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サラリーマンの武器「影分身の術」(2/2) ~人間関係のゲリラ作戦~ [哲学]

 モンスター上司も、「新しい部署の部下達が自分になつかない」と思っているから、ストレスが溜まる。そうすると、懐かしい前部署の元部下と必ず連絡を取ることになる。人間は行き詰まると、懐かしい景色を見たくなる生き物だ。そこで、前部署のお気に入りの元部下から、好かれる秘訣を訊きにきた奴がいたという事実を知る。それが上司の心に響くのだ。
 直接上司に「どんな部下が好きですか?」と訊いても、それはただの言葉だから、全く信用に価しない。人は言葉では動かされない、行動で動かされるものだ。この場合、両方とも言葉なのだが、その意味は全く異なる。直接上司に「好かれる秘訣などを訊く」のはただの言葉だ。しかし、前部署の元部下に間接的に訊きに行くのは行動なのだ。ここに大きな差があり、同じ言葉でも伝わり方が全く変わる。モンスター上司ですら、その行動を「かわいい」と思うはずであり、そんなことをする部下に一目置くことになる。つまり、上司も味方がほしいのだが、自分のやり方を押しつけるあまり、部下が引いてしまっていることに苦心しているのだ。周りはそれを冷ややかに見るのだが、そういうときこそ、アドバンテージを取れ!だ。直接、上司に訊かないメリットはここにもある。周りは新上司のことを疎ましく思っているのに、自分だけ気に入ってもらうという行動は、ゴマすりにしか映らない。そんなことを面と向かってしているようでは、周りからも総スカンだ。間接的な働きかけが、どれほどの効果を生むかがわかるか?
 何が言いたいのかというと、すべて影で動くことにより、表向きは何もしてないように見える。しかし、この影の動きはリエゾン的に効果が出てくる。果報は寝て待てという言葉があるように、あとは待っていればよい。だから、「どんな上司が来ても問題はない」ということだ。新部署に異動してくる上司も不安なのだ。だからそこをうまくやればいい。そのうまくやる方法のひとつが、上司の前部署に自分を送り込み、そこへ来たという痕跡を巧みに残すということだ。まるで、自分の分身を送り込むようにだ。アニキはこれを、「影分身の術」と呼ぶ。
 「影分身の術」の本懐は、伝えたい人に直接伝えるのではなく、伝えたい人に影響力を持つ人に何気なく伝えることだ。あとで、自然と本人に耳に入ることを想定しての行動だ。ぜひこの武器を使って、いろいろ応用を利かせてくれ。表だって派手な行動に出れない時、この武器は有効に機能する。
 これは、人間関係をよくするゲリラ作戦なのだ。

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サラリーマンの武器「影分身の術」(1/2) ~モンスター上司の攻略~ [哲学]

 昨日までのブログ「ひるむな!」で例に挙げた話について、質問が多くあったので、補足の話をしよう。新しい上司が古参でベテランの年上の部下を持つというシチュエーションの逆の場合だ。威張り腐ったとんでもない上司が来たら、どう対応したらよいのか?という質問だ。こっちの方が実際多いかもしれない。厳しすぎる上司、又は気に入らない部下をしごく上司の話だ。結論から言えば、それでも「ひるむな!」ということなのだが、自分が部下で相手が上司の場合、話は少し厄介だ。まあ、いい質問があったので、この場合にはサラリーマンの武器が使えることができるので、それで説明しようと思う。
 悲しい結論から言っておこう。上司が嫌なモンスター上司である場合でも、好かれることを考えなければならない。つまり、上司を変えようとするのではなく、自分が変わることを考えなければならない。悲しいかな、好かれるしか道はないのだ。大会社なら、3~5年でどっちかが異動となる確立が高いが、中小企業ではその道もない。だから、どうにかして好かれるような行動を取る必要がある。評判だけで判断してはダメだ。まず、自分の目で見て確かめることだ。偏見や先入観があって物事を見ると、正確に真実を掴むことができない。そのためにはまず、じっくり見ることだ。赴任してすぐに威張り倒しても、じっくりと観察しろ。その上で、「好かれるにはどうしたらよいか」を考える。どうしても、何も見つからないのなら、奥の手がある。
 いくら手の付けられないモンスター上司であっても、以前の部署にはお気に入りの部下が必ずいる。まずその人を何とか探し出す。そして、前部署のその部下に会いにいくのだ。近くいなかったら、遠くまで会いに行け。仕事が人生なのだから、そのくらいやる価値は大いにある。で、前部署の部下と会ったとしよう。そこで、「好かれるにはどうしたらいいのか?」「どんな部下が好きなのか?」を訊くのだ。前部署の部下は、上司のツボを必ず押さえているから、ヒントは的確だ。まさに腑に落ちる話が聞けるはずだが、それを実践できるかどうかはまた別物だ。ただ、ひとついいことがある。前部署の元部下にそのモンスター上司のことを聞きに行くと、「好かれたい」と思ってるという気持ちがその前部署の部下に伝わる。ここが大事なのだが、その前部署の部下から、モンスター上司の耳にその気持ちが伝わる可能性が高い。ここを巧みに利用する。

