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アニキの「正義論」(1/4) ~「思い込み」という名の洗脳~ [哲学]

 正義は立場によって変わる。これがわかってない人が非常に多い。自分側の正義だけが正義だと勘違いしている。相手側の正義は認めない。これは勝手な思い込みであり、考え方を変える必要がある。じゃあ、正義とはなんぞや?という話からしていこう。
 アニキが子どもの頃のマンガやヒーロー物では、必ず正義の味方が登場し、悪者をやっつけた。ヒーローが悪者をやっつけるその姿を見て、子どもはかっこいいと思った。悪者はすべて「悪」であり、正しいのは常にヒーローであった。これは実は洗脳の一種であり、仮面ライダーなんかでは、ショッカーは完全に悪の象徴だ。しかし、果たしてそうだろうか?ショッカーは本当に悪いのだろう?悪いところしかテレビに出てこないから悪なのであって、実はいろいろとショッカー側の理論で世界の将来を考えているかもしれないのだ。よく考えればわかるだろう。ショッカーだってサラリーマンで、仕事が終わると覆面取って家族の元に帰るのだ。その子どもにとってはショッカーも立派なお父さんだ。
 まあ、それは置いておこう。そう、「世界征服を狙う」という思想自体が悪なのであろうか?世の中の指導者、各国の統治者は、あわよくば世界征服も狙っている。口には出さないが、できればそうしたいと思ってる。特に大国のトップはそう思ってるはずだ。アニキは何が言いたいのかというと、ショッカーの世界征服の内容にもスポットを当てるべきなのだ。もしかすると、ショッカーが世界を征服した方がよいことがあるかもしれないのに、仮面ライダーはただそれを阻止しようとする。仮にショッカーが世界征服したなら、仮面ライダーは悪の象徴となる。それが世の中だ。なのに、仮面ライダー側からしかスポットを当てないから、正義は仮面ライダー側で、悪はショッカーと映ってしまうのだ。
 ところがその後、ヒーロー物でも相手側の正義も取りあげる物語も出てきた。アニキの思い出すところでは、機動戦士ガンダムだ。ガンダムは敵側の心理なんかも描写されていたから、正義がぐらつくことになる。敵がかっこよく見えることもあり、「俺は敵の方が好きだ!」という風になるのだ。この辺りから視聴者は、「あれっ?」と思ってきたのだ。敵側の論理にもスポットを当てるヒーロー物が、それ以降どんどん出てきた。平成に入ってからの仮面ライダーなんかはまさにこの典型だ。敵側の正義がクローズアップされるもんだから、どっちが正しいのかわけわからなくなる。大人はよく理解できるのだが、子どもには非常に難しい展開だ。結局子どもは、ストーリーが複雑すぎてよくわからなくなり、戦い場面のみでおもしろがる。大人にはとても興味深いストーリーなので、深く考えてしまうおもしろさがあるのだ。この傾向は年々強くなってきて、今では必ず敵側の心理描写や正義などを取りあげるようになっている。物事は両面から見る。これが正しい形であろう。
 昔のヒーロー物では、勧善懲悪を掲げて、しかもヒーロー側の一方的な論理でのみ物語を展開していたから、怪獣が悪であることに何の疑いも持たない。これを昭和30年代から植え付けられていた我々は、まさに一方的論理でじか考えられない人間になってしまったのだ。これはまさに洗脳であり、日常生活の中においても、「自分が正しい」という思い込みとなる。そこには何の疑いもない。
 現代人に、「相手の主張に耳を傾ける」「相手の話を聞く」という基本的な姿勢がないのはこのためである。

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掃除が己を変える(4/4) ~極めるは「そうじ道」~ [哲学]

