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サラリーマンは「ノーサイド」で締めろ!(2/2) ~心のジャージ交換~ [哲学]

 実は、仕事を引退した後、自分の元働いていた会社の人間と交友を持つ人が多いのだが、しばらくして気付くことがある。どうもそこには一体感はないなと。それは自分が会社から離れたからだと決めつけてしまっているが、それは違う。
 会社という組織は、社内の人間関係が複雑である。そう、社内の人間同士とは、同じ釜のメシを食ってきたという共有感から、一瞬、信頼できる仲間という感性が生まれるのだが、本当に心を許せる関係ではない。距離が近すぎるために、心をあらわにすることが難しい関係だ。社内のよきライバルという言葉を聞くが、そんなきれいな関係は現実には存在しない。同期の間での出世競争や上司部下との軋轢など、挙げればきりがない。気心の知れた同僚とはたまに飲みに行って、愚痴をこぼせるかもしれないが、本当に心を許せる状況にはならなかったはずだ。どんなに仲が良くても、出世が絡んでくると人間関係がギクシャクする。新入社員から若手の時期までは、同期も仲が良いのだが、課長や部長の年代になってくると、関係も複雑だ。自分の将来が見えてくるから、同僚とは違う将来が待っていることもわかる。すると、社内の人間関係はだんだんと重たくなってくる。そこで人は、割り切ることを覚えて自己防衛をはかるのだが、それはだれから見ても本音ではないということがわかる。会社というひとつ屋根の下では、欲望やねたみなどが充満しており、各人の思いもさまざまで、そこで働く社内の仲間は真の仲間ではないのだ。
 アニキは何がいいたいのかというと、会社引退後に遊ぶ仲間は、元の社内に求めるのではなく、共に仕事上で闘ったライバルに求めるべきなのだ。今ではライバルを憎む必要はないということだ。お互いが背負っていた会社という重荷を下ろしたなら、当時のライバルと昔話に花を咲かせればいい。これが、「心のジャージ交換」だ。
 ノーサイドを使って人生を有意義にまとめたいなら、このライバルとの心のジャージ交換にて、人生の棚卸しをすればよい。自分のやってきた仕事が、果たして会社の役に立っていたのだろうかと落胆している人はなおさらだ。今まで自分側からしか見ることができなかった視点からの意見ではなく、敵側から映る自分の姿に人生の価値を見いだすことができる。俺も少しは役に立っていたのだなと思うこと、その考え方を持つことで人生は大きく動く。これが人生の棚卸しだ。世の中に役に立たない人間など存在しないというのがアニキ哲学の柱にある。自分に有利なように好きなように、昔を振り返って棚卸しをすればよい。基本は、役に立ったはずという前提で思い出すことだ。それが一番よくわかっているのが他社のライバルだ。相手の行く手をふさいでいたわけだから、相手は自分ことを本当に邪魔者と思っていたはずだ。それだけでも大きな存在感であろう。そう、自分がいなければ相手は伸び伸びと仕事ができていたわけだから、それを阻んでいたということで、非常にその存在価値は大きかった。ここを指摘してもらうことにより、自分の存在感が実感でき、存在価値を認識できるのだ。往年のライバルとの回想の中において、これが最大のメリットである。
 心のジャージ交換とは、言わば自分の評価を敵にしてもらうことなのだ。「あの時は本当におまえは邪魔だったよな」という会話に花が咲く。現役時代のライバルがお互いの行く手を阻んだという過去があればあるほど、自分の存在感を認識することができるから、酒がとてつもなくうまい。そんな自分の存在価値を引きずり出してくれるライバルこそが、ノーサイドする相手なのだ。
 ぜひ往年のライバルとの飲み会を企画して、「人生、無駄な事はひとつもないのだな」と思う瞬間を噛みしめていただきたいものだ。そこには必ず人生の価値を見いだすことができる。くー、熱いぜ人生!

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