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「神様はお見通しだ」の正体 [哲学]

 以前のアニキブログ脳の謎(2)の中で、「神様はお見通しだ」という話をした。これについて説明不足があるので、もう少し詳しく話をしてみたい。
 子どもの頃、よく親に言われたことがあるだろう。何か悪いことをしたとき、「神様が見てるよ」「嘘ついたらバチが当たる」と。そう、あの言葉だ。実はこの言葉は、親が子どもをしつけるために、適当に考えた言葉でない。古い昔より言われ続けてきた言葉だ。子どもはそのことを親から言われるが、親はおじいさんおばあさんよから言われてきたのだ。そして、爺さん婆さんはその親より言われた。このしつけ言葉は神様信仰時代までさかのぼるのだ。
 この際、神様の概念は横に置いておいてくれ。アニキが言いたいことは、そこじゃない。いつも言ってるが、宗教としての神様はアニキにとってどうでもよい。アニキの興味は「神様が見ている」「バチが当たる」という言葉だ。神様はどこで見てて、バチを当てにくるのか、真剣に考えたことはないだろう。ここを、アニキは子どもの頃から考えていた。
 子どもの頃のアニキは、「神様ってひとりのはずだから、一度に全員のことを見れるはずがない」と考えていた。というのは、そんなことができるなら、目が人の数だけないと不可能だと。ならば、神様の指示を受けた何者かが、いつも物陰から自分を見てるんじゃないかと思っていた。子どもの頃だから、それは「霊」だと思っていた。だれでも霊がついていて、それが神様に伝えてるのだと。しかし、そうなると、霊っていうのは自分の外側から見てるはずだから、頭の中で考えたことまでわかるはずはない。実際の悪い行動は見ることはできても、悪い考えまでは見えるはずがない。しかし、神様はそれもお見通しなのだ。ここがずっとわからずに大人になってしまった。
 しかし、やっとその謎が解けた。それは、自分を監視しているのが「脳」であるなら可能だ。そう、監視役は内側にいたのだ。常に監視役は外部にいるのとの先入観から、考えもしなかった。お見通しの正体が「自分の脳」であるなら、話は簡単だ。心の中を覗くことも容易なわけだ。なぜなら、心で思ったことを脳が考えるからだ。それが良い事であろうが悪いことであろうが、神様へ報告されてしまうということだ。創造主はムダなものは何ひとつ作ってないのだ。その監視システムも完璧だ。だから、どこにも逃げることができないのである。「脳の謎」でも何度も言ってるが、「自分の脳は自分のものであって、自分のものじゃない」のだ。だから、脳との関係を人生の最初によくしなければならない。社会人になったのなら、関係をよくするのは上司じゃない。取引先でもない、家族でもない。まずは、自分の脳との関係をよくすることから始まる。皆、これができてないから、スタート時点からすでに不幸が続く。そのことが全くわかってない。
 アニキは何が言いたいかというと、心がすさんでると自分の脳はいうことをきかない。だから、人生がよくならないのだ。当然、顔つきも嫌な顔になる。意地悪そうな顔だよな。顔は心を写す鏡だから、人相が悪くなるようにできている。脳からも悪いホルモンが出るから、カラダも不調になる。いいことなしだ。これは、創造主は人が間違った行動を取ると、「それは違う」というサインを出しているのだ。大概の人は全くそれを理解しようとしない。だから、顔はひどくカラダはボロボロになるのだ。「早く気付けよ」ということなのだ。
 これが、「神様はお見通しだ」「バチが当たる」の正体である。

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