 これらは掃除と直接関係ないと思いがちだが、そう思う奴は何もわかってない。掃除の意識レベルは最低で、そんな奴に何を説教されようが、説得力のかけらもない。言ったはずだ、「掃除とは場所をきれいにすることではなく、心をきれいにする」という理念があれば、掃除が終了したときのチェックにおいて、こういった品格を落とすような状態を見逃すはずがないのだ。
 アニキは何が言いたいのかというと、掃除や整理整頓ができていないと、会社の品格が疑われ、社長のレベルを疑われ、女性のレベルが疑われる。掃除や整理整頓一つできないような会社と付き合いたいと思わないってことだ。言わば、掃除は会社の鏡であり、会社の恥部のすべてがここに映し出される。掃除や整理整頓の評価は簡単だ。なぜなら、掃除を評価するのは減点主義で、できて当たり前なのだから、できていないとマイナス点だ。人間は「人のあら」はよく探せるから、目につくマイナスポイントなどはすぐに出てくる。だから、会社は品格を保ちたいなら、こんな大事なポイントを疎かにできるはずがない。なのに、ほとんどの企業は掃除を自分たちでやらない。掃除の会社が魂入れて、人の会社を掃除すると思うか?それ自体がどうかしている。会社はまず、利益を追求するより先に、掃除を追求すべきなのだ。それをやらないから、社員の心が汚れてゆく。心をきれいにするという行為をみすみす放棄しているのだから、心は汚れる一方である。心が汚れてゆくから、社員の心が荒むのだ。社長や上司が自分と同じ方向を歩いてないと考えるようになり、不信感が募る。それが垢のように退職の日まで積もるのだ。こんな会社でいいわけがない。
 であるならば、心の垢落としは必要だろうということだ。積極的に掃除に取り組めよということだ。そして、社長は自らが掃除の指揮を執り、「掃除もまともにできない奴に仕事ができるわけがない!」と一喝する。それに呼応する社員は、真剣に掃除をするようになる。まるで掃除は自分との戦いだ。そして、それが昂じると芸術の域まで高めようとしてしまうのだ。自分が納得するまで掃除を終えることはない。まだまだ足りないという境地に達する。これが「そうじ道」で、これが日本人の生き様である。「もう充分だ」という意識があるならば、そうじ道を全然理解していないのだから、まだまだ未熟者だと自分に言い聞かせなければならない。
 ここまで言えば、明日からの掃除の心構えが変わるだろう。

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掃除が己を変える(3/4) ~会社の品格が見える~ [哲学]

 じゃあ、掃除を疎かにする会社は一体なんなのだ?心を疎かにしているのだが、そのことに全く気付いていない。その理由は、信条や理念といった軸がないからだ。あったとしても軸がぶれまくっている会社のはずだ。特に、社長の軸がぶれまくっている。「仕事と掃除」、これらはすべて共通した概念である。たかが掃除だが、されど掃除だ。掃除の様子を見るだけで、その会社のレベルは測れてしまう。要するに、どんなに立派なビルに事務所があっても、どんなに業績が良くても、その会社の掃除を見ただけで会社の格はわかってしまう。それだけに、掃除を侮ってはいけないはずなのだ。
 商売人は絶対に掃除を軽んじることはない。そういう風に教育されてきたからだ。だから、先にも述べたが、店主らが一番目立つ場所を掃除し、道行く人ににこにこ笑いかけながら挨拶することを怠らない。規模は違えど、社長や店長と名の付く人は見習う必要がある。決して個人を相手に商売している人だけの話じゃない。ここがわかってないから、トップは部下から尊敬されないのだ。逆に、前述のトイレをひたすら掃除する社長、一途に掃除を仕事以上に重要視する上司、彼らが尊敬されないわけがない。
 最初は、なぜここまで掃除が大切なのかわからない。その答えはやってみればわかる。社長がひたすら掃除する姿を眺めていても、その答えは見つからない。何でもそうではないか。野球だって水泳だって、本を読んでわかった気になっても、いざ自分でやった時初めて、その難しさに気付くものだ。それと同じだ。だから、真剣に取り組むその意味がわからないなら、自分も同じことを真剣にやってみればよいのだ。
 個人だけの話ではない。掃除は会社の品格をも試す。会社を訪れる第三者、つまりお客さんは、掃除がされているかどうかを見る。見るというよりは、自然と見えてしまう。例えば応接室に案内されたお客さんは、その会社の品格を測る。掛かっている絵が曲がっているとか、日めくりカレンダーの日付が二日前のままだとか、電話器のコードがよじれてるとか、ブラインドを上げている高さがまちまちだとか、数えたら切りがない。お客さんは常にこういった事例において、会社の品格を見ている。そして、だらしない会社だという印象になり、社長がダメだなという風になる。さらに、「この会社に女性は一人もいないのか?」となる。女性には悪いが、これが現実だから聞いてくれ。
 女性は美の象徴だ。美しいものを愛でる性質は、男の比ではない。生物的にそうなのだ。綺麗な花に感動できるのは女性だ。男は「きれいな花だな」と思うかもしれないが、感動するまでに至らない。美味しい物を食べた時もそうだ、女性ほどの感動は男にはない。そんな、きれいを感動できる生き物であるから、整っていないことには男よりも敏感で、気づき易いのだ。だから、「女性はいないのか?」という発言に繋がる。そこから、女性の教育もダメだなという印象を与えてしまう。どんなに美人が来てお茶を出されても、電話器のコードがよじれていれば、幻滅なのである。