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ひるむな!(5/5) ~絶対正義の磨き方~ [哲学]

 じゃあ、どうすれば絶対正義が磨かれるのか?今日は絶対正義の鍛え方を教えよう。これも人生の修行のひとつなのだが、その心得は、「無関心をやめる」だ。絶対正義が「人として正しいこと」であるなら、人が喜ぶことに興味を持つことで磨かれる。今まで、「厄介事はごめんだから」と、見て見ぬふりとか素知らぬ顔していた自分を極力やめる。人の困り事に敏感になることを習慣化するのだ。困った人を無視できなくなる自分を作り上げることが重要なのだ。突然できるわけはないのだから、少しずつでいい。行動を起こしていくうちに、段々と困った人を見過ごせない性格となってゆく。人助けが心地よくなり、人助けしないと落ち着かなくなる。この境地を目指せ!
 話は変わるが、なぜ人助けがなぜ心地よいのか少し説明しておこう。人助けした時、相手からもらえるものがある。そう、「ありがとう」の言葉だ。この言葉は魔法の言葉で、実は「ありがとう」の言葉をもらった時、言葉にくっついてくるある物がもらえる。言葉よりもこのくっついてくるものに価値があるのだ。それはプラスのエネルギー。「ありがとう」という言葉を言われた相手は、このエネルギーを得ることができる。人間はカラダという殻の周りにエネルギーが取り巻いている。ここへ、さらにエネルギーが足されて、雪だるま状に膨れあがるのだ。アニキがいつも言ってる「感謝トルネード」だ。感謝トルネードと名付けられたこのプラスエネルギーの鎧は、相手を陥れようとかマイナスなことを考えてる人間を、自分の近くに寄せ付けない。エネルギーが目に見えればいいのだろうが、そうなってないのも人間の原始機能。目に見えたら、これがまた差別の対象となるから、そうなってないのだろうと想像できる。
 話を戻そう。要するに、「人として正しいこと」の信念を使いこなすことができる状態にしておくということだ。その信念は、汚れた感情を持つ者をはじき飛ばす。新しい上司をいじめてやろうとか、一泡吹かせてやろうなどと不純なことを考える輩を近づけない。近づいた途端にはじき飛ばされる。それだけじゃない、もっと面白いのは、プラスエネルギーの鎧に守られた人に近づこうと考えただけで、近づいたそいつに不幸が訪れる。プラスエネルギーの人の不幸をマイナスの奴が吸い取ってくれるのだ。その先は言うまでもないだろう。病気か怪我でどこかに行ってしまう。だから、なめられるんじゃないかって、ビクビクする必要は全くない。絶対信念を持つ者は、常に堂々としていればよい。敵視した奴の方が自滅するというのが世の中にしくみだ。
 サラリーマンは常に新しい環境に備えなければならないから、絶対正義を磨くことがどうしても必要となる。まあ、騙されたと思って試しにやってみるがいい。必ず、いいことが連続して起こるぞ。いつの間にか自信がみなぎって、ひるんでいた時期の自分を忘れていたことに気付くことになるはずだ。

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ひるむな!(4/5) ~絶対正義を持て!~ [哲学]

