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アニキの友達M君の悲劇 その1 [哲学]

 「考え方により人生の『幸・不幸』が決まる」というのが、最近の精神論の定説である。皆も一度は聞いたことがあると思う。今が「幸せだ」と考えられない人は、将来も幸せになれないという。アニキもこの考え方には同意できる。そう、幸せとは心の持ち方の問題だ。しかし、ここにアニキの一人の友達がいる。彼が経験したこの体験を通して、幸せというものを一緒に考えたいと思う。
 アニキが高校生の時の話だ。M君という友達がいた。M君はいつも周りから不幸だとよく言われており、本人もツイてないと日頃から口走っていた。ある日、M君がお昼を食べようと近くの食堂へ行った。そこで、カツ丼を食べていたら、1枚の紙が風に乗ってM君のテーブルに飛んできた。何だろうと思ってその紙を見ると、伝票であった。あっ、他のテーブルから飛んできたのかと思ったM君は、辺りを見渡し、伝票が置いてないテーブルを探した。そして、伝票のないテーブルを見つけたM君は、そのテーブルの人に、「伝票が飛んできましたよ。」と、親切に伝票を渡そうとした。そのとき、テーブルの男は、「何いってんだ、伝票がおまえを選んだから、おまえのだ。」と言いい、伝票を押しつけられた。理不尽なことを言われたM君ではあったが、テーブルの男が怖そうなおっさんであったため、しかたなくその伝票を払って帰ったという。
 ここからが問題だ。幸、不幸は考え方で決まると冒頭でも説明したが、この場合のM君は果たして幸せだったのか、不幸であったのだろうか。いいテーマであるから、皆で考えてもらいたい。どう考えても理不尽な話ではあるが、本人は「悲劇」とは言いながら、当時のネタとして喜んで友達に話していたのが印象的であった。ということは、彼は不幸とは考えていなかったのだ。お金まで支払ったが、自らが悲劇に巻き込まれたことに幸せを感じていた。しかしどうだろうか、一般の人は不幸と考えてしまうだろう。「なんで、俺が?」というのが正直なところだろう。
 M君にはこのような話があと2つあり、合わせて「M君三大悲劇」と呼ばれていた。シェークスピアの話より自分の方が悲劇だというのが、彼の自慢でもあったのだ。悲劇を幸せと受け止めるM君であったが、悲劇はその後何度も続くのである。精神論としては、「考え方で不幸の連鎖は止まる。」というのが定説であるが。何が言いたいかというと、アニキとしては、幸せになるには考え方の他にもまだ何か足りない事があるのではないか、ということだ。それは今後の話題として残しておこう。
 それと気になるM君のあと二つの悲劇についても、また次回紹介してゆきたい。

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