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女は武装する(8/14) ~美人の「美しさ」~ [哲学]

 平和な現代では、強靱な肉体も機転の利く頭の良さもあまり必要ない。それらは強者のしるしとはならない。それに変わる強者のしるしはお金だ。女はお金という現代の強者のしるしに惚れているだけなのだ。それが男尊女卑社会で生きてゆくのに一番楽で確実な方法だからだ。
 だが、これでいいわけがない。女性は皆、そう思っている。自分の母親の姿を見て、これではいけないと思う。なぜなら、昭和の頃の日本と現在では、その状況が大きく変わっているからだ。昭和の頃、家事を一生懸命にこなす姿には美しさがあった。
 アニキ哲学における美の概念は、姿形の美しさも当然だが、中身の美しさが伴ってなければならない。「中身の美しさ」、それは「魂」がこもっているかどうかだ。魂とは、簡単に言い換えれば「気持ち」だ。外側の美にふさわしい気持ち(魂)を持っているかどうかということだ。アニキはいつも口癖にように「物事を目で見るな、人の話は耳で聞くな。」と言うが、この意味は美人を見る時にも有効だ。目だけで見ると、容姿にごまかされて中身が見えない。物事は心で見て心で聞くのだ。心で見聞きするとはすなわち、行動で見ろということだ。人の気持ちや魂の善し悪しを見抜くには、その人の行動をじっと見つめていればよい。表裏のある人間には必ず心のバックヤードが存在する。表ヅラがいい人間には必ずバックヤードが存在する。バックヤードとはすなわち、自分の本音をさらけ出す場所だ。それは、家族なのか友人なのかネットなのか、人によって異なる。バックヤードなどない方がよい。この話は長くなるので、またブログで改めて紹介するが、ここで言いたいことは、「美とは、表と中身で作られる。」
 美人にしてもそうだ。ただ容姿が整っているというだけで美しいのはもちろんある。多くの人が見て「美人」だと言われる人は以下の話をよく覚えておいた方がよい。
 アニキは美人哲学にうるさい。アニキ哲学において、「美人とは才能」だ。美人は天賦の才だ。そんな才能を持つ人は、容姿だけで人を魅了するわけだから、その使い方を間違っていけない。その容姿に甘んじて人の心をもてあそんだり、人の心をキズ付けたりすると、天賦の才であるその美の期間は短いものとなる。さらに、その美が奪われた時のマイナスギャップに心が耐えられない。芸能人なんかも、容姿で勝負できる期間は短いだろう。それは、容姿ばかりに気を取られ、自分の心を磨くことを忘れているからだ。美人が枯れたときはじめて、そのことに気づくのだが、それではもう手遅れだ。女ばかりじゃない、男だって人ごとではない。「自分の顔は自分で作れ」と言われるのはそういうことなのだ。
そうならないためにも、美人こそ自分の行動に気を配らなくてはならない。自分の容姿に合った心の行動を取らねばならないからだ。美人であればあるほど、心のキレイさを求められる。それも「裏表なしに」という注文がつく。そう、バックヤードなしに行動する必要がある。そうしないと周りから、「顔は美人なのにね、性格がちょっとね」と言われる。美人は容姿を保つことに必死になるが、中身も磨かなければならない宿命を持って生まれてきている。出生前、そういう約束にて自分で美人を選んだ。美人ほどとても忙しいのだ。
 逆に美人じゃない人は、そんなに心を磨かなくてもよいから、気は楽だ。鼻くそでもほじりながら美人を眺めて、自分のペースでゆっくりと心を磨いてゆけば良い。

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