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脳の謎(10) ~仲良し脳~ [哲学]

 では、「本当に脳と信頼関係が築けるの?」ということだが、そんなに深刻に考えないでほしい。気楽に、「脳が喜ぶことは何か?」と考えてくれ。信頼関係とは、お互いが相手を想う気持ちだろ。相手を想うなら、お互いが相手を喜ばすことをしてあげればいい。
 実は、脳と肉体は生まれた時には元々仲が良いはず。赤ちゃんの状態では、脳も肉体もお互い未熟であるため、手足を動かそうにも思い通りにならないから、協力し合ってるのだ。そこには利害などを考えてる暇はない。とにかくお互いが一生懸命だ。そんな協力関係も、物心ついて自我が芽生えると、だんだんと脳と肉体が離れていく。それぞれに自我が芽生えるからだ。「脳」と「肉体」とに、それぞれ自我という意識が芽生えるのだ。
 「自我が芽生える」って、なんだかいい言葉に聞こえるが、勘違いするなよ。自我とは、「自分が一番」という気持ちのことだ。ろくな言葉じゃないんだ。「自分が一番」を持ったまま生活したら、どうなるかわかるな。だから、自我が最も人間関係を悪くする要因の一つだ。友達同士、親子、恋人などの間でのケンカの原因は実はこれしかない。「あいつが悪い」という考えこそが自我である。原因をすぐ相手のせいにしてしまうだろう。それでうまくいくはずがない。皆、わかってるくせに自我が出る。
 狭い通り道で、前から人が来る。なぜ、譲れない?自分が優先だからか?法律で決まってる事以外、この世には、どっちが優先なんてないのだ。お互いが譲り合えばよい。譲ってもらったら、「ありがとう」でいいじゃないかと、アニキは思う。「なぜ、あの時一歩譲れなかったのか」と、あとで後悔することも多いだろう。過去には、あとの祭りを経験して後悔しただろうよ。譲らないと、大きなものを失うのだ。譲ってあげても感謝されないと、確かに腹は立つが、「ほっとけ、そんなことぐらい」という気持ちが大切だ。見返りは期待するな。「お礼」という見返りがほしい、それも我が強いということだ。「俺は譲るのが好きな人間だ!」「譲るのが趣味だ!」この気持ちだけ持ってればいい。この気持ちだけで、本当に日常が楽になるぞ。

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脳の謎(9) ~感謝トルネード~ [哲学]

それじゃ、脳の謎を再開する。脳の謎(8)を思い出してくれ。脳は過剰なストレスが嫌いと話したよな。嫌いなものを取り除いてくれたら、脳は喜ぶ。そして、脳は人間の心のように汚れたりはしないから、自分に利益があることをやってくれたら、感謝してくれる。この世のしくみとして、感謝したなら「お礼」がくる。脳は心と違って律儀で義理堅いから、何かで恩返しをしようとする。過剰ストレスがないと、脳は寝ている時にストレスを和らげる仕事が楽になるから、余った時間で肉体にいい夢見せたり、願望実現の手助けしたり、免疫力を上げてくれて怪我や病気を軽くしてくれる。これが脳からのお礼だ。
 そこでまた、肉体もこの脳のお礼に感謝し、さらに過剰なストレスを溜めないように努力する。するとどうなるか!すごいぞ、これが!
 この繰り返しにより、「感謝スパイラル」が生まれる。この感謝スパイラルとは、脳と肉体が互いに感謝してゆくことにより、プラスエネルギーの相乗効果が生まれ、本人の運が自動的に良くなることを、アニキが定義したものだ。そしてこの感謝スパイラルが繰り返されると、自動的に加速し、「感謝トルネード」に変わる。感謝トルネードとは、運のスパイラルの渦巻きの加速により、周りの運の良い人間や運のよい状態をを引きつけ、どんどん巻き込んでいくことを指す。感謝スパイラルが太った状態だ。いいか、世の中太っていいのは、財布と感謝スパイラルだけだ。もう、こうなったら、「運が悪くなりたい」と言っても、もう無理。あとには戻れない。ビュンビュン音出して回り続ける、幸運のコマ状態だ。
 そしてトルネードがさらに大きくなると、「感謝ハリケーン」となる。感謝ハリケーンとは、ほどよく太った幸運状態の嵐(感謝トルネード)が、自分の目指したい場所へ突進してゆく状態を指す。諸君、この「感謝ハリケーン」が幸運の雨嵐の状態だ。
 だから、アニキは言う。この脳と肉体との信頼関係を築くことこそが、人生最大のメリットとも言っておこう。こんな簡単なことで、幸運まで手に入れられるのなら、やらない奴はバカだと言いたい。
 熱くなったので、冷静になろう。何が言いたいのかというと、要は「いつも脳を味方につけとけ」ということだ。脳が別の生き物であるなら、仲良くするに超したことはない。「脳は諸刃の剣」と話したが、それなら味方につけておけよということ。肉体の一部である以上、仲良くするのだ。「俺は嫌だ」と嫌ってると、運は悪くなるわ、危機に瀕したとき助けてくれないわで、人生めちゃくちゃだぞ。

