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サラリーマンの武器「素直さ」(5/5) ~プライドは心の癌~ [哲学]

 プライドも「人間の原始機能」のひとつである。ここで話すプライドとは、アニキ哲学におけるプライドの定義とは異なるが、一般的概念でのプライドと理解してくれ。
 このプライドってやつは、放っておけばどんどん大きく無限増殖する。プライドはガン細胞と同じであり、人の心に巣くうガンである。このガンは、人の経験をその栄養源として増殖してゆく厄介な存在だ。「プライドが高い奴って、心のガンだ!」とアニキは言う。ところがこのガン、直接的には人間の体に変調をきたせないから、それが悪であることに気がつかない。このガンの最も恐ろしいのは、「人の体を攻撃するのではなく、人の人生そのものを攻撃する」ことだ。だれもそのことに気づかない。そのため創造主はあらかじめストッパーを用意している。プライドというガン細胞がそれ以上増殖しないように。創造主はいつも毒と薬を同時に出す。アニキ哲学「二面性論」がここでも有効だ。そのストッパーのひとつが「素直さ」である。また、「感謝」などもそうである。これらが人生をプラスに変える機能を持つのだが、プライドを捨てないと手に入らないことになっている。そして、「素直さ」などが手に入らないと人間関係がうまくいかず、人生がうまくいかない。ガンが治らないのだ。創造主は人間をそうプログラミングしている。
 つまり、「プライド」は人間にとってあまり必要ない機能である。断っておくが、プライドが一切要らないということではない。小さなプライドは人生においてプラスに作用する。要は、「毒もクスリだ」ということで、酒のようなもの。プライドの話は長くなるので、この辺でやめておく。詳しくは、アニキ哲学「サラリーマンの要らない武器」でいずれ説明しよう。
 話を戻そう。何が言いたいのかというと、普段から「素直さ」を磨き、武器として使用できるように準備することが重要だということだ。そのためには自分自身を知ることからスタートだ。自分が会社でうまくいってないと思ったら、まずは「自分は素直だろうか?」と考えてみるべきだ。ここで一つアドバイスしよう。自分が素直かどうかと考えてみてほしい。「俺は素直だ」と思ったやつは、「確実に素直じゃない」と言っておこう。素直な人は、「まだまだ俺には素直さが足りない」と謙虚に物事を考えるからだ。そうだ、素直さとは謙虚さでもあるからだ。「謙虚」とは、「威張る」の反対だ。つまり、素直じゃない奴とは、威張ってる奴なのだ。表だって威張ってなくても、常に上から目線の発言が威張ってるのと同じなのだ。
 そうなのだ、大抵の人は素直じゃない。プライドが邪魔したり、過去の経験知識が邪魔している。毎日、「今の俺の行動は素直かどうか」を常に考えて行動することが人生成功への道が開ける。素直さが武器となると、味方が格段に増える。すると、その味方に押し上げられて、なぜか自然とエラくなってしまうのだ。エラくなりたいと思うなら、「足下の土台を高くしろ!上を見て飛び上がるのではない!」。そうだ、もっと足下をよく見て、そして自分のその素直じゃない考えを改めろ。ならば、手に入れるべき武器は決まってくる。
 「将来、何になりたいかではなく、どんな人間になりたいか」だ。自分が今、どっちの人について行きたいかを考えれば、結論は明白だろう。役職についてゆくのか、はたまた人間性についてゆくのか。

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サラリーマンの武器「素直さ」(4/5) ~原始機能~ [哲学]

