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サラリーマンの謎「残業」(2/5) ~愚痴り場~ [哲学]

 日本はサービス残業のおかげでここまで来たという事実がある。戦後復興から高度成長という発展は、日本人の残業の集大成である。当時の日本人は、残業代が出ないのになぜよく働けたのであろうか?確かに文句は言っていただろうが、周りが皆真剣に仕事をする状況では、自分だけ怠けるわけにはいかない。夜の居酒屋で、同僚と会社や上司の悪口でも言ってればそれでスッキリしていた。そこでアカを落とし、明日も仕事に出掛けたのだ。
 当時は右上がりの時代だ。次から次へと仕事が来る。立ち止まって、「サービス残業は是か非か?」なんて考えてるヒマはない。とにかくこなさないと後が大変だからがむしゃらだ。しかし、給料は上がっていたので、安心して働けたはず。企業も余裕があったし、人も雇えた。実はここが現代との大きな違いだろう。業績がよければボーナスも上がった。給料も倍々ゲームで増えた。右上がりとはそういう状態なのだ。
 アニキは思う。以前アニキは中国で働いていたことがあった。やはり、雰囲気は右上がりだ。残業代なんか付かないが、それでも別に心が荒まない。それ以前にいた商社でも同じようにサービス残業していたのだが、疲れ方が全然違う。ストレスのたまり方が違う。この差は何だったのか?とよく考えた。人は、残業代よりも業績という見返りがあれば、何とかやっていける。仕事をした分が形として現れれば、ストレスはたまらないのだ。伸びてる国で働くということは、精神衛生上よいことだ。それなりの苦労はあるが、仕事のおもしろさを実感できるから、全く苦にならない。海外現地での日本食の居酒屋では、同地域に進出している日本人達が集まる。話題は現地ローカルスタッフの悪口が中心だ。それを愚痴って帰れば、それでスッキリする。日本人はいつの時代もどこの場所でも、愚痴ることができればよい。愚痴るための集う場所さえあれば、それでOKなのだ。だから、海外の過酷な場所に進出するなら、工場の建設と同時に「愚痴り場=居酒屋」を用意してやればいい。猫のおしっこ場や犬の座布団のようなもので、日本人は愚痴り場があればそれで落ち着く人種なのだ。それさえあれば、いくら痛めつけられようが復活するのが日本人だ。ここに日本人の特質のひとつがある。逆に言えば、愚痴る憩いの場がなければ、日本人は極端に弱るのだ。
 日本人は団体で力を発揮する民族だ。自分一人だけ残業していると滅入ってしまうが、周り全員が残業していればモチベーションは保たれる。その根底には「みんなの考えが同じだ」という安心感がある。がんばるためには、同じ目標に向かい同じように残業するというその姿が必要だ。いろんな事象に対し共感を抱けた時、日本人のストレスは吹っ飛ぶ。同じ境遇の者同士、「おまえもそう思うか!」という感情が吹き出した瞬間にもう全員仲間なのである。会社が違えど仲間だ。働く場所が違うだけでみんな同じ境遇なのだ。そういう共感を感じたいがために、異国の地の居酒屋へ毎日通うのだ。そこで精気を養い、また明日からの仕事に繰り出すことができる。過酷な環境での日本人とは、ここで成り立っている。
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