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人間の仕掛け各論「人間関係」(12/12) ~気の合う相手とは何者?~ [哲学]

 でもよく考えたら、人間関係って悪いだけじゃないよな。よい人間関係を築いている人もいて、人間関係にあまり苦労してない人だってけっこういるんだよ。その差はなんなんだ。そういう人は、たいてい今世で人間関係の修行に焦点を置いて生まれてきてない人だ。前世までの転生で、人間関係の修行はある程度終了したか、または今世は人間関係よりもっと大きな別の課題をクリアするために生まれてきたかのどちらかだろう。どちらにせよ、人間関係に苦労してない人は、間違いなく魂レベルが高い。まあしかし、口には出さないが、多少は人間関係で悩んでいることも事実であるが、どう対処したらよいかを意識しないでも勝手にできてる。なぜか、そんなに意識しないしないでもできてしまう。人間関係を修行しに生まれてきたのか、そうではないのかは、ここが大きな違いだ。
 そういう特別な人は置いておいて、大概の人は、人生が人間関係の修行であるのだから、自分の人生の行く手に立ちはだかる嫌な相手や気の合わない相手を早く見つけて、そいつをクリアすることに意識を集中させればよい。そして、自分はいままで修行ができていたのかどうかは、過去を振り返ってみればわかるだろう。人生の分岐点に必ず気の合わない相手がいたはずだ。もしそれを野放しにしてきたなら、その分ペナルティが科せられていて、カラダに悪いところがあることだろう。今、どこそこが痛いとか、どこそこ悪いとかの状態であれば、まずそういうことだ。これ以上ペナルティを科せられないように、今日からは逃げないことが重要だ。カラダの自由が利かなくなる前に、取り返しがつかなくなる前に、苦手な相手から逃げないことを誓うのだ。
 最後に少し説明したいことがある。もしかすると、この話の間中疑問を持っていたのではないかなと思う。それは、「気の合う相手とは何のために存在するのだろうか?」という話だ。気の合う相手は一緒にいて楽しいものだ。気持ちも楽だし、心もなごむ。そんな状態だと脳から出るホルモンもカラダにいいはずだ。でも、人間関係の改善が人生修行であるなら、気の合う彼らは意味のない存在となる。この世に極楽があってもしょうがないってことになる。学校でも社会でも、気の合ういい奴とは本当に意味のない存在なのであろうか?
 気の合う相手とは、心の休息だ。少し考えればわかることだが、世の中のすべてはジグザグに上昇する。相場も景気もすべては上下動の繰り返しで上がる。成績だって、好不調の繰り返しの中で上昇する。ゴムも張り詰めてばかりでは切れてしまう。伸び縮みさせてはじめてゴムの能力を発揮する。つまり、一瞬下に下がる時が必ずあり、そこで充電してまた再起することを繰り返す。この下がった時期は休息することが必要である。これも人間に仕掛けられた上昇のヒミツだ。仲の良い友達は休息のために存在することになる。
 実は気の合う人とは休息相手であり、創造主からみれば人生には必要はない存在だ。気が合うからといって、ソウルメイトではない。修行に関係ないわけだから、魂の世界ではただの他人なのだ。いい奴だから、また来世でも会いたいなと思ったところで、それは叶わない。来世で会えるのは、今世で気の合わない嫌な奴だ。人生を邪魔する奴、そいつがソウルメイトなのだ。ここに輪廻転生のおもしろさがある。
 ということだ。だから、気の合う奴とひとときの休息を過ごしたらまた、嫌な奴の元へ行って修行に励まなければならない。人間は全員そういう人生を仕掛けられているのだ。

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