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掃除が己を変える(2/4) ~掃除から悟れること~ [哲学]

 だから、社長は自らが先頭に立って掃除を指揮するぐらいにならないといけない。特に大事なのは、一番目立つところを掃除することだ。会社の入り口だ。それも、会社の敷地だけでなく、道路までも掃除する。公共の場まで踏み込んで掃除することをやらねばならない。さらにもっといいのは、道行く人ににこやかに挨拶するのだ。「おはようございます」「いってらっしゃい」だ。通りすがりの知らない人に対してこれをやる。最初は気味悪がるかもしれないが、徐々に人は慣れてくる。自然と会社の評判が上がり、業績も落ちることはない。これはひとつの例であるが、上を目指す会社の社長は、決して掃除を疎かにしないものだ。
 また、アニキが知ってる社長には、トイレ掃除が日課の社長がいる。この人もすごい。結構な時間をかけて丁寧にトイレを掃除する。それを何年も毎日やるのだ。従業員はその姿を見て、どう思うだろうか?「社長なんだから、トイレなんか掃除せずに、もっとやることがあるだろう」と思うか?そうじゃない、従業員も真剣になって自分の持ち分の場所を掃除するようになるのだ。その結果どうなったかだが、掃除に時間を取られて業績が落ちたと思うか?その逆だ。従業員の心が一つになり、目標に向かって進むことになる。掃除という単純作業を真剣にやるだけで、人の心は変わる。真剣にやればやるほど、まだまだ足りないという感情が生まれる。掃除してない場所が気になり、そこをもきれいにしようという意識が芽生える。人はさらに一生懸命に取り組むことになる。
 この掃除に対する取り組み姿勢が、仕事に乗り移る。楽することからは何も生まれないという意識に変わる。この相乗効果が会社を常勝させることになる。その時の相乗効果とは何か?実はこれこそが、掃除の秘密である「心をきれいにする」ことの効果なのだ。
 掃除を真剣に取り組むことにより、いろんなことが理解できるようになる。掃除した場所には愛着が湧き、掃除してない場所が気になってくる。また、壊れた物や放置されたゴミなどが気になるようになると、物を大切にする心が生まれる。そして、汚さないように工夫する。自分で掃除するから、汚さないように使うという心も生まれる。で、汚さないようにしているのにも関わらず汚れる場所があることがわかる。なぜここだけ汚れるのだろうか?ということに関心がいく。トヨタなんかもよく言ってる。汚れた場所に問題があると。これも掃除の極意に繋がっている。汚れが溜まる場所というのは、機能していない場所だ。人が見落としている場所だ。そんなことも理解が深まるとわかるのだ。

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掃除が己を変える(1/4) ~掃除の本当の目的~ [哲学]