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「意地悪ばあさん」を知ってるか! [マンガ]

 アニキは、自分の性格はだれの影響を受けたのだろうかと、ずっと悩んでいた。好奇心が強く、いたずら好き、あまのじゃく、臆病者。これらの部分の性格だ。哲学者的な部分ではない。アニキは実は二面性がある。ブログの展開からもわかると思う。堅い話と柔らかい話だ。どちらと言うと柔らかい話の方が好きなのだが、それではその辺のガキと同じだから、堅い話もしなくてはならない。
 で、話を戻そう。この「いたずら好き」は、何の影響かと考えたら、実は「意地悪ばあさん」だったことに、最近気がついた。皆、意地悪ばあさんを知ってるか?
 「意地悪ばあさん」は、長谷川町子のマンガだ。もう死んじゃったけど、サザエさん描いた人だ。アニキがガキの頃、家にあるマンガといえば、のらくろ、サザエさん、意地悪ばあさんだった。アニキの親父の好みだ。家の中によくころがっていたから、ひまな時には拾って読んだ。知らないだろう、サザエさんって、4コマまんがだったんだぞ。ほとんどセリフがないから、ガキでも読めた。そこに、意地悪ばあさんだ。これが、ブラックなんだよ。今で言えば、植田まさしのマンガみたいな感じだ。主人公は婆さんなんだが、こいつが悪いんだよ。いたずら好きで、ガキだましたり、生意気なオヤジにひと泡吹かせたりと、かなり小気味がよい。見てて気持ちがスッキリする。
 で、一度ドラマ化したことがあった。婆さん役は、青島幸男だ。知ってるか、元東京都知事だぞ。アニキから見たら、青島幸男は都知事じゃなく、意地悪ばあさんだ。ドラマなんだけど、ひでーんだよこの婆さん。このばあさんのやることはホントに悪いんだよ。アニキの感じでは、ドラマの方がマンガよりきつかったように思える。架空のマンガを上回る悪さを発揮するこの婆さんに、同情の余地は全くなかったな。ふつうなら、あんな婆さんは袋だたきだよ、ほんと。で、悪いことしても逃げ足がすこぶる速い。あっという間に、逃げ切るんだ。ありゃ、婆さんじゃないな。なぜ、青島幸夫が都知事になれたのか不思議だ。確か、意地悪ばあさんやったあとに都知事になったはずだ。意地悪ばあさんのインパクトが強すぎて、何かやってくれんじゃないかって、期待があったのかもな。

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脳の謎(8) ~脳と信頼関係~ [哲学]