 実は、上司は「絶対正義」を信念として持つべきで、判断や行動の基本はすべて絶対正義で判断する。絶対正義とは、「人として正しいか」だ。これは世界標準だ。通常、正義は立場によって変わる。何が正しいのかは、自分がいる立場によって変わるのだ。そう、正義はどっちが正しいかで見るのではない。それぞれに正論があり、それを守るのが正義である。外部がとやかく言う筋合いのものではない。但し、この「絶対正義」だけは、正しいかどうかを、第三者が判断することができる。なぜならそれは、「人として正しいか」という基準であるからだ。人間として基準なのだから、国・言葉・民族・宗教が違ってもその考え方は同じだ。
 この「人として正しいか」という哲学は、京セラの稲森さんの哲学でもある。稲森さんは何かする時、この判断基準を用いるらしいのだ。この基準を持って日本航空まで立て直したんだから、それはやっぱりすごい。シンプルな考え方だから、この判断基準は真理であるといえる。物事の真理はシンプルでなければならないというのがある。まさに、このことではないのか。
 詳しくはアニキ「正義論」の中で説明するが、ここで言いたいのは、会社でもこの絶対正義の基準を使わねばならない。上司も絶対正義の信念で組織をマネジメントしてゆく必要がある。そして、この信念で動く限り決してなめられることはないと言っておこう。しかし、ただ、うわべだけのにわか絶対正義論を掲げてもだめだ。部下は見ている。自分に降りかかる話だから、上司のその絶対正義の信念が心からのものなのか、うわべだけのものなのか、見抜くことができる。付け焼き刃的な信念では、すぐにメッキがはがれてしまう。困難な状況に陥るとすぐにわかる。言ってることと行動が違うから、矛盾だらけですぐわかる。そうなると、絶対信用されないだろう。絶対正義の信念の旗も簡単に折れてしまう。絶対正義を偽証する者はそこでばれてしまうのだ。
 そうならないためには、上司たる者、日頃からカラダに絶対正義をしみこませておく必要があり、反射的にその信念を基準とした場合の答えが出せるような体制作りが、自分を守ってくれることにもなる。

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ひるむな!(3/5) ~上司と古参~ [哲学]

 この話は、具体的な例で説明した方がわかりやすい。例えば、転職や配置換えで年上のベテランが部下になったとしよう。当然、そこにいる年上のベテランは、新しいその上司が気に入らなかったら追い出してやろうとか、言うこときかないとか、とにかく快く思ってない。そいつはその部署をも仕切っているはずだから、自分のお気に召さなければ総スカンだ。そのことが想定できるから、新参者は内心「うまくまとめられるだろうか?」と不安になるもの。で、新人上司が大概やることは、その年上のベテランに近づき迎合することとなる。それでは、「なめられてしまう」だけなのだが、取り入ることをしたがる。要するに、覚悟ができてないのだ。考えなければならないのは、「誰が上司か」だ。サラリーマンは軍隊と同じで、偉い奴は偉いのだ。それが気に入らないベテランは、あの手この手で困らせようとする。その目的は、「周りへの誇示」である。実質的には、俺が一番偉いということを解らせて、その後の仕事をやりやすくする。こんな状況を見たことがある人は多いはずだ。このパターンが一番多い。
 また、「俺が一番」ということをアピールする方法として次に多いのは、実績で張り合って来る場合だ。俺の数字の方が上で、「おまえに何ができる?」と、ケンカを売ってくるタイプだ。これも恐れるに足らずだ。「長くいるんだから、できて当たり前だろう」でいい。「いきなり俺の方ができちゃったら、あんたの価値はゼロだね」という態度でいいのだ。
そして、「あんたは実務者、俺はマネジメント」「元々仕事の質が違う」と言っていればよい。「数字を上げるのはあんたの仕事。それを取りまとめるのが俺の仕事だ」という憎らしい口調でいいのだ。減らず口を叩いているように見えるが、これが真理だろう。エラくなれない奴が悪いのだ。
 ま、前面対決でもかまわない。全く恐るるに足らずだ。ひるんじゃ絶対にダメだ。面と向かっての根性のない奴になると、わなを仕掛けてくることもある。罠を仕掛けて、上司を困らせてやろうと考えるのだ。わざと厄介な問題を作り、上司の対応能力を測ろうというものだ。そんなことが起きても全然問題ない。涼しい顔して、「君ならどうする?君の方が経験が長いんだから、このくらいの問題は朝飯前だろう。」とうそぶいていればよい。「俺が出なきゃダメか?」と、プレッシャーを与えておけばよい。
 要は何が言いたいのかというと、なにがあっても「ひるむな」ということだ。部下はみんな新しい上司を見ている。できる上司とは、ふだんはノラリクラリとにこにこし、部下に迎合していてもかまわない。しかし、自分がなめられるような場面では、きちっとそのことの是非を問うことができるかということだ。正論でもかまわないが、自分の信念にそれを掲げているかどうかが重要だ。己の信念があり、それを曲げてくるような輩に立ち向かう姿勢があるかどうかだ。信頼はそこから出てくる。火事になったら一番に逃げ出す上司など、信用できるか?そんな上司なら普段の命令だってききたくないよな。
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ひるむな!(2/5) ~嫌な奴とは「やり合え」~ [哲学]

