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魂の謎(3/6) ~魂は死なない~  [哲学]

 人間、歳を取って寿命で死ぬよな。死んだら魂はどうなる?創造主のところへ帰るんだけど、よく考えてくれ。ん、じゃあ、死ぬってなんだ?魂が死ぬのか?そんなことはないよな。死ぬのはカラダで、魂は帰るんだよな。ということは、魂は死なないということなんだよ、永遠に。というか、死ねないんだ。魂は永遠に生き続けることになる。何度も言うが、脳もカラダも自分じゃない。自分とはその中にいる「魂」だ。魂とは、物体なのか想念なのかはわからない。まあ、アニキにはそんなことはどうでもよい。そんなことを証明するなんてくだらないことをするより、魂の目的について考える方が大事だろう。カラダが死んで、魂は帰る。そして、転生してまた「親から生まれて」次のカラダで修行する。となると、ここでもう一つの疑問が出てくる。
 そうだ、親とはなんだ?ということだ。魂はカラダを選んで入ってくるのだが、カラダは親から生まれてくる。これってなんか不思議じゃないか。つまりは、親とはカラダの親であって、魂の親ではないということになる。そうなのだ、がっかりするだろうがよく考えてくれ。つまり親とは、乗り物の製造機である。そう考えると、親とは味気ない存在に映ってしまうのだが、親に対しては思い入れが深いよな。これは、「飯田史彦先生」なんかはソウルメイトという言い方をして説明しているのだが、それだけじゃなくやはりそこに絆として大きく存在しているのは、「恩義」だ。魂は恩義がエサだ。恩義を感じるとそれに報いようとする。この「人は恩義を受けると、その人に頭があがらない」とう機能が人間には最初から備わっている。これはアニキ哲学の柱である「原始機能」ということになるのだが、「恩義」があるからこそ親に対する孝行が生まれる。感謝の気持ちが湧く。大事な乗り物を作ってくれたエンジニアだから、思い入れもあるのは当たり前なのだ。また、長く一緒にいると情も湧く。そんな原始機能も人間に備わっているのは、まさにカラダの親に配慮して付けてくれた機能に違いないのだ。
 親の話は長くなるので、この辺でやめておこう。ここでは、親はカラダの親であって魂の親ではない。つまり、自分の本当の親ではないということになる。魂を作った者こそが親であるから、本当の親とは人間の創造主であることになる。な、太古の昔より、不老不死の薬を求めてきた歴史はあるが、そんなことしなくても魂は不死だ。乗り物維持のための薬を探していたことになる。が、それは無理だ。乗り物は劣化するように作られているのだから。
 だから、今世の乗り物も大事にしないとな。壊れたら終わりだから、しっかりメンテナンスしようぜ。脳も含めてな。今世の乗り物は、魂がどう使うかによって、駄馬にもスーパーカーにもなり得る。スーパーカーにするためにカラダを鍛えるのは、理にかなっている。栄養バランスのよい食事と運動でかなり鍛えられるだろう。そして、ストレスを減らさないと、脳が反乱起こしてカラダをいじめにかかるから、考え方も鍛えないとな。ここも重要だ。
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