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掃除が己を変える(4/4) ~極めるは「そうじ道」~ [哲学]

 これらは掃除と直接関係ないと思いがちだが、そう思う奴は何もわかってない。掃除の意識レベルは最低で、そんな奴に何を説教されようが、説得力のかけらもない。言ったはずだ、「掃除とは場所をきれいにすることではなく、心をきれいにする」という理念があれば、掃除が終了したときのチェックにおいて、こういった品格を落とすような状態を見逃すはずがないのだ。
 アニキは何が言いたいのかというと、掃除や整理整頓ができていないと、会社の品格が疑われ、社長のレベルを疑われ、女性のレベルが疑われる。掃除や整理整頓一つできないような会社と付き合いたいと思わないってことだ。言わば、掃除は会社の鏡であり、会社の恥部のすべてがここに映し出される。掃除や整理整頓の評価は簡単だ。なぜなら、掃除を評価するのは減点主義で、できて当たり前なのだから、できていないとマイナス点だ。人間は「人のあら」はよく探せるから、目につくマイナスポイントなどはすぐに出てくる。だから、会社は品格を保ちたいなら、こんな大事なポイントを疎かにできるはずがない。なのに、ほとんどの企業は掃除を自分たちでやらない。掃除の会社が魂入れて、人の会社を掃除すると思うか?それ自体がどうかしている。会社はまず、利益を追求するより先に、掃除を追求すべきなのだ。それをやらないから、社員の心が汚れてゆく。心をきれいにするという行為をみすみす放棄しているのだから、心は汚れる一方である。心が汚れてゆくから、社員の心が荒むのだ。社長や上司が自分と同じ方向を歩いてないと考えるようになり、不信感が募る。それが垢のように退職の日まで積もるのだ。こんな会社でいいわけがない。
 であるならば、心の垢落としは必要だろうということだ。積極的に掃除に取り組めよということだ。そして、社長は自らが掃除の指揮を執り、「掃除もまともにできない奴に仕事ができるわけがない!」と一喝する。それに呼応する社員は、真剣に掃除をするようになる。まるで掃除は自分との戦いだ。そして、それが昂じると芸術の域まで高めようとしてしまうのだ。自分が納得するまで掃除を終えることはない。まだまだ足りないという境地に達する。これが「そうじ道」で、これが日本人の生き様である。「もう充分だ」という意識があるならば、そうじ道を全然理解していないのだから、まだまだ未熟者だと自分に言い聞かせなければならない。
 ここまで言えば、明日からの掃除の心構えが変わるだろう。

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