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サラリーマン輪廻(5/9) ~無知の人間道~ [哲学]

実は、サラリーマンは広い牧場で飼われた羊と同じである。羊は、人に飼われているとは思ってない。その生活はほぼ自由だからだ。朝になると、小屋から牧場に出される。人間で言えば出勤だ。羊は牧場の草を食べながら、日柄のんびりと過ごす。羊は自分の意思で牧場に出て、お腹が空いたから草を食べてると思ってる。広い牧場を自由に歩き回ることもできる。好きな場所の草も食べることができる。
 サラリーマンも同じだ。経営者側に飼われているのだが、そうは思ってない。本人達は羊と同じではないと言い切る。なぜなら、羊は自分で選んで牧場に入ったのではないが、人は自分で選んで会社という牧場に入ったというのがその根拠らしい。アニキは言う、別に牧場へ入る経緯などどうでもよいのだ。問題は、入ったそこは牧場であるという事実がわかってるのか?ということだ。羊は毎日牧草地へ出掛ける。人間は毎日会社へ行って仕事をする。新人は別にして、社会人年数がある程度経つと、出勤したあとは自動的に自分の仕事をこなす。いちいち飼い主(経営者)や羊飼い(上司)は「これやれ」「あれやれ」とは言わない。仕事の段取りや効率を自分で考えて業務にいそしんでいる。すべて自由にやってると思ってる。夕方になると羊は宿舎へと誘導される。そして、そこで寝る。人も同じだ、家に家族が待っている。毎日は単調であるが、食えて安全に寝られていれば、羊はそれ以上に望むものもない。いやなことと言えば、たまに毛を刈られるか、ミルクをしぼり採られるぐらいだ。人間も同じだろう。たまに上司に小言を言われるか、お客に文句言われる程度で、普通に仕事してれば解雇されずに済む。給料は自然と振り込まれているから、安全に暮らせる。こう考えれば、人は会社という牧場で飼われている羊とほとんど変わらないのだ。
 別に多くを望まないのであればそれでもかまわないのだが、せっかくの人生だ、それではつまんないだろうと、アニキは思うのだ。心ある上司は、飲みに行った時にでもこのしくみを説明してくれるのだが、仕組みは理解できたとしても、乗ってる船からはなかなか降りることはできないし、降りたところは嵐の大海だ。何とかしようと考えてるうちに月日は過ぎ、気がつけば先の心ある上司に今度は自分がなって、部下を説教しているのだ。仕組みがわかってもその流れには逆らえず、気がつけば以前の上司のように自分がなってしまっている。先にも話したが、これがサラリーマン輪廻の構成要素のひとつである「骨抜き修羅道」である。骨抜き修羅道の会社の洗脳により、いつの間にか歩かされていた自分に気がついても、時すでに遅しという状態だ。
 骨抜き修羅道で能力が上がることを抑えられてしまい、そのまま年月が過ぎるのだが、そのことに気がつかないで後悔する状況が「無知の人間道」である。人は、自分が羊であることすら気づかないで、そう指摘する奴には牙をむく。まさに無知の極地であり、そのことを知ってしまった時には、後の祭りに悩むのだ。知った途端に、今まで心の支えであった会社に対する忠誠心が大きく崩れる。心の柱が折れた状態では、無防備だ。今まで信頼していたものに裏切られたという感が大きく、心が浮遊してしまうのである。何事にもやる気が感じられなくなり、すべてに疑いを持つようになる。ぽっかりと口を開けてしまった心はなかなか埋まらないもの。目は死んだ魚の眼のように曇り、多くのサラリーマンが行き着くこの場所は、荒れ果てた心の荒野である。
 これが「無知の人間道」の最も厄介なところである。

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