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「LUCYルーシー」という映画をどう見るか?(後編) [映画・ドラマ]

 このルーシーという映画、何を伝えたかったのだろうか?脳を100%活用できたらどうなるのか?ということか。その疑問は、子どもの頃からアニキにもあった。15%も使えると超能力が使えるようになるという話も、いろんな本にも書かれていた。それが本当ならすごいなと思っていたから、子ども頃に超能力開発の本を買ってきて、よく練習してみたものだ。同じように、脳の機能に憧れた人が映画化したのだと思うが、もしかしたら、どこかの国で、もう脳を2~30%ぐらい使える人間を人工的に作り出してしまったのかもしれない。それは、人道的に良しとされない方法で作り出されたために、おおっぴらにはできないのかもしれない。それが本当だとしたら、この映画は真実を伝えている可能性もある。
 人間の壁を越えた人間だ。人工的にそれが可能であるなら、アニキ哲学の修正が必要となってくる。アニキ哲学の観点から考えると、人間の創造主は「人間の脳は10%で良し」としてこの世に誕生させた。これが、人間の進化により手を加えることができるなら、人間の脳を10%で作った意図がまたわからなくなってくるからだ。創造主は最初から、「脳の残り90%は人間が自分達で開発しろ」という含みを残していることになるからだ。
 映画は真実の予言である。サプライズ的なことを世の中に出そうとする場合、いきなりだとパニックになるから、映画という手段を使って評判を見る。この考えからすると、しばらくすると、「脳の15%使える人間が出現」という、そんなニュースが流れてくるかもしれない。で、それが創造主の望んでいたことかどうかがわかるのは、その後の人間の使い方次第であろう。神の導きか悪魔の罠かは、おのずとわかる。戦争や営利目的で使われてしまい、世の中が乱れるとするなら、それは悪魔の罠ということである。創造主は、天災を引き起こして、人類の歴史が幕引きとなる。人類を滅ぼして、最初からやり直しだ。つまり、脳を10%以上使うということに対して、人間の創造主は賛成ではなかったということになる。但し、もし人間の心がもっと成長していて、みんなハッピーになる使い方をしていたのなら、それは創造主が望むところかもしれない。
 結局は、物質の進化だけなく、人間の心も一緒に進化していたかどうかということだ。現在の人間の進化は物質的な進化だけであり、心はまだまだ進化していない。ならば、脳を10%以上に進化させることは、悪魔の所業と言わざるを得ない。裏社会での利用が手に取るように予想できてしまうからだ。いくら物質的に進化しても、それを使う側の心が未熟であったなら、使いこなすことはできない。幼児に拳銃を与えるようなものだろう。進化とは心のあり方だ。心がすべてにおいて重要なのだ。原発にしても何にしても、ここがわかってないから、人間は愚かな歴史を繰り返すのだ。
 そんなことを考えてしまった「LUCYルーシー」という映画であった。

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