 掃除とは、場所をきれにすることではない。そう思って今まで掃除していたなら、その認識を改める必要がる。掃除の本当の目的は、「自分の心をきれいにする」ことだ。この事実を知ってる人は非常に少ない。このことがわかってないから、掃除をさぼる人がいたり、手を抜く人が存在するのだ。
 本来は、小学校からそのことをまず教え込むべきなのだが、それができてないから、「掃除は場所をきれいにするだけのもの」と思い込んで、そのまま大人になる。そうではなく、「掃除は心をきれいにするもの」とわかっているなら、掃除会社なるものに頼むというのは、どう考えてもおかしいのである。掃除を掃除会社に頼んだり、人に頼んでいるようでは、掃除の本当に目的がわかっていないし、自分の心も決してきれいにならない。掃除会社に頼まないにしても、掃除中に手を抜くなんぞはもってのほかである。この精神がわかっていると、5Sなんかは意識しないでも自動的にできてくるのだ。5Sが難しいとか、工員が5Sを守らないなどと語る管理者は、そいつ自身が掃除の意味を全く理解していないから起こるだけの話である。「ウチの社員はいい加減な掃除しかしない」などと他人に話す社長や管理者は、「アンタが掃除の意味を部下に理解させてないんだよ」と言いたい。そして、「アンタが真剣に掃除してないんだよ」ということだ。社長からしてこんな考えなら、いい会社なんかになるわけがない。掃除に対する愚痴はそのまま言った本人に返ってくるのだ。そういう深い意味がある。つまり掃除とは、心をきれいにする精神修行であり、管理者のレベルを測ることができる最高の指標なのである。
 その主旨から考えると、社長は掃除の時間にふんぞり返っている場合ではない。社長は当然、自ら掃除しなければならない。なぜなら、心を一番きれいにしなければならないのは、社長であるからだ。社長は会社の心そのものでもあるからだ。世の中の見方は、「会社の評価=社長の評価」だ。会社の前にゴミが落ちていたら、「この会社は大したことないな」じゃない。「ここの社長はだらしないな」という見方をされるのだ。そんなことすら気がつかないような自覚のない人間が社長をしている会社は、悪いが必ず衰退する。そうじを疎かにするような社長は、人の心を疎かにしているのと同じであり、真の人の心がわからない。商売そのものがわかってない。表面的には穏やかないい人でも、人の心はわかってない足らずの人間だ。厳しいことを言うようだが、それは当たり前だろう。
 人の上に立つとはそのぐらい厳しいものなのだ。

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サラリーマン女性の「若さを保つ秘訣」(3/3) ~呼び名作戦~ [哲学]

 だから、男達は女性に苦労させてはいけないのだ。男は、女のストレスをとってやるために存在してるはずなのに、逆に男がストレスをかけている。この事実をしっかりと認識して、女性達が老けてゆくことにストップ協力しなければならない。いや、もっと女性が若くいられることに協力すべきなのだ。じゃあ、どうすればよいのか?何をしてあげればよいのだろうか?職場の女性達が若さを保つために男達ができることなんかあるのだろうか?ここで、いかがわしいことを考えた男は多いんじゃないかと思うが、そんなことをしなくてもいい。実は、もっと手軽にできる効果的な事がある。次に紹介する方法は若さを保つのに絶大な効果を発揮する。
 それは、職場の女性の名を呼ぶ時の呼び方を変えるだけでできる。実は、女性は下の名前で呼ばれると年を取らない。だから、会社なんかでは、女性を姓で呼ぶのではなく、下の名前で「〇〇ちゃん」と呼んであげることを薦める。これはなぜだかわかるか?アニキ哲学で説明するとこうだ。ほとんど女性は若い頃、下の名前で呼ばれて育った。子どもの頃から社会人になるまで。名字(姓)で呼び合う友達はあまりいなかったはずだ。これがどういうことか、アニキ哲学を好きな人ならもうわかるな。そう、脳を騙すのだ。脳は子どもの頃にその本体(カラダ)がなんと呼ばれていたか覚えている。子どもの頃のその呼ばれ方を脳は記憶している。脳はその呼び名から昔を思い出し、その頃のカラダの状態を思い出す。脳の働きが子どもの頃のコントロールに戻るのだ。要するに、脳に子どもの頃に戻るスイッチを入れてやるのだ。脳にタイムスリップが起こる。子どもの頃に戻った錯覚に陥って、肌や体の状態を子どもの頃のそれに戻そうとする。「職場の女性を下の名前で呼ぶ」という単純な行動なのだが、体に受ける影響は絶大なのだ。
 でも、下の名前で呼ぶなんて、女性を上から目線で見ているようで気が引けるというなら、女性に訊いてみればいい。下の名前で呼ばれると若さを保つことができると言われているんだけど、どうする?と。大概の女性は下の名前で呼ばれることを選ぶはず。気後れするのは、お局さんを呼ぶときだ。実は、アニキの経験上、お局さん達がそれを喜んで受け入れてくれる。まあ、年上の女性を「ちゃん付け」で呼ぶのは対外的にも問題あるだろうから、その場合は下の名前を「さん付け」で呼べばいい。年下の若い男から“〇〇さん”と、下の名前で呼ばれると、不思議と女性は美人になってゆく。効果はそれだけじゃない。お局さんの厳しさが和らぐというオマケ付きだ。お局さんの毒気を抜いてくれるから、彼女達は機嫌良く仕事ができるようになる。
 さらに、社内の雰囲気が明るくなる。女性との距離感が縮まるから、コミュニケーションが取れるようになり、不思議なくらいスムースに日常の業務が進む。こんな簡単な行動で、いろんな良い効果を生む「下の名前作戦」だ。やらない方がおかしい。今までの罪滅ぼしだと思って、男共はやってみてくれ。アニキはやってきたが、この効果は本当にスゴイ。これだけ本が溢れている世に中なのに、そんなことが書かれている本をアニキは見たことがない。世の精神論者は何をしているのか!
 世に中はちょっとしたことでよい方向へ向かうもの。そんなことが実感できる技である。女性が若々しいと、男もうれしいよな。ということで、奥さんも下の名前で「ちゃん付け」で呼ぶことをオススメする。アニキはそうしているよ。