 人間、慣れてくると段々と地が出てくる。最初はお互いに気を遣い合うのだが、相手のレベルがわかってくると、不遜な態度を取るようになる。これは当たり前で、いつまでもよそよそしい他人行儀な関係を保つことの方が難しい。打ち解け合うというのはよいのだが、世の中にはいろんな人間がいる。それぞれが思っていることも違う。打ち解け合ってくると、段々と相手の本性が見えてくるものだ。最初はウマが合っても、相手を知るうちに段々と嫌いになるなんて日常茶飯事だ。嫌いになるのは別にいいのだが、その気分の悪さを、嫌いになった相手にぶつけるというのが一般的だろう。「物事や人を嫌いになること」それ自体は普通のことで悪いことではない。悪いのは、「嫌いだという事実から自分の気分が悪くなり、その相手を攻撃してしまうこと」だ。片方が相手を嫌っていると、以心伝心の法則により、相手も自分を嫌いになるのは明かだ。
 じゃあ、どうすればよいか?普通の哲学者なら、いろんな精神論を持ち出してくるのだろうが、アニキ哲学においては、嫌いな者同士は好きにならないという前提でいく。どうせサラリーマンはお互いの反りが合わなければ、3年ぐらいで離れる。人間磁石の法則だな。だから、アニキは、嫌いなら「やり合えよ」でいく。とりあえず、くすぶって何年も嫌な想いをするなら、初めにやり合った方がいい。もしかすると、雨降って地固まるということもありえる。サラリーマンなら、思いっきりやった方がいい。すっきりするし、野放ししておくと、冷たい戦争は激化する。激化すると迷惑なのは、周りだ。周囲は冷たい戦争を起こした二人に気を遣い、毎日がうんざりだ。いがみ合うどっちかで、仕事のできる頭の切れる奴はその状況を察して、短期戦に持ち込まなければならない。だから、社内で自分がその当事者となった場合、「やり合え」しかないのだ。
 アニキ哲学同調派の読者は、「仕事道」という考え方が身についているはずだから、くだらない人間関係の火種にはならないと思う。逆に仕掛けられるパターンの人達だろう。なぜかと言うと、自ずと笑顔や挨拶などを駆使し、助け合いの精神で気持ちいい職場雰囲気を目指すからだ。ところが、天の邪鬼な奴はどこにでもいるもの。そんな笑顔の奴は偽善者であり本性を暴いてやるとか、甘ったるい上司なんかにはついていけないとか、くだらない理由で、博愛者を陥れようとするのだ。
 こんな時は、とにかくひるんではダメだ。これはどういうことかと言うと、反発する分子を押さえつけるのは、交渉と同じだ。ここでの交渉とは、一般の交渉の意味とは違う。ここでの意味は、交渉する時に起こる人間の内面の状態を指す。つまり、交渉とは人間のエネルギーのぶつけ合いだ。そして、エネルギーの大きい方が勝つという意味で引き合いに出した。これが今回のテーマ、「ひるむな」につながる。今回のテーマはなんか難しいな。

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ひるむな!(1/5) ~希薄な人間関係慣れる~ [哲学]

