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親の謎「親の心、子知らず」(8/9) ~お子様よ、最後まで立て!~ [哲学]

 だから、「若い時の苦労は買ってでもしろ」なんて昔の人は言うが、これは程度の問題で、心が折れる程の苦労は経験しない方がよい。苦労した後に、「あのとき苦労したから今の自分がある」と思うのがよい。「なんで俺だけがあんな苦労しなくちゃいけないんだ」なんて思うような苦労は身を滅ぼす。軸を太くするような考え方ができる苦労がちょうどよい。考え方次第なのだが、大学生なんてまだガキだから、「人生は考え方次第でプラスにもマイナスにもなる」という稲盛さんの教えを理解できるわけがない。この考えがわかるようになるまで結構年齢を重ねてしまうものだ。
 だから親が、子どもにあまり苦労はさせないようにするのはこのためなのだ。子供は経験がないから、社会がどれほどの「嵐の海」なのか、その意味がよくわからない。中学卒業で社会に出るということは、職人の道しかない。職人を目指すという子供の夢に反対する親の気持ちは、前述のように子供の根性を侮っているのだが、ただそれだけではない。大志を持って職人の道へ進んだとしても、そこでの修行は一般のサラリーマンに比べてはるかに厳しい。一挙手一投足において厳しくやられる。それは、甘い環境の家庭で育ってきた子供にとっては相当の苦難だ。業務環境も相当ブラックであり、パワハラの毎日だ。昔の丁稚奉公のようなものだから、当然給料も安い。そんな過酷な環境で堪え忍び、生き残ればバラ色の人生も見えてくるだろうが、そこで生き残るのは至難の業だ。精神的におかしくなる者も多い。
 人生とは、最後まで立ってられた者が勝者だ。倒れたら終わりだから、倒れないようにすればよいのだが、サラリーマン社会とは違って、職人の道では遠慮なくパンチが飛んでくる。それもきついやつが急所を攻めてくる。で、膝をついたら負けで、悲惨な結末を歩むことになる。大卒のサラリーマンならそんな厳しいパンチは飛んでこない。たまに厳しいパンチも飛んでくるが、避けやすいヒョロヒョロなパンチやガードできるパンチも多い。それと、高校・大学まで進んでいくうちに、パンチのガードの仕方や避け方も学ぶ時間と機会が充分にある。しかし、中学卒には機会も時間もない。常にパンチを浴びながら学ばなければならないから、自分の根気と体力勝負だ。ギブアップする確立は非常に高いのだ。鼻血を出しながら冷静に考えるだけの頭の良さも要るのだ。
 そして、膝が地に着きギブアップした時、学歴がなければその後がないことに初めて気づく。他の選択肢という「つぶし」が効かない。ここに、職人の道の厳しさがあるのだ。寿司屋にしろ、大工にしろ、芸能界もそうだ、すべてが職人の世界である。サラリーマンなんて甘っちょろい世界じゃない。サラリーマン社会であれば、多少厳しさはあるものの、先輩や上司が手取り足取り教えてくれる。新人を潰してしまうと「部下指導の能力がゼロ!」というレッテルが貼られる。将来、管理職として通用しないということが汚点となるばかりでなく、その上の上司からもバツ評価を与えられてしまう。がしかし、職人の世界は違う。できない奴は潰してもかまわないから、着いてこられる奴だけ残せばいい。いきなり、処世術と根性を試される世界だ。
 以前のブログでも紹介したが、「サラリーマンの武器」の数々を、いきなり使わなくてはならなくなる。大卒サラリーマンのように、ちんたらと武器を磨いている時間はないのだ。

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