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「優しさ」と「甘さ」(6/9) ~エビス顔に注意しろ!~ [哲学]

 前回の続きになるが、人生がムダになるから、エセ親分には絶対にはまるな!と言いたい。だから、カスの集まりに連れて行かれる前に、エセ親分を見抜くことが重要だ。しかし、夜、徒党を組んで祭り上げられているエセ親分より、社内にいる昼間のエセ親分を見抜くのはもっと難しいのだが、ここでも見抜くポイントをいくつか紹介したい。
 エセ親分は、社内では意外と仕事ができると評判の奴が多い。まあ、仕事ができない奴がいくら奢ってくれても、だれもついて行かないからな。常識と言えば常識だ。「仕事ができる」などと噂されてる奴が周りに居たら、まずはそいつをよく見てみることだ。うわべだけの優しさをまき散らして、えびす顔で穏やかな性格を演技しているのではないだろうか。これがまず、エセ親分の一つのしるしだ。これは、エビス顔という優しさの仮面で、仲間を集める。いろいろ親しみやすく話すその姿に、「ああ、いい人だなあ」と幻覚を見せる罠である。この罠を仕掛けられると、半端な輩はふらふら着いていってしまう。いつもニコニコして腰の低い輩には要注意だ。このエビス顔、アンコウのちょうちんのようなものだ。深海の闇の中の1点の光は、寂しい心をいやしてくれる。ちょうど、エビス顔と穏やかな言葉は、会社という殺伐とした深海に照らし出された1点の光だ。だが、これはアンコウと同じで罠なのだ。
 エセ親分のエビス顔について説明しよう。このエビス顔、とにかく、度が過ぎていることが多いのだ。長年のエビス顔は、堂に入った完成されたものなのだが、それゆえにおかしいのだ。普通のサラリーマンが年取った住職のような完成型のエビス顔のはずがない。家に帰れば、奥さんのいやみを浴びせられ、いうことを聞かない子ども達に辟易とする生活を持つ人間が、完成型のエビス顔のはずがない。だから、エセのそれは演技だ。だから、演技かどうかを見抜くことに集中することだ。人を見るのもサラリーマンの大事な仕事だ。できるだけ早いうちから、人を見抜けた方がいい。これは後日ブログ「サラリーマンの武器『人を見抜く』」で話そう。ここで重要なことは、演技であるエビス顔を見抜くことだ。
 演技であるエビス顔をじっと観察していると、ところどころでエビスが消えることがある。実はこのエビス顔は心からにじみ出たものではないから、時々消える。その消えた瞬間の顔をじっと観察すると、意地の悪い顔が浮かび上がる。このポイントを逃してはいけない。これが本性だからだ。エビスの仮面がはがれ落ちた瞬間だ。例えば、電話なんかで、電話の相手からムカッとすることを言われた時などに現れる。つまり、想定外の状況が突然訪れた時、エセ親分のエビス顔が消えるのだ。でも、さすがはエセ親分だ。すぐにエビス顔に顔を戻し、落ち着き払った態度で仕事を続ける。ここがポイントだ。しかし、中にはホンモノの親分もいるから、エビス顔だけではなかなか判別は困難だ。
 もう一度言うが、「完成されたエビス顔」であることと、突発に現れる「エビス顔が消える瞬間」を捉えることだ。

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