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人生の準備期間「学校」(番外編)上 ~足りないものを数えるな!~ [哲学]

 チョット付け加えたい話があるので聞いてほしい。アニキ達日本人は、当然のごとく学校へ行くが、海外へ目を向けるとその常識は通用しない。先進国じゃなく、発展途上国の話だ。そこでは、ほとんどの子どもは学校へ行けていない。学校に行くのではなく、家で仕事をさせられる。明日食べるために、今日働かなければならないからだ。だが、そんな彼らでも、その親は何とか学校行かせたいと思っている。できるなら、学校で勉強してもらい、家の手伝いで小銭を稼ぐのではなく、もっと稼いでほしいと思っている。自分達のような貧素な暮らしをできればさせたくないからだ。親のその希望は別にしても、子どもも当然に学校へ行きたいのだが、日本のようにタダじゃない。タダじゃなく金がかかるから、学校へ行くか行かないかはそれぞれの家庭の事情による。

 少し前まで一緒に遊んでいた隣に住んでいる友達は、学校へ通うことができるのに、自分できない。お隣さんと自分の家では、経済状態が違うからだ。だから、隣は学校へ行けるが、自分は行けないという不平等が普通に起こる。学校に行けない子どもは、学校に通う隣のお友達から、学校生活の話を聞いて羨ましく思う。この現在の地球においても、そんな現実はそこら中にあるのだ。日本人は知らないだけだ。日本人であるなら100%学校に行ける。行けることが基準だから、勉強が嫌いだとかの愚痴が出る。嫌々学ぶことになるから、吸収がメチャクチャ悪い。

 学校へ行くことが当たり前じゃない国の子どもが学校へ行けたなら、どんなに勉強するだろうか?宿題なんて絶対に忘れないよな。先生の話す言葉の一言も聞き漏らさないようにするよな。勉強だけじゃない、学校で過ごすすべての時間を無駄にはしない。さらに、学校で使う備品であるノートや鉛筆もムダにしない。石に字を書いているぐらいだから、ノートなんかもらったりしたら感謝しまくるだろう。学校に行けるだけで幸せだと思っているはずだ。

 な、そう考えると日本はおかしいんだよな。学校へ行くのが当たり前だと思っているから、日常感謝することなんかないだろう。感謝するどころか、手に入らないことに対して不満を抱く。「友達が持っているから自分も買ってほしい」という類いのないものねだりだ。それで、足りないものばかりを数える性格が子どもの頃から構築されてゆく。それが現代の日本の子どもの姿だ。

 足りないものを数えるんじゃない。あるものを数えろ!やってもらったことを数えろ!欲しいものを数えても切りがないぞ。感謝が足りないと運が悪くなることもわかってない。本当はこんなことは学校で教わることじゃないんだよな。

 ひとつ良い事を教えよう。”人生はないものを数えた奴が負けだ。”

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