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サラリーマン女性の「若さを保つ秘訣」(2/3) ~女性の老化は男の責任だ!~ [哲学]

 話を戻そう。要するに、笑顔になると脳から出るホルモンが変わる。これは、アニキの過去ブログ「脳の謎」でも話したと思う。そういうことだ、いいホルモンが出て、カラダの酸化、つまり老化を遅くする。「なんだ、じゃあ明日から笑顔だ」と短絡的に思うだろうが、そうは簡単にはいかない。笑顔を作るのは簡単だ。ただ笑えばいい。難しいのは、笑顔の継続だ。これは、一度作った笑顔を持続しろということではない。嫌なことがあっても笑えということだ。面白くないことがあっても、腹が立つことがあっても、それを許して笑えるかということなのだ。特に女性は毎日いろんなことを考えて、頭の中はいっぱいいっぱいだ。そういう生き物だから仕方ないのだが、少しは何とかできる。
 今、「許す」ということが一部でブームになっているよな。「笑える」ということは、相手を、又は自分を許せるかということと同じだ。これができるかどうかで、若さを維持できるかどうかが決まる。笑顔という手動スイッチをONにできる人のみが、若さを維持できるのだ。
 毎日、予期しない腹が立つことばかり起こるよな。それは当たり前だと思わなくてはならない。この世は修行なんだから、楽しいことなんか起こること自体が変だと思っていれば、大して腹は立たない。そんな世の中だ、果たして笑顔を出し続けることができるのかにかかっている。かなりハードルは高いのだが、トライする価値は絶対にある。老化にブレーキかけたければ、がんばって笑顔の毎日をおくるのだ。笑顔が老化ブレーキのスイッチだ。まずこれを覚えておいてくれ。これは、自分で実行することができる若さを保つ秘訣だ。無理して笑い続けてもいいのか?という疑問もある。その指摘は正しい。笑顔の真の意味は「心から笑う」という行為が必要だが、ますは形からというのがアニキ理論だ。笑顔のスイッチは心の笑顔のスイッチだが、簡単にそのスイッチは入らない。まずは笑顔で形を作れば、心から笑おうという気になってくるもの。じゃないと、女は現実主義者だから、「私、何やってるの?バカじゃん」となるわけだ。そうなるから、笑顔という形から入り、笑う理由を探しだし、まあ、これで笑おうかという大義を作り出す。この行為こそが笑いのスイッチである。女性はいつも理由を探す!これが真理である。
 サラリーマン女性は、男以上に会社でのストレスは多い。特に人間関係がややこしい。そこをうまくするりとかわしながら日常を過ごさなければならない。本当に「ご苦労様」なんだな。そんな、苦労している女性サラリーマン達に、男はエールを贈らねばならない。なのに、男達は自分らの方が忙しいと勝手に思い込んで、職場の女性に冷たい。それで余計に女性はストレスが溜まり、女性の顔から笑顔が消えてしまうのだ。彼女達は万年給料は上がらず、昇格もないんだぞ。男達、いやそこの上司はバカだから、全くわかってない。この話はアニキも熱くなるから、今はやめておこう。
 つまり、職場の女性が老けるのは男の責任だと言っておこう。女性の笑顔を消すようなことをするから女性は老ける。さらに男達は、職場の女性が老けてゆくのは自分達のせいだと思ってない。それで女性は溜まったストレスを解消するために、仕事を離れたら自分の好きなことやおいしい物を食べ歩いたりする。だから、ストレスを緩和するようなモノが世の中に溢れて、世の女性の人気を博しているから、それが普通なんだと思い込んでいる。 
 しかしアニキは言いたい、「そこで納得する場合ではない!」と。そんなことをやる前に、自分達にストレスを与え続けている男共に、償わせてもいいのだ。私の若さを返せ!と言って。彼らが奪ったのは間違いないのだから。