 アニキは何が言いたいのかと言うと、「素直じゃないんだよな、みんな」ということだ。若い奴らも、ちょっと仕事を覚えるとすぐに威張り出したりする。営業だったら、お客を馬鹿にしたりする。「わがままな客だ」とか言ったりするのだが、アニキにしてみればそんなの当たり前で、「わがままなのが客だろう」だ。で、年をとれば取るほどプライドが高くなり、他人の意見を聞かなくなる。我が強くなりすぎて「素直さ」から縁遠くなる。そして、周りが誰も教えてくれなくなるから、成長が止まるのだ。つまりだ、素直さは武器というよりは、最低身につけなければならない道具と考えた方がよいかもしれない。これがないと、成長が止まってしまう。アニキは成長が止まったオッサンを、いやというほど見てきたが、それは哀れなものだ。まさに頑固ジジイだ。何を言っても聞く耳を持たない。常に「言わないでもわかってる」を繰り返す。そうなると、頑固という殻がどんどん堅く大きくなるものだから、自分で殻を割ることが難しくなる。年齢も上がって、殻を割る力も根気も少なくなってくるからだ。まるで「頑固の着ぶくれ状態」だ。この状態になったら終わりだ。友達はいなくなり、奥さん子供には見放され哀れなものだ。映画やドラマでは、孫がその殻を割ったりする。孫から気づきを得ることになる。いわば孫が師匠なわけだ。だから、素直さって大事だろ。
 話がそれてしまったが、実は素直さはある意味防具の役目もある。「人間関係の悪化」や、「人間の成長阻害」を防御する防具であると。だから素直さがないと、生身の体丸出しで、気づかないうちに傷つけられてしまう。結果、人生がとてもつらくなるのだ。
 人間の創造主は、人が死ぬまでに必ず素直さを身につけさせようと、いろんな試練を与える。要するに、アニキは素直は武器と言ったが、創造主にとって素直さは、人間の必須課題なのだ。素直さが欠けていると人生がうまくいかない。元々そういう風に人間は作られている。生まれたときからすべての人間に備わっている機能のことを、アニキ哲学では「人間の原始機能」と呼ぶが、素直さはまさにこれに当たる。ここが人生をよくするポイントの一つであり、人間関係を良好にするスイッチのひとつだ。創造主は人間を集団生活するように作っている。人間をわざとひ弱に作って、人間同士の関係をうまく築くことを課題としている。ところが、この「素直さ」の原始機能になかなか人間は気づかない。だから創造主は人間にヒントを与えるために、これでもかって感じで試練をぶつけてくる。そして「素直さのなさ」のレベルにより、ぶつけてくる試練や師匠のレベルも異なる。ホントに素直じゃない奴には、いつも自分がバカにしている若造クラスに気づかされることになる。そう、自分のプライドが傷つくレベルの師匠を出してくる、必ずだ。プライドを打ち破らないと素直さは手に入らない。少し話はそれるが、重要な概念であるプライドについても少し触れておこう。

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サラリーマンの武器「素直さ」(3/5) ~師匠~ [哲学]

 そして「素直さ」のもう一つの武器としてのポイントだ。実は素直さがないと、成長が止まる。これはどういう意味かわかるか?人の意見を聞かないということよりも、もっと重要なものが手に入らない。「素直じゃないと、だれも教えてくれない」のだ。そう、素直さが武器であることの真の意味はここだ。以前のアニキブログ「人生の流れを知れ!」で話したが、人は壁にぶつかる度にそこから抜け出すための師匠が現れる。師匠が現れるということは、「その人に教われ」ということだ。しかし、「素直さ」がないと、師匠は現れない。人生は素直さで人に頭を下げないと、道は開けないしくみになってるのだ。
 人生には毎日大小さまざまな問題が出てくる。小さな問題なら、過去の経験や本やインターネットなどで解決するかもしれないが、大きな問題の場合、手持ちの知見では対応できず、必ず師匠が必要となる。「素直さ」を持ってないと、この師匠がいくら経っても出てこないのだ。すごろくなら、ゾロ目が出ないと先へ進めず、後から来た奴に追い越されるようなもの。先頭切って課長になったものの、その後パッタリ進まないという原因のひとつがこれだ。師匠は上司とは限らない。部下だったり、飲み屋のオヤジだったり、キャバクラの若い女の子だったりする。語弊があるといけないから補足するが、ここでの師匠とは弟子入りするという意味ではない。気づかされるという意味合いだ。だから、教えは一瞬かもしれないし、言葉ではなく行動にヒントがあるかもしれない。要するに、ここでの師匠とはその程度のものも多いと理解してくれ。
 ここで、素直さを早めにGETしておかないと大変苦労するという話を紹介しよう。大企業の役員や部長経験者が退職後に、子供でもできる簡単な仕事でもうまくいかないことがある。これはプライドが邪魔して、素直さがないから起こる。次の仕事の先輩や上司に対して頭を下げられないのだ。特に、上司が年下や若い人の場合はなおさらだ。うまく人間関係作ることができない。ま、若い人の接し方にも問題あるのだろうが、その人に使われてる立場なんだからしょうがない。前職のように、黙っていても周りがみんなへりくだって頭を下げてくれるようなそんな環境は、大企業を去った時にとっくに終わってしまったはずなのに、それをそのまま次の仕事でも引きずってしまう。みんなも経験があるだろう、駐車場の管理や自転車置き場管理人に愛想がない人が多いのは、前職のプライドを引きずっているからだ。たまに愛想のよい人に出会うのだが、そういう人は本当に賢いとアニキは思う。世の中がわかってるのだ。
 立場が変われば、その立場にて必要なことをすばやく理解する。何十年もサラリーマン社会でやってきた人たちは、そんなことは当然わかっていると思うのだが、そういう人は少ない。で結局、周りの人間関係がうまくいかないからと、すぐに仕事を辞めてしまったり、仕事がおもしろくないと愚痴るのだ。大企業時代は、大勢の部下の前で、「仕事を面白くするのは自分だ!」と、声高らかに吠えていたにもかかわらずだ。こんな弊害を起こさせないためにも「素直さ」を身につけていなければならない。