 世の中、欺しや脅しが多い。本当にやりにくいよな。毎日、なんで疲れるんだろうと思う人は多いはず。いろいろ個人的な理由があるだろうが、はっきり言うと周りへ気遣いが原因だ。他人とのいざこざを引き起こしたくないから、周りに気を配る。マナーを守り、周りに迷惑かけないように頑張る。もし、相手に気まずい思いを少しでもしてしまったら、愛想笑いで遺恨を残さないようにする。実は、現代人は毎日びくびく暮らしているのだ。「びくびくなんてしてないぞ」というかもしれないが、「周りを気にする=びくびくしている」のだ。びくびくするなと言ってもしかたないから、今の環境に慣れるしかないのだが、今日は慣れたあとの話だ。「おびえるな」という話じゃない。
 人間、めんどうくさい事をやろうとすると、道は二つだ。慣れるかやめるかだ。嫌なことはできるだけ避けたい。面倒くさい事も同じだ。仕事も面倒くさいことは多い。アニキも偉そうに、仕事は「道(どう)」だなんて言ってるが、細かい作業は苦手だ。仕事道は受け身ではダメだから、能動的に働きかけるのだが、細かいルールに従った作法(アニキは会社のルールを作法という)にはうんざりする。が、給料をもらってる手前、やらなきゃならない。どうしてもやらなきゃならないのなら、慣れるしかない。
 アニキは何が言いたいのかというと、毎日の人間社会での日常はやめることができないのだから、慣れるしかない。慣れると、そのことはストレスにならなくなる。この境地まで頑張らなくてはならない。人間関係が人生の修行とはよく言ったものだ。だが、ここでの人間関係とは、ほとんどすれ違う人のレベルで、他人の中の他人である。毎日、一瞬自分の横を通り過ぎる人との関係だ。「知らない人で終わってしまうレベルの人」との関係だ。そんな人の機嫌を毎日取らなきゃいけないと思うから、ストレスになるのだ。ストレスを極力軽減させるには、希薄な人間関係も楽しみに変える技が必要だ。それが「あいさつ」だ。面と向かっての正式な挨拶じゃない。すれ違う他人に対して挨拶だから、簡単でいい。言わば会釈だ。これだけもストレスは減る。知らない人に会釈することなんてできないと思うかもしれないが、別に全員にやれと言ってるわけではない。「すれ違う」以上の何かが起こった場合の話だ。まさに、「そで触れあうも多少の縁」的な状況だ。ここで、会釈するだけでいい。それが習慣になると、気分がよくなる。というのも、会釈すると相手も恐縮するから、会釈のお返しがもらえる。そんなに頻繁に返っては来ないが、来たらうれしいものだ。自分からの会釈には何の価値もないが、返って来る会釈にはプラスのエネルギーが含まれている。これをこまめに集めるといいことが起こるというのが、世の中のしくみだ。自然とストレスも溜まらなくなるから、まめに集めることをオススメする。おっと、余談が長すぎだ。ごめん、今日は希薄な人間関係を良好にする秘訣の話じゃないから、それはまたの機会にしよう。
 冒頭でも話したが、今回は慣れたあとの話で、「ひるむな」という話だ。

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サラリーマンの謎「給料」(番外編) ~プレッシャーの対価~ [哲学]

