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日本人の偉大さ(4/6) ~下積みと弱者哲学~ [哲学]

 そう、日本人は「道の精神」が重要だ。だから、いくら作業が完璧にできても、この「道の精神」が理解できないと応用が利かないので、いつまでも説教されて、大変つらい。日本人の場合、日々のあらゆる行動において、このような細かいことを子供の頃より毎日言われ続けるから、その考え方が段段と習慣づいてくる。すべての作業の手順と注意点を、全部覚えようとすると膨大な項目があるのだが、考え方が身につくと応用で対処できるようになり、簡単になってくる。これが日本人の「下積み重視の哲学」だ。
 よって、日本人が下積み経験をしてきたかどうかを重視するのは、「道の精神」を学んできたかどうかを見たいからなのだ。下積み経験がない人間は、「道の精神」の理解ができておらず、考え方のベースもできていないから、作業がうわべがちになり、何をさせてもそこに物足りなさを感じてしまう。そして他の作業にも応用が利かないのだから、ついつい小言を言いたくなってしまうのだ。
 だから、「道の精神」を学んできた者かどうかを見極める手段として、下積み経験の有無が重要になってくるのだ。これこそが、日本人にとってとても重要な精神哲学であり、時代は変わってもなお、下積み経験が重要視される。それが社会において、日本人の好む「ツーカーの概念」にも繋がる。相手の心の先読みだ。「道の精神」ができていると、相手の心の先読みできる。日本人は、「1を聞いて10を知る」や「あうんの呼吸」や「思いやりや配慮」という概念を重視する。これが、日本の会社の従業員においては必須の能力であり、日本企業が外人を雇わない大きな理由の一つはここにある。
 では、この「道の精神」はどこからやってきたのだろうか。日本古来の考え方なのであろうか。実は、一般的には武士道からの考え方といわれている。武士道は日本の宗教とも揶揄される行動哲学だ。恥の概念や誇りなどはここから来ている。いや、アニキが思うに、それ以前からの日本人の気質ではないかとも思う。あくまで武士道は、それまでの日本人のあるべき姿を体系だててまとめたものにすぎない。アニキはまだ、この起源についての調査はまだできていないが、ここでは古くより日本人の教育の中で、すでに折り込み済みの精神哲学であるということにしておく。
 話は変わるが、日本人はすぐ謝る。外人は決して謝らない国が多い。謝ったら負けだという考えの国は圧倒的に多い。ここでも、よく外人に「なぜ日本人はすぐ謝るのか?」と訊かれることが多かった。アニキはいつもこう答えていた。日本人が謝るのは、その問題で自分が間違っていたからではない。まず、相手に不快感を与えたことに対し詫びているのだと。そう、日本人は悪かったから謝るのではなく、気分を害したことに対して、申し訳ないと思ってるのだ。このことをよく、中国人の部下達に教え込んだが、あまり理解してもらえなかった。

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