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サラリーマンの武器「素直さ」(2/5) ~まずは聞け!~ [哲学]

 どういうことかというと、まずは相手の話を聞けということだ。相手にも自分の経験からの考えがあり、自分の意見を述べるのは、それを聞いてからでも遅くないはずだ。まずは一旦自分の意見を飲み込み、相手の話を聞く。まあ、こんなことは巷でよく言われることだから、皆わかってて耳にタコができる話だな。相手がある程度知識を備えた論客である場合はそういうことだ。次に相手が素人の場合だ。すぐに論破してしまいそうになるが、これをじっと堪えてみる。素人ならではの意見を聞いてみることはとても重要だ。素人ならではの視点から、何か参考となる話があるかもしれないのだ。決して論破してはいけない。素人はその後二度と意見を言わなくなる。そんなトラウマを植え付けていけない。
 そしてここが重要なところだが、自分の意見を押しつけてゆくということは、「己の思い込みを押しつける」ということに気づかなければならない。思い込みで相手に意見を押しつけた時、過去の経験に裏付けられた論理があるから、大概は大きな問題は起こらない。だからこそ、ここに問題があるのだ。周りを見てみるといい。自分の意見を押しつける人、すぐに論破することを日常としている理屈屋、または自分の手を汚さない評論家などたくさんいるだろう。彼らは小さな小手先の結果は出しているかもしれないが、大きな結果は出していないはず。しかも、周りに嫌われているというおまけまでついている。つまり、彼らは参考となる成功者像でない。ただ、過去の経験からの言葉には多くのノウハウが隠されており、本を読むがごとく自分の知識として吸収すればよいのだ。そう、まずは相手の意見を聞き、自分の知識とする。このことを念頭に置く。
 つまり「素直さ」の第一ポイントとは、自分の意見はまず横に置き、人の話を聞いてみるということにより、思い込みという落とし穴にはまることを防ぐことが重要だ。これは、「素直さ」を武器としての機能させるための手段だ。相手の意見を真剣に聞くという態度をとり、人間の大きさをアピールする作戦だ。「懐が深い」「器がでかい」と思わせる素養を作るのだ。
 そうだ、まず管理職は部下の意見を聞く。部下の言葉に呼応して、「バカかおまえ!」は禁句だ。それをグッと飲み込み、「その根拠を教えてくれ」「なぜ君はそう思う?」とたたみかけて、根掘り葉掘り聞けばよい。これは同時に部下をも自然に育てる強力な威力も兼ね備える。詳しくは、いずれアニキ哲学「人生なぜなぜ」で話すつもりだが、ここでもそういったテクニックが生きてくる。

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サラリーマンの武器「素直さ」(1/5) ~人を傷つけない武器~ [哲学]

