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「今世の乗り物」を乗りこなせ!(5/6) ~魂レベル菩薩級~ [哲学]

 これらは目で見てレベルが高いということがわからない人達だが、見てすぐレベルが高いとわかる人もいる。例えば、障害者の親だ。これはレベルがかなり高い。障害者自身もレベルは高いと言われているが、それよりもその親の方が圧倒的にレベルが高い。障害者を受け入れて献身的に育てる姿は、それだけで一般人のレベルをはるかに超えている。しかも、その人の一言一言に愚痴はないし、かなり大変なはずなのに、笑顔がこぼれている。普通に考えれば、一般の人より苦労しているわけだから、愚痴だらけのはずだ。それなのに、その人の口からは感謝の言葉がよく出てくる。なんだか、くだらないことで愚痴ってる自分が情けなくなる。そんな障害者を持つ親と話してみるといい。不思議なんだけど、話すだけでなぜか心地よい気分になるのだ。その人の言葉のひとつひとつが心に浸み渡る。そして、何か自分の魂が軽くなるような感覚を覚える。会話だけでそんな感覚にさせるような人はまさに、魂レベルは菩薩級だとアニキは思う。飯田史彦先生も、そういう人は生まれる前にそんな境遇の人生を自分で決めて生まれてくると言ってる。そして、乗り越えられない試練は背負わないと考えるなら、障害者の親をこなすことが最初からできる魂レベルであると言えるのだ。なら間違いない、魂レベルはとてつもなく高いことがわかる。
 そういう風に周りの人を観察する習慣を作ると面白いぞ。常に周りの人に興味を覚えて、観察する。魂レベルはどこくらいだろうかと考えながら見るのだ。特にイケメンや美人は大概魂レベルが低い。彼らの中には、動物から初めて人間になった者もいる。そうなると、満員電車でも信号待ちでも退屈はしない。人を観察するのが面白くなるのだ。では、まとめていこうか。
 カラダは乗り物で、生まれる前に自分で選んできた。だから、ブ男だとか、頭が悪いなどと愚痴るのはおかしい。親を恨むなんてのは、もってのほかだ。言っておくが、親はカラダの製造メーカーであり、「あなたが注文した通りの乗り物を製造しただけ」だ。注文者であるあんたが文句を言うのは、筋が通らない。だから、親も責任を感じて同情する必要はない。親は、共同生活者としての子どものカラダという乗り物に対し、一緒に修理方法や改善方法を考えてやればいいのだ。
 とにかくだ、今世はこのカラダで乗り切るしかない。取り変えることができない。この世にドラえもんはいないのだ。すでに生まれてきてしまったものを変えることは不可能だ。その乗り物をいかにうまく乗りこなすことだけを考える。そして、80年乗り続けなければならに乗り物を大事にすることだ。自分が選んだ乗り物を愚痴を言っちゃダメだ。な、カードゲームでもでもなんでそうだけど、配られたカードに愚痴ってる勝負師っているか?一流は配られたモノに文句を言わず、それで勝負するんだよ。アニキが尊敬する雀鬼の桜井章一だって、配牌に愚痴ってる話なんか聞いたことがない。そう、与えられたモノで勝負するのが人生だ。だから、与えられた乗り物、いや、自分が選んだカラダで勝負するのが今世だ。自分で選んだカラダなのに、それに文句言ってるから運が悪くなるのだ。
 だかから、常に乗り物の定期点検を行い、調子をよくすることで人生は上を向く。戦場では、馬が倒れたら乗ってる奴は死ぬんだぞ。だから、与えられた乗り物についてごちゃごちゃ言ってないで、乗り物の調子を良くすることが、生まれたあとにやるべきことなのだ。じゃあ、乗り物の調子を良くするにはどうすれのか?
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