、先ほどの石になろうとするアメーバのように、本末転倒となる。そして、行動理念や信念がないと、その事が正しいかどうかを判断できないのである。

「かっこよさ」の定義(3/8) ~第2の定義「信念と行動軸」~ [哲学]

 第2に、人としての最重要ポイントだ。それは「行動軸を持つこと」だ。そして「その軸がブレない」ことだ。かっこよさというより、人間としての基本だが、大抵の人にこの行動軸はない。行動軸がないのによく仕事ができてるなと、正直感心する。これがないと、フラフラした人間に映ってしまう。若者ならまだしも、いい歳の大人がこれじゃ、がっかりだよな。自分の上司にこんなのがいたことを想像してくれ。悲惨なんてもんじゃない。だから、行動理念や信念を持つことの大切さを皆に教えたい、ということがアニキがこのブログを立ち上げた理由でもある。理念や信念のにない人間を見抜く眼を持ち合わせていなければならない。それほど大事な概念で、言わば人間として生きる基本だ。理念でも信念でも言い方は何でもいい。その理念や信念から行動軸が決まるのだ。要は、そういう考えを持っていることが大事であり、それが一貫していて決してブレないことこそ、目指すべき人の姿だ。
 この「軸を持ってブレない」ということがどれだけかっこいいか、想像したことがあるか。皆、無意識のうちに引き込まれていく人間性の秘密はここにある。映画やドラマの主人公がかっこいいのはすべてこれだ。イケメン俳優がかっこいいのではなく、イケメン俳優が演じている男の生き方がかっこいいのだ。「学校では手のつけられないヤンキーだけど、友達を大事にする」とか、「ケンカがめちゃくちゃ弱いのに、友達を助けるためにいじめっ子にボロボロになって立ち向かってゆく姿」とかあるだろう。あれだよな、かっこいいのは。だから、映画やドラマはただボーッと見ていてはダメだ。かっこいいと思うところをしっかり分析し、「この男のどこがかっこいいのか」を見抜く目を持て。女性はそこをしっかりと見てるぞ。これは女の感性というアンテナにひっかかる部分で、とても重要だ。
繰り返しになるが、なぜ男はかっこよさを目指したいのかと言えば、女にもてたいからだよな。そして、同姓からは賞賛されたいからだよな。動機はなんでもいい。さっきも言ったが、これは太古の昔からの男の「原始機能」で、創造主はそういう風に男を作っり、女は「かっこいい男が好きだ」という風に作った。これが女の「原始機能」だ。アニキ哲学の柱である「原始機能」を理解することの重要性はもうよくわかってるはずだな。以前ブログ「アニキの強者論」でも少しこのことに触れてるから、分かりづらかったら読んでみてくれ。
 で、女からみた時のかっこよさのひとつが信念だ。理念や信念という表現が固いなら、「筋の通った男」だ。生き方の軸がビシッと通ってて、決してぶれない男だ。「男らしさ」っていう言葉も日本にはある。何となくイメージできるよな。昨今のドラマを見てれば、主題は愛・友情・信頼・義理人情・感謝・愛する者を守る・恩返し・報われる努力など、人間がこの世に誕生してからずっとあるテーマだ。アニキは古代人は知らないが、これだけは言える。人間のかっこよさは、太古の昔から全く変わってないと。なぜなら、人間が社会生活すると必ずこのような人間関係が表れることになってる。で、これが大切だってことは、誰でも知っている。ヤクザ映画の人気の秘密もここだよな。
 そして、そこにプラスして自分の信念がある。生き様だな。人間のこれらの原始機能に対して、自分はどれに心を打たれるのか、気になるのかだ。気になるテーマは人それぞれ違うが、自分なりの信念は必ず生まれる。意識していなくても自然と反応するように、人間はできているのだ。なぜなら、自分が気になるテーマに対し、それを汚される状況になると腹が立つ。腹が立つというのは信念が汚されるからなのだ。

「かっこよさ」の定義(2/8) ~第1の定義「サプライズ」~ [哲学]

