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アピーラー達の午後(6/14) ~アピーラーになる要素~ [哲学]

 話が逸れてしまったから戻そう。人はなぜアピーラーへ変貌するのか。そして、なぜアピーラーに身を落として卑怯なことをするのか、なぜ正々堂々と戦わないのか。そこにはアピーラーという悪魔に魂を売ったその覚悟が存在する。
 アピーラーも元は入社試験を通ったごく普通の新人だ。社会人になりたての時は、嘘ついてでも就職試験を勝ち抜いた実力者である。就職試験は大概、ガチンコ勝負だろう。まあ、コネで入社する奴もいるだろうが、別にそれは汚い手段でない。コネという立派で正当な手段だ。決して裏口入社じゃなく、コネ採用という正攻法だ。よく、「あいつはコネ入社だから」と陰口をたたく奴がいるが、そういうことを言う奴こそが実力がない証でありアピーラーの卵だ。
 まあ、それは置いておいて、要するにアピーラーとなる要素は、まず、自分に実力がないことがわかってしまう分析力は備えている。分析力もないボンクラではアピーラーにすらなれない。アピーラーの卵達は、自分に実力がないそんな状態でライバルと競争できるはずがないと、まずは自己認識することから始まる。では、どうやって優秀なライバル達と戦うか?と考える。正当な競争では無理だから、周りを引きずり降ろそうとするわけだが、そういう意味ではアピーラーは頭がいいのだ。自分の実力がないことを認識して、正攻法の戦いでは実力のある同僚に勝ち目がないと悟る。そうだ、アニキ過去ブログ「自分の土俵で闘え」だ。まさに、この真理を実践している賢い奴らだ。正攻法での戦いがライバルの土俵であるとわかると、そこで努力しても成果は出ない。上司はその土俵での勝者を評価するからだ。だから、正攻法の戦いを避けて自分の土俵を探す。すると、実力がないことを生かす己の土俵はライバルの足を引っ張るしかないことに気づく。自分ではアピーラーを積極的に選んでいるわけじゃないから、自分がやっていることがアピーラーの所業だとは気がつかない。ただ、ライバルの足を引っ張るだけである。ここがアピーラーとしてのデビューであるが、本人にはアピーラーの自覚はない。というか、アピーラーを意識している奴なんかはこの世にいない。
 このブログを読んでいるアピーラーの多くは、他人のことを想像している。自分のことだとはつゆとも思ってない。自分の同僚や上司を想像して、「あいつはアピーラーだな」とほくそ笑んで読んでいるはずだ。アピーラーとは陰口だから自分で名乗る奴なんかいない。しかし、まずここで覚えておかないといけないことは、後ろ指さされるこのアピーラーには誰でもなれるわけではない。目指してアピーラーになる奴もいない。分析力に優れる小ずるい頭の良さがあり、用意周到で汚い手段で評価を確実にものにする。そんな奴だからこそ、周りから脅威的に見られ後ろ指をさされるわけだ。実力がなきゃ、だだバカにされて終わりだ。しかし、ずる賢くのし上がってゆき、いつ自分が的に掛けられるかわからないからアピーラーは怖い存在なのだ。アピーラーと後ろ指を指される理由は、それが脅威な存在であることと、出世や評価のためにそこまで汚いことをできないという嫉妬や羨望も含まれているからだ。

タグ:出世 評価 人生
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