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魂の謎(1/6) ~生き物は作れない~ [哲学]

  人間の中には「魂」というものがあるという。なぜか昔からそう言われている。なぜ昔の人は、魂の存在を知っていたのであろうか?「火のないところに煙は立たない」というのがアニキの信条だ。何かしら秘密がある。昔の人が勝手に作ったものではない。そのきっかけは過去に必ずあったのだ。だから、アニキもそれを信じている。魂はあるのかないのか。あることが前提でなければ、この話は進まない。魂とは、どんな形でどんな大きさで人の体のどこにあるのかはわからない。しかし、人間の存在を考える上で「魂はある」と考えるのが妥当であり、とても腑に落ちるのだ。
 魂がなぜあるのかを考える時、動物はなんで生きてるのかを考える必要がある。ここでの「なんで?」とは、目的のことではない。生きているしくみのことだ。つまり、「どのようなしくみで動物は動いているのか?」ということだ。科学がある程度発達しているこの現代で、ほとんどものは人工的に作ることができる。人体のパーツも人工化できるほどの科学力だ。今では内蔵なんかもほとんど人工的に作れるし、皮膚も骨も可能だ。脳などはコンピュータなどで代用できるかもしれない。そんな科学力があるにもかかわらず、いまだに人間を作ることができない。「人道的に作らないのだ」という考えかもしれないが、できないのではないだろうか。クローンなどのように培養の技術はあるが、生き物そのものを作ったという話は聞いたことがない。形は近いものができるかもしれないが、それがひとりでに大きく成長していくような生き物は、無理だろう。できるなら、人間以外のものですでに応用できているはずだ。
 例えば自動車なんかは、傷がついたら傷薬塗って1週間ぐらいで治るとか。でも、実際にそんな話は聞いたことない。自動車ができてから100年ぐらい経つのに、未だにそれができない。そうなのだ、現代の科学技術を持ってしても、形はできても生き物は何一つ作ることができないというのが現状なのだ。
 なぜか。それは動かす何かが足りないとしか言いようがない。その足りないもの、それは「魂」というものと考えるべきである。魂というものは非科学的だと言うが、科学的に説明できないものはすべて非科学的であり、それで一蹴して収まる話ではない。そう、アニキは言う、魂を無視して人間を語ることは不可能であると。
 昔、子どもの頃テレビで、人が死ぬ前と死んだあとでは5gぐらい重量が軽くなるという番組を見た。これが魂の重さかと、子ども心に魂はあるものだと確信した。以降アニキは魂というもに興味を持った。

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