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アニキの「創造主論」(5/5) ~真理は単純~ [哲学]

そうだ、人間は原始機能という入力コマンドと脳という巨大コンピュータを備えて地球に降り立った。サルから進化したのでは、脳が大きくなったことの説明が付かない。なぜなら、人間以外のサルは何百万年経っても、バナナの皮をむいたり、芋を洗うことしかできないのだから。
 人間は地球生活という試練を与えられるのだが、その目的は何だったのだろうか。とりあえず今のところ、このままでいいのだろう。なぜなら、人類が地球に配置されてから、大きな天変地異が起きてない。創造主は、映画のような巨大隕石を地球にぶつけてないし、太陽を爆発させたりはしていない。その気になれば、創造主は何でもできる。気に入らなければ人類を滅ぼすことなど簡単で、時間は無限にあるから、また1からやり直せばいいことだ。そう、創造主は好きな時に「リセット」できるのだ。しかし歴史を見ると、適度な負荷として局部的な地震を起こしたり、病気を流行らせたりしている程度だ。これは何を意味するのだろうか。
 やはり人間は創造主の意図する通りに進んでいる、もしくは進歩していると理解すべきだ。人間社会では、戦争したり虐殺したりとかなり無茶なことをしているが、それでも今のところ許されている。これは、創造主が寛大だからではない。寛大だと思うからこそ、「創造主=神」という図式が浮かぶのある。そうではない、創造主はただ見てるだけだ。全体が間違っていれば局部的な天災を起こし、人間に「間違ってる」ということを暗に伝え、個人の場合は、脳からの報告を受けて、病気や怪我などで「間違ってる」ことを伝える。但し、何が間違っているのかは、「自分で考えろ」というスタンスだ。すべて「経験することから学べ」という意図がある。だから、多少の流れのずれは誤差の範疇である。物事の流れはすべて、折れ線グラフだ。為替にしても会社の売り上げにしても技能にしても何でもそうだ。それが右肩上がりにジグザグ進んでいるなら、創造主は手を下さない。ただそれだけなのだ。だから、大虐殺が起ころうと、それはジグザグの下方向に一時的に進んでいるにすぎないと見ている。このことは、創造主が人間をわざと不完全に作ったというところでうかがい知ることができる。人間を皆同じに作っていないのはそういうところである。足りないところは補完しあうことを期待しているのだ。
 社会形成を営み、そのなかで自分を高めて魂のレベルを上げてゆくことがこの世に生まれた目的だ。方向が完全に間違っていて、修正不能であると判断したなら、脳が勝手に自爆スイッチを押す。そして、「次の乗り物に乗ってもう一度出直せ」ということになり、後日別の乗り物に乗って赤ん坊として登場するのだ。どこの赤ん坊かはわからない。地球じゃなく、他の星かもしれない。人間を狙う「絶対天敵」がいる星に生まれたなら、生まれた瞬間に食われて終わりかもしれない。
 創造主は、別に「死」という概念を重視してはいない。「死」とはカラダの死であって、魂は死なないから、何度でもやり直せるからだ。学者が何百年と研究してきたそんな生死のカラクリも創造主論では説明できてしまう。創造主論は単純なのである。「物事の真理は単純である」というのが世界の共通認識なら、まさに創造主論を採ることでスッキリするのだ。
 だからアニキは、創造主が人間を作ったと考えるのがもっともリーズナブルとみる。矛盾がほとんどないからだ。人間に関する謎が、この「創造主論」ですべて説明できてしまうからだ。サルから進化したと考えるのでは、矛盾が多すぎるのだ。
 

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