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掃除が己を変える(1/4) ~掃除の本当の目的~ [哲学]

 掃除とは、場所をきれにすることではない。そう思って今まで掃除していたなら、その認識を改める必要がる。掃除の本当の目的は、「自分の心をきれいにする」ことだ。この事実を知ってる人は非常に少ない。このことがわかってないから、掃除をさぼる人がいたり、手を抜く人が存在するのだ。
 本来は、小学校からそのことをまず教え込むべきなのだが、それができてないから、「掃除は場所をきれいにするだけのもの」と思い込んで、そのまま大人になる。そうではなく、「掃除は心をきれいにするもの」とわかっているなら、掃除会社なるものに頼むというのは、どう考えてもおかしいのである。掃除を掃除会社に頼んだり、人に頼んでいるようでは、掃除の本当に目的がわかっていないし、自分の心も決してきれいにならない。掃除会社に頼まないにしても、掃除中に手を抜くなんぞはもってのほかである。この精神がわかっていると、5Sなんかは意識しないでも自動的にできてくるのだ。5Sが難しいとか、工員が5Sを守らないなどと語る管理者は、そいつ自身が掃除の意味を全く理解していないから起こるだけの話である。「ウチの社員はいい加減な掃除しかしない」などと他人に話す社長や管理者は、「アンタが掃除の意味を部下に理解させてないんだよ」と言いたい。そして、「アンタが真剣に掃除してないんだよ」ということだ。社長からしてこんな考えなら、いい会社なんかになるわけがない。掃除に対する愚痴はそのまま言った本人に返ってくるのだ。そういう深い意味がある。つまり掃除とは、心をきれいにする精神修行であり、管理者のレベルを測ることができる最高の指標なのである。
 その主旨から考えると、社長は掃除の時間にふんぞり返っている場合ではない。社長は当然、自ら掃除しなければならない。なぜなら、心を一番きれいにしなければならないのは、社長であるからだ。社長は会社の心そのものでもあるからだ。世の中の見方は、「会社の評価=社長の評価」だ。会社の前にゴミが落ちていたら、「この会社は大したことないな」じゃない。「ここの社長はだらしないな」という見方をされるのだ。そんなことすら気がつかないような自覚のない人間が社長をしている会社は、悪いが必ず衰退する。そうじを疎かにするような社長は、人の心を疎かにしているのと同じであり、真の人の心がわからない。商売そのものがわかってない。表面的には穏やかないい人でも、人の心はわかってない足らずの人間だ。厳しいことを言うようだが、それは当たり前だろう。
 人の上に立つとはそのぐらい厳しいものなのだ。

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