 さあ、「脳の謎」も佳境に入ってきた。ここからが、アニキが本当に話したい部分になってくるから、よく聞いてくれ。
 「悟り」は、「脳を従える」という小気味の良い関係で、めちゃくちゃ羨ましい状態だが、アニキ達一般ピープルには行者のような真似はできない。過酷な修行は無理だと言っておく。しかも、悟ると欲望が必要なくなるなら、なんだか嫌だよね。欲望は残したいよな、みんな! そうだよ、欲しい物もいっぱいあるし、女にもモテたい!
 ということで、プラスマイナスを考慮すると、「悟りを開くのは」あまりいい選択ではないことがわかる。じゃ、どうすればいいのだ。そう、ここで最後にで出てくるのが、「脳との親友関係」を築くことだ。いろいろ長々と「脳の謎」を語ってきたが、それはこの関係を説明したいがためだ。やはり、「脳との親友関係」、これが一番いいのではないかと思う。では、この親友関係とはどのような関係で、それはどう築くのか。これを今から説明してゆきたい。
 脳と親友になる。全くもってナンセンスな話だ。「自分の脳だろ、もう親友じゃないか。」と思うが、違うんだなこれが。肉体側はそう思っても、脳の側は全く思ってないのだ。普通の友達ではあるが、親友ではないのだ。では、この「脳との親友関係」とどんな状態を言うのだろうか。
いろいろなポイントあるが、アニキとしては脳と肉体との信頼関係だと考える。そう、お互いが信頼し合える関係だ。助け合える関係とでも言っておこう。すなわち、気遣いができる関係だ。肉体は常に脳を気遣う、脳は常に肉体を気遣う。いたわりだな。お互いを大事にしてるか、ということ。この状態を維持することが、お互いの信頼感を生み、脳と肉体が揃って人生の課題に向かって歩くことができる。
 では、どうやってこの信頼関係を築けばいいのか。実は簡単だ。肉体がストレスを溜めないようにすること、且つストレスを生まないようにすることだ。こう言うと、ストレスは悪のように聞こえるが、別にストレス自体は悪じゃない。適度なストレスはマルだ。いけないのは、多すぎるストレス、過剰ストレスだ。

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脳の謎(7) ~願望実現の正体~ [哲学]

 実は、ここで説明しておかねばならないことがある。そしてそれは、大事な脳の仕事の一つである。何か、「潜在意識」のことだ。以前、脳の謎(1)において、悟りの境地とは、「潜在意識に自由にアプローチできること」と話したが、実は、潜在意識に奇跡を起こさせる秘密がある。
 潜在意識には普段の生活で近づくことができない。普段の生活の中で、いろいろ頭の中で考えていることは、顕在意識である。潜在意識は心の中のさらに深層部だ。ここへは誰も自分の意思で行くのは不可能だし、行き方もわからない。しかし、「潜在意識を制する者は願望を成就する」とは、願望実現を掲げる学者の多くが言ってること。だから、学者は一生懸命に潜在意識への行き方を研究している。偶然たどり着くのではなく、定常的にたどり着く方法を。そして、「願いをかき消されないように潜在意識にすり込む」のだと。すり込みに成功すれば、その願いは必ず叶うという。アニキもそれには同感だ。
 潜在意識にすり込まれた願望は、脳を通して創造者へ伝わり奇跡を起こす。奇跡とは、普段では絶対不可能な願望が叶うことだ。そんな奇跡を起こすしくみだ。言わば潜在意識は、願い伝言板なのだ。ナルホドとそのしくみは腑に落ちるのだが、現在ではその確実な方法がないのだ。願望実現の本を読んでみるといい、大概が潜在意識へのすり込み方が書いてある。しかし、世の中の人の願いがほとんど叶ってないことを考えると、その「潜在意識にすり込む行為」はかなり困難だと言わざるを得ない。
 なぜか!アニキは言う。このような原理ではないかと考える。まず、潜在意識を黒板に例えよう。脳の中に小さな黒板があると思ってくれ。願いごとを頭の中で一生懸命願えば、その頭の中の黒板に願いごとが書かれる。一応、潜在意識には願いごとが伝わった状態だ。しかし、一瞬でも「ダメかもしれない」と考えると、すぐに最初の願い事は消されて、「ダメかもしれない」ということが黒板に上書きされてしまう。よって、「ダメかもしれない」ということが逆に願い事として叶ってしまうのだ。じゃ、上書きされなければいいのだが、願いごとが実現不可能なレベルの高いものであればあるほど、ちょっとした弾みに、「大丈夫だろうか」「ダメじゃないか」と心の中で思うと、「ダメじゃないか」という事が逆に叶ってしまう。物事を悪い方に常に考えてしまう人は、それが潜在意識に書き込まれて、それが叶ってしまい、「いつもツイてない」状態だ。
 潜在意識という黒板は、ものすごく不安定な黒板だ。だから、一般ピープルが一途に願いごとだけを思い続けることが困難であるから、人は「努力」という形で自分に自信をつけてゆく。そう、「ダメかもしれない」という書き込みを極力減らし、願いごとが叶うという確率を上げていくのだ。願望実現とはそんなしくみだ。

