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最高の修行「人間関係」(1/2) ~サラリーマンは行者だ~ [哲学]

 人間は成長するために生まれてきた。では、どう成長するのがいいのだろうか。これが今世最大の謎である。人間的な成長であることには変わりはないが、やはり成長には「修行」という言葉が頭に浮かぶ。そうだ、人間生まれたからには修行しなければならないのだ。
 人間の成長において、皆それぞれ「どう生きようか」という信念を持って生きている。「俺はそんな信念なんてない、好きにやるのがいい」って、それも立派な信念だ。そう、だから信念のない人なんて、この世にはいない。人は皆、何らかの信念を持っている。そして、人はそれぞれの信念を持ってサラリーマンになり働くことを強いられている。信念があるから働いている。本来人間は、己の信念の元に人間的な成長を試みようと考えるのだが、サラリーマンの修行とは、信念を捨てさせられるという修行だ。サラリーマンの修行とは、信念をブレさせられてもなお、己を保ち続けるということを黙黙とこなしてゆくことにある。
 サラリーマンの信念がなぜブレさせられるのかというと、上司がよく替わるからだ。サラリーマンを人生の選択とすると、会社というジャングルからいろんな上司という猛獣が出てくる。自分が苦手とする上司に限って自分の上に就くものだ。ほんとにいろんな上司が出てくるのだが、サラリーマンは上司に好かれないといけないから、好かれるために己を犠牲にする。自分の信念すら担保にする。そんなむなしい毎日が皆嫌なのだが、家族を養うためにはしかたがない。
 だからサラリーマンって、全員一本筋が通ってる。一見筋が通ってないように見えるが、実は皆筋が通ってる。家族を養うために「己の信念を捨てて、相手に迎合する」という筋が通っているのだ。これがサラリーマンのすばらしさだ。だから、いつもへらへら笑っている事なかれ主義の男も、相当な筋者なのだ。こどもたちはそれを見て、「あんな風になりたくない」というが、親父達は好きこのんでそうしているわけではない。そうやって日々闘っているのだ。そこで得た日銭で育ててもらっていることに、本来なら子どもは感謝しなければならないのだが、修行である以上親父連中はそんなことを口にしない。してもムダだからだ。子どもが大人になり、サラリーマンになるまでこのことはわからないのを知っているからなのだ。
 そして、親父がすごいのは、子どもにそう思われていても、まったく堪えないところだ。会社で怒られ、家でも「給料が少ない」「家のことはちっともやらない」と嫁さんに罵倒され、「汗くさい」「不潔」と子どもに罵られても耐えるというものすごい修行をしているのだ。それほどの重圧に耐えながら、病気にならないように気をつけて日銭を稼ぎに行く。その姿はまさに現代の行者だよ。山に修行へ行く奴なんかよりはるかに修行になる。
 人間関係という重圧を相手にするわけだから。

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