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人間の仕掛け(1/6) ~人類の愚かさ~ [哲学]

 なぜか毎日、自分の思い通りにならないよな。周りにはうまくいってそうな奴らがたくさんいるのに、なんで自分だけうまくいかないのだろうか?なんか理不尽なんだよな。というような感じの若者が実に多く見受けられる。若者だけじゃない、けっこうサラリーマン経験も長い人でも、こんな感覚で日常を過ごしているように見える。
 なぜ思い通りにならないのか?なぜ理不尽な世の中なのか?こんな感じで生きていると愚痴りたくもなるだろう。では、みんなはこの世が理不尽である訳について考えたことがあるか?思い通りにならない人間関係や物事、なかなか実現しない願望、数え上げたら切りがない。人類の歴史においても、これらはずっと起こっていた。故事成語やことわざなどを見ればわかる。因果応報や万事塞翁が馬、棚ぼた、自業自得など、思いもよらないあまりよくない事件を表す言葉は実に多い。そう、思い通りにならないことや理不尽な事件は、人類の歴史と共に過去からある。原始人の頃は別にして、文明と呼ばれるものを営んできてから数千年も経つのに、人間はこの理不尽さを未だに克服してないのだ。文明や科学のように目に見えるものは発展してきた。生活も豊かになった。しかし、心は全く豊かになっていない。
 物質的な不足から理不尽さや不満が起こっていると人間は考えた。だから、一生懸命に文明や科学を発展させてきた。国が豊かになれば、心も満たされるという思いがあった。個人レベルでも同じだ。貧乏だから、お金がないから不幸であり、思い通りの人生を歩めない。そこで、自分や自分の家族の生活を豊かにすれば、心も満たされると思い、一生懸命に働いてきた。そして個人的には豊かになっても、満たされない人達が多いことだ。家族を豊かにするために、家庭を犠牲に仕事してきた結果、お金はそこそこ残せるようになったものの、家族の心はバラバラになり、家の中は相変わらず殺伐としている。「お金のない頃の方が、家族がみんな仲良かったんじゃないか」と、自分のとってきた行動のジレンマに悩まされる。結果、心がちっとも満たされない。だから親父は空虚なその心を満たそうと外で遊ぶのである。これが現実だろう。それを何千年も繰り返してきたのが人間だ。
 そろそろ気づくべきだろう。「あれっ、おかしいな?」ということに。「やり方が間違ってんじゃないのかな?」と。そろそろ、「実は、努力の方向が間違っているのでは?」との疑問を持つことが必要なのだ。しかし、だれもこの部分にはメスを入れない。すべては、努力の方向が間違っているから、思い通りにいかない。それなのに、そんな状況に耳を傾けないでさらに突き進むから、ついには理不尽な事件が起きる。アニキ過去ブログでも何度話しているように、進む方向が正しくないと、見えないブレーキがかかる。方向の間違いに気づかせようとする警告やシグナルが出る。個人レベルでの警告が「思い通りに進まない」ということ。国家レベルとなると、警告も大きくなり、天災や大災害となる。
 つまり、個人レベルでの理不尽なできごとも、天災や大事故も起こるべくして起きているのだ。すべては偶然のできごとではなく、必然的に起こっていることに、人類は未だに気がつかない。数千年も経つというのに、誠に愚かと言わざるを得ない。

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