 昨日は「かっこよさとは中身」であると話した。今日はここをもう少し掘り下げよう。
 実は中身が伴うと、その人間の中身の重みが外見ににじみ出てくるから、イケメンじゃなくてもかっこよく見えてくるのだ。特殊な才能を持った人がブ男でももてるのは、中身がにじみ出てきてそのブ男の表面を覆ってしまうからだ。これは、本人にはわからないが、見る人によってはイケメンにみせてしまう人間の幻覚だ。しかもこの幻覚の効力は持続する。見た目のよくない野球選手が女子アナとつきあえるのも、ビジュアルいまひとつのミュージシャンがモデルとつきあえるのもこれだ。先の「平等の法則」が作動するから、女の方のレベルも重要なのだが、アニキ哲学のひとつである「物事は目で見るな、人の話は耳で聞くな」を実践している女には、表面よりも男の中身を自動的に見てしまうから、ブ男でももててしまうのだ。そういうしくみだ。ならば、中身を磨いてかっこいい男を目指そうじゃないか!
 では、その中身のかっこよさとは何だ!具体的に定義してゆく。ブ男でももてるポイントを下記にあげよう。見た目がダメでも卑屈になる必要はない。卑屈になると、マイナスエネルギーが出るから、このエネルギーで覆われると、ブ男が強調されてしまう。このことを忘れるな。だから、以下にあげるポイントを実践しろ。
 ここまで話せばわかるな、アニキの言う「かっこよさ」とは中身を鍛えろということだ。プラスオーラが出てくる人間になれば、自然と周りに人は集まり、女にももてる。女とは、追いかけると逃げる生き物だ。男は自分の好みの女を引き寄せるのだ。中身というエサで女を引き寄せることが、かっよさの追求だ。
 まず第1に、かっこよさとはサプライズだ。つまり、見た目とのギャップだ。中身的に言えば、期待値とのギャップだ。期待値とのギャップを突然見せることによるサプライズだ。以前、「サラリーマンの謎『評価』」でも話したが、ここでも同じ哲学になる。弱そうに見えるけどケンカが強いとか、毎日遊んでるようにしか見えないのに勉強ができるとか、普段冗談ばっかり言ってるのに外人と英語で流ちょうに話したりとかだ。そうだ、普段の見た目では判断できない隠れた特技だな。それを突然披露することで見せるサプライズがある。このサプライズは、「努力」や「気づき」で獲得するしかないのだが、探せばなんでもある。なんでもよいのだ。しかし間違っていけないのは、マイナス側へのサプライズじゃなく、プラス側だ。いい人だと思ったら人殺しだったとか、誠実な男だと思ったら詐欺師だったなんてギャップの話ではない。

「かっこよさ」の定義(1/8) ~女にもてたいよな~ [哲学]

 みんな、女にもてたいよな。美人と付き合いたいよな。遠慮することはない、創造主は男をそういう風に作ったのだから、その感情に従えばよい。「この女好きの性格を何とかしたい」とか、くだらないことを考えるな。それより、女にもてるにはどうしたらよいかを前向きに考えて、かっこいい人を目指せ。それが人の道だ。
 なら、かっこいい人とはどんな人だろうか。見た目はもちろんだが、中身がそれ以上に大切だということは、大人だったら皆知っている。そんなかっこよさの基準は人により様々なはず。でもそこに、共通する何かは必ずある。かっこよさという漠然とした概念を分解することにより、自分が目指すものが見えてくる。今日はその「かっこよさ」を定義してみようと思う。
 じゃ、どんな人がかっこいいのだろうか。小さい子どもの頃、父親がかっこよく見えたりするが、中学・高校と成長するにつれ、親父は実はかっこよくないということに気づく。しかし、自分が結婚して子どもができて親父がヨボヨボになった時、再び親父が実はかっこよかったということに再度気づくものである。特に、オヤジ自身に変化があったわけではない。見る方に変化があってそう思う。人生に共通するのだが、見方が変わると評価が変わるのだ。大げさではあるが、これが人生の悟りのひとつである。
 人間、メシだけ食ってたら大きくなる。勝手に大きくなって、見た目だけは大人になる。外見は立派な大人なのだが、中身は空っぽだ。中身がからっぽの大人が世の中では通用しない。それがわかってるから親はうるさいことを言うのだ。社会とは「嵐の大海原」とアニキは何度も主張してきた。親はこの海を知っているから、子どもには旅の支度をさせたがり、本人にももっと自分で考えて行動してほしいと願う。この詳しい話は後日ブログ「社会という旅の準備」で紹介しよう。ここで理解してほしいのは、親の話でない。
 ここで大事なのは、体だけ大人で中身が空っぽなんてかっこいいかね?ということだ。外見は必要ないとは言わない。動物の世界ではとても重要だ。人は第一印象で決まるから、「見た目が重要」と提唱している人もたくさんいる。だから間違いなく外見は重要だと思う。言いたいのは、見た目のかっこよさだけじゃダメということだ。それに伴う中身がとてつもなく重要で、外見さだけかっこいいイケメンなんて「張りぼてヤロー」で、クソだ。中身を磨かずに外見だけ磨く奴は間違ってる。そんな奴についてくる女も、そいつがろくでなしだということがわかってない。要するに、安いエサではタイは釣れないということだ。世の中には「平等の法則」というのがある。言い換えれば、フィフティーフィフティーということなのだが、ケンカ両成敗もよく言われる理論だが、アニキ哲学において、この場合の平等の法則とは、選ぶ男も選ばれる女も似たもの同士ということだ。
 自然と平等なものが引き合うというのが、アニキのいう「平等の法則」だ。これは、世の中の真理のひとつだ。何か迷った時の判断基準にするなら、人生はまがい物を掴まないでうまくいく。この話は後日ブログで話そう。
 ここでの理解は「外見だけじゃなく、中身を伴えよ!ということだ。

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