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サラリーマン女性の「若さを保つ秘訣」(1/3) ~若さのスイッチ~ [哲学]

 女性は若い方がいいよな。美人な方がいいよな。そんなのは当たり前すぎて、議論にもならないだろう。女性本人もいつまでも若いままがいいに決まってる。年なんてとりたくないはずだ。しかし現実はそうはいかない。生まれた瞬間から老化が始まる。人生の前半部分は成長と呼ばれる老化だが、後半部分は老けてゆくだけの老化だ。なんとか食い止めたいがために、皆、一生懸命努力する。女性は特に美容に気を遣う。そこで発生する美容市場はとてつもなく大きい。でもそれは、表面をよくするだけの話で、老化は内面から起こることが全くわかってない。表面をよくすることばかり考えているから、物事の本質が見えてない。
 内面というのは、内臓を鍛えるという話ではない。内臓の美容ではなく、内面とは心だ。心の美容を指す。心が汚くて、真の美容などありえない。まずは、心をきれいにすることが最優先なのだ。自分は心がきれいだからと思うだろうが、果たしてそうだろうか?本当に心がきれいな女性は、なかなか老けないのだよ。年齢より老けてると感じているなら、心の汚れを気にした方がよい。心の美容はだれでもできて、しかもタダだ。こんなお手軽な話はないのだが、それを継続するのは難しい。じゃあ一体、それは何をすることなのか?
 やることは簡単なのだが、継続するのは難しい。それは、「笑顔」だ。なーんだと思うかもしれないが、侮るなかれだ。人間の体の機能の調整は、笑顔がスイッチだ。そう、老化にブレーキをかける役割のスイッチは、「笑顔」である。
 ちょっと話は逸れるが、大事な概念が出てきたので、「人間のスイッチ」について少し触れておこう。アニキ哲学の探求のひとつに「人間のスイッチ」というものがある。これは、人間がその本来の機能を発揮しようとする時、必ずスイッチが作動するということである。この人間のスイッチは、自動制御にセットされている。人間の作ったものには、すべてボタンのようなスイッチがあるが、創造主が作るものにボタンのようなスイッチはない。すべて、自動制御になっている。人間に備わるすべての原始機能には、必ず「あることをする」と、そのスイッチが入るようになっている。それが、老化ブレーキの場合は笑顔である。過去ブログ「女は何を求めるか?」の中でも出てきたのを覚えているだろうか。男の超人化のスイッチは「女の期待」であると。このように、すべての機能にはスイッチが隠されているのだ。別に、自動制御にセットされているから、気にしないでもいいのだが、手動に切り替えて、自由自在に操ることも可能だということは知っておいても損はない。特に、老化という原始機能には逆らえないのであれば、少しでも遅くなるように手動でブレーキをかけた方がいいんじゃないのかな。自動にしたままでは、加速はすれど、なかなかブレーキはかからない。
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女性は何を求めるのか?(6/6) ~「頼る」と「守る」~ [哲学]

