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サラリーマンの武器「指導される能力」(3/5) ~教えたくなる人物を目指せ!~ [哲学]

  技能と能力は別物であると、アニキブログで話したことを覚えているか?「教わる」という「技術」なのだが、それは先人の技能を盗む力であり、即「能力」になる。だからアニキはこの言い方をする。
 じゃあ、その「教わる」「指導される」という能力は、どうすれば会得できるのであろうか?
 だんだんわかってきただろう。実は教わる能力というのは、「相手が教えたくなる自分を作る」ということだ。決して、「お願いします」と言って、へりくだって相手に頭を下げる能力ではない。では、どんな人間なら人は教えたくなるのだろうか?ここを研究することが大事だ。はっきり言って答えが一つではない。だから、アニキは共通部分だけを話す。なぜかというと、教わる相手は様々だ。昔から言われてるように、「我以外皆、我が師」である。大学教授からホームレスまで幅広い。教える人が気に入るキャラクターがそれぞれ異なるからだ。どうしたらその人に好かれるか、そこからの応用は自分で考えて行動してほしい。
 では、教えたくなる人とはどんな人であろうか。職人が教えたくなる奴とはどんな奴だ?昨日の話を思い出してくれ。まずは、向上心のある奴かどうかだ。これは、口でいくら言ってもダメで、行動で示さなければならない。いつも言ってるように、「人は言葉では動かない、行動で動く」だ。職人の世界では、影の努力で「人に教わる前に、自分でまず努力する人間かどうか」というところを見る。これは、厳しい修行について来れるかどうか見ているのだ。職人の教えとは厳しい。このハラスメント満載のこのご時世にあって、体育会系丸出しで短気な師匠の体罰や罵りに耐えられなければならない。サラリーマンではここまで極端なオヤジはいないが、気持ちは職人修行のそれに近い覚悟は持つべきだ。
 この向上心があるかないかを見ることは、教える側としてはとても重要な要素だ。これが光ってないと教えようとは思わない。「俺は向上心あります」と口で言っても、師匠や先輩が「あいつは確かにやる気がある」と思わなければ話にならない。常に日頃から、その姿勢を行動で見せる必要がある。口ではない、行動だ。では、どうすればいいのか?という部分は自分で考えてほしい。個々でアニキに頼るようでは、到底その上司や先輩からは「やる気ない」と見抜かれる手合いのはずだ。ヒントは、人の嫌がる業務や単純作業を嬉しそうに生き生きやるとか、間違えた事は陰で克服する努力を怠らず、同じ間違えは二度としないとかだな。そこに「呑み込みのよさ」が加われば言うことなしだ。学校や塾の先生が教えてたくなる生徒とは、向上心があって呑み込みの早い生徒だ。先生とは教えるマシーンだから、こういう生徒にはのめり込んでしまうのだ。
 教えたくなる自分になるためには、この辺も大いに参考になるはずだ。とにかく、「人が教えてたくなる自分とは?」と常に考えながら仕事に励むことだろう。

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