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物事の本質を見極めろ!(2/5) ~クールに熱く~ [哲学]

 学生は、横を見て行動する生き物だ。よく本質を見抜く若い奴でも、友人なんかに、「何、すかしてんだ!」と茶化されると、そこでひるんでしまう。仲間はずれになりたくないものだから、周りの友達の意見に迎合する。その繰り返しにより、本質を見抜く純粋な眼がさび付いてくるのだ。ここで考えてほしいのは、本質も見抜けないようなくだらない友人なんか、相手にしなくてもいいということだ。社会に出たら、本質を見抜く力がどうしても必要になる。ボンクラで一生を終わりたいならそれでもいいが、そんな奴はいないだろう。だから、友人の意見が本質とはかけ離れていて、自分はそれを見抜いている場合、ひるんでいてはダメだ。「お前、バカか?」で返せばいい。一切迎合する必要なし。でその後、本質を説明してやればよい。
 例えば面接試験だ。最近の資格試験やなんかでも面接試験がある。「ラフな格好でもいいですよ。」と言われても、信じてはいけない。ここから試験は始まってる。ここで「本質とは何か?」を考える。面接は受かることが目的だ。そして、面接は面接官の主観で決まる。面接官の採点基準はあるだろうが、チャラチャラした格好やだらしない格好の奴に対しては、印象はよくない。先にも書いたが、飛び抜けて優秀なら問題なかろうが、そうじゃない奴がほとんどだ。最終的に判断に迷うレベルの場合、必ず落とされる。チャラチャラした格好は、「俺を落としてくれ」と言っているようなもの。前述の運転免許の一発試験と同じだ。そう考えるなら、どんなに大したことない試験でも、面接があるならチャラチャラした格好なんてできないはずだ。たとえ友人が「何でもいいんだよ」とそそのかしても、学生なら制服で行く。一般人でもビジネスライクな服装がよい。夏ならネクタイまで締める必要はないが、ジャケットとワイシャツを着ていくのは当たり前だ。試験官の性格にもよるが、きちんとした服装なら減点はない。スタートラインからマイナスになることはばかばかしい。スタートはゼロからスタートするのが当たり前だろう。
 織田信長が嫁をもらうため実家に行った時の話だ。その道中は信長スタイルのだらしない恰好だったそうだ。その様子を嫁さんの親である斎藤道三は部下を使って見ていたそうだ。そう、信長の奥さんの親父はあのマムシの道三だ。「うつけもの」これが信長のあだ名だが、やっぱりそうかと斎藤道三は思ったそうだ。しかし、道三に会うその時は正装だったという。ちょっとやそっとの事では動じないあのマムシの道三が驚いたという。これが物事の本質だ。信長ほどの人間になると、自然とわかってしまうのかもしれない。しかし、我々一般ピープルは本質の理解が浅いから、常に神経をとがらせ物事の本質を考えるくせをつけないといけない。
 話を戻す。面接官の性格なんかわからないんだけど、彼らは人を見ることが仕事だ。若造風情が、その日限りの身なりをしてきても、それは面接の時だけの態度だと見抜いている。面接官の見どころはそこじゃない。面接に臨むその姿勢を見るのだ。着慣れない服を着て七五三状態でもよし。努力を見せることがここでの本質だ。だから、俺は努力してますよ、がんばってますよということが伝わればOKだ。それ以上は必要ない。本気の姿勢をみせればよいのだ。本気度は大概の人間はわかるもの。発するエネルギーが違うからだ。本気のエネルギーは熱いからよく伝わる。「なんか、あいつ熱いよな」という感じが伝わる。昔から、気迫という言葉があるが、これは本気度を表した言葉だ。ここ一番という時に、その気迫を見せつけてやればいい。
 やりすぎちゃダメだ、暑苦しいからな。ほどほどに、クールに決めるのだ。合い言葉は、「クールに熱く」だ。どうするかは自分で考えてくれ。君たちは他の動物より脳がでかいんだから。

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