 実は企業においての給料の高さは、耐えなければならないプレッシャーの大きさに比例する。給料はプレッシャーへの対価であると断言する。大きなプレッシャーは体調を狂わせ、体や精神を犯す。しかし、社会の中で生活する上で、プレッシャーがないという状態は存在しないのも事実。プレッシャー自体は悪ではない。プレッシャーがないと人間は伸びないように作られてる。プレッシャーは原始機能だ。だから、超回復の原理は筋肉だけの話ではない。
 要は、会社での地位があげればあがるほど、内外からのプレッシャーが大きくなるしくみになっている。プレッシャーが大きいのだ。ならば、それを自分に当てはめて考えてみればいい。自分にかかるプレッシャーと給料の高さとを比較してみるのだ。また、給料の高い人が受けてるプレッシャーの大きさを計ってみればいい。ここでの仕事上のプレッシャーとは、対人間のプレッシャーだ。言わば、精神的プレッシャーだ。プレッシャーに負けると心の病になるあの「プレッシャー」だ。肉体的なきつさはプレッシャーとは言わない。それはただの重労働だ。ここをはき違えないで、自分のことを見つめてみればよい。俺にかかっている精神的プレッシャーはどの程度なのか?と。
 基本的にはこれで納得する場合がかなり多い。「給料が安い」とぼやいているが、実は仕事は楽だったりする。または、肉体的なつらさをプレッシャーと考えてる場合が多い。「プレッシャーが大きい」とは、以前ブログ「プレッシャーだけが人を育てる」でも話したが、自分一人では解決できない八方ふさがり状態のことを指す。簡単に答えが出せる問題は、プレッシャーにならない。「プレッシャー=圧力」の意味を考えればわかる。直面するその問題に関わる関係者が何人もいて、その全員を説得したり、調整して納得させなければならないという精神的なプレッシャーだ。そう、だから、自分ひとりで解決できる問題はプレッシャーでも何でもないのだ。ここに、給料を当てはめれば、大概答えはでる。大統領の給料が高いのも納得できる。激務で忙しいからじゃない。八方ふさがりの問題を解決してゆかねばならないというプレッシャーに対する対価だからだ。
 何事にも例外がるから、上司がプレッシャーから逃げるような人物では、その部下に上司が立ち向かうべきプレッシャーがのしかかってくることがある。これは仕方ないと受け止めて、方策を考えるしかない。押しつぶされたら、評価は下がるだけだ。なぜなら、プレッシャーは目に見えないから、誰にどんなプレッシャーがかかっているのかなんか、外からではわからない。ここにサラリーマンのカラクリがある。自分にかかるプレッシャーの大きさを自分で操作して見せることができる。また、上司がいじめに使う場合、プレッシャーを小さく見せて与えることもできる。
 だから、プレッシャーの対価である給料は、社長や上司はいかようにも調整できるのだ。大きなプレッシャーを与えると給料も上げなければならないから、「この程度のプレッシャーはなんでもない」みたいな言い方で、小さく見せてるだけだ。
 最近心の病にかかる社員が多いのは、プレッシャーの対価である給料が、きちんと支払われてないために起こる。根性論だけでは人は破滅する。昔の人間は根性が座ってたというが、高度成長期の日本では労働環境は厳しかったが、それ相応の報酬があったから成り立っていたのだ。だから当時、みんなが根性出せたのだ。

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サラリーマンの謎「給料」(7/7) ~「給料道」の追求~ [哲学]

 世の中のしくみはそういう風にできあがっている。大きな会社には組合が存在しているからまだいいが、オーナー企業ではそんなオーナーに楯突く組織なんかは絶対に作らない。社員の不満がおおごとになってないのは、従業員が我慢強いのか、社長がうまいだけである。我慢している従業員を社長がうまく丸め込んでいるのが一般的だ。日本人の心をうまくくすぐっているのだ。「仕事道」とか、「人間の成長」とか、「隣の芝は青く見える」とかいって、うまくやるのだ。このことが悪いというのではなく、「うまくやられているな」とわかっていることが大事なのだ。給料が安いからと腐って仕事をするとひどい目に遭う。従業員側もうまくやる必要があるのだ。
 つまり、「この会社で自分が必要とされるためには何をすべきか?」を真剣に考える。社長は会社がオンリーワンの道を進むことをつねに望むが、従業員は個人レベルでのオンリーワンを追求してゆかねばならない。会社は慈善事業でないのだから、儲けていなければ社会的責任を果たせない。これは社長が背負うプレッシャーだ。が、儲けていれば社長はご機嫌だ。その状況ではあまり何も言わないものだ。そうしながら個人レベルのオンリーワン行動をとる。ここが大事である。会社の利益を考えずに自分のオンリーワンだけを追求していると、そこにメスが入ってしまう。行動を注目されるから、目的を見透かされて、即配置換えや閑職に回されるのが落ちだ。そうならないためには、会社の利益追求が先だ。そして、自分のオンリーワンを追求してゆく。
 実は、「給料が安い」という愚痴は、実はだれかと比較しているから出る言葉だ。そう、自分より高給な誰かがいて、そいつとの比較において、理不尽だから愚痴る。そういうことだろう。そういう場面に出くわしたなら、愚痴ってる場合じゃない。そいつをじっと観察して、なぜ給料が高いのかを探る。答えはすぐに見つかるはずだ。社長に好かれていたり、社長が苦手とする業務ができていたりする。なら、自分もその道を行くしかない。要は、「給料を払う人が気に入ることをする。」これが真理だろう。けっこう、自分の信念を貫いてする仕事や考え方を、社長が気に入らない場合が多い。
 給料というお題が出ると、反射的に「低い」という言葉が出る。しかたないことだ、誰でも高い給料はほしいのだから。ならば、高い給料をもらいたいという考えがあるのなら、就職する時までに決まってしまう現実を見ろ!と言いたい。最近の若造からよく、「給料よりもやりがいだ」とか、「そこそこの給料でいい」という言葉は出るが、それなら死ぬまで愚痴るなということだ。人生は、年を重ねるごとに金が要ることになっている。一生独身ならまだいいが、人並みに結婚して子どもができると、だれでも必ずこの壁にぶつかる。その辺りの現実まで見据えているか?と問いたい。
 だから、考え方の甘い子どもが将来苦労しないように、親はうるさく、「勉強しろ」というのだ。それは、低い給料がどのくらい生活を不安定にし、さらには人生をも卑屈にするかという現実を、親は経験から知っているからなのだ。
 言わば、給料は人生そのものを左右させる力を持つ。給料という命題は、人生の命題でもある。「給料道」と言っても過言ではない。自分の「給料道」を探すのも人生だ。給料をいっぱいもらえるにはどうすべきか、これを考えて答えを見つけるのは、人間的な成長も必要だからだ。その道は決して浅くはない。
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サラリーマンの謎「給料」(6/7) ~互いの認識の違い~ [哲学]

