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「かっこよさ」の定義(8/8) ~最後の調味料~ [哲学]

 余談になるが、なぜみんな、かっこよくなりたいのか考えたことがあるか?かっこいい奴が周りにいないからだよな。かっこいい奴がいないから、かっこいいと目立つんだよな。人間には周りからチヤホヤされたいという「原始機能」がある。特に男は、女にチヤホヤされたいものだ。だから、オヤジ連中は連日クラブに通い、ラウンジで飲むのだ。若い女にチヤホヤされるからで、ここでのオヤジのかっこよさはお金持ちだ。アニキブログ「強者論」でも話したが、オヤジ連中はお金持ちということでチヤホヤされ原始機能を満たす。オヤジ連中の話はまあいい。言いたいことは、「かっこいい」ということで、女にもてるという男の原始機能が満たされるわけだ。
 話をもどそう。人は「何をしたいのか」ではなく、「どう思われたいのか」だ。人間関係とはすべて相手が決める。ここがわかってないから空回りする。「俺はこんなに努力してるのに」とか、「こんなにセンスがいいのに」とか、「こんなに後輩に慕われてるのに」とか言う。ここでよく考えてほしい。自分がいいと思ってる部分を、他人は同じように良いと思っているのだろうか?うわべだけで「かっこいい」って言ってないか?人は大概、相手を傷つけたくないから適当なことを言ってごまかす。そういうことをわかってるか?相手の気持ちを理解せず、人間関係を自分で決めようとするから、悩みそして苦労する。人に喜ばれたいと、独りよがりな親切を施して、お礼がないと「俺の気持ちを理解してもらえない」となる。人に喜ばれたいという気持ちは立派だが、見返りを求めると不幸になる。
 また仕事においても同じで、自分一人では出世もできないし、目標数字も達成できない。そこにはすべて向かうべき相手又は評価する相手がいて、彼らとの関わりの中で成り立っている。ここを無視して人生は思うようにいかないのだ。人間関係をそつなくこなしてこそ、ホンモノのかっこよさが生まれる。
 アニキは何が言いたいのかと言うと、関係する相手がすべてを決めるのなら、理念や行動軸も相手の立場で「良いと思うかどうか」という基準でなければならないということ。それは全く難しいことではない。すごく単純で簡単なことなのだが、これを人は意外とできない。それは「感謝」だ。相手の行為に対足し感謝する気持ちを持つということ。そして、自分がやった行為が感謝されるかどうかだ。このエッセンスを必ず行動軸に折り込まなければならない。さらにそこに、「誰も損しない」という考えもプラスする。そうなると、牧師さんの説教と同じようになってしまうのが難点だ。若い人は恥ずかしいと思うかもしれないが、これが世の中の真理だから早くから理解しておいた方がよい。結局人間の目指すところは同じ場所であり、似てしまうのだ。だから、どの宗教でも「感謝」はその教義の柱となって何世紀も続いているのだ。
 つまり、人間誰しも望む境地は同じであるということだから、しっかりした理念を持っていると、周りから共感を受ける。ほとんどの人は信念や理念までのレベルとまではいかなくても、それに近い概念は頭の中で描いている。しかし、日々いろんな問題が目の前に現れるため、それを実現できてない。思っていてもなかなかできないのだ。
 だから、そんな信念を実行している人を見ると、「かっこいい」となるわけだ。これがかっこよさの秘密である。後は外見だが、それはファッション雑誌でも見て自分で勉強してくれ。

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