 このシリーズの冒頭でも言ったが、キーワードは「守る」だ。まず、好きなら守るよな。女を守るのが男の仕事だ。最近、女性に守られてるような男が目につく。それは違うだろうって話だ。守るという意味では現代社会では理解しにくいかもしれないから、「頼る」という言葉に置き換えてもよい。男は常に頼られてこそ、実力を発揮する生き物だ。男の心は、女に頼られると異常な力を発揮する。自分の実力以上の力が出せるように作られている。実は、ここに男の秘密が隠されている。男は、女性を守る若しくは女性に頼られると、脳が独りでに動き出す。実は、男のスイッチがここになるのだ。つまり、女の期待が男のスイッチだ。人間のスイッチについてアニキは長年研究してきた。火事場の馬鹿力的な力を発揮するスイッチはどこにあるのだろうか?と。もちろん、危機的状況ではスイッチは独りでに入る。そうではなく、日常的に超人的な力を発揮できるスイッチがどこかにあるはずだと、アニキは踏んでいたのである。そのスイッチは自分の中にはない。なぜ、世の中には男と女が存在するのだろうか?実は男にとって女は、超人に変身するためのスイッチであるのだ。こう考えると、男と女が存在する理由が腑に落ちる。
 過去ブログ「男は絶滅する」でも話したが、男は女を守るために突然変異した異種である。そのDNAは、すべての男に今でも引き継がれている。それは現代でも有効に機能している。そして逆に、女には、守ってくれる男に惚れるDNAがある。
 ならばだ、女性に頼っている男ってのは、その女性を本当に好きじゃないからだ。本当に好きなら守りたくなるはずであり、惚れた女に対するケジメだろう。一番わかりやすい例では、男にとって「頼る」というその行為の対象は「母親」である。最終的には母親も弱ってくるから守る対象となるのだが、若者にとっての母親とは守る対象ではなく、頼る対象だ。男にとって母親は恋愛の対象ではない。この世で唯一、頼るための女性だ。だから、女性達は早く気付かなければならない。自分を母親代わりにしているということに。
 ここは女性に言いたい。これはどういうことかと言えば、あなたの男が他の女性を探すということだ。女性に頼っている男は、その女性を母親のように見ているのであり、守りたくなる対象(彼女)を他に探すということなのだ。女性達はここに気付くことが肝心だ。好きな男に自分が頼られていると思うなら、悲しむべきである。決してうれしく思ってはならない。その男に必ず捨てられるからだ。
 話を戻そう。男は自分が守るべき対象を探す。女は逆に、守ってくれる男を探す。そして女はいつも余裕がないから、自分の代わりに答えを出して安心させてくれる存在を願う。これが「女の目線の先」である。イケメンだとか、頭がいいなんてのは、物事を目で見ている証拠だ。アニキはいつも言うよな、「物事は目で見るな、人の話は耳で聞くな!」と。これに関してもそういうことだ。おっと、女性への説教はこのくらいにして、男の話に戻そう。男は、女の口から出るその言葉をそのまま聞いているからいつまで経っても美人をものにできないのだ。女はブランドのシャネルやジャニーズを本当に望んでいるわけではないのだ。
 自分の好きな美人が何を求めているのか?常にそのことに耳を傾けなければいけない。自分が好きな女性のその生い立ちや魂レベルをも鑑みて、考察しなければならない。「好きな彼女にとって、今世の修行が何なのか?」ということを。本人も気付いていないそこが、その女性にとっての「真の目線の先」である。
 
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女性は何を求めるのか?(5/6) ~男は「余裕」~ [哲学]

