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サラリーマンの謎「給料」(7/7) ~「給料道」の追求~ [哲学]

 世の中のしくみはそういう風にできあがっている。大きな会社には組合が存在しているからまだいいが、オーナー企業ではそんなオーナーに楯突く組織なんかは絶対に作らない。社員の不満がおおごとになってないのは、従業員が我慢強いのか、社長がうまいだけである。我慢している従業員を社長がうまく丸め込んでいるのが一般的だ。日本人の心をうまくくすぐっているのだ。「仕事道」とか、「人間の成長」とか、「隣の芝は青く見える」とかいって、うまくやるのだ。このことが悪いというのではなく、「うまくやられているな」とわかっていることが大事なのだ。給料が安いからと腐って仕事をするとひどい目に遭う。従業員側もうまくやる必要があるのだ。
 つまり、「この会社で自分が必要とされるためには何をすべきか?」を真剣に考える。社長は会社がオンリーワンの道を進むことをつねに望むが、従業員は個人レベルでのオンリーワンを追求してゆかねばならない。会社は慈善事業でないのだから、儲けていなければ社会的責任を果たせない。これは社長が背負うプレッシャーだ。が、儲けていれば社長はご機嫌だ。その状況ではあまり何も言わないものだ。そうしながら個人レベルのオンリーワン行動をとる。ここが大事である。会社の利益を考えずに自分のオンリーワンだけを追求していると、そこにメスが入ってしまう。行動を注目されるから、目的を見透かされて、即配置換えや閑職に回されるのが落ちだ。そうならないためには、会社の利益追求が先だ。そして、自分のオンリーワンを追求してゆく。
 実は、「給料が安い」という愚痴は、実はだれかと比較しているから出る言葉だ。そう、自分より高給な誰かがいて、そいつとの比較において、理不尽だから愚痴る。そういうことだろう。そういう場面に出くわしたなら、愚痴ってる場合じゃない。そいつをじっと観察して、なぜ給料が高いのかを探る。答えはすぐに見つかるはずだ。社長に好かれていたり、社長が苦手とする業務ができていたりする。なら、自分もその道を行くしかない。要は、「給料を払う人が気に入ることをする。」これが真理だろう。けっこう、自分の信念を貫いてする仕事や考え方を、社長が気に入らない場合が多い。
 給料というお題が出ると、反射的に「低い」という言葉が出る。しかたないことだ、誰でも高い給料はほしいのだから。ならば、高い給料をもらいたいという考えがあるのなら、就職する時までに決まってしまう現実を見ろ!と言いたい。最近の若造からよく、「給料よりもやりがいだ」とか、「そこそこの給料でいい」という言葉は出るが、それなら死ぬまで愚痴るなということだ。人生は、年を重ねるごとに金が要ることになっている。一生独身ならまだいいが、人並みに結婚して子どもができると、だれでも必ずこの壁にぶつかる。その辺りの現実まで見据えているか?と問いたい。
 だから、考え方の甘い子どもが将来苦労しないように、親はうるさく、「勉強しろ」というのだ。それは、低い給料がどのくらい生活を不安定にし、さらには人生をも卑屈にするかという現実を、親は経験から知っているからなのだ。
 言わば、給料は人生そのものを左右させる力を持つ。給料という命題は、人生の命題でもある。「給料道」と言っても過言ではない。自分の「給料道」を探すのも人生だ。給料をいっぱいもらえるにはどうすべきか、これを考えて答えを見つけるのは、人間的な成長も必要だからだ。その道は決して浅くはない。
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