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アニキの友達M君の悲劇 その2 [哲学]

 「考え方により人生の『幸・不幸』が決まる」というのが、最近の精神論の定説である。皆も一度は聞いたことがあると思う。「今が幸せだ」と考えられない人は、将来も幸せになれないという。アニキもこの考え方には同意できる。そう、幸せとは心の持ち方の問題だ。しかし、ここにアニキの一人の友達がいる。彼が経験したこの体験を通して、幸せという概念を一緒に考えたいと思う。そこで今日は、M君三大悲劇のその2つめを紹介しよう。
 時代は今から32年前。アニキがまだ高校生の頃だ。ある日M君と一緒に帰るため、電車に乗った。アニキは千葉県人だ。当時の千葉はとにかくガラが悪かった。高校生の下校時間の午後4時台の駅のホームは、ヤンキーの巣窟だ。リーゼント、長ラン、ボンタンが流行った時代で、その時間のホームには一般人の姿はあまりない。しかもなぜか、ヤーさんもやたら多かった。海に潜ってる時に、頭上にサメがいて、足下にウツボがいるような感じを想像してくれ。そんな危険な時間のできごとだ。
 M君とつり革につかまり会話していた時、M君が急に「痛いっ」と声を上げた。何と、となりのオッサンがM君の足を踏んでいたのだ。しかも、足を踏んだまま動かないのだ。M君は文句を言おうとして、そのオッサンの方を振り返ったが、その瞬間動きが止まった。不思議に思い、アニキもそのオッサンの方を見ると、オッサンは見るからにヤーさん筋の人だった。逆にオッサンは、M君をギロッと睨むとこう言った。「俺が足を降ろそうとした場所に、足を差し込んでくんじゃねー。」「ころんだらどうするんだ!」と。踏まれたのはM君だが、とっさに「すみませんでした。」と丁寧に謝っていた。オッサンは機嫌が悪そうに足をどかすと、「気分が悪い!」と言い捨てて、電車から降りていった。M君が踏まれた足を見ると、学生靴の革靴にくっきりとオッサンの足形がついていた。そうなのだ、オッサンは容赦なく全体重をかけて踏んでいたのである。
 M君に大丈夫かと尋ねたら、「カラダが無事だったからよい。」と言った。この気持ちはわかんないでもない。その当時、腕っ節に自信のない学生がガラの悪い連中から身を守る手段としては、できるだけ目を大きく見開いて、真っ直ぐ前を見て歩くこと。それと丁寧な言葉遣いと礼儀しかなかった。これが身を守ってくれる。しかめっ面なんかとんでもない。ガン飛ばしただろうと、即ヤンキーに囲まれる。だから、普段M君はとても礼儀正しく対応するしかなかった。言わば、生きる為の処世術だ。
 何が言いたいかというと、M君のこの言葉は、決してプラス思考からの発言ではない。本当に、「その程度で助かった。」という心からの感謝なのだ。時はまだ1980年代だ。心の時代でも何でもない。危険を避けられた喜びをM君は心から感じていただけなのだ。
 そんな実直で礼儀正しいM君だが、実はこんな闇もある。M君は常に持病の胃潰瘍に悩まされていた。しかし、本人は胃潰瘍は友達だと言っていた。おかげで体育の授業がマラソンの時はよく休んでたし、授業中に眠くなると、突然お腹が痛いといって保健室で寝てマンガ読んでいた。ヤンキーに囲まれてもよく、胃潰瘍と言って助かっていた。しかし普段の姿は、自転車置き場の自転車の空気を抜いたり、子どもが食べてるアイスキャンディーを取り上げて舐めるなど、実に極悪非道な男なのだ。M君はそんなずるい性格の人間でもあったので、その身に不幸がよく起きていたのは当然と、皆思っていたのだった。その正体は偽善者である。実は同情には価しない。間違った見方はいけないので、M君の闇も付け加えさせてもらった。
 この裏話を聞くと、「悲劇というよりはバチ当りでは?」と思うかもしれないが、次回は「M君三大悲劇」の最後になるので、楽しみにしてほしい。彼をどう評価するかは、君たち次第である。

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