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「オーナー社長」という生き物の生態(1/11) ~オーナーとは?~ [哲学]

 「オーナー社長」、この言葉は日常よく耳にするはずだ。聞こえはものすごくいい。成功者という匂いがプンプンする。社長はやり手で金持ちだという雰囲気も伝わる。年齢が若ければなおかっこいい。頭も切れるというイメージのオマケ付きだ。だれもが憧れる存在だ。な、マスコミにはかっこうの餌食だ。創業者である本人もまんざらじゃない。いっぱしの成功した経営者だ。成金だろうが何だろうがそんなことはこの時代には関係ない。成功者として名を売ることができる。しかし、それはあくまでも表向きの話である。世の中すべて、表舞台と舞台裏が存在する。オーナー社長がかっこよく見えるのはあくまで表舞台から見た場合の話であり、裏舞台では悲惨なケースが多い。従業員がいる側が舞台裏で、お客や外部が表舞台だ。それは、オーナー社長も創業段階ではただの未熟者であり、この時はまだ人間という生き物の領域にかろうじて残っている。それが、時が経つにつれ、人間から別の生き物へと変貌を遂げることになる。姿形は変わらないのだが、中身は完全に変わってしまう。自分がサラリーマンだったときのことを忘れ、傍若無人に振る舞う様を、アニキ哲学では満身創痍にあやかって、「慢心相異」と呼ぶ。
 このオーナー社長とは、ルールでガチガチに縛られたサラリーマン社会において、唯一何でも許される存在だ。自分に会社においては、万能の神であるが、こいつは人間であって人間じゃない。人と同じ形をしているが、別の生き物である。頭の中身の構造が全く違うのだ。アニキの人類分類において、オーナー社長は一般の人間と区別する。特にこの日本においては、この違いは大きい。
 人間は本来、脳と心を自由に使うことを許された生き物だ。しかし、それを野放ししておくと、一人一人が身勝手な行動を取ってしまう。そんな身勝手連中ばかりでは社会の統制が取れないと考え、羊の群れを作ることを始めた。それが効を成して、現在の日本が存在するのだが、どんな組織においてもこれは都合がよかった。
 過去ブログ「サラリーマンの謎『評価』」の中でも少し触れたが、オーナーほど勝手な人間はいない。世の中、会社の創業者のほとんどはオーナーだ。それだけでかっこよく聞こえてしまうのだが、実はサラリーマンに適合できないために、自分で会社を飛び出して会社を興した連中がほとんどだ。やりたいことがあり、会社に居てはできないからとか、夢があるからとか耳障りのいいことを言ってはいるが、その正体はただのはみ出し者だ。しかし、侮ってはいけない。ただのはみ出し者じゃ、会社は興せない。はみ出し方がハンパじゃないのだ。つまり、はみ出すエネルギーの大きさが、常人のそれを超えている。その異常さのエネルギーが尋常でなく、身勝手さもサラリーマンの域をはるかに超えてしまう。ゆえに、サラリーマンという羊の群れに全くなじまない。
 与えられた牧草だけでは満足しない連中なのだ。

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