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サラリーマンの謎「給料」(番外編) ~プレッシャーの対価~ [哲学]

 実は企業においての給料の高さは、耐えなければならないプレッシャーの大きさに比例する。給料はプレッシャーへの対価であると断言する。大きなプレッシャーは体調を狂わせ、体や精神を犯す。しかし、社会の中で生活する上で、プレッシャーがないという状態は存在しないのも事実。プレッシャー自体は悪ではない。プレッシャーがないと人間は伸びないように作られてる。プレッシャーは原始機能だ。だから、超回復の原理は筋肉だけの話ではない。
 要は、会社での地位があげればあがるほど、内外からのプレッシャーが大きくなるしくみになっている。プレッシャーが大きいのだ。ならば、それを自分に当てはめて考えてみればいい。自分にかかるプレッシャーと給料の高さとを比較してみるのだ。また、給料の高い人が受けてるプレッシャーの大きさを計ってみればいい。ここでの仕事上のプレッシャーとは、対人間のプレッシャーだ。言わば、精神的プレッシャーだ。プレッシャーに負けると心の病になるあの「プレッシャー」だ。肉体的なきつさはプレッシャーとは言わない。それはただの重労働だ。ここをはき違えないで、自分のことを見つめてみればよい。俺にかかっている精神的プレッシャーはどの程度なのか?と。
 基本的にはこれで納得する場合がかなり多い。「給料が安い」とぼやいているが、実は仕事は楽だったりする。または、肉体的なつらさをプレッシャーと考えてる場合が多い。「プレッシャーが大きい」とは、以前ブログ「プレッシャーだけが人を育てる」でも話したが、自分一人では解決できない八方ふさがり状態のことを指す。簡単に答えが出せる問題は、プレッシャーにならない。「プレッシャー=圧力」の意味を考えればわかる。直面するその問題に関わる関係者が何人もいて、その全員を説得したり、調整して納得させなければならないという精神的なプレッシャーだ。そう、だから、自分ひとりで解決できる問題はプレッシャーでも何でもないのだ。ここに、給料を当てはめれば、大概答えはでる。大統領の給料が高いのも納得できる。激務で忙しいからじゃない。八方ふさがりの問題を解決してゆかねばならないというプレッシャーに対する対価だからだ。
 何事にも例外がるから、上司がプレッシャーから逃げるような人物では、その部下に上司が立ち向かうべきプレッシャーがのしかかってくることがある。これは仕方ないと受け止めて、方策を考えるしかない。押しつぶされたら、評価は下がるだけだ。なぜなら、プレッシャーは目に見えないから、誰にどんなプレッシャーがかかっているのかなんか、外からではわからない。ここにサラリーマンのカラクリがある。自分にかかるプレッシャーの大きさを自分で操作して見せることができる。また、上司がいじめに使う場合、プレッシャーを小さく見せて与えることもできる。
 だから、プレッシャーの対価である給料は、社長や上司はいかようにも調整できるのだ。大きなプレッシャーを与えると給料も上げなければならないから、「この程度のプレッシャーはなんでもない」みたいな言い方で、小さく見せてるだけだ。
 最近心の病にかかる社員が多いのは、プレッシャーの対価である給料が、きちんと支払われてないために起こる。根性論だけでは人は破滅する。昔の人間は根性が座ってたというが、高度成長期の日本では労働環境は厳しかったが、それ相応の報酬があったから成り立っていたのだ。だから当時、みんなが根性出せたのだ。

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