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人生の準備期間「学校」(1/17) ~人生は大海~ [哲学]

 人は生まれて学校へ行って勉強し、社会人となる。大概の日本人はそのルートを辿る。アニキ哲学では、人生は社会人から始まる。人生は海である。そこはまさに大海だ。その大海へ船で単身こぎ出すことが人生だ。だから、学校は人生とは言わない。学校は人生という海を渡るだけの準備をする期間である。ここをはき違えたらいけない。学校も一つの社会だから、人生は学校も含まれるんじゃないかと思うかもしれないが、そこは混同してはいけないのだ。基本的には同じでもかまわないのだが、人生から学校を分離することの方が理にかなっている。だからアニキは分離する。

 例えば、学生時代にスポーツや勉強でかなりの技能を発揮した学生がいたとしよう。学校からが人生であれば、自分の得意な技能をそのまま社会人に生かすことが得策じゃないかと考える。しかし、学生が人生ではなく、ただの準備期間だと考えるのであれば、社会人になるときに、その得意な技能は社会に出るのに必要なのかどうかを冷静に判断できる。社会という大海への船出の時、必要な装備をリストアップして積み込むわけだが、そこで要るのかいらないのかを立ち止まって考えることができる。学校は人生の準備期間であると考えるなら、学生時代の技能に縛られることなく、社会に出ることができる。

 大概の学生は、何の技能もなく大海へ出て行く。技能が何もないから、いきなり大企業という大船に乗り込み、そこで下働きしながら航海することを選ぶ。自分の仕立てた小舟では、嵐になった時にはひっくり返ってしまうからだ。大船には何百人何千人という人が乗っているために、なかなか出世も難しいのだが、嵐にはめっぽう強い。船が大きければ大きいほど、外が嵐だということさえもわからない。大きな船での下積みをすることにより、自分の適性や能力を発揮できる場所をじっくりと探ることができる。これが、大船に乗るメリットだ。意外に居心地がよくて、ずっと最初の船に乗っている人もいる。しかし、大船が楽だからと手を抜いていると、大船から小舟に乗り移らせられてしまうかもしれないから、そこは気をつけなければならない。

 つまり、アニキは何が言いたいのかというと、実は、人生という海に出ていくのに、特別な技能は要らないということだ。人生は社会人からがスタートであり、学生時代は準備期間であると意識して、日々を過ごす。そうすると、無理に自分の適性を探す必要はないし、嫌いな技能を無理に磨くとこもない。「幼稚園⇒小学校⇒中学校⇒高校⇒大学」と、目の前の課題に集中して行動すればいいのだ。勉強が嫌いだから、大学行くのが嫌だなと思っても、大海へ飛び出す準備が出来ていないと思うなら、あえて高校や大学まで進んで時間を稼げと、いうことだ。大学行くのは親の為じゃない、自分の為なのだ。大学で充分な時間と余裕を確保する。それを使って、自分の人生をどうスタートさせるかを考える期間である。社会人になってから技能を磨いても遅くはない。

 実は、「技能がないことが技能」であり、そのメリットはとてつもなく大きい。それは、学生時代の技能に縛られることがないために、どんなことにもチャレンジできるからだ。

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