 まず、「女の目線の先を見ろ」ということは、ターゲットの女性の嗜好を探るにすぎない。「ああ、そういうものが好きなのか」程度の理解でいい。で、次に、「ターゲット女性の目線の先に自分を置け」ということを実行してゆく。これは、要するに自分を気になる存在にさせることだ。自分にロックオン状態を作ることを目的とする。このロックオン状態とは、自分を気になる存在にさせることを目指すのだ。何度も言うようだが、追いかけるのではなく引き寄せるのだから、相手の目線に飛び込んでいくのではなく、相手の視線が自分をとらえるように動く。どうするのか?それは、相手の心に入り込むことを目的とする。多少時間はかかるのだが、これが最初の目的だ。
 相手の心に入り込むにはタイミングがある。まずは機会を狙うのだ。女性はいつも、頭の中も行動予定もいっぱいいっぱいだ。女はいつも余計なことを頭の中で考えているから、ヒマでも頭の中はいっぱいいっぱいなのだ。女性はあまりくだらない話に乗ってこないのは、これも頭の中がいっぱいいっぱいで、全く余裕がないからだ。だから、新しい発想も出にくい。パズルやクイズが弱いのもそれが要因だ。アニキは何が言いたいのかというと、女性の頭の中はいつもいろんなことでいっぱいだ。しかも、その多くはマイナスなことが多くを占める。男はけっこうお気楽だから、そんな女性の心情を察することができずに嫌われるケースを体験した男も多いことだろう。女に向かって「なんだよ、そんなの大したことないじゃん」なんて、軽はずみなことを言ったことないか?まず、嫌われただろうな。
 つまりだ、女の視線を追えとは、そのターゲットの女性の心の谷間を狙って入り込むことだ。胸の谷間じゃない、心の谷間だ。女はマイナスなことが頭の中の多くを占めている。だから、いろんなキッカケで簡単に落ち込むのだ。そのタイミングを見極めて入り込む。大縄飛びと同じだ。やみくもに近づいても、はじき出されるだけだ。大縄飛びのように、回転する縄の速さに自分のタイミングを合わせ、一気に入る。これと同じで、落ち込んだ瞬間を見逃さず、悩みの相談窓口となるのだ。これが心の崩しだ。
 崩しとは、「柔道の崩し」と同じだ。技をかける前に、相手のバランスを崩す。これができなければ、相手を技にかけることはできない。倒せないのだ。柔道のすごさは、小さな人が大きな人を倒すことができることだ。しかし、すべてはこの「崩し」にかかっている。女性GETも同じである。タイミングを見て近づくのは相手を崩すことと同じだ。
 で、次にどうするか?なのだが、ここからは自分の人間性で勝負してゆかねばならない。下心はまだ置いておいて、女性の心の中枢に入り込むことを考える。そのポイントは、女性の原始機能にある。女性の原始機能の一つに、「余裕に憧れる」というのがある。元々、頭の中がいっぱいいっぱいな女性という生き物は、男が好きなのではなく、余裕を持った男が好きなのだ。自分と同じように、いっぱいいっぱいで余裕のない男は好きにはならない。もちろんお金もそうだ。財布に中身がいつもギリギリの男になんか興味はない。すべてに余裕がある男がいいのだ。過去ブログ「かっこよさの定義」でも話したが、そんな余裕のある男を目指さなくてはならない。余裕があることで、女は安心する。ここに女の心の隙ができる。女性の心の扉が少し開いた隙に、片足を入れるのだ。で、次にもっと扉を開いて半身を入れる作業となる。それは何か?

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女性は何を求めるのか?(4/6) ~女の視線を追え!~ [哲学]

 だから、気になる女性の気を引くことは当たり前であり、それは季節を問わない。動物は盛りの季節が決まっているが、人間は一年中が盛りだ。ここに、人間と他の動物の違いがある。他の動物の盛りの季節が決まっているのは、それが子孫繁栄のためだけの機能だからだ。しかし人間はそうじゃない。盛りがない生き物の目的を考えてほしい。そう、いつでも女を追いかけろということだ。そういう風に人間は作られているから、一途にそれを考えればいい。自分を、「なんて、卑しい人間なんだ!」と卑下する必要はない。堂々と女好きをアピールしていればいい。
 だが、年中盛りづいた犬のような男がかっこいいわけはない。人間は、盛りを表に出さなくてもいいようにも作られているのだ。脳がこんなにでかい人間という生き物だ。よく考えるべきなのである。そしてアニキは、「追いかけるより引き寄せろ!」と言った。ここを追求するのだ。じゃあ、そのためにはどうすればいいのか?ここが肝心なのだが、まず考えることは、「女の視線を追え!」ということだ。女が何を見ているのか?これを追求する。アニキのサラリーマン哲学「上司の視線を追え」と基本は同じだ。メディアや流行は常にそれを研究しているし、飲食店は女性客の気を引こうとサービスする。女性を引きつけさえすれば、男は自動的に漏れなくついてくるからだ。世の中はすべて、女性を意識して組み立てられている。だから、女の目線を学べ!と言いたい。女の目線のその先を見るのだ。女がどこを見ているのか?自分の好きな女性のその目線の先にあるものを考えるのだ。目線の先にはいろんなものがあるだろう。人の嗜好は様々だ。ファッションだったり、食べ物だったり、好きな芸能人だったりといろいろだ。ただ、ここで間違えないでほしいのは、アニキに言う「目線の先」とはこんなものではない。これらの具象物ではない。そんなことをここで話すのなら、何の意味もない。先人達が書いた女性GETのノウハウ本の方がよっぽどましだ。具体的な方法が知りたいなら、そっちを読むように薦める。アニキ哲学はそんな表面的な話ではない。
 アニキは何が言いたいのかというと、「自分の好きな女性の目線の先に自分が居るようにしろ」ということだ。果たしてこの意味がわかるだろうか?

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