 どんな「渋ちん」のオーナーでも、商品が売れ出すと欲が出る。もっと儲けたいから、もっと会社を大きくしようとする。そうなると、従業員も多くなるから、組織もツリー状にしてゆかねばならない。社長の意思を末端まで行き届かせるためには、その中間にも自分の分身が要るわけだ。このポジションをうまくつかみ、給料アップを狙う。 商品が上位概念の会社において、従業員が目指す道はこれしかない。但し、出世するためにゴマをする必要はない。ごますりが上手でそれが好きなら、それをやればよい。何事も、自分が得意なことをするのがよい。でも、そんなことをしても、大体は嫌われて終わりだ。まず、周りの社員から嫌われるから、そんな嫌われ社員を社長が放っておくわけがない。ごますりは一見楽で簡単に見えるが、弊害の方が大きいと考えた方がよい。ごますりはやめて、「社長への気遣い」又は「社長を立てる」ぐらいがちょうどよい。不可がなければよしと考えるのが得策だ。じゃあ、どうしたらよいのか?
 まず念頭に置かねばならないのは、使う側(経営者)と使われる側(従業員)とは常に敵対関係である。関係はフィフティーフィフティーなのだ。本当は労使とはこれが原則なのだが、給料をもらう側はどうしても卑屈になるのは避けられない。しかし、奴隷ではないのだから、当然自分の権利は主張できる。だからといって、表だって主張してしまうと、会社で自分が浮いてしまい立場が悪くなる。だから、ここ日本においては、言いたくなってもグッとこらえるしかない。
 では、得策は何か?以前ブログで、「作業と仕事」について話したことを思い出してくれ。会社は作業に給料を払ってるのではなく、仕事に払っているのだと。この「仕事」だが、実はもっと奥が深い。作業と仕事の違いはなんとなくわかるのだが、「仕事」に関しても、立場によってその概念に差ができる。そう、この「仕事」という概念のとらえ方が経営者側と従業員側で異なるのだ。もっと言うと、社長は「『仕事』をしている者」に給料を払っているのではなく、「『仕事道』を実践している者」に給料を払っているという意識なのである。ただの労働力の対価ではない。ここの認識に大きな差があるから、給料でもめるのだ。もう一度言うが、経営者の「仕事」とは、「仕事道」を指し、従業員の「仕事」とは、「作業レベルではない仕事」だ。
 これはどういうことかと言うと、仕事が「道(どう)」であるなら、「給料が低い」なんて愚痴言など言ってはいけないということだ。低くても「もらえてるだけうれしい」の一言を経営者は待っている。「仕事道」に給料を払っているという意味はそういうことだ。仕事道の捕まえ方は人それぞれだから、社長の仕事道がいかなるものかを、その社長の生い立ちや日々の言動から理解する必要がある。「感謝しろ?」そんなバカな!と思うだろうが、それは現実だ。よくいろんな社長と話していると、従業員から「感謝の言葉ひとつもない」という言葉を聞く。従業員は「こんな安い給料で働かされて頭に来る」という感じだ。まさにお互いの考えが180度反対で、それぞれ主張し合うため、全く相容れないという現実がある。
 うまくいかないのはこのためで、困ったものなのだ。