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脳の謎(6) ~悟り~ [哲学]

 では、今日は昨日の続きで、「脳との上下関係」について話そう。この概念は言わば、「脳を従える」ということだ。常に脳よりも上の地位確保し、脳に命令できる立場だ。肉体の身分でこんなことが果たしてできるのか? かなり困難だが可能だと言いたい。しかし、これは選ばれた人しか無理じゃないかと、アニキは思う。それは、「悟りを開く」という行為で脳を従わせるのだ。要はものすごい精神力の持ち主だ。
 「悟り」とは、なんだかよくわからない概念だ。偉い坊さんや行者を想像するが、ここでスッキリさせよう。実は、脳を従える観念が「悟り」である。主従関係で、肉体の意思が脳の主人となった状態を「悟りの境地」という。悟りに関しては数多くの考え方があるが、アニキの研究からの「悟り」はまさに脳を従えること。悟りとは、完全に自分の脳を支配した状態を言うのだ。「悟りとは何か」と、永遠のテーマのように語られているが、端的に言えばこういうことだ。偉いお坊さんや行者、宗教の教祖と呼ばれる人達は、自分の脳を支配した人達である。
 悟りを開くために荒行をするが、これは何かというと、脳をねじ伏せる為に、自分の脳と闘っているのだ。脳は、肉体という乗り物に乗っているため、昼間は肉体の意思が主であるから、脳は日常生活では大概の命令には従う。しかし、極端な、例えば肉体や精神が壊れるまでの命令は聞きたくない。なぜなら、壊れてしまっては、脳自体も生きてはゆけないからだ。その一つのカギが自律神経だ。
 自立神経を通して、脳は肉体を操縦しているのだが、この自立神経を麻痺させるような行為には、脳は従いたくないのだ。だから、脳は勝手に肉体の限界点を作ってるのだが、修行者はこのストッパーをはずそうとするのだ。滝に打たれるとか、断食とはまさにこの行為だ。脳は普通、肉体を部下と見ているから、脳が決めた限界点は超えてこないと高をくくっているのだ。だから、肉体とその意思(魂)がこの限界点を超えてみせ、脳が「これ以上は無理」という状況において、肉体は脳に「まいった」と言わせるのだ。これが目的だ。だから、肉体の主である意思(魂)が勝つのか、肉体を制御している脳が勝つのかだ。本当にギリギリの闘いだ。肉体の精神力が負ければ、頭がおかしくなるか、死だ。だから、荒行において脳は、あの手この手でやめさせようとする。きわまってくると、脳は幻覚まで見せる。これでもかって感じだ。
 これがまず、「剛の闘い」だ。

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脳の謎(5) ~脳とのお付き合い~ [哲学]

 脳シリーズが長くて申し訳ない。しかし、これはアニキ哲学の中枢であるから、ここを理解しないと、その後のアニキ論が展開できない。我慢してもう少し付き合ってな。脳の謎シリーズが終わったら、またくだらない話もしてあげよう。では、「脳の謎(4)」の続きに戻る。

前回までの話では、脳は別の生き物であり、昼間は肉体の意思に従い、夜は勝手に行動していることを伝えた。では、肉体がある限り脳もずっと一緒に生きる。友達、恋人、夫婦以上に長い付き合いになり、しかも別れることができない。ならば、うまくやってゆく必要がある。これからは「脳と付き合う」というテーマで考えてゆきたい。

人間関係と同様に、脳とも「ただの友達」「親友」「上下関係」「敵対関係」「好きでも嫌いでもない関係」などいろいろあると考える。どの関係を選んで脳と付き合うかが人生のテーマでもある。脳との関係において、これらの関係が現実としてどう表に現れてくるのかを一つ一つ見てゆこう。