 サラリーマンの武器第一弾は「素直さ」だ。な~んだと思ったもしれない。ビーム光線かなんかかと思ったか?悪いが、ビーム光線は相手を傷つける武器だ。そんな物騒なモノが世の中にあれば、確実に北斗の拳の世の中だ。アニキの武器は人を傷つけるのではない、自分が強くなるための武器だ。自分が強くなることと、人を傷つけることは全く意味が違う。お金と一緒だ。お金自体は悪じゃない。いいか悪いかは、お金を使う人の心が決める。それと同じで、アニキの武器もそれ自体は人を傷つけない。己を強くするのみだ。しかし、それを持った人の心が人を傷つける恐れはある。要は、心構え次第だ。
 では、サラリーマンにとってこの「素直さ」という武器が、どれだけの力を発揮する技能であるか、まだ理解していないだろう。逆に、そうなんだよ、これが重要なんだと思った人は、人生のなんたるかがよくわかってる。この「素直さ」を身につけなければ、社会人初心者の段階でかなりの遅れをとると言っておこう。それは、サラリーマンだけではなく、すべての人間にとっての最大の武器である。
 では、「素直さ」がどれだけ重要であるかを説明しよう。実はこの「素直さ」、初心者の時には大して武器にはならない。なぜなら、初心者にとって素直であることは当たり前であるから、最初から素直じゃないやつは、社会人失格である。サラリーマンであろうが、個人事業者であろうが同じだ。だから、ここで「初心者に対する素直さ」を説明する必要はないだろう。実はアニキが「素直さが武器」と最も言いたい人は、サラリーマン経験の長い人たちだ。そう、仕事が乗りに乗った40歳以上である。それは高齢者や管理職者に対しても同じであり、「素直さ」が武器となる。
 これがどういうことかわかるか。人間は知識や経験が積み重なると、自分の考えができあがる。しかもそれである程度結果を出しているならなおさらだ。人の意見を段々と聞かなくなる。だれかの意見に対して、まず反論から入る。自分の専門分野に関する話なら、自分が正しいと常に思っている。しかし、一度よく考えてほしい。自分の考えは過去の経験からの知見だ。それを使って反論しているにすぎない。それで未来を予想しているにすぎないのだ。このことをまず謙虚に受け止める必要がある。「サラリーマン社会には、完全正解はない」のだ。

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サラリーマンの武器概論(後編) ~丸腰人生は負け人生~ [哲学]

  話を戻そう。で、そうだ「武器」だ。身を守り、人生を切り開く「武器」だ。アニキの武器は、相手を傷つける武器でない。ということは、「モノ」ではないということだ。大学や学生時代に学習で身につけた履歴書に書ける自慢できるものは何一つない。アニキの武器は、すべて考え方をベースにした「技能」を前提としている。以前のブログで語ったが、技能が結果を出して初めて能力となる。そうだ、だからこれからアニキが紹介する「技能」を、「能力」にまで高めて初めて武器となる。これをものにして、サラリーマン人生を闊歩してくれ。歩くのではない!闊歩だ!闊歩の定義は、楽しく、上を向いて笑いながらスキップに近い感覚だ。本当は人生の準備期間である学校で教えてもらって身につけばよいのだが、このサラリーマンの「技能」は、ある程度の経験をベースにしないとわからない。泳ぎやスキーと同じだ。いくら話を聞いても、実際に自分で経験してから理解できる。経験しないと質問すらできない。
 高校や大学へ進むにつれて、大人の話を聞く機会が増えたり、アルバイトだとかで社会の一端をかじって、社会を少し経験できるのはすごくいい。仕事というイメージがわきやすいから、想定できる部分もけっこうあったりする。だからアニキは、中学卒業してすぐに社会の出た人はすごいと思う。その荒波たるものは、半端じゃない。何の武器も持たずに嵐の海に出て行くのだ。そこには大渦潮があったり、また巨大ザメもいるし、巨大ダコもいるかもしれないのにだ。
 で、アニキは何が言いたいのかというと、「身を守る最低限の武器を身につけろよ」ということだ。丸腰で猛獣に挑んでも結果はしれてる。SF映画なら何とかなるかもしれないが、現実社会ではそうはいかない。アニキは、武器の重要性に気づきそこから人生が変わった人を何人も見てきた。なら、最初から教えてあげたらいいじゃん。そういうとこが日本人はケチなんだよ。しかしこれも難しい。実はこの武器、考え方が主体だから、話を聞いただけでは全く使えない。そこには経験を通し、自分なりの気づきがあって初めて使える。自分が順風満帆だと思って粋がってる奴には決して見えないと言っておこう。今、壁にぶつかってる人には最良の気づきがあるはずだ。だから、今は必要なくても、いずれは必要となるから、頭の片隅にでも残っていれば、そのときには最大のクスリとなると言っておこう。武器はいくつもあるから、自分に最適な武器を見つけて身につければよい。
 最後に、「サラリーマンの武器だって?そりゃなんだ?」と否定的に見ている君たちに、一言いっておこう。アニキブログを読む君たちは、アニキに引き寄せられているという事実にも気がつくべきで、単なる偶然ではないのだ。この「偶然が必然」であるということが人生で最も重要な概念であるが、これが気になるなら、アニキブログ「人生に迷ったら、本を読め」を読んで見てくれ。きっと、腑に落ちるだろう。いずれアニキ哲学の中心概念である「偶然が必然」でじっくりと説明しよう。