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サラリーマンの謎「給料」(5/7) ~将来の愚痴を選べ~ [哲学]

 一般的な話になるが、商品に魅力のある会社は給料が低くてもよい。口には出さないが、社長は本当にそう思ってる。もっと言うと、商品に魅力のある会社は、商品開発や設計等の開発部門で実績を上げてる人の給料は高いが、それを売る側の給料は低い。商品がよければ、誰でも売れるからだ。商品に魅力のある会社でも給料が高いところはあるが、組合があってしかたなく平等にしなければならず、そうなってるだけだ。今の日本を代表する家電メーカーなんかがいい例だ。これは高度成長期の失敗だ。日本国内業者同士での競争の時代はよいが、世界の業者と闘わなければならない現在では、全く刃が立たないよな。一旦給料を上げてしまうと、あとで下げることができないから、もう人を減らすしかないのだ。
 だから、自分の将来を考えれば、どんな会社に就職すべきかはおのずと判断できる。これは、会社の規模や財務内容や将来性などの一般的な指標ではない。商品に魅力があって給料の高い会社は避けた方がいい。企業の終わりに近づいているといえるのだ。詳しくはサラリーマンの謎「就職」で、後日話そうと思うが、会社選びの段階で、すでに自分が給料に対してどんな愚痴をこぼすか、すでにわかっている。だから、将来どんな愚痴をこぼしたいかで会社を決めるのだ。商品に魅力があって給料が低い会社は健全だといえる。やる気があって給料を増やしたいなら、人間と販売商品との価値の上位概念をよく見るべきだ。人間の商品価値が上なのか、販売する商品価値が上なのかだ。商品に魅力のある会社の社長は、売り子より商品の方が価値が上だから、商品が上位概念となる。上位概念とは、究極の選択時や物事の判断基準だ。どっちか一つを選ばなければならないとき、どっちが上かの判断が上位概念だ。社長は不況を想定して、上位概念で上の方の価値を磨いてゆく。
 一方、商品には大した価値がなく皆同じな競合商品も多い業界では、買う側は何でもいいから、売る人の人間性や価格などで選ぶ。特に、売る人の器量次第となるから、当然多く売ることができる人の給料が高い。不動産関係の営業マンや証券会社の営業マンなんかはその典型だ。飲み屋のホステスもそうだ。これらの人達は、顧客ごと持って転職してしまうから、辞められたら堪ったものではない。社長はその人を引き留めておくべきかどうかで、そろばんをはじき、引き留めるためには給料を上げざるを得ない。
 もっと簡単に言うと、社長が自分のところの商品に魅力があると感じていた場合、商品の価格をさらに上げようと考える。それでも売れるから会社は儲かりすぎるのだが、儲かったからといって従業員の給料に還元することは決してない。従業員の給料は安いままで、会社だけは大もうけという図式になる。別にだれが売ってももうかるのだから、従業員の給料を上げる必要はないのだ。それが嫌なら、早く辞めてくれればいいと思ってる。ここがわかってないから、従業員は「なんで会社が儲かってるのに、俺たちの給料は低いままなんだ」との不平不満が生まれる。社長の常套句は、「不況に備える」だ。いい時は短い。いつまた、不況が来るといけないから、備える必要があると言うのだ。すばらしいい言い訳だ。言葉は信じちゃいけないな。社長の行動を見ればいい。贅沢してるはずだ。こんなところを見ると、誰でも腐るよ。しかし、ここで腐ってはいけない。腐ると益々立場は悪くなるから、何とかそれでも有利なポジションを確保する必要がある。
 それが、次に紹介する「出世」という手段による給料確保作戦だ。

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