アニキが見ると、ほとんどの人の脳との関係は「ただの友達」か「好きでも嫌いでもない関係」だ。これが大半ではないかと思う。どういうことかというと、この関係は普段から、脳のことを全く意識してないということ。脳を自分の肉体の一部と考えているから、脳との関係をうまくしようなんて考えない。だから、脳には気を遣わないのが特徴だ。前にも書いたように、脳は昼間には肉体の意思のままに行動しているから、ストレスをかなり溜め込む状態で夜寝ることになる。脳は、夢でストレスを発散する。毎日がこの繰り返しで、それぞれお互いの仕事をただ淡々とこなして人生が終わる。そして、人は死んだあと、創造主に「なんで、脳を活用しないのだ」と叱られる。「すみません、そのことを知りませんでした。」と謝り、創造主から「ばかもの!もう1回やり直し」と言われる。

次に脳との「敵対関係」だが、これは脳にストレスを溜めすぎて、ストレスを発散しきれずに限界状態までいくことを言う。脳はこの状態がものすごく嫌いだから、肉体に「やめてくれ」ということで、悪いホルモンを出して肉体に知らせる。これがあたかも敵対しているように見えるから、アニキはこう呼ぶ。そう、脳との敵対関係とは、脳が悪いホルモンが出して肉体を攻撃して、肉体を病気にさせたり、落ち込んだりさせることを言う。これは、一見脳が肉体を攻撃しているように見えるのだが、実際は脳が肉体に緊急事態を伝えているだけなのだ。各ホルモンのしくみについては、科学的に解明されているから、専門家の本でも読んでくれ。で、悪いホルモンは肉体をむしばむから、この状態が長く続くと、肉体が破壊されたり、精神が破壊される。肉体は早くこの状態に気づき、生活や考え方を改めなければならない。そう、脳が肉体を病気(精神病も含む)にして、SOSを伝えていると考えられる。

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アニキの友達M君の悲劇 その3 [哲学]

 「M君三大悲劇」は今回でラストになる。この3話目はかなり下品なので最後に持ってきた。では、紹介しよう。
 学校が休みのある日、M君とイベントに遊びに行った時の話だ。そこはものすごい人の数で、歩くのもままならない状態だった。二人ともトイレに行きたくなり、辺りのトイレを探し、そばまで行ってみると人が並んでいた。列はトイレの外まで繋がっており、最後尾まで数十メートルはあった。しかたなくアニキ達も並んだ。なかなか先へ進まない状況だったが、何とかトイレ内は入った。
 そこからは、いくつかの便器に分かれて並ぶのだが、当時は80年代である。まだ、各便器の後ろにそれぞれ並ぶ時代だ。アニキとM君は別々の列に並んだ。M君の列を見ると、M君の後ろに子どもが3人並んでいた。すると、子どもの一人がM君に向かって、「おちんちんの小さい人は、向こうの小さな便器にしないといけないんだぞ。」と、言った。子どもの指さす方には、確かに子ども用と思われる小さな便器があり、空いていた。「じゃあ、おまえたち用じゃないか」とM君がいうと、「いや、お兄ちゃんのおちんちんは俺のより小さい。」と子どもに言われた。頭にきたM君は、「俺の方がおまえらより大きいに決まってるじゃないか!」と声を張り上げ、「じゃ、先にやらせてやるから、見せてみろ。」と言い、子どもに譲り、先に用を足させていた。成り行きが気になったが、こっちの列もアニキの番が回ってきたので、用を足し終わってから、M君の方を見た。すると、並んでいたはずのM君の姿がどこにもない。辺りを探してみると、遠くの子ども用の便器で用を足しているM君の姿があった。用を済ませたあと、M君は言った。「この世の中、理不尽なこともあるものだ。ガキに負けた。」と、ボソッと言った。
 そうなのだ、M君は意気込んだ割に、ガキにその大きさで負けていたのだ。たぶん相手は、小学校1,2年生ぐらいだったと思う。大人げないとはどっちを指して言えばよかったのだろうか。M君も、「まあ、あんなガキどもにはもう二度と会わないから、別に気にしないよ。」と強がっていた。

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