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サラリーマンの武器概論(前編) ~武器の意味~ [哲学]

 昨日はくだらない話をして申し訳なかった。実はアニキは偉そうなことを言ってるが、くだらないことが大好きなサラリーマンだ。そこは理解してほしい。では、今日からはまたアニキ哲学に戻ろう。やっとこのシリーズを開始する。「サラリーマンの武器」だ。
 さて、戦争をしないと決めた我ら日本人にとって、「武器」とは少々重い響きのある言葉だ。それから連想されるイメージに、歓迎される肯定的な響きではなく、どちらといえばマイナスなものだ。そして、武器のイメージは「相手を傷つける」という印象から、どうしても馴染めないのが日本人だ。しかし、これからアニキが何回にもわたって話してゆく「武器」とは、「自分の身を守るもの」もしくは「道を切り開く道具」と考えてくれ。
 たとえばジャングルに一人取り残されたとしよう。「武器は人を傷つけるからいやだ」と言うだろうか。容赦なく襲いかかる猛獣たちに対し、どう自分の身を守ろうというのか。己がスタローンやシュワルツェネッガーならよいが、そんなものは映画の話だ。そこで何とか生き抜く必要がある。ましてや、家族と一緒にジャングルにいたとしたなら、丸腰での生活なんか考えられない。一家の主としては、家族や自分を守るため、「武器」が必要となるのだ。
 アニキブログの読者ならもうわかるな。そうだ、サラリーマン人生はジャングルと同じなのだ。日本という都会で、周りにはマクドナルドでもコンビニでも何でも便利なものがあるから意識させなののだが、社会生活とはジャングルでの生活とほぼ同じだ。それがわかってないから、「こんなはずじゃない」の一言がすぐ出る。ここがジャングルだと思えば、「でも、生きててよかった」だ。アニキ哲学の中枢はすべてこの「考え方」だ。まずは自分の置かれた状況を把握してくれ。いやな上司や先輩は猛獣だ。しかし倒すんじゃない、利用するのだ。なぜなら、チンパンジー以上の知能を兼ね備えた猛獣であるからだ。なんでも敵対すればいいと思ってるところが、ガキだ。大人はギリギリまで戦わない。ケンカからは何も生まれないことを知っているのが大人であり、わざと負けて相手を勝たせても「自分の勝ち」だとわかっているのも大人だ。
 要するに、求めていた結果を出すことが人生の勝負であり、そのためには小さな勝敗はどうでもよいと考えることが重要なのだ。実はケンカからは何も生まれない。遺恨だけが残る。だから、そのことを知っている頭のいい人は、ギリギリまでケンカしないのだ。ここを押さえておく必要があるのだが、また話がそれてしまった。
 今日は武器の話であり、「ケンカの極意」ではない。この「サラリーマンのケンカの極意」については、またいずれ紹介しよう。

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とっておきの「宴会芸」を紹介しよう(後編) [余興]

 今日は後編だ。今日の芸はさすがに実現性は低い。勇気のある若者にこそ、これを紹介したい。

◇おむつプレイ
 これはひどい芸だ。実にかなりの勇気がいる。体育会出身者でも及び腰になるスペシャル芸だ。できれば、女性が参加しない宴会でやることを薦める。読んで字の如し、いわゆる赤ちゃんプレイだ。そう、やることはただのおむつ替え。
 役柄は母と赤ちゃんの2人。大人用のおむつを履いた赤ちゃん役が、ベビーベッドですやすや寝てるところからスタートだ。その後、赤ちゃんはおむつの中でクソをするという過激な行動に出る。そして、ウンチを変えて欲しい赤ちゃんは泣き叫ぶのだが、母親役は何で泣いているのかを探る演技をする。そして、「あ、おむつを変えてほしいんだ。」ということに気がつき、おむつに自分の顔を近づけにおいを嗅ぐのだ。ここで咳き込む演技が要るのだが、演技せずとも素でできてしまうほどくさい。まずその前に、赤ちゃんがクソした後は、もうすでに辺りはくさい。そして次におむつ替えが始まるのだが、これが地獄だ。ここからは解説はいらないだろう。すべきとことをするだけだ。とにかく無事におむつを替え終えなければならない。悪臭と罵声の中、無事におむつ替えを済ますのだが、ものすごく後味が悪い。会場全員がどん引き状態だ。この芸には宴会の腰をも折る力があるのだ。
 アニキは昔この芸を思いつき、独身寮の新人歓迎会で新人に芸としてやらせたことがある。おむつ交換の途中で、元のおむつのクソがあまりにも大量だったため、片手で支えきれず、誤ってその場に落としてしまった。しかも、おむつの中身があたりに飛び出してしまったのだ。そして、その瞬間に中止。芸人二人は退場させられてしまった。
 その後、この芸は会社で封印されたが、心ない先輩が他でやらせた話も聞いた。やはり不評だったと聞く。いずれにせよアニキは、いまだにこれが、芸としての評価を受けたと聞いたことがない。

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とっておきの「宴会芸」を紹介しよう(前編) [余興]

 最近、堅苦しい哲学の話ばかりだから、今日は久しぶりにくだらない話をしよう。4月となれば新歓シーズンだ。それにちなんだ大変タメになる話を聞いてくれ。
 大学や会社に入ったら、新人若手は必ず宴会芸をやらされる。芸人のようにネタの多い奴は苦労しないが、一般人は芸に苦労するはず。芸のない奴は「男なら脱ぐ」しかないのが日本の常識となってる。理不尽ではあるが、お下品な芸を披露しなければならない。毛を焼いて「花火」、人の頭に載せて「チョンマゲ」、袋を広げて「ゾウさん」など、下品きわまりないその芸に、まず女性はどん引きだ。喜んでいるのは男の先輩だけだ。でもそれは洗礼みたいなもので、下品であればあるほど先輩の機嫌はよい。歌なんか上手に歌を歌ってもブーイングで、先輩はキレて、結局は脱がされて「花火」をやらされる。大学が一流であればあるほど、先輩の求めるお下品さの基準は高くなる。新人にとってはまさに地獄。
 どうしたらよいのか。そこはあきらめてお下品な芸を披露するしかないのだ。しかし、芸のアイデアがなければ、前述のように先輩のいいなりで、「ゾウさん」が待ってる。ならば、お下品な芸を自分で考えて先輩の度肝を抜くことだ。そこで、アニキが商社時代に考案した芸を新人諸君に教えるので、ぜひ使ってみてくれ。今日は究極を三つ紹介する。

◇二人羽織ボクシング
 これは、読んで字の如し。二人羽織でやるボクシングだ。用意するものはボクシンググローブと羽織だけ。メンバーは4人で2人ずつのチームで対戦する。前面の盾になる男がメインだから、後ろの殴り役は先輩でもいい。勝負は鼻血が出たら負けだ。3ラウンドもやれば決着がつくはず。昔、これは盛り上がったぞ。下品ではないから、女性からどん引きされることがないのがメリットだ。

◇尻り舞
 読んで字の如し、尻を使った獅子舞だ。人数は最低3人必要だ。比較的広い会場において威力を発揮する。一人が獅子の頭の役、あと二人は獅子の前足と後ろ足役だ。獅子の頭役の男は当然全裸だ。頭役はうつぶせになり、尻に獅子の顔描く。タマ袋を獅子の鼻に見立てると、よりそれらしくなる。そうだ、尻が獅子の顔だ。そして尻の周りを覆うように、そう獅子舞のように大きなシーツを被ぶせる。ちょうど、尻だけが出るようにする。前足役の男は獅子頭役の男の両足を担ぎ、シーツの中に身を隠す。ちょうど頭役の男の股の間に前足役の男は頭を入れるようにすると安定する。後ろ足役の男は、頭役の男の上半身を担ぐようにし、シーツの中に身を隠す。ここまでを裏で準備する。そうだ、遠くから見ればどう見ても獅子舞だ。
 その形で会場を練り歩くのだ。演出も必要だ。誰かに解説を頼む必要がある。解説はこうだ。「縁起の良い獅子の頭を撫でると運がつき、獅子に頭を咬まれますとその年は病気にならないと言います。さらに、獅子の頭を舐めますとお金に困りません。さあ、どなたか、頭を咬んで欲しい方はいらっしゃいませんか。」と言いながら、その会場のトップや一番威張ってる奴のところへ練り歩いて行き、「無病息災」といいながら、獅子の頭をそいつの頭にこすりつけるのだ。会場が湧いている中、やられた奴も流れに水を差すわけにいかないので、されるがままだ。小気味の良さは格別だ。「こんな芸をやらせやがって」と、主催者への復讐も同時にできるからすばらしいのだ。
 アニキは当時、前足役だったのだが、ものすごい体力を消耗する。なんせ、男の下半身を上下左右に揺さぶりながら歩かねばならないから、終わったあとはへとへとで、周りの反応を見る暇がなかった。経験より、前足役は2人の方が動きが軽快になりよいかもしれない。下品だが、観客に見せるのは尻だけだから、まだお下品さは少ない。しかもこれは、かなりウケる。

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技能と能力(2/2) ~まずは持ってる力の棚卸しだ~ [哲学]

 高技能者や高学歴者は勘違い野郎が多い。そんな奴らの周りには、なぜか「すげー」とか言ってチヤホヤする連中がいるんだよな。だから、「自分はできる」と思い込んでいる。そして、エラそうにしているから大概嫌われている。できる奴っていうのは周りから好かれる人格者なはず。周りに嫌われていて「できる奴」なんてのはそもそもおかしいんだよな。
 その自信はいいことだが、プロがひしめく社会において、技能や学歴の看板だけで、何のも努力もしない者が通用するほど世の中は甘くない。しかし、高スペック者はまわりからもなぜか期待され、本人も自信を持っている。しかし、期待と結果、そこに大きなギャップができてしまう。なぜかギャップは自身の前に大きくな心の障壁となって立ちはだかり、自信のある者ほど落ち込む運命にある。スペックだけでは簡単などに結果が出ないため、期待に応えられないからだ。だから、ギャップを埋めようと必死に頑張ろうとするが、高スペック者はそれがなかなかできない。なぜか!それを阻むものがあるからだ。
 それがプライドの高さだ。高学歴者や高技能者は自分が難関を突破してきた希有な人間であるという変なプライドを持っている。そのため、一般人を下に見る癖がある。その話は長くなるから、またの機会にしよう。そう、プライドが邪魔して、能力を身につけることを妨げる。彼らのほとんどはこの壁にぶつかる。そして彼らは、後に続々と紹介する「サラリーマンの武器」を持つことができないのだ。サラリーマン最大の武器である「素直さ」などがいい例だろう。プライドが高いとこの武器は絶対に手に入らない。プライドが高いと人に頭を下げられないからだ。
 ここでのプライドという言葉は、本来のアニキ哲学におけるプライドの定義と異なるが、一般的に理解されているプライドいう言葉として使っている。プライドについては、改めて紹介しよう。
 アニキは言う、高技能者や高学歴者がただそれだけでプロ社会を渡れる程、サラリーマンは甘くない。ここでは、武器が手に入らないと、なかなか能力レベルの力を手に入らないと言っておこう。要するに、技能は自分ひとりでも学ぶことができるが、能力は自分ひとりでは学べないのだ。なぜなら、能力を評価するのは他人であるからだ。だから、能力を上げるには、実務経験を積みながら、プレッシャーの中で身につけるしかない。ここでも、アニキ哲学「プレッシャーだけが人を育てる」という概念が要る。
 アニキは何が言いたいかというと、「技能」と「能力」は違うということを理解し、まず今自分が身につけている力はどっちなんだと、まず認識しなければならない。そう、「技能と能力の棚卸し」だ。これを行い、自分の力の中でどれが「技能」で、どれが「能力」かを把握することが最優先事項だ。そこで足りない能力や、これから必要な能力をじっくりと考察することが重要だ。その後、できる先輩や上司を分析し、彼らが身につけてる能力を理解し、自分に取り込むために師事する必要もある。足りない能力を補うには、嫌な奴に頭を下げる必要性も出てくるということだ。
 繰り返すが、「技能と能力の違いを知る」ということは、自分の持ってる力の棚卸しだ。まず、プロの中で闘うには、己を知るということがいかに重要かということを言っておきたい。これがわからないと自滅する。サラリーマン社会での脱落者とは、会社に潰されるのではなく、そのほとんどは自滅だ。考え方の間違えにより心が疲弊するからだ。
 ということで、このサラリーマン社会で自滅しないよう、健闘を祈る。今後ブログで登場する「サラリーマンの武器シリーズ」を話す前に、まずはこの「技能と能力」という基本概念の理解が必要であるから、このタイミングで登場させた。

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