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女は武装する(9/14) ~「天女の羽衣」を纏え!~  [哲学]

 アニキはいつも言っているのだが、「かっこよさとはギャップ」だ(過去ブログ「かっこよさの定義」より)。容姿を磨いても限界があるが、心を磨くことにおいて限界はない。心はだれでも磨ける。美人じゃない人は、心を磨き倒せばそこにギャップが生まれる。それは、見た目はイマイチだが、心がキレイだというギャップだ。それがいかにかっこいいことなのか、皆はわかっていない。その効果はいきなりやって来ない。最初はまあ自覚症状もないくらいの感覚だが、実は霊感の強い人が見れば、それは違うらしい。暖かい光に包まれているらしいのだ。一般人にはそれが見えないのだが、実物をゆがめる効果がある。容姿全体が心のオーラで包まれることにより、実物の姿をゆがめ美人に見せてしまうというマジックが生まれる。この詳しいメカニズムについては、後日ブログ「物事は目で見るな、人の話は耳で聞くな」で話すことにするが、ここで覚えておいてもらいたいことは、見た目は心でゆがめることができるっていう事実だ。それは、人間は物事を目で見ているわけじゃなく、脳と心で見ているからだ。
 「なんであんな美人に、あんなブ男の彼氏がいるのか!」と憤りを感じたことはないか?そのほとんどはお金なのだが、それはここでは省く。それ以外の理由がある。その美人にとって、そのブ男が本当にかっこよく見えているという事実があるのだ。さらにそこには、一時的なものと恒常的なものが存在するのだが、間違いなくその美人にはイケメンに見えている。たで食う虫も好き好きと言った表現でお茶を濁してもよいが、心というオーラに包まれて現物の像をもゆがめてしまうマジックを否定してはならない。
 つまり、前回も話した通り、美人じゃなく生まれてきたと思うなら「心を磨け」と言いたいだけだ。今世の修業のひとつが心を磨くことだから、一石二鳥なのだ。美人じゃない人が心を磨いて内面美人となることと、美人が心を磨いて両面美人を目指すことは意味が違う。前者は元々魂レベルが高い。美人じゃなく生まれてくることを自分で決めてきたわけだから、美人の段階は前世まででクリアしている。今世は不美人の修業だ。不美人でいながら心を磨く修業を選んだわけだから、ハードルは高い。美人への嫉妬もあるだろう。だが、それも想定内の話だ。で、この世はうまくできている。ご褒美がきちんとある。心を磨いた者には、オーラを纏うことを許されるわけだ。心が綺麗な者だけが纏うことができる天女の羽衣だ。話は逸れるが、天女の羽衣っていうのは、綺麗な心が産み出すオーラのことだ。天女が美人なんじゃなく、心のオーラを纏ったために、現物の姿がゆがめられて、見る人が美人だと勘違いしてしまうことにある。な、目指すべき価値は存分にあるだろ。
 美人じゃない方がいろんな面で自由度が高く有利なのだ。

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