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サラリーマン輪廻(6/9) ~「集団が個」とは何か?~ [哲学]

 無知の人間道に陥ると、なかなか脱出できない。仕事に力も入らないから、無気力でおざなりになってしまう。輪廻の最終段階である。ここから没落するのか、上を見て進むことができるのか、人間は試されることになる。会社に忠誠を尽くしてきた者ほどキズは大きい。治癒できぬほどの傷もあるのだが、ここで終わってしまうほどサラリーマンはヤワではない。サラリーマンとは、端で見るより心の芯が強い。アメーバのごとく自分の心の形を変える。会社に対して忠誠心がなくなっても、人と人との絆があれば立ち上がれる。そうだ、同じ釜のメシを食った先輩がいる。同僚がいる。サラリーマンは孤独ではない。
 つまり、自分が陥った「無知の人間道」には、すでに以前にはまった先輩達がいる。その人達の生き様や考え方を身につけて、乗り切ることができる。サラリーマンとは、個人を指す言葉ではない。サラリーマンは一人で「個」ではなく、集団となって「個」となる集団の総称だ。集団となってはじめてサラリーマンという「個」となる。つまり、サラリーマンとは、原子と同じである。いくつかの原子がくっついて分子となるのと同様に、個人が何人かまとまった状態がサラリーマンだ。サラリーマンとは個人を指す呼称であるが、その実態は集団の呼称だ。だから、本来なら「サラリーメン」と言わなければならないのだが、そうはなってないからわかりにくい。
 何度も言うが、サラリーマンとは個人でなく、集団の総称だ。個人で戦っているように見えるが、すべて組織で戦っている。営業は前線に送り込まれるが、後方での支援部隊はいつでも控えているじゃないか。補給部隊もいるじゃないか。司令塔だったあるだろう。そう、だから心が折れた状態の時には、遠慮なく後方支援や先輩社員を頼ればよいということだ。だれも「弱い奴」なんて思わない。個人では半人前というのが、元々サラリーマンの原則だ。窮地に陥った時だけ、個人のせいにするのはおかしいのだ。
 アニキは何が言いたいのかというと、心が折れた人は皆で助けるのが当たり前で、体調が悪くなったのなら、皆で助け合うのが当たり前だ。そんな原則が今疎かになっているから、企業は弱くなっている。昔に比べて実に弱いのだ。こんな当たり前のことを忘れてしまっているから、日本企業のいいところが忘れられてしまっているから、海外にやられるのだ。外国は、日本企業及び日本人のこの「集団で個」という力が非常に怖い。海外は昔から個人主義だから、「個人が個」だ。日本のように、集団が個人であるかのごとく結束力を示す会社は脅威なのだ。合体ロボのようなものだから、個人と戦っても絶対に負けない。外国はこのことがわかっているから、能力主義を日本に持ち込み、集団の力の解体を謀ったのだ。これも外国の罠であり、過去のアニキブログ「サラリーマンの謎『残業』」でも話したが、「残業は悪」「ゆとり教育」と並び立つもうひとつの罠が、この「集団意識の解体」だ。合体ロボをバラバラにさせるこの罠で、個人主義が台頭し、見事に企業はバラバラになってしまった。結果どうだ?だからまた、成果主義も見直されてきているはずだ。
 ここで日本は「集団が個」戦法を採ることにより、世界に再度躍